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ハレの日にお祝い事をしますよね?
逆にケの日は普通の日です。
ケの日に起こるトラブルのことをケガレと呼びます。
日本人は昔から、ハレとケの日を分けることで、メリハリをつけて生活する習慣を身に付けようとしました。
今日はそんな表裏一体のハレとケ。
日本人の慣習の1つについて話題を記事にしてみました(*^▽^*)
ハレの日と言いますと、晴れの日。
空の天候の 『 晴天 』 を指すこともありますが、お正月や成人式といったお目出度い日に着る着物を『 晴れ着 』 と言ったりしますよね。
それに人前で何かしらを発表する舞台も 『 晴れ舞台 』 とも言います。
このようにハレは晴れの漢字が当てはまります。
ケは褻という字がはまるのですが、褻着 ( けぎ ) 、褻稲 ( けしね、けせねともきすねとも読みます ) という昔の字と言いますか、難しい漢字が語源になっています。
褻着は普段着のことを意味しています。
褻稲は出荷しないで農家さんのご家庭で日常的に消費される普段食に回った稲などの作物を表すと言われています。
この褻からケと呼ぶ習慣が出来ました。
ケの日は普段の日、普通の日と言い替えることが出来ます。
ハレは非日常、ケは日常を指す言葉です。
またケに問題が生じることをケガレとして気枯れから穢れになったと言われます。
いつ頃からハレとケの文化が定着していたのかについては定かではありませんが、1603年にイエズス会の宣教師が発行した日本を紹介する記事の中では、ハレとケに関する説明文が含まれていることから、室町時代には既に定着していた思想なのではないかと言われています。
ケが問題を起こして木枯れるように、ケガレとつながるところと厄除けなどの穢れも結びついていたかもしれませんし、定着した時期はさらに古い時代に遡るかもしれませんね。
と言いますのも仏教で穢れを祓うなど魔除けの儀式は平安時代頃には中国から伝来しているからです。
五節句だったり、宮中の儀式の多くも平安時代には定着していたと言われますからね。
ハレとケの非日常と日常を分ける慣習はとても大きな、かつ単純なカテゴリーのようなものですので特段、意識せずに使い分けして日常化していたかもしれません。
この辺りは文字や記録がないので、どうとも言えない部分ですね。
ハレとケの思想は、非日常のお目出度いことなどと日常を分けてメリハリを付けよう!ということが眼目です。
不思議なことにケの日のトラブルは言葉として木枯れにつながりますが、ハレのトラブルは残っていません。
これはハレにはトラブルを避け、トラブルも飲みこんで祝おうという心意気か、ハレそのもので厄災を祓えるとしたのかもしれませんね。
節分などの行事ではハレの日となりますが、祈祷や行事食などで厄除けがなされますので、言葉として誕生する必要がなかったのかもしれません。
もちろんハレの日に問題をあえて作る無粋を、誰もが避けた結果かもしれませんね。
天皇陛下や総理大臣ともなるとハレだらけの日常を過ごすことになるんでしょうかね。
それとも庶民にとってハレの日でも日常となってしまうとケの日になるんですかね。
同じようにお葬式。
故人にとっては旅立ちの門出で遺族から見えれば別れの日で木枯れするとも言えますが、日常とも違うのでハレの日とも言われたりします。
どちらになるかは論争があるようですが、見る人、考え方によってどちらともなってしまうようですね。
いずれにしましても、我々の日常はハレとケの日で成り立っています。
うまくメリハリをもって生きることで豊かな人生を歩める一助になるようです(*^▽^*)
晴れ舞台や儀式の日、特別な日を持つことで、その日を目指して頑張ろう!
という気持ちにさせてくれますよね。
ハレの日が終わると日常のケの日ですけども、ケの日に問題が起こることを木枯れと言います。
これには2つの意味があると思います。
1つは穢れ、厄災の意味ですね。
もう1つは木枯れを予防する啓発的な意味合いだと思うのです。
日常の中に課題が生じやすい、トラブルになりやすいということです。
このため、ハレの日はこうしよう、ああしようと事細かに段取りを打ち合わせをしておいたり、段取りを予め決めるという流れになるのかもしれませんね。
そこにはハレの日に失敗しない知恵を伝統だ文化だ風習だとして積み重ねた結果かもしれません。
逆に言い替えますと、日常では、個人単位での思い付きが多いので、自由度が高いために失敗も起こりやすいということを指しているかもしれません。
ハレの日を満喫するためにも、ケの日は用心するに越したことはありませんね。
そしてハレの日には満喫できるように準備、予想を丁寧に行うことも大事なことかもしれません。
この辺りを一度、深く考えてみますと、人生の豊かさが一歩、近くなる気がしてきませんか?
皆様の日常がハレの日に多く恵まれますように…(*^▽^*)