帰省できない現役介護士が元旦に贈る~朝昼晩オンライン帰省で親を笑顔にする1日~

[ 1月の記事 ]

はじめに…帰れない元旦を責め合わないために

元旦の朝、実家のこたつの向こうにいるはずだった親の顔が、今年も画面の中にしかいない。そんなお正月を、ここ数年で何度も経験した介護・医療の現場の人は少なくないと思います。

大雪で交通機関が止まった年、流行している感染症のせいで面会どころか帰省そのものを会社や上司から控えるように言われた年、職場からははっきりした命令ではないけれどグチグチと「なるべく動かないで欲しい」と遠回しに釘をさされた年。帰りたい気持ちは山ほどあるのに、「自分がうつしたらどうしよう」「人が足りないのに休めない」と考えて、グッとこらえてきた元旦があったはずです。

実家で待っている高齢の親にしてみれば、「どうして今年も帰ってこられないのかな」と寂しく思う気持ちも本物です。一方で、現役の介護士として日々利用者さんを守っている子ども側の、「本当は年の初めくらい親の顔を見に行きたい」という気持ちも同じくらい本物です。どちらも悪くないのに、結果として「行けなかった」「来てくれなかった」という小さなトゲだけが、心のどこかに残ってしまいがちです。

この元旦の物語では、そんなモヤモヤを少しでも和らげるために、敢えて発想を変えてみます。実際に帰省する代わりに、現役介護士としての力を総動員して、朝・昼・夜の3回、スマホのビデオ通話だけで親を笑顔にする1日をデザインしてみるのです。

親にお願いするのは、ただ1つ。「決めた時間になったら、椅子に座ってスマホの呼び出しに出てもらうこと」。準備も、話題作りも、進行も、全部子ども側が引き受けます。普段仕事で磨いている観察力や声かけの技術、レクリエーションの引き出しを、今度は自分の親のためにフル活用してみるイメージです。

元旦という特別な1日を、ただの「帰れなかった日」で終わらせるのか。それとも、「朝から晩まで、画面越しなのにけっこう楽しかったね」と、後で笑い話にできる1日に塗り替えるのか。

このあと続く章では、現役介護士の子どもが主役となって、元旦の朝・昼・夜それぞれの時間帯にどんな工夫を盛り込めば、親は受話だけで無理なく楽しめるのかを、具体的な場面を追いながら描いていきます。帰省できない元旦を責め合うのではなく、「画面越しでもちゃんと会えた元旦」にしていく小さな工夫を、一緒にのぞいていきましょう。

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第1章…元旦の朝は体調と安心を届ける10分間のビデオ通話

元旦の朝、まだ外はうっすらと冷たい空気をまとっていて、マンションの窓ガラスには白い息がフッと曇る。夜勤明けの眠気が少し残る目をこすりながら、現役介護士の娘は、テーブルの上にスマホスタンドとマグカップを並べます。今日は帰省のための切符も、大きな荷物もいりません。用意するのは、充電のたっぷり入ったスマホと、親の顔を見るための10分だけの時間です。

画面の向こう側では、実家のリビングに置かれたこたつの前で、親が座って待っているはず。「時間になったらスマホが鳴るから、それに出てくれたらいいからね」そう伝えておいたので、操作は同居している兄弟か、近所に住む親戚がそっとフォローしてくれるでしょう。親本人に求めるのは、ただ座って受話することだけ。そのささやかな約束から、元旦の物語が始まります。

娘が時刻を確認し、そっと発信ボタンを押すと、数回の呼び出し音の後、ゆっくりと親の顔が画面いっぱいに映し出されます。「明けましておめでとう。今年もよろしくね」いつもの職場では何十人もの利用者さんに新年の挨拶をしている娘も、この瞬間だけは一人の子どもに戻って、少し照れくさそうに笑います。

介護士として働いていると、相手の体調を「じっと見てしまう」癖が自然と身につきます。この10分間も同じです。親の顔色はどうか、目の開き方にいつもと違うところはないか、声の張り、話す速さ、息継ぎのタイミング、ふと黙り込む間。仕事では当たり前の観察が、今日はそのまま大切な家族を守るための道具になります。

