青の奔流・第2波—春夏秋冬の青い鳥花石海を家で拾う1日
目次
はじめに…祖母の青コーデが再び鳴らす“第2波”のゴング
祖母は今日も青い服を選びました。前回の「青の奔流の日」をやって以来、祖母の青はただの好みではなく、家の中の“合図”になりました。青い服を着ている日は、孫が妙に元気で、私(娘)は何故か家事がはかどる。たぶん、青には「落ち着く」の中に「始まる」が混ざっているのだと思います。
孫が朝一番に言いました。「ばあば、青はまだあるよ。前の青と違うやつ!」
祖母は笑って、「青ってそんなに残ってるの?」と、冷蔵庫の残り物みたいな言い方をしました。私はその言い方がツボで、「残ってるというか、世の中に青があり過ぎるの」と返しました。そこで孫がすかさず宣言します。「じゃあ今日は『青の奔流・第2波』!」。うちの孫は言葉に勢いがあり過ぎて、家の中がちょいちょい戦場みたいになります。でも祖母が笑っているなら、その勢いは正義です。
ただし、今日には大事なルールがあります。前回の記事で登場した青は一切出さない。つまり、オオルリもルリビタキもモルフォチョウもルリシジミも、花のネモフィラも、石のアズライト(藍銅鉱)とラピスラズリ(青金石)も、海のカリフォルニアシードラゴン(リーフィー・シードラゴン)もカツオノエボシも、飲み物の**バタフライピー(チョウマメ/蝶豆)**も出しません。孫は「それって縛りプレイ?」と言いました。私は「そう。青の縛りプレイ」と言い、祖母は「縛らなくて良いのに」と笑いました。笑っているので採用です。
そしてもう1つ、今回の第2波には“季節”という味付けを足します。青は一年中あるようで、実は「出会いやすい時期」があります。梅雨に強い青、秋に深い青、春に輝く青、冬に冴える青。だから今日は、青を並べるだけじゃなく、カレンダーも一緒にめくる日です。祖母にとって季節は思い出の引き出し。孫にとって季節はイベントのカタログ。そこへ私が“青い新発見”をちょいちょい置いていけば、家族の会話は自然に転がっていきます。
準備は簡単です。スマホと、窓から入る光と、祖母の椅子と、孫のテンション。そして「今日見た青メモ」。今日のメモには、前回と重ならない新顔だけを書きます。例えば鳥なら、川の青が美しいカワセミ。季節は通年でも見られますが、観察が楽しいのは春から初夏、川辺の光が柔らかい時期です。花なら、梅雨の主役であるアジサイ(紫陽花)が初夏、そして秋に凛と咲くリンドウ(竜胆)が秋。海なら、夏の海で話題になりやすい青い小さな不思議、アオミノウミウシや、同じく暖かい時期の海で見かけられることがあるギンカクラゲ。最後は台所の青として、いつでも見られるけれど“冬の夜”に妙に美しく感じるガスコンロの青い炎。そして食べる青として、自然由来の青い素材であるブルースピルリナ。ヨーグルトやゼリーに少し混ぜると淡い空色になって、孫が必ず騒ぎます。
祖母は私の説明を聞いて、「青って、季節に合わせて顔が変わるんだねぇ」と言いました。孫はすぐに「じゃあ春は春の青、夏は夏の青だ!」と叫びます。私は心の中でうなずきました。そう、今日は“青の図鑑”じゃなく、“青の歳時記”。青が貴重だから心が動く、という前回の結論を、今度は季節の流れに乗せてもう一度確かめる日です。
さあ、祖母の青い服が、再びゴングを鳴らしました。第2波は、前回より静かに、でも確実に面白くなる。春夏秋冬の青を、家の中で拾い集めていきましょう。
[広告]第1章…鳥の青は今度は川から来る~カワセミに祖母が二度見~
「今日見た青メモ」の1行目に、孫が大きく書きました。カワセミ。カタカナだけで強そうです。祖母はその文字を見て、「セミって言うなら夏の虫かい?」と首をかしげました。孫がすぐに反論します。「カワのセミ!虫じゃない!鳥!」。祖母は笑って「川のセミって、ややこしいねぇ」と言いました。私は娘として、こういう“言い間違い”が起きた瞬間に、今日の勝利を確信します。笑いが起きる青は、もう家族のものだからです。
私はスマホを祖母の膝の上に置き、動画を再生しました。川辺の枝にとまった小さな鳥が、光を受けた瞬間、背中の青がパッと閃く。祖母は息を呑んで、「あら……青が飛び出した」と言いました。孫は実況を始めます。「今のがカワセミ!青い矢!」。祖母は「矢って言い方が怖いよ」と笑いながらも、目は画面から離れない。青は時々、目を掴んで放してくれません。
