『もったいない』はどこへ行った?~新品を眠らせる人と飽きたら売る人~
はじめに…新品のタオルを守りながら古いタオルを使う不思議
押し入れを開けると、箱に入ったままの真っ白なタオルがある。その横では、何年選手か分からない少しくたびれたタオルが今日も現役です。「まだ使えるから」と古い方を手に取り、新品には「あなたの出番はもう少し先ね」。気づけば新品の方が押し入れの重役になっています。いや、タオルなんだから働いてもらおうよ、と自分でツッコミたくなる光景です。
ところが反対側には、まだ十分使える家具や服でも、少し飽きたらリサイクルショップへ持っていく暮らしがあります。綺麗なうちなら次の人に使ってもらえるし、売れたお金で新しい物も選べる。「まだ使えるのに、もったいない」と感じる人もいれば、「使わない物を置いておく方が、もったいない」と考える人もいる。正に十人十色です。
どちらが正解という話ではありません。物を大事にしまっておく気持ちも、役目を終えたと思ったら次の人へ渡す気持ちも、それぞれに理由があります。ただ、少し気になるのは、その間にあるはずの「自分が気持ちよく使う時間」です。
物の値打ちは、新品のまま守った長さでも、なるべく高く手放せた金額でもなく、自分の暮らしの中でどれだけ良い時間を作ってくれたかで決まるのかもしれません。
新品のタオルを今日下ろす人もいれば、お気に入りの椅子を次の誰かへ渡す人もいる。そんな物との付き合い方を眺めてみると、「もったいない」という言葉の向こうに、私たちが何を大切にして暮らしているのかが、ちょっと見えてきます。
[広告]第1章…使わない「もったいない」と手放す「もったいない」
新品の食器をもらった時、「わあ、綺麗」と喜んだところまでは良いのに、そのまま箱へ戻してしまうことがあります。普段の食卓では少し欠けた古いお皿が現役続行。「まだ使えるからね」と納得しつつ、新しいお皿は食器棚の奥で無傷のまま数年を過ごす。大事にしていると言えば聞こえは良いのですが、お皿の立場なら「そろそろ料理を載せてください」と言いたくなるかもしれません。
服にも似たことが起こります。少し高かった服は汚したくないから着ない。お気に入りだから傷ませたくない。そんな慎重さは物を大切にする気持ちから生まれています。質実剛健というほど堅く考えなくても、まだ使える物を簡単に捨てず、長く付き合う暮らしには気持ちの良さがあります。
ところが、まったく逆の「もったいない」もあります。まだ綺麗な家具でも、部屋の雰囲気に合わなくなったら早めに手放す。着なくなった服も、傷んで値打ちがなくなる前にリサイクルショップへ持っていく。「捨てるくらいなら、欲しい人に使ってもらった方が良い」という考え方です。家の中は軽くなり、物にも次の出番が生まれるのですから、こちらにも理屈があります。
面白いのは、両者が正反対に見えて、どちらも物を無駄にしたくないと思っているところです。新品をしまう人は「使って傷むのが惜しい」と考え、早めに手放す人は「価値がなくなるまで置いておくのが惜しい」と考える。同じ「もったいない」なのに、片方は物を残し、片方は物を送り出します。正に一長一短で、これでは「もったいない本人」にどちらが正解なのか聞いてみたくなります。
もちろん、古い物を長く使うことが立派で、早く手放すことが軽薄という話ではありません。反対に、次々と買い替える暮らしが新しく、物を残す暮らしが古いとも限りません。暮らし方も住まいの広さも、お金の使い方も違えば、心地良い物との距離も変わります。
ただし、両極端になると少し妙なことが起こります。使うために買った物を使わずに保存し続けたり、気に入って買った物なのに十分楽しむ前から次に売ることを考えたりする。そこで抜け落ちやすいのが、「この物と過ごして自分は楽しかったか?」という時間です。
「もったいない」は物を守るためだけの言葉ではなく、自分がその物を楽しめる時間を守る言葉でもあるのでしょう。
新品のお皿に今夜のおかずを載せても良い。もう十分楽しんだ椅子なら、次に座ってくれる人へ渡しても良い。物を残した年月や使い切った回数だけではなく、「うちに来てくれて良かったな」と思える付き合い方ができたなら、その物はちゃんと働いたことになるのだと思います。
第2章…まだ使えるのに売る?~リサイクルショップが変えた物の出口~
休日に夫婦で部屋を眺めながら、「この棚、ちょっと飽きたね」と話が始まる。壊れているわけでも、傷だらけでもありません。それでも車に積んでリサイクルショップへ持っていき、査定がついたら手放して、帰り道には次の家具を見に行く。長く使うことを大切にしてきた人が見れば、「えっ、まだピカピカなのに?」と二度見したくなる光景でしょう。
