青の奔流~青い鳥と蝶から宝石の青に飲める青まで染まる1日~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…祖母の青い服が合図だ~我が家が青にちょいちょい染まる~

祖母は今日も、迷いなく青い服を選びました。クローゼットの前で「これが落ち着くんよ」と言う顔が、もう“勝ち確”の顔です。私(娘)は介護の仕事をしているので、気分や環境が人に与える影響はそれなりに見てきたつもりでした。でも、家族になると不思議で、祖母の青好きも「そういう好みなんだろうな」で流してしまっていました。

ところが最近、青って妙に話題が多いんです。青い鳥の瑠璃色、青い蝶の宝石みたいな羽、青い花畑の広がり。さらに、青い石が昔の人の暮らしと結びついていたり、海には「え、これ本当に生き物?」と目を疑う青い存在がいたり。極めつけは、飲み物なのに青い、しかも色が変わるという“飲める青”まである。青って、ただキレイなだけじゃなく、見つけるたびに「なんで?」が生まれる色なんだなと、私の方が先にワクワクしてしまいました。

そこで思ったのです。祖母の「青が好き」を、ただの好みで終わらせるのはもったいない。青い動植物、青い石、青い海、青い飲み物――世の中に溢れているのに、実はめったに出会えない“珍しい青”を、1日かけてちょいちょい祖母に届けてみよう。真っ青な部屋に押し込むのではなく、普段の暮らしの中に「おっ」と思う青を点々と置いて、心がフッと動く瞬間を何度も作る。私はこの計画に、勝手に名前を付けました。

「青の奔流の日」。

ただし、うちには大問題が1つあります。祖母は青が好きだけど難しい話が好きではない。私が調子に乗って「昔の人は青い石を砕いて顔料にしてね」なんて語り出すと、祖母は優しく笑って「へぇ、石は硬いねぇ」と言い、孫(娘の子)は横で「石って食べれる?」と聞いてきます。話が秒速で迷子になります。だから今日は、青を“説明”しない。青を“体験”させる。写真や動画を見て驚く、窓から空の青を眺める、散歩で青い花を探す、そして最後に色が変わる青いお茶で笑う。こういう順番なら、祖母のペースでもちゃんと楽しい。

孫はもう、私の企画を聞いた瞬間から目がキラキラでした。「青い蝶ってほんとにいるの?」「青い鳥って空を飛ぶ宝石じゃん!」と、既にテンションが青空超えです。祖母は祖母で、「あんたら、また何か面白いこと考えたね」と、まだ何も始まっていないのに笑っています。もうこの時点で、私の狙いの半分は当たっています。家族で笑った瞬間、心は既に整い始めるから。

今日の主役は祖母。私は娘として、孫は小さな案内人として、青の珍しさと新しさを“ちょいちょい”祖母に差し出していきます。青い鳥と青い蝶から始まり、花と石と海の青へ流れ、最後は飲める青で締める。青は冷たい色だと言う人もいますが、今日はきっと違う。青は、貴重だからこそ心を動かして、気づけば家族を同じ方向に向かせる色になる。

さあ、祖母の青い服が合図です。小さな青を拾い集めて、我が家の1日を静かに流れる“青の奔流”にしていきましょう。

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第1章…青い鳥と青い蝶が家に来た~写真と動画で“青の遠足”が始まる~

朝の片付けを終えた頃、祖母はいつもの椅子に座って、温かいお茶を啜りながら新聞をめくっていました。青い服の袖が部屋の光を少しだけ涼しく見せていて、私は「よし、今日はこの青から始めよう」と心の中で号令をかけました。孫は既に待ちきれない顔で、スマホを両手で持っている。まだ何も見せていないのに、もう遠足の集合地点にいる子どもの目をしていました。

「ばあば、青い鳥って見たことある?」と私(娘)が聞くと、祖母は笑って「空の鳥は遠いから、青かどうかは分からんねぇ」と返しました。そこに孫がすかさず割り込んできます。「じゃあ今日は、遠い鳥を近くに連れてくる日だよ!」。言い方がもう、魔法使いです。私は笑いを堪えながら「そうそう、今日は“見る青”から始めよう」と言って、スマホの画面を祖母の膝の上にそっと置きました。

