理事長が現場で笑ってハンコ~2月の特養『温か予算』で毎日も不正のスキマも守る大作戦~

[ 2月の記事 ]

はじめに…雪の話の前に予算の話で心を温める

雪祭りの記事と、元旦の書き初めの記事。あの2本を読んだ人は、きっとこう思ったはずです。「こんな理事長と事務長、うちにも欲しい!」と。
ええ、分かります。分かり過ぎて、私は湯たんぽを抱いて頷きました。……でも現実は、理事長は雲の上、事務長は書類の海、現場はいつも走りっ放し。笑顔のレクの裏で、何故か“節約の号令”だけが妙に元気だったりします。

さて、今回の舞台は特養。季節は2月。世間はバレンタインだの立春だの言っておりますが、特養の2月は別名「新年度予算が歩いてくる月」。遠くから足音が聞こえるだけで、何故か肩が凝る、あの月です。けれど、ここで踏ん張ると、1年の空気が変わります。備品が足りないストレスが減る。事故の芽が減る。職員の疲れが少し軽くなる。結果として、利用者さんの暮らしがちゃんと温かくなる。予算って、冷たい数字の話に見えて、じつは“人の体温”を反映する話なんですよね。

今回、記事を書いていて新納の脳内から出張してくるのは、例の理事長と事務長の2人組です。理事長は、会議室より先にユニットに来て、お茶を飲みながら話を聞いてしまう人。事務長は、現場の「困った」を「必要」に翻訳して、数字の世界にちゃんと届ける人。この2人がタッグを組んで、全職員を「我慢の一致団結」ではなく、「守るための一致団結」に変えていきます。しかも、重くならないように、ちゃんと笑える温度で。

もちろん、目的はただ一つです。現場の頑張りが空回りせず、利用者さんの毎日にきちんと返っていくこと。ついでに、不正が入り込むスキマは、そっと狭めておくこと。犯人探しはしません。大袈裟な正義の味方にもなりません。やるのは、誰でも分かるルールを作って、通れない道にするだけ。理事長はハンコを押す前に笑い、事務長は書類の角を丸くし、現場の心も丸くなる。そんな2月の話、はじめます。

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第1章…理事長が会議室を出てユニットの席に座る

2月の朝、理事長は会議室のドアの前で立ち止まりました。中からは、例の音が聞こえます。「節約」「削減」「前年度比」。……はい、冬の風物詩です。ところが理事長は、ドアノブに触れたまま、クルリと回れ右。向かった先は会議室ではなく、ユニットの食堂でした。何故なら理事長は知っているのです。予算の話をいきなり会議室で始めると、数字が主役になって、人が置いていかれる。人が置いていかれると、後で回り回って現場が泣く。泣くのは現場だけで、何故か紙だけが立派に完成する。……それが一番寒い結果だと。

食堂に着くと、理事長はまず、利用者さんの席に座りました。ステーションの机の角で書類を広げるのではなく、お茶を一口飲み、湯気に目を細め、「今日は寒いですねえ」と言いながら、いきなり“名前呼び”を始めます。
「〇〇さん、おはようございます。こないだの歌、最高でしたね」
利用者さんが「え、覚えてるの?」という顔をした瞬間、ユニットの空気が少しだけ柔らかくなりました。ここが最初のテコ入れです。現場は、理事長に“完璧な介護”を求めていません。せめて、ここで暮らす人を「数字」じゃなく「人」として見ていることを、言葉でちゃんと見て欲しいだけなんです。

そして理事長は、職員にも同じ温度で声を掛けます。
「皆さん、2月ですね。予算の月ですね。……でも今日は、先に“今年困ったこと”を教えてください。削る話は後でやります」
この一言で、現場の肩が少し下がります。何故なら現場の経験上、「削る話から始まる会議」は、たいてい“心が削られるだけ”だからです。

理事長が取り出したのは、立派な資料ではありません。A4の紙に大きく書かれた、たった1行の約束でした。
「安全と尊厳に関わるお金は、削る前に必ず理由を言う。理由が言えないなら削らない」
この約束があるだけで、予算が“我慢大会”から“守る作戦会議”に変わります。ここで言う安全は、事故が起きないための安全だけじゃありません。夜勤が崩れて職員が倒れるのも危険。備品不足でケアが荒れてしまうのも危険。つまり「現場が壊れないこと」も安全です。尊厳は、言葉にすると大袈裟に聞こえますが、もっと身近です。清潔が保てること。食事が落ち着いて楽しめること。季節が感じられること。人として扱われていると感じられること。予算は全部そこへ繋がっています。

