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最近は何を食べても美味しくない!それあなたの味覚のせい?だけじゃないかも?

はじめに…どうしてだろう?食べるたびにため息が出る!美味しいって何だったっけ?

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最近、何を食べても「ふーん」で終わる。

お寿司?

あ、うん、まあまあ。

ラーメン?

うーん、前より薄くなった気がするけど気のせいかな…。

大好きだったプリンですら、どこか他人行儀に感じるこの頃。

まるで味覚が人間不信に陥ったみたいだ。

思わずスマホで「味覚異常 コロナ後遺症」とか「老化 味覚変化」とか検索しちゃう。

そして開いたページにこう書かれている。

「ストレス、自律神経の乱れ、加齢、亜鉛不足、コロナ後遺症」――やめてください、心当たりしかないです。

でもちょっと待って?

もしかして悪いのは私じゃなくて、そっち(食品)のほうじゃないの?

だってあのソーセージ、昔より味がしない。

ジュースは甘いだけで、果実どこ行った?

インスタント麺はスープを変えたのか、私が変わったのか…。

もしかするとこれは単なる“体調のせい”じゃなくて、時代の味覚が静かに壊れていく音かもしれない。

そう思った私は、もう一度「本当の味」に向き合うことにした🩷。

味覚が迷子になったとき、頼るべきは病院の診断書より、素材のひとかけら。

大げさかもしれないけど、舌が「おいしい」と言ってくれる日は、ちょっとだけ心も元気になれる気がするのだ。

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第1章…体温は平熱で心は冷め気味!味覚の迷子が今日もひとり


体温は平熱、心は冷め気味。

味覚の迷子が今日もひとり。

ある朝、目が覚めて、ふと台所に立った。

ご飯を炊いて、味噌汁をよそって、お漬物をひとつ…。

口に入れた瞬間、ぬるっと広がる違和感。

いつもの味が、遠い。

美味しいとも、不味いとも言えない。

何かが足りない。

でも、それが何か分からない。

おかしいな、体温は平熱。

お腹も壊してない。

朝から元気に洗濯もしたし、買い物にも行った。

仕事も、いつも通りこなした。

なのに――「美味しくない」だけが取り残される

まさか…これは噂のコロナ後遺症?

あるいは、味覚の老化?

季節の変わり目?

ストレス?

加齢?

SNS疲れ?

もういっそ呪いか何か?

頭の中をぐるぐる回る「可能性リスト」は、だんだん医学書というより占いのようになっていく。

病気じゃないなら気のせいかもしれない。

気のせいなら放っておいても治るかもしれない。

でも治らなかったら?

このまま“味気ない人生”が続いていくのかと思うと、それはそれでちょっと悲しい。

「ちゃんと感じたい」って、実はすごく人間らしい願いなんだと思う🩷。

誰かの優しさも、風の心地よさも、美味しさも――ちゃんと感じたい。感じられないことが一番のストレスだ。

味覚の異常って、実は身体よりも心のセンサーがバグってるのかもしれないね。

だから、まずは自分に言ってあげよう。「不安になるのも当然だよ」って。

焦らず、今日のごはんを静かに一口。

もしかしたら、その“なんとも言えなさ”こそが、今のあなたの味覚かもしれないんだから。

第2章…食べられるけど喜べない?お腹はふくれても心は空っぽ?


