特養に春を連れてくる!~理事長と事務長のウグイス生中継大作戦~
目次
はじめに…春は窓の外からやってくる
春って、カレンダーが「もう春です」と言った瞬間に来るものじゃないんですよね。特養のフロアで本当に春が来たと感じるのは、窓の外の光が少しやわらかくなった時とか、日中の空気がほんのり緩んだ時とか、入居者さんの表情が「今日はなんだか明るいね」とほどけた時とか。そういう“小さな変化の積み重ね”で、春は静かに到着します。
そして春の合図といえば、やっぱりウグイスです。ホーホケキョ。あの一声だけで、景色が急に色づく感じがするから不思議です。でも問題が1つ。ウグイスって、声は一流なのに姿は超シャイ。鳴いてる瞬間を見ようとすると、まるで忍者みたいに藪の奥へスッ……。こちらが「今だ!」と立ち上がった時点で、もう負けている。自然界の“見せないプロ”です。
そんな話を、ある朝の申し送りのあとにポロッと口にしたのが発端でした。「入居者さん、ウグイスの声が聞こえるとすごく喜ぶんだけどね。出来れば、鳴いてるところも見せてあげたいんだよねぇ」と。
すると理事長が、急に目をキラッとさせて言うんです。「よし。ウグイスを呼ぼう。」……いや、理事長。呼ぶって。電話じゃないんですから。こっちは鳥なんですから。しかもウグイス、こちらの都合なんて一切聞いてくれないタイプですから…。
その横で、事務長が静かに咳払いをしました。「理事長、呼ぶのは無理でも、“待ち伏せ”なら可能性があります。問題は予算と配線と、風の音です。」現場のロマン担当が理事長なら、現実担当は事務長。春の風情と電源コードは、いつだってセットでやってくるのです。
こうして始まりました。名付けて「ウグイスの美声を入居者さんに届けるプロジェクト」。外に出るのが難しい方にも、窓の向こうの春を“体験”として届けたい。ホーホケキョの一瞬を、ただの音ではなく、映像と空気ごと持ってきたい。そんな小さな夢を、理事長の勢いと事務長の段取りで、ちゃんと形にしていく物語です。
さて、ウグイスはいつ仕込むのが正解なのか。どこにカメラを置けば良いのか。風の音に負けずに、あの声を綺麗に録れるのか。そして何より、入居者さんの“春になった顔”をどうやって引き出すのか。ここから先は、理事長のロマンが事務長の現実に追いかけられる、ちょっと笑えて、ちゃんと温かい春の作戦会議の始まりです。
[広告]第1章…理事長が言った~ウグイスを呼べ~
その日の理事長は、朝から機嫌が良かったんです。何故なら、入居者さんの1人が窓の外を見ながら「今日は春の匂いがするねぇ」と言ったから。理事長はそういう一言に弱い。弱いというか、燃える。燃え過ぎて、たまに施設全体を巻き込むのが玉にキズです。
「春の匂いがするなら、春の音も必要だね。ホーホケキョ、だよ。」
理事長は言いながら、何故か胸を張りました。まるで自分が鳴くみたいに。すると隣の事務長が、いつもの顔で小さく頷きます。「理事長、音だけなら外から聞こえる日もありますね。」ここで話が終われば平和でした。ところが理事長は、音だけで満足しないタイプだったのです。
「いや、音だけじゃ足りない。入居者さん、見たいはずだよ。鳴く瞬間を。口の形とか、こう……胸の膨らみとか。あの一声の“発射”のところをさ。」
発射という言葉のチョイスがやや危険ですが、理事長に悪気はありません。春を届けたい気持ちがまっすぐ過ぎるだけです。職員の誰かがそっと「理事長、ウグイスは藪に隠れる鳥で……」と言いかけた瞬間、理事長はスパッと結論を出しました。
「よし。ウグイスを呼ぼう。」
一同、心の中で同時にツッコミました。呼べるなら、毎朝呼んでる。こっちは人手不足の時ほど鳥まで来てほしい。けれど理事長の“呼ぼう”は、実は「工夫してこちらが会いに行こう」の意味でもあります。理事長は、勢いで言葉を選ぶ天才なのです。
