Menu
とあるトラブルがあった時なんかに、『 みんな私が悪いんです 』
あなたはこのような言葉を使って謝罪したことはありませんか?
学校でも会社でも、誰しも一度はこの言葉を使ってみた経験がおありではないでしょうか?
今日はこの言葉を用いる時の心情を分析してご紹介です。
私の場合…じつは、よくあります。
どんだけ責任を被らされているのか…と反論したくもなりますが。
そういうブラック企業で、そんなポジションなので、仕方がないと割り切っています。
お仕事では多かれ少なかれ、誰もが責任を背負って行動しています。
1人の人間が管理して処理できる雑務の量は、効率の良さや機転の良し悪しもありますけど、限界が必ずあります。
体力だったり、時間だったりで、この辺りは誰にも平等に等しいハードルになり得るわけです。
ですから、パソコンやスマホなどの電子機器を道具として用いて補助するわけです。
私の属する介護企業なんかでは、ポジションによっては記録が明確に残りますので、逆に残されていない場合には『 任された仕事をしていない 』といった証明にもなってしまうことがあります。
失敗は会社の中では特に、記録を多角的に、かつ1人の行動に注視して見つめますと、発見できてしまうものなのです。
介護職の皆様、一度、是非、上司の記録を注視してみてください。
きっとボロボロに穴が必ず見い出せます…。
さて、私が『 みんな私が悪いんです 』と、上司に言う場合、
□ うだうだ無駄話を続けんな!
□ 仕事たまってるんだから仕事に戻らせろ!
□ 同僚のAさんやBさんといった他人のトラブルなのに、私が庇っているんだから気づけ!
…まぁ心の声を書きますと、私の場合、こうなります。
失敗に立ち止まってしまっても無意味だと思うのです。
もちろん、失敗から次の失敗を引き出さないようにするような工夫を考えることも大事なことです。
立ち止まって対策会議を延々と蒸し返して行うよりも、建設的に未来、前へと進まなければなりません。
怒る上司と叱られる部下…少なくとも2人の足止めされた時間が、とっても現場にとっては無駄になっていくわけです。
お互い理解したなら、建設的に対策を打ち出し、即応していくべき!
ですから、『 みんな私が悪いんです 』この言葉1つで早く終わりにして前に進みましょう!
そう一区切りするための、いわば伝家の宝刀たる言葉なわけです。
え?悪いと思う反省点がない?
そりゃそうです。
お仕事は、けっして1人でやるわけじゃないですから。
失敗を事前に留められなかった上司の力量不足や監督不行き届きも確実に内在するわけです。
同じ職種のポジションであれば上下役職差があれど、当たり前のことです。
上司とは、部下のプラスアルファが達成できて当たり前であり、部下を率いて1+1=3の結果を導く担い手でなければなりません。
それから、会社のずさんなシステム・方法論、予算などの縛り…。
そういった予めの土壌があるわけですから…。
と、毎回、反省点がゼロの心が私の全面を占めているわけではないです。
人間ですから思考はもちろん、感情的にも複雑なものです。
気持ち多少折れつつも、建設性を重視せねば!というのが私の持論菜わけです。
『 こいつ…言葉1つで締めくくりを狙い、逃げを撃ちやがった! 』
そう思う上司は当然、二流以下です。
『 あなただけの責任じゃない! 』
じつは、これも二流で止まるので、アウト。
正解は、『 全ての責任は私にある!次はこうして欲しい 』
上司が真っ先に、こう言わねばならないのです。
そりゃそうです。
管理監督責任が曖昧だからこその失敗の結果です。
政治家の場合、野党は任命責任を問いたがるでしょう?
