葬式は汗と涙と鼻水…マスクが減った冬でも困らない弔いの身支度

[ 冬が旬の記事 ]

はじめに…日常が戻りつつある今、弔いの場で「困る瞬間」は残っている

冬の街を歩くと、マスクの人はグッと減りました。コロナの話題も少しずつ遠ざかって、コンビニの入口で「アルコールお願いします!」と頭を下げ合う光景も、今では“たまに見る”くらいになりましたよね。ところが、いざお葬式となると話は別。式場の空気は厳かで、言葉は静かで、心は忙しくて、身体は何故か汗をかく。しかも涙と鼻水は、こちらの予定表を見てくれません。来る時は来ます。割りと突然、しかも容赦なく…。

さらに今でも、医療現場や介護現場の方は基本的にマスクがまだ日常です。つまり「普段は外してるけど、仕事では外せない」「葬儀でも人前では外しづらい」という、ちょっと複雑な立場の人が多い。これがまた、弔いの場での“困る瞬間”を増やします。汗を拭いたい、涙を拭きたい、鼻を噛みたい。でも動き過ぎると目立つ。目立ちたくない。でも放っておくと、マスクの中がしっとりしてくる。しっとりを越えると、もはや小さな温室です。冬なのに、口元だけ南国。人間って不思議です。

昔は、ハンカチ1つで何とかしていました。「泣く時は口元にそっとハンカチを添えるのが美しい」なんて作法もありました。でも今は、感染対策の名残や会場のルール、そして生活者の感覚が混ざり合って、弔いの場にも“新しい礼儀”が生まれています。だからこそ今回の記事では、お葬式の現場で起こりがちな「汗・涙・鼻水」のリアルをちゃんと認めつつ、恥ずかしさを減らして故人に集中できるような、ささやかな工夫をまとめていきます。

泣くのは悪いことじゃありません。むしろ、泣ける人は泣いた方が良い。けれど「泣きたいのに、マスクの中が気になって泣き切れない」みたいな、変な遠慮は出来るだけ減らしたい。読んだ後に、当日の自分が少しラクになって、隣の誰かにも少し優しくなれる。そんな“弔いの身支度”を、一緒に整えていきましょう。

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第1章…お葬式は感情と体力の総力戦――汗と涙と鼻水のリアル

お葬式は、静かな場所のはずなのに、何故かこちらは忙しく動き回ります。遺族側ならなおさらで、来てくださった方への挨拶、親族への声掛け、式場スタッフとの確認、急に発生する「それ今言う!?」という親戚トークへの対応。心は追いついていないのに足だけは働くので、気づけば背中にうっすら汗。冬なのに、喪服の下でこっそり夏が始まっています。

そして汗だけならまだしも、そこへ涙が来ます。故人の顔を見る瞬間、名前を呼ばれた瞬間、香の匂いを吸い込んだ瞬間、遠くから来た親族の声を聞いた瞬間。涙は本当に、こちらの都合を一切聞きません。さらに困るのが、涙の“相棒”として鼻水がついてくること。涙は美しいのに、鼻水は現実的です。急に現実が強くなって、「今だけは上品でいたいのに!」と心の中でツッコミを入れた方、きっと仲間です。

いつの間にか起きる「身体イベント」が多過ぎる

お葬式って、実は小さな身体イベントが連続します。室内は空調が効いているのに、入口付近は寒かったり、控室は暖かかったり。移動するたびに温度差があって、鼻が「どっち!?」と混乱します。乾燥で喉がいがらっぽくなって、咳払いをしたくなる。でも咳払いって、厳かな場では妙に響く。響くから我慢する。すると喉がさらに気になる。もう、身体のあちこちが小さな反抗期です。

しかも、涙を堪えようとすればするほど、逆に出ますよね。目が潤む➡まばたきが増える➡鼻がむずむずする➡鼻水が出る➡「今じゃない!」と心が叫ぶ。涙と鼻水の連携プレーは、何故あんなに完成度が高いのでしょう。チームワークだけは日本代表レベルです。

「深い縁ほど泣く」は自然なこと

故人と繋がりが深いほど、涙が多くなるのは当たり前です。思い出が多いほど、胸の中に“言葉にならない部分”が増えます。あの時の声、匂い、背中、笑い方。普段は生活の忙しさで押し入れにしまっているのに、あの場では全部が一気に開きます。だから、泣くこと自体は何も恥ずかしくありません。むしろ、泣けるだけの関係があった証拠です。弔いの場は「ちゃんと泣いて良い日」でもある。そこは、胸を張って良いところです。