理事長はさらに、もう1つだけ“現場が笑える仕掛け”を入れました。
「予算を出す時、困りごとを“悲鳴”で書かないでください。出来れば“症状”で書いてください。悲鳴は伝わるけど、数字に変換しづらいので」
職員が思わず吹きます。「悲鳴で書きたい日もありますけどね」と。理事長は真顔で頷きます。「分かります。私も確定申告の時に悲鳴を上げます」。笑いが起きる。笑いが起きると、言いにくいことが言えるようになります。これも、不正を潰す大事な下準備です。空気が硬い職場ほど、見えないところでこっそりと“誰かに都合の良い道”が増えやすいからです。

その日、理事長は会議室に一度も入らず、ユニットで「今年の困りごと」を聞き、利用者さんの普段の様子を眺め、最後にこう言って帰りました。
「私は数字の責任者ですが、数字の前に人の責任者でいたいです。だから2月は、現場の話から始めます」
現場は拍手しません。ヒーロー扱いもしません。けれど、職員の目が少しだけ変わりました。「今年は、話が通じるかもしれない」と。

そしてこの後、事務長が出てきます。理事長が温度を作り、事務長が数字にして、現場が動ける形にする。予算編成の主役は書類じゃない。暮らしだ。そういう2月が、ここから始まります。


第2章…事務長の翻訳術「困った」を「必要」に変える紙1枚

理事長がユニットで空気を温めた翌日、事務長が静かに現場へ現れました。いつもなら「すみません、締切が……」と申し訳なさそうな顔でやって来るのに、その日は違います。胸を張って、しかし威張らず、手にはコピー用紙を数枚。
「皆さん、今年は“予算のお願い”をやめます。代わりに“翻訳”をします」
職員の頭の上に、見えないクエスチョンマークが浮かびました。翻訳?英会話教室でも始まるのかな?、と。

事務長が配った紙には、難しい表も、細かい科目もありません。大きな枠が3つだけ。しかも言葉が優しい。
「困っていること」
「それが続くと、誰がどう困るか」
「止めるには、何が必要か」
たったこれだけです。事務長は言いました。「現場の言葉は大事です。でも、そのままだと数字の国に入国できません。だから私が通訳します」

職員は思わず笑います。入国審査、厳しそう。事務長はすかさず補足します。「審査官は私じゃなくて、予算です。予算って、無口なくせに融通が利かないんですよ」
現場はまた笑います。こういう笑いがあると、心の奥の“本当に困っていること”が出てきます。出てきたら勝ちです。予算は、困りごとが言葉にならない限り、永遠に動かないからです。

例えば職員が「手袋がすぐ無くなる」と書いたとします。事務長は頷きながら、鉛筆で少しだけ手伝います。
「無くなると、何が起きます?」
「感染対策が不安になります」
「不安になると、何が増えます?」
「交換を我慢する人が出ます」
「我慢すると、何が増えます?」
「皮膚トラブルや交差のリスク……」
ここまでくると、ただの備品の話が、「利用者さんの安全」と「職員の安心」の話になります。つまり、守るべきラインの話になる。事務長はそれを、数字の言葉に変えられる形に整えます。

別の職員は、少し照れながら「レクの材料費が足りない」と書きました。これ、書くのが怖いんです。「贅沢」「遊び」と言われがちだから。でも事務長は笑顔で言いました。
「いいですね。レクは遊びです。遊びは人の心の筋トレです」
そして続けます。「材料が足りないと、どうなります?」
「同じ内容ばかりになります」
「同じ内容が続くと?」
「飽きます」
「飽きると?」
「参加が減って、日中の活動量が落ちます」
「活動量が落ちると?」
「夜間の不眠や不穏が増えることがあります」
事務長はそこで、ピタッと手を止めます。「ほら、レクは夜勤の味方です。材料費は夜勤の平和にも繋がります」
現場がドッと笑います。「夜勤の平和、欲しい!」と。こういう笑いは強い。笑いながら、ちゃんと本質に触れているからです。

