父の日にまっすぐ過ぎる背中を見てそっと目をそらした話─ボロボロな息子の反省会

目次
はじめに…ボロボロな息子のほのぼの反省会
🎻BGMをご用意しました。お好みで▷ボタンでお楽しみください。
父の日が来るたび、私は毎年同じことを考える。
「今年は何を贈ろうか」なんて、ありきたりな悩みじゃない。
もっと根本的な、もうちょっと複雑な…たとえば、「この父の背中に、果たして私は何か返せるのだろうか」みたいな、ちょっと重ための、でも不思議とあったかい悩みだ。
というのも、うちの父は80歳にして現役。
朝から畑で土と会話し、自転車で風を切って走り、仲間とコーヒーを淹れて飲み、そして夜はしっかりお風呂に入ってスッキリする。
母の「はい、お風呂!」のひと声で、もう完璧に動く。
なんだろう、AIより反応が早い気がする🩷。
一方、私はというと。
50歳になり、湿布と仲良くなり、階段と会話する前に息を吐き、車の乗り降りはもはや忍者修行のようになり、日々、どこかしら痛いか重いか怠いかのどれかを抱えながら生きている。
だから、父を見上げるたびに、「え?この人ほんとに80歳なの?間違えてない?」ってなる。
戸籍をもう一回見直したくなるレベルで、元気なのだ。
そんな父の背中を、ちょっと腰をかばいながら見上げる私が、今年の父の日に思ったこと。
……これは、ただの感謝じゃ終われないぞ。
第1章…20代で“膝カックン”それは始まりの音だった
あれは、まだ20代の頃だった。
職場のエレベーターを降りて、廊下を数歩歩いたそのとき、まるで誰かに後ろから膝カックンをされたような、あの“グラリ”とした感覚が突然やってきた。
おかしいな?と思っているうちに、足に力が入らなくなった。
階段がやけに遠く見える。しゃがむのも怖い。
それまで何も考えずに“当たり前”だと思っていた身体が、なんだか急に不機嫌になった感じだった。
診断は、脊柱管狭窄症。
言葉の響きはちょっと難しいけど、要は「腰から足がガタつきますよ~」ってやつだ。
しかも、手術にはお金とリハビリがのしかかる。
時間もいる。
それならまずは保存療法で…と選んだのが、思えば“立ちっぱなし仕事”との決別のはじまりだった。
それでも当時の私は、介護職にしがみついていた。
なぜなら——若かったからだ。
理想も熱意もあったし、「誰かの力になれる自分」になりたかったし、なにより、“動けるうちはやってみたい”と思っていた。
けれど、そういえば。
私が介護の道に入ると父に話したとき、はっきりと反対されたわけではないけれど、「あまりおすすめはしないなぁ」と、ぽつり言われた記憶がある。
父なりに、先の苦労や現場の厳しさを察していたのかもしれない。
なのに私は、人生で同じ施設に2度も入職するという親不孝をやらかし、しかも同じ職場で、2度も身体を壊した。
いや、正確には「壊れかけていたものを無理して使い続けた」結果かもしれない。
今なら、あのときの父の気持ちがわかる。
止めたくなるよね、そりゃあ。
何が悲しいって、そのときの“やめておけばよかったなぁ”という後悔が、いまや30分も歩けば膝がジンジン、足がビリビリしてくるたびに、地味に更新されていくのだ。
「ねぇ、私の過去よ、いい加減反省してくれない?」と鏡に向かって小声で言いたくなる。
そんな私も今や50代。
けれど、それでも。
あの頃の私はあの頃の私なりに、真剣だったんだよなぁ…と、今も思っている。
だからこそ、この体に刻まれた膝の痛みも、“人生の勲章”ってことで、そっと胸を張ってみたりしている。
いや、胸を張ると腰に響くので、やっぱりそっと心🩷で張っておこう。
第2章…背を向けたのは身体か心か?そっと去った職場と私の決意
ほんの少し前まで、私は「ケアマネの弾丸ライナー」だった。
資料抱えて、施設を回って、車に乗り込み、また別の場所へ。
高速移動、早口トーク、即時対応。
自分で言うのもなんだけど、なかなかやるじゃん、と思っていた。
ところがどっこい。
ある日、車の乗り降りに数分かかるようになった。
助手席に足を入れるだけで、「あれ?なんでこんなに遠いの?」と空間に戸惑うようになった。
エレベーターのボタンはまだ押せる。
でも押したあとに「……え、何階だっけ?」と思うことが増えた。
階段は、気持ちの中で2階分くらい高く見えるようになった。
そんな私に、ある日、同僚がそっと声をかけてくれた。
「最近、ちょっと動きがゆっくりになってきましたね」
やさしい言い方だった。
“遅い”とも“だるそう”とも言わなかった。
その思いやりが、胸に沁みた。
たぶん同僚には、すでにすべてバレていたんだと思う。
表情とか、動作とか、あの沈黙の時間とか。
でも、上の人たちは違った。
私の動きの変化に気づくには、きっともっと時間がかかったのだろう。
もしくは、気づいていたけど“気づかないフリ”の技術があったのかもしれない。
