Categories: [ 夏の記事 ]

なぜ日本の夏はホラーとともに?世界とのズレと施設で見られぬ恐怖の理由

はじめに…夏が来ると風鈴とともに背筋がスッと冷える…そんな国は日本だけだったりする?

🎻BGMをご用意しました。お好みで▷ボタンでお楽しみください。

夏といえば、そうめん、スイカ、セミの大合唱。

そしてなぜか、「キャーッ!」と悲鳴を上げたくなるホラーの季節。

けれど、考えてみれば不思議じゃありませんか?

どうしてわざわざ暑い時期に、背筋がゾワゾワするような映像を観たり、耳をすませば井戸の中から何かが這い上がってくるような話を聞いたりしなきゃいけないのか。

これ、冷房代を浮かせるための先人の知恵?

それとも国民的なドM傾向?

世界を見回すと、夏にホラーで涼を取るなんて発想をしている国は意外と見当たりません。

アメリカ人は10月にお化けと戯れ、イギリス人は暖炉の前で霊に遭遇し、中東の人々はホラーよりリアルな現実と向き合っているわけです。

つまり、ホラーと真夏の暑さを結びつけているのは、もしかして日本人だけ…?

さらに言えば、病院や高齢者施設では、ホラーなんて絶対に上映されないし、トイレ介助の途中で呪怨の子どもに出くわしたら、それこそ職員が逃げ出します。

でも一方で、ホラーを「観たい」と感じる人もいる。

そこには感情や記憶、ちょっとした人生観まで関わっているのです。

この記事では、そんな“日本の夏とホラー🩷”の不思議な関係について、真面目な考察とちょっとした笑いを交えつつ、じわっと背筋を冷やしながらお届けします。

さて、あなたにとってホラーとは何でしょう?

ただの怖い映像?

それとも、忘れられない青春の一コマ?

では、静かに灯ったろうそくの火を1本、そっと消して…続きをどうぞ。

[ 広告 ]



第1章…夏に怖い話をするってどこのどいつが決めたのか?


日本の夏って、なんだかんだで毎年「怖い話」や「ホラー映画」の波が押し寄せてきますよね。

テレビでは怪談特集、書店には心霊本、そしてネットには「見たら後悔する動画10選」とかいう怖すぎてサムネすら開けないリストが並ぶ季節。

でも、そもそも誰がこんな季節性をホラーにくっつけたんでしょう?

うっかりエアコンを忘れた誰かが、「じゃあ怖くなって冷えよう」って始めたとか…?

実は、この夏ホラーの起源、江戸時代に遡るとも言われています。

かの有名な“百物語”という遊び。

これは夜にろうそくを百本灯し、怪談を一話語るごとに一本ずつ火を消していくという、現代の感覚からするとやたらと火災リスクの高い娯楽だったんですが、これがまあ大ウケ。

気温30度超えの時代に、空調もない中で「語ってゾクッとする」「聞いてゾワッとする」、つまり、冷えるなら何でもあり状態だったんですね。

さらに、季節的な背景として「お盆」の存在も見逃せません。

ご先祖様が帰ってくる時期――という響きはなんだか優しく聞こえますが、視点を少しずらせば“あの世とこの世の境界が近づく時期”とも解釈できます🩷。

幽霊がうっかり道を間違えて、実家じゃなくてあなたの部屋に入ってきたら、それだけでサマーキャンプ中止です。

そんな背景から、「夏=ホラー」の方程式がじわじわと日本に定着していきました。

暑さで意識がぼんやりするからこそ、背筋をスッと冷やしてくれる怖い話が求められた。

ある意味では、氷や扇風機と同じカテゴリーの“夏の冷却アイテム”だったのかもしれません。

でも、ここで思うのです。

もし真夏の夜に、目の前で白装束の女性がゆらゆら立っていたら、「あ、夏だなぁ」と風情を感じる日本人の感性って…だいぶ独特じゃないか?と。

そう、夏とホラーがくっついたのは、偶然でも気の迷いでもなく、日本という国が生んだ季節の風習。

暑さを忘れたい気持ちと、なぜか“ちょっと怖いものを見たい”という背徳感。

それらが手を取り合って生まれた、正真正銘の風土的アトラクションなのです。

第2章…世界の人たちは夏に震えたりしないのか?