ここで事務長が、静かに現実を置きました。「理事長、呼ぶのは難しいですが、見せる確率を上げることは出来ます。場所を決めて待つ。動かずに撮る。これなら可能性があります。」事務長が言うと、途端に会議っぽくなるから不思議です。理事長は腕を組み、急に“プロジェクトの顔”になります。
「なるほど。つまり、ウグイスが“勝手に鳴く場所”を押さえるんだな。」
「はい。ウグイスは声の割りに姿が控えめで、藪の奥から鳴いてすぐ隠れます。なので、こちらが追いかけたら負けです。最初から“待ち伏せ”が正解です。」
理事長はその言葉に、何故か嬉しそうに笑いました。「待ち伏せって言葉、悪役っぽいけど、好きだね。」好きなのか。そこはちょっと反省してほしい。
とはいえ理事長のロマンには、ちゃんと理由がありました。特養には、外に出たくても出られない方がいます。ベッド上で過ごす時間が長い方も多い。だからこそ、窓の外の春は“見るもの”じゃなくて“届くもの”にしたい。音だけでなく、姿や空気感まで、出来るだけ近い形で届けたい。
「この施設はさ、春を運ぶ仕事もしてるんだよ。」
理事長がそう言うと、職員の誰かが小さく笑いました。「理事長、それ、パンフレットに書きます?」冗談のつもりが、理事長は真顔で頷きました。「書こう。いや、今は書く前に、まず鳴かせよう。」だから鳴かせるんじゃないんですって。
こうして決まりました。特養の春を、ウグイスの“ホーホケキョの瞬間”で届ける。理事長は旗を振り、事務長は地図と配線を引く。そして現場は、入居者さんの笑顔を思い浮かべながら、出来る範囲で賢く仕込む。ここから先は、ロマンだけでは前に進まないし、現実だけでもワクワクしない。両方が噛み合った時にだけ起きる、ちょっと良い奇跡の話になります。
次章では、事務長が「予算と配線と風の音」という三大ラスボスを連れてきます。春のプロジェクトは、たいてい電源から始まるのです。
第2章…事務長の現実~予算と配線と風の音~
理事長が「ウグイスを呼ぼう」と言った翌日、事務長は早かったです。早いというか、逃げ道を塞ぐのが上手い。理事長のロマンが空中にフワッと浮かんでいるうちに、事務長はその下にしっかり床を敷きます。落ちたら痛いからです。施設運営って、だいたいそういう仕事です。
「理事長、ウグイスを“見せる”のは可能性があります。ただし、条件が3つあります。」
理事長はニコニコしながら「よし、なんだ?」と身を乗り出しました。ここで事務長が言ったのが、後に職員たちの合言葉になる“春の三大ラスボス”です。
「予算と、配線と、風の音です。」
理事長は一瞬だけ固まりました。まるでホーホケキョが、ホ…で止まったみたいな顔です。でも理事長はあきらめません。「つまり、金とコードと、風か。春らしくないな。」春は花粉も来ますし、現実も来ます。
事務長は机の上に紙を置きました。そこには、ざっくりした図が描かれていました。庭の植え込み、建物の陰、入居者さんが見やすい窓の位置、そして“ここに置くと良さそう”の丸印。事務長は、こういう“地味に強い仕事”をサラッとやるから怖いのです。
「まず場所です。梅の木より、藪です。ウグイスは声の割に姿を見せないので、こちらが追うほど逃げます。だから最初から“ここで待つ”を決めます。庭の植え込みの奥、風の通りが弱いところ、そして入居者さんの居室や食堂の窓から見える角度。ここを押さえます。」
理事長は感心しながら頷きました。「なるほど。ウグイスの性格に合わせるのが礼儀ってことだな。」何故か急に武士みたいな言い回しになります。
次に事務長は、電源の話に入ります。ここから現場がザワつくところです。
「置きカメラをするなら、電源が肝です。電池式でも良いですが、電池切れのたびに交換が必要になります。春は忙しいので、忘れます。忘れると、一番鳴いた日に録れてません。」
