虫一匹で心が動く~田舎の介護施設で楽しむ初夏の虫レク~
はじめに…草むらの1匹がいつもの午後を変えてくれる
6月のある午後、施設の庭を眺めていた利用者さんが、ふいに身を乗り出しました。「ほら、あそこにおる」。指の先を辿ってみれば、葉っぱの上を小さな虫が歩いています。職員もつられて覗き込み、「どこです?あ、いた!」。ほんの数秒前まで穏やかだった窓辺が、急にちょっとした観察会になりました。
6月4日は、6の「む」と4の「し」を合わせた「虫の日」。自然と人との共生に目を向ける日ですが、介護施設ではもっと身近な楽しみ方もできます。虫をじっと見る人、名前を思い出そうとする人、「昔はよう捕まえた」と話し始める人。小さな1匹を囲むだけで、それぞれ違う扉が開いていきます。
職員が立派な企画を用意しなくても大丈夫です。「レクリエーションを始めます!」と気合を入れた日に限って皆さんの反応が静かで、何も予定していない日に虫1匹で大盛り上がり……介護現場では、割りとある話かもしれません。「準備した私の画用紙50枚は?」と心の中でツッコミたくなりますが、それもまたご愛嬌です。
虫には、昔遊んだ場所や家族との出来事、得意だったことまで呼び起こす力があります。誰かが「昔はクワガタを捕った」と話せば、隣から「儂は弟に取られた」と続き、気づけば一喜一憂の少年少女時代へひとっ飛び。虫そのものより、虫を見た人の記憶が動き始めるところに面白さがあります。
虫レクの主役は虫ではなく、その1匹を見つめた人の中から飛び出してくる思い出です。
庭の草むら、水辺、窓の外。田舎の施設には、立派な道具を用意しなくても楽しめる季節の入口がすぐ傍にあります。見つけて、眺めて、笑って、ちょっと昔を話す。そんな何気ない時間から、初夏らしい楽しい1日が始まります。
[広告]第1章…6月の庭は小さな舞台~見つけるだけで始まる虫レク~
梅雨どきの庭は、雨ばかりで外に出にくい季節……と思ったら、足元では小さな住人たちが忙しく動いています。葉っぱの裏、植え込みの隙間、水辺の草むら。少し目線を下げるだけで、昨日まで気づかなかった虫がひょっこり姿を見せます。正に千変万化。6月の庭は、毎日少しずつ出演者が変わる小さな舞台です。
夕方から夜にかけて目を引くのはホタル。暗がりに小さな光が浮かぶと、それだけで周囲の空気まで静かになります。「昔は川のところにようおったなあ」と声が出れば、その光を見ているのか、何十年も前の景色を見ているのか分からなくなるほどです。田舎ならではの身近な自然が、思い出の入口になってくれます。
昼間ならテントウムシも見つけやすい存在です。葉の上をちょこちょこと歩く赤い姿は、小さいのに妙に目立ちます。虫があまり得意ではない人でも「これは可愛いな」と眺めやすく、誰かが発見すると周囲の人まで顔を近づけたくなります。小さな虫なのに、いつの間にか人間がゾロゾロ集まっている。テントウムシ本人からすれば、「今日はやけに観客が多いな」と困っているかもしれません。
そこへアゲハチョウがヒラリと飛んでくれば、一気に視線は空へ。地面ではアリの行列を追いかけ、「どこまで行くんやろ」と足元をじっと見る人もいます。虫の種類によって見る方向も、体の動かし方も、出てくる言葉も違います。百花繚乱ならぬ「百虫繚乱」とでも呼びたくなる賑やかさです。元気に飛び回る虫もいれば、木陰や草の中でひっそり暮らす虫もいて、その違いを見つけるだけでも十分に面白い時間になります。
大切なのは、何匹見つけたかを競うことではありません。捕まえなくても、名前が分からなくても、「いた」「動いた」「綺麗だな」で立派な入口になります。虫レクは、虫に詳しい人だけの遊びではなく、季節の小さな変化に一緒に気づく時間です。
