変わりたいのに今日もいつも通り!~惰性の春を動かす小さな寄り道のすすめ~

[ その他・雑記 ]

はじめに…桜が咲くと心だけが急ぎ出す?~「このままで良いのかな」が聞こえる春~

春の朝、窓を開けると、昨日より少しやわらかな風が入ってきます。道ばたには新しい花が咲き、入学や就職の話が聞こえ、町全体が「さあ、始めますよ」と動き出したように見える季節です。

そんな景色を眺めていると、心の奥から小さな声が聞こえることがあります。

「私も、何か変えた方が良いのかな」

けれど、頭では心機一転を思い描いても、体はいつもの椅子に座り、手はいつもの飲み物を選び、帰り道ではいつもの店へ向かいます。変わりたい私と、今日は疲れている私が、心の中で一進一退。春なのに、こちらの芽はまだ布団を被っています。おーい、そろそろ朝ですよ、と自分に声をかけても返事はありません。

それでも心配はいりません。

「このままで良いのかな」と感じた時点で、心はもう次の景色を探し始めています。

毎日が同じように見えるのは、何もしてこなかったからではありません。仕事や家事、人付き合いをこなしながら、暮らしを崩さないように歩いてきた証でもあります。惰性という言葉には少し後ろ向きな響きがありますが、考えずに続けられる習慣があるからこそ、私たちは忙しい日々を無事に渡っていけます。

ただ、その流れの中で心が少し窮屈になったなら、大きく人生を変える必要はありません。朝の過ごし方を少し変える。いつも通らない道を歩く。気になっていたことを1つだけ試す。その程度の寄り道でも、見慣れた1日に新しい風は入ってきます。

桜も、号令を聞いて一斉に咲くわけではありません。日当たりや気温に合わせて、それぞれの頃合いで花を開きます。人の変化も同じです。周りより早いか遅いかではなく、自分の中にある小さな芽に気づけるかどうか。

春に急かされるのではなく、春をキッカケに、自分の足元を少し面白がってみる。そこから始まる変化なら、肩に力を入れなくても長く付き合っていけそうです。

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第1章…惰性は怠けではありません~毎日を守ってきた心の自動運転~

朝、目覚ましを止めて、顔を洗い、いつもの場所に置いたカップを手に取る。玄関を出れば同じ道を通り、買い物では見慣れた商品へ自然に手が伸びます。

途中で「今日は違うものにしよう」と思ったはずなのに、家に帰って袋を開ければ、やっぱりいつもの顔触れ。豆腐、卵、納豆。冷蔵庫の中だけは初志貫徹です。いや、変わらないのは私の方でした。

こうした繰り返しを見ると、「何となく毎日を過ごしている」「惰性で動いている」と、自分を責めたくなるかもしれません。

けれど、決まった行動を考えずに続けられるのは、人が暮らしを守るために身につけた大切な働きです。朝から靴の履き方や歯ブラシの持ち方まで真剣に悩んでいたら、家を出る前に1日の集中力を使い切ってしまいます。駅へ着いた頃には、もう夕方の顔になっているでしょう。

習慣には、考える手間を減らし、心と体を疲れにくくする役目があります。忙しい日も、少し気分が沈んだ日も、いつもの手順があるから暮らしは大きく崩れません。

惰性に見える毎日の中には、自分を今日まで運んできた立派な生活の知恵が隠れています。

仕事へ行く。食事を用意する。家族へ声をかける。洗濯物をたたむ。目立つ出来事ではなくても、それらを日々続けることは決して簡単ではありません。平穏無事な1日ほど、終わってみれば何もしていないように感じますが、実際には細かな判断と気配りの積み重ねです。

変化が欲しくなると、人は今までの暮らしを全部否定したくなることがあります。

「同じ毎日だから面白くない」

「もっと行動できる人にならなくては」

そんな気持ちが湧いても、今ある習慣を敵に回す必要はありません。長く続いているものには、続いてきた理由があります。安心できる。手間が少ない。失敗しにくい。自分の体力や生活に合っている。そこには試行錯誤の末に辿り着いた、自分なりの正解が含まれています。

