ジビエは季節を食べるご馳走~世界の食文化から福祉の食卓まで~

[ 旬の食と暮らし ]

はじめに…鹿と猪だけでは終わらない~世界を歩けば食卓の常識がひっくり返る~

「ジビエ」と聞いて、鹿や猪を思い浮かべる人は多いでしょう。山間の店でしし鍋を囲み、湯気の向こうから味噌の香りがフワリ……。それだけでも十分美味しそうですが、世界まで視野を広げると、食卓の景色は一気ににぎやかになります。

ジビエ(狩猟などによって得られる野生鳥獣の肉)として親しまれてきた食材は、その土地の自然や暮らしによって千差万別です。鹿や猪だけでなく、地域によってはカンガルーやワニ、トナカイ、エミューなども食文化の中に登場します。「えっ、それもご馳走になるの?」と思った時点で、もう少し世界を覗いてみたくなりませんか?冷蔵庫を開けて鶏肉と豚肉の二択で悩んでいる場合ではありません。いや、今夜の献立はそれで十分なのですが。

面白いのは、珍しい動物の名前だけではありません。山が芽吹く季節、暑さの中で食べられてきた料理、木々が色づく頃の恵み、雪国で湯気を立てる煮込み料理。自然の変化と人の知恵が重なり、同じ「肉を食べる」という行為にも、その土地ならではの物語が生まれます。一期一会の味に出会うように、食文化を知ることは、その土地で暮らしてきた人の生活を少し覗かせてもらうことでもあります。

そして食事には、お腹を満たす以上の役目があります。「昔、食べたことがある」「これはどんな味だろう?」「こんな料理があるのか」。そんな一言から、記憶が戻ったり、知らない土地への興味が芽生えたりすることもあります。食卓は、料理を並べる場所であると同時に、人の記憶や好奇心が動き出す場所でもあります。

鹿と猪の向こう側には、想像していたよりずっと広い食の世界があります。春夏秋冬を巡りながら、少し不思議で、美味しそうで、時には「そこまでいく!?」と驚くジビエの世界へ。まずは肩の力を抜いて、お箸ではなく好奇心を手に取ってみましょう。

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第1章…春夏秋冬で味わいが変わる~ジビエは自然が作る季節のご馳走~

スーパーの精肉売り場では、豚肉は豚肉、鶏肉は鶏肉で、季節が変わっても顔触れはそれほど大きく変わりません。ところが野生の命をいただくジビエは、自然の動きと食卓の距離がグッと近くなります。動物が暮らす土地、季節、食べられてきた地域の料理法まで重なるため、ジビエの美味しさには、肉そのものだけでなく四季折々の風景まで一緒に入っています。

春は森や野山が動き始める季節です。鹿や猪、野ウサギだけでなく、地域によってはアナグマや野鳥、湿地の生き物なども食文化に登場します。冬の名残を感じさせる肉を煮込んだり、山菜など季節の恵みと合わせたりすれば、一皿の中に春の景色が生まれます。山へ行ったら山菜を見て「天ぷらかな?」と考え、その横を何かが走れば「いや、そっちは見るだけにしておこう」となる辺り、人間の胃袋はなかなか忙しいものです。

夏になると雰囲気は一変します。世界へ目を向ければ、ワニや草食獣などを炭火で焼いたり、香辛料を利かせたりする地域もあり、食卓は豪放磊落。暑い土地では、その土地で手に入る肉を、その気候に合った料理へ仕立ててきた歴史があります。肉の種類だけを見れば驚いてしまいますが、煮る、焼く、揚げる、香りを加えるという料理の知恵まで眺めると、急に「食べ物の話」として近く感じられるから不思議です。

秋は、ジビエという言葉がよく似合う季節でしょう。狩猟の時期を迎える地域では鹿や猪、野ウサギ、野鳥などが食卓へ現れ、ローストや煮込み、燻製など料理もグッと深みを増していきます。木の実やキノコ、根菜など秋の食材と合わせれば、山紫水明の風景がお皿の上までやって来たようです。香ばしく焼ける音まで想像すると、まだ何も食べていないのに白いご飯を用意したくなります。胃袋だけ季節を先取りするのは、割りとよくある話です。

そして冬。寒さの厳しい土地では、脂を蓄えた動物の肉をじっくり煮込み、鍋やスープとして味わう食文化が見られます。熊やアナグマ、北の地域ではトナカイやヘラジカなども料理となり、味噌や香味野菜、ベリー類など、その土地ならではの組み合わせが生まれてきました。外が冷え込むほど、湯気の立つ鍋はご馳走になります。野生肉だから特別なのではなく、「寒い日に温かいものが嬉しい」という感覚は、国が変わっても意外なほど身近です。

春は芽吹き、夏は活気、秋は実り、冬はぬくもり。季節によって食材も料理も表情を変えるところに、ジビエの面白さがあります。自然を毎日同じ状態に揃えることは出来ません。だからこそ、その時、その土地で得られるものを工夫していただく食文化が育ってきました。ジビエを知ることは、珍しい肉の名前を覚えることよりも、自然と一緒に食卓を作ってきた人間の知恵を味わうことなのかもしれません。


