介護の食卓の毎日をパーティー化するための3つの不思議な立て直し術

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…施設の食堂が“毎日イベント会場”になる理由

デイサービスの食堂を眺めていると、フワッと平和な空気が流れているように見える日があります。ところが同じ「食事」でも、重度者の多い現場に近づくほど、何故か空気が変わっていく。賑やかなのに落ち着かない、手厚いはずなのに慌ただしい、綺麗に整っているのに家庭っぽくない。そんな「ん?なんか変だぞ…」が、ちょこちょこ顔を出します。

おかしいのは、高齢者さんが悪いわけでも、職員さんが雑なわけでもありません。むしろ逆で、みんな真面目にやっているからこそ、施設という仕組みの癖が強調されてしまうんです。例えば、全員が同じ時間に同じように座り、同じような準備が整い、同じような流れで配膳が始まる。これ、毎日が「大人数の宴会」みたいな運用ですよね。宴会って楽しいはずなのに、毎日だと…うん、胃も心も忙しくなります。

そして施設には、ご本人にも職員にも「本来あるはずのもの」があります。そう、ご家庭です。自宅では、今日はゆっくり食べたい日もあるし、テレビ見ながら一口ずつの日もある。少し遅れて食べる日もあるし、ちょっと一品だけ先に味見する日もある。なのに施設の食卓は、良くも悪くも“時間割”と“手順”が主役になりがちで、その瞬間だけ皆が「生活者」ではなく「参加者」になってしまう。ここに、違和感の正体が隠れています。

このシリーズでは、食事風景の「どこが変に見えるのか」を、時間の問題、介助の問題、雰囲気の問題という順でほどいていきます。その上で、「じゃあどう立て直す?」という現実的な作戦まで踏み込みます。理想論だけで終わらせません。現場は忙しい。分かってます。だからこそ、出来るところから小さく直す。これが一番強いんです。

ちなみに本記事の裏テーマは1つだけ。「食事は、栄養を入れる作業ではなく、生活を取り戻すイベントである」。イベントって言うと急に楽しそうですよね。そう、同じイベントなら、出来るだけ楽しい方が良い。今日の結論はまだ言いませんが、読み終わる頃にはきっと、食堂の風景の見え方が少し変わります。

では参りましょう。施設の食卓が毎日パーティー化する不思議、その“正体”を捉まえに行きます。

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第1章…一斉スタート&一斉終了~「食べる速度」を置き去りにする時間割~

施設の食事で、いちばん分かりやすく「ん?」が出るのは、たぶん時間です。だって、毎日きっちり、だいたい同じ時刻に、だいたい同じ人数が、だいたい同じテンポで食べ始める。言い方を変えると「三食、全員参加の定例会議」です。しかも議題は“食べる”。これ、真面目に考えるとだいぶイベント性が強いんですよね。

家庭だと、食事はもっと雑で、もっと自由です。早食いの人がいて、ゆっくりの人がいて、途中でお茶を足しに立つ人がいて、ちょっと喋り過ぎて箸が止まる人もいる。なのに施設では、配膳も下膳も「全体の流れ」が優先されがちで、個人のペースが置いていかれます。ここが、静かなズレの始まりです。

「一定量+制限時間」が生む見えにくい圧

特に重度者が増えるほど、このズレは分かりやすくなります。嚥下がゆっくりの方、咀嚼に時間が掛かる方、途中で咽込みやすい方、集中が続かず休憩が必要な方。食べる速度は本当に人それぞれです。なのに「同じくらいの量が、同じくらいの時間で出てくる」運用だと、体に合わない方が必ず出てきます。

合わないと何が起きるか。早い方は早く終わって手持ち無沙汰になり、落ち着きが揺れてくる。ゆっくりの方は焦らされ、途中で飲み込みが雑になりやすい。介助側は「次がある」「時間が押してる」で気持ちが前のめりになる。そうすると、食事そのものの安全と楽しさが、ジワッと削れていきます。

しかも恐いのは、現場が悪い方向に“慣れてしまう”ことです。咽込んでも「あるある」、残しても「仕方ない」、途中で疲れても「年齢だから」。もちろん現実は甘くないし、完璧な世界なんてありません。でも、ここを当たり前にしてしまうと、誤嚥性肺炎のリスクや低栄養の問題が、いつの間にか日常の一部に溶け込みます。溶け込むと、誰も気づけなくなる。これが一番怖い。

