目次
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子どもたちが「夏休みの宿題だよぉぉおお…」と机に突っ伏す季節がやってきた。
工作、絵日記、ドリル、そして最大の難関と名高い「自由研究」。
だがしかし、その横で涼しい顔をして冷えた麦茶を飲む大人たちよ、そろそろ気づいてはいないだろうか。
自由研究こそ、大人がやるべき最高の知的エンタメなのではないかということに──。
思い返してみよう。
あの頃の私たちは「氷はどこまで溶けないか実験します!」とか「朝顔の観察日記つけました!」とか、わりと全力で謎に挑んでいたじゃないか。
なぜか親の方が熱心で、気づいたら母の筆跡で「まとめ」が完成していたりすることもあったが、それでも「何を調べようかな」と考えるワクワクだけは確かに自分の中にあった。
そして今、大人になった我々はと言えば、毎日がルーティンで、スマホは眺めても空は見上げない。
仕事はしても研究はしない。
でも、自由研究って、言い方を変えれば「自分の好きなことを、正当な理由で深掘りできる、夏の特権」ではないだろうか。
しかも、提出先もない。
赤ペン先生もいない。
やりたいことを、好きなように、好きなだけ。
これって実は、かなり最高じゃない?
ここで一度、大人の自由研究を正当化させていただこう🩷。
冷房の最適温度を探す──これは電気代節約の実験である。
蚊に刺されやすい人を特定する──これは家族の健康と快適を守る研究である。
カビと戦う──これは住宅寿命とQOL向上に関わる重大な探究である。
これが“QOL向上”のための自由研究だと気づいた時、すべてが金色に輝き始める。
子どもが勉強するのを見て、大人が学ぶ姿を思い出す。
子どもが選ぶのに迷っている時、大人が楽しげにテーマを決めてみせる。
それがきっと、家族の中で一番かっこいい自由研究の始まりになる。
さあ、麦茶の氷が溶けきらないうちに、自由を手にして、ちょっと知的な冒険に出かけてみようじゃないか。
次章からは、大人にこそ試してほしい自由研究の世界をご案内しよう。
クスッと笑える、でもちょっとだけ誇らしい、“知的復権の夏”が、今はじまる──!
選ぶというのは、なかなか勇気のいることだ。
スーパーのお菓子売り場で3分以上固まって動けない大人を何人も見たことがあるが、あれこそが「自由にしていいよ」と言われた人間が最も不自由になる瞬間である。
自由研究も同じだ。「何でもいいよ」が一番困る。
大人の自由研究は、別に学会に出すわけでも、成績がつくわけでもない。
それなのに、なぜか「もっとすごいテーマを…」「誰かのためになるような…」「せっかくやるなら…」と、変に肩に力が入ってしまう。
いやもう、そんなこと言ってたら一生始まらない。
選んだ時点で、あなたはもう立派な研究者なのだ。
誰がなんと言おうと、それが「溶けないアイスの観察」だろうと「蚊に刺された回数グラフ」だろうと、れっきとした自由研究である。
選び方のコツはひとつだけ。
目についたものでいい。
キッチンの流しにあったレモン?OK。
昨日買ったけど読んでない漫画?OK。
最近洗濯機の調子が悪い?それもOK。
「なんでこうなるんだろう?」とふと思った瞬間、それがもうテーマだ。
何かを知りたいと思う心、それが全研究の出発点なのだから。
子どもの頃、なんとなく「工作にすれば楽できそう」と思って牛乳パックを切りまくってた人、覚えてる?
