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桃から生まれて、鬼退治に出かけて、宝を持ち帰る。
…いやいや、ちょっと待って。
最初からスケールでかすぎません?
桃って普通は種が入ってるだけなのに、中から赤ちゃんってどういうこと?と思いながらも、なぜか納得してしまうのが日本の懐の深さ。
でも今こそ一度、冷静に考えてみたいわけです。
なぜ人々は桃太郎に惹かれ、今でも彼の名前を口にするのか。
なぜ全国のお土産コーナーに「きびだんご」があるのか。
そして、なぜか犬・猿・キジという組み合わせ。
この話、実は「子ども向け」にしては奥が深すぎるところがいくつもあるんです。
しかも驚くべきことに、この桃太郎という人物は、“刀を抜いた瞬間に名乗る系”の別バージョンでも登場していたりするから驚き。
桃太郎侍、という異名を持つあの男が、昭和のテレビ画面を所狭しと斬っていた時代もあるんですよ。
今回はそんな“桃から生まれた日本代表”について、ただ懐かしむだけではなく、世界の似た話や現代版の姿まで視野に入れつつ、「あれ?この人、実は今でも通用するかも」と思えてくる桃太郎の全貌を、じっくり楽しんでいきましょう🩷。
桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけた きびだんご
ひとつ わたしに くださいな
やりましょう やりましょう
これから鬼の せいばつに
ついて行くなら やりましょう
行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
家来になって 行きましょう
…はい、歌えましたか?
大人になってもスッと出てくるこの歌、実は大正時代にはすでに広く親しまれていたというから、相当なロングヒットです。
メロディはやさしく、でも内容はやや過激。
「鬼のせいばつ」っていう言い回しが、なんともストレートで潔い。
さて、童謡を口ずさんでみたところで、改めて不思議に思う点がいくつか出てきますよね。
たとえば「きびだんご」。
あれ、ほんとにあげただけで家来になるの?
もっと交渉とかないの?とツッコミを入れたくなるけど、あの当時の価値観からすれば、食べ物=信頼の証。
きびだんご一個で命預ける覚悟、みたいなものだったのかもしれません。
時代が違えば、LINEのスタンプで仲間になるパターンだったかも。
さらに、鬼を倒しに行くときに集まるのが、犬・猿・キジ。
このセレクション、実は“犬猿の仲”という言葉を思い起こさせるほど、本来は仲が悪そうなメンバーです。
それを、桃太郎がうまくまとめ上げるという展開は、実はチームビルディングの最高の教科書じゃないかという話も。
もしかしたら桃太郎、日本最古のプロジェクトマネージャーだったのでは…?
そしてこの歌、実は子どもだけじゃなく、大人にこそじわじわ来る深みがある。
何も持たずに旅に出るでもなく、ちゃんと準備して仲間を集めて、目的をはっきりさせて前に進む。
その姿に、どこか私たちは「こうありたい」という希望を見ているのかもしれません。
今や動画サイトでこの歌を検索すれば、さまざまなアレンジバージョンがあふれています。
昭和のレトロ感を残したバージョンもあれば、令和仕様の可愛いアニメ風も。
けれど、どれも根底にあるのは「自分を信じて前に進む」このスタイル。
そしてそれを歌に乗せて、次の世代へ伝えていこうという思い。
童謡というより、もはや国民的テーマソングです🩷。
「ひとつ人世の生き血をすすり、
ふたつ不埒な悪行三昧、
みっつ醜い浮世の鬼を、
退治てくれよう桃太郎!」
はい、ここで立ち上がった人、きっと昭和生まれです。
あの決めゼリフから始まる殺陣、そして最後に「ぷふうぅぅ~」と大きく息を吐くあのシーン、何度見ても痺れる名場面ですよね。
刀を構えた時の目線、斬り終わった後の静けさ、そして…あの息。
もう、全部ひっくるめて「桃太郎侍」なんです。
この侍バージョンの桃太郎、実は当時としてはかなりの異端児でした。
ただ強いだけじゃなく、表ではぼんやりした青年、でも内には熱く燃える正義感。
敵が悪党と分かれば、じっと立ち上がり、名前を名乗ってから一気に斬り倒す。
しかもただ斬るだけじゃない。
ちゃんと、刀の軌道も美しい。
斬るたびに何かが浄化されるような、そんな迫力があるんです。
放映当時は、世の中がちょうど“ヒーローは強ければいい”から、“優しさも持っててくれ”に変わりつつあった時代。
でも、桃太郎侍のようにブレずに真っ直ぐで、筋を通す男はいつの時代でも格好いい。
特にあの「ぷふうぅぅ~」の余韻には、きっと視聴者のいろんな感情が吹き飛ばされていたに違いありません。
ちなみに、殺陣シーンのあとにスッと背筋を伸ばして刀を納める、その所作も忘れてはいけない美学のひとつ。
桃太郎侍の魅力は、強さと優しさ、怒りと静けさ、すべての感情をひと呼吸でまとめあげるところにあるんですよね。
現代の作品にはなかなか見られない“生の熱量”が、当時の映像には詰まっていました。
派手なCGもない、特殊な編集もない、でもなぜか見ているこっちの心が熱くなる。
それこそが、今も語り継がれる桃太郎侍の本当の強さだったのかもしれません🩷。
桃から生まれて鬼退治。
…これ、日本だけのファンタジー設定かと思いきや、世界をぐるっと見渡すと「なんか似てるぞ?」という話がちらほら出てくるのです。
地球って、意外とヒーローの発生条件が似てるのかもしれません。
たとえば、中国の「孫悟空」。
こっちは桃ではなく石から生まれてますが、本人の性格もやることもかなり豪快。
空を飛び、天界まで上り詰めては問題を起こし、でも最後には仏様に導かれて大人になる。
あれ?桃太郎も鬼ヶ島でやんちゃしたあと、静かに村へ戻ってたような…?