定食盛りの罠~小柄な方に“大人の弁当箱”が来る日~

もう1つ、食事時間とセットで出てくるのが「定食盛り」の固定化です。見た目は整っていて、配膳もスムーズで、記録もしやすい。運用上のメリットは大きいです。だけど小柄な高齢者さんが、立派なお膳を前にしている姿を見ると、心の中でこっそり思う人もいるはずです。「これ、胃袋に入る量だっけ?」と。

もちろん全部を平らげる方もいます。そこがまた難しいところで、「食べられる=適量」とは限りません。早食いで詰め込みやすい方もいますし、認知症の方だと“目の前にあるものは全部食べるスイッチ”が入ることもある。逆に体調が揺れやすい方は、少しの量でも疲れてしまう。つまり、同じお膳を出すほど、個々の差が大きな問題として出てきます。

立て直しの第一歩は「時間」ではなく「設計」を疑うこと

ここで大事なのは、現場の努力を責めないことです。むしろ現場は、限られた人員と時間の中で、毎日を回しています。問題は“回すために固定された設計”が、そのまま安全と満足に直結してしまうこと。つまり、時間割が悪者というより、時間割が主役になり過ぎる設計が問題なんです。

じゃあどうするか。答えは派手じゃなくて地味です。でも効きます。食事の「提供量」と「提供時間」を、少しでも個別に寄せていく。全員をバラバラにするのは無理でも、せめて“ゆっくり枠”と“標準枠”のように現実的な幅を持たせる。さらに「最初から全部盛らない」で、途中追加を前提にする。これだけで、早い人の手持ち無沙汰も、遅い人の焦りも、かなり減ります。

そして、現場の感覚だけでなく、確認できる指標を一つ持つと強いです。例えば残食の傾向。ゼロが正義とは限りませんが、「誰が、どの食形態で、どの時間帯に残しやすいか」が見えてくると、調整が“気合い”から“設計変更”に変わります。気合いは続かないけど、設計は残ります。ここ、介護の勝ち筋です。

次の章では、この「時間割」の問題が、介助の現場でどう“暗記ゲーム化”していくのかを見に行きます。角度、姿勢、一口量、スプーン運び。ルールが増えれば増えるほど安全になる…はずなのに、何故か事故の芽も増えてしまう。その不思議を、笑いを混ぜつつ、ちゃんと解剖していきます。


第2章…介助が“暗記ゲーム”になる瞬間~角度・姿勢・一口量の迷宮~

食事介助って、外から見ると「スプーンで口に運ぶ」だけに見えがちです。ところが現場に入ると分かります。あれはもう、ほぼ“職人芸”です。姿勢、首の角度、顎の位置、スプーンの入れ方、一口量、タイミング、飲み込みの確認、咽込みの兆候、口腔内の残留、疲労のサイン。そしてスプーンの引き方。気をつけるポイントが多過ぎて、脳内のメモ帳がパンクしそうになります。

しかも近年は、嚥下の評価や支援がどんどん進んでいて、専門職の助言が現場に降りてきます。これは本来、とても良いことです。安全が上がるから。けれど“良いこと”が、そのまま現場で“楽になる”とは限らない。ここが介護の難しさであり、面白さであり、そして時々しんどいところです。

ルールが増えるほど、事故が減る…はずなのに?

例えば「リクライニングは何度」「顎は引いて」「一口量はティースプーン」「スプーンはこの角度で」「トロミはこの硬さ」「交互にお茶はこう」みたいに、細かい指示が入ることがあります。理屈は全部正しい。正しいんですけど、ここで現場は静かに叫びます。心の声で。「それ、全員分ありますよね?」と。

利用者さんが1人なら覚えられます。2人でもいける。3人もたぶん気合いでいける。でも現実は、もっと多い。しかも日によって体調も違う。昨日は大丈夫だったのに今日は咽込む、今日は眠気が強い、今日は口が開き難い。つまり“条件が変わる暗記ゲーム”なんです。しかもミスの代償が大きいタイプのゲーム。いや、ゲームって言ったら怒られそうですが、現場の体感としては近いんです。難易度が高い上に、セーブができない。

結果として起きやすいのが、「完璧を目指すほど手が固くなる」現象です。慎重になり過ぎてテンポが落ち、食事時間が延び、周りの流れが押し、焦りが生まれ、焦りから手元が乱れ、食べこぼしが増える。ここで衣類が汚れ、口周りがベタつき、本人が不快になり、ケア側は申し訳なさで急いでしまい、食後の清拭や更衣が増え、結果として“二度手間の連鎖”が始まります。まさに悪循環。介護現場あるある界の、重鎮クラスです。