ただし、泣いて良いのに困るのが、泣いた後の“顔面コンディション”です。涙で目が赤い、鼻が詰まる、呼吸が変になる。さらに、動き回って汗をかいているから、顔が妙にテカる。こうなると、自分の中のもう一人の自分が囁きます。「泣いてる姿は良いけど、テカりはどうなんだ」と。うるさいよ、もう一人の自分。

“ちゃんとしなきゃ”が強いほどしんどくなる

遺族側は特に「失礼がないように」「きちんとしなきゃ」と気を張ります。でも、気を張るほど身体は反応します。緊張すると汗は出るし、呼吸が浅くなるし、鼻も乾く。そこへ涙が来たら、鼻水が来る。これは性格の問題じゃなくて、身体の仕組みの問題です。だから、まずは最初に言っておきたいんです。「汗と涙と鼻水が出るのは普通です」。ここを受け入れるだけで、少しラクになります。

そして、ラクになった分だけ、故人に意識を向けられます。大事なのは、完璧な自分を演じることではなく、ちゃんと見送ること。次の章では、そこに“マスク”が絡むと何が起きるのか、そして「マスクが減った世の中」でも「現場では続く事情」を含めて、もう少し現実に踏み込みます。


第2章…マスクは減った、でも現場は続く――医療・介護の人が抱える“外せない事情”

街ではマスクが減りました。コンビニでも駅でも、素顔の人が増えて「お、世の中戻ってきたなあ」と感じます。ところが、お葬式の会場に入ると、また空気が変わるんですよね。マスクの人が一定数いる。しかも、その多くが「つけたいから」ではなく、「つけ慣れてしまったから」「つけないと落ち着かないから」、そして何より「仕事で外せないから」という理由だったりします。

医療現場や介護現場では、今も感染対策が“日常の作法”として続いています。相手が高齢者や基礎疾患のある方であれば、なおさら慎重になる。自分がうつらないためというより、「うつさないため」。この感覚が身体に染みつくと、休日に外を歩くときは外していても、いざ人が集まる場所、ましてや弔問の場では、反射的にマスクに手が伸びるんです。これ、意志というより習慣です。歯磨きと同じカテゴリーに入ってきます。

マスクがあると安心でも「中の世界」がつらい

ただ、ここからがお葬式の難しさです。第1章で話した汗と涙と鼻水が、マスクという小さな布の中に集まってしまう。冬なのに口元が蒸れる。涙で鼻が詰まる。鼻をすすりたい。でも音が出る。音が出るから我慢する。我慢した結果、呼吸が変なリズムになる。すると今度は「息苦しそうな人」みたいに見えてしまう。もう、弔いの場でやりたくない“変な目立ち方”が完成します。

しかも泣く時って、呼吸が乱れますよね。鼻がやられると口呼吸になる。でも口呼吸は乾く。乾くと咳が出そうになる。咳は響く。響くから、また我慢する。ここまで来ると、涙を流しているのか、呼吸トレーニングをしているのか分からなくなります。ご本人は必死なのに、身体は勝手に修行モードです。

「外す・外さない」問題は意外とデリケート

もう1つ、今の時代ならではの困りごとがあります。それが「マスク外す?どうする?」問題です。昔はそもそも選択肢がなく、皆が同じ顔で同じ空気を吸っていました。ところが今は、会場に入った瞬間から小さな分岐が始まります。

外す人は外す。つける人はつける。どちらも悪くないのに、本人の中では変に気を使うんです。「自分だけつけてると堅い人に見えるかな」「外してると無神経に見えるかな」。弔いの場で、そんな余計な心配を増やしたくないのに、増えます。増えるから、また汗をかく。人間、考え過ぎると汗をかく生き物なんですよね。

ここで大事なのは、葬儀の主役は故人であって、マスクの有無ではないということです。周りの人も、実はそこまで気にしていない。気にしているのは、だいたい本人だけ。だから、自分が落ち着ける方を選んで大丈夫です。落ち着けない状態で“正しそうに見える選択”をすると、体力と心が削れて、肝心の弔いが薄くなってしまいます。

女性の悩みが増えやすい「化粧と涙とマスク」の三つ巴

そして、ここは少しリアルな話。女性は特に、マスクの中が大変になりやすいです。涙が出ると目元が崩れ、汗で肌がテカり、マスクの擦れで頬が荒れる。さらに口元は見えないから安心かと思いきや、マスクを外す場面があると一気に不安になる。「今、外せって言われたら詰む…」と心がざわつくと、涙の量が増える。涙が増えると鼻もやられる。はい、無限ループです。