最初に出したのは、日本の“青い鳥”の代表格、オオルリです。背中の青が瑠璃色に光る鳥で、写真だと「青ってこんなに澄むの?」と驚くタイプ。祖母は画面を覗き込んで、目を細めました。「まぁ、綺麗。青ってこんな風に光るんだねぇ」。孫はすぐに乗ります。「オオルリはね、瑠璃色の王様なんだよ!」。祖母が「瑠璃って何だっけ」と聞くと、孫は堂々と言い切りました。「青の宝石!」。うちのリビングが急に宝石店になりました。

私は続けて、同じ“青い鳥”でも表情が違う二枚目を見せました。冬に人気の青い鳥、ルリビタキです。胸のオレンジと背中の青の組み合わせが美しく、見た目がまるで「青いマントを羽織った小さな紳士」みたいに見えます。祖母は「こっちは青だけじゃなくて、温かい色も混ざってるね」と言いました。そう、ここが大事で、青は単独で冷たいのではなく、別の色と出会うと“温度”が変わる。孫が「ルリビタキは冬の青だね!」と宣言し、祖母が「冬の青って、いい言い方」と笑いました。

鳥の次は蝶です。私はいきなり世界最強級の青を出しました。**モルフォチョウ(モルフォ蝶)**です。角度で青が出たり消えたりして、羽ばたくたびに青がキラリと動く。祖母はしばらく黙って見て、ポツリと言いました。「蝶って、こんなに派手だったかね」。孫が得意げに言います。「モルフォはね、ただ青いんじゃなくて、光で青く見えるんだって!だから動くとキラキラするの!」。私は心の中で拍手しました。難しい理屈は抜きでも、「青が珍しい」「青が不思議」という入口は、ちゃんと祖母に届いたからです。

ここで私は、日本でも身近に“青い蝶”がいることも添えました。たとえばルリシジミ。小さな蝶だけれど、光が当たると翅が澄んだ青に見えることがある。「世界の宝石」だけじゃなく、「近所の草むらにも青はいる」と分かると、祖母の中で青がグッと近づきます。祖母は「小さい青なら、探せそうだね」と言い、孫は「探す!絶対探す!」と、もう探検隊です。

祖母がふと、自分の青い服の袖を摘まんで言いました。「この服の青も、光で変わるのかね?」。私は笑って「変わるよ。ばあばが動くと青が綺麗に見える」と返しました。すると祖母は、何故か少しだけ背筋を伸ばして座り直しました。自分の青が“綺麗”と言われると、気持ちが整う。その変化は、介護の現場でも何度も見てきました。けれど、身内の祖母が同じ顔をするのを見ると、やっぱり胸の奥が温かくなります。

ここで私は、今日のテーマを祖母の言葉に合わせて、サラッと置きました。「ばあば、今日はね、青い物を集めるだけじゃなくて、“珍しい青”を見つける日なんだ。青って身近にあるけど、自然の青って案外少ないって言われるんだよ。だから見つけると、心が動くんだと思う」。祖母は頷いて、「確かに、赤や黄色は花にいっぱいあるけど、青は…少ないねぇ」と言いました。そう、その気づきが今日のエンジンになります。青の奔流は、量じゃなくて“希少さの発見”で起きるから。

孫は急に真剣な顔になって、「じゃあ、次はばあばが青を見つけてね」と言いました。私は「あ、ゲーム化したな」と思いましたが、止めません。楽しいのが一番。祖母は少し困った顔で部屋を見回して、窓の外を指しました。「空が青だよ」。孫は「それはボス級の青だね!」と大袈裟に褒め、祖母は吹き出しました。朝から家族が笑っている。これだけで、今日の企画の価値は十分あります。

そして私は、映像を見ただけで終わらせないために、小さな仕掛けを置きました。祖母の横に紙を置き、「今日見た青メモ」と書いたのです。孫がそこに「オオルリ」「ルリビタキ」「モルフォチョウ」「ルリシジミ」と書き、祖母に「ばあばも書いて」とペンを渡します。祖母は照れながら、「空」と書きました。たったそれだけなのに、青が“家族の共有物”になった気がしました。動画は一瞬で流れていくけれど、名前が残ると、次に同じ青に出会いやすい。読んだ人が真似できる形になる。ここは、今日の記事の土台でもあります。