「横向きで臥床」は悪なのか?~現場の現実と理想の距離~

さらに話をややこしくするのが、姿勢の問題です。理想は、座位で安定し、頭頸部が整い、環境が静かで、介助者が正面から安全に介助できること。でも現実には、座位保持が難しい方もいますし、疲労が強くて起きていられない方もいます。結果として、横向きの臥床で食べるような場面が出ることもあります。

ここを単純に「ダメ」と切ってしまうと、現場は回りません。だからこそ大事なのは、“良い・悪い”の断罪ではなく、「その姿勢を選ぶ理由が何か」「代替案があるか」「安全を上げる小さな工夫が出来るか」を考える視点です。つまり、介助者の根性ではなく、環境と道具と段取りで助ける。これが第1章の“設計”の話と繋がってきます。

介助をラクにするのは「技術」よりも「共通化」と「見える化」

ここで、補足提案を混ぜるなら、解決の鍵は「介助の技術をさらに上げること」だけではありません。もちろん技術は大事。でも、技術って個人依存になりやすい。ベテランが神で、新人が苦しい構造になりがちです。だから現場を強くするなら、“誰がやっても大崩れしない仕組み”を作る方向が効きます。

例えば、利用者さんごとの注意点が、文章の長い記録の奥に埋もれていると、忙しい時間帯に参照できません。だから「一目で分かる形」に寄せる。食事席の周りに情報を置くかどうかは施設の方針や個人情報配慮がありますが、少なくとも介助者がサッと確認できる導線は作れます。頭の中で暗記し続ける方式は、脳みそに優しくない。介護者の脳みそを“記憶装置”として酷使しない設計にするだけで、ミスは減り、テンポも戻り、食事の空気が柔らかくなります。

そして意外と効くのが、「一口量の基準を、現場で揃える」ことです。同じ“ティースプーン1杯”でも、人によって山盛りだったり水平だったりしますよね。ここを揃えるだけで、咽込みや食べこぼしが減ることがあります。すごい改善に見えない。でも、こういう地味な改善が、結局、一番現場を救います。

食事介助は“勝てるゲーム”にできる

最後に、ちょっとだけユーモアで締めます。食事介助は、たまに理不尽な難易度のゲームに見えます。でも裏技があります。裏技というか、正攻法の強化です。やるべきことを増やすのではなく、やるべきことを「迷わない形」にする。迷いが減ると、手が落ち着く。手が落ち着くと、食べこぼしが減る。食べこぼしが減ると、更衣が減る。更衣が減ると時間が戻る。時間が戻ると、声掛けが丁寧になる。声掛けが丁寧になると、本人の表情が柔らかくなる。

つまり、食卓が“作業台”から“生活の場”に戻ってきます。

次の章では、この「生活の場」をさらに壊してしまう犯人、いわば“食べる前から病棟モード”問題に踏み込みます。エプロン、マスク、帽子、衛生の大切さは分かる。分かるけど、何故、空気が冷えるのか。どうすれば清潔と温かさを両立できるのか。そこを、ちゃんと一緒に考えていきます。


第3章…食べる前から“病棟モード”~エプロン・マスクで味が遠のく問題~

食事の時間になると、職員はエプロン、マスク、帽子を装備して出陣。利用者さんもエプロンを付け、姿勢を整え、テーブルの上にはコップとおしぼり、そして「本日のメニュー」が着地する。段取りとしては完璧です。衛生的で、事故も減らせそうで、誰が見ても“ちゃんとしている”。なのに、何故でしょう。空気が、ちょっと冷えるんです。

この違和感の正体は、味そのものより先に「雰囲気」が食欲を削ることにあります。人は食べ物を、舌だけで食べていません。目と鼻と耳と心で食べています。家庭の食卓って、実はすごく曖昧で、すごく温かい。多少の生活音があり、誰かが笑い、誰かがこぼし、誰かが「熱っ」と言いながら食べる。あの雑味こそが“生活の味”なんですよね。

ところが施設は、清潔を守るために“余計なもの”を排除していく。排除していくと、最後に残るのが「作業」になります。食事介助はケアであり、命を守る大切な仕事です。でも、見え方が作業になり過ぎると、本人が「食べている人」ではなく「処置を受けている人」になってしまう。これが“病棟モード”の怖さです。

