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ケアマネ20年の懺悔録~見えていなかった「ひとくちの未来」~

はじめに…20年続けて見えた景色と見えなかった現実

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ケアマネージャーとして働き始めて、気づけば20年。

いやいや、まだまだ若いつもりだったのに、あれよあれよと年月は流れて。

書類とにらめっこ、電話と格闘、会議で空笑い。

気がつけば、口癖は「まあ、仕方ないよね」になってました。

でも最近になって――ふと振り返る時間ができたんです。

ほら、人って忙しすぎると、自分の足跡すら見えなくなるもので。

それがね、ちょっと立ち止まってみたら、ずいぶん見えてきたんですよ。

見たくなかったアレとか、聞こえないフリしてたコレとか…(汗)

特にね、最近になって思うんです。

「学ばなかったこと」「学べなかったこと」

いや…正確には「学ばなくていいことにしていた自分」ってのが、けっこういたなって。

もちろん、当時は精いっぱいでしたよ。

でも、今ならもう少し違った関わり方ができたんじゃないかって、残されたごはんを見ながら、しみじみ思うようになりまして。

ということで今回は――

恥ずかしいけど、ちょっと言葉にしてみます。

20年目の懺悔。

でも、ただの後悔じゃないんです。

そこに、**誰かの“気づきのタネ”**が落ちていたらいいなと思って。

それなら、20年間のうっかりも…ちょっとだけ報われる気がしますからね🩷。

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第1章…忙しさにかまけて「学び」は後回しにしていました…


あの頃の私はというと、まあ、毎日がマラソンどころか障害物レースでして。

朝イチで電話が鳴れば、片手にコーヒー、もう片手でパソコン、口では「はいお世話になります~」と、なぜか笑顔。

それでも夕方には「今月分のモニタリングまだじゃん…」と冷や汗MAX。

このループ、いつ終わるんですか?って誰かに聞きたかった。

「勉強したい?それって、いつするの?」

そんな空気が漂う日々の中で、私の中の“学びたい心”は、だんだんと縮んでいきました。

まあ、それでも経験でカバーできるよね?とか思ってたんですよ。

いや〜、経験値を過信すると、見事にズッコケるんですよね。

しかも、見えないところで地味にコケてて、誰も気づいてないからこそタチが悪い。

振り返れば、あの「大丈夫そうに見える人」の陰で、じわじわと元気を失っていた利用者さんがいました。

でも、あのときの私は、気づかなかった。

いや、たぶん、気づけなかったフリをしてたのかもしれません。

“見て見ぬふり”ってやつです。

だって、気づいちゃうと動かないといけないし、動くには根拠がいるし、そのためには勉強しないといけないし――

…ね、疲れるじゃないですか?(今だから言える開き直り)

けれど、その“サボりポイント”が、もしかしたら誰かの暮らしをちょっとだけしんどくしてたのかもしれない。

そう思うと、湯気の立つ白米一口すら、神々しく見えてくる今日このごろです🩷。

第2章…チームの輪の中で私はただうなずいていただけなのかもしれない


誰が言ったか、「ケアはチームで支えるもの」って。

ええ、もちろん正論ですよ。

耳にタコができるくらい研修でも聞きましたとも。

でも実際の現場ではどうかって?

そりゃあもう、“円滑”の二文字が最上位に輝く世界でして。

つまり、波風は立てない。

いや、立てちゃいけない。

立てたら最後、会議が気まずいったらありゃしない。

実際、会議のスタートから終了まで経営者が30分リミットを課すような施設もあったりするのだとか…。

そこはともかく…。

看護師さんが「大丈夫だよ」と言えば、「そうですね」とうなずき、栄養士さんが「今のところバランス取れてます」と言えば、「あ、なるほど〜」とメモを取る。

リハビリの先生が「本人のペースでいいと思います」なんて優しく言えば、「そうですよね〜」と深くうなずく。

もう、私のうなずき数で首が2cmくらい伸びてたんじゃないかって思うほどでした。

でも、本音を言えば……あれ?

本当に大丈夫?

この人、なんか顔色悪くなってない?

主菜ほとんど残してない?