祖母はメモを見て、フッと笑いました。「今日は青の勉強かねぇ」。私は首を振って、「勉強じゃなくて、青の遠足だよ」と言いました。孫が「遠足にはおやつがあるよね?」と聞いてきたので、私は「あるよ。しかも青い」と返しました。祖母が「青いおやつって何それ」と笑う。よし、掴みは十分。

青い鳥のオオルリとルリビタキ、青い蝶のモルフォチョウとルリシジミ。名前が分かっただけで、青は“眺める色”から“探せる色”に変わります。祖母の中に「青って珍しいんだ」「青って不思議なんだ」という小さな種が植わり、孫はその種に水をやりながら次の青を待っている。私も娘として、祖母の青い服に寄り添いながら、もっと面白い青をそっと流し込む準備をしていました。次は、花と石の青。見れば見るほど「青ってどこから来るの?」が大きくなる、あの世界です。


第2章…青い花と青い石で世界が変わる~ネモフィラと宝石の青と昔の人の強さ~

「青の遠足メモ」にオオルリ、ルリビタキ、モルフォチョウ、ルリシジミと並んだのを見て、祖母は満足そうに頷きました。孫はその横で「次は花!次は石!」と、遠足のしおりを握りしめている子みたいに騒いでいます。私は内心で思いました。いい流れ。動植物の青で心を開いたら、次は“青の正体”に近づける。青は綺麗、で終わらせない。「どうやって青になるの?」の入口を、祖母が笑いながら踏み込める形にしたい。

そこで私は祖母を誘って、窓辺へ移動しました。外は寒いけれど、光がいい。青の話は、光があるほど盛り上がります。私はスマホの画面に、花畑の写真を出しました。春の定番、でも見るたびに「これは反則だろ」と思う青、ネモフィラです。和名でいうと「ルリカラクサ」や「瑠璃唐草」と呼ばれることもあって、もう名前からして青への本気度が違います。

祖母は画面を見て、すぐに言いました。「まぁ、空が地面に降りてきたみたいだねぇ」
孫はすかさず、「ネモフィラは“青い絨毯”って言うんだよ!」と胸を張りました。私はその言葉を聞いて、こっそり勝利を確信しました。祖母が「空みたい」と言い、孫が「絨毯」と言う。つまり青が“景色”になっている。青がただの物じゃなく、世界そのものになる瞬間です。

私はここで、祖母が疲れない程度に話を繋げました。「ばあば、さっきの鳥や蝶もそうだけど、青って自然だと少ないんだって。赤や黄色は花にも果物にもいっぱいあるのに、青は“探しに行く色”なんだよ」。祖母は少し考えて、「そう言われると、青い花って…パッと出てこないねぇ」と言いました。そこに孫が「青い花はレア!」と叫び、祖母が「レアって言い方が面白いね」と笑う。よし、難しい話は要らない。祖母の中で「青は珍しい」がもう根を張り始めています。

花で目が慣れたところで、私は次の青へ進めました。今度は“青の硬派担当”、石です。私はテーブルの上に小さな石ころを置いたわけではありません。今日は「押しつけずに、でも網羅する」日なので、石もまずは写真と動画。祖母が安心して眺められる形で出します。

「ばあば、青ってね、石からも作れるんだよ。昔の人は青い石を砕いて、絵の具みたいにしてたんだって」

祖母は目を丸くしました。「石を砕いて色?そりゃ大変だねぇ」
孫がすぐに聞き返します。「どんな石?」
私は正式名称をきちんと出しました。「代表的なのがアズライト(藍銅鉱)。青い鉱物だよ。昔の人はこういう石を使って青を作ったんだって」

祖母は「藍ってつくのが、もう青だね」と言いました。孫は「アズライト、覚えた!」とメモに書き足します。こうやって名前が残ると、青が“知ってる青”になっていく。祖母にとっても、孫にとっても、青が家族の会話の道具になるのが面白いところです。

私はさらに、もう1つ“青の石”を見せました。宝石っぽい青の代表として知られることが多い**ラピスラズリ(青金石)**です。祖母は画面を見て、「あら、夜空みたい」と言いました。青の中に金色っぽい粒が混じって見えることがあって、そこがまた「ただの青じゃない」感じを出します。孫は「宇宙石だ!」と勝手に名前を付け、祖母が「宇宙石って、あんた…」と笑って首を振りました。こういう“勝手な命名”が入ると、家族の空気がフワッと柔らかくなって、祖母も安心して話せます。