その感覚、大事にしていい。
楽したいという欲望は、立派な創造力の燃料である。
つまり、ちょっと面倒くさいな〜と思いつつも、「これなら楽しくできそう」というものを選ぶこと。
それが一番いい。
大人の自由研究は、誰にも邪魔されず、誰かの顔色をうかがう必要もなく、自分の機嫌を取りながら進めていい唯一の宿題である。
すごくなくていい。
誰とも被らなくていい。
話のネタになるかも?くらいで十分すぎる🩷。
選ぶ。
それは、何かを始めることの第一歩であり、大人が「やってみようかな」と思えた瞬間の、小さな革命。
最初の一歩を踏み出したあなたに、次章では、夏にぴったりのワクワクする実験の世界を、そっと提案させていただこう。
冷房問題。
それは夏になると必ず勃発する、家庭内温度戦争である。
ある者は「28度設定でエコ推進!」と正義の旗を掲げ、またある者は「26度じゃなきゃ寝られん!」とクーラーのリモコンを握って離さない。
子どもは氷枕と扇風機を抱えて床で転がり、ペットはなぜか風の来ない部屋の隅で丸くなる。
これはもう、社会現象である。
だが、ここで一歩踏み込んでみよう。
最適な冷房設定とは、何度なのか?という問いは、単なる好みや争いではなく、れっきとした研究テーマだ。
気温、湿度、体感、そして電気代とのバランス。
これを日を分けて条件変えて記録してみると、意外な発見がある。
たとえば、27度でも扇風機を足元から当てると、体感は25度以下になる。
さらに、カーテンを厚手にするだけで、日差しによる温度上昇を2度ほど抑えられる。
つまり、温度そのものより、冷たく感じる演出の方が鍵を握るのだ。
ここに気づいた瞬間、人はただのエアコン利用者から「快適空間の演出家」へと進化する。
ある夜、家族に内緒で24度に設定して寝てみた。
翌朝の第一声は「なんか、寝つき良かったかも」。
勝った気がした。
だが翌月の請求書はしっかりとこちらを睨んでいた。
やはり勝負に勝って試合に負けている。
だからこそ、研究の価値があるというものだ。
本格派のあなたには、湿度計と体温計を導入するのもいいだろう。
データが増えると、なんだか急に信頼性が増す。
家族を納得させるには「なんとなく暑い」ではなく「昨日より湿度が10%上がってる」くらいの説得力が必要なのである。
この研究の副産物は、「自分にとって快適な環境とは?」というテーマにまでつながっていく。
温度、湿度、照明、風、音…🩷。
自分のご機嫌を取るのがうまい人は、だいたい冷房の設定もうまいのだ。
ということで、次は…もっと体を張った研究テーマに進もう。
小さな虫があなたの自由研究に命を吹き込む…かもしれない。
「なんで私ばっかり刺されるのよ!」という叫びが、今年もまた夜空にこだまする。
そう、夏の風物詩のひとつは花火でもスイカでもなく、蚊である。
しかも奴らは狙いを定めてくる。しかもピンポイント。
しかも耳元。
しかも風呂上がり。
悪意しかない。
だがここで立ち上がるのが、大人の自由研究魂。
蚊に刺されやすいのは本当に「血液型」なのか?
「体温」なのか?
「服の色」なのか?
真実を求めて、ついに家族を巻き込んだ人体実験が始まるのだった。
ある夜、家族でベランダに椅子を並べた。
全員半袖・半ズボン・素足。
虫除けスプレーは封印。
風下にはあえて焼き肉の残り香を配置。
研究とは、時に犠牲を伴うものなのだ。
そして10分後──。
母:3箇所。
父:ゼロ。
長男:5箇所(本人はなぜか誇らしげ)。
私:2箇所。
蚊:満足げに飛び去る。
結論?出るわけがない。
条件が曖昧すぎる。
でも、なんか楽しかった。
こうして「誰が一番刺されたか選手権」は、翌週も開催され、蚊取り線香の真横に座ってるくせに刺される者、虫除けアプリを信じて裏切られる者、それぞれのドラマが展開していった。
ところが回数を重ねていくうちに、あることに気づいた。
汗をかいている人が刺されやすいのでは?
いや、アルコールを摂取している人?
いや、動かずにいる人?