昨日はいなかった場所に今日は虫がいる。雨が上がったら別の姿が見える。そんな一期一会があるから、同じ庭でも毎日まったく同じにはなりません。特別な道具を用意する前に、まず窓の外や庭先を少し眺めてみる。そこから始まるレクリエーションなら、参加する側も職員も肩の力を抜いて楽しめそうです。
第2章…虫を追えば思い出も動く~見る・探す・語るが自然に繋がる~
「あ、あそこにおるで」。誰かが虫を見つけると、その一言につられて周りの人も目を凝らします。少し前まで椅子にもたれていた人が身を乗り出したり、窓辺まで近づいたり、葉っぱの裏を覗こうとしたり。虫を探すだけなのに、視線も体も自然と動き始めます。
草むらを覗くには少し姿勢を変えますし、小さな虫を見つけるにはじっと目を凝らします。無理に「運動しましょう」と声をかけなくても、「あそこに何かおる」という好奇心が動く理由になることがあります。葉の裏を見たり草むらを覗いたりする行動そのものが、目や指先、腰など体を使う時間になります。
もちろん、虫を見つけるために無理なしゃがみ込み大会を始める必要はありません。「虫より先に腰を捕まえました」では笑うに笑えませんので、座ったまま眺めたり、職員が見つけた場所を教えたり、その人に合った楽しみ方で十分です。何匹捕まえたかではなく、「見つけた」という小さな達成感を一緒に味わう。そんな一石二鳥の時間なら、参加する人にも職員にも負担が少なくなります。
面白いのは、その先です。「これは何て虫やったかな?」という一言から、「子どもの頃はクワガタを捕りに行った」「兄弟で取り合いになった」「ホタルなら川の向こうにようおった」と、記憶の引き出しが次々と開くことがあります。虫をキッカケに昔話が始まり、利用者さん同士で「あんたのところにもおったんか…」と意気投合。職員が用意した質問を順番に聞くより、ずっと自然な会話になることもあります。
そんな時の職員は、話を全部仕切らなくても大丈夫です。「それ、どこで捕ったんですか?」「へえ、そんな捕り方があったんですね」と少しだけ続きを促せば、あとは本人たちの記憶が走り出してくれることがあります。職員まで「私も知ってます!」と主役を奪いに行くと、いつの間にか職員の昆虫トークショーになってしまいます。それはそれで楽しそうですが、今日は少し席を譲りましょう。
虫に名前をつけたり、「このアリ、どこまで行くんやろ?」「毎晩、光るホタルも忙しいな」と想像を広げたりするのも楽しいものです。正解を当てる時間ではないので、知らない虫がいても困りません。むしろ「分からんなあ」が誰かの知識を呼び、「昔はこう呼んどった」という地域の言葉まで飛び出せば、話題は縦横無尽に広がります。
虫を探しているようで、本当に見つかるのは、その人の中に眠っていた思い出や言葉なのかもしれません。
見る、探す、気づく、話す、笑う。その流れが自然に繋がった時、虫一匹は立派なレクリエーションの相棒になります。職員が楽しませなければと肩に力を入れるより、「何かおるかな?」と一緒に覗いてみる。そのくらいの距離感から、思いがけない昔話が始まる午後もありそうです。
[広告]第3章…捕まえなくても楽しめる~絵と写真と会話で残す虫との時間~
虫を見つけて「あっ、いた!」と笑った時間は、そのままでも十分に楽しいものです。ただ、折角、心が動いたのなら、その続きを室内へ持ち帰ることも出来ます。捕まえて虫カゴに入れなくても、見た姿を絵にしたり、写真を眺めたり、聞いた昔話を言葉に残したりすれば、数分の出来事がもう少し長く楽しめる時間へ変わります。
紙と色鉛筆を出して「さっきの虫、どんな形でした?」と描いてみるのもその1つです。羽の色を正確に再現する必要はありません。「こんな感じやった」「いや、もっと大きかったぞ」と話しながら描けば、それだけで十人十色の虫が並びます。カブトムシの角が妙に立派になったり、ホタルの光が本体より大きくなったりしても、それは失敗ではありません。「このホタル、照明器具みたいですね」と職員が口を滑らせれば、作者から「明るい方がええやろ」と返されるかもしれません。それならもう作者の勝ちです。