ここで私は、青が“石”と“布”で繋がる話を足しました。石で作る青があるなら、植物で染める青もある。祖母世代の暮らしに近い話です。「ばあば、青は染めることも出来るよね。アイ(藍)で染める藍染め。青は昔、簡単に作れなかったから、手に入れるだけで特別だったんだって」。祖母は頷きながら、「藍染めは丈夫でね、昔はよく見たよ」と言いました。そこに孫が「じゃあ、ばあばの青い服は伝統の青だ!」と得意げに言い、祖母が「伝統ってほどじゃないよ」と照れ笑い。私は心の中で思いました。これだ。青の“珍しさ”と“生活”が繋がる瞬間が欲しかった。

そして、ここからが今日の企画の芯です。青い花のネモフィラで「青は景色になる」を感じ、青い石の**アズライト(藍銅鉱)とラピスラズリ(青金石)**で「青は作れる」を知り、**アイ(藍)**で「青は染められる」を思い出す。青はただ眺める色じゃなく、人が苦労して手に入れてきた色。貴重だからこそ、心が動く。祖母の青い服が、急に“趣味”ではなく“物語”に見えてきます。

孫はメモを見て「青が増えてきた!」と嬉しそうに言いました。祖母は「増えたねぇ。でも不思議と疲れないねぇ」と笑いました。私はその言葉にホッとしました。青は刺激が強過ぎると疲れることもある。でも今日は、青を点々と、そして“発見”として置いているから、むしろ元気が出る。祖母が楽しめているなら、次の青もきっと大丈夫。

私は孫に目配せして、次のページを開く合図を送りました。次は、家の中では見られない“海の青”。生き物も景色も、ちょっと現実離れしているのに、ちゃんとこの世界にいる青です。祖母の目がまた丸くなるのが、もう目に見えていました。


第3章…海の青は反則級~青い竜と青いクラゲと画面の中で大冒険~

「ネモフィラ」「アズライト(藍銅鉱)」「ラピスラズリ(青金石)」「アイ(藍)」と、青の正式名称が並んだメモを眺めて、孫はすっかり図鑑編集長の顔になっていました。祖母もそのメモを見て、「青って、名前がちゃんとあるんだねぇ」と笑います。私はここで確信しました。今日は“青い物を並べる日”じゃなく、“青の珍しさを拾っていく日”になっている。だから次は、家の中で安全に、でも世界がひっくり返るほどの青を見せても大丈夫です。

そう、海です。

祖母にいきなり「海の深いところには…」なんて言うと、たぶん「寒いからやめとき」と言われます。だから私は正面から言いました。「ばあば、今日は出掛けないで海に行くよ。スマホで」。孫がすかさず「海の遠足だ!」と叫び、祖母が「遠足多いね」と笑いました。よし、この家は今日、“遠足”という言葉で全部が繋がる。

私は動画を開きました。最初に出したのは、反則級の青い生き物、**カリフォルニアシードラゴン(正式にはリーフィー・シードラゴン)**です。海藻みたいなヒラヒラが体についていて、ゆっくり漂う姿が、もう“生き物”というより“動く芸術”。祖母は画面に顔を近づけて、「これ…魚?草?」と聞きました。孫が得意げに答えます。「ドラゴンだよ!」。祖母が「海にドラゴンがいるわけないでしょ」と突っ込み、孫が真顔で「名前がドラゴンなの!」と返す。会話が既に楽しい。

私は正式名称をゆっくり言いました。「カリフォルニアシードラゴン。英語だと“リーフィー・シードラゴン”って呼ばれることもあるよ。葉っぱみたいだから」。祖母は「葉っぱで隠れてるんだねぇ」と納得し、孫はメモにデカデカと書きました。こういう時の子どもは、漢字よりカタカナが強い。祖母はそのメモを見て、「長い名前だねぇ」と笑いました。長いけど、覚えられたら勝ちです。読者様も検索して真似しやすいでしょう?