理事長は苦い顔になりました。「それは最悪だな。『鳴いたらしいよ』だけの春は、悔しい。」事務長は淡々と続けます。
「なので、出来れば屋内から窓越しにカメラを置くか、屋外でも安全な電源の取り方を考えます。延長コードを外に這わせるのは転倒リスクになるので避けます。雨の日もあります。強風の日もあります。春は意外と荒れます。」
春は優しい顔をして、普通に荒れます。ここは特養も同じです。優しい雰囲気の裏で、事故防止の神経がピンと張っている。
そして最後に、事務長が一番嫌そうに言ったのが“風の音”でした。
「ウグイスの声は、音としては高くてよく通ります。でも録音すると、風のボォーッが勝ちます。しかもマイクが良いほど風を拾います。つまり、良い機材が、風に負けることがあります。」
理事長は思わず笑ってしまいました。「機材が良いほど負けるって、理不尽だな。」事務長は真顔で頷きます。「自然相手は理不尽です。だから対策が必要です。」
ここで事務長が出した提案が、理事長のロマンと現実をうまく両立させる“分業作戦”でした。
「映像は遠くから、音は近くで。映像は望遠で狙って、音は風防を付けるか、屋内に近い位置で録る。映像に完璧な顔が写らなくても、声が綺麗なら“春”になります。入居者さんにとっては、声の方が刺さることも多いです。」
理事長は腕を組んで「確かに」と言いました。普段、入居者さんが喜ぶのは、窓の外の景色よりも「音」だったりします。雨の音、風鈴、子どもの声、遠くの救急車。音は、ベッドの上でも届くからです。
「それで、いつ仕込むんだ?」と理事長が聞くと、事務長は即答しました。
「2月です。2月のうちに場所を決めて、画角と音のテストをします。3月に入ると鳴きやすい日が増えるので、その時に“テスト中で録れませんでした”を避けます。」
理事長は、ここでようやく現実に納得しました。「なるほど。春が来てから慌てるんじゃなくて、春が来る前に準備しておくわけだな。」事務長は淡々と、でもどこか嬉しそうに頷きます。「はい。春は段取りに弱いです。段取りが強いと、春は味方になります。」
こうしてプロジェクトは、理事長の一言から、事務長の設計図へと形を持ち始めました。入居者さんに届けたいのは、ただの動画じゃありません。窓の外が“遠い世界”じゃなくなる瞬間。ホーホケキョが聞こえた時、誰かがフッと笑って「春だねぇ」と言える、その空気です。
次章では、いよいよ“仕込みの季節”に入ります。2月の施設は忙しい。でも2月のひと工夫が、3月のホーホケキョをちゃんと“思い出”に変えてくれるのです。
第3章…仕込みの正解は2月~置きカメラは裏切らない~
2月の特養って、空気がピリッとしているのに、どこかバタバタしているんですよね。寒さで体調が揺れやすい方もいるし、感染症の話題も増えるし、加湿器は働き過ぎて機嫌を損ねるし、職員の手は乾燥でささくれ祭り。そんな中で「ウグイスの仕込みをします」と言い出すのは、なかなかの勇気がいります。
でも事務長は平然としていました。「理事長、2月のうちにやっておけば、3月に慌てません。」理事長も負けていません。「よし。慌てない春にしよう。」この2人、方向性は違うのに、決める時だけ妙に息が合うから困ります。
まず、仕込みの第一歩は“場所決め”でした。理事長は「梅の木の近くがいいんじゃないか」と言い、事務長は即座に首を横に振ります。「理事長、梅は絵になりますが、ウグイスの本拠地は藪です。藪の近くで、なおかつ入居者さんに届けやすい場所が正解です。」理事長は「くっ……絵心より鳥心か」と悔しがりつつ、結局は鳥心に従うことにしました。偉い。
