使い捨ては悪者じゃない?~ステハジの日に考える「捨てない心」~

[ 季節と行事 ]

はじめに…ゴミ箱の前で3秒止まると暮らしが少し違って見える

ゴミ箱のふたを開けて、手に持った物をポイッ。その瞬間、「あれ、これって本当に捨てるしかないのかな?」と思った経験はないでしょうか。食品の容器、少し古くなった服、使い終わった日用品。毎日の暮らしはとても便利になりましたが、その便利さと一緒に「使ったら捨てる」という動作まで、随分と自然なものになりました。

6月8日には「ステハジの日」があります。「使い捨ては恥ずかしい」という考えから、身の回りの捨てる文化について考えてみようという日です。名前だけ聞くと、ゴミ箱の前で反省会を始めなければならないような雰囲気もありますが、そんなに肩肘張る必要はないでしょう。「今日から何も捨てません!」と宣言したら、数日後には家の中が物でいっぱいです。家族から先に捨てられそうです。いや、それは困ります。

私たちの暮らしには、捨てることが必要な場面もたくさんあります。衛生のため、安全のため、時間を守るため。医療や介護となれば、一度使った物を処分することが人を守る場合さえあります。何でも残せば立派、何でも再利用すれば正解という単純明快な話ではありません。便利さを全部手放してしまえば、今度は暮らす人の負担が増えてしまいます。

それでも、捨てる瞬間にほんの3秒だけ考えることは出来ます。「まだ使えるかな」「誰かが使えるかな」「次は少し長く使える物を選ぼうかな」。そんな小さな試行錯誤なら、生活を窮屈にしません。大切なのは、捨てない人になることではなく、何でも無意識に捨てる人にならないことです。

物を大切にする気持ちは、人への気遣いとも少し似ています。効率だけを追いかけていると、手間のかかる物だけでなく、待つ時間や声を掛ける時間まで邪魔に見えてしまうことがあります。捨てて良い物と、残しておきたいもの。その境目を時々、考えてみるだけでも、日々の景色は少し変わります。

ステハジの日を、壮大な地球救出作戦の日にしなくても構いません。冷蔵庫の奥の野菜を今夜のおかずにする。気に入った服をもう一年着る。使える物をすぐ買い替えない。そんな一歩なら今日から出来ます。ゴミ箱の前の3秒は短い時間ですが、その3秒から始まる小さな心機一転なら、ちょっと面白そうではありませんか?

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第1章…便利は敵じゃない~捨てる暮らしを悪者に出来ない理由~

「使い捨てを減らそう」と聞くと、何となく使い捨てそのものが悪者のように見えてきます。でも、朝から晩まで私たちの生活を眺めてみると、話はそれほど単純ではありません。仕事へ急ぐ朝に買った飲み物、外出先でもらったおしぼり、疲れて帰った夜に助けてもらうお弁当の容器。そこには「楽をしたい」だけではなく、時間を守ったり、衛生を保ったり、今日という1日を無事に回したりする役割があります。

エコバッグを持って買い物へ行き、レジ袋を断って「今日はちょっと環境に優しいぞ」と満足する。ところが家に帰って袋から出してみれば、食品トレー、包装フィルム、フタ付き容器が次々と登場します。「袋1枚は断ったんですが……皆さんはどちらから?」と、台所でプラスチック軍団に囲まれることになるわけです。個人が少し気をつけるだけでは避けにくいほど、便利な暮らしと使い捨ては深く結びついています。

だからといって、「どうせ減らせないのだから気にしなくて良い」と開き直る必要もありません。便利さには一長一短があります。忙しい日に使い捨てを利用することと、まだ使える物を何となく捨てることは同じではありません。必要な便利さは受け取り、減らせるところは少し減らす。そのくらいの臨機応変さが、長く続けるにはちょうど良さそうです。