事務長の翻訳術が凄いのは、現場の願いを“盛る”のではなく、“繋ぐ”ところです。困り事を、利用者さんの暮らしへ繋ぐ。暮らしを事故予防へ繋ぐ。事故予防を職員の離職予防へ繋ぐ。離職予防を結局は施設の安定へと繋ぐ。数字の世界は冷たいけれど、繋ぎ方が上手いと、数字はちゃんと温かくなります。

その日の終わり、事務長は小さく宣言しました。
「今年の予算は、現場の“悲鳴”を潰すためじゃなく、悲鳴が出る前に止めるために組みます。だから、書く時に遠慮しないでください。ただし、魔法は使えません。優先順位は一緒に決めましょう」
現場が頷きます。魔法は要らない。現実的に通る形にしてくれるなら、それが一番ありがたい。

そして事務長は、最後にもう一つだけ、紙の裏に小さな欄を足しました。
「この予算が通ったら、利用者さんの毎日はどう良くなる?」
一行でいい。大袈裟にしない。照れたら短くていい。この一行があるだけで、予算案は“部署の取り合い”から、“暮らしの提案”に変わります。

理事長がユニットで作った温度に、事務長が言葉と数字の橋をかける。橋が出来ると、現場は渡れます。渡れるようになると、次に必要なのは「ズブズブ対策」ではなく、「ズブズブが入る余地を消す仕組み」です。
そう、次の章で理事長と事務長は、ちょっとだけ真顔になります。けれど心配はいりません。真顔になっても、この二人は温かいし、ちゃんと笑わせてきます。


第3章…ズブズブ対策は犯人探しじゃない~通れない道を作るだけ~

予算の紙が集まってくると、現場は少し元気になります。「あ、今年は聞いてもらえたかも」と。けれど同時に、心のどこかがチクッとします。
「……で、結局このお金、どこへ消えるの?」
はい、ここが現場のリアルです。職員は“人を疑いたい”わけじゃない。むしろ疑うのは疲れる。でも、過去に理不尽を見ていると、疑いの芽は勝手に育ってしまう。だからこそ、理想の理事長と事務長はここで言います。
「疑わなくて良い仕組みにしよう。疑い続けるのは、現場の体力を削るから」

理事長は会議室に戻っても、まず笑ってから始めました。
「今日の議題は『ズブズブ』です。……いや、真顔で言うと胃が痛いので、今日は陽気にいきます。ズブズブって、長靴で入ると抜けなくなるから危ないんですよ」
笑いが起きます。けれど笑いが起きた瞬間に、空気が変わります。“言い難いこと”を言える空気になる。ここが大事です。不正っぽい話題は、真面目にやるほど口が重くなることがある。だから理事長は、敢えてコメディーの入口から入ります。

そして理事長は、最初に宣言しました。
「犯人探しはしない。誰かを吊るし上げる会議もしない。代わりに、悪いことが通れない道を作る」
この一言で、現場は救われます。疑いの話って、やり方を間違えると、人間関係が崩れて、結局、一番損をするのは利用者さんだからです。

事務長は、机の上に小さなカードを3枚置きました。カードには、優しい言葉でこう書かれています。
「選ぶ人」
「受け取って確かめる人」
「払う人」
たった3枚です。事務長は言います。「これ、同じ人が全部やると、ズブズブじゃなくても“勘違い”が起きます。勘違いが積み重なると、誰も止められなくなる。だから分けましょう」
分けると言っても、現場の仕事を増やすためじゃない。増やしたら本末転倒です。事務長はここでも温かい。
「確認する人は、現場の代表でいいです。『届いた』『数が合う』『壊れてない』が分かれば十分。難しい目利きは求めません。現場の手間は最小で、道は狭くします」

理事長はさらに、もう1つだけ“ズブズブが入り込む穴”を塞ぎました。それは「小分けの請求書」です。
「この世界には、何故か『決裁ラインの直前』という神秘の金額があります。9万9千円とか、29万8千円とか。妖怪です」
会議室が笑いに包まれます。誰でも見たことがある、あの妖怪。理事長は笑いながら真面目なことを言いました。
「同じ日、同じ内容、同じ業者で、紙だけ割れていたら、理由を書こう。理由が書けないなら割らない」
たったこれだけで、“見えない道”が一つ消えます。ズブズブの芽は、派手な悪事より、こういう小さな抜け道から育つことが多いです。