絵を描くことが苦手な人には、無理に鉛筆を握ってもらわなくても大丈夫です。職員が撮った写真を一緒に眺めて、「どこで見つけました?」「この時、何て言ってましたっけ」と話すだけでも、その日の出来事が再び動き始めます。写真は虫そのものだけでなく、虫を覗き込んでいる表情や、誰かに場所を教えている姿を残すのも面白いものです。虫との一瞬を写真に残し、それを見返すことが次の楽しみに繋がるという発想もあります。
「百聞は一見にしかず」と言いますが、見た後にもう一度語る時間にも味があります。「これは私が見つけた」「あの日は雨上がりやった」「子どもの頃にも似た虫を見た」と、1枚の写真から話が枝分かれしていきます。虫の写真だったはずなのに、最後には田んぼの話、学校帰りの話、兄弟喧嘩の話まで出てくる。予定通りに進まないのが、むしろ回想レク(昔の記憶を呼び起こし、会話や気持ちの動きにつなげる活動)の面白いところでしょう。
少し創作を楽しめそうなら、見つけた虫とその日の出来事を1枚の紙にまとめて「虫便り」にする方法もあります。大作を目指さなくても、日付と虫の名前、誰が見つけたか、ひと言だけでも立派な記録になります。折り紙や紙工作でチョウやトンボを作り、季節の飾りへ繋げても良いでしょう。絵、写真、工作と言っても、完成度を競う展覧会ではありません。試行錯誤しながら「こんなんやったかな?」と笑える時間そのものが作品になります。虫との出会いを絵や新聞、工作などへ広げて記憶に残す楽しみ方も、このレクリエーションの大きな魅力です。
上手に作ることより、「あの日、みんなで虫を見たね」と後から話せるものが1つ残ることの方が大切です。
壁に飾った1枚の絵や、アルバムに入った1枚の写真が、数日後にもう一度、会話を始めてくれることがあります。虫はとっくにどこかへ飛んでいっても、その日の笑い声までは消えません。そう考えると、虫レクの終わりは虫を見失った瞬間ではなく、「また見つけたいな」と誰かが言った時なのかもしれません。
第4章…利用者さんが先生になる日~竹細工と昔の知恵をレクの主役に~
「昔は虫カゴなんか、自分で作ったんや」。虫の話をしている途中で、そんな言葉が飛び出したら面白い展開です。今なら虫カゴはお店で簡単に手に入りますが、竹を切り、細く裂き、組みながら自分で作った経験を持つ人もいます。虫を捕まえる遊びの奥には、道具まで自分の手で用意していた暮らしがありました。
竹の節を見ただけで、「そこは割れやすい」「その幅では虫が逃げる」と言葉が次々に出てくる人もいるでしょう。さっきまで職員から声をかけられていた利用者さんが、いつの間にか先生になり、職員が「えっ、そこを見るんですか」と教わる側になる。立場がくるりと入れ替わるこの瞬間には、普通の工作レクとは違う楽しさがあります。竹でトンボやカマキリなどを形作る技まで含め、長年の経験そのものが価値ある知恵として残っていることもあります。
ここで大切にしたいのが、アセスメント(その人の暮らしや力、希望を知るための見立て)です。「趣味は何ですか」という欄だけを眺めていても、その人が子どもの頃に何を作ったのか、家族にどんな物を作ってあげたのかまでは見えてこないことがあります。「昔、虫かごはどうしていました?」という何気ない会話から、忘れられていた得意技が顔を出す。それを拾えると、レクリエーションは適材適所の出番作りへ変わっていきます。
もちろん、昔と同じようにナタや刃物を使って本格的な竹細工をしなければならないわけではありません。安全に実演できる範囲だけお願いしたり、職員が材料を準備して組み方だけ教えてもらったり、実物を使わず「どう作っていたんです?」と話を聞くだけでも十分です。一心不乱に完成品を作ることより、その人が「これは知っている」「これは教えられる」と感じられる時間の方が大切だからです。
