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梅と聞いて、あなたの頭に最初にふわっと浮かぶのは、あの早春の花でしょうか?
それとも、じわりと口の中に広がる、あのすっぱ~い梅干しでしょうか?
どちらにせよ、たった一文字の「梅」という言葉が、これほどいろいろなイメージを運んでくるなんて、日本語って、いや日本人って、なかなかやるなぁと思わずにいられません。
春先、寒さの名残を吹き飛ばすように咲く梅の花は、「もうすぐ暖かくなるよ」とそっと背中を押してくれる存在です。
でも、その花が散ったあと、木にこっそり実る小さな実たちが、実は日本の食文化を陰で大いに支えている、そんなこと、考えたことありましたか?
見てよし、食べてよし、保存してよし。
しかもお守りみたいに健康を支えてくれる。
そんなパーフェクトな存在、世界を探してもなかなか見つからない。
梅って、実はめちゃくちゃすごいやつだったんです。
たかが梅?いえいえ、されど梅🩷。
今回はそんな梅の底力と、日本人との深いご縁について、楽しく、ほっこり、そしてちょっと誇らしく、一緒に見ていきましょう!
梅の花が咲くと、なんだか空気まできゅっと澄んで、春が少しずつ近づいてくる気がしませんか?
桜が満開になる前の、ちょっとだけ寒いあの季節に、そっと咲き始める梅の花。
まだ風は冷たいけれど、梅の香りをひと吸いすれば、「もう大丈夫、春はすぐそこだよ」と背中を押されたような気持ちになる。
日本人にとって梅の花は、ただきれいなだけじゃない、小さな希望のしるしだったのかもしれません。
でも、梅は咲いて終わりじゃありません。
花が散ったあと、ちゃーんと実をつける。
その実が、あの酸っぱさで有名な梅干しや、ひんやり美味しい梅酒になるわけです。
なんだか梅って、咲いてよし、実ってよし、保存してよし、まるでオールラウンダーのスポーツ選手みたい。
咲くだけで終わる花も多いなか、ちゃんと次の役割までこなす梅、控えめに言って超優秀です。
しかも昔は、梅干し一粒が旅人の命を救ったと言われたほど。
カバンに小さな梅干しを忍ばせて、塩分とクエン酸で体力を補いながら、野を越え山を越えたなんて、まるで小さなスーパーフード。
道端に梅の木が植えられていたのも、花を楽しむだけじゃなく、実がなることを期待してのことだったんですね。
実用性ありすぎ。
花の時期は春のはじまり、実が熟すのは梅雨のころ──。
だからこそ、私たち日本人は、気づかぬうちに「梅=季節の節目」を感じるセンサーを、心の奥にインストールしてきたのかもしれません。
梅が香ると、新しい季節が近い。
梅を漬けると、夏がやってくる🩷。
そんな小さなリズムのなかで、そっと寄り添ってきたのが、梅だったのです。
梅といえば、酸っぱいか、しょっぱいか。
そんなイメージを持つ人がほとんどだと思いますが、実は日本には甘い梅文化もちゃんとあるって、ご存じでしたか?