ただし、自動運転は便利な反面、景色を見落としやすくもなります。

いつからか楽しみより面倒が勝っている。誰かに合わせることが当たり前になっている。嫌だと感じながらも、変える方法を考えなくなっている。そんな小さな違和感が現れた時は、習慣を壊すのではなく、少しだけ点検する頃合いです。

車の自動運転でも、目的地を決めるのは運転する人です。暮らしの習慣も同じで、任せてよい道と、自分でハンドルを握り直したい道があります。

毎朝同じ飲み物を選ぶのは心地よい。でも、気が進まない誘いに毎回答えるのは苦しい。いつもの店へ行くのは楽でも、やりたいことを「また今度」にする癖は少し寂しい。

全部を変えなくても、気になるところを一つ見つければ十分です。日常茶飯の中に混じった小さな引っかかりは、暮らしをもっと自分らしく整えるための合図になります。

惰性は、人生を止める重りではありません。疲れた日にも前へ進めるよう、足元に敷かれた動く歩道のようなものです。その上で時々顔を上げ、「この方向で良いかな」と景色を確かめる。それくらいの付き合い方が、ちょうど良いのかもしれません。


第2章…変わりたいのに動けない~心のブレーキは臆病者ではなく安全係~

「明日から少し早起きしよう」

夜の自分は、なかなか頼もしいものです。目覚まし時計を早めに設定し、朝の時間に読書でもしようと考えます。ところが翌朝、鳴り響く音を止めた手は、そのまま迷いなく布団を引き上げます。

昨日の決意はどうしたのでしょう。

寝ています。決意まで二度寝です。

変わろうとすると、心の中には必ずと言って良いほど「ちょっと待った」と声を上げる自分が現れます。

新しい習慣を始めたい。でも続かなかったら恥ずかしい。仕事を変えてみたい。でも今より大変になるかもしれない。誰かに気持ちを伝えたい。でも関係がぎくしゃくしたら困る。

こうして期待と不安が綱を引き合い、気づけば一歩も動いていない。本人は前進したいのに、心の会議だけが用意周到に長引いていきます。議題は「変わるかどうか」。結論は「次回へ持ち越し」。なかなか立派な会議運営です。

けれど、そのブレーキは意志の弱さだけで生まれるものではありません。

人の心には、慣れた環境を安全だと感じ、急な変化を避けようとする働きがあります。新しいことには、結果が分からない怖さがついてきます。時間や体力を使うかもしれません。周囲の反応が変わることもあります。

現状維持を選びたくなるのは、心が怠けているからではなく、自分を危険や疲れから守ろうとしているからです。

動けない時の心は、あなたの邪魔をしているのではなく、安心して進める道を確かめています。

車のブレーキも、走るために必要なものです。止まれない車には、怖くて乗れません。心も同じで、不安を感じられるからこそ、無理な方向へ飛び出さずに済みます。

ただ、安全係が働き過ぎると、少し困ったことも起こります。

朝の散歩を始めようとすると、「天気が崩れるかもしれない」。新しい服を着ようとすると、「似合わなかったらどうしよう」。気になる講座へ申し込もうとすると、「道に迷うかもしれない」。

最後には、「今日は家にいるのが安全」という申し分のない結論へ到着します。確かに安全です。冷蔵庫も近い。お茶もある。もう反論しにくい布陣です。

そんな時は、ブレーキを無理に外すのではなく、安全係へ小さな計画を渡してみます。

散歩なら、遠くまで歩かず家の周りを5分だけ。新しい服なら、まずは近所への買い物で着てみる。講座が気になるなら、申し込む前に日程や場所を見るところまで進める。

変化を細かく分ければ、心が警戒する範囲も小さくなります。「人生を変える」と考えれば身構えても、「今日は1つ確かめる」なら、案外すんなり動けるものです。

途中でやめても構いません。合わないと分かったなら、それも大切な発見です。続けられなかった経験は失敗の札ではなく、自分に合う歩幅を知るための目印になります。

変わりたい気持ちと、今を守りたい気持ちは、どちらも自分の本音です。片方を追い出すのではなく、2つを連れて歩く。期待が前を見て、不安が足元を確かめる。その組み合わせなら、勢いだけで飛び出すよりも、長く進んでいけます。