しかも冬は乾燥します。乾燥した肌に、摩擦と湿気が同居する。これは肌にとって、割りと過酷な環境です。喪服でただでさえ身動きが取りづらいのに、顔面のコンディションまで荒れると、もう“自分のことで手一杯”になりやすい。だからこそ、弔いの場では「自分が崩れ過ぎない工夫」を持っておくのが、優しさにも繋がります。自分が落ち着けば、周りにも優しく出来るからです。

「現場の人」の気遣いは見えないところで積み重なっている

医療・介護の人がマスクをつける背景には、本当にいろいろあります。日頃から守っているルール、職場の文化、そして「自分が媒介になりたくない」という責任感。これがある人ほど、葬儀の場でも自然と配慮が先に立ちます。だから、もし身近に現場の人がいたら、マスクの有無に意味を持たせ過ぎなくて大丈夫です。「気をつけてくれてるんだな」くらいに受け取って、後は故人の話を1つでも多く分かち合う方が、きっと場が温かくなります。

次の章では、式場側の工夫と、ここ数年で変わってきた“今時の流れ”を、少し具体的に覗いていきます。ここが分かると、「どう立ち回れば気まずくならないか」が見えてきて、当日の自分がグッとラクになります。


第3章…式場の工夫はどこまで進んだ?――動線・換気・会食の“いまどき”作法

お葬式の式場は、ここ数年で「見えない進化」を重ねてきました。見た目は同じように見えても、実は裏側の段取りが増えている。昔は“静かに厳かに”が中心だったのが、そこに“滞らないように、困らないように”が加わった感じです。
そしてその工夫は、遺族のためというより、弔問に来る人みんなが「余計な不安を抱えずに故人に集中できるように」という方向に寄っています。これ、地味だけど大きい変化です。

入口から始まる「迷子を作らない」流れ

会場に入った瞬間、まず迷うのが「どっちに行けばいいの?」問題です。受付は?記帳は?手を洗う場所は?控室は?
ここで人の流れが詰まると、空気がざわつきます。ざわつくと、遺族は落ち着かない。落ち着かないと、汗が出る。汗が出ると、また第1章に戻る。はい、ここでもループが発生します。

だから最近は、入口から受付までの導線を分かりやすくし、立ち止まりポイントを減らす工夫が増えています。案内表示が増えたり、スタッフがさりげなく誘導してくれたり、受付周りの配置が変わっていたり。こういう“さりげない親切”がある会場ほど、実は全体の空気が柔らかくなります。弔問客も遺族も、余計に緊張しなくて済むからです。

空気は見えないけれど空気が場を作る

換気って、誰も見ていないようで、体感には出ます。空気が籠もる会場は、何故か息が浅くなる。浅くなると涙が増える。涙が増えると鼻がやられる。鼻がやられるとマスクが湿る。湿ると息が苦しい。つまり、空気が籠もると「涙と鼻水の難易度」が一段上がるんです。弔いの場で、難易度を上げなくていいのに。

最近は、空調を回しつつ外気も取り込めるように工夫したり、扉の開閉のタイミングを決めて一気に空気を入れ替えたり、滞留しやすい控室や通路に風の流れを作ったりする会場もあります。古い建物ほど、空気が動き難いこともあるので、扇風機やサーキュレーターを使って「風の道」を作っているところもあります。見た目は地味でも、これがあると体感が違います。鼻も喉も、ちょっとだけ機嫌が良くなる。

「間隔」より大事なのは「詰まらせない」こと

少し前までは「間隔を空ける」が強く意識されていましたよね。今はそこまで厳格でない場面も増えましたが、代わりに大切になっているのが「人を同じ場所に長く溜めない」工夫です。例えば、受付が混むなら記帳の流れを短くする。焼香が詰まるなら、並び方を整える。控室がギュウギュウになるなら、案内のタイミングを調整する。こういう調整は、弔問客のストレスを減らし、遺族の汗も減らします。汗が減れば、化粧崩れも減る。結果として、場の品も保たれる。全部が繋がっています。

会食は「戻った」けれど「形を変えた」

お葬式の後の会食は、以前より戻ってきた印象があります。ただ、完全に昔の形に戻ったかというと、そうでもない。規模を控えめにしたり、時間を短くしたり、持ち帰りにしたり、折衷案が増えました。これは単に感染対策の名残というだけじゃなくて、遺族側の体力を守る意味も大きいんです。