食品だって似ています。少し残ったキャベツを「いつか使う」と冷蔵庫へ入れ、その「いつか」が来ないまま数日後に再会することがあります。しんなりした葉を前にして、「お久しぶりです」と挨拶している場合ではありません。本当に必要なのは罪悪感ではなく、次に半玉を買うのか、少量を選ぶのか、残った日にスープへ入れてしまうのかという小さな工夫です。暮らしの中で使い捨てを完全になくすより、無駄になりそうな瞬間を1つずつ拾う方が現実的でしょう。

「捨てないぞ」と意気込み過ぎて、包装紙も空き箱も紙袋も全部しまい始めれば、今度は押し入れが悲鳴を上げます。残すことそのものが目的になれば、本末転倒です。ことわざにも「過ぎたるは及ばざるが如し」とあります。捨て過ぎても困るし、残し過ぎても困る。その中間に、自分の暮らしに合った場所を見つければ良いのです。

便利さを手放すことより、便利さに流されっ放しにならないことの方が、ずっと大切です。今日は使い捨てを選ぶ。でも、明日は詰め替えを選んでみる。壊れた物は買い替える。でも、まだ十分使える物ならもう少し付き合ってみる。そんな選択が重なれば、「捨てるか、捨てないか」という白黒だけでは見えなかった暮らしの余白が生まれます。

ステハジの日は、自分の生活を採点する日ではありません。「これは必要だった」「これは減らせそう」と気づく日にするくらいがちょうど良いでしょう。完璧な人を目指さなくても、昨日より1つ選び方が変われば、それだけで暮らしは少し前へ進みます。


第2章…命を守る使い捨て~医療と介護には「捨てる正解」もある~

病院や介護施設に「使い捨てを全部やめましょう」と書いた紙を持って入ったら、たぶん数秒後には静かに引き返したくなります。注射器、ガーゼ、マスク、手袋、エプロン、尿カテーテル(尿を体外へ出すための管)など、人の体や排泄物に直接触れる物がたくさんあるからです。そこでは「もったいない」より先に、感染を防ぎ、安全にケアすることが求められます。

介護の現場も同じです。紙おむつや使い捨て手袋、口腔ケア用品などは、単に職員が楽をするために置かれているわけではありません。清潔を保ち、利用する人と支える人の双方を守り、限られた時間の中で必要なケアを続けるための道具でもあります。何でも洗って何度も使えば立派に見えるかもしれませんが、それで衛生や安全が揺らいでは本末転倒です。

少し不思議なのは、同じ「捨てる」という行為でも、場所が変われば意味まで変わることです。昨日、買ったのに飽きた服を捨てるのと、ケアを終えた手袋を交換するのでは事情がまるで違います。前者には立ち止まれる余地がありますが、後者は人を守るための必要な交換です。捨てる物を全部ひとまとめにして悪者にするより、何のために使い、何故、処分するのかを見る方が適材適所の考え方でしょう。

ただし、使い捨てが日常になるほど、もう1つ気をつけたいものがあります。それは「人まで作業の一部にしないこと」です。手袋は交換しても、声掛けまで使い捨てにする必要はありません。エプロンは処分しても、食事を終えた人への「美味しかったですか?」まで省略しなくて良い。紙おむつを交換する場面だって、そこにいるのは「交換の対象」ではなく、恥ずかしさも安心も感じる1人の人です。

忙しい時間帯になると、この境目は意外にあっさり消えます。「次、行きます」「はい、終わりました」と職員の頭の中では段取りが高速回転。気づけば人より時計を見ている……介護現場では時計が影の主任になりがちです。もちろん時間管理も必要ですが、そんな時こそ臨機応変に、ほんの数秒でも顔を見る、名前を呼ぶ、ひと言添える。それだけでケアは「処理」から「人と人との時間」へ戻ってきます。

使い捨てで命を守ることと、人を大切にすることは、何1つ矛盾しません。むしろ安全のために使い切る物が多い場所だからこそ、捨てずに残したいものがハッキリ見えてきます。それは相手への気遣いであり、安心してもらおうとする心であり、「あなたをちゃんと見ていますよ」という小さな温度です。物には一度きりの役目があっても、人と人との関係まで一度きりにする必要はありません。

