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7月の介護の陣 ~賞与で裂ける職場の絆と去りゆく者と残されし者~

はじめに…六月の人事考課の陣が終わると次に控えるのは七月の賞与戦

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七月、それは「介護職員の夏祭り」──ではなく、「賞与の真実が暴かれる季節」でございます。

人事考課という名の静かなる審判を受け、しれっと笑って受け取るその封筒。

中身を覗いた瞬間、顔が引きつり、時が止まる。

「この数字…まさか……私ってそんなに低評価?」と脳内でドラムロールが鳴り響く瞬間、それが“七月の陣”の開戦の合図です。

なにせ賞与とは、半年分の自分の働きぶりを経営陣が評価した結果です。

しかも、ちょいちょい突かれた重箱の隅が影響して、数万円がすっと消えているのが介護職界のあるある。

表向きは「みんな頑張ってるよね」という笑顔の裏で、「まあ〇〇さんは減点入って当然よね、きっと下げても怒らない🩷」なんてひそひそ話が飛び交う人事会議──それが前月、六月の“考課の陣”でした。

そして、この賞与、意外と知られていないルールがひとつ。

「七月支給のその日、出勤していない人には出ません」。

そうです、もらってすぐ辞めるなんてのは無理ゲー。

だからみんな、六・七月に有給をぶち込むんです。

辞める決意を固めて、最終出勤日まで指折り数える。

お祝いどころか、静かなる脱走計画が全国の介護現場で展開されているのが、この時期のリアル。

ただ怖いのは、そういったことを後に残される職員が知らされないことです。

「〇〇さん?あぁ、ちょっと体調崩されて…ね(口止め済)」と濁され、いつの間にかシフトは再編され、あなたの夜勤が1回増えている──そう、残された者こそが“七月の本当の戦士”なのです。

さぁ始まりますよ、介護の陣・七月編!

あなたの職場では、もう火の粉が舞い始めていませんか?

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第1章…評価という名の処刑台


あの日の会議室。

事務長がコーヒーを飲みながら、書類の束をめくっていた。

中間管理職が一人、また一人と入室するたびに、部屋の空気は重くなる。

議題はもちろん「人事考課」。

六月に行われた、あの忌まわしき“静かな査問会議”のことである。

実はこの人事考課、名前の響きはなんだか高尚そうだが、実態は意外とアナログ。

「遅刻が…」「申し送りが…」「あの時、ちょっと言葉遣いが…」など、普段の愚痴に“点数”という名の武器が与えられた瞬間、評価者たちは急に饒舌になる。

特に、日頃から黙々と働くタイプの職員ほど「印象が薄い」とされ、なぜか低めの評価を受けるという理不尽ループ。

その一方で、やたら声が大きくて元気な人が「雰囲気を盛り上げてるから」と高評価になるケースも──いやいや、それ仕事の評価か?