次に私は、“青の宇宙感”をもう一発入れました。カツオノエボシです。青く透き通った“浮き袋”みたいな部分が綺麗で、写真だと宝石のように見える。でも、祖母世代に伝えるなら、ここは大事な言い方が必要です。私はすぐに添えました。「これは、見た目が綺麗だけど、海で見つけても触らないやつね」。祖母は「それは大事」と真顔になり、孫は「触ったらダメ、覚えた」とメモの端に小さく書きました。青の紹介は楽しく、でも安心が土台。ここは介護の仕事の癖が出ます。

祖母は画面を見て「綺麗だねぇ…でも怖いねぇ」と言いました。私は頷きます。「そうなんだよ。青って、綺麗で、近づきたくなるのに、危ないこともある。だから余計に心が動くのかも」。孫が「青って、可愛いだけじゃないんだ」とポツリ。こういう一言が出ると、青が“思い出の材料”になっていきます。

ここで私は、祖母が疲れないように、海の青の見せ方を変えました。刺激の強い映像を続けるのではなく、「青い海そのもの」も挟む。ゆっくり波が揺れる動画を少しだけ流し、祖母に窓の外の空と見比べてもらいました。祖母は「空と海、どっちも青だけど、違うね」と言いました。孫が「空は軽い青、海は深い青」と言って、祖母が「上手いこと言うね」と笑う。青の言葉が家族の中で増えていくのが、今日はとても良い。

私はさらに、海の青の代表として、映像で見やすい生き物も入れました。例えば青い星みたいに見えるヒトデの仲間(種類はいろいろで、地域や展示で見られる種類も変わります)や、青い魚の群れ。ここでは無理に珍名を連発せず、「水族館や動画で見られる青」の幅を持たせました。祖母が「海って、青い物がいっぱいだねぇ」と言い、私は「いっぱい見えるけど、実は“青の作り方”がそれぞれ違うらしいよ」と、次の話への橋をかけました。

そして私は、ここでようやく“新しい青”の存在を、祖母にも正面から置きました。祖母に伏せる必要はありません。むしろ祖母は、今日の流れをちゃんと受け止めている。私は言いました。「ばあば、青って昔の人が石を砕いて作ったくらい貴重だったのに、今でも“新しい青が見つかった”って話が出るんだよ。名前はちょっと変で、『OLO(オロ)』って呼ぶらしい」。祖母は間髪入れずに言いました。「オロ?お菓子みたいだね」。孫が「オレオじゃないよ!」とツッコミ、祖母が笑って肩を揺らしました。よし、その反応でいい。最初にOLOを出すと“何それ”で止まりやすいけれど、海の反則級の青を見た後なら、「そんな青まであるの?」と自然に受け止められる。OLOは入口ではなく、青の旅の終盤に現れる“ラスボスの名前がちょっと可愛い”存在になるのです。

祖母はカリフォルニアシードラゴンの動画をもう一度見ながら、「青って、昔も今も、手に入れるのが簡単じゃないんだねぇ」と言いました。私はその言葉を聞いて、胸の奥がじんわりしました。青はただの色じゃない。珍しさがあるから、心が動く。海の青は、その珍しさを一気に見せてくれる。だから反則級なんです。

孫はメモに「カリフォルニアシードラゴン」「カツオノエボシ」「OLO(オロ)」と書き足し、ペンを置いて満足そうに言いました。「青、増えてきたね」。祖母は頷き、「増えたねぇ。今日は目が喜ぶ日だねぇ」と笑いました。よし、ここまで来たら次は決定打です。家の中で安全に、祖母が一番“体験”できる青。そう、色が変わる青いお茶――**バタフライピー(蝶豆)**の出番です。


第4章…飲める青で事件発生~色が変わる青い紅茶で祖母が主役になる~

海の動画で目がすっかり青に慣れた頃、祖母は「今日は目が喜ぶ日だねぇ」と言って、少しだけ背もたれに体を預けました。孫は「次は飲む青でしょ!」と、もう台本を読んだかのようにニヤニヤしています。私は台所へ向かいながら心の中で頷きました。そう、ここで“見る青”から“味わう青”へ切り替える。1日の終盤に、家の中で安全に出来て、しかも確実に笑いが出る青。今日の決定打はこれしかありません。

テーブルに戻ると、私は透明のカップを3つ並べました。祖母がすぐに言います。「あら、今日はコップが透けてるね」。孫が待ってましたとばかりに宣言しました。「透けてるのは、青を見せるためです!」。祖母が「誰が先生なの」と笑い、私は「先生は孫です」と即答しました。もうこの時点で空気が勝っています。