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第3章…問題はモノより仕組み~買って捨てる循環から少し降りてみる~

まだ使えるのに、新しい物を見ると少し心が揺れる。去年買った服なのに、店先にはもう「今年らしい色」が並んでいる。家電も新型になれば便利な機能が増え、修理するか買い替えるかで迷うことがあります。そこで「捨てる人が悪い」と結論を出してしまうと、暮らしの半分くらいに反省札を貼ることになりそうです。

私たちの周りには、新しい物を作り、売り、買ってもらうことで動いている仕組みがあります。一方ではサステナブル(資源や環境を無理なく保ちながら続ける考え方)が掲げられ、もう一方では季節ごとに新商品が並び、「今ならお得です」と背中を押される。どちらも社会の中に同時に存在しています。捨てる量を減らしたい気持ちと、新しい物が売れて欲しい事情が同じ道を歩いているのですから、時々、方向音痴になるのも無理はありません。

服なら、去年まで気に入っていた一着が急に古く見えることがあります。家電なら、壊れた時に修理代を聞いて「それなら新品を……」と心が傾くこともあるでしょう。そこで必要なのは、何が何でも古い物を抱え込むことではなく、「まだ役目が残っているだろうか?」と一度考えてみることです。流行や新しさを楽しむ日があっても良いし、愛用品を長く使う選択があっても良い。暮らしは千差万別です。

面白いのは、捨てる瞬間より、買う瞬間の方が未来のゴミを減らしやすいことです。「安いから2個」「送料無料まであと少し」「限定と書いてあるから、取り敢えず」。この辺りは財布の紐より、人間の心の紐が先に緩みます。届いた箱を開けた時には幸せなのに、半年後には押し入れの奥から「私を覚えていますか」と出てくる。通販サイトには罪はありません。ポチッとした指にも、たぶん悪意はありません。

そこで、捨て方だけでなく買い方にも少し余白を作ります。欲しいと思った瞬間に決めず、家に似た物がないか思い出す。修理できるなら費用を確かめる。長く使えそうなら、少し値段が上がっても候補に残す。そんな試行錯誤なら、生活を我慢大会に変えずに続けられます。

行政や企業が環境への取り組みを進めながら、同時に消費を促す場面があることも、社会の難しさでしょう。「買って欲しい」と「捨てないで欲しい」が同時に聞こえてくれば、こちらも「どっちなんですか?」と聞きたくなります。それでも、一進一退で選択肢が増えていけば、修理する、譲る、再利用する、必要な分だけ買うといった道も選びやすくなります。

捨てる人だけを変えるより、捨てなくても困らない選択肢を増やす方が、暮らしはずっと楽になります。個人だけが完璧を背負う必要も、社会が一夜で変身する必要もありません。買う前に少し考える人が増え、長く使える物が選ばれ、修理や再利用が当たり前の候補に戻ってくる。それだけでも、「買う、使う、捨てる」と一直線だった道に、小さな脇道が増えていきます。

ステハジの日に似合うのは、買い物禁止令ではなく、その脇道を1本見つけることかもしれません。新しい物を楽しみながら、まだ使える物にも席を残しておく。そのくらいの肩の力が抜けた付き合い方なら、暮らしにも地球にも、少し優しくできそうです。


第4章…捨てて良い物と捨てたくない心~人への気遣いまで使い切らない暮らし~

物には寿命があります。使い終えた包装、役目を終えた衛生用品、壊れて直せなくなった道具。ありがとうと言って手放せば、それで役目は終了です。ところが、人への気遣いまで同じ感覚で扱い始めると、暮らしは急に味気なくなります。

忙しい朝、家族が出掛ける背中に「気をつけてね」と声を掛ける。職場で疲れていそうな人に「大丈夫?」と聞く。介護の場なら、急いでいても相手の目を見てから手を添える。どれも数秒で終わる行動ですが、受け取った側には意外なほど長く残ることがあります。

