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春になると、世界はそっと色づきはじめます。
花のつぼみがほころび、やさしい風が吹き、鳥たちの声が空を彩る頃――
ベッドの上で過ごす時間の長い方にも、その春 🍀の気配はきっと届いています。
とはいえ、見上げる天井には桜が咲くわけでも、鶯が飛んでくるわけでもありません。
でも、だからこそ、私たちは考えるのです。
どうしたら、今日という一日が少しでも「楽しい」と感じられるだろうか、と。
「寝たきりになったら、楽しみなんて無理でしょ?」
そんな声が聞こえてきそうですが、それはちょっと早とちり。
ベッドの上だからこそ味わえる“特別な楽しみ”って、実はたくさんあるんです。
しかもそれは、ユーモアと、少しの工夫と、相手を想う気持ちがあれば、ちゃんと届く。
春のレクリエーションとは、派手なことをすることではありません。
にっこり笑ってもらうきっかけを、一緒につくること。
「まだ、感じられることがある」と、ご本人自身に思っていただくこと。
そう、春は心にも咲くのです。
たとえ声に出して「うれしい」と言えなくても、その瞳の奥に、そっと春が灯ることを願って――
今日は、そんな“寝たきりの方と楽しむ春”について、ほんの少しお話をしてみようと思います。
「何もわからなくなってるのかも…」と、ふと介護者がつぶやく。
けれどその瞬間、まばたきが一つ。
ほんの少し眉が動いて、口の端が、ちょっとだけ上がる。
そんな小さな変化に気づくたびに、私たちは思い出すのです。
ああ、この方はちゃんと“今”を生きておられる、と。
寝たきりの方というのは、動かず、語らず、まるで無のように見えてしまうことがあります。
けれど実際は、まるで水の底に潜む魚のように、静かに感覚が息づいています。
耳は、スタッフの会話や、テレビの音をなんとなく拾っていて、鼻は、季節の変わり目の空気を、微かに感じとっています。
そして何より、誰かの気配には、とても敏感です。
「おはようございます」と声をかけると、うっすらとまぶたが開くこともあるでしょう。
それがどれほど大きな“応答”であるか、私たち介護者は、よく知っています。
外から見れば、何も返ってこないように見える方にも、心の内では何かが動いている。
もしかしたら、聞こえている音楽🎼に懐かしい思い出を重ねておられるかもしれないし、窓からの風に、子どもの頃の春の匂いを思い出しておられるかもしれません。
「でも、それがわからないから、意味がないんじゃない?」
そんなふうに思う方がいたら、私はこう言いたい。
あなたが誰かに贈った花が、目の前で言葉にならなくても、その香りが心に届いたなら、それは立派な“贈りもの”なのだと。
寝たきりになった方は、何も失ってしまったわけではありません。
失ったように“見える”だけなのです。
体を動かすことが難しくなったとしても、感じる力はそこにあります。
ときに淡く、ときに鋭く、まるで春の風のように。
大切なのは、それを信じて、そっと触れてみようとする気持ち。
私たちにできることは、ほんのわずかな「変化」を見つけ、そこに温かい春を届けることなのかもしれません。
春という季節は、とにかく五感にやさしい。
うららかな陽射しに包まれて、空気がほんのり甘くなり、鳥たちが「おはよう」と歌いはじめる。
私たちはふだん何気なくその春を通り過ぎてしまうけれど、寝たきりの方にとっては、その一瞬一瞬が宝石のようにきらめく時間になることもあります。
視線を自由に動かすことが難しい方でも、光と影のやわらかな移ろいには反応されることがあります。
例えば、カーテンの隙間から差し込む朝の光が、天井の壁紙を少しずつ染めていくあの感じ。
それに気づいたとき、私たちは思うのです。
春はちゃんと、ベッドの上まで届いているんだなあ、と。
耳もまた、春の訪れを感じる大切な入口です。
窓の外で鳴く鳥の声や、遠くの道を通りすぎる自転車の音。
あるいは、ちょっと懐かしい昭和歌謡がスピーカーから流れてくると、わずかに眉がピクリと動く。
そんなときは「お、好きだったのかな?」なんて、ちょっと探偵気分です。
まるで宝さがしのように、小さな反応を探す日々。
これが意外と楽しいのです。
春の香りも、実はとても頼もしい味方。
たとえば、桜餅の葉っぱの香り。
あの甘じょっぱい香りをほんの少し室内に漂わせるだけで、「あ、これは昔よく食べた」と思い出してくださるかもしれません。
もちろん、食べることが難しい方には、香りだけでも立派なレクリエーション。
鼻の奥にある記憶のスイッチが、ふと過去を呼び覚ますことだってあるのです。
そして、味わうことも忘れずに。
といっても、いきなり「春の味覚フルコース」ではなくて、ほんのり桜風味のとろみゼリーや、イチゴの香りがする綿棒を軽く唇に当ててみるだけでも十分です。
うっすらと目を開けたり、舌がわずかに動いたり、それだけで「おいしい」に近づけた気がして、こちらもうれしくなるのです。
触れること――つまり、春のぬくもりを肌で感じることも、とても大切です。
陽だまりのようにあたたかいタオルで手を包んだり、ふわふわの🌸桜柄のガーゼで頬にそっと触れたり。
「うんうん、いいねえ」と、思わず自分も手を当ててしまうくらいの、あのやわらかい幸福感。