第2章…「それも食べるの?」から始まる~世界のジビエに見る土地と暮らしの知恵~

旅先の市場や料理店で、見慣れない料理名を前にして手が止まることがあります。「これは……何のお肉ですか?」と尋ね、答えを聞いた瞬間にもう一度メニューを見る。世界のジビエには、そんな二度見を誘う食材が少なくありません。ただし、その驚きだけで「変わった食べ物」と片付けてしまうと、その土地が長い時間をかけて育ててきた食文化まで見逃してしまいます。

オーストラリアではエミューやワニが食材として登場し、ワニ肉は揚げ物やタコスなどに使われることがあります。アフリカへ目を向ければ、スプリングボック、インパラ、クーズー、ヌーなど、日本の食卓ではまず名前を聞かない草食獣まで登場します。肉を炭火で焼くという調理法なら私たちにも親しみがありますが、網の上に載っているものが急に異国情緒たっぷりです。「焼き肉だ!」と近づいて、名前を聞いて姿勢を正す。胃袋にも心の準備というものがあるのでしょう。

さらに南米アンデス地方では、クイと呼ばれるモルモットが伝統的なご馳走として食べられてきました。北へ目を移せば、寒冷地ではヘラジカやトナカイなどが煮込み、燻製、ローストといった料理になります。地域によって食材も調理法も千差万別ですが、そこには「手に入る命を無駄にせず、その土地に合う方法で美味しく食べる」という暮らしの知恵があります。狩猟文化(野生動物を狩り、食や生活に生かしてきた文化)は、料理だけでなく気候や土地の条件とも結びついて育ってきたものです。

私たちには驚きの食材でも、そこで暮らす人には家族の味だったり、祝いの料理だったり、寒い日に体を温める一皿だったりします。反対に、納豆や生魚を初めて見た外国の人が「本当にこれを食べるの?」と戸惑っていても不思議ではありません。食の常識は世界共通ではなく、その土地の暮らしから生まれます。「それを食べるなんて」と驚いた時こそ、その土地を知る入口が開いた瞬間です。

「郷に入っては郷に従え」と言いますが、何でも食べなければならないという話ではありません。まず知ってみるだけでも十分です。何故その動物を食べるようになったのか、どんな料理にしてきたのか、誰と囲む食卓なのか。そこまで眺めると、動物の名前だけでは見えなかった人々の暮らしが浮かびます。世界のジビエは珍味の見本市ではなく、人間がそれぞれの土地で生き抜いてきた知恵の食卓でもあるのです。

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第3章…珍しい肉の向こうに命がある~食べることは自然と人を繋ぐこと~

お皿に綺麗に盛りつけられた肉を見ていると、そこに森を走っていた動物の姿まで思い浮かべることは、あまりありません。スーパーでも料理店でも、私たちが出会う頃にはすっかり「食材」の顔をしています。それでもジビエを知っていくと、その一皿の向こう側に山や川、季節の変化、人の暮らしまで続いていることに気づかされます。

野生の動物は、人が用意した飼料だけを食べて育つわけではありません。その土地にある草や木の実などを食べ、暑さや寒さの中で生きています。そんな自然の中からいただく肉だからこそ、ジビエには「食べ物はどこから来るのだろう?」という素朴な問いがよく似合います。生物多様性(様々な生き物が関わり合いながら暮らしている状態)という少し難しい言葉も、森の中を思い浮かべればグッと身近になります。

鹿や猪を見て「美味しそう」とだけ思うのも少し違いますし、「可哀相だから考えない」と目をそらすだけでも、どこか片手落ちです。人は昔から自然の恵みをいただきながら暮らしてきました。そこには食べる側の都合だけではなく、捕らえた命を無駄にしないための料理や保存の知恵も積み重なっています。共存共栄という言葉は少し立派に聞こえますが、食卓まで含めて考えると、自然と人の関係はずっと生活臭のあるものなのです。

「いただきます」という言葉も、ジビエを前にすると少し重みが変わります。普段の食卓では、ついテレビを見ながら口に運び、「あれ、今どっちの唐揚げ食べた?」となる日もあります。食べた本人が分からないのですから、鶏も少々複雑でしょう。それでも、どんな肉にも魚にも野菜にも、その姿で生きていた時間があります。食べることは、命を消費するだけではなく、その命を自分の明日へ受け取ることでもあります。

だからといって、毎回しんみりしながら箸を持つ必要はありません。「美味しい」と笑うことも、「初めて食べた!」と驚くことも、食べ物を大切にする1つの形でしょう。山の恵みを鍋にして家族で囲む。知らない料理を前に会話が弾む。昔食べた味を思い出す。そうした時間まで含めれば、ジビエは珍しい肉ではなく、人と自然、人と人を繋ぐ食文化として見えてきます。