思いやりというものは少々扱いにくい存在です。数字では測れませんし、差し出したからといって必ず同じ量が返ってくるわけでもありません。時間を使っても誰にも気づかれず、「そこまでしなくても良かったのに」で終了する日だってあります。効率だけで採点したら、なかなか厳しい評価になりそうです。人間関係の家計簿があったなら、「気遣い、今月も赤字です」と表示されるかもしれません。

けれど私たちは、不思議なほど小さな親切を覚えています。雨の日に傘へ入れてくれたこと、忙しい時に黙って手伝ってくれたこと、落ち込んでいる時に余計な説教をせず隣にいてくれたこと。何年も前の出来事なのに、ふとした拍子に思い出す。それほど、人から受け取る温かさには長い保存期間があります。

だから、思いやりを「余裕がある人だけがすること」にしてしまうのは少し寂しいものです。大きな親切でなくても構いません。扉を少し押さえる、返事を急かさない、ありがとうを省略しない。そんな相互扶助(互いに助け合うこと)は、暮らしのあちこちに置くことが出来ます。

もちろん、いつでも誰にでも優しくし続ければ良いわけではありません。自分が疲れ切っている時には休むことも必要ですし、無理なお願いには断る勇気も要ります。思いやりを長持ちさせるには、自分の心まで使い切らないことも大切です。人に優しくするために本人が空っぽになったら、それこそ途中で補充が必要になります。

捨てずに残したいのは、物そのものより「誰かを大切に扱おう」とする気持ちなのかもしれません。買い替えられる物はたくさんありますが、あの日にもらったひと言や、あの時に差し出された手は、同じ物を店で買うことが出来ません。

使い捨てが必要な物は気持ちよく使い切る。長く使える物とは、もう少し付き合う。そして、人との間に生まれた優しさは、出来れば次の誰かへ渡していく。そう考えると、ステハジという言葉はゴミの話だけではなくなります。

誰かから受け取った親切を、その人へ返せない日もあります。それなら別の誰かに渡せば良い。以心伝心とまではいかなくても、小さな気遣いが人から人へ移っていけば、捨てずに残せるものは意外と多いのです。

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まとめ…全部を変えなくて良い~今日1つ残せたらそれで十分~

「使い捨ては恥ずかしい」と聞くと、少し身構えてしまうかもしれません。けれど、暮らしの中には捨てるからこそ衛生や安全を守れる物があり、忙しい1日を助けてくれる便利さもあります。使い捨てを全部なくすことが正解なのではなく、「これは必要だった」「これはもう少し使えそう」と、自分で選べることの方が大切なのでしょう。

買い物をした日、冷蔵庫を開けた時、ゴミ箱の前に立った時。ほんの数秒だけ考えてみる。それだけでも十分です。まだ使える物を残す日があれば、必要な物を気持ちよく処分する日もある。試行錯誤しながら、自分の暮らしに合う加減を見つけていけば良いのです。

そして、物以上に使い捨てたくないものがあります。人への「ありがとう」や「大丈夫?」というひと言、待ってあげる数秒、名前を呼んで交わす笑顔。そんなものは資源回収の日には出せませんし、新品を注文することも出来ません。それなのに、人の心には驚くほど長く残ります。

世界を一気に変えなくても、今日1つ大切に出来たものがあれば、その日は十分に意味のある1日です。

ステハジの日を、完璧な暮らしを目指す記念日にしなくても良いでしょう。使える物をもう一度使ってみる。余っている食材を晩ご飯に加える。誰かから受け取った親切を、別の誰かへそっと渡す。そんな小さな積み重ねなら、無理なく続けられます。

暮らしは日進月歩で便利になっていきます。その便利さを楽しみながら、時々、立ち止まって「これは残しておきたいな」と思えるものを見つける。物でも、思い出でも、人への気持ちでも構いません。ゴミ箱を少し軽くできた日も、誰かの心を少し温かくできた日も、立派なステハジの日です。

肩に力を入れず、今日できることを1つだけ。そうやって残された小さな優しさが、明日の誰かのところまで届いたら素敵ですね。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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