清潔の正しさが空気を固くする瞬間

マスクや帽子やエプロンは、感染対策として意味があります。ここは大前提です。だから「やめましょう」なんて単純な話ではありません。問題は、正しさの積み重ねが、結果として“食事の楽しさ”を押し潰すことがある、という点です。

例えば、マスクで表情が見え難い。声も少しこもる。利用者さんは、相手の口元の動きを見て安心していることがあります。特に聴力が落ちた方や、認知症で不安が強い方ほど、表情の情報は大事です。そこが薄れると、食事の場が「安心できる場」ではなく「何かされる場」になりやすい。

さらに、エプロンが当たり前になると、本人側も“汚す前提”で食卓に座る感じになります。もちろん汚れは防ぐべきです。でも、毎回毎回「汚れますよー」という雰囲気を先に出されると、本人の誇りや気分が落ちることがあります。大人としての尊厳って、こういう小さな積み重ねで削れたり、逆に守れたりします。

大人数の食堂は実は「音」と「視線」が強過ぎる

第1章の“時間割”とも絡みますが、大人数の一斉食事は落ち着き難い。これは人間の性質です。食器の音、車椅子のブレーキ音、呼び掛け、咽込み、咳、介助の声、スタッフの足音。音が多いほど、集中力は散ります。集中が散るほど、嚥下は不安定になりやすい。つまり、空気がザワつくほど安全が落ちることもある。

しかも“視線”がきつい。食事って、本当はかなりプライベートな行為です。こぼすところも見られたくないし、口元が汚れるところも見られたくない。なのに食堂では、誰かの目が常にある。本人が気にしなくても、体が緊張することがあります。緊張すると、食欲は落ちます。落ちると、さらに介助が必要になり、介助が増えると、ますます“作業感”が増す。ここでも悪循環です。

「家庭的にしたい」より先に「安心できる顔」を戻す

ここで、提案を1つ。家庭っぽい演出を頑張る前に、まず“安心できる人の顔”を戻すことです。食事って、メニューより先に「誰と食べるか」で味が変わります。

感染対策は必要です。だからこそ、出来る範囲で“顔の情報”を補う工夫が効きます。例えば、声掛けの仕方を意識して、名前を呼び、短い言葉で安心を伝え、相手の反応を待つ。忙しい時ほど、声掛けが命綱になります。マスクで表情が隠れるなら、声の温度と間(ま)で補う。これは道具が要らない、今日から出来る改善です。

また、食事前の一言が変わるだけで空気が変わります。「はい、食べますよ」だと作業開始ですが、「今日の味噌汁、香り良いですよ」だと食事開始です。ほんの少しの言葉選びで、本人は“食べる人”に戻れます。介助者も“やる人”ではなく“伴走者”になれます。

清潔と温かさは両立できるコツは「整え過ぎない」こと

衛生は大事。でも整え過ぎると、空気が冷える。ここがジレンマです。両立のコツは「整え過ぎない」こと、つまり“生活の余白”を少し残すことです。

余白というのは、騒がしくすることではありません。例えば席の配置を少し工夫して、落ち着かない方は端にする、音が苦手な方は壁側にする、視線が気になる方は背中側の動線を減らす。大きな改革がなくても、席替えだけで表情が変わることがあります。食事の空気が穏やかになると、咽込みが減り、介助がラクになり、結果的に清潔も保ちやすくなります。ここ、意外とセットなんです。

そしてもう1つ。食後のケアまで含めて「食事の体験」と捉えること。口腔ケアや更衣が必要な方は、食事の終わりが“処理”になりがちです。だからこそ、終わりの声掛けを丁寧にして、「美味しかったですね」「頑張って食べましたね」と締める。これだけで“病棟モード”が薄れます。人は褒められると、次も頑張れるんです。食事も同じです。

次の章では、いよいよ一番踏み込みます。ご家族を食卓に呼ぶという、ちょっと大胆な作戦です。「そんなの現実的じゃない」と思う人ほど読んで欲しい。理想論ではなく、現場の手を増やし、本人の満足を上げ、職員の専門性も守る“協力プレイ”としての食事を提案します。食事の時間が、ただの忙しさではなく、「ここにいて良かった」に変わる道筋を一緒に作っていきましょう。