けれど、捨ててしまうのとは少し違います。使わなくなった物を誰かが買い、別の家で再び働き始める。リユース(使える物を捨てずに再使用すること)という考え方では、持ち主が変わっても物の役目は続きます。売った人は部屋を整え、買った人は新品より手頃に欲しい物と出会えるなら、なかなかの一石二鳥です。
物の「出口」が増えたことで、買い物の感覚にも変化が生まれます。昔なら大きな家具を買う時、「これを何年使うだろう」と考えたところを、「気に入らなくなったら売れば良い」と考えられる。服や趣味の道具にも似た感覚があります。買った時点で一生のお付き合いを誓わなくて良いとなれば、新しい物へ挑戦するハードルも下がります。暮らしに新陳代謝が生まれるのは、決して悪いことではありません。
ただ、便利な出口があるからこそ、小さな逆転も起こります。「必要だから買う」より先に、「売れるから買っても大丈夫」が顔を出すことです。まだ十分気に入っていた物まで、もっと新しい物を見つけた瞬間に色褪せて見えることもあるでしょう。昨日までお気に入りだった椅子が、広告を見た翌朝には急に古参扱い。椅子からすれば「昨夜まで仲良かったじゃないか」と抗議したくなるところです。
それでも、早く手放す暮らしを浪費と決めつける必要はありません。子どもの成長で使えなくなった物、引っ越し先に収まらない家具、始めてみたものの自分には合わなかった趣味の道具まで、人生には「まだ使えるけれど、自分の役目は終わった物」があります。そんな時には、手放すことは物を見捨てることではなく、次の出番へ送り出すことにもなります。
「捨てる神あれば拾う神あり」と言いますが、今の暮らしでは、それが店先の値札になって目の前に現れるのかもしれません。大切なのは、売った回数でも長く持った年月でもなく、その物を迎えた時から手放す時まで、自分なりに付き合えたかどうかです。
まだ使えるから持ち続ける。それも良し。自分にはもう必要ないから次の人へ渡す。それも良し。ただ、買って、少し飽きて、売って、また買うことだけが延々と続き始めたら、「私は物を楽しんでいるのか?、それとも入れ替えることを楽しんでいるのか?」と一度考えてみる。その小さな間が、買い物をもっと気持ちの良いものにしてくれそうです。
[広告]第3章…物の値段より暮らしの時間を使い切れているだろうか?
食器棚の奥にある少し高価なカップを見て、「これは特別な日に」と思う。クローゼットには、まだタグのついた服があり、「もう少し痩せたら着よう」と静かに待機している。いただき物の上等なお菓子まで「みんなが揃った時に」と取っておいた結果、気づけば賞味期限との緊急会議が始まる。大切にしていたはずなのに、最後だけ妙に慌ただしい。暮らしには、そんな小さな珍事が時々起こります。
物には値段がありますから、高かった物ほど慎重になるのは自然なことです。汚したくない、傷つけたくない、長持ちさせたい。その気持ちは倹約質素にも通じる良さがあります。ただ、値段は買った日に決まっていても、その後どれだけ楽しめるかは使い方で変わります。3,000円のカップを100回気持ちよく使った人と、箱のまま10年間守った人では、同じ買い物でも暮らしの中に残ったものは少し違うでしょう。
しかも、人間の側にも時間があります。若い頃に似合った服が、何年後にも同じように似合うとは限りません。家族みんなで使おうと思っていた大皿も、子どもが成長して家を離れれば、登場する機会は減るかもしれません。「いつか」は便利な言葉ですが、予定表を持たずにやって来る困ったお客さんでもあります。
一方、物を早く手放す暮らしにも同じ時間の問題があります。買って少し使い、まだ綺麗なうちに売り、また新しい物を買う。それ自体は悪くありませんが、入れ替えが目的になると、気に入った物と馴染んでいく時間まで短くなります。新品だったテーブルに家族の小さな傷がつき、椅子の座面が少し柔らかくなり、「これ、いつ買ったっけ?」と笑える頃には、その物は単なる商品ではなく暮らしの一部になっています。悠々自適とはいかなくても、そんな変化を楽しむ余白は持っていたいものです。
物を「使い切る」というと、壊れるまで使わなければならないように聞こえます。しかし、ボロボロになることだけが完走ではないのでしょう。気に入ってたくさん使い、十分楽しんで、「ありがとう、次へどうぞ」と手放すのも立派な使い切り方です。反対に、使うたびに嬉しくなる物なら、古くなっても手元に残して良い。そこに何年という共通の正解はありません。
もったいないのは物が古くなることより、その物と過ごせたはずの自分の時間まで新品のまま残してしまうことなのかもしれません。
高価なカップなら、何でもない午後にコーヒーを注いでみる。お気に入りの服なら、特別な予定がなくても袖を通してスーパーへ行ってみる。「いや、この服で大根を買いに行くのか?」と少し笑えても、それで良いのです。大切な物を使う日に特別な予定が必要なのではなく、大切な物を使ったことで普通の日が少し上機嫌になる。そんな1日なら、物も時間もなかなか良い働きをしています。
