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今日は8月18日はビーフンの日らしい。
スーパーに行ったら、焼きビーフンがちょこんと並んでいて、「今日は主役は私よ」と言わんばかりの佇まい。
なるほど、ビーフンってお米からできてるのよね……と、思った瞬間、ママ(35)の頭の中にバチンと電流が走った。
「……ってことは、ビーフンの日は“米の日”でもあるんじゃない?」
米といえば、最近のニュースで聞いたあの話題。
あっちでもこっちでも“米が足りない”と騒いでいたっけ。
備蓄から出すとか出さないとか、みんなで真面目に会議していた。
だけどママは思うのだ。「出す出さないの前に、どう使うかでしょ」と。
ひぃじぃじ(88)は言った。
「昔の米は一粒たりとも無駄にせんかった…」と、どこか遠い目。
ひぃばぁば(85)はうなずく。
「あの頃はね、雑炊だってごちそうだったのよ」。
それを聞いたパパ(40)がそっとささやく。
「でも今の子、雑炊じゃテンション上がらないよね…」と。
孫(10)はおやつにポテトチップスをかじりながら「米よりラーメン!」と叫び、赤ちゃん(1)は黙ってすりつぶされたおかゆをちゅるんと吸っていた。
そんな8人家族の中で、食卓を支配する重大なテーマがある。
「今夜のごはん、どうする?」だ。
冷蔵庫にはちょっとだけ残った炊きたてごはん。
棚の奥に見つけた米粉。
そして買い置きしていたライスペーパーがひと束。
ママは閃いた。
「これ、全部米じゃん……! しかも使い回せる!」
目指すのは“満腹で笑顔になる未来”。
今日という日はビーフンが主役かもしれないけど、本当の主役は、お米と、それをどう楽しむかを考える私たちじゃないかしら。
そうつぶやきながら、ママは米粉の袋をにぎりしめた🩷。
さあ、大家族の米クエスト、はじまりはじまり──!
朝、ひぃじぃじが新聞を広げて言った。
「ほれ見てみい、また米不足って書いてある」
それを聞いたばぁば(58)は味噌汁をすすりながら、「ふーん、また買いだめ合戦になるのかしら」とつぶやく。
そんな騒ぎの中でも、冷蔵庫の中の炊飯器はまだほんのり温かくて、「私はまだあるわよ」と言わんばかりのどっしり感を放っている。
ママ(35)はその様子を見て思った。
「米がないって、ほんとなの?」
スーパーに行けば、確かに棚の片隅に“お一人様1袋まで”と書かれた張り紙付きの無洗米。
だけどすぐ隣ではカップ麺がぎっしり詰まっていて、そちらには何の制限もなし。
さらに奥に進むと、乾麺コーナーにはパスタが山盛り、乾燥春雨、マカロニ、そして、ぽつんと静かに佇むケンミンの焼きビーフン。
「今日、私の日なんだけどね」とつぶやいている気がした。
でもフォーは見当たらない。
団子も、米粉クレープも、ライスペーパーすらちょっぴりだけ。
しかも外国っぽいラベルが貼られていて、なんとなくよそ者感が強い。
ここはアジア、ここは日本、ここはお米の国のはずなのに──?
家に戻ると、パパ(40)がキッチンの引き出しを開けて言った。
「これ、まだ使ってないよね」
彼が取り出したのは、去年の夏に買った非常食用のアルファ米。
確かにあった、あったけど、これは非常用。
ひぃばぁばが首をかしげて、「非常時って、いつよ?」と聞くと、孫(10)がすかさず「今じゃね?」とツッコミを入れた。
米がない。
だから備蓄米を出す。
でも米は本当に“食卓に登場する未来”を見て作られているの?