第4章…ご家族を召喚しても良いですか?~食卓を「協力プレイ」に変える作戦~

ここまで読んで、「つまり現場がもっと頑張れってこと?」と思った方がいたら、ちょっと待ってください。逆です。頑張りの総量を増やすのではなく、頑張りの配分を変える話です。食事は命の土台で、生活の中心で、しかも毎日3回やってくるビッグイベント。そのビッグイベントを、現場だけで背負い続ける設計が、そもそも無理ゲーになりやすいんです。

だから提案です。ご家族、召喚しても良いですか?もちろん魔法陣は描きません。描かないけど、考え方としては「食卓を協力プレイに変える」です。

「家族が来ると現場がやりづらい」~その気持ちは分かります~

最初に正直に言います。ご家族が食事の時間に来ると、現場は気を使います。介助がし難い、ペースが乱れる、衛生管理が増える、うっかりミスを見られるのが怖い。分かります。めちゃくちゃ分かります。だって食事介助って、ただでさえ難しいのに、横で見られると手が固くなるんです。料理人だって、背後霊みたいに覗かれたら味がブレます。介護職も同じです。

でもここで視点をひっくり返します。ご家族の“目”は、監視ではなく「安心の目」にもなり得ます。本人にとっては、家族がいるだけで落ち着くことがある。緊張が下がると嚥下が安定しやすい。表情が戻ると食欲も戻りやすい。つまり、ご家族は「追加の人手」以前に、「空気を柔らかくする装置」になれるんです。もちろん全員がそうではないし、事情もあります。でも可能性としては大きい。

ご家族が介助すると「専門性が下がる」じゃなく「役割が分かれる」

ここでよくある誤解があります。「ご家族に介助を任せたら、危ないんじゃないか」というもの。はい、危ない可能性はあります。だからこそ“任せる”ではなく“分担する”が正解です。

介護職は技術を持っています。嚥下のリスク、姿勢、量、テンポ、口腔内の確認、危険サインの察知。これは簡単に真似できません。一方、ご家族が持っているのは愛情と、本人の安心スイッチです。声の掛け方、好きな話題、食べる気持ちの引き出し方、生活の文脈。これは職員が短期間で完全には持てないものです。

つまり勝ち筋はこうです。介護職は「安全の監督」と「技術の要所」を担い、ご家族は「安心の土台」と「本人のペース作り」を担う。役割が分かれると、現場はラクになります。ご家族がいることで“むしろ丁寧になる”ケースも多い。丁寧になると事故が減り、事故が減ると二度手間が減り、二度手間が減ると時間が戻る。時間が戻ると、他の利用者さんの介助が落ち着く。ここまでが一本の流れです。

「ご家族が来られない問題」は責める話ではなく設計の話

もちろん現実は、全員のご家族が来られるわけではありません。距離、仕事、育児、体調、人間関係。いろいろあります。ここを「来ない家族はダメ」と切ると、施設も本人も不幸になります。だから設計として考えます。

例えば“毎日”でなくて良い。“週に1回”でも良い。“月に2回”でも良い。来られる人が、来られる時に、食事の場に関われる仕組みを作る。それだけで本人の満足が上がることがあります。さらに、その関わりが職員側の負担を増やし過ぎないように、導線とルールを整える。ここは現場の腕の見せ所です。

そしてもう1つ大切なのが「身寄りのない方」や「来られない方」を取り残さないこと。ご家族が来る人だけが得をする仕組みだと、空気が荒れます。なので、召喚作戦の本当の狙いはここです。ご家族が来て介助の一部を担ってくれると、その分、職員の手が空きます。空いた手で、来られない方へのケアを厚く出来る。つまり“ケアの再配分”が起こる。これが施設全体の質を底上げします。

クレームが怖い?なら「参加ルール」を先に作る

ご家族参加で最も心配されるのが、クレームや口出しです。これはゼロには出来ません。ですが、減らすことは出来ます。コツは、参加してもらう前に「やり方」を共有しておくことです。

食事介助は危険があること、姿勢や一口量に理由があること、焦るとリスクが上がること。こういう基本だけを、短い説明で先に伝える。しかも説教じゃなく、「一緒に安全にやるための共通言語」として渡す。すると、ご家族は“お客さん”から“チーム”に変わります。チームになれば、口だけの人は自然と参加しづらくなる。参加して汗をかいた人は、現場の大変さを理解してくれる。理解してくれる人が増えると、空気が変わります。