ここで私は、季節の話を柔らかく入れました。カワセミは一年を通して見られることが多い鳥ですが、家族で「見てみよう」と気分が乗りやすいのは、やっぱり春から初夏です。寒さが緩んで散歩がしやすいし、川の光が柔らかくて、青がより綺麗に見える日が増えます。祖母が「春の川って、気持ちいいもんねぇ」と言い、孫が「じゃあ春はカワセミの季節!」と勝手に決める。勝手に決めて良いんです。家族の中で“季節の青”が出来ると、来年も思い出せるから。
祖母は少し顔をしかめて、「でも、川まで見に行くのは寒い日もあるよ」と言いました。私はすぐに頷きました。「もちろん無理はしないよ。今日みたいに家で見る日も青の遠足だし、もし行くなら、春の暖かい日を選ぶ」。孫が「じゃあお花が咲いてる日がいい!」と条件を増やし、祖母が「条件が多い遠足だねぇ」と笑いました。こうやって“無理のない計画”を一緒に作るのが、祖母にとって一番安心です。
私は次に、カワセミの写真を数枚見せました。飛び込む瞬間、魚を咥えた瞬間、羽を広げた瞬間。祖母がポツリと言いました。「青って、同じ青でも毎回違うんだねぇ」。ここが大切です。青は固定じゃなくて、光や角度で変わる。だから珍しく感じる。孫が「今日は“見るだけ”だから、次は“見つける”だね」と言い出しました。私は「いいね」と答えました。祖母が「見つけるって、宝探しかい」と笑う。青の遠足は、いつの間にか宝探しになります。
ところが孫は、さらに欲張りました。「鳥の青、もう1羽いるでしょ!」。私は内心で「来たな」と思いました。第2波は“前回と重複しない”という縛りがあるので、ここで出す鳥も新顔でなければいけない。私は満を持して、2羽目の鳥の名前を言いました。ルリカケス。
祖母はすぐに反応しました。「また瑠璃が付いとる!」。そこが祖母の勘の良さです。前回の青も、名前に“瑠璃”が多かった。青って、昔から“瑠璃”という言葉に寄り添ってきた色なんだと思います。私は言いました。「ルリカケスは、青い羽が凄く綺麗な鳥だよ。住んでいる場所が限られているから、会える人にとっては“特別な青”なんだ」。孫が「レア鳥!」と叫び、祖母が「レアって半生だろ?言い方が面白いね」と笑う。第2波の合言葉がまた増えました。
季節も添えます。ルリカケスは一年中話題に出来る鳥ですが、家で映像を楽しむなら、冬から春にかけてが気分に合いやすい。外が寒い日は無理せず家で、窓の光の中で青を眺めるのがちょうど良い。祖母が「冬は家で楽しむのが一番だねぇ」と言い、孫が「冬の青はおうち!」とまとめる。子どものまとめは強いので、祖母にも残りやすいのです。
私はここで、祖母の青い服をそっと褒めました。「ばあば、今日の青は鳥みたい。カワセミの青はキラッとしてて、ルリカケスの青は落ち着いてる。ばあばの青は、その真ん中くらい」。祖母は照れながら「そんなに褒めても何も出ないよ」と言い、孫が「出るよ!次の青!」とすぐ続けました。祖母が吹き出して、私も笑う。青の遠足は、こういう小さな笑いの積み重ねで、気づけば心を整えてくれます。
そして孫は、青メモに大きく書き足しました。カワセミ(春〜初夏が観察しやすい・通年も可)、ルリカケス(冬〜春の家時間で映像が楽しい)。祖母はその文字を見て、「青にも旬があるんだねぇ」と言いました。私は頷きました。そう、青は季節と一緒に見た方が、もっと深くなる。
鳥の青で“第2波”のエンジンは十分に温まりました。次は、季節がもっと分かりやすい青――花です。梅雨に強いアジサイ(紫陽花)と、秋に凛と立つリンドウ(竜胆)。青の気分が、季節を連れてくる章へ進みましょう。
第2章…花の青は梅雨と秋が強い~アジサイとリンドウで深呼吸~
鳥の青で目がきれいに洗われたあと、祖母は窓の外を見て言いました。「青って、空だけじゃないねぇ」。孫はすぐにメモを抱えて、「次は花の青!」と宣言します。私は娘として頷きました。花は祖母の記憶と直結しやすい。しかも季節がはっきりしている青が多い。今日の第2波にピッタリです。
最初に出したのは、梅雨の王者、アジサイ(紫陽花)。祖母が「これは分かるよ」と言う前に、孫が先に言いました。「これ、雨の花!」。祖母は笑って、「そう、梅雨の花だね」と頷きます。私はスマホで色々な**アジサイ(紫陽花)**の写真を見せながら、柔らかく季節を添えました。**アジサイ(紫陽花