「昨日、紅白は最後まで観た?」「年末のお蕎麦は食べられた?」「今日は何時ごろ起きたの?」

一見すると何気ない雑談のような問い掛けでも、娘の頭の中では、眠りのリズムや食欲、生活のリズムがやさしく組み立てられていきます。親はただ笑いながら答えるだけでいいのに、その答えの1つ1つが、画面の向こうの暮らし振りを丁寧に教えてくれるのです。

時々、親はカメラから少し外れて、「あ、ちょっと待ってな」と言いながら、こたつの上に置いてあるみかんやおせちの残りを画面に映してきます。「ほら、昨日こんなん食べたで。お腹一杯や」その仕草1つでも、腕の動きや立ち上がる速さ、ふらつきの有無など、娘の目は自然にチェックを終えています。親にとっては、ただ自慢したい年始の食卓。娘にとっては、「今年もちゃんと食べられているんだ」という安堵の材料です。

大切なのは、この10分を「問い詰める時間」にしないこと。仕事モードのまま、「ちゃんと食べてる?」「薬は?」「転んでない?」と矢継ぎ早に聞いてしまうと、親の方が構えてしまいます。だから娘は、敢えてのんびりとした口調で、笑いを混ぜながら会話の中に体調の確認を紛れ込ませていきます。まるで施設のラウンジで、湯のみ茶を飲みながら世間話をしている時と同じように。

そして、忘れたくないのが、「安心のひと言」を添えることです。「こっちは大丈夫やで。仕事は忙しいけど、ちゃんとご飯食べてるし、ちゃんと寝てるし」親は画面の向こうの娘の顔をじっと見て、「痩せたんちゃう?」なんてお決まりの台詞を言うかもしれません。そのやり取り自体が、親にとっては何よりの元気の源になります。遠く離れて暮らしていても、「あぁ、この子はちゃんとやっているんだ」と感じられるだけで、胸の奥の不安がすっと解けていくからです。

10分は、意外とアッという間に過ぎていきます。名残惜しさを敢えて残したまま、娘は元旦の予定をサラリと伝えます。「お昼にも、また掛けるね。今度はちょっと面白いことするから楽しみにしといて」「夜は、昔のお正月の話、いろいろ聞かせてよ」

親は「ほな、楽しみにしとくわ」と笑って頷き、通話が切れた後も、しばらくスマホの画面を見つめたまま、フウッと息をつきます。会えない寂しさが、全く消えるわけではありません。それでも、元旦の朝に娘の顔を見て声を聞けたことで、「今年も始まったなぁ」という実感と、小さな安心が胸の中に灯ります。

娘の方も、通話を切ったあと、マグカップを両手で包み込みながら、画面に残る親の笑顔を思い出します。この10分間があっただけで、「帰れなかった」という負い目が「ちゃんと顔を見て話せた」という手応えに変わっていくのを感じます。元旦の朝のビデオ通話は、豪華なプレゼントでも、派手なサプライズでもありません。それでも、現役介護士の娘にしかできないやり方で、親の体調と心にそっと触れて、「今年も一緒に年を越えたね」と確認し合うための、大切な儀式になっていきます。


第2章…昼の20分は介護士の腕の見せどころ“画面越しレクリエーション”

元旦の昼前、窓から差し込む冬の光が少しだけ強くなってきたころ、娘は短い仮眠から目を覚ましました。朝の通話では、親の顔色や声の調子を確かめて、ホッとする安心を届けることが出来た。ここから先は、介護士としてのもう1つの特技――「人を笑わせる力」の出番です。

テーブルの上には、既にいろいろな小道具が並んでいます。色紙で作った小さな門松の飾り、適当な画用紙にマジックで書いた「オンライン〇〇家御一行様」の札、普段はエプロン掛けにぶら下がっている派手なエプロン、そして頭に乗せるだけで笑いが取れそうな和風カチューシャ。その横には、小さなグラスにちょこんと注がれた赤ワインと、丸くて小ぶりな紀州みかんが、まるで出番を待つ役者のように並んでいます。

紀州みかんは、昔ながらの酸っぱい品種です。甘くて手軽な新品種が店頭をにぎやかしている今でも、どこか懐かしい香りと、きゅっと締まった酸味を好む人たちに根強く愛されています。江戸のころには、「種が多い=子宝に恵まれる」として縁起物になり、紀伊国屋文左衛門が紀州から江戸へ船で運んで大儲けした、という話まで残っているほど。娘はその昔話をどこかで読んだことがあり、今年のオンライン帰省では、ぜひ親と一緒にこのネタで遊びたいと前から考えていました。