次に事務長は、相見積もりの話をしました。現場が一番疑いやすいところです。「いつも同じ業者」「定価っぽい」。でも事務長は、相見積もりを“正義の儀式”にしません。やると疲れるから。代わりに“楽なまま透明にする”工夫をしました。紙は1枚。項目は少なく。比較は優しく。
「値段だけじゃなくて、納期と緊急対応も並べます。安いけど遅い、では利用者さんの生活が止まります。だから生活が止まらない方に点を入れる。これは節約じゃなくて、暮らしの保険です」
この言い方が上手い。現場は頷きます。価格だけで殴られると、現場は守れなくなる。けれど「暮らしが止まらない」が軸なら、現場も総務も同じ方向を向けます。

理事長は最後に、評議員や理事会の話に触れました。現場の本音として「縁故で固まってる気がする」という疑いがあることも、理事長は知っている。だからこそ理事長は、逆に“現場が見える形”を増やしました。といっても、難しい情報公開ではありません。現場を疲れさせる説明会でもありません。やるのは、たった1つの習慣です。
「年度の大きな買い物と修繕だけ、誰でも分かる言葉で『何故これを選んだか』を残す。紙1枚でいい。人が読める言葉で」
人が読める言葉。ここが重要です。数字だけの資料は、現場の心を置き去りにすることがある。けれど理由が短く書かれていれば、現場は納得できる。納得できると、変な噂が減る。噂が減ると、現場は利用者さんの方を向ける。全部繋がっています。

こうして理事長と事務長は、「疑いの根」を引っこ抜くのではなく、「疑いが育つ土」を入れ替えました。犯人探しをしない。疑う体力を現場から奪わない。道を狭くして、通れなくする。それでもし誰かが悪いことをしようとしても、途中で必ず止まる。止まれば、利用者さんの生活にまで届かない。

会議の最後、理事長がぽつりと言いました。
「私は現場を守りたい。だから現場に“疑い続ける仕事”をさせたくないんです」
事務長が頷きます。「疑いは、ケアに混ぜたくないですからね」
現場は、少しだけ肩の荷が下りた気がしました。

そして次は、全職員を一丸にする話です。“削る”でまとまると、必ず誰かがしんどくなる。でも“守る”でまとまると、笑いながら強くなれる。理事長と事務長は、その道を選びます。


第4章…全職員一丸は「削る」より「守る」でまとまる

ズブズブ対策の話をした翌週、施設の空気は不思議と軽くなっていました。何かが“増えた”わけではありません。備品が急に湧いたわけでも、書類が勝手に片付いたわけでもない。でも、何となく軽い。何故なら、「疑わなくて良い仕組み」が出来ると、人は前を向けるからです。余計な疑いが消えると、心の手が空きます。空いた手で、利用者さんの手を握れる。これが、理想の予算が生む最初の恩恵です。

ところが、ここで現場にもう1つの壁が立ちはだかります。予算編成は、どうしても“取り合い”になりがち。介護は「消耗品が足りない」。看護は「感染対策が要る」。栄養は「食材の単価が上がった」。施設管理は「修繕が限界」。相談員は「家族対応で必要なものがある」。どれも正しい。どれも必要。でも全部は通らない。ここで、現場の空気が少しだけ荒れる。そういう年、ありますよね。

理事長は、ここで会議の名前を変えました。「予算調整会議」ではありません。「暮らしを守る会議」です。会議の名前を変えると、空気が変わります。空気が変わると、言葉が変わります。言葉が変わると、結論が変わります。理事長はそれを知っている。だから、まず名札を付け替えました。

会議の冒頭、理事長はホワイトボードに大きく2つの言葉を書きました。
「削る」
「守る」
そして真顔で言います。
「削る会議をすると、人は勝ち負けの顔になります。守る会議をすると、人はチームの顔になります。今日はチームの顔でいきましょう」
この言い方が、優しいのに強い。現場は何となく背筋が伸びます。