そもそも、作ってる人と食べてる人がまるで別次元の国にいるみたいだ。
本当に米が足りないのか、それとも“ごはん”としてしか使えないと思ってる私たちの頭が足りないのか。
ママは湯気の立つ炊飯器を横目に、何かがおかしいと感じ始めていた。
そしてこの夜、大家族の“米だけ作戦会議”が静かに幕を開けたのだった──🩷。
夜ごはんの相談会が始まった。
食卓の上には、炊きたてごはん、冷凍うどん、残り物の唐揚げ、そして──冷蔵庫の奥から発掘された謎のライスペーパー。
透明でつるつるしてて、湿気るとベタベタするこの紙、何者?と孫(10)がつっつく。
「これ、お菓子包むやつ?」と真顔で聞いてきた。
それに対してママがさらっと答える。
「これは食べる紙よ。世界では皮扱いなのよ、皮!」
「えっ、紙が皮?」とじぃじ(62)が湯呑を落としかけ、「ええ、そうよ」とひぃばぁばが大真面目に頷く。
「これはね、ベトナムの人たちが春巻きに使うの。生で巻いて食べるのよ。しかも中に入れるのは生野菜。米の皮でサラダを包むの、どう?文明でしょ?」とママ。
「それ、うちのじぃじが一番苦手なやつ…」とばぁばがぽつり。
話はビーフンに戻る。
「ビーフンは知ってる。細くて白くて炒めてあるやつでしょ?」とパパが言えば、ママは反撃する。
「じゃあ、フォーは?」
家族全員がしん……と静まりかえり、唯一ひぃじぃじが「昔、フォークリフトに轢かれそうになったことならある」と呟き、ママの眉がピクリと跳ねた。
「フォーは、平べったい米麺。スープに入ってて、つるんとして、あっさりしてて、なんというかこう……自己主張は少なめ、でも出汁のうまみを引き立ててくれる控えめ美人系」
「なにそれ、俺のタイプじゃん」とパパがうなずき、ばぁばがじっと睨む。
「世界を見れば、米はビーフンだけじゃないの。団子、麺、ライスペーパー、さらには蒸したり焼いたり、潰したり固めたり……あらゆる変化を遂げるんだから!」とママが熱弁。
「変身能力が高すぎて、もはや米かどうか見分けがつかない」と孫がひと言。
「でも不思議よね」とばぁばが言う。
「こんなに変化するお米なのに、日本じゃほとんど見かけないのよね🩷」
「売ってないし、知られてないし、調理法もよくわからんし……」とじぃじが頭をかく。
「だから私たちが先に試してみるのよ。誰も知らない米の食べ方、うちが一番にやってみようよ」とママが笑顔で提案したとき、ひぃばぁばがぽつりとつぶやいた。
「米で紙ができて、麺になって、団子になって、…次はお箸にならないかしらねぇ」
この発言にはさすがのママも、「それは…ちょっと違うと思う」とだけ返すのがやっとだった。
だが、世界にはまだまだ知られていない米の食べ方がある──そう確信するには、十分な会話だった。
夕食後、食卓の片づけを終えた頃、じぃじ(62)が昔話を始めた。
「1993年だったか…あのとき、米が足りないって大騒ぎだったんだよ」
「米が足りないって、今回と同じじゃない?」と孫(10)が乗っかると、ひぃばぁば(85)がうんうんとうなずいた。
「あの年はね、冷夏でね。米が全然とれなかったの」
「それでタイ米が入ってきたのよ。でもね……」と、ひぃばぁばの目が遠くを見つめ始めた。
そのときのテレビ、ひどかったわよ。
炊飯器の中でぐちゃぐちゃに炊けたタイ米を映して、「これが届いたお米です」なんて言ってたっけ。
あれ、炊き方が違っただけなのに。
まるで、東南アジアの国から来たお米が、下等な食べ物みたいに扱われていたの。
あれは、今思い出しても胸がモヤっとするわね……。
「米は世界の食べ物なのに、炊飯器の設定ミスで貶められるとは……」と、パパ(40)が真顔でつぶやき、ママが「しかもその頃、フォーなんて絶対知られてなかったわよね」と乗せてきた。
「パクチー?何それ草?」と孫が言えば、赤ちゃん(1)がちゅるちゅると団子をかじっている。
「“おいしい”ってのは、舌だけじゃなくて、記憶と文化が決めてるのよ」とばぁば(58)がしみじみと言った瞬間、食卓が少し静かになった。
「だってさ、じぃじが小さい頃食べてたあのぬか漬け、わたし最初、何これって思ったもの」
「おい、あれはばぁちゃんの味だぞ」とじぃじがすかさず反論。
「つまりね、ママが今日作る予定の“ライスペーパー巻きの謎料理”も、孫にとっては“うちの味”になるかもしれないってことよ」とママがにっこり。
「なるかそんなもん」と突っ込んだのは孫だったが、すでに彼の手にはライスペーパーが握られていた。
ひぃじぃじ(88)がゆっくりと立ち上がり、お茶をすすりながら語った。
「昔はな、カレーライスもハイカラ扱いだった。それが今じゃ、家の味。そういうもんだ。食いもんは、文化と一緒に育つんじゃ」