時刻を確認して、娘はエプロンを身につけ、和風カチューシャを頭にちょこんと乗せます。鏡に映る自分の姿に思わず吹き出しながら、「昼の部、開幕」と小さく宣言し、ビデオ通話のボタンをタップしました。数回の呼び出し音の後、こたつの前に座った親の顔が画面に映ります。

「うわ、なにその格好。あんた、どこの出初式行くつもりや」

開口一番、親のツッコミが飛んできて、娘の目論見は早速大成功です。「本日担当、オンラインレクリエーション係でございます。元旦特別公演、昼の部をお届けに参りました」娘がわざと大袈裟に頭を下げると、親は肩を揺らして笑います。朝のしんみりとした空気はどこへやら、画面の向こうに一気に宴会前のような明るさが戻ってきました。

娘はまず、テーブルの端に置いてあった小さなグラスを手に取ります。「さ、今日は1つ、実験をしようと思ってまして」グラスの中には、赤ワインがほんのひと口分だけ。親の方には、予め兄弟に頼んで、お茶かジュースを用意してもらっています。アルコールを合わせる必要はありません。大事なのは、「何かを一口飲んでから、紀州みかんを食べる」という流れです。

「これ、見える? 赤ワイン。紀州みかんと相性抜群の“魔法の飲み物”やねん」

娘がそう言ってグラスを画面に掲げると、親は目を丸くします。「なにそれ。正月から難しいこと言わんといて」「難しいことは全部こっちでやるから大丈夫。お母さんは、そこのみかん持ってくれたらええよ。ほら、種入りのん、買っといてって頼んだやろ?」

親のこたつの上にも、小ぶりの紀州みかんが一山。まるで親子の家が遠く離れた舞台の両側にあって、同じ小道具を持っているような、不思議な一体感が生まれます。

娘はグラスを口元に運び、わざと顔をしかめながら赤ワインを一口飲みました。「うわ、すっぱ。渋っ。舌がびっくりしてるわ」その誇張した表情に、親は堪え切れず吹き出します。「何その顔。画面止まったんか思たわ」「ここからが本番やで。はい、お母さんもお茶ひと口飲んで。舌をビックリさせるのがポイントや」

親が渋々湯のみを口に運び、フウッと息をついたのを見届けると、娘は声を弾ませました。「さ、紀州みかんタイムの開幕です。同時に剥きましょう」

二人で「せーの」と声を合わせて、みかんの皮を剥き始めます。画面の中で、二人の手元に同じような色と大きさの実が現れる様子は、まるで双子のようです。一房を摘まんで口に入れると、親の眉がフワリと持ち上がりました。

「……あれ? これ、こんな甘かったっけ」

娘は、待ってましたとばかりにニヤリとします。「さっきの飲み物で、舌が“酸っぱくて渋い世界”に慣れてしもたんよ。そこへ、この酸っぱい紀州みかんがやってきたら、もう甘いご馳走にしか感じへんわけです」「口の中で騙された気分やな。さっきまで酸っぱいもん嫌がっとった舌はどこ行ったんや」

親はそう言いながら、もう一房、もう一房とみかんに手を伸ばします。いつもなら「酸っぱいなぁ」と顔をしかめるところなのに、今日は「あれ、やっぱり甘いわ」と笑いながら食べ進めてしまう。同じみかんなのに、順番と遊び心を少し変えただけで、味の印象がガラリと変わることに、親子で声を出して驚きます。

「昔の江戸の人も、こんなふうに『うわっ、甘っ』って言いながら食べてたんかなぁ」「いや、あの時代は赤ワインなんか飲んでへんやろ。そこは現代のズルや」

そんな掛け合いをしながら、娘はふと思いつきます。「ほな、次は“音だけ紀州みかんクイズ”いってみよか」そう言うと、みかんの皮をわざとマイクに近づけて、ゆっくりと剥く音を聞かせます。「今から、私が何個剥いたか当ててな」「そんなん分かるかいな」「外したら、変顔体操に参加してもらいます」