そして恐るべきは、この評価が賞与に直結しているという点である。

「基本給 × 評価係数 × 所定月数」──式にすると立派だが、現実は容赦がない。

評価欄の「C」ひとつで、1万円、2万円がふっと消える。

かといって「なぜこの点数なんですか?」と聞けば、「総合的に判断して」とぼやかされる。

まるで占いの結果を信じるしかない乙女のように、私たちは**“経営の心象”にすがるしかないのだ。**

ここで重要なのが、“賞与の支給日は七月”ということ。

つまりこの評価は、もはや変えようがない“過去の成績表”。

言い訳も、反論も、反映されない。

しかも、ここで妙に納得がいかない金額を見せられた場合──心の火山が静かに噴火を始める🩷。

「私、ここまで頑張ってこの評価?」「あの子より下?」

人知れず退職サイトを覗き、同僚にLINEで「ちょっと聞いて…」と送信する夜が始まるのだ。

だがこの時点で、あなたの評価はもう誰にも届かない。

それが人事考課、そして賞与評価の残酷なところである。

第2章…賞与と消えてゆく魔法のようなカラクリの数字


それは、七月のとある朝。

デスクの上にそっと置かれた白い封筒。

「〇〇さん、賞与です」──と、事務員がニコッと微笑んで手渡してくる。

この時点で、心の中ではもう鐘が鳴っている。

『ジャジャン!今年の私、いくらだ!?』

ドキドキしながら開けると…そこには、思わぬ現実が。

「ん?あれ?少ない……よね?ね?」

つい隣の職員をチラ見してしまう。

でも、賞与額って“個人差”があるからこそ、あけすけには聞けない。

みんなニコニコしているけど、内心は複雑。

「これ、去年より下がってないか?」「評価ってどこがダメだったんだ?」と、心の中の自問自答が止まらない。

ここで出てくるのが、あの“よくわからない計算式”である。

「基本給 × 評価係数 × 月数」──これだけ聞くと合理的だが、実際は“係数”がブラックボックス。

何をどう評価されたのか不明。

評価Cで何がいけなかったのかも不明。

しかも基本給自体が低め設定な介護業界では、ちょっと係数が下がっただけで、賞与が2~3万円ふっとぶ。

中には「日勤しかやらなかったからじゃない?」「あの時、有給取ったからかな?」といった“陰の分析”が飛び交う。

そして、**一部の人事担当者の口癖は「まぁ、賞与はあくまでおまけですから」**というセリフ。

おまけにしては、生活費レベルの金額ですけど!?とツッコミたくなるが、口には出せない。

だって、ここで波風立てたら“来年もっと減らされるかも”という、介護界ならではの被害妄想が炸裂するからだ。

さらにこの賞与、意外と知られていないルールがある。

「支給日に在職していないと、もらえません」。

つまり、もらってすぐ退職は不可。

しかもバレると「賞与目当てで残ってたんだろ」と陰口がついてくる始末。

だからこそ、6月末に退職届を出し、有休消化で姿を消す“戦略的撤退”が多いのだ。

そして、そういった人たちは、決して言わない。

「辞めます」とは。

なぜなら、“言ったらシフトを変えられる”し、“職員の士気に関わるから”という理由で、経営陣から**「黙っててね」とやんわり口止めが入る。**

すると残された者たちは、

「〇〇さん、最近見ないね?」「体調かな?夏バテかな?」なんて言いながら、

いつの間にか夜勤が一回増えていて、

「欠員の理由は言えないけど、助け合いでよろしくね」という魔法のセリフで、現場の戦が続いていくのである🩷。

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第3章…口止めの指令と有休消化の密かな現実逃避の脱出


七月の中旬、どこの現場でも一人や二人は姿を見なくなる季節。

「〇〇さん、体調崩されたみたいで…」「いや、お子さんの都合で長期お休みって…」と濁されるその人は、たいてい**有給消化中の“退職者予備軍”**である。

ここでポイントとなるのが、介護職特有の**「辞めるとは言わないけど、もう出てこない」現象**

人事考課の結果にモヤモヤしつつ、賞与は一応受け取り、そっと有給をフル活用。

「7月いっぱいまで籍はあるけど、実働ゼロで終わる」──それが、夏の風物詩。

まるで、見えない脱出劇。

“さようなら”も言わずに、静かに施設を去っていく、忍者のような退職スタイルである。

もちろん、本人が悪いわけではない。

ちゃんと制度を使ってるだけだし、有給は労働者の権利。

でも、現場には影響が出る。

夜勤表にぽっかり空いた「空白のコマ」。

その穴を埋めるのは、もちろん残った者たち。

「〇〇さん、今日急きょ夜勤お願いできる?」なんて頼まれて、心の中で“いや、誰のせいだよ!?”と叫ぶ。

しかし口に出せば「協調性がない」なんて評価されてしまうので、またひとつ“評価対策の仮面”をかぶって頷くしかない。

さらにこの季節、「あの人、辞めたって本当?」と噂が飛び交い始める。

でも上からは「お答えできません」──沈黙こそが正義。

そのうち皆がうっすら気づいてくる。

「…あの人、もう来ないんだな」

でも、公式なアナウンスはない。

だから送別会もなく、花束もなく、ただスケジュールから名前がフェードアウトするだけ。

人員不足の中で、残る人たちの怨嗟の声を想像しながら…。

そして、誰もいなくなったフロアで、残った者たちが汗だくで動き回っている。

利用者の笑顔の裏で、心のどこかがカラカラに乾いていく──それが七月の本当の恐怖🩷。

それでも、経営陣は言うのだ。

「皆さんのおかげで、今年も無事に賞与が出せました」

そう、あの一言がまた胸に刺さる。

出たけど、出し方が大きな問題なんだよ。

第4章…夏の陣に残された戦士たちと“がんばろう”の呪文の正体


退職者は風のように去り、有休者は静かに消え、気がつけば、フロアに残っているのは「なぜか責任感が強い人」ばかり。

シフト表はすでに再編済み。

夜勤の回数が「え、私ってレギュラー?」というレベルで増えており、日勤も「リーダーやってくれると助かるな〜」という軽やかな言葉とともに、仕事量が2倍モードに突入している。