会食は、有り難いけれど、遺族にとっては“もう一仕事”でもあります。気を張って挨拶して、気を回して、お酒の席の空気にも配慮して。終わった頃には、身体の中の電池が空っぽになっていることも少なくありません。だから、形を少し変えることで「ちゃんとお礼を伝えつつ、遺族が倒れない」ようにする。これは良い進化だと思います。

ただし、持ち帰りが増えると別の現実も出ます。季節によっては食べ物の管理が難しいこともある。冬は夏より安心と思いがちですが、暖房の効いた車内や室内は意外と温かい。受け取った側が「帰宅までの時間」を考えておくと、最後まで気持ち良く終われます。弔いの場は、最後の最後まで“ちょっとした配慮”が美しさになります。

遺族の負担を減らす工夫は遠慮せず頼っていい

式場側が用意してくれるものも増えました。例えば、こまめに手を拭けるもの、控室の飲み物、スタッフの声掛け、案内の一言。こういうものに対して、遺族は「済みません、済みません」と言いがちですが、ここは遠慮し過ぎなくて大丈夫です。弔いの当日は、遺族が頑張り過ぎる日ではなく、故人を見送る日です。頑張り過ぎて倒れたら、故人も心配してしまいます。

次の章では、いよいよ「当日の自分を救う小道具」の話に入ります。ハンカチだけでは足りない日がある。足りないなら、堂々と増やせばいい。弔いは真面目に、準備はちゃっかり。これが一番平和です。


第4章…ハンカチだけでは足りない日もある――恥ずかしさを減らす持ち物と小さな所作

お葬式当日って、気持ちの準備はしていても、身体の準備は抜けがちです。故人を思う気持ちは胸いっぱいなのに、鼻は何故か乾燥でムズムズ、目は何故か先に潤み、喪服の中は何故か温室。そして、こういう日ほど「ハンカチは持った。よし!」で終わらないのが現実です。ハンカチは確かに大事。でも、ハンカチ1枚で汗と涙と鼻水の全部門を担当させるのは、さすがに酷です。ハンカチにも得意不得意があります。万能選手に見えて、実は専門職です。

“音”と“動き”を小さく出来ると心が落ち着く

弔いの場で一番気になるのは、実は「目立ちたくない」という気持ちです。泣くこと自体は自然なのに、鼻をすする音、ティッシュをガサガサ出す音、立ち上がるタイミング、席を外す動き。こういうものが重なると、「私、今うるさい?」「私、今浮いてる?」と自分を意識してしまいます。でも、故人に意識を向けたい日に、自分の動作が気になって仕方ないのは、勿体ない。だから“音と動き”を小さく出来る準備が、実は一番効きます。

例えばティッシュ。箱のティッシュを持っていく人はいませんが、ポケットティッシュは持っていく。でもポケットティッシュは、涙と鼻水が本気を出した日に足りないことがあります。足りなくて追加を探すと、バッグの中でガサゴソ。ガサゴソが気になって涙が止まる。涙が止まると、今度は故人の顔を見てまた涙が出る。忙しい。
だからこそ、必要なものが取り出しやすい状態になっているだけで、場の中の自分がグッと安定します。

マスクがある日は「内側」と「外側」で役割分担すると楽になる

マスクをつけていると、泣いた時に困るのが“内側の湿気”です。ここをハンカチでどうにかしようとすると、動作が大きくなりがちで、さらに化粧も崩れやすい。そこでおすすめなのは、発想として「内側は小さく整える、外側は綺麗に保つ」という役割分担です。

内側は、呼吸と湿気のケアが中心になります。外側は、涙を拭く、汗を抑える、見た目を整えるが中心。ここを分けると、気持ちがラクです。何でも1枚でやろうとすると、どうしても“グシャグシャの布”が誕生します。グシャグシャの布は、悲しみを受け止め過ぎて、だんだん現実味が増します。現実味が増すと、こちらの心も現実に引っ張られてしまう。だから分ける。分けると穏やかです。なるべく、柔らかいティッシュ、こまめに捨てる…これも方法の1つです。