罰ゲームの言葉が出た瞬間、親は「あかんあかん」と笑いながら真剣に耳を澄ませ始めます。シュルシュル、と皮がむける音。プチ、と房が千切れる音。親は半分冗談、半分本気で回数を数え、娘はそのたびに「正解」「惜しい」と大げさなリアクションを返します。やがて、「惜しかったから罰ゲーム半分だけ」と言って、娘が自分だけ変顔を披露すると、親は涙が出るほど笑い出しました。

笑い声が落ち着いた頃を見計らって、今度は本物の体操の時間です。「さ、ここからは“おいしい顔体操”いきまーす。さっきのみかんを飲み込みやすくするための、大事な準備やで」そう宣言すると、娘は口を大きく開けて「あー」、口角を引き上げて「いー」、唇をすぼめて「うー」、舌を思いきり突き出して「べー」と、顔中の筋肉を総動員させます。変顔と体操の境界線は、もはやどこにあるのか分かりません。

親は最初、「もうやめて、お腹痛い」と笑って見ているだけでしたが、「はい、今度はお母さんの番」と促されると、仕方なさそうな顔をしながらも少しずつ真似をし始めました。「そんなに舌出したら、スマホに当たるで」「当たったら拭いたらええねん」

二人で「あー」「いー」と声を合わせているうちに、いつのまにか部屋中が笑いと変な発音で満たされていきます。口や頬の筋肉がしっかり動くので、飲み込みのリハビリにもなっていますが、親にとっては「今年の初笑い」の方がずっと大事です。娘もそのことをよく知っているからこそ、真面目な説明はあと回しにして、とにかく楽しくふざけることを優先します。

気づけば、通話を始めてからかなり時間がたっていました。名残惜しくはありますが、娘はスマホの画面を見つめながら、息を整えて言います。「そろそろ昼の部はお終いにしよか。夜の分のネタまで、ここで全部出してもうたらもったいないしな」「ほんまや、もうお腹痛いわ。夜までに笑いジワ増えそうや」

二人は笑いながら、「夜は昔のお正月の話、じっくり聞かせてな」と次の約束を交わします。通話が切れた後、親はこたつに深くもたれ、紀州みかんの皮が入った皿を見つめながら、「さっきの味、なんやったんやろ」と独り言をこぼします。娘の部屋でも、テーブルの上のグラスとみかんの残りを片付けながら、「あの驚いた顔は撮っておきたかったな」と、一人で笑いがこみ上げてきます。

元旦の昼のオンライン帰省は、たった二十分の出来事です。けれど、その短い時間の中で、遠く離れた親子は同じみかんを味わい、同じタイミングで笑い、同じ昔話にツッコミを入れました。介護士として磨いてきたレクリエーションの技と、子どもとしての愛情が一緒になって、「酸っぱいはずのみかんが甘く感じるくらい、不思議で楽しい時間」を生み出していきます。その記憶が1つ増えるたび、「帰れなかった元旦」は、少しずつ「画面越しでも大笑いした元旦」に塗り替えられていくのです。


第3章…元旦の夜は回想とねぎらいの“ちいさな家族会議”

元旦の夜、外はすっかり冷え込み、ベランダの向こうに見える街の灯りも、どこか落ち着いた色に変わっていきます。昼の部で全力のレクリエーションをやり切った娘は、少しだけ昼寝をして、温かいお風呂で体をほぐしました。夜のオンライン帰省は、笑いも大事にしながら、ここまでの一年とこれからの一年を、そっと一緒に見つめ直す時間にしたいと考えていました。

昼の時のような派手なカチューシャも、エプロンも、今はテーブルの隅に下げられています。代わりに、部屋着のカーディガンを羽織り、湯気の立つマグカップを両手で包み込みながら、スマホの前に座りました。「朝は体調チェック、昼は大笑い。夜は、“小さな家族会議”やな」そう呟いて、娘は画面の位置を少しだけ低く調整します。相手の目線と同じ高さで話せるようにするのは、介護士として身についた癖でした。

約束の時刻になり、呼び出し音が鳴って、こたつの前の親の顔が画面に現れます。昼と同じ部屋なのに、照明が少し落ちているせいか、どこかしっとりした雰囲気です。「お疲れさん。よう昼間は笑わせてくれたなぁ」親は、まだ笑い疲れが残っているのか、目尻に小さな皺を刻んでニコニコと微笑んでいます。