たとえば和歌山には「甘露梅」というものがあって、これがまた、梅の常識を裏切る美味しさ。
梅=顔をしかめるものだと思っていたあなた、甘露梅をひと口食べたら「梅ってこんなに優しいの!?」とびっくりするに違いありません。
でもね、日本の梅文化の主流は、やっぱりあの酸っぱくて、しょっぱくて、顔がクシャっとなるタイプ。
なぜなら、日本人は梅に「ただの美味しさ」以上のものを求めてきたからなんです。
汗だくで田畑を耕し、峠を越え、病気にも立ち向かわなければならなかった昔の日本人にとって、梅干しの酸っぱさとしょっぱさは、命を守るための「力の味」だったのです。
だから、梅干しは甘やかさない。
どこまでもストイックに、酸っぱく、しょっぱく。
まるで、「甘えたらだめだぞ」と言われているかのように。
でも一方で、甘露梅のようなやさしい梅だって、ちゃんと育っている。
ほっとひと息つきたいときには、ふわっと甘い梅も用意してある。
厳しさとやさしさ、どちらも受け止められるところが、日本の梅文化の奥深さなんですね🩷。
そして思うのです。
梅ひと粒をどう味わうかは、きっとそのときの自分次第。
気合を入れたいなら、カリッとすっぱい梅干し。
ちょっと疲れていたら、ほんのり甘い梅のやさしさに包まれて。
そうやって、梅は何百年も、日本人の心に寄り添ってきたんだなぁって。
さて、ここまで梅を絶賛してきたわけですが、ふと気づきました。
世界には、梅干しを誇らしげに見せびらかす国って、どれくらいあるんだろう?
ヨーロッパ?アメリカ?アフリカ?オーストラリア?……うーん、思い浮かばない。
そう、実は「梅を食べる文化」は世界ではかなりレア。
むしろ日本は、梅文化のガラパゴスだったのです。
もちろん中国や台湾、韓国では梅を食べる風習はあります。
でもそこでも甘く漬けたり、シロップにしたり、どちらかというと「甘やかし系」。
日本みたいに、塩だけで漬けこんで、何日も天日干しして、カッチカチに仕上げたあと「さぁ、これを旅のお供にしよう!」なんて、ドMな食文化はなかなか存在しないのです。
これ、世界的に見るとわりとびっくり案件です。
ヨーロッパの人たちは、梅よりもプラムとかアプリコットを好みます。
ジャムにして甘々にして食べるのが主流。
酸っぱいものは好きでも、しょっぱい梅干しをそのままかじる文化はありません。
もしもヨーロッパのおしゃれなカフェで「本日のデザートは紀州産の南高梅です」なんて出されたら、たぶん客席がざわつくレベル。
そう考えると、日本の梅文化はちょっと誇らしいですよね。
可憐な花を愛でるだけでなく、酸っぱい実を保存して、旅人の命を守り、季節の変わり目に体を整える──。
ただ甘やかすだけじゃない、ちゃんと人生に向き合う梅。
世界中探しても、こんなに奥深い関係を築いている国は、きっと日本だけ。
だからこそ、6月の梅雨のころ、スーパーで梅が並び始めたら、ちょっと足を止めてほしいんです。
あの小さな実に、千年分くらいの知恵と愛情がぎゅっと詰まっているんだなぁって。
いやほんと、たかが梅、されど梅です🩷。
たかが梅。
されど梅。
小さな果実ひとつに、これほどたくさんの思い出と工夫と、季節の息吹を詰め込んできた日本人の感性には、やっぱり胸が熱くなります。
春先に花を楽しみ、初夏に実を収穫し、酸っぱさとしょっぱさを命の味として大切にしてきた。
その足跡をたどると、梅はただの食べ物じゃない、日々を生きる知恵であり、心をつなぐ贈り物だったんだなぁと、しみじみ思います。
世界を見渡しても、こんなに梅に寄り添い、手間ひまかけて楽しんできた国はほとんどありません。
しょっぱくて、酸っぱくて、でもなぜか心に残る、そんな不思議な味わい。
甘いだけじゃない、苦いだけでもない、ちょっとだけ大人な、でもどこか無垢な、日本の味。
6月、スーパーに並び始めた青梅を見つけたら、ぜひ立ち止まってほしいと思います。
南高梅じゃなくてもいい。
ブランドなんてなくてもいい。
そこに実っているのは、何百年も前から、人を支えてきた「生きるための知恵」のかたまりなのですから。
誰かが育て、誰かが受け継ぎ、そして今、あなたの手のひらにのる梅🩷。
その小さな奇跡に、そっとありがとうを伝えたくなる。
そんな6月が、今年も静かに始まろうとしています。
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