職員が全部準備し、説明し、見本を作り、「はい、同じように作ってください」と進めれば確かに整ったレクになります。でも、竹細工を知っている利用者さんの前で職員が先生役を独占したら、少しもったいない。「先生、この次どうするんですか?」と聞けば、「そんなことも知らんのか」と笑われるかもしれません。そこで職員が「本日、弟子入り1日目です」と返せば、場もフッと和らぎます。教える人と教わる人が入れ替わるだけで、いつもの関係にも新しい風が入ります。
レクリエーションで本当に生かしたいのは、出来上がった作品だけではなく、その人が長い人生で身につけてきた知恵と誇りです。
介護の場では、どうしても「してあげる側」と「してもらう側」に分かれやすくなります。けれど、誰にでも誰かへ渡せる知識や経験があります。虫カゴの編み方でも、畑仕事でも、昔の遊びでも構いません。その人が先生になれる瞬間を見つけた時、レクリエーションは暇潰しではなく、役割を取り戻す時間になります。竹細工の価値も、完成品の立派さ以上に、その人が誇りを持てる時間を生み出すところにあります。
虫1匹から始まった話が、昔の道具へ進み、手仕事へ広がり、最後には「教えてください」という言葉に辿り着く。そこまで来れば、主役はもう虫ではありません。利用者さん自身の人生が、レクリエーションの真ん中に座っています。
[広告]まとめ…童心に帰るとは人生の宝物をもう一度拾うこと
6月の庭で見つけた小さな虫が、思いがけず大きな時間を連れてくることがあります。葉っぱの上を歩くテントウムシを眺め、草むらを飛ぶチョウを目で追い、夕暮れのホタルに昔の景色を重ねる。虫そのものはほんの数センチでも、そこから飛び出してくる記憶には何十年という長さがあります。
虫レクの良さは、立派な企画を完成させることではありません。「おった!」「懐かしい!」「昔はな……」という何気ない言葉から、自然に会話が広がっていくことです。虫を探して少し体を動かす人もいれば、椅子に座ったまま眺める人もいる。絵を描く人、写真を楽しむ人、昔話だけで参加する人がいても良い。和気藹々と同じ時間を分かち合えれば、それぞれの楽しみ方がちゃんと1つのレクリエーションになります。
そして、虫の話が昔の虫かごや竹細工へ繋がった時には、利用者さんが教わる側から教える側へ変わることもあります。その人の手仕事や知恵、暮らしてきた土地の記憶が誰かの役に立つ。職員は全てを用意する人ではなく、「それ、教えてください」と出番を見つける人にもなれます。虫でも竹細工でも、主役になるのは利用者さん自身だという考え方が、この時間をより豊かにしてくれます。
「虫が苦手なんですけど……」という職員がいても大丈夫です。無理に手の平へ乗せる必要はありません。少し離れたところから「いましたねぇ」と一緒に笑えれば十分です。利用者さんから「そんな遠くから見て分かるんか?」と突っ込まれたら、それも立派な会話の始まり。虫より職員の逃げ腰の方が盛り上がったとしても、その日の楽しい思い出には違いありません。
童心に帰るというのは、子どもの真似をすることではなく、自分の人生に残っているワクワクをもう一度見つけることです。
施設の庭にも、窓辺にも、雨上がりの草むらにも、小さなキッカケは転がっています。それを誰かと見つけて、笑って、話して、時には作品や役割へ育てていく。そんな時間が積み重なれば、何気ない1日にも彩りが生まれます。虫たちは季節が巡れば姿を変えていきますが、「また何かおるかな?」と外を眺める楽しみは残ります。その小さな期待こそ、毎日の暮らしを少し明るくしてくれるでしょう。
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