それはまるで、春の風をそっと手渡すようなものです。
こうして五感に春を届けていくと、いつの間にか私たち介護者の心にも春が訪れていることに気づきます。
まるで、春の花がご本人の心に咲くだけでなく、その周囲の人の心にもぽっと花を咲かせてくれるように。
寝たきりの方は、静かに感じ取る名人です。
派手なイベントはいらなくても、春を味わう力をちゃんと持っておられます。
だから私たちは、桜の代わりに小さな「工夫の花束」をそっと差し出してみるのです。
受け取っていただけたかどうかは分かりませんが、「なんだか良い一日だったな」と感じてくだされば、それだけで春のレクリエーションは大成功かもしれませんね。
春というのは、何かを始めたくなる季節です。
けれど、始めるには“安心”という土台がなければ、芽はうまく育ちません。
それは人の心も同じことで、どんなに素敵なレクリエーションでも、ご本人が不安でいっぱいだったり、体調が整っていなかったら、心に届くどころか、逆にストレスになってしまうことだってあるのです。
だから私たちは、まず「この方にとっての安心って何だろう?」と考えるところから始めます。
たとえば、医療的なサポート。
これはいわば、春の畑を耕すようなもの。
土がカチカチでは、芽は出ません。
耳がよく聞こえないなら、まず耳鼻科で耳掃除を。
目がかすむようなら、眼科で光の入口を整えてもらいましょう。
お口の中にトラブルがあれば、歯科で小さな春の味覚を感じられるように手助けしてもらう。
皮膚が敏感になっていたら、皮膚科でやさしくケアしてもらい、あたたかいタオルのぬくもりを楽しんでもらう準備を整えます。
もちろん、胃腸の調子だって春の味覚を左右しますから、消化器科の先生も頼りになる相棒です。
そうしてひとつひとつの確認が終わると、私たちはようやく安心してこう言えるようになります。
「さあ、楽しむ準備ができましたよ」と。
とはいえ、この準備もまた、“レクリエーション”の一部かもしれません。
診察室の中でお医者さんが見せてくれる笑顔や、看護師さんがかけてくれる優しい言葉、車椅子で移動するその短い間に感じる外の空気――それらすべてが、五感を刺激し、心を動かしてくれる小さなイベントです。
いつものお部屋とは違う世界に連れ出されることで、ふだんは見られない表情がぽっと浮かぶ瞬間もあります。
それは、私たちにとっては“何気ない一日”の一コマでも、ご本人にとっては“ちょっと特別な春の日”だったりするのです。
だから、無理をして季節の花を咲かせる必要はありません。
🌱芽が出たかな?と思ったら、その芽をやさしく包んで、あとは太陽のように見守っていく。
時には水やりも忘れずに。
それが、寝たきりの方と過ごす春のレクリエーションなのかもしれません。
芽は、声にはならなくても、まばたきや呼吸のリズムで知らせてくれます。
私たちはそれを、春風のような気持ちで受けとめるだけでいい。
やがてそこに、ちいさな「楽しかった」が顔を出す日が来ると信じて。
寝たきりだから、楽しみはもうない。
そんなふうに誰かが言ってしまう前に、私たちは伝えたいのです。
楽しみは「立って動ける人」にだけ訪れるものではありません。
感じることができる限り、人は春を味わうことができるのだと。
ベッドの上からでは桜並木は見えないかもしれません。
でも、窓を少し開ければ風の匂いは届きますし、耳をすませば季節の音色も聴こえてきます。
目の前にあることだけが全てではありません。
心の奥に咲く花は、誰にだって、どんな状態にあっても、そっと咲くものなのです。
そして、その花を咲かせる手伝いができるのは、私たち介護に携わる者の特権です。
特別な道具も、大掛かりな準備もいりません。
必要なのは、少しの観察と、ほんのちょっとの遊び心、そして相手の人生を想像するやさしい気持ち。
「あの人は、どんな春を歩いてきたんだろう?」と、心のアルバムをめくってみること。
すると、今この瞬間に届けたい春のかたちが、きっと見えてくるはずです。
もちろん、すべてが思い通りにいくとは限りません。
反応がなくて、がっかりする日もあります。
でもそれは、花のつぼみがまだ固いだけのこと。
何かを感じているかもしれないし、感じていないふりをしてるだけかもしれません。
なにせ、人生の大先輩ですから、そう簡単にリアクションしてくれないこともあるのです。
それもまたご愛嬌、でしょうか。
私たちが届けたい春は、きっと目には見えません。
でも、触れ合った手のぬくもりや、そっとかけた声の響き、花の香りや音楽の調べが、どこかでその方の心を揺らし、静かに芽を育てていると信じたい。
そして、その春は、いつか必ず、花を咲かせてくれると信じていたいのです。
だから、今日も「こんにちは」と声をかけ、「気持ちのいい日ですね」と窓の外を一緒に見つめ、「これ、美味しそうでしょう?」と笑ってみる。
そのひとつひとつが、きっと誰かの心に咲く一輪の春になる。
そう思えるだけで、私たちの毎日は、少しだけやさしくなれる気がするのです。
春は、どこにでも咲きます。
それがたとえ、ベッドの上であっても、心🩷の奥であっても――ね。
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