「……カッコよく締めたけど、じぃじがそれ言うと、なんかカレールーのCMみたいだよ」とパパが笑い、家族全員がつられて笑った。
“おいしい”は、生まれた国だけのものじゃない。
時間と共に育てて、家族で受け入れて、ようやく「うちの味」になる。
それなら、今から世界の米料理をひとつずつ味見してみたって、全然遅くない。
米は、いつだって「はじめまして」に優しい食べ物なんだ──🩷
ママは、そう思った。
もう、ライスペーパーを巻く手が止まらなかった。
ママは決めた。
今日は、冷蔵庫に残っていたライスペーパーでやりきる。
問題は、どうやって8人全員の“わがまま舌”を満足させるかだった。
そのとき、ママの目の前に現れたのは──料理本ではない。孫の工作ノートである。
ぺらっとめくると「かんたん!巻いて切るだけスリット風手裏剣」。
なるほど、これだ。
ママはライスペーパーを水で戻し、やや厚めに二重重ねにして、スススと細長く巻いた。
巻いて、巻いて、くるっと巻いて、端っこをちょっと水で留める。
できあがったのは、2センチ×5センチ、まるで食べられるかまぼこ板のような小巻たち。
中には、刻んだ甘辛そぼろ。
別のには、潰したカボチャとクリームチーズ。
さらにきなこと黒蜜、くるみ味噌、大根おろしに梅肉、生姜甘酢、柚子あん……。
「おかずでもおやつでもない、何かよく分からんけど、ぜんぶウマいの作戦開始よ!」
ひぃじぃじには、あんかけ。
ひぃばぁばには、歯に優しいとろみ団子入りのミニ巻き。
じぃじには、がっつり味噌味。
ばぁばには、甘じょっぱいきんぴら入り。
パパには、見た目だけでテンションの上がるチーズ+ブラックペッパー+のり風味。
孫には、スナック感覚でカレー味&ピザ味(本当に米か怪しいけど気にしない)。
赤ちゃんには、きなこ巻きを小さく切ってちゅるんちゅるん仕様。
そしてママは、そっと1本…あんこ入りを味見して「ふふ…和風って最高」とひとり笑った。
全員分、20本を越える謎の米巻きが皿に並んだとき、パパが言った。
「なにこれ、戦隊モノ?」
孫はテンション爆上がり。
「じゃあ俺、黄色担当ね!芋クリーム巻き!」
ばぁばはピンクの梅しそ巻きを持ちながら、「わたしにもまだ戦隊枠があったとは…」と感動。
じぃじがあんかけをのせながら、「これ、皿うどんちゃう?」と言うと、ママは満面の笑みで答えた。
「うん、皿うどん風“米巻き”20連発よ。日本発、世界行き。うちのオリジナル米料理!」
テーブルの上には、それぞれの好みに合わせた米の巻物が並び、家族の顔にはひとつずつ笑顔の小巻きが浮かんでいた。
ライスペーパーは、包む皮じゃない。
米の可能性を巻き取るリーダーだ🩷。
そしてこの夜、米の魅力は“ごはん”という枠を軽々と飛び越えて、大家族のハートを完全に包みこんだのであった。
夕食前、家族の胃袋が完全に目覚めた。
きっかけは、孫(10)の一言だった。
「ママ、これ、名前あるの?20本あっても“謎の巻きもの”じゃもったいなくない?」
それを聞いたママはニヤリ。
「それじゃあ、命名会議する?」
テーブル中央に陣取る20本の米ロール。
並びも芸術、味も未知数、そのくせ材料はぜんぶ米。
具材は色とりどり、サイズ感はちょうどよく、見た目だけでごはんが進むという謎現象も発生。
じぃじ(62)は黙って1本食べ、「…これは“漢の味”やな。うまい」
ばぁば(58)はほくほく顔で「これは“嫁入り前に覚えたい味”って感じ」
ひぃばぁば(85)は「昭和を思い出すわ…この甘さ…」と、梅しそ入り巻きにそっと頬を寄せ、ひぃじぃじ(88)は、黒ごまあんの巻きをつまみ「…これは仏壇にあげたいやつ」と神妙な顔。
一方で孫は、トマトチーズベーコン巻きをひと口。
「やばい、これ“給食に出てほしいランキング第1位”だわ!」
パパ(40)は激辛カレー味を頬張り、「ビール…! いや米でできてるのにビール呼ぶとか、もはや米が米を呼ぶ!」と叫び、なぜか誰も止めない。
ママはその光景を見ながら、手帳にこっそりメモを取っていた。
「甘×和風=ひぃばぁば、ピリ辛×洋風=パパ、芋×チーズ=孫、…ふむふむ、これは次の週末用アレンジに…」と、静かなる第二波を準備中。
そこへ赤ちゃん(1)が、くるくる巻かれたきな粉団子入りのミニ米ロールを“ぱくっ”。満面の笑顔で歯のないガッツポーズを披露すると、家族中が「それ今夜のMVP!」と拍手喝采。
ついでに、謎の組み合わせ「ツナ+枝豆+マヨ+味噌」の米ロールを試したパパが、「これ、名前どうする?」と聞いたら、ばぁばが即答。
「それは“背徳”ね」