第4章…しまい込まず抱え込まずに自分にちょうど良く「使い切る」
朝、洗面所に新品のタオルを1枚下ろしてみる。まだ毛足がフワッとしていて、顔を拭くだけなのに少し気分が良い。その横では長年働いてきたタオルが、「ついに新人が来たか」とでも言いたげに干されています。だからといって古い方を即座に処分する必要はありません。掃除用に回しても良いし、まだ十分使えるなら交代で働いてもらえば良い。物との付き合いは、全員一斉に卒業させるほど杓子定規でなくて大丈夫です。
食器も服も家具も、「全部使い切ろう」と力むと途端に苦しくなります。気に入っている物は使い続け、眠っている新品は少しずつ暮らしへ出し、もう自分では使わない物は状態の良いうちに次へ渡す。このくらいの臨機応変さがある方が、家の中も気持ちも軽くなります。
迷った時には、「まだ使えるか?」だけでなく「私はまだ使いたいか?」と考えてみるのも良さそうです。まだ使える椅子でも、見るたびに「そろそろ替えたいな」と思うなら、誰かに譲ったり売ったりする道があります。反対に、古くても座ると落ち着く椅子なら、流行が変わったからと急いで手放す理由はありません。物の寿命と、自分との付き合いの寿命は、必ずしも同じではないのです。
新品についても、「特別な日まで待つ」という決まりを少し緩めてみます。新しい茶碗でいつもの卵かけご飯を食べても良いし、少し上等なシャツで近所へ出ても良い。「そんな日に使うの?」と自分で思ったら、「そんな日だから使うんです」と返しておきましょう。晴耕雨読のような優雅な生活でなくても、普段の日にお気に入りが1つ混ざるだけで、暮らしには小さな楽しさが生まれます。
そして、手放す時にも急ぐ必要はありません。リサイクルショップへ持っていく前に、「これとは十分遊んだかな」と少し考える。買って間もないのに、次の商品を見ただけで心が移ったなら、もう少し付き合ってみるのも1つです。反対に、半年触っていない物を「いつか使う」と抱え続けているなら、その「いつか」を別の人へ譲る選択もあります。
使い切るとは、壊れるまで所有することではなく、自分なりにその物との時間を味わって、納得できるところまで付き合うことなのでしょう。
新品をどんどん開封する必要もなければ、古い物を無理に守り抜く必要もありません。買う、使う、気に入る、飽きる、直す、譲る、売る。その途中で自分の気持ちを一度確かめれば良い。物に振り回されず、物を粗末にもせず、ちょうど良い距離で付き合えたなら、それこそ日々是好日。今日使ったお気に入りの1枚が、明日の暮らしまで少し軽くしてくれそうです。
[広告]まとめ…良い物を使った今日がちょっと良い日になる
押し入れに眠る新品のタオルも、リサイクルショップへ向かう、まだ綺麗な椅子も、物そのものに罪はありません。使う人が変われば役目も変わり、暮らしが変われば必要な物も変わります。大切に取っておく人にも、気持ち良く手放す人にも、それぞれの「もったいない」があります。
気をつけたいのは、物を守ることや入れ替えることに夢中になって、自分が楽しむ時間を置き去りにしてしまうことです。高価なお皿を傷つけないよう何年も眠らせるより、いつもの焼き魚を載せて「やっぱり良いな」と思えた方が、そのお皿には晴れ舞台かもしれません。反対に、十分使って満足した物なら、次の誰かに役目を渡すのも気持ちの良い循環です。
物との付き合いに、一生物だけが正解という決まりはありません。長年寄り添う愛用品もあれば、短い間でも暮らしを楽しくしてくれる物もあります。大切なのは千差万別の暮らしの中で、「持っていて良かった」「使えて良かった」「次へ渡して良かった」と思える瞬間を増やすことでしょう。
良い物を使うために特別な日を待たなくても、良い物を使った今日を少し特別な日にすれば良いのです。
もし戸棚の奥に「そのうち使おう」が眠っていたら、明日ではなく今日、1つだけ出してみても良いでしょう。新品のカップでいつものお茶を飲むだけでも、気分は少し変わります。そこで「もっと早く使えば良かった」と笑えたなら、それも立派な発見です。
物を抱え込み過ぎず、手放し過ぎず、気に入った物とはのんびり付き合う。そんな自然体の暮らしなら、一石二鳥どころか、家も心も少し軽くなるかもしれません。新品も中古も愛用品も、それぞれがちゃんと働ける場所へ。今日の暮らしに似合う物を、今日の自分が気持ちよく使えたなら、それだけで十分に豊かな1日です。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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