そして最後に、ちょっと笑いを入れて言うなら、食事介助は「観戦型スポーツ」ではありません。参加型です。観戦席からヤジだけ飛ばす人が増えると、現場は荒れます。だから観戦席は作らない。参加するなら安全ルールを共有して、一緒にやる。これが一番健全です。

食卓は“介護の戦場”じゃなく“生活の本丸”

食事を安全にする、清潔を保つ、時間を回す。全部大事。でも、食卓の真ん中に置きたいのは「この人が今日を気持ちよく過ごすこと」です。ご家族を呼ぶという提案は、現場を苦しめるためではなく、現場を救うためのものです。人手不足を気合いで埋める話ではなく、本人の生活を中心に据え直す話です。

次はいよいよ「まとめ」です。ここまでの話を、現場で使える形にギュッとまとめます。理想だけでなく、明日から1つでも雰囲気が変わるように、現実の手触りで締めにいきます。

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まとめ…食事はケアのど真ん中~今日から出来る小さな修正で空気が変わる~

施設の食事風景に「なんか変だぞ…」が混ざる理由は、誰かがサボっているからでも、誰かが悪いからでもありません。むしろ真面目に回しているからこそ、仕組みの癖がそのまま出てしまう。全員一斉の時間割、個人差を置き去りにしやすい提供の形、介助が暗記ゲーム化するほど増えるルール、清潔の正しさが空気を固くする病棟モード、そして“生活の中心”にいるはずのご家族が、いつの間にか遠くへ座らされてしまう構造。こうした要素が重なると、食事が「楽しみ」ではなく「イベント処理」になりやすいんです。

でも、ここで絶望しなくていいのが介護の面白いところです。食事の場は、少しの調整で空気が変わります。大改革を叫ぶより、設計の小さな修正が効く。まずは時間と量を“同じにしない勇気”を持つこと。最初から全部盛らず、途中追加を前提にするだけで、焦りが減ります。焦りが減ると、咽込みも食べこぼしも減り、食後の更衣や清拭の二度手間が減り、結果的に全体の時間が戻ってきます。戻った時間は、介助の丁寧さと声掛けの余裕に変換できます。ここが勝ち筋です。

介助の技術についても同じで、職員がさらに気合いで覚え込む方向だけが答えではありません。暗記ゲームはいつか限界が来ます。だから“迷わない形”に寄せる。共通化して、見える化して、誰が入っても大崩れしない。これを積み上げると、ベテランの神業に頼らなくても安全が保てる現場になります。新人が育つのも早くなるし、何より本人の食事が落ち着きます。食事が落ち着くと、生活全体の落ち着きも戻ります。食の安定は、生活の安定の入口なんですよね。

そして、清潔と温かさの両立。ここは「どっちか」ではありません。マスクやエプロンは必要な場面がある。だからこそ、声の温度や言葉の選び方、間(ま)、名前を呼ぶこと、ひと言の“美味しさ”の共有で、人の気配を戻していく。食べる前に「はい、開始」ではなく、「今日の香り、良いですよ」と言えるだけで、本人は“処置される人”から“食べる人”に戻れます。食事は舌で食べる前に、心で食べます。ここを思い出すだけで、食堂の空気は柔らかくなります。

最後に、ご家族の話です。ご家族参加は理想論に聞こえるかもしれません。けれど、これは現場を苦しめる提案ではなく、現場を救う提案です。介護職は技術を担い、ご家族は安心の土台を担う。チームになると、食卓は「戦場」から「生活の本丸」へ戻り始めます。もちろん来られない事情もある。だから責める話ではなく、来られる時に関われる仕組みを作る話です。関われる人が関わることで生まれた余力が、来られない方へのケアに回る。そうなった時、施設全体が底上げされます。

結局、食事は“ケアのど真ん中”です。安全も清潔も、時間管理も、全部その上に乗っています。でも忘れたくないのは、食事は命の燃料であると同時に、人生の楽しみでもあるということ。だからこそ、今日から出来る小さな修正で良い。1つ直すたびに、本人の表情が変わり、介助者の呼吸が楽になり、食堂の空気が少しだけ家庭に近づきます。

毎日パーティーみたいな食堂なら、どうせなら「楽しい方のパーティー」にしてしまいましょう。派手な飾り付けはいりません。必要なのは、食べる人のペースと気持ちが真ん中にある設計です。そこから先は、現場の皆さんの強さが一番発揮される場所です。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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