石か桃かの違いだけで、実は同じカテゴリー?
ヨーロッパ圏だと「ジャックと豆の木」も負けていません。
ある日突然空に伸びる豆の木を登っていったジャックは、上で出会った巨人(言い換えると“鬼”)を相手に命がけのバトルを展開。
命がけというより、ちょっと泥棒寄りな展開ですが、彼も自分の生活をよくしようと必死だったわけです。
家族のために立ち向かう姿、それはもう立派なヒーロー像です。
インドに目を向けると、「ラーマ王子」が登場。
正義感にあふれ、悪を倒し、仲間たちと共に冒険する姿は、まるで“きびだんご”を渡して動物たちを仲間にしたあの人とどこか重なるんです。
しかもこちらのラーマ王子、しっかり弓も使えます。もう武器が違うだけ。
こうやって見ていくと、世界には「自分とは違う存在とうまく協力して、巨大な敵に立ち向かう」タイプのキャラクターがたくさんいることに気づかされます。
そして彼らはだいたい、ちょっとおかしな出発点を持っているんです。
石、豆の木、川から流れてくる桃。自然界とのリンク強めすぎ。
でもそこが逆に、人間がずっと昔から「不思議な出会い」を通じて何かに挑むことに憧れていた証拠なのかもしれません。
桃太郎って実は、日本だけでなく世界にも「仲間を集めて一発勝負に出る人」たちの代表格として、通じるものを持っていたんですね。
違う国、違う言葉、違う風習🩷。
でも似たような人、やっぱりどこにでもいる。
そう考えると、川を流れてきた桃は、案外世界共通のスタートラインだったのかもしれません。
さて、問題です。令和の時代に、桃から生まれてきた青年が「鬼退治に行く!」と言い出したら、まずどこに相談しますか?
親?警察?それともX(旧Twitter)でバズらせてスポンサー募集?
そう、現代の桃太郎はもう黙って出発したりしません。
彼の第一歩はSNSでの情報発信から始まります。
「#桃から爆誕 #鬼ヶ島プロジェクト #きびだんごじゃ足りない」といったハッシュタグを添えて投稿、フォロワーを増やし、まずはクラウドファンディングで旅費を調達。
資金が集まったら、スポンサーのロゴを背負って出陣です。
そして仲間集めはもはや「きびだんご」ではなく、履歴書付きのオンライン面接。
「犬さん、得意分野は警備。猿さんはデジタルマーケティングに明るく、キジさんはドローン撮影の達人です」など、個性が立ってないと選ばれません。
チームにはLINEグループ名もあり、「桃太郎タスクフォース202X」とかになってそうです。
そして肝心の鬼ヶ島。
もう小舟で行くなんて非効率はしません。
空撮+地図アプリ+AIで現地調査して、鬼のアジトをドローンで先に偵察。
さらに鬼の就業状況やコンプライアンス違反の有無を調べて、法的根拠を持って“社会的に討伐”するスタイル。
刀を抜かずして勝つ、現代の頭脳戦です。
ただし、現代の桃太郎には大きな試練があります。
それは“共感を得ること”。
鬼と名乗っても、それが異文化だったり、少数派だったりした場合、たちまちSNSで炎上します。
「鬼にも事情がある!」「おにぎり差し入れ派が支持します」なんて声が上がってきて、下手したら桃太郎が謝罪動画を出す羽目に。
でも、そんな世間の波を泳ぎきって、なお正義感を貫く桃太郎がいたら、ちょっとカッコいいかもしれません。
人間関係が複雑になり、正義と悪の境界もあいまいになった今だからこそ、「誰かのために立ち上がる」姿勢は、むしろ昔よりも価値があるのかもしれませんね。
さて、令和のきびだんごは、デジタル通貨か、それとも“共感のハート”か…🩷。
そんな未来を想像しながら、桃太郎の勇気を今日もちょっとだけ真似してみるのも、悪くないかもしれません。
桃が流れてくるなんて話、今の子に言ったら「フィクションですか?」って言われそうですが、大人だってわかってます。
でも、心のどこかで信じたい“なにか”があるから、今もなお「桃太郎」は語られ続けているんですよね。
童謡で覚えたリズムの良さ、昔話の王道展開、そして時代劇で斬り結ぶ迫力のある姿。
さらに海外に目を向ければ、実は似たようなキャラクターがそこかしこにいて、私たちが思っている以上に“桃から始まる話”は、世界に溶け込んでいるという不思議。
いやもう、桃ってすごい。
それでも、きびだんごで仲間が増えるほど単純じゃない時代になりました。
努力が評価されるとも限らず、正義を掲げれば逆に炎上することもある。
でも、それでもなお「自分がやる」と言える人が必要なんです。
それが、桃太郎という存在の根っこの部分。
必要なのは大きな武器じゃないし、完璧な仲間でもない。
たったひとつ、「信じて突き進む覚悟」こそが、鬼退治に挑める力なのかもしれません。
昔も今も変わらない芯、それを“桃”という可愛らしい果実に包んで、日本はずっと大切にしてきたのかもしれませんね。
鬼がどこにいるのかも分からない現代ですが、少なくとも私たち一人ひとりが誰かの“桃太郎”になれる瞬間は、きっとどこかに転がってる🩷。
次に誰かが困っていたら、そっときびだんごを差し出してみるのもいいかもしれません。
もちろん、パッケージは今風ね
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