春の芽も、土を押しのけて突然飛び出すわけではありません。見えないところで根を伸ばし、気温や光を確かめながら、頃合いを待っています。

まだ動けていないように見える日にも、心の中では準備が進んでいるのです。

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第3章…人生を動かすのは大決心より「いつもと少し違う」一手

休日の朝、「今日こそ部屋をスッキリさせよう」と立ち上がったのに、気づけば古い写真を眺めています。

片付けるはずが、思い出旅行へ出発。しかも参加費無料、帰宅時刻未定です。

何かを変えようとする時、人はつい大きな目標を掲げます。部屋を全部、綺麗にする。毎日運動する。苦手な人とも上手に付き合う。新しい自分になる。

一念発起した瞬間は、何でも出来そうな気がします。けれど、目標が大きいほど、始める前に必要な準備も増えていきます。

片付けるなら収納用品が必要かもしれない。運動するなら服や靴を揃えたい。新しいことを学ぶなら、まず時間を作らなくてはならない。

こうして準備を考えているうちに、お昼になります。お腹が空いたので少し休憩。食後は眠くなり、「続きは明日で良いか」となります。まだ何も始めていないのに、計画だけは壮大です。

人生を動かすキッカケは、立派な決意でなくても構いません。

机の引き出しを一段だけ開ける。玄関の外へ出て、家の周りを少し歩く。気になっていた人へ、短いメッセージを送る。いつもの服に、普段は選ばない色を1つ足してみる。

変化は、今の暮らしを捨てることではなく、いつもの動きをほんの少しズラすことから始まります。

小さな行動には、始めやすいという良さがあります。途中で疲れても、大きな後悔にはなりません。思ったほど楽しくなければ、元へ戻ることも出来ます。

戻ったからといって、振り出しではありません。

実際に試したことで、「これは好きではなかった」「この時間帯なら続けやすい」「1人より誰かと一緒の方が楽しい」と、自分について分かることが増えています。それは失敗ではなく、試行錯誤の途中で手に入れた道案内です。

変化を続ける人は、最初から迷わない人ではありません。少し動き、違ったら直し、疲れたら休みながら、自分に合う形を探しています。

早起きを始めて3日で終わっても、4日目に起きられなかっただけです。3日分の朝は、ちゃんと味わっています。三日坊主という言葉は少し厳し過ぎます。3日も続いたなら、坊主というより小さな修行僧です。なかなか立派ではありませんか。

「千里の道も一歩から」ということわざがあります。

ただ、その一歩は大股でなくて良いのです。足先を少し前へ出すだけでも、立っていた場所とは違う景色になります。

昨日と違うお茶を選ぶ。帰宅してすぐ座る前に、窓を1枚だけ拭く。いつも断っていた誘いに「少しだけなら」と答える。

その程度の一手でも、「私は自分で選べた」という感覚が残ります。この小さな手応えが、次の行動を呼び込みます。

桜の枝も、一晩で満開になるわけではありません。一輪が開き、その隣が続き、気づいた頃には景色全体が変わっています。

暮らしも同じです。

今日の一手は、誰かに見せるほど華やかでなくても大丈夫です。自分にだけ分かる小さな違いが、やがて「少し変わってきたかも」と笑える春を連れてきます。


第4章…三日坊主でも元に戻っても大丈夫~変化は何度でも始められる~

新しい習慣を始めて数日。朝の散歩も順調で、「これは続くかもしれない」と思った矢先に雨が降ります。

翌日は少し寝坊。その次の日は足が重い。

気づけば、玄関に用意した運動靴が静かにこちらを見ています。責めてはいないはずなのに、妙に視線が痛い。靴なのに、無言の圧がなかなか上手です。

一度途切れると、「もう続かなかった」と感じてしまうことがあります。折角、始めたのに元へ戻った。自分には根気がない。今度こそと思ったのに、また同じだった。

けれど、変化は一本の長い線ではありません。

進む日もあれば、止まる日もあります。気分よく続く週もあれば、忙しさに押されて忘れる週もあるでしょう。それでも、一度試した経験まで消えるわけではありません。

散歩を3日続けた人は、3日分の空気と景色を知っています。料理に挑戦して焦がした人は、火が少し強かったことを覚えています。早起きに失敗した人は、自分が何時に寝ればつらくなりにくいかを考えられます。

