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1946年 ( 昭和21年 ) 11月3日に公布され、翌1947年 ( 昭和22年 ) 5月3日に施行された日本国憲法。
我が国は、施行されたこの日を『 憲法記念日 』として制定しています。
11月3日はご存じの通り、文化の日、戦前の昔は明治天皇の誕生日で明治節と呼ばれる祝日でした。
明治に興った新政権…さらには天皇陛下の統治する国日本を守る…そんな思いが透けて見える気がしますね。
5月3日を憲法記念日にするのに、11月3日に公布せねばならない法律上の決まりがあった。
あえてこの日を選んだ意図は何なのでしょう?
それは子どもの日とも、けっして無関係ではありません。
『 日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する 』ことを趣旨に誕生した憲法記念日。
日本が敗戦したことで、戦争放棄を謳った世界でも画期的な憲法と言われています。
もちろん、それまでの立憲君主制の天皇陛下から国民の象徴としての陛下の存在理由など変化は、いろいろとありました。
原則としては国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を掲げたわけですけど…。
現代日本を取り巻く環境って、とても厳しいです。
何かと話題になる皇室…。
一部の既得権益者が占める国政や財界…。
平和主義と軍国主義のスレスレ水面下で暗躍するような軍事関連…。
憲法は犯していない…とされながらも、法の網の目、グレーゾーンを縫って動くようで怪しさ満点の現代社会…ではないでしょうか?
敗戦後、アメリカのGHQの指導下で政治を進めた日本。
半年前に公布して施行するという法律のルールがあります。
これは国民に理解してもらったり、準備をして実施するという決まりです。
憲法は国の根幹になるルールですから、世界の各国が独自の憲法を持っています。
当時の日本は敗戦国で指導下に置かれていますから、早く憲法を持ち戦後日本をスピーディーに立て直したいという目論見がありました。
敗戦国って負け惜しみと言いますか復興後の再戦なんてことを考えるんじゃないかと当然、周辺の国々、戦勝国は考えるわけです。
ちなみに政治家の残した手記や議論を追ってみますと、1日にしようという案はメーデーと重なるのでよろしくない。
5月5日の子どもの日になるかも?なんて案もあったようですが、子どもの日は男子の節句で女子に伝わらない。
菖蒲の節句とも言われるので尚武、勝負と連鎖して武を磨くという意味も込められているので適切ではないとされました。
3日にしますと公布日が現政権の基礎となる明治天皇の誕生日を指しますから、原点回帰を狙うような意図を勘繰られるのではないかと危惧しつつも…この日にしちゃった…という話のようです。
文化の日を明治の日にしたい運動家の方がおられますが、なかなか明治の日にならないのはこの辺りに事情があるかもしれません。
ちなみに、この3日の案を快く思わなかった国が中国。
アメリカは真逆に容認したので成立したという背景があります。
戦勝国の意見のもつれの間隙をついての成立だったんでしょう。
あと余談ではございますが、建国記念日2月11日は旧憲法の大日本帝国憲法の公布日です。
何事にも根拠や由来、説明責任と言うのでしょうか、その辺りを大切にする政治のあり方だと言えます。
成立経緯はこのような日本国憲法とその憲法記念日。
社会のルールの根幹である憲法なんですけど、裾野の社会ではいろいろな齟齬をきたしてます。
国のレベルでは、憲法記念日には海軍の式典もあります…ふさわしくないです。
さて、最後に子ども社会。
現代の子ども社会も昔の子ども社会も共通してあるいじめの問題。
基本的人権や平和主義の理念は子どもたちになかなか到達しきらないのが現実のようです。
身近な学友やクラスの仲間を大切にする…。
教師は職員室に籠らず、教室と学内のラウンドを強化するなど…いろいろな工夫が出来るかもしれません。
憲法記念日のこの日。
将来ある子どもたちとご両親に教育的な言葉をお届けするとしたら…。
政治家は自己中心的。
現場は理解できない。
自らの将来は自らの手でしか掴めません。
掴むには先生や同級生など多くの周囲の人から、自らが教訓を掴むしかありません。
憲法記念日の今日…日本はこの日に憲法記念日を験担ぎや故事由来に沿って隣国などのお友だちを無視した結果とも言えるのではないでしょうか…。
結局は現代の仲の悪い国の付き合いの原因ともなってしまいます。
仲間との付き合い方、想いの伝え合い方…。
学友やそのご両親など、身近な人との付き合い方が個人で振り返ることが出来る限界でもあります。
お子様が幼いと尚更です。
憲法記念日、日本国に想いする…そんな突拍子もないスケールよりも、由来や成り立ちを土台に、身近な人間関係を振り返る日であると有意義なのではないかなと思います。
中国から助言を得ていながら、11月3日に公布して5月3日に施行した日本国憲法。
不信感の発露になっても、おかしくないです。
戦争は加害者があれば、被害者が誕生し、連鎖します。
事実は積み上げると根深く、刷新することは困難なことです。
GHQの占領下を抜け出し、日本として再出発したかった焦りもあったかもしれません。
結果として時間と共に根深い溝になってしまうとは、当時の政治家の方々も、露とも考えていなかったことでしょう。
政治はとても難しい世界ですし、法律1つも、とても苦労して作られることが分かります。
国同士のお付き合いもそうですが、一般社会の人付き合いでも縮図として同じことが言えるかもしれません。
将来ある子どもたちには、丁寧に人付き合いを大切にする精神を養いたいものです。
…小難しいテーマに記事でしたが、いかがでしたでしょうか?
Gwの真っ只中ですので、レジャーや企画事に捉われてしまいがちですが、親御様には是非、お子様と将来に向けた思考の時間を共にされてみると、お子様の学びとして適切な材料となるのではないかと思います。
『 日本という国を将来どうしたい? 』
そんな親子で語り合う難しい話題も、稀には意外と有意義なものです。