4月6日は国際スポーツデー~「運動しなきゃ」を「動きたい」に変える暮らし方~

[ 季節と行事 ]

はじめに…スポーツは勝つためだけじゃない~今日の一歩が暮らしを動かす~

4月6日は「国際スポーツデー」。スポーツや運動の価値に目を向ける日ですが、私たちの暮らしで大切なのは、記録を競ったり汗だくになったりすることばかりではありません。今日も自分の足で少し動けた、その小さな積み重ねこそ暮らしを支える運動です。

朝、カーテンを開けて背伸びをする。お茶を取りに台所まで歩く。買い物へ出たついでに少し遠回りする。そんな動きも立派な一歩です。「運動するぞ!」と気合十分でジャージに着替えた途端、何故かソファが魅力的に見えてくる……人間とは不思議なものです。こちらは準備万端なのに、体だけが本日休業。そんな日があっても構いません。

年齢を重ねるほど気になるのが、フレイル(加齢によって心身の力が弱りやすくなった状態)です。けれど、運動は特別な訓練だけを指すものではなく、歩く、立つ、伸ばす、誰かと出掛けるといった日常の中にもあります。無理なく動き、気持ち良さを感じ、それが明日の一歩に繋がる。そんな心身一如の暮らしなら、運動は「やらなければならない宿題」から「今日もちょっと動こうかな」という楽しみに変わっていきます。

春の風を感じながら歩く数分間にも、老若男女それぞれのスポーツがあります。速さより、続けられること。距離より、また動きたくなること。4月6日を、運動不足を反省する日ではなく、自分の体と仲良くなるキッカケにしてみませんか?

[広告]

第1章…10分からで良い~小さく動く習慣が体と心の景色を変える~

「運動を始めよう」と聞くと、ついウオーキングシューズを用意して、時間を決めて、毎日の目標まで作りたくなります。形から入るのも楽しいのですが、準備に満足して初日が終了……というのも、なかなかの運動あるあるです。体を動かす習慣は、もっと小さく始めても構いません。

毎日の中に10分ほど体を動かす時間を作るだけでも、歩く、立つ、腕を動かすといった動作を続けるキッカケになります。高齢になると「今から始めても遅いのでは?」と思うことがありますが、大切なのは、年齢を重ねるほど、若い頃と同じ運動量を目指すことではありません。今の体で出来る動きを、無理なく続けることです。

散歩なら、家を出て遠くまで歩かなければ意味がないわけではありません。玄関の外へ出て少し歩く日があっても良いですし、雨なら室内で足踏みをしても良い。椅子からゆっくり立って座る、テレビを見ながら腕を動かす、台所へ行くついでに少し背筋を伸ばす。そんな小さな動きでも、積土成山。少しずつ重なれば、「動くこと」が特別な予定ではなく日常の一部になっていきます。

運動には、筋肉を使うだけではなく、血流を促したり気分転換になったりする面もあります。外を歩けば季節の空気に触れ、人と挨拶を交わすこともあります。家の中でも「さっきより立ちやすかった」「今日は少し長く動けた」と感じられれば、それだけで気持ちは前を向きます。運動の成果は、遠くまで歩けた距離だけではなく、昨日より暮らしが少し楽になった場所にも現れます。

反対に、最初から「毎日30分」「必ず何千歩」と決めてしまうと、できなかった日が急に赤点のように見えてしまいます。健康のために始めたのに、歩数計を見るたびに反省会では少々もったいない話です。三日坊主になったとしても、4日目にまた動けば再開できます。一進一退の日があっても、体調に合わせながら続けられる方が長い目では付き合いやすいでしょう。

10分が難しい日は5分でも、椅子に座ったままでも構いません。「今日は何が出来るかな」と体に聞きながら動く。そのくらいの軽さが、明日も動いてみようと思える余白を残してくれます。


第2章…散歩の目的は運動じゃなくても良い~お茶・会話・遊びが足を前へ出す~

「健康のために歩きましょう」と言われると、分かってはいるけれど腰が重い。ところが「ちょっとお茶でも飲みに行こう」と言われると、何故か靴を履ける。人間とは実に正直です。目的地が公園では動かなかったのに、目的地が甘いものになると足取りまで軽い。健康への情熱はどこへ行った……と自分でツッコミたくなりますが、こうした“ついでに動く”発想は、運動を長く続ける上で侮れません。