娘も笑いながら、「今日は、一日中お母さんを独占してしもたな」と冗談を返しつつ、夜の部のテーマを切り出しました。「今からの時間は、“今年もよう頑張りました会”と、“昔のお正月振り返り会”です。飲み物は用意できてますか」こたつの上には、親の湯のみと、小さな煎餅の皿が置かれています。娘の手元には、ハーブティーの入ったマグカップ。それぞれの家で違うものを飲んでいても、「乾杯」のひと言を合わせるだけで、不思議と同じ空気を味わっているような気持ちになります。

「まずは、お母さんに聞きたいことがあります」娘は、少しだけ真剣な表情になりました。「今年一年で、“よう頑張ったなぁ”って、自分で自分を褒めてあげたいこと、何かある?」

親は一瞬、「そんな大そうなことは何も」と手を振りかけますが、娘はゆっくり首を振ります。「大きいことで無くてええねん。毎日のことでも、今思いついたことでも。何か1つだけ、教えて欲しい」

しばらく沈黙が流れます。その沈黙を、娘は急かさずに待ちました。利用者さんと話す時と同じように、「答えが出てくるまでの時間も、その人の一部」だと知っているからです。

やがて、親は少し照れたような声で話し始めました。「そうやなぁ……今年も、何とか一人でトイレ行けてることかな。途中で転ばずに、ここまで来れたのは自分でも頑張ったと思うわ」その言葉に、娘の胸の奥がじんわりと温かくなります。普段なら当たり前のように聞き流してしまう一言かもしれません。けれど仕事でどれだけ多くの転倒やケガを見てきたかを思うと、その「なんとか」の重さが痛いほど分かります。

「それ、めちゃくちゃ凄いことやで」娘は大きく頷きました。「仕事してると、ホンマにそう思う。毎日ちゃんと起きて、トイレ行って、ご飯食べて。簡単そうに見えて、全然、簡単ちゃうもん」親は少し居心地悪そうに笑いましたが、その笑顔の裏で、どこか誇らしげな表情も見えました。

今度は、親の方から問い掛けが飛んできます。「あんたは? 今年一年、何を頑張ったん?」娘は、少しだけ視線を落としてから、ゆっくりと顔を上げました。「今年も、転ぶ人を一人でも減らせるように、現場でよう走った。それから……帰省できへん年が続いても、お母さんの顔だけは、こうやって毎回見に来た。これは、自分で自分を褒めてええかなと思ってる」

その言葉に、親の目がうっすらと潤みます。「それは、こっちが感謝することやろ。しんどい仕事して、休みの日にまでそんなことして」「しんどいけどな、お母さんが『元気やで』って言う顔見たら、だいぶチャラになるねん。だから、これはお互い様」

こうして、「よう頑張りました会」は、自然とお互いを労い合う時間に変わっていきます。娘は、相手を責める言葉や、「もっとこうしてほしい」という注文を一度飲み込んで、「ここまで頑張ってきた」部分だけをゆっくり拾っていきました。

場の空気が少し柔らかくなったところで、娘は話題を変えます。「ほな、“昔のお正月振り返り会”に移りましょう。覚えてる中で、一番印象に残ってる元旦って、いつのこと?」

親は、遠くを見るような目をして、しばらく考え込みました。それから、ポツリポツリと、若い頃の記憶を語り始めます。まだ自分が子どもだった頃、家族揃って神社へ行ったこと。結婚して間もないころ、忙しさのあまり、お雑煮もおせちも簡単なものしか用意できなかったこと。娘がまだ小さかったころ、こたつ布団の上で寝てしまい、お餅を焼き過ぎて真っ黒にしてしまったこと。

娘は、その1つ1つに笑い声と相槌を返しながら、知らなかったエピソードには素直に驚きます。「え、それ初めて聞いた」「そんなことあったんや」親は、自分の過去が誰かの興味の対象になっていることが嬉しいのか、話すたびに表情がどんどん生き生きとしていきました。

やがて、話題は自然と、ここ数年の「帰省できなかったお正月」に移っていきます。「ほんまは、あんたらが帰ってきて、皆で鍋囲めたら一番ええんやけどな」親がそうこぼしかけた瞬間、娘は静かに頷きました。「うん。私もそう思う。ほんまは帰りたい。でも仕事のこと考えたら、どうしても踏ん切りつかへん時があるんよな」