私はポットにお湯を注ぎ、青い花のお茶を淹れ始めました。正式名称はバタフライピー(チョウマメ/蝶豆)。乾燥した花を少し入れてお湯を注ぐと、ジワッと水色が広がり、やがて深い青になります。祖母はその変化を見て、「あらまぁ、青が出てきた」と声を漏らしました。孫は「これが**バタフライピー(チョウマメ)**だよ!」と、さっきから何回言うんだというくらい誇らしげです。私は心の中で思いました。こういう“名前を言いたい年頃”って最高だな、と。覚えた言葉を家族に渡して、家族が笑う。それだけで、今日は青がちゃんと暮らしになっています。

青いお茶をカップに注ぐと、テーブルの上に“青い湖”が3つ出来ました。祖母はカップを持ち上げて、窓の光に透かして見ます。「空の青とは違うねぇ。これは夜の青みたい」。その言葉に孫がすぐ返します。「さっきのオオルリの青は“光る青”、これは“しずむ青”!」。祖母が「しずむ青って、なんだか詩みたい」と笑いました。青は、こうやって言葉を生みます。だから心が動くんだと思います。

そして孫が、一番やりたかった“事件”を起こします。小さな器に用意したのはレモン果汁。祖母に向かって、やけに丁寧な声で言いました。「ばあば、今から色が変わります。目を離さないでください」。祖母が「そんなに改まって」と笑った瞬間、孫が一滴、ぽとん。

青が、ゆっくり紫に寄っていきました。

祖母は目を丸くして、「あらまぁ……色が、歩いてる」と言いました。表現が可愛過ぎて、私は吹き出しそうになりました。孫は勝ち誇った顔で「もう一滴!」と迫ります。私は即座に止めました。「待って。ばあばの“あらまぁ”が消える前に、まず眺めよう」。祖母は「そうだねぇ、もったいないねぇ」と頷き、紫に変わっていくグラデーションをしばらく楽しみました。

ここで私は、難しくならない程度にだけ補足しました。「バタフライピー(チョウマメ)は、酸っぱいものが入ると色が変わりやすいんだって。だからレモン果汁で変化が起きるの」。祖母は「青って、飲み物の中でも生きてるんだねぇ」と言いました。孫は「生きてる青!」と復唱して、またメモに書きます。今日の“青メモ”が、じわじわ名作になっていくのが見えて、私はニヤけました。

祖母は一口飲んで、少し考えました。「味は優しいね。色の方が元気だね」。昨日も今日も、祖母の言葉はいつも核心を突きます。孫が「じゃあ、はちみつ入れる?」と提案し、私は「いいね。はちみつで優しさを足そう」と言いました。祖母は「甘い青って、なんだか不思議」と笑い、孫が「青、甘くなった!」と騒ぐ。台所仕事が、ちょっとした実験室になって、家族の会話が増えていく。この流れがまさに、今日の狙いでした。

祖母がふと、青メモを指さしました。「今日は、鳥の青もあって、蝶の青もあって、花の青もあって、石の青もあって、海の青もあって…最後に飲む青かい。随分な贅沢だねぇ」。私は頷きました。「青って、あるようで簡単には出会えないでしょ。だから見つけると嬉しいんだと思う」。祖母は青いカップを見つめて、ポツリとまとめました。

「青は、貴重だから心が動くんだねぇ。今日はそれが良く分かったよ」

孫はその言葉を聞いて、「ばあば、名言!」と叫びました。祖母は照れて「名言じゃないよ」と笑い、私は静かに胸が熱くなりました。青い鳥のオオルリやルリビタキ、青い蝶のモルフォチョウやルリシジミ、青い花のネモフィラ、青い石のアズライト(藍銅鉱)とラピスラズリ(青金石)、そして海の青い不思議たちを経て、最後にバタフライピー(チョウマメ)とレモン果汁で、家族の真ん中に笑いが咲いた。青は冷たい色だと言う人もいるけれど、今日の我が家では、青はちゃんと人の心を温めていました。

祖母は青い服の袖を軽く払って、少し誇らしげに言いました。「じゃあ、また次の青も見つけようか」。孫が「次は何の青!?」と身を乗り出し、私は「青の奔流は終わらないってことだね」と返しました。カップの中の青紫が、窓の夕方の青と重なって見えました。今日の青は、もう“色”じゃなく、家族の1日そのものになっていました。