北欧には、コーヒーブレイクや会話を楽しむ文化と散歩を組み合わせ、「お茶を飲みに行くついでに歩く」という楽しみ方があります。森の中を歩きながらディスクを投げて遊ぶフリスビーゴルフのように、歩くことそのものを目的にせず、遊びや交流の中へ自然に運動を混ぜる方法もあります。運動を義務として切り離すより、楽しみの途中に体を動かす時間が入っている方が、気負わず続けやすくなります。

日本にも、似た発想は身近にあります。ラジオ体操は短い時間で全身を動かせるだけでなく、同じ音楽に合わせて周囲の人と一緒に動けるのが面白いところです。地域や施設で顔を合わせ、「今日も来たね」と声を交わしているうちに体操が始まる。運動だけを取り出せば数分でも、その前後に会話が生まれれば、そこには和気藹々とした時間が広がります。

高齢者の運動でも、この「別の目的を持たせる」考え方は役立ちます。廊下を往復するだけなら気が進まなくても、窓辺の花を見に行く、新聞を取りに行く、知り合いの席まで話をしに行くとなれば、同じ距離でも意味が変わります。足を動かす理由が「訓練」から「楽しみ」に変わると、運動は暮らしの中へ入りやすくなります。

家族となら、近所のお店まで歩いて好きなものを1つ選ぶのも良いでしょう。介護施設なら、季節の飾りを見に行ったり、ボールや風船を使った遊びを取り入れたりする方法もあります。誰かと笑ったり、目的地に着いてひと息ついたりする時間まで含めれば、それは単なる歩行練習ではありません。一石二鳥どころか、体を動かし、会話が増え、気分まで変われば三鳥くらい飛んできそうです。

毎日、同じ運動を同じ回数こなすことだけが継続ではありません。「今日は何をしに動こうか」と考える余地があると、体を動かす時間は少し柔らかくなります。お茶でも、会話でも、遊びでも構いません。歩いた先に小さな楽しみが待っているなら、それも立派な運動の続け方です。

[広告]

第3章…「出来た!」は最高の応援団~数字より暮らしに見える小さな成長~

運動を始めたからといって、翌朝いきなり階段を駆け上がれるようになるわけではありません。鏡を見ても昨日と同じ自分ですし、体重計も期待したほど気を利かせてはくれません。「昨日ちょっと歩いたんですけど?」と数字に訴えてみても、機械は実に冷静です。それでも、体の変化はもっと小さなところから始まっています。

椅子から立ち上がる時に手をつく回数が減った。玄関で靴を履く動作が少し楽になった。スーパーの売り場を回っても、途中で休まず買い物ができた。こうした変化は、歩数や筋力の数字だけでは拾いきれない「暮らしの成果」です。リハビリや運動では、小さな成功に本人が気づき、それを周囲も一緒に喜ぶことが継続への励みになります。

歩数計や運動記録も役に立ちます。「今日は昨日より少し多く動けた」と目で確認できれば達成感に繋がります。ただし、数字は成績表ではありません。少ない日を見て落ち込むためではなく、自分の調子を知るための道具です。昨日はたくさん歩いたから今日は少し控える。そんな判断も、自分の体を上手に扱えている立派な成果でしょう。

そして、人から掛けられる言葉にも力があります。「頑張りましたね」だけではなく、「立つ時の動きが滑らかでしたね」「今日は庭まで行けましたね」と具体的に伝えてもらうと、自分では見逃していた変化に気づきやすくなります。一朝一夕には変わらなくても、小さな成功が積み重なると「もう少しやってみよう」という気持ちが育っていきます。

ただし、褒めれば何でも解決するわけでもありません。毎回大拍手では、本人も「いや、そこまででは……」と困ってしまいます。子ども扱いするような褒め方ではなく、その人自身が大切にしている暮らしへ目を向けたいところです。散歩の距離が伸びたことより、「また自分で郵便受けまで行けたね」の方が心に響く人もいます。運動の価値は、数字そのものではなく、その先で何が出来るようになったかにあります。

「出来た!」を見つける目が育つと、運動は自分を採点する時間から、自分の暮らしを取り戻す時間へ変わっていきます。

ことわざに「継続は力なり」とありますが、毎日完璧に続けるという意味に縛られる必要はありません。休んだ日があっても、また始めれば良い。少し後退したように感じても、行雲流水、その日の体調に合わせて進めば良いのです。昨日の自分に勝つ必要さえありません。今日できたことを1つ見つけ、それを明日へ持っていく。その繰り返しが、いつの間にか「動ける毎日」を育ててくれます。