食べられるけど、喜べない。

お腹はふくれても、心は空っぽ。

今日も一日、ちゃんとこなした。

朝はバタバタしながらも、トーストとコーヒー。

昼はお弁当を詰め込んで、夜はコンビニのパスタにチンしたスープ。

そう、私はちゃんと食べている。

カロリーも足りてる。

栄養もまぁ、パッケージを見る限りバランスは取れている

なのに、どこか満たされない。

何が足りないんだろう。

たぶん、「うまっ!」っていう、あの一言が心の中に湧いてこないからだ。

かつての私は、好物を前にするとテンションが上がった。

小躍りしたくなるほどの焼き芋、鼻から抜ける香りがご褒美だった味噌汁、口の中でとろける焼き。

ひと口で「生きててよかった」と思えた瞬間。

ところが今は…どれも「まあまあ」止まり。

記憶の中の味と、現実の味がまるで別人のようになってしまった。

どうしてこうなったのかと首をひねる。

体調が悪いわけでもない。

疲れすぎてもいない。

機嫌だってそこそこ悪くない。

なのに、美味しさだけが置き去りになってる。

食べることはできるのに、食べた気がしないというこの不思議。

お腹はしっかり満たされてるはずなのに、何かが足りない。

この感じ、まるで「あいさつだけはしてるけど心は通ってない人間関係」に似ている。

なんていうか…食べ物と心が、もう“目を合わせてくれない”。

そんなとき、つい手が伸びるのはスナック菓子や濃い味のラーメン。

けれど、それで一瞬「味がした」と思っても、あとには虚しさが残るだけ。

結局それって、舌に刺激をあげただけで、心には何も届いてないんだよね。

もしかしたら、私たちは今、「感じる力」をそっと失ってるのかもしれない。

忙しさに追われて、味わうことさえ忘れて、ただ生きるために“摂取”している日々

でも――それじゃあ、せっかくのごはんがかわいそうじゃない?

だから私は、まず“感じたい”と願うことにした。

美味しいって思いたい。

思えないときは、「今日はそんな日」とそっと受け止めて、明日に期待してみる。

もしかしたら、心のどこかで小さな食欲が目を覚ますかもしれないから🩷。

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第3章…あの味を返してくれ!名前だけ残った“ソレジャナイ”食品たち?


あの味を返してくれ!名前だけ残った“ソレジャナイ”食品たち。

「好きだったはずなんだけどなぁ…」

そう思いながら、いつものソーセージにかぶりついたある日のこと。

あれ?こんなに味、薄かったっけ?

なんか…弾力だけで、旨味が遠くに逃げたまま帰ってこない。

続いてジュース。

昔は一口で果実が飛び込んできたのに、今はなんかこう…果汁の影武者?って感じ。

インスタント麺もスープが薄い。

コクより塩分が前に出てて、喉だけが頑張っている。

これ、もしかして私の味覚が壊れたんじゃなくて、中身の方が変わってない?

名前は昔と同じなのに、まるで別人みたいな味。

ソーセージは“ソーセージ風の棒”になり、ジュースは“フルーツっぽい香りの液体”に。これはもう食卓版の「偽装大賞」じゃないかと思うほど。

誰もが気づかないふりをしてるけど、加工食品の世界ではひっそりと“すり替え”が進行中なのかもしれない。

大豆を少なくして水でふくらませた豆腐。

お肉の代わりに植物性のたんぱく質をこっそり足されたハンバーグ。

少しずつ、少しずつ、“あの味”は遠ざかっていく。

それなのに、パッケージは昔と同じ笑顔で微笑んでくる。

しかも値段は上がっている。

どういうこと?

「量が減って味も落ちたけど、あなたが変わったんじゃない?」みたいな顔をされて、こちらとしては「え、私が悪いの!?」と内心修羅場。

こうなってくると、自分の味覚を疑うよりも、商品の変化に目を向けた方が正解なのかもしれない。

だってさ、私の舌は、昔は確かに「美味しい!」って叫んでたんだよ?

なら今、美味しくないと感じるのは、私のせいだけじゃない。

かつての“美味しい”は、時間をかけて丁寧に作られていた。

今は効率と価格の都合で、“それっぽく見える”何かになってしまった。

気づけば「心が喜ぶごはん」から、「とりあえず口に入る何か」へ🩵。

なんだか悲しいけど、これが現実。

それでも私は言いたい。

「名前だけ残されても、心は満たされないんだよ」と。

だからこそ次に向かうのは、本物の味を、もう一度思い出す旅なのだ。

第4章…味のタイムマシンは塩と素材だけで動く!再起動の準備よーし!


味のタイムマシンは、塩と素材だけで動く。

再起動、準備よーし!