その次に理事長がやったのは、“重たい話”を、重くし過ぎない形に変えることでした。理事長は言います。
「今年、利用者さんの暮らしが崩れかけた瞬間を、1つだけ教えてください。責めません。笑いにも変えません。事実として置きます」
これ、実は凄い言葉です。現場は「崩れかけた瞬間」をたくさん持っている。でもそれを会議で話すと、誰かが責められたり、空気が悪くなったりして、次から黙るようになる。理事長が“責めない”を約束することで、話せるようになります。

職員が話します。夜間の不穏が増えた時期。転倒が重なった時期。感染対策で疲弊した時期。入浴が回らなくなった時期。食事の時間が落ち着かなくなった時期。話が出るたびに、事務長が静かに頷きながら、紙に短く書きます。「いつ」「どんな状態」「何が足りなかったか」。事務長はここで“翻訳”をやめません。むしろここが本番です。困りごとが“思い出”で終わらず、“対策”に変わる瞬間です。

そして事務長が言います。
「今の話を止めるために、必要なのは『物』ですか、『人』ですか、『時間』ですか」
現場がザワッとします。これ、凄く優しい質問なんです。「あなたの部署が欲しいものは何?」ではなく、「崩れを止めるには何が要る?」だから。部署の取り合いではなく、利用者さんの暮らしの話に戻るからです。

それでも、必要なものが重なる時があります。同じ予算で、複数の部署が「どうしても必要」と言う。ここで会議が荒れがち。そこで理事長は、ちょっとコメディーを入れます。
「皆さん、予算はピザです。食べたい人が多い。……でもピザって、最後の1切れを奪い合うと気まずいですよね。だから今日は、最初に“最後の1切れを誰が食べても良いようにする作戦”を考えましょう」
笑いが起きます。笑いが起きると、知恵が出ます。例えば「同じ備品でも共通化できないか」「購入時期をずらして一括で安く出来ないか」「研修は合同に出来ないか」「委託の見直しで現場の時間を生む方法はないか」。こういう工夫は、空気が硬いと出てきません。笑える空気だと、出てきます。理事長は、それを狙って笑わせています。やるなぁ、理事長。

会議の中盤、理事長は現場の職員にこう聞きました。
「今年、1つだけ“守りたい日常”を挙げるなら何ですか」
守りたい日常。これがいい。特別なイベントじゃなくていい。
「朝、落ち着いて顔を拭けること」
「食事の時間が穏やかなこと」
「入浴が急かされないこと」
「夜、眠れること」
「トイレの声かけが間に合うこと」
こういう言葉が出ると、予算の議論は勝手に整っていきます。何故なら、守りたい日常が決まると、必要なものの優先順位が自然に見えてくるからです。

理事長は最後に、全職員が一丸になるための“合言葉”を決めました。難しい言葉は使いません。
「誰かの部署の予算じゃない。利用者さんの暮らしの予算」
この合言葉があると、現場は不思議と踏ん張れます。自分の部署のためだけだと、疲れる。でも利用者さんの暮らしのためだと、少し強くなれる。しかも、その強さが優しい。

会議が終わる頃、事務長が小さく笑って言いました。
「今日は、会議が終わっても胃が痛くないです。奇跡かもしれません」
理事長も笑います。
「奇跡じゃないです。ちゃんと目的が見えていたからです。目的が見えると、人は同じ方向を向けます」
現場は、フッと息を吐きました。

そして、最後の仕上げが残っています。最大を夢として持ちつつ、現実は“最大の80%”で勝つ設計にする。余白を“サボり”ではなく“安全”として組み込む。次の章で、理事長と事務長は「余白の作り方」を、何故かおでんの話に例えながら説明してきます。はい、また笑わせに来ます。


第5章…最大の80%で勝つ~余白がある施設ほど強い~

「最大値の80%が現実的目標値だよね」
新納がポロッと言ったその言葉を、理事長は拾いました。しかも拾い方が上手い。普通なら「弱気だ」と言われそうな言葉なのに、理事長はニコッとして言いました。
「いいですね。80%って、実は“勝てる数字”です」
現場がざわつきます。80%が勝てる? どういう意味? 理事長はそこで、いきなり例え話を始めます。

