ジビエはなぜ病院食に出にくい?~滋養のご馳走と医療の食卓の不思議~

[ 旬の食と暮らし ]

はじめに…元気が出そうなご馳走ほど病院で見かけないのは何故だろう?

体が弱った日に「何か元気の出るものを食べたい」と思った経験はないでしょうか?湯気の立つ鍋、じっくり煮込んだ肉、滋味のあるスープ。そんな場面でスッポンや鴨、鹿、猪といった名前を聞くと、何となく滋養強壮のご馳走という雰囲気があります。

ところが病院の食事を思い浮かべると、ジビエ料理が登場する姿はなかなか想像できません。介護施設でも同じです。「今日は鹿肉のやわらか煮ですよ」「明日はスッポン雑炊です」なんて献立表が貼られていたら、二度見する人が続出しそうです。いや、献立表の前だけ妙に人だかりが出来るかもしれません。

けれど、病院や介護施設の食事には大切な役割があります。治療食(病気や体の状態に合わせて栄養量や食べやすさを調整した食事)は、珍しさを競う料理ではありません。安全に食べられること、必要な栄養を取りやすいこと、同じ品質で安定して提供できることまで考えて作られています。

医食同源という言葉があるように、食べることは体を支える大切な営みです。ただし、「体に良さそうな食材」と「病気を治す薬」は同じものではありません。ここを一緒にしてしまうと、折角の食文化の面白さまで少し窮屈になってしまいます。

ジビエが病院食に少ない理由を考えると、食事は栄養だけでなく、安全、供給、食べやすさ、そして楽しさまで背負っていることが見えてきます。

牛、豚、鶏がいつもの食卓を支える一方で、その外側にはまだまだ知らない味があります。「出てこないなら価値がない」ではなく、「どうすれば楽しめるだろう」と考えてみる。そんな小さな食の冒険から、毎日の一皿が少し面白く見えてきそうです。

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第1章…「食べる薬」は本当に薬?~滋養食と治療を分けると食の役割が見えてくる~

スッポン、烏骨鶏、軍鶏。名前を並べただけで、なんだか体の奥から「今日は元気になれそう」と声が聞こえてきそうです。昔から体が弱った時や産後、寒い季節などに、こうした食材を使った料理が滋養のあるご馳走として親しまれてきました。

ただ、「食べる薬」という呼び方は少し注意が必要です。スッポン雑炊を食べたから病気が治る、烏骨鶏のスープを飲めば薬が要らなくなる、という話ではありません。食事には体を作る栄養を届ける役目があり、薬には病気や症状に働きかける役目があります。同じ体を支えていても担当部署が違う、と考えると分かりやすいでしょう。

冷蔵庫の前で「今日はスープを飲んだから薬は休み!」なんて自己判断したら、お医者さんに静かに眼鏡を押し上げられそうです。そこは交代制ではありません。

一方で、食事だからこそ出来ることもあります。香りを感じ、温かさを味わい、「美味しいね」と誰かと話す。食欲が落ちている時に一口食べられた、好きだった味を思い出してもう一口進んだ。そんな時間は錠剤だけでは作りにくいものです。食事は病気を治す薬の代わりではなく、治療を受けながら暮らしていく人の体と気持ちを支える大切な土台です。

医食同源という言葉も、食べれば何でも治るという意味にしてしまうより、日々の食事が健康な暮らしと深く結び付いている、と受け取る方が自然です。病院や介護施設なら尚更、栄養だけでなく「食べる力」そのものを守る視点が欠かせません。

そしてスッポンや鹿、猪などの珍しい食材にも、適材適所があります。毎日出す必要はなくても、食文化として知ったり、特別な日の一皿として味わったりする余地はあるでしょう。「薬か食事か」の二者択一ではなく、薬は薬、食事は食事。それぞれの得意分野を活かした方が、人の暮らしはずっと豊かになります。


第2章…牛・豚・鶏が食卓の常連になった理由~病院食を支える安定供給という大仕事~

スーパーの精肉売り場を歩けば、牛肉、豚肉、鶏肉がズラリと並んでいます。今日は生姜焼き、明日は親子丼、その次は牛肉の炒め物。料理は毎日変わっているのに、よく見ると主役はだいたい同じ顔ぶれです。長年レギュラーを守っているだけあって、冷蔵庫に入っていても誰も驚きません。鹿肉が普通に隣へ並んでいたら、「おや、新人さん?」と少し立ち止まりそうです。