そう思った瞬間も、何度もあったんです。

でも言えないんですよ。

だって、空気が「今それ言う?」みたいな重さで充満してるんですもん。

結局、私も“まとめ役”の役割を勘違いしていたんだと思います。

まとめるって、みんなの意見をただ並べて、「じゃあこれで行きましょう」ってすることじゃなかったんですよね。

本当は、ひとつずつの意見の“内臓”をちゃんと見て、噛み砕いて、意味を照らし合わせて、そこから道を描くのが、ケアマネージャーの役割だったのに。

でも当時の私は、誰の意見も傷つけずに、うまく“中庸”をとることが最優先。

なんなら、“大人の対応”ってやつを装って、ものすごく小さくまとまってたわけですよ🩷。

結果、“うまくやったつもり”のその場が、誰も本気を出してない空気になっていたとしても。

…それが、恥ずかしながら、私の20年目の反省です。

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第3章…「主食8割・副食7割」で安心していた私の大きな見落とし


今日も元気に食事介助!…のはずが、メインディッシュが1/3残ってる。

あれ?

昨日もそんな感じだった気がする…なんて小さな違和感を、あの頃の私は、「まぁ、他のおかずは食べてたし、大丈夫だよね?」の一言で、そっと見なかったことにしてしまいました。

施設の記録も「主食8割・副食7割」で終わり。

いやいや、待って、そこに何が含まれてたか知ってるの?って、今なら声を大にして聞きたいんですよ。

鉄分?たんぱく質?ビタミン?…その“肝心な部分”が残されていたら、たとえ8割食べてても、それは「栄養バランスのジェンガ」状態だったのに!

本来なら、栄養士さんがちょっと目を配れば、「じゃあ明日のおやつには鉄分補給にハスカップのジャムを…」とか、調整できたはずなんです。

でも現実はというと、「8割食べてればOK」と、計算機で“全体カロリー÷0.8”みたいな話にされて、私もまた「そうかぁ…」なんて納得してしまってたんですよね。

いや、それ違う!って今の私ならツッコミ入れますけど、当時は“専門家の言葉”の前に、自分の感覚を引っ込めてしまった。

自信がなかったんです。

というか、知識がなかったんです。

そしてその知識不足が、“声をあげる勇気”を奪っていたんです。

食べた量じゃなくて、“残された質”が健康を左右する。

それを私は、何年も見逃してきた。

もしかしたら、その見逃しが、高齢者の体力をじわじわと削っていたのかもしれない。

そう思うと、残されたハンバーグがまるで「おい、気づけよ」と言っていたような気すらしてきます。

本当に怖いのは、“少しずつの不足”が積み重なることなんです。

崩れる時には、音も立てずにスッと崩れていく。

そして誰も、「あれ、なんで急に元気なくなったんだろうね?」と首をかしげるだけ。

でも、私にはわかるんです。

あの1/3、残されたメインに、未来を左右する栄養素が含まれていたんだって。

…そして私は、そのサインを見落としていたんです🩷。


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まとめ…もう一度やり直せるなら私は“ひとくち”にもっと向き合いこだわる


思えば、たくさんの人の暮らしと人生に触れてきました。

自分なりに、まっすぐやってきたつもりでした。

でも、それでも。

まだまだ、気づけなかったこと、気づいても動けなかったこと、いっぱいあったんです。

書類の山を片付けながら、うなずきマスターとして会議室に立ち、それでも帰り道では「これで良かったのかな…」と立ち止まる。

そんな日々の中で、私は“専門家の顔色”を気にして、“本当の問い”を口にするのをやめてしまっていたのかもしれません。

でも、今なら言えます。

たとえハンバーグが1/3残っていても、その残された部分に何が入っていたのか。

その意味を見ようとしなきゃいけなかった。

そして、それをちゃんと気づけるように、日々の学びを怠らない人間であるべきだった。

忙しいから仕方ない、じゃなかったんです。

それは、自分の責任を、そっと誰かに預けてしまっただけだったんです。

でもね、これもまた、私の人生の一部。

悔しい気持ちも、後悔も、ちゃんと全部抱えて、これから出会うケアマネージャーさんたちには、そっと伝えたいんです。

大丈夫、完璧じゃなくていい。

だけど、“あの1/3”に気づける目とだけは、持っていてほしいって🩷。

たまに肩に力が入りすぎて、空回りするかもしれません。

でも、その姿こそが、誰かの支えになるって信じてる。

今この瞬間から、また私は歩き直します。

次に誰かのごはんを見守るときは、その“残された一口”に、ちゃんと意味を見つけてあげられるように。

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niiro makoto