「皆さん、おでんを作る時、鍋をパンパンにしませんよね」
出ました。おでん。会議室の空気が一気に緩みます。
「パンパンにすると、沸いた瞬間に溢れて、コンロが地獄になります。80%くらいで20%の余白があると、味も沁みるし、溢れないし、弱火で続けられる。施設運営も同じです。満床100%、加算も全部100%、毎日完璧。そんな鍋は溢れます」
現場が笑いながら頷きます。溢れる鍋、想像できる。しかも地獄の掃除までセットで思い浮かぶ。理事長は続けました。
「余白はサボりじゃありません。余白は安全です。余白がある施設は、崩れた時に戻れます」

事務長はそこに、数字の言葉をそっと足します。
「稼働率は揺れます。入退院や看取り前後で部屋が少し空く日もあります。要介護度の構成も揺れます。加算も、月によって取り切れないことが出ます。だから“最大を前提に予算を組む”と、少し崩れただけで全体が苦しくなります」
これを聞いた現場は、心当たりがあり過ぎて頷きが止まりません。最初からギリギリで組むと、ちょっとした予定変更で、現場が一気にしんどくなる。しんどくなると、ミスが増える。ミスが増えると、またしんどくなる。負のループです。

理事長はここで、余白の“使い方”を3つに分けました。といっても、難しい分類ではありません。現場の感覚で分かる分け方です。
「守る余白」
「立て直す余白」
「楽しむ余白」
守る余白は、事故や感染、皮膚トラブル、夜勤崩壊みたいな“絶対に守りたい線”のために置く余白です。ここは削る対象にしない。理事長が最初に約束した、あの線です。立て直す余白は、想定外が起きた時に戻るための余白。急な修繕、急な物品の増加、急な人員の穴。ここが無いと、現場が根性で埋めることになります。根性は尊いけど、根性は長続きしません。楽しむ余白は、レクや季節のしつらえ、ちょっとしたおやつ、利用者さんの「今日がいい日だったな」を作る余白です。楽しみがある施設は、不思議と不穏が落ち着くことがあります。笑いが増えると、職員の空気も柔らかくなる。結果的に、守る余白にも繋がっていく。楽しみは贅沢じゃなく、暮らしの土台なんです。

もちろん、余白を作るには工夫が要ります。理事長はここで、事務長に視線を送ります。事務長が出してきたのは、また紙1枚。今度の紙は、真面目そうなのに、どこか笑えるタイトルが書いてあります。
「ムダの見つけ方~ラスボスは“何となく”~」
現場がクスッとします。何となく。これ、一番強い敵です。気づき難い。倒し難い。しかも、どこにでもいる。

事務長は言います。
「余白を作る時、現場の必需品から削ったらダメです。削るなら、“なんとなく続けてる支出”からです」
例えば、毎年同じタイミングで更新している契約。内容を誰も読んでいない委託。昔の事情で残った保守。発注のやり方が古くて割高になっているもの。ここを見直すと、現場の安全と楽しみを削らずに余白が生まれることがあります。現場に我慢を強いる前に、仕組みの古さを直す。これが理想の二人の基本姿勢です。

ここで理事長は、職員に向けてこう言いました。
「余白は、職員にとっては“息”です。息があると、丁寧さが戻ります。丁寧さが戻ると、利用者さんの表情が戻ります。表情が戻ると、家族も安心します。安心が増えると、クレームが減ります。クレームが減ると、相談員が守られます。相談員が守られると、現場が守られます。……ほら、全部繋がります」
これ、コメディーみたいに聞こえるけれど、じつは真理です。現場は笑いながら「分かる」と頷いてしまう。連鎖って、本当に起きます。

事務長も、最後に現実的な一言を添えました。
「最大を夢として持つのは大事です。でも予算は、夢のためじゃなく、毎日のために組みます。最大の80%で回せる設計にすると、想定外が来ても崩れません。崩れない施設は、利用者さんの暮らしが崩れません」
理事長は頷き、最後にもう一度、おでんの話に戻しました。
「鍋が溢れないと、具がちゃんと見えます。具が見えると、必要なものが分かります。必要なものが分かると、余計なものを入れなくなります。……つまり、余白は具を守る」
職員が笑います。「具って私たちですか?」
理事長はニヤリ。「半分は職員、半分は利用者さんです。どっちも大事な具です」
この言い方が、温かい。笑いが起きる。笑いが起きたまま、予算の話が終わる。2月の会議でこれが出来る施設は、強いです。