女性の“詰み”を防ぐのは実は「直す前提」を持つこと

女性の悩みは、泣いた後に「化粧が…」と気になること。気になると、泣くのを我慢してしまう。泣くのを我慢すると、喉が詰まる。喉が詰まると息が浅くなる。息が浅いとさらに落ち着かない。もう、優しい弔いが遠ざかってしまいます。ここで大事なのは、“崩れる前提”で小さく直せるようにしておくことです。

大きく直す必要はありません。全部を完璧に戻すのではなく、「自分が安心できる程度」に戻す。それだけで良い。例えば目元がどうしても気になるなら、鏡で一瞬確認できるだけでも違います。手元が綺麗なら、それだけで落ち着きます。口元は見えない場面が多いからこそ、逆に“頬のテカり”だけ抑えると安心する。こういう「最小限の安心」が、泣くことを邪魔しなくなります。

席を外すのは失礼じゃない~「戻ってくる」ことが礼儀になる~

泣き方が本気になった時、席を外したくなる瞬間があります。鼻が限界、喉が限界、呼吸が限界。でも、弔いの場で席を立つのは勇気が要りますよね。「失礼かな」と思う。けれど、無理してその場で限界を迎えるより、少し席を外して整えて戻ってくる方が、結果として丁寧です。

大切なのは“戻ってくる”ことです。席を外すこと自体より、戻ってきて故人の前に静かに座り直す、その姿が礼儀になります。もしタイミングが難しければ、焼香の流れや移動のタイミングに合わせれば良い。誰かが動く時に一緒に動けば、目立ち難い。こういう“小さな工夫”は、派手さはないけれど、当日の自分を助けます。

「準備」は冷静、「気持ち」は温かくでいい

お葬式は真面目な場です。でも、準備まで真面目すぎなくていい。むしろ準備は現実的でいい。泣くかもしれない、汗も出るかもしれない、鼻もやられるかもしれない。なら、対策を用意する。それは故人への気持ちが薄いからではなく、故人に集中するための段取りです。段取りが整うと、心は自由になります。

次はいよいよ「まとめ」で締めます。主役は故人、そして残された人が“明日を生きる”ために、弔いの場をどう終えると気持ちが整うのか。最後は、泣いても良い、整えても良い、そんな着地点を一緒に作りましょう。

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まとめ…主役は故人、気づかいは静かに――「泣いていい日」を守るために

お葬式は、故人を見送るための最後の時間です。厳かで、静かで、心の中に言葉がたくさん生まれてくる場所。けれど同時に、現実の身体はとても正直で、汗も出れば涙も出るし、鼻水だって平然と参加してきます。冬でも、です。この「心は弔い、身体は現場」というズレがあるからこそ、当日の自分はしんどくなりやすい。でも、それはあなたが弱いからではなく、人間がちゃんと反応している証拠です。

街ではマスクが減りました。けれど医療や介護の現場では、今も続く日常があります。だから弔問の場でも、付ける人、外す人、どちらもいる。その違いに意味を持たせ過ぎると、主役がいつの間にか“自分の見え方”になってしまいます。弔いの主役は故人で、あなたはその時間を大切にしに来た人です。自分が落ち着く選択をして大丈夫。落ち着いた心の方が、故人に向ける言葉も、思い出す表情も、きっと丁寧になります。

式場の工夫も、昔とは変わってきました。人の流れを詰まらせない配慮、空気をこもらせない工夫、会食の形を柔らかくする流れ。表に出ない変化が増えた分、私たちも「無理に全部を抱え込まなくていい」時代になってきています。頼れるものは頼って良い。整える時間を作って良い。席を外しても、戻ってくればそれが礼儀になる。そう考えると、当日は少しラクになります。

そして何より、ハンカチ1枚で全部を背負わせないこと。これ、地味ですが効きます。弔いの場は、泣いていい日です。なのに「泣き方の体裁」や「音」や「顔面の状態」に気を取られて泣き切れないのは、ちょっと勿体ない。準備は現実的に、気持ちは温かく。涙が出るなら出して良い。整えたくなったら整えて良い。弔いの場で大事なのは、完璧な自分でいることではなく、故人に向けてちゃんと心を置くことです。

最後に、少しだけユーモアで締めます。汗と涙と鼻水が同時に来た時、マスクの中は確かに小さな温室になります。でも、それは「あなたが真剣にその場に立っている」という証拠でもあります。泣いて、整えて、深呼吸して、また故人の方を向く。それで十分です。今日のあなたが守るべきものは、体裁ではなく“弔いの時間”そのもの。
どうか、あなたの大切な人とのお別れが、静かに、温かく、そして少しだけラクに進みますように。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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