ここで登場するのが、あの呪文である。

「がんばろう、みんなで乗り切ろう」

──出た。

言われた瞬間に、鼓膜の奥がキーンとなる。

がんばろう、の主語はいつも“みんな”なのに、がんばるのは“私”だけというこの摩訶不思議な構造。

何をどうがんばるのか明言されないまま、努力と根性だけで暑さと人手不足に立ち向かうことが当然となっていく。

さらに追い打ちをかけるのは、“辞めた人を美化する空気”だ。

「〇〇さんも最後までがんばってたしね…」という言葉が、なぜか現場にしみ渡っている。

いやいや、辞めた人は今、有休でハワイかもよ?

なんなら次の職場で冷房の効いたカフェ風デイサービスでおしゃれに働いてるかもよ?

でも言えない。

**辞めた人をうらやむことは、職場の“禁句”**だからだ。

さらにさらに、管理者はこう続ける。

「あと1人でも増えたら、みんなの負担がぐっと楽になるよ!」

しかし、その「あと1人」が入ってこないまま数ヶ月が過ぎるのが現実。

気づけば、求人広告はずっと出ている。

でも来ない。

来ても定着しない。

そしてまた、あなたの夜勤が1回増える──このループが、まさに“七月の介護の陣”の真骨頂である。

それでも私たちは笑う。

「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせる🩷。

でも、本当はそろそろ限界。

目の下のクマは深くなり、足のむくみが取れず、でも「がんばろう」の呪文だけが今日も施設を飛び交っている。

思えばこの言葉は魔法ではなく、契約書に書かれてない強制労働の号令なのかもしれない。


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まとめ…7月の賞与は「報酬」か…それとも「踏み絵」か?


こうして、七月の介護の陣は静かに幕を閉じる。

退職者の姿は遠のき、有給者の机にはもう書類が置かれることもない。

そして現場には、黙って残った者たちの汗と溜息だけが流れている。

人手は減った。

でも、利用者の数は変わらない。

施設のサービス提供時間も変わらない。

なのに、シフトは増える。

残業も増える。

気づけば、自分の生活が「仕事で埋め尽くされている」。

不思議に思った職員が、ふと考える。

「この人手不足の中、誰が得をしているんだろう?」

それは、たいてい**“書類上では人員が足りていることになっている”から**である。

不在の職員の名を、まるで亡霊のように人員配置表に残しておけば、国からの介護報酬は満額支給される。

誰かがいなくなっても、**数字上は“揃っている”**ことにできてしまう制度。

その“泡銭”は、どこへ行くのか。

賞与が削られたあなたの手には届かず、いつの間にか“経営改善費”や“備品予算”に化けていくのが現実。

そして、そんな背景を知る由もない利用者は、

「ここの職員さんはみんな優しいわね」と微笑んでくれる。

だから辞めずに、踏ん張ってしまう。

「今日もありがとう」と言われるたびに、誰かが本来なら折れていたはずの心を、もう一度、立て直してしまうのだ。

でも──それでいいのだろうか?

評価に納得できず、賞与に落胆し、有休で姿を消した誰かは、もしかしたら、**「あの人たちが残るから、変わらない」**と思いながら背中を向けたのかもしれない。

だからせめて、ここで問いかけてみたい。

「この夏、あなたの“頑張り”は、本当に“守られて”いましたか?」

介護の陣・七月編は、そうして静かに終わる。

でも、同じ現場で、同じ制度の中で、また来年、同じように繰り返されることを私たちは知っている。

だからこそ、今日も笑おう🩷。

少し乾いた喉を潤しながら、こう言おう。

「おつかれさま、また明日。私たちはまだ、生き残ってる。」

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niiro makoto