いずれにせよ、言われたのは一言だった。
「それ、業務に支障出てるなら…」
ああ、来たな。
三行半って、こういうときに出されるんだなって思った。
ただ、不思議と泣けなかった。
涙って、体力がある時に出るもので、心も体もヘロヘロになってると、もう出ないものらしい。
かわりに、ふうっと息が出た。
「そっかー、じゃあ、やめよっかー」って。
静かなフェードアウトだった。
引き留められることも、拍手で送り出されることもなく、私は音もなく、ケアマネの椅子を立った。
ただその時、思ったことがひとつだけある。
「今までの私、よく頑張ったね」って🩷。
自分で自分をねぎらった。
誰にも聞かれないように、小さく小さくつぶやいて。
そして今。
畑じゃなく、画面の前で、私は言葉を育てている。
体はボロボロだけど、心はまだいける。
だから、ブログという畑で、今日もぽつぽつ言葉の種をまく。
土の手ざわりはないけれど、キーボードのカタカタ音が、私の耕すリズムになっている。
第3章…畑でコーヒーを淹れる父の背中とプリン体を気にする私の背中
父は、ほんとうに絵になる。
朝の畑でラベンダー色のベストを着て、手際よく土をいじり、一息つくと、おもむろにコーヒーを淹れはじめる。
しかも、畑の真ん中で。
どこのバリスタだと思うくらい湯気を優雅に立たせて、仲間たちと笑いながらカップを持つ姿は、もはや「畑の社交界」である。
その横顔を、少し離れた日陰から眺めている私。
どこかのイタリア映画だったら、今ごろナレーションで「人生とはこういう時間を味わうことだ」って語られているかもしれない。
……まあ、実際はこっちは日陰で足をさすってるんだけどね。
「いや~腰がなぁ…」とごまかしつつ、私は父の背中にそっと問いかけてみる。
“お父さん、なんでそんなに元気なの?”
“ねぇ、何食べて生きてきたの?”
“なんならDNAを返送して精査したいくらいなんだけど?”
一方の私は、というと、今やプリン体を気にしながら水分補給し、「立ち上がるたびに鳴る音がカスタネット状態」だし、鏡に映る背中は、なんだか曲線を描いていて芸術点が高い。
父の背はスッと天を仰ぎ、私の背はそっと現実を見つめている。
でも、不思議なことに、そんな自分の背中も、最近は少しだけ愛しく思えてきた。
だってね、考えてみたら、この背中だって、けっこう頑張ってきたじゃないか。
立ち仕事をして、抱え上げをして、転倒対応をして、濡れた床を滑って“生まれたての子鹿”みたいになったこともあった。
そして今、パソコンの前で背筋を伸ばそうとして、「ビキッ」と静かに自己主張してくるこの背中に、ちょっとだけ「よくやったね」と言ってやりたい気持ちになる。
父の背中を見て、私は思う。
自分は父のようにはなれなかったかもしれない。
でも、父のように「今日も笑って暮らす背中」にはなれるかもしれないと。
それならそれで、いいじゃないか。
できればこの先、子どもたちが私の背中を見て「うちの親父、なんかずっと笑ってたよなぁ」ってちょっとでも思ってくれたら、本望である🩷。
まあ、できれば「背中曲がってたけど」って部分は黙っててほしいけど。
[ 広告 ]
まとめ…親子ってやっぱり不思議な存在だ
父の日というのは、プレゼントを選ぶ日でもあるけれど、もっと大きな意味では「親子ってなんだったかなぁ」と、そっと考えるきっかけになる日なのかもしれない。
80歳の父が畑で元気に笑っている姿は、いまだに私のなかでは“理想の背中”だ。
一方、50歳の私は、身体のあちこちがギシギシ言いながら、ゆっくりと、でも確実に、ひとつの時代を終えていった。
でも、それでいいと思う。
たしかに私は立派な父にはなれなかったし、まっすぐな人生でもなかったし、階段はできればエスカレーターでお願いしたいし、自転車にはもう10年くらいまたがっていない。
けれど、そんな自分もまた、誰かの“背中”であることに変わりはない。
よろよろしていても、道草ばかりでも、歩いていれば、それが「誰かの道しるべ🩷」になることもある。
もしも子どもたちが、将来なにかにつまずいたときに、「そういえばうちの親父、なんかいろいろ抱えてたけど、それでも笑ってたな」ってほんの少しでも思い出してくれるなら、それだけでじゅうぶんじゃないかと思う。
父の背中を見て、自分の背中を見つめなおして、少しだけ姿勢を正してみる。
それが、今年の父の日の…、私なりの感謝のかたちだった。
[ ⭐ 今日も閲覧ありがとう 💖 ]
読み込み中…読み込み中…読み込み中…読み込み中…😌来場された皆様、今日という日の来訪、誠にありがとうございます
お気づきのご感想を是非、お気軽にお寄せくださいましたら幸いです
😌2つも参加して欲張りですが、是非、ポチっと応援をよろしくお願いします
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。