あれと同じです。
トップが仕組みから運営まで責任を負うスタンスを明確にしなければ、誰もついてこないものです。
部下の責任に留まってしまう結果は何も産み出さないのです。
さて、次に上司が採るべき言葉は、『 対策 』がどうなっているのかを問うこと。
任命して失敗させてしまっても、逆転して整理整頓ができ、会社や仕事が向上できるように発想を即座に転換し、システムを構築し直さなければなりません。
あ、会社によっては、ここで始末書を何枚も書かせる…なんてことになりますが、これもじつは膨大な無駄を産み出す仕組みです。
これを書くのは、報告を受けた上司がまとめ上げるように行うようにしましょう。
だって、基本的に任命したのは上司ですから。
結末を上司が一元的に管理して部下に示す形にしましょう。
結果としてレポートはまとまりを得て、部下のポジションで作るよりも効果の高いものが完成します。
当然、そうあるべきです。
部下という情報源を得ながら、上司自身の持つポテンシャルを上乗せできるわけですから、出来ない方がおかしいのです。
普通は、投げやりに言われたように感じやすい『みんな私が悪いんです』という部下のセリフを受けて、上司が採るのは、報告書を提出させて、解決策を出させて実行させる…結局は部下に丸投げ体制を維持するわけです。
投げられた部下のお仕事量は、日増しに増していくだけのことで、いつしか人材という財産は、ストレスに押し潰されるようにして末端に位置するポジションほど退職を選び、会社と決裂していくことになるのです。
どうです?
『 みんな私が悪いんです 』
1つの部下の謝る決めセリフですけど、実際にはとても重い価値あるものでしょう?
部下に、このセリフを出させた時点で上司や会社は失格なのです。
まして日常、よく耳にされる…そんな会社の先行きはとても暗いものとなるでしょう。
だって、特定の部下に責任を押し付ける体質になってしまっている証拠ですから。
縦の序列システムだけではなくて、さらに、横のサポートの甘さを露呈しているとも言えます。
上下左右における管理システムの甘さや歪みがある証拠です。
さらに言えば膨らむ人件費をカバーできなかったり、成長できない会社…。
…なんてことが露呈していきます。
これを立て直すのは、じつは簡単なのです。
□ 業務の1つ1つをまず洗い出す。
□ 1つの仕事を2人以上で確実に連携してチェックとサポート体制を築くこと。
□ 失敗は改善点を迅速に見出だし、前進を止めず時間を無駄にしないこと。
□ トップダウンとトップ集約の流れを反復するシステムにすること。
この辺りが大切なことです。
商売であれ、福祉であれ、どのようなシステムで稼ごうとも、穴は必ず存在してしまう。
穴が生じた際に、どう会社のシステムとして、上司と部下として迅速に処理できるのか?
処理して飛躍する礎として転化できるかが重要なのです。
上司という強権をもって、怒る。
部下は確実に萎縮する。
『 みんな私が悪いんです 』
そう言わせてしまう会社や上司は、部下をそこに追い込んだ時点で負けなのです。
今後も部下に失敗を繰り返させるか、追い込むことになるでしょう。
もちろん、上司からの叱責に『 みんな私が悪いんです 』そう自己犠牲を図れる部下は、基本的には自然体であるほど、会社にとって有益な宝となるのは間違いありません。
素直ですし、いろいろな協調性と努力をもって臨んだ結果ですから。
むしろ、経営者であれば、追い込む側よりも一歩ずつ強調して登れる世界を築くべきでしょう。
是非、1つずつトラブルの処理方法を会社として上司と部下として見解を一致させる機会を設けてみてください。
会社も上司も部下も、成長する基礎がきっと見えてくるはずです。
『 みんな私が悪いんです 』
部下が発するこの一言は、じつはとても重い。
上司に向けて持論を展開する時、部下は誰もが気負い、丁寧に慎重に言葉を探ります。
全面的に自分に非がある…そう断言させてしまうことは会社と上司に確実に非がある。
パワハラか、そもそもの日常的なシステムがおかしい証拠だからだ。
それほどに会社の行う事業は複雑化し、個人が持つ能力を超えて業績を求めるシステムになっているからです。
怒られて萎縮した部下ばかりが揃う企業では成長はけっして見込めません。
パワハラとシステム障害を起こした会社では、これからの少子高齢化社会を乗り越えるのが難しい。
だからこそ、倒産の憂き目を見ないように、改めて事業のシステムを見直して、社員一丸となれるシステム作りに努めるべきです。
是非、この機会に上司は部下との接し方、会社全体としてまとまりとシステムのあり方を見直してみてください。