庭の植え込み、建物の陰、風が直接当たり難い角度。さらに入居者さんが集まりやすい食堂から見える位置。事務長は、現場職員と一緒に歩きながら「ここなら安全」「ここなら見える」「ここなら配線が要らない」と、淡々と候補を絞っていきます。理事長はその後ろで「ここは春っぽい」「ここはドラマがある」と、別の評価軸で頷いていました。評価軸が違うのに、最後の結論が一致するのが面白いところです。
次にやったのが“テスト撮影”でした。ここで職員が一番驚くのは、ウグイスじゃありません。風です。風が主役になりたがるんです。カメラを置いて、録画を回して、再生してみると、画面は静かな庭。音は「ボォーーーー」。そして、よく耳をすませると、遠くでかすかに「ホ…」みたいな気配がする。春の音が、風に押し潰されている。
理事長が言いました。「これじゃ入居者さん、風の神様を拝むだけだな。」事務長が返します。「はい。なので風対策です。風が通る方向を避ける、マイクに風防を付ける、壁際に寄せる。それだけで全然変わります。」
ここで、事務長の“置きカメラ哲学”が始まります。「鳥は追いかけると逃げます。でも置きカメラは追いかけません。置きカメラは、ただそこにいる。だから鳥も気にしない。つまり、裏切らない。」理事長が、何故か感動してしまいました。「事務長、それ名言だな。今度、朝礼で言っていい?」事務長は一瞬だけ嫌な顔をしました。「理事長、朝礼で言うと、何故か職員が置きカメラを擬人化し始めます。」
とはいえ、仕込みの要は本当に“置くこと”でした。手持ちで撮ろうとすると、どうしても人は動いてしまいます。動けば影が伸び、服が擦れ、息が入ります。鳥はそれを全部見ています。だから固定。出来れば三脚。さらに可能なら、窓際や室内側から撮れるようにする。これなら雨でも安全で、配線も少なくて、転倒の心配も減ります。
そして現場が一番助かったのは、事務長が“運用の簡単さ”まで考えてくれたことでした。凝ったことをやると、その日は上手くいっても、忙しい日は続きません。続かないと、入居者さんの楽しみとして着地しない。だから、手順は短く、迷いが減るように。
「録画ボタンはこれ。確認はこの画面。保存はこのフォルダ。鳴いた日の動画は1本だけ残す。長尺を狙わない。撮れなかった日も“今日は静かだったね”で終わって良い。」
この“撮れなかった日も失敗にしない”考え方が、現場の空気を一気に軽くしました。理事長もそこに乗っかります。「そうだな。春は毎日サービス精神があるわけじゃない。春の機嫌も大事にしよう。」さっきまで鳥を呼ぶ気満々だった人の言葉とは思えません。人は成長するんですね。
2月の仕込みは、派手さはありません。ウグイスもまだ本気で鳴かない日が多い。だけど、ここで画角を決め、風に負けない場所を決め、録画の流れを決めておく。これがあるだけで、3月の“本番の日”に、施設はバタつかずに春を迎えられます。
そして、いよいよ3月。ホーホケキョが増えてくる季節が来ます。次章では、ついに“その瞬間”が訪れます。入居者さんの顔が春になる、あの数秒。
春を見せるのは難しい。でも春は、届けられる。置きカメラが黙って待っているだけで、時々、奇跡みたいに鳴いてくれるのです。
第4章…ホーホケキョの瞬間に入居者さんの顔が春になる
3月に入った途端、施設の空気が少しだけ軽くなる日があります。寒さが抜けきるわけじゃないのに、日差しが“強い”じゃなくて“優しい”に変わる瞬間。廊下の窓から見える庭木が、どこか緑っぽく見える瞬間。入居者さんの口から「今日は外が明るいねぇ」が自然に出る瞬間。春は、そういう小さな場面から始まります。
そして、その日の朝でした。食堂に向かう途中、廊下の窓際で誰かが足を止めたんです。「……今、聞こえた?」耳を澄ませる声。職員が顔を見合わせる気配。言葉にすると大袈裟だけど、あの瞬間の“静けさ”って、特養ならではなんですよね。普段はテレビの音、車椅子の音、コールの音、会話の音が混ざって流れているのに、その数秒だけ、みんなの耳が同じ方向を向く。