こうして、理想の理事長と事務長は、最大を追いかけるのではなく、「崩れない運営」を選びました。余白があるから、現場は焦らない。焦らないから、ケアが丁寧になる。丁寧だから、事故が減る。事故が減るから、また余白が生まれる。優しい循環が回り始める。ズブズブの巨大循環ではなく、温かい循環です。

さて、ここまで来たら最後はまとめです。
理事長のハンコと、事務長の翻訳と、現場の知恵が合わさった2月の予算編成が、どうやって利用者さんの毎日に返っていくのか。最後にぎゅっと握って終わりましょう。

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まとめ…ハンコの向こうに利用者さんの笑顔が見える予算へ

2月の予算編成は、どうしても冷たい顔になりがちです。数字が並び、締切が迫り、会議が増え、現場はいつも通り忙しいまま。そんな中で「削る」から入ってしまうと、心が先に削れてしまいます。すると、ケアの丁寧さが落ち、空気が荒れ、疑いが育ち、最後に一番損をするのは、現場で暮らす利用者さんになる。これが、施設あるあるの“寒い連鎖”でした。

今回の理想の理事長と事務長は、その連鎖を逆向きに回しました。理事長は会議室の前で回れ右をして、ユニットの席に座り、利用者さんの名前を呼びました。現場に「人が主役」という温度を戻したんです。事務長は現場の「困った」を、数字の国でも通じる言葉に翻訳して、ただのお願いを「暮らしの提案」に変えました。ここまで来ると、予算は“部署の取り合い”ではなく、“暮らしを守る作戦”になります。

そして2人が本当に偉いのは、疑いの話を「犯人探し」にしなかったことです。ズブズブが怖いからといって、空気をギスギスさせたら、現場の体力が持ちません。だから2人は、笑いを混ぜながら、通れない道を作りました。選ぶ人、確かめる人、払う人を分ける。理由が言えない紙の分割はしない。相見積もりは正義の儀式にせず、暮らしが止まらない基準と一緒に並べる。これで、余計な噂が減り、現場は利用者さんの方へ視線を戻せます。一番守りたいものを守れるようになります。

全職員を一丸にするのも、「削る」でまとめるのではなく、「守る」でまとめました。守りたい日常を言葉にする。崩れかけた瞬間を責めずに共有する。必要なのは物か人か時間かを一緒に考える。そうやって、会議の空気を“勝ち負け”から“チーム”へ変えた。これが、理想の施設運営の強さです。強いのに、温かい。温かいのに、ちゃんと現実的。だから笑える。

最後の決め手は、「最大の80%で勝つ」という設計でした。満床も要介護度も加算も、現実は揺れます。揺れるのに、最初から鍋をパンパンにすると溢れる。だから余白を残す。余白はサボりではなく安全で、守る余白、立て直す余白、楽しむ余白がある施設ほど崩れません。崩れないから、ケアが丁寧になり、事故が減り、夜が静かになり、笑顔が増えていきます。ズブズブの巨大循環ではなく、温かい循環が回り始めるんです。

雪祭りも、元旦の書き初めも、結局は「毎日が守られているか」に帰ってきます。理事長のハンコの向こうに、利用者さんの暮らしが見えているか。事務長の紙1枚の向こうに、現場の声が届いているか。全職員の一丸が、誰かを追い詰める団結ではなく、利用者さんを守る団結になっているか。2月の予算編成は、そこを整える最大のチャンスです。

……もちろん、この理事長と事務長は新納の理想像です。現実に常駐しているとは限りません。けれど理想は、現実を変えるためにあります。まずは一つだけでもいい。会議室を出てユニットに座る。困りごとを翻訳する紙を1枚配る。理由の書けない道を塞ぐ。守りたい日常を言葉にする。余白を安全として残す。
その一歩ができた瞬間、施設は少し温かくなります。利用者さんの笑顔が、ほんの少し増えます。そして職員の心も、ほんの少し軽くなる。そんな2月を、今年は作っていきましょう。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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