牛・豚・鶏が広く使われている大きな理由の1つは、味だけではなく安定して手に入ることです。病院や介護施設では、数十人、時には数百人分の食事を毎日決まった時間に用意します。大量調理(多人数分の食事をまとめて安全に作る調理)では、「今日は仕入れられませんでした」が簡単には通りません。献立を決め、必要量を注文し、届いた食材を安全に保存して、同じ時間に料理として出す。その流れが毎日続きます。

しかも食べる人の状態は同じではありません。普通の食事を食べられる人もいれば、細かく刻んだ方が食べやすい人、やわらかく調理する必要がある人、塩分や脂質などを調整している人もいます。同じ食材から複数の食事形態へ展開しやすいことは、厨房にとって大きな助けになります。華やかさだけでは乗り切れない、正に縦横無尽の段取り仕事です。

そこへジビエを入れると、話は少し複雑になります。季節や地域によって入手量が変わりやすく、種類によって肉質や香りにも違いがあります。さらに安全な処理や衛生管理が欠かせません。珍しいから使われないというより、「毎日、同じ人数に、安全に、予定通り届けられるか」という壁があるわけです。

病院や介護施設の食事では、美味しさの裏側に「明日も同じように用意できる」という安心が必要です。

そう考えると、牛・豚・鶏ばかりなのは退屈だからではなく、長年かけて整えやすい方向で流通や調理の仕組みが整えられてきた結果でもあります。正に適材適所。厨房の人たちは、食卓に料理を出す前から、仕入れ、保存、調理、食べやすさまで頭の中で大渋滞をさばいているのです。夕飯を考えるだけで「もう何でも良い」となりがちな家庭の台所から見ると、毎日何十人分も組み立てる仕事には頭が下がります。

それでも、いつもの三役だけで食の世界が終わる必要はありません。安定した食材を土台にしながら、季節の行事や特別な日に違う肉を少し取り入れる。そんな臨機応変な楽しみ方なら、ジビエにも出番を作れるかもしれません。常連には常連の頼もしさがあり、時々、現れる新顔には食卓を弾ませる役目があります。

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第3章…ジビエの「クセ」は欠点じゃない~鹿・猪・鴨から広がる味覚の新しい扉~

「ジビエはちょっとクセがあるからね」と聞くと、それだけで一歩引いてしまう人もいるでしょう。ジビエ(狩猟などで得た野生鳥獣の肉)は、普段食べ慣れている牛・豚・鶏とは香りや肉質が違うことがあります。けれど、その違いを全部「食べにくさ」にしてしまうのは、少しもったいない話です。

猪には脂の存在感があり、鹿には赤身らしい味わいがあります。鴨にも独特の香りがあり、同じ「肉」という大きな括りでも、それぞれ表情はかなり違います。 毎日の料理が牛・豚・鶏を中心に回っているからこそ、知らない味との出会いは食卓に新鮮な驚きを連れてきます。正に十人十色ならぬ、十肉十味……そんな四字熟語はありませんが、気持ちは伝わるでしょう。

料理には、その個性を受け止める方法があります。煮込む、焼く、香味野菜と合わせる、出汁や味噌を使う。肉そのものだけを真正面から味わう必要はありません。個性に料理を寄せていけば、「思っていたより食べやすい」「この香りなら鍋に合うな」と印象が変わることもあります。

これは普段の料理でも同じです。納豆が好きな人もいれば苦手な人もいますし、みょうがの香りだけで夏を感じる人もいれば、そっと皿の端へ避難させる人もいます。そこで決めゼリフを1つ。「蓼食う虫も好き好き」、味覚はみんな違うからこそ食卓は面白いのです。

もちろん、初めて食べるものを無理に好きになる必要はありません。「今日はちょっと勇気が出ないな」という日があっても十分です。逆に、ほんの一口から未知の好物が見つかることもあります。先入観だけで扉を閉めず、少量から試してみるくらいの距離感なら、気楽に付き合えます。

病院や介護施設の食事でも、この「食べてみたい」という気持ちは大切にしたいところです。毎日珍しいものを並べる必要はありませんが、行事食や特別な日の一皿として、新しい味に触れる機会があれば食事の会話も広がります。「これ、鹿なんですって」「へえ、初めて食べたわ」。そんな一言から始まる一期一会も、食事の楽しみの1つでしょう。

クセとは、見方を変えれば個性です。いつもの味に安心する日もあれば、知らない味に出会って少し心が動く日もある。食卓の豊かさは、好きなものが多いことではなく、「こんな味もあるんだ」と知る余白から育っていきます。