責めるでもなく、開き直るでもなく、ただ事実として自分の本音を口にする。それは、利用者さんの気持ちを受け止める時と同じように、自分自身の気持ちも大事にするやり方でした。

「せやからせめて、こうやって元旦くらいは、朝昼晩と顔を見せに行く。お母さんにして欲しいことは、難しい準備やないねん。時間になったら座っててくれるだけで、こっちは十分」

親は、少し目を伏せてから、小さく笑いました。「それやったら、私でも出来るな。来年も、その役やったるわ」「うん。その約束が続いてるだけで、私も頑張れる」

二人の間に、ゆっくりとした沈黙が流れます。でも、その沈黙は気まずさではなく、「言葉にできない気持ちが確かにここにある」とお互いに分かっている、穏やかな静けさでした。

娘は最後に、家族会議らしい締め括りとして、一つだけ確認しました。「そうそう、今年の家のことで、困ってることない? 電球切れかけてるとか、足元すべりやすいとこあるとか」親は「そういえば」と思い出し、廊下のマットが少しめくれやすくなっていることを話します。娘は「それは危ないな」と真剣に頷き、後日、兄弟に連絡しておくことを心の中で決めました。元旦の夜のビデオ通話は、懐かしい話だけでなく、これからの暮らしを少しだけ安全にするための相談の場にもなっていきます。

通話をそろそろ切ろうかという頃、娘は画面の向こうを見つめながら言いました。「今日は、一日つきあってくれてありがとう。朝も昼も夜も、ちゃんと顔見せてくれて嬉しかった」親は、少し照れたように笑って、こう答えます。「こっちこそや。帰ってこられへん年やけど、よう話した元旦やったな。ええ年の始まりやわ」

画面が暗くなった後、娘はしばらくスマホを置けずにいました。部屋着の袖で目元をそっとぬぐいながら、「来年はどういう形になるかな」と未来を思い描きます。直接会えるかもしれないし、またオンラインかもしれない。それでも、今日のこの元旦の夜が、「会えなかった年」の黒い点ではなく、「しっかり話して笑った年」の明るい印として記憶に残ることだけは、きっと変わりません。

元旦の夜のオンライン帰省は、賑やかな行事でも、派手なイベントでもありません。けれど、静かな回想とお互いを労う言葉が交わされるこの時間は、現役介護士の娘と高齢の親にとって、一年の始まりに相応しい“小さな家族会議”になっていきます。


第4章…現役介護士だからこそ出来る親を笑顔にする3つの工夫

元旦の朝・昼・夜と、娘はビデオ通話だけで親と一緒に一日を過ごしました。体調をそっと確かめた朝、紀州みかんと赤ワインの小さな実験で大笑いした昼、回想と労いを交わした夜。振り返ってみると、どれも特別な機械や派手な仕掛けはありません。日ごろ現場で当たり前のように使っている力を、そのまま親との時間に持ち込んだだけでした。

現役介護士だからこそ自然に出来るその工夫は、大きく分けると3つあります。「観察力」と「声掛け」と「レクリエーション力」。この3つが、帰省できない元旦を「寂しい日」から「話題にしたくなる日」に変える土台になっていました。

観察力~いつもの“利用者さんを見る目”で親の毎日をそっと覗く~

第1章の朝の場面で、娘は親の顔色や声、話し方をさりげなくチェックしていました。利用者さんの様子を確認する時と同じように、「今日は少し声が掠れているな」「息継ぎの間がいつもより長いかな」と小さな変化を心の中で拾っていきます。ただし、それをそのまま言葉にはしません。「顔色悪いで」「ちゃんと食べてるの」と詰め寄るのではなく、「昨日は何食べてた?」「どの辺りまで紅白観た?」と、雑談の中に体調のヒントを紛れ込ませるのです。

この時、娘は、画面に映る情報だけで判断しようとはしていません。親の答え方、声のトーン、少し黙り込む間、立ち上がって物を取りに行く時の動き方。一日を通して積み重なっていく断片を、頭の中でゆっくり繋ぎ合わせて、「今の暮らしぶり」を立体的に思い描こうとしています。現場で「今日の〇〇さんは、少し違う気がする」と気付ける人は、そのまま親にも同じアンテナを向けることが出来ます。