ホ……ホケ……。
まだ完全じゃない。でも、確かにウグイスがそこにいる。理事長が近くにいたら、たぶん胸を張って「来たな」って言う場面です。実際、その日は理事長がいたんです。理事長は、春にだけ現れるタイプの人じゃありません。普段から現れる。だけど春になると、さらに前に出てくる。何故か…。
「来た。事務長、来たぞ。」
理事長は小声なのに、存在感だけが大声でした。事務長は無言で頷いて、例の“裏切らない置きカメラ”を確認しに行きます。既に2月に仕込み済み。もう慌てない。慌てないけど、内心は全員ちょっとだけ慌ててる。だって、あのホーホケキョは、こちらの準備を待ってくれないから。
食堂に着くと、いつもと同じ朝の風景が広がっています。お茶の湯気、朝の体操の話、パンかご飯かの悩み。けれど今日は違う。職員の1人が、さりげなく窓側の席を増やします。誰も「ウグイスが来ます!」なんて言いません。言うと、春が逃げる気がするから。代わりに、いつもより少しだけ窓を開けて、空気を入れます。冷え過ぎない程度に、ほんの少し。春の香りは、ちょっとで効く。
その時、来ました。
ホーホケキョ。
今度は練習じゃない。綺麗に通る、はっきりした声。思わず、誰かのスプーンが止まった音がしました。別の誰かが笑いました。笑い声というより、「あらまぁ」っていう、胸の奥がほどける音です。寝たきりで食堂には来られない方の部屋にも、職員が急いでいきます。窓際のカーテンを少し開けて、耳元に近い位置で「今、聞こえましたか?」と言いながら、そっと外の空気を感じてもらう。外へ連れていくのは難しくても、春は連れてこられる。
そして、映像です。
事務長がタブレットを持って戻ってきました。カメラは庭の植え込みを映していて、画面は一見静か。鳥はどこ?となりそうな映像。でも、音が違う。2月に苦しめられた風のボォーが少ない。ホーホケキョが、ちゃんと主役になっている。理事長がその画面を見て、真面目な顔で言いました。
「見えないのに、見えるな。」
この言葉、変なんですけど、妙に真理でした。姿がドアップで映らなくても、声がクリアだと“そこにいる”って分かる。入居者さんって、そういう感覚が鋭いです。顔や輪郭じゃなくて、空気の変化で分かる。昔から春を生きてきた人たちですから、こちらが思うよりずっと、春に詳しい。
すると、窓側の席の女性が言いました。「昔ね、朝、起きたらウグイスが鳴いてたの。あの声がすると、畑に行く気になったのよ。」その一言に、食堂がフワッと明るくなりました。職員も、理事長も、事務長も、全員が“届いた”と分かる瞬間です。プロジェクトの成功って、機材が上手く動くことじゃないんですよね。入居者さんの中に、思い出の春が戻ること。そこが本番です。
理事長が調子に乗ります。「ほら見ろ、春は届けられるんだ。」事務長はいつもの顔で返します。「理事長、まだ早いです。これから毎日鳴くとは限りません。」理事長はニヤッとします。「分かってる。だからこそ、鳴いた日の価値が上がるんだろ?」……その切り返しは、ちょっとだけ格好良かったです。事務長が悔しそうに、でも少しだけ笑ったのを、私は見逃しませんでした。
その日の午後、短い動画が1本だけ“今日の一鳴き”として保存されました。長くはない。ほんの数十秒かもしれない。でも、その数十秒の中に、春の光、空気、声、そして入居者さんの顔が全部入っている。これを見返すだけで「春が来た」と思える。特養にとって、こういう“季節の証拠”は大きな宝物です。
ホーホケキョは、毎回見せてくれません。ウグイスは最後までシャイです。でも、シャイだからこそ、聞こえた日の喜びが深い。見えないものを、皆で同じ耳で受け取れる。その共有が、施設を優しくまとめてくれる。