森羅万象の中で、人だけが食卓から離れて生きることは出来ません。毎日のご飯が当たり前に見える日ほど、その向こう側にはたくさんの命と人の手があります。そのことを少し思い出せたなら、「いただきます」は今日からほんの少しだけ、やさしい言葉になるのかもしれません。


第4章…福祉の食卓にも小さな冒険を~懐かしい味と初めての味が会話を育てる~

高齢者施設の昼食で、いつもの献立表に「しし鍋風」と書かれていたらどうでしょう?「おっ、猪か」「昔は山で食べたよ」「私は食べたことないな」と、料理が届く前から話が始まるかもしれません。食事は栄養を摂る時間ですが、それだけで終わらせるには少々もったいないものです。香り、名前、季節感、昔の記憶まで動き出せば、いつもの食堂がほんの少し違って見えてきます。

特にジビエは、回想法(昔の出来事を語り、記憶や気持ちを引き出す関わり)との相性を考えやすい食材です。「昔、うさぎを食べた」「しし鍋なら知っている」という人がいれば、その一言から家族の話や故郷の山、冬の囲炉裏まで話が広がる可能性があります。初めて知る人には、それが新しい話題になります。昔を知る人と知らない人が同じ料理を囲み、「そんな食べ方があったの?」と笑えたなら一石二鳥。食べる楽しみと話す楽しみが、同じお膳に載ります。

もちろん、珍しければ何でも出せば良いわけではありません。野生鳥獣の肉には衛生面への配慮が必要ですし、食べる人に合わせて硬さや大きさを調整することも欠かせません。アレルギーや体調、嚥下(食べ物や飲み物を口から喉へ送り込む働き)の状態なども確認したいところです。安全を置き去りにして「今日は熊肉です!」と勢いだけで突撃したら、厨房も介護職も二度見します。冒険にも、ちゃんと地図は必要です。

そこで面白いのが、本物のジビエだけにこだわらない考え方です。柔らかい肉を使った「しし鍋風」、鶏肉を使って野ウサギ料理の雰囲気を楽しむ献立、鹿肉料理を思わせるソースなど、食べやすさを守りながら食文化を楽しむ方法もあります。名前や盛りつけ、季節の話を少し添えるだけでも食卓の空気は変わります。大切なのは珍しい肉を食べることではなく、「今日は何だろう?」と心が動く食事を作ることです。

毎日同じ時間に食堂へ行き、同じ席に座り、黙々と食べて部屋へ戻る。その繰り返しの中へ月に一度、小さな食の冒険が入っても良いでしょう。「今日は何の肉だと思います?」「そんなの分からんよ」と笑いながら箸が進む。職員も利用者も料理の話で和気藹々となれば、食事は介助される時間だけではなく、一緒に暮らす人たちの時間になります。

福祉の食卓に必要なのは、豪華な料理ばかりではありません。懐かしい味と知らない味、その両方を時々、混ぜるだけでも、人の表情は変わります。食べることが毎日の予定表から小さな楽しみへ変わったなら、その一皿は十分にご馳走なのだと思います。

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まとめ…「いただきます」が少し深くなる~ジビエから見える食べる喜び~

鹿や猪から始まったジビエの世界を少し広く眺めてみると、そこには季節があり、土地があり、人の暮らしがありました。春には芽吹く山の恵みがあり、夏には暑い土地ならではの食べ方があり、秋には実りと狩猟の季節が重なり、冬には湯気の立つ煮込みが待っています。千差万別の料理が生まれてきた背景には、「その土地で得られるものを、出来るだけ美味しくいただく」という人間の知恵があります。

ワニやエミュー、トナカイなど、普段の食卓では出会わない名前を聞けば、思わず「そこまで食べるの?」と驚くこともあるでしょう。それでも、別の土地では家族が囲んできた普通の料理かもしれません。こちらの常識が、世界の常識とは限らない。そんな当たり前のことを、食卓は随分と楽しく教えてくれます。

そして食べる喜びは、珍しさだけでは決まりません。昔食べたしし鍋を思い出す人がいて、初めて知った料理に目を丸くする人がいる。その2人が同じテーブルで「どんな味だった?」「食べてみたいね」と話せたなら、料理はもう栄養だけの存在ではありません。美味しい記憶も、新しい驚きも、人と人を近づける立派なご馳走です。

福祉の食卓でも、安心安全を守りながら、そんな小さな冒険を増やす余地はあります。本物のジビエでなくても、料理名や味付け、季節の演出から会話を生むことは出来ます。豪華絢爛でなくても構いません。「今日はちょっと違うね」と顔が上がるだけで、その日の昼食は昨日とは違う時間になります。

私たちは毎日、何かの命をいただきながら暮らしています。そのことを難しく考え続ける必要はありませんが、時々、箸を持つ手の向こうに山や海や畑を想像してみると、いつもの「いただきます」が少しだけ豊かになります。ジビエが教えてくれるのは、珍しい肉の名前よりも、食べることそのものが持つ楽しさと奥深さなのかもしれません。

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