オンライン帰省だからこそ、この観察力が生きてきます。画面越しの元旦が終わった後、「あの言い方、ちょっと気になるな」と感じたところには、後日、兄弟に連絡を入れたり、かかりつけ医の受診タイミングを意識しておいたり。その一歩が、離れていても親の暮らしを見守る力になります。

声かけ 責めない・急かさない・でもちゃんと届く言葉を選ぶ

介護の仕事をしていると、「言い方ひとつ」で人の心の動きが変わる場面を何度も見ます。元旦のオンライン帰省でも、娘はその感覚を親との会話に活かしていました。

例えば、第3章の夜の場面。「今年一年、よう頑張ったなと思うことある?」と聞かれた時、親はすぐには答えられませんでした。そこで娘は、「早く答えて」「何でもいいから言って」と急かすことはしません。沈黙の時間ごと受け止めて、親の言葉を待ちます。やがて出てきた「何とか一人でトイレに行けている」という一言を、「それは凄いこと」と真っすぐに褒める。プレッシャーではなく、労いと尊敬のこもった言葉を選ぶことで、親の表情はゆっくり解けていきました。

昼の部でも同じです。紀州みかんと赤ワインの実験で、親が驚いた顔をした時、娘は「ほら、言った通りやろ」と得意げにマウントを取るのではなく、「舌がびっくりして、みかんをご馳走やと思ってるんやな」と、一緒に笑える言葉に変えていました。同じ説明でも、相手を下に見ない言い方を選ぶことで、「教える側と教えられる側」ではなく、「一緒に楽しむ仲間」という関係を保つことが出来ます。

現役介護士の読者なら、「否定しない」「命令しない」「責めない」声かけの積み重ねが、どれほど安心感に繋がるか、身に覚えがあるはずです。その技を、元旦だけは自分の親に全力で向けてみる。それだけで、画面越しの会話は驚くほど温かく、素直な本音が出やすい時間に変わっていきます。

レクリエーション力 道具の少なさを“工夫の切っ掛け”に変える

第2章の昼のオンラインレクでは、娘は特別な道具をほとんど使っていませんでした。派手なエプロンとカチューシャ、家にある小物、赤ワインと紀州みかん。どれも、少し視点を変えれば立派なレクリエーションの材料になります。

現場でレクを回す時、介護士は常に「その場にある物」と「その場にいる人」を組み合わせながら、即席の遊びを作っています。ビンゴカードが無くても、新聞紙とペンがあれば何かが出来ないかと考え、歌も、体操も、その日の雰囲気に合わせてアレンジしていきます。この柔軟さこそが、画面越しの元旦でも生きてきます。

紀州みかんと赤ワインの小さな実験は、その象徴でした。昔話と縁起物の話を混ぜ込みながら、「酸っぱいはずの物が甘く感じる」という不思議体験を一緒に味わう。音だけで何個剥いたか当てる遊びに変えてみる。正解かどうかよりも、「親子で同じ驚きと笑いを共有できたかどうか」が大事だと知っているからこそ、娘は全力でふざけ、全力で盛り上げます。

「そんな芸当、自分には出来ない」と感じる人もいるかもしれません。けれど、難しいマジックや完璧な司会進行は必要ありません。みかん一個、昔の写真一枚、子どもの頃の失敗談1つ。どれも、少し大げさなリアクションと、一緒に笑おうとする気持ちさえあれば、立派なレクリエーションのタネになります。現役介護士の持つ「その場を少しだけ楽しくする力」は、親にとっても、十分過ぎる贅沢なお年玉なのです。

“段取りは全部こっち持ち”という覚悟が、親を気楽にさせる

もう1つ、大事な視点があります。それは、「オンラインの準備や段取りは、全部こちら側が持つ」という覚悟です。機械に不慣れな親に、アプリの設定やパスワード、背景の片付けまで求め始めると、それだけでハードルが上がってしまいます。

この元旦の物語で、娘が親にお願いしたのはたった1つ、「時間になったら座って、スマホの呼び出しに出てくれること」だけでした。後は、兄弟や親戚、施設スタッフなど、周囲の助けを借りてでも、子ども側が段取りを整えていきます。現場で「利用者さんに負担を掛けないように」と自然に動いているその感覚を、親にもそのまま向けるのです。