もはや完全に陰謀論の香りさえ漂ってくるが、それすらも研究という名の冒険の一部なのだ。
やがてこの研究は、思わぬ副産物をもたらす。
「対策」への関心が爆上がりしたのである。
虫除けスプレーの性能比較、アロマの忌避効果、長袖素材の通気性と防御率…。
これはもう立派な実用研究。
蚊と人類の闘いに、私たちは自由研究という形で参戦したのだ。
かゆい思いをした分だけ、話のネタが増える。
ちょっとした会話のタネにもなる。
そしてその時、ふと気づく。
あれ?もしかして私、ちょっと研究者っぽくなってきてる…?🩷
そんな予感を胸に、次はもうひとつの夏の主役、アイスクリームたちの熱き戦いへ──。
冷たさを守るのは、誰だ。
冷凍庫を開けたとき、君はすでに研究者だった。
というのも、そこにはバニラ、チョコ、ソーダ、モナカ…さまざまなアイスたちが、プラスチックの引き出しの中で静かに並び、「選ばれるその時」を今か今かと待っているからだ。
そして、ふとした疑問が生まれる。
「こいつら、いったいどれが一番、溶けにくいのか?」
始まりは些細なことだった。
公園に持っていったチョコバーが5分でどろっどろに…。
一方、友人が持ってきたカップアイスは、蓋を開けた瞬間キンッキンのまま。
なに、この差。
ということで、研究が始まった。
名付けて「夏のアイスサバイバル選手権」。
まずは冷凍庫からエントリー選手を選出。
モナカ、カップ、棒アイス、シャーベット、あずきバー(こいつは別格)…。
それぞれを同時に皿に並べ、ストップウォッチ片手に見守る。
研究者のまなざしとは、つまりアイスの溶け具合を真剣に見つめることである。
1分後、シャーベットにうっすら涙が…。
3分後、チョコバーが崩れかけ…。
5分後、あずきバーだけは微動だにせず。
「さすが武士」と家族がつぶやく。
まさに氷の意志である。
意外だったのは、見た目がゴツいモナカがけっこう脆かったこと。
外のモナカ皮が湿気に弱く、溶けると急速に崩壊する。
逆にカップアイスは、溶けても形があるので、見た目ではなかなか判断がつかない。
ここで「中身が勝負」という人生訓を得る人もいるかもしれない。
この研究の面白さは、味覚よりも物理と観察に重点があるところだ。
温度、時間、素材、パッケージの厚み。
すべてが「溶ける速度」に関わる。
どこか、ドラマのような緊張感すらある。
最初に溶けたアイスに「お前が一番早かったな…」と声をかけてしまうあたり、もうこれは立派なフィールドワークだ。
食べた後の記録ノートに「溶けた順に並べてみた」「冷凍庫から出した時点の表面温度を測った」なんて書いてたら、それだけで知的に見えてくるから不思議だ。
そして何より、研究後のお楽しみタイム…つまり完食が待っている。
研究しておいしくて発見もある。
これはもう、勝ち確定の自由研究🩷。
さあ次は、甘くない相手だ。
湿気と真菌と黒ずみと…そう、カビとの全面対決がはじまる。
夏の朝、ふとバスルームの隅に目をやると、そこには見覚えのある黒い点。
あっ、これは…君、また出てきたのかい?
湿度という名のパスポートを手に堂々と現れるその存在――そう、カビである。
人類はなぜ、毎年同じ場所で同じように黒い敵と対峙し続けるのか。
そこに解はあるのか。それとも諦めが勝るのか。
いや、今年こそは科学の力で勝ちに行こうじゃないか。
重曹と酢という無課金兵器を手にして。
まずは現状把握から。湿度計を片手に浴室に突入すると、予想通りの湿気地獄。
すでにタイルの隅では黒い点々が会議を始めている。
「ここを拠点にして、8月には洗面台方面へ侵攻しよう」などと、言っていそうな顔で。
ここに、重曹水をスプレー!
泡がじゅわっと反応し、微細な音を立てながら敵陣に染み込んでいく。
これぞ無言の対話、バスルームのサイレントバトル。
だが甘く見てはいけない。
表面のカビは消えても、根はしぶとく残るのだ。
ここで登場するのが「ペースト作戦」。
重曹と酢とちょっとの片栗粉を混ぜて、ぷにぷにのカビホイホイを作成。
割りばしでタイルの目地にぐいぐい塗り込み、ラップで封印。
一晩寝かせて、翌朝にチェック。
……やった。奴らがいない。これはもう勝利宣言だ。
とはいえ、研究という名のもとにやっているが、実質はただの掃除である。
だが、この「ただの掃除」を自由研究に格上げしてしまえるのが、大人の知恵というものである。
ついでに換気扇の埃を取り、カビが好む湿度70%以上の日を観察し、最後は「ナノ銀入りの除菌スプレーって本当に効くのか?」なんて方向にまで発展すれば、それはもう立派な論文レベル。