さて、日本人が真夏に「キャーッ!」と叫びたがるのは分かった。

では世界の人たちはどうなのか?

たとえば、アメリカの友人に「やっぱ夏はホラーだよね」と言ったら、「え?ハロウィンは秋だけど?」と返されたことがある。

こっちはお盆の夜に白い足のない人の話で盛り上がってるっていうのに、向こうは10月末にならないと怖がる気にならないのだ。

ハロウィンと言えば、カボチャの顔をくり抜いたジャック・オ・ランタンと、仮装した子どもたちが「お菓子くれなきゃイタズラするぞ」と言いながら練り歩く、アレである。

あれは実はケルトの古い風習が元になっていて、「あの世とこの世が一番近づく夜」という意味があるらしい。

つまり、アメリカでは“あの世のドアが開く”のは秋限定。

それ以外の季節はしっかりロックされているようだ。

イギリスに目を向ければ、こちらは少し趣が違う。

彼らはなんと、クリスマスの頃に幽霊の出る話を読むのが好きという風習があったとか。

プレゼントを開けてケーキを食べたあと、家族でストーブの前に集まりながら「さて、今夜は1人増えているようです…」みたいな話を楽しむのだ。

なんとも暖かくて寒い文化である。

韓国や中国では、日本と同じく夏の時期に“あの世系”のイベントが多いものの、特に「夏だから怖がろう」という空気はあまりないようだ。

むしろホラー映画は年中上映されていて、カップルがデートで観に行くという謎の風潮もあるらしい。

そう、アジアでは“恐怖の共有”が恋の始まりになる可能性まであるというのだから、人生いろいろだ。

中東やアフリカの地域では、そもそもホラーというジャンルがエンタメの主流にはならないことが多い。

宗教や文化的背景から、霊的存在を「娯楽にしてはいけないもの」とする考え方が強く、悪霊や呪いは“リアルに怖がる対象”。

うっかり見たらお祓いが必要になるので、テレビで気軽にゾクゾクすることすら危険なのかもしれない。

こうして見ていくと、日本の「夏にホラーで涼む」という感覚は、かなり珍しい現象であることが分かってくる。

世界が秋や冬にひっそり怖がっている中、日本だけが「暑いから冷やしてくれ」と言わんばかりに、怖さを浴衣と一緒に着こなしてしまうのだ🩷。

さすが季節を愛する国民。

情緒も恐怖もセットで味わうのが、我が国の夏の醍醐味なのである。

[ 広告 ]



第3章…施設ではホラーは出禁?観たい人がかわいそうじゃないか


夏になるとテレビの中では霊が出てきて、若者たちはキャーキャー言いながらホラー映画を楽しんでいる。

なのに、病院や高齢者施設の中では、その手の話題になると空気が一変する。

「そんなの上映したら、夜中にトイレに行けなくなりますよ!」とか、「認知症の方が混乱して徘徊したらどうするんですか?」と、真っ当な意見が飛び交う。

はい、正論です。

まさに“正しさのバリア”でホラーは出禁。

もはや貞子より怖いのは、介護現場の安全マニュアルかもしれません。

でも、考えてみてほしいのです。

みんながみんな怖がるわけじゃない。

中には「昔から心霊写真特集が大好きだった」とか、「若いころは金曜ロードショーのホラー映画を欠かさず見ていた」という猛者もいる。

そう、世の中には“ホラーを観たい人”だって確かにいるのに、その人たちの楽しみが封印されてしまうのは、ちょっと切ない話ではないでしょうか。

「じゃあどうするの?」という声が聞こえてきそうですが、そこで登場するのが“個別視聴”という救済アイデア。

全体レクリエーションでは無理でも、個人のタブレットで、イヤホン装着で、誰にも迷惑をかけずにホラーを楽しむ。

静かに笑っているその表情は、もはや怪談よりも不気味かもしれませんが、それがその人の「自分らしさ」なら、尊重してあげたいものです。

さらに、ここで登場してもらいたいのが、世界初(たぶん)の“ホラー耐性チェック”。

「あなたはどれくらい怖がれますか?」を診断するアンケートで、ちょっとした猫の目から始まり、最終問題では階段の下から誰かが這い上がってくる動画をチラ見せする。

ここで「まだ平気」と言った人には、安心して呪怨コースをご案内できます。

もちろん、このチェックを全職員に配布しようとしたら「ちょっと何言ってるか分からない」と返されるのがオチですが…🩷。

結局のところ、ホラーが施設で遠ざけられてしまうのは、心身への影響の大きさゆえ。

だけど一方で、「ホラーが好きだった自分」や「ゾクッとする感覚を忘れたくない」という気持ちも、ちゃんとその人の人生の一部だったりするのです。

だからこそ、観たい人が静かに楽しめる仕組みくらい、用意してあげてもバチは当たらないはず。

たとえ貞子が出てきても、すぐ職員が助けてくれる…とは限らないけれど。

第4章…ホラーで得する脳と損する心~その分かれ道とは?


ホラー映画って、あれですよね。

怖いのに見たくなる、不安なのに再生ボタンを押してしまう、そして後悔するけど次の日また見てる…という、まるで恋の駆け引きみたいな現象。

でも科学的に見ても、ホラーが私たちの心と体に与える影響って、実はなかなか奥が深いんです。

まず、ちょっと怖い話を聞いたり、目の前で幽霊が出てきたりすると、脳内では「ヤバいぞ!逃げろ!」という指令が走りまくります。

このとき脳の扁桃体がビシバシ働いて、心拍数が上がり、呼吸も速くなって、まるで本当に危機が来たかのような反応に。

これが逆に「今、自分は生きてる!」っていう実感を生むんですね。

おお、生きてるって素晴らしい。

ありがとう貞子。

また、この一連の反応によってストレスが一時的に吹き飛ぶという、“カタルシス”のような効果も期待できます。

叫んで、ドキドキして、最後にふうっと落ち着く。

この一連の感情のジェットコースターが、日常生活では味わえないスパイスになって、心のリフレッシュにつながることもあるんです。

つまり、「怖いけどスッキリする」という、謎のエンタメとしての位置づけが成立するわけです。

ただし、良いことばかりではありません。

たとえば、寝る前にホラーを観てしまうと、そのまま脳が興奮したままで、「おやすみ」のはずが「ぎゃー!」になったり、ベッドの下に誰かがいるような気がして布団の端を握りしめてしまう羽目になります。

朝まで熟睡とは程遠い、夜間警備員モード。

おまけに夢の中でも追いかけられて、起きたときには疲労困憊なんてことも。

さらに、トラウマや不安障害のある人にとっては、ホラーがただの娯楽では済まないケースもあります。

過去の経験や恐怖体験と結びついて、リアルなフラッシュバックを起こしてしまうことだってあるんです。

しかもその記憶、なぜか他の記憶よりもしぶとく残るんですよね。

あれ?昨日の夕飯は忘れたのに、10年前に見た首が回るシーンはハッキリ覚えてる…みたいな。

というわけで、ホラーには「心のガス抜き」になる側面と、「心の蛇口を壊す」リスクの両方があるわけです。

向き合い方次第で、人生の彩りにもなるし、地雷にもなる。

まるで、寿司屋で“ワサビ多め”を頼んだら涙が止まらなくなった、あの日のように…🩷。

第5章…私の人生にホラーが入ってきたあの夜の出来事


あれは小学生の頃だった。

夏の夜、トイレに起きたのがたしか深夜2時過ぎ。

廊下をそろりそろりと歩き、なぜかふと居間を覗いてみたら、誰もいないはずの部屋のテレビがぽうっと光っていた。

こんな時間に何が映ってるんだと近づいてみると、それは白黒の日本映画。

着物を着た女性が、宙を跳ねながら侍と戦っている。

え?何してるの?と息を飲んだ次の瞬間、その女性の口が、裂けていた。

白黒なのに、ハッキリ分かるその裂け方。

そしてその動き。

人間のようでいて、猫のようにしなやかで、でも何かおかしい。

まばたきもできず、その場に立ち尽くして見入ってしまった。

怖いのに目が離せないとはまさにこのこと。誰かを呼ぼうにも声が出ず、でもテレビは容赦なく化け猫と侍の戦いを繰り広げる。

白装束の猫女が宙を跳び、爪を立て、ギャーッと叫ぶ。

あの時の音と映像は、まるで脳に直接録音されたかのように、いまだに記憶にこびりついている。

それ以来、私の中で“ホラー=見ると動けなくなる”という方程式ができあがってしまった。

貞子?

リング?

いやいや、もうそのジャンルは無理です。

オーメン?

エクソシスト?

うん、ポップコーンが手から滑り落ちそうだからパスで。

周囲が「一緒に観ようよ」と盛り上がっていても、私は笑顔で回避。

ホラー映画が始まるだけで、脳内にあの白黒の猫がシャッとよみがえるのだから、そりゃ無理もない。

でもね、不思議なことに、夏になるとふとあのシーンを思い出す。

あの夜の居間の静けさ、テレビの青白い光、そしてあのジャンプ力の高い猫の霊。

怖かったはずなのに、なぜか懐かしい。

トラウマといえばトラウマだけど、あの時たしかに私は何かを“体感した”んだろうなと思うのです。

そういう意味では、ホラーってただのエンタメじゃない。

思いがけず人生のどこかに入り込んできて、なぜか記憶の引き出しの一番奥に居座り続けてる存在🩷。

見るのを避けても、なぜか忘れられない。

ホラーって、そんなやつなんですよ。


[ 広告 ]


まとめ…怖いって誰かとじゃないと笑いに変えられない


ホラーが好きな人もいれば、ちょっと苦手な人もいる。

そういう当たり前のことが、なぜか夏になると忘れられがちになる。

スーパーの涼菓コーナーの隣で幽霊特集が始まり、夜になればSNSに“この世のものとは思えない影”が流れてくる。

みんなが盛り上がっているように見えて、実は内心ビクビクしてる人もいるかもしれないのに、それをなかなか言い出せない。

ホラーって、なんだか不思議な存在ですよね。

でも、だからこそ「見たい人だけが安心して楽しめる工夫」が大切になるんだと思うんです。

大勢で見るのが無理なら、一人でこっそりタブレットで。

怖いのは無理でもちょっとだけゾクッとしたいなら、ゆるめの怪談話をこそっと読んでみる。

見ないという選択だって、堂々としてていい。

だって、誰かと一緒じゃないと、怖さって笑いに変わらないものだから。

怖がることでスッキリする人もいれば、ただ疲れるだけの人もいる。

その違いを認め合える社会って、実はとっても優しい。

涼をとる方法が違うだけで、人それぞれの夏の過ごし方にはちゃんと意味がある。

氷をかじる人もいれば、貞子で冷える人もいる。

どちらも立派なサバイバル術です。

だからこの夏、ホラーを選ぶかどうかは、あなた自身の“心の扉”次第でいいのです。

無理せず、でも無視せず、自分に合った“涼”を楽しんでいきましょう。

テレビの前で見るもよし、遠巻きに笑ってるもよし。

誰に強制されることなく、「ああ、自分ってこうだったな」と思い出すきっかけになれば、それだけで十分怖くて優しい夏になるはずです🩷。

[ 広告 ]




[ ⭐ 今日も閲覧ありがとう 💖 ]

読み込み中…
読み込み中…
読み込み中…
読み込み中…

😌来場された皆様、今日という日の来訪、誠にありがとうございます
お気づきのご感想を是非、お気軽にお寄せくださいましたら幸いです


[ ☆ブログランキングに参加しています☆彡 ]


人気ブログランキング


にほんブログ村

😌2つも参加して欲張りですが、是非、ポチっと応援をよろしくお願いします

niiro makoto