元に戻ったように見える時も、経験を持った自分まで昔の場所へ戻ることはありません。

七転八起という言葉は、7回転んでも8回立派に立ち上がれ、という根性比べではないのでしょう。転んだまま少し休み、「さて、そろそろ起きますか」と膝の土を払う。その繰り返しも、十分に前進です。

毎日続けることだけを成功にすると、暮らしは急に窮屈になります。

体調が悪い日にも運動する。疲れているのに勉強する。予定が詰まっていても決めた手順を守る。それでは、新しい習慣が自分を助けるものではなく、自分を見張る監督になってしまいます。

朝の散歩を休んだだけなのに、頭の中の監督が「気合いが足りない!」と笛を吹く。こちらは選手であり、観客であり、ついでにグラウンド整備まで担当しています。少々、人手不足です。

続けやすい変化には、休んだ後に戻れる場所があります。

毎日歩くのが難しければ、天気の良い日に歩く。30分が重ければ、玄関の外へ出るだけでも良い。読書が止まったなら、1冊読み切ることより、気になるページを開くことから再開する。

その日の事情に合わせて形を変える臨機応変さは、逃げではありません。無理なく続けるための知恵です。

「また止まるかもしれない」と思っても、始めて構いません。止まった時には、その場所から始め直せます。再開の日を月曜日や月初めまで待つ必要もありません。水曜日の午後でも、夕飯の後でも、「少しやってみよう」と思った瞬間が新しい入口です。

咲き始めた桜が寒さで足踏みするように、人の変化にも待つ時間があります。それでも暖かな日が来れば、花は続きを咲かせます。

途切れたことより、また動きたくなった気持ちを大切にする。変化は一度キリの試験ではなく、何度でも参加できる暮らしの小さな催しなのです。

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まとめ…桜は同じ日に咲かなくて良い~今日の小さな寄り道が明日の景色を変える~

春の道を歩いていると、満開の桜の隣で、まだ固い蕾をつけた枝に出会うことがあります。

どちらが遅れているわけでも、頑張りが足りないわけでもありません。日当たりや風の当たり方が違えば、花を開く日は変わります。人の歩みも十人十色です。

周りが新しい仕事を始めたり、習い事へ通ったり、暮らしを大きく変えたりすると、自分だけが取り残されたように感じる日もあるでしょう。

こちらは昨日と同じ朝ご飯を食べ、昨日と同じ服を着て、昨日と同じ道を歩いている。「私の春、配達が遅れていませんか」と問い合わせたくなりますが、送り状番号は見つかりません。

それでも、「少し変わりたい」と思えた心は、もう眠ったままではありません。

惰性に見えた毎日は、自分を支えてきた生活の土台でした。動けない時に働いていた心のブレーキも、無理な飛び出しを防ぐ安全係です。その土台を壊したり、ブレーキを外したりしなくても、暮らしの向きを少し変えることは出来ます。

いつもと違う道を選ぶ。気になっていた本を数ページ読む。会いたい人へ短い言葉を送る。疲れた日は休み、気が向いた日にまた始める。

一進一退を繰り返しても、その都度、自分に合う歩幅が少しずつ見えてきます。上手くいった日だけでなく、やめた日や戻った日も、これからの選び方を育ててくれる時間です。

変わることは、昨日までの自分を捨てることではなく、今日の自分に新しい選択肢を1つ渡すことです。

その選択肢を使わない日があっても構いません。ポケットに入れて持っているだけで、心には少し余裕が生まれます。そして「今日はやってみようかな」と思った日に、そっと取り出せば良いのです。

春の風は、背中を押す日もあれば、正面から吹いて髪をぐしゃぐしゃにする日もあります。折角、整えたのに、と空を見上げて笑えたなら、それも立派な春の一場面でしょう。

満開を急がなくても、蕾は蕾のままで季節を感じています。

今日、いつもの道で一度だけ空を見上げた。それだけでも、昨日とは少し違う一日です。その小さな寄り道の先に、まだ知らない自分の景色が待っています。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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