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まとめ…青は貴重だから心を動かす~最後に“新しい青”まで辿り着く~

朝、祖母がいつもの青い服を選んだ瞬間から、今日の「青の奔流」は静かに始まりました。真っ青な部屋に閉じ込めるような無理はしない。でも“珍しい青”はちゃんと全部出す。見る、探す、思い出す、笑う、味わう。そんな順番で、青を暮らしの中に点々と置いていった1日でした。

まず家の中に入ってきたのは、映像で出会う青い動植物です。鳥の青はオオルリの瑠璃色で心を掴み、冬の青としてルリビタキが「青は冷たいだけじゃない」を教えてくれました。蝶はモルフォチョウ(モルフォ蝶)が“宝石の青”を見せ、身近な青としてルリシジミが「青は探しに行ける」と背中を押した。祖母は画面越しに驚きながらも、孫の言葉に笑い、青の名前がメモに増えるたびに、青が“知っている色”に変わっていきました。

次に青は、景色と素材になりました。青い花畑の代表であるネモフィラは、祖母の口から「空が地面に降りてきたみたい」という言葉を引き出してくれました。そして青い石の世界では、**アズライト(藍銅鉱)**が「石から青が生まれる」驚きを運び、ラピスラズリ(青金石)が「夜空みたいな青」で心を落ち着かせてくれました。ここに植物の青としてアイ(藍)の藍染めが繋がると、祖母の青い服がただの好みではなく、昔から続く“青の物語”に見えてきます。青は身近にあるようで、実は簡単には手に入らなかった色。だからこそ特別だった。その感覚が、祖母の言葉の端々にちゃんとありました。

そして海の青は、反則級の迫力で背中を押しました。カリフォルニアシードラゴン(リーフィー・シードラゴン)の漂う青は「生き物なのに芸術」そのもので、祖母が思わず「魚?草?」と聞くほど。美しいけれど触れてはいけない青としてカツオノエボシを添えると、青は“きれい”だけで終わらず、「近づきたくなるのに気をつける」という独特の緊張も連れてきました。青は遠くへ誘う色でありながら、簡単に触らせてくれない色でもある。その“距離感”こそが、青の貴重さを強く感じさせます。

最後に、青はテーブルの上で事件になりました。飲める青として登場したのは、バタフライピー(チョウマメ/蝶豆)。透明のカップに注いだ瞬間、家の中に小さな青い湖ができて、祖母の目が丸くなりました。そこへレモン果汁を一滴落とすと、青が紫に寄っていく。祖母が「色が歩いてる」と言って笑い、孫が“先生モード”に入って得意げになり、私は娘として「眺める時間」を守りながら、家族の中心に青を置くことが出来ました。青は味だけで勝負するのではなく、変化で心を動かす。その意味で、今日の締め括りは完璧でした。

ここまで振り返って、はっきり言えます。青は、たくさん並べるから心が動くのではありません。青が珍しく、簡単には手に入らず、出会うたびに「どうして?」が生まれるから心が動く。だから祖母は最後に言いました。「青は、貴重だから心が動くんだねぇ」。この言葉が、今日の全部をまとめてくれました。

青の奔流は、結局のところ“家族の時間”でした。祖母の青に、娘が寄り添い、孫がはしゃぎ、映像や写真や身近な体験を織り交ぜながら、1日をやさしく青で満たした。その結果、祖母は青い服をいつもより少し誇らしげに着て、孫は青の名前をメモに残し、私は「またやろう」と自然に思えた。青は冷たい色だと言う人もいるけれど、今日の我が家では、青はちゃんと心を温める色でした。

そして明日、祖母がまた青い服を選んだら、孫はきっと言うでしょう。「ばあば、今日はどの青にする?」。青は単純に終わりません。オオルリも、ルリビタキも、モルフォチョウも、ルリシジミも、ネモフィラも、**アズライト(藍銅鉱)**も、**ラピスラズリ(青金石)**も、**アイ(藍)**も、**カリフォルニアシードラゴン(リーフィー・シードラゴン)**も、カツオノエボシも、**バタフライピー(チョウマメ/蝶豆)**も、まだまだ“次の青”へ繋がっています。青は貴重だから心を動かす。だから今日の青の奔流は、明日の小さな青へ、ちゃんと続いていくのです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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