その結果、親は「難しいことは分からんけど、この時間に座っていれば、向こうが何とかしてくれる」と安心して参加できます。この気楽さがあるからこそ、元旦の朝・昼・夜のビデオ通話は、義務や行事ではなく、「少し楽しみな予定」として受け取って貰えるようになるのです。

現役介護士として働く人が、仕事で培った技をそっと親のために使う。観察力と声かけとレクリエーション力、そして段取りを引き受ける覚悟。その4つが揃うと、画面の向こうで待っている親の元旦は、「誰も来ない寂しい一日」から、「ちょっと自慢したくなる一日」へと、静かに姿を変えていきます。

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まとめ…“会えなかった元旦”を“話題にしたくなる思い出”に変える

元旦は、本来なら実家の玄関を開けて、「ただいま」と言いながらこたつに潜り込む日かもしれません。けれど、ここ数年のように、大雪や流行中の感染症、医療・介護現場の事情で、どうしても帰省を諦めざるを得ない年もあります。「帰れなかった元旦」は、放っておくと、心の中でいつまでも“申し訳なさ”がしこりとして残りがちです。

今回の物語で現役介護士の娘が選んだのは、そのしこりを誤魔化すことでも、無かったことにすることでもありませんでした。代わりに、「それでも顔を見に行きたい」という気持ちを、スマホのビデオ通話に乗せて、朝・昼・夜の3回に分けて届けるという工夫でした。

朝は、体調と安心をそっと届ける10分間。専門職として身についた観察力をフルに使いながらも、親にはそれを意識させない、柔らかい雑談の時間にしました。昼は、紀州みかんと赤ワインを使った小さな実験と、変顔混じりの体操で、お腹が痛くなるほど笑う20分。「酸っぱいはずのみかんが甘く感じる」という不思議を一緒に味わうことで、離れた場所にいながら同じテーブルを囲んでいるような一体感が生まれました。夜は、その一年を労い合い、昔のお正月の思い出を語り合う“小さな家族会議”。直接会えない現実を認めつつ、それでも「ここまでよう頑張ってきたね」と、互いの歩みを確かめ合う時間になりました。

そこに共通していたのは、「現役介護士としてのスキルを、親のために惜しみなく使う」という姿勢です。利用者さんの変化に気付く観察力、責めずに本音を引き出す声かけ、身近な物を遊びに変えるレクリエーション力。そして、オンラインの段取りは全てこちら側が引き受け、親には「時間になったら座って受話してくれるだけでいい」と役割を絞る優しさ。その組み合わせが、ただのビデオ通話を、「後で何度でも話題にしたくなる元旦」に変えていきました。

もちろん、同じことを全て真似する必要はありません。紀州みかんが手に入らないなら、地元の名物でも構いませんし、赤ワインの代わりに、好きな飲み物でも十分です。大笑いするレクリエーションが苦手なら、写真アルバムを一緒にめくるだけの時間にしても良いでしょう。大切なのは、「帰れないから何もしない」ではなく、「帰れないからこそ、画面越しでも一緒に元旦を過ごす工夫をしてみよう」とひと歩き出してみることです。

医療・介護の現場で働いていると、「家族の時間はいつでも後回しにできてしまう」と感じる瞬間が何度もあります。でも、今年の元旦を、朝・昼・夜のどこか一回だけでも「オンラインで一緒に過ごした日」に変えるだけで、将来振り返った時の記憶は大きく違ってきます。「会えなかった年」ではなく、「画面越しにみかんを一緒に食べて、よう笑った年」として思い出せるなら、その差はきっと小さくありません。

もし、今年も帰省を諦めざるを得ない状況になったら、是非この物語を思い出してみてください。元旦の朝に体調と安心を、昼に笑いとお楽しみを、夜に労いと言葉の温もりを。スマホ1台と、少しの準備と、あなたの声があれば、離れて暮らす親に届けられるものは、まだたくさん残っています。

“会えなかった元旦”を、“あの時はああやって笑ったよね”と語り合える思い出に変えるのは、今ここで、通話ボタンを押すあなた自身なのかもしれません。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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