第4章…休む日も立派な運動習慣~頑張り過ぎず今日の体と相談する~

運動が少し楽しくなってくると、今度は別の落とし穴が顔を出します。「昨日できたから、今日はもう少し」「折角、続いているから休みたくない」。やる気が出てきた証拠なのですが、体には体の都合があります。気持ちは絶好調でも、膝や腰から「本日の増量サービスは受け付けておりません」と返事が来る日もあるのです。

特に高齢になると、その日の睡眠や食欲、痛み、疲れ具合によって動きやすさは変わります。昨日より長く歩こうと頑張り続ければ良いわけではなく、疲れている日は軽めにしたり、歩く代わりに座ったまま体を動かしたりする調整も大切です。運動は短期間で一気に結果を出すものではなく、自分に合ったペースで積み重ねていくものです。

そこで覚えておきたいのが、休むことも予定のうちに入れてしまう考え方です。今日は足踏みを少し、明日は肩や腕をゆっくり動かす。疲れが残っていれば、深呼吸をしながら軽く体を伸ばす程度にする。元気な日は散歩へ出ても良いでしょう。同じメニューを毎日こなすより、その日の体調に合わせて選べる方が無理なく続けやすくなります。実際、自宅や施設でも、足踏みや膝伸ばし、踵上げ、ストレッチなど、負担を調整しやすい動きが取り入れられます。

これは「さぼる」のとは少し違います。疲れているのに無理をするより、「今日は軽くしておこう」と判断できる方が、自分の体をよく見ています。臨機応変に内容を変えられることも、長く運動と付き合うための大切な力です。気分が乗らない日まで根性勝負にしてしまうと、運動靴を見るだけで溜め息が出るようになってしまいます。それでは、折角の習慣が少々、可哀相です。

介護予防でも目指したいのは、運動そのものが上手になることではありません。自分で立てる、歩ける、着替えられる、好きな場所へ行ける。そんな日常を少しでも長く保つことが大切です。休む日も、軽く動く日も、元気に歩く日も、全部まとめて「続けられる運動」です。

体調には波があります。一喜一憂せず、調子の良い日は少し楽しみ、しんどい日は潔く控える。そのくらいの余裕がある方が、運動は暮らしの中に長く残ります。毎日満点を取ろうとしなくても大丈夫です。今日は今日の体と相談して、明日もまた動ける余力を残して終える。そんな付き合い方なら、運動は苦しい課題ではなく、これからの暮らしを支える頼もしい習慣になっていきます。

[広告]


まとめ…健康のために動くより動ける毎日を楽しもう

4月6日の「国際スポーツデー」という言葉を聞くと、競技場やユニフォーム、アイキャッチのような汗を流す選手たちが思い浮かびます。美女なのは新納の好みと流行。けれど、私たちの毎日にあるスポーツは、もっと小さくて構いません。朝に体を伸ばすことも、買い物へ歩くことも、誰かとおしゃべりしながら散歩することも、その人なりの「動く時間」です。

健康のためだからと自分を追い立てるより、「今日は天気が良いから少し外へ出よう」「あそこまで行ってみよう」と思える方が、体も心も動きやすくなります。そして昨日より多く歩けなかった日でも、自分で立てた、好きな場所へ行けた、楽しく体を動かせたなら、その日の運動にはちゃんと意味があります。

年齢を重ねれば、体調には晴れの日も曇りの日もあります。元気なら少し歩き、疲れていれば軽く伸ばし、しんどければ休む。そんな臨機応変な付き合い方だからこそ、運動を何年先にも残していけます。日進月歩というほど目立った変化がなくても、気づけば「前より楽に出来ること」が増えている。それくらいの歩みで十分です。

考えてみれば、健康になること自体が人生の目的ではありません。元気な体で何をするか、誰と笑うか、どこへ行くか。そのために体を動かせる時間を守っていくのです。歩数計の数字が増えて喜ぶ日もあれば、「今日はお休み」と決めて堂々とお茶を飲む日もある。そのくらい人間らしい方が、長い付き合いには向いています。

目指したいのは運動を続ける人生ではなく、動けるから楽しめる人生です。

国際スポーツデーを迎えたら、何か立派な運動を始めなくても構いません。椅子から立ったついでに少し伸びる、いつもより遠い場所まで歩く、家族や友人を誘って外へ出る。そんな小さな一歩から、明日の暮らしは少しずつ広がっていきます。体と相談しながら、笑って動いて、時には堂々と休む。そんな自由自在な運動習慣なら、きっと長く付き合っていけるでしょう。

[ 広告 ]

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


[ 応援リンク ]

ブログランキング2つに参加しています。応援クリックをお待ちしております。

[ ゲーム ] 作者のitch.io(作品一覧)


  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。