「それは“罪”って意味では?」とツッコんだじぃじの口の中には、しっかりと背徳の味があった。
こうして一家は、米ロール1本1本に名前をつけ始めた。
“初恋あんこ巻き”“日替わりそぼろ爆弾”“和風ラスボス”に“爆弾チーズ小僧”まで…名前のセンスはともかく、1本1本が家族の誰かにぴったり合っていた。
味の違いは、好みの違いで好みの違いは、存在の証。
そのすべてをお米が受け止めてくれるなんて、ちょっと奇跡っぽい。
この日、夕食のテーブルは、まるで米のカーニバルだった。
世界の知恵を米に詰めて、日本の家族が笑顔で巻き取った夜。
ビーフンどころじゃない、フォーでもない、だけどまぎれもなく“米が主役”の祝宴。
「また作って」と孫が言い、「これは明日のお弁当にもイケる」とパパが真顔で言い、ばぁばは「冷凍しとこっか」と即座に保存モード。
ひぃばぁばは「これ、また戦争がきても食べたいわね」とどこか違う世界線を見ていたが、そこも含めて平和だった。
お米ってすごい。家族を満たすって、こういうことなのかもしれない──🩷
ママはラップで巻いた“罪”と“背徳”を冷蔵庫に並べながら、ちょっと涙ぐんでいた。
…いや、玉ねぎのせい、たぶんそれ。
次の日の朝。朝食のトーストを差し出そうとしたばぁばに、じぃじがこっそり言った。
「あの米ロール、まだ残ってる?」
ばぁばは静かにうなずき、レンジにそっと入れる。
「温め、2分。今朝の主役、再登板ね」
昨日の夜に巻いた米ロールたちは、まるで“もう一つの食卓の記憶”として、朝になっても冷めていなかった。
温度じゃなくて、気持ちの話だ。
そしてじぃじは、温まった“日替わりそぼろ爆弾”を頬張って満足げに言う。
「これさ、パンじゃないし、うどんでもないけど…おれ、なんか落ち着くんだよな」
ママはその声を聞きながら、スマホで“米料理 世界”と検索しかけて、すぐにやめた。
もう調べなくても、うちの食卓がその答えになってる気がしたからだ。
世界を見れば、米は当たり前のように変幻自在だ。
蒸す、炊く、焼く、揚げる、乾かす、潰す、挟む、包む、切る、流す、押し出す、粉にする、そしてまた固める。
そのすべてをこなす食材がどれだけあるだろう。
「グルテンがないから安心」なんて一面だけじゃない。
「冷めてもおいしい」だって、「食感が変わって楽しい」だって、「甘くも辛くもなれる」だって──米は、人間みたいに多面体なのだ。
ひぃばぁばが朝の茶をすすりながら言った。
「昔の人は“お米一粒に七人の神様”って言ったのよ。いま思えば、神様じゃなくて、可能性が七つ入ってたのかもねぇ」
「じゃあうちの米ロール、20本だから、140人?」と孫が計算して、「なるほど、昨日は神様全員集合してたってわけだな」とパパがうなずく。
ママは、そのやりとりを聞きながら包丁を手に取った。
今日の夕飯も米。
だけど昨日とはまったく違う“米の顔”を、きっと今日も見せてくれるに違いない。
おいしさって、きっと正解じゃない。
食べた人が笑ったら、それでいい。
それが、うちの“米の使い道”。
さあ、今日もごはんで、いろんな気持ちを包みましょう。
それが日本の、いや、人間の、幸せのレシピだから🩷。
8月18日。今日はビーフンの日だったけど、ふたを開けてみれば、うちの食卓は“米の日”になっていた。
ビーフンから始まり、フォーに団子、ライスペーパーに米ロール。
見た目は違っても、ぜんぶが同じ素材。
だけどそれぞれが別の笑顔を生んでくれた。
米を握ればおにぎり、潰せば団子、薄く焼けば紙にもなるし、太く押し出せば麺にもなる。
揚げても蒸しても、冷やしても温め直しても、最後には「うん、やっぱりおいしいね」で終わるのが米のすごさ。
家族8人、それぞれに好みが違っても、お米だけで全員満足できるなんて、すごすぎるじゃないか。
誰かが炊いてくれたごはんに、誰かがひと手間加えて、誰かが思い出の味にして、そしてまた誰かの記憶になる──そうやってお米は、人の暮らしをそっと支えてきた。
だから備蓄米の話も、世界の味の話も、大事だけれど、それ以上に大事なのは「お米をどう楽しむか」なのかもしれない。
今夜も、そして明日も。お米を通じて、家族がつながり、笑顔になる時間を持つこと。
赤ちゃんのちゅるん、孫のもぐもぐ、パパのがつがつ、ばぁばのほっこり、ひぃじぃじの「うまいなぁ…」
そんな声が響くごはん時は、なにより平和で、尊い。
ビーフンの日は、もう終わる。
でも“お米の日々”は、ずっと続いていく。
さあ明日も、お米と一緒に、いただきますを。
それだけで、世界はちょっと優しくなる気がするから🩷。
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