第4章…病院や介護施設でも楽しめる?~安全と食べやすさを守って特別な一皿へ~

では、ジビエを病院や介護施設の食事に取り入れる道は、本当にないのでしょうか。毎日の献立へ無理に入れる必要はなくても、特別な日の食事として考える余地はありそうです。ただし、家庭で「今日は猪鍋にしよう!」と鍋を出すのとは事情が違います。食べる人それぞれの体調や噛む力、飲み込む力まで考えながら、安全第一で届けなければなりません。

元気な人なら楽しめる歯応えも、高齢者には負担になることがあります。嚥下(食べ物や飲み物を口から胃へ送り込む動き)が弱っている人なら、肉の硬さや大きさだけでなく、口の中でまとまりやすいかどうかまで大切になります。珍しい食材だから特別扱いするのではなく、その人が安心して食べられる料理へ仕上げる。その一手間があってこそ、ご馳走は本当のご馳走になります。

ジビエには香りや肉質の個性がありますから、煮込み料理やスープのように調理の工夫を重ねやすい料理とも相性を考えられます。実際、食材のクセをそのまま押しつける必要はなく、味付けや調理方法で食べやすさへ寄せていく発想は十分にあります。「クセがあるから無理」で扉を閉めるより、「どう調理すれば楽しめるか」と考える方が建設的でしょう。

もちろん、珍味珍食を競う大会にする必要はありません。「本日の昼食は熊、明日は鹿、明後日は……」となったら、献立表を見るだけでサファリ感が出てしまいます。そこまで全力疾走しなくても、行事食や季節の企画として少量を取り入れたり、地域の食文化と結び付けたりするだけでも十分です。試行錯誤を重ねながら、無理のない形を探していけば良いのです。

介護施設では、食事が一日の楽しみになっている人も少なくありません。いつもの献立に少し違う香りが加わり、「これ、何の肉だろう?」「昔はこんなの食べたな」と会話が始まれば、その一皿は栄養だけでは終わりません。食べることが記憶や会話を呼び起こし、人と人を繋ぐ時間へ変わっていきます。

安全を守ることと、食べる楽しみを広げることは、どちらか一方を諦める話ではありません。安全性、食べやすさ、供給、調理のしやすさを整えた上で、小さな特別感を加えていく。そんな臨機応変な発想なら、病院や介護施設の食卓にも、まだ新しい余白を作れそうです。

毎日同じように見える一膳にも、食べる人の人生があります。だからこそ、安心して口に運べることを守りながら、時には「今日はちょっと楽しみだな」と思える料理を届けたいものです。ジビエの出番があるとすれば、珍しさを自慢する日ではなく、食事の時間そのものが少し明るくなる日なのかもしれません。

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まとめ…命をいただく楽しさは選択肢から~いつもの食卓に小さな冒険を~

病院や介護施設の食事にジビエがほとんど登場しない理由を見ていくと、「高いから」「珍しいから」だけでは片付かないことが分かります。毎日決まった量を仕入れ、安全に調理し、それぞれの体調や噛む力、飲み込む力に合わせて届ける。その当たり前に見える一膳の裏側には、実に多くの人と仕組みが動いています。

牛・豚・鶏が食卓の常連なのも、長年にわたって流通や調理の環境が育ってきたからでしょう。一方、鹿や猪などには違う味わいがあり、その土地ならではの食文化もあります。どちらが優れているという勝負ではありません。安心して食べられる日常食があり、時々、知らない味に出会える。そんなバランスこそ、食卓を豊かにしてくれます。

そして忘れたくないのは、食べ物は薬の代わりではないということです。けれど、食事にしか出来ない仕事もあります。湯気を見てお腹が動き、香りに昔を思い出し、一口食べて「これは何だろう」と隣の人に話しかける。栄養という数字の外側にも、食べることが人へ届けるものはたくさんあります。

安全を土台にしながら「食べてみたい」と思える選択肢を残すことが、これからの食卓を少し楽しくしてくれます。

毎日ジビエを食べる必要はありません。むしろ、たまに出会うからこそ「今日は珍しいね」と会話が弾むのでしょう。猪鍋の日に食堂中が無言だったら……それはそれで料理人さんが廊下から様子を見に来そうですが、きっと最初の一言が出れば話題は広がります。

食べることは命をいただくことであり、同時に自分の暮らしへ楽しみを迎えることでもあります。平穏無事な毎日の中に、時々、小さな冒険を置いてみる。知らない味を知り、好きならまた食べ、苦手なら笑って次へ進む。そのくらい自由な食卓で良いのだと思います。

いつものご飯が美味しい。それだけでも十分に幸せです。そこへ、時々「こんな味もあるんだ」が加われば、明日の食事を待つ気持ちは少しだけ明るくなります。命の恵みを大切にしながら、これからも美味しい選択肢を増やしていきたいものですね。

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