食べ物に心が動かない。

味の記憶がどこかへ行ってしまった。

ならば、取り戻しに行こうじゃないか。時を超える味の旅――

その切符は、意外にもキッチンの片隅にあった。

そう、素材と塩である。

どんなに立派なレストランのコース料理でも、究極の一皿は「素材+塩」に勝てない。

トマトにひとつまみの塩。

ゆでたじゃがいもにほんのひとかけら。

豆腐をそのまま、冷たく。

これが驚くほど美味しく感じたら、あなたの味覚はまだまだ現役だ。

もちろん、素材も塩も選びたいところ。

そこらの白くてツーンとしたやつじゃなくて、ちゃんと海から来た天然のやつ。

ちょっとミネラルの香りがして、舌にピリッとくるけど、あと味がじんわり優しい。

そんな塩があれば、もう料理はシンプルでいい。

素材そのものが主役になってくれる。

でも注意点もある。

いきなり完璧を目指して、無味無調整の素材をボリボリ食べ始めると、途中で「え、修行?」ってなる。

大事なのは“感じようとする心”であって、“ストイックに我慢する心”じゃない。

たとえば、朝の一口はおにぎりでもいい。

塩むすびひとつ。

ただし、お米はちゃんと炊いてね。炊飯器任せでもいいけど、水加減だけはちょっと気にしてほしい。

それだけで、ひと口目に「あっ…」って声が出るかもしれない。

その「あっ…」こそが、味覚の再起動ボタンなんだから。

大切なのは、「素材ってこんな味だったんだ」と思い出すこと。

大げさに言えば、忘れていた自分と再会するようなもんだ。

舌だけじゃなく、記憶や感情まで動き出すから不思議🩷。

塩と素材。

たったそれだけで、“今ここ”の味が甦る。

さあ、味のタイムマシンはもう発車オーライ。

次の駅は――「懐かしいけど、なんか新しい」あの味でございます。

第5章…おばあちゃんの味は科学調味料じゃ作れない!舌と心に灯をともそう


おばあちゃんの味は、科学調味料じゃ作れない。

舌と心に灯をともそう。

「最近の味はなんだか物足りないねぇ」

そうつぶやくおばあちゃんに、「そうかな?普通だよ?」と返した私。

でもその後で、自分も「あれ、なんか味がしない…」と気づくことになるとは。

高齢者さんの味覚って、実はとても繊細

そしてとっても記憶深い。

あの頃の味噌汁の香り、梅干しの酸っぱさ、七輪で焼いた魚の匂い――

味覚って、舌じゃなくて、記憶で感じてるところもある。

だからこそ、最近の“うす味健康食”や“ゼロ添加食品”が正解とは限らない。

「これは体にいいからね」と言われて出された食事が、心にまったく響かないこともあるのだ。

栄養バランスよりも、“魂のバランス”が崩れてしまっては意味がない。

じゃあどうするか?

塩が控えめなら、香りやだしで勝負だ!

煮干しと昆布を一晩つけるだけで、味覚に魔法がかかる。

昔ながらのぬか漬けも、ぬか床が元気なら、食べる人もつられて元気になる。

そこに柚子の皮なんかをちょっと添えてみると、あら不思議。

香りで昔がよみがえる。

気がつけば「おいしいねぇ」のひと言がぽろり。

発酵食品も名脇役。

ほんの少しの味噌や甘酒、ちょっとした塩麹で、味わいにぐっと深みが出る。

しかも、どこかほっとする。この「ほっと」が大事。

舌で感じる前に、心で安心するのだ。

それにね、高齢者さんって、味には厳しいけど、心にはとても優しい。

「あら、これ手作りかい?」「昔の味に似てるねぇ」

そんな言葉が返ってきたら、こっちの味覚まで少し回復してくるような気がする。

本当の“美味しい”は、舌と心が両方でうなずく味

そしてそれを一緒に分かち合えることが、なによりの調味料になるんだろうね🩷。


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まとめ…「美味しいね」が戻ってくる日!その一歩は素材と記憶の旅から


いつからだろう、「いただきます」がただの習慣になっていたのは。

食べるって、本当はもっと感動的な行為だったはずなのに、気がつけば「カロリー」と「価格」と「時短」に追われて、“味わう”ことを忘れていた。

でも、何を食べても美味しくないと感じた時は、ちょっとだけ立ち止まってみるチャンスかもしれない。

それは味覚が壊れたんじゃなくて、あなたがちゃんと気づいたから。

味が変わった、心が反応しない、記憶の味と違う――

それはすべて、「本物の美味しさを知っているからこそ」なんだよね。

だから、まずは深呼吸。

素材の味を塩で感じてみる。

トマトの酸味、豆腐の甘み、お米のうま味。

それだけで、舌も心も「おかえり」と言ってくれるかもしれない🩷。

そして、思い出の中にある“あの味”を、少しずつ探しに行こう。

おばあちゃんの煮物、子どもの頃に食べた夏のすいか、冬のこたつで食べたみかん。

そういう小さな記憶の破片が、今のあなたの味覚をもう一度目覚めさせてくれる。

美味しさって、豪華さじゃない。

手間の数でもない。

誰かと笑いながら食べたとか、自分のために丁寧に作ったとか、そこにほんの少しの“気持ち”があるかどうか。

それが、味覚の再起動スイッチなんだと思う。

さあ、次の食事は、ちょっとだけ“心も一緒に食卓に座らせて”みてね。

今日も、生きてるって、おいしい。

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niiro makoto