次は、まとめです。春を届けるのに必要だったのは、鳥を呼ぶ魔法じゃありませんでした。必要だったのは、理事長のロマンと、事務長の段取りと、現場のさりげない優しさ。その三つが揃った時、ウグイスはたまに、奇跡みたいに鳴いてくれるのです。
[広告]まとめ…春を届けるのは鳥より先に“人の段取り”だった
こうして、特養のウグイス大作戦はひとまず形になりました。理事長の「呼ぼう」という勢いから始まり、事務長の「待ち伏せです」という冷静さで現実に着地し、現場の職員が“さりげない優しさ”で仕上げる。普通なら、どこかで空中分解しそうな組み合わせなのに、春って不思議で、ちゃんと繋がるんですよね。
今回、一番面白かったのは、ウグイスの姿が完璧に撮れたかどうかより、「入居者さんの顔が春になる瞬間」をちゃんと作れたことでした。ホーホケキョが聞こえた瞬間、食堂の空気が変わる。耳が同じ方向に向く。誰かの記憶がフッと開く。「昔は朝に鳴いてねぇ」なんて話が自然に出てくる。春は、外の季節というより、心の中の季節でもあるんだなと実感します。
そして、春を届けるのに必要だったのは、鳥を呼ぶ魔法じゃありませんでした。必要だったのは段取りです。ウグイスは追えば逃げます。だから、待つ。動かずに撮る。風に負けない場所に置く。難しい日は無理をしない。鳴かない日は“静かな日”として味わう。そういう地味な準備が、鳴いた日の喜びをちゃんと受け止める受け皿になります。
仕込みの正解が2月だったのも、現場にとって大きかったですね。3月に入ってから慌てると、施設はただでさえ忙しいのに、そこへ「春の撮影」まで追加されてしまう。けれど2月にテストしておけば、3月は“いつもの仕事の延長”で春を迎えられる。これって、入居者さんにとっても職員にとっても優しいやり方です。春のために誰かが無理をすると、春がちょっと苦い思い出になってしまうことがあるから。
理事長は最後まで理事長でした。鳴くたびに誇らしげで、まるで自分が鳴かせたみたいに胸を張る。でもその勢いがなかったら、そもそも企画が生まれなかったのも事実です。事務長は最後まで事務長でした。予算と安全と配線と風の音を見つめながら、現場が続けられる形に落とし込む。どちらが欠けても、たぶんこの春は届かなかった。ロマンと現実は、春の両輪です。
それにしても、ウグイスは本当にシャイでした。こちらが「お願い!」と構えた日は鳴かないのに、何気ない朝に綺麗に鳴く。だからこそ、鳴いた日の価値が上がる。ほんの数十秒でも、入居者さんの表情がほどけるなら、その数十秒は立派な“春のイベント”です。大袈裟な演出より、あの一声の方がずっと強い。
もしこの記事を読んで「うちでもやってみたいな」と思ったなら、まずは難しく考えなくて大丈夫です。外に出られなくても、春は届けられます。窓際に少しだけ席を寄せる。ほんの少しだけ換気して、空気を入れる。鳥の声が聞こえたら、誰かにそっと教える。そこから始めて、余裕があれば“裏切らない置きカメラ”を追加する。春は、そういう小さな工夫の積み重ねに、ちゃんと応えてくれます。
来年もまた、ホーホケキョが聞こえたら、理事長は言うでしょう。「来たな。」事務長は言うでしょう。「風はどうですか。」そして入居者さんは、きっと笑うでしょう。「春だねぇ。」その3つの言葉が揃うだけで、特養の1日は少しだけ明るくなります。春を届ける仕事って、案外、こういうところにあるのかもしれません。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
[ 応援リンク ]
[ ゲーム ]
作者のitch.io(作品一覧)
[ 広告 ]
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。