この研究がもたらす最大の成果は、バスルームのきれいさではない。
終わった後の、あの達成感🩷。
そして誰にも褒められないのにちょっと誇らしい気持ち。
それこそが、自由研究の真骨頂ではないだろうか。
さあ、ここまでで物理、生物、化学、生活全般と幅広く扱ってきたが、次は日本人の胃袋と心に響く“あの疑問”へ迫る。
夏といえばアレだろ、アレ。
うなぎじゃなくても、いけるのか?という、まさかの逆転テーマが登場する。
夏になると、どこからともなく漂ってくる香ばしい香り。
「土用の丑の日です!うなぎです!」という声があちこちから聞こえてくる。
だが財布の中身はひんやりと涼しいままで、スーパーのパック売りを手に取り、そっと棚に戻す…あの儀式。
今年もまた繰り返している。
だが、ここで立ち上がるのが自由研究魂である。
「うなぎじゃなくても良くない?」という、ちょっとした疑問。
それはやがて壮大なテーマへと進化する。
「夏のスタミナ食として、うなぎ以外で満足できるものは何か?」
というわけで、家庭の台所は実験場に早変わり。
候補者たちは続々と名乗りを上げる。
まずは王道、うなぎ界の影武者とも言われる「さんまの蒲焼き」。
缶詰で気軽、味も見た目もうなぎに寄せてきている。
さらに、高タンパクでスタミナ抜群の「鶏もも照り焼き」、甘辛ダレで白ごはんを支配するその力、侮れない。
そして登場したのが、豆腐ステーキ。
これが意外にも肉厚でボリューム感があり、山椒をパラっと振れば「あれ?今、鰻丼って言われたら信じるかも…」という錯覚に陥るほど。
豆腐よ、お前は何者なんだ。
そして忘れてはならないのが「豚の生姜焼き」。
これはもう、うなぎとは方向性が違うのに、なぜか丑の日に出てくると堂々たる主役感を放つ。
もう別ジャンルの勝者である。
研究の過程では、タレの研究も大きなポイントとなる。
みりんと醤油、砂糖を黄金比で煮詰めていくと、だいたいのものがそれっぽくなる。
つまりこの勝負、素材ではなく“タレ力”が左右しているという驚きの事実に気づいてしまう。
これはもう、タレの自由研究を別テーマで立ち上げるべきかもしれない。
こうして、今年の「土用の丑の日」は、家族全員で“うなぎじゃない丼フェスティバル”となった。
「私は鶏!」「俺は豚!」と各自が選んだ代役が並ぶ食卓。
ひとりだけうなぎを食べている祖父が「…それ、勝手にやってろ」とつぶやいたのもまた一興である。
食の選択肢を増やすというのは、単なる節約ではない。
体調や文化、そして気分に合わせて、自分のベストを選ぶ自由🩷。
そこにこそ、食卓の自由研究の意義があるのだ。
さあ、自由研究は終わったと思った?まだまだある。
次に来るのは、まとめという名の“考察タイム”。
やってみて分かった、やらなきゃ分からなかった、大人の夏の自由時間のまとめへと進もう。
夏の自由研究という言葉を聞いて、「ああ、子どもの宿題ね」と思ったあなた。
もう、違うんです。
むしろ、大人こそ自由研究するべきだったんです。
自分で選び、自分で調べて、自分で笑って、自分で食べて、自分でかゆくなって、そしてまた笑う。
そんな時間が、大人にだって必要だったんです。
冷房の温度設定一つで家族がピリつき、蚊の一刺しで立場が揺らぎ、アイスの溶け方ひとつで人生の儚さを知り、カビのしぶとさに敗北感を味わい、うなぎの代役に感動すら覚える。
そのすべてが、知的でちょっと可笑しくて、何よりも“自分らしい”研究でした。
誰かのためじゃない。
提出先もない。
点数も賞状もない。
けれど、心のどこかがふっと明るくなる。
誰にも頼まれていないのに、やってみた。
誰にも見られていないのに、ちゃんと調べた。
それってもう、立派な「自由の証明」じゃないですか🩷。
日々の生活はルーチンで回っているようで、実は小さな「なぜ?」に満ちている。
気づいたらそこにある違和感、疑問、面白さに目を向けてみる。
それがきっと、大人になってからの自由研究の始まり。
さあ、今年の夏は、冷房の前で寝落ちして終わるなんてもったいない。
麦茶片手に、ちょっとだけ真面目に、でも肩の力を抜いて。
やってみたいことを、やってみたいようにやってみる。
それがこの夏、あなたをちょっと誇らしくするはずです。
そして来年の夏、誰かにこう言ってみてほしいんです。
「え?自由研究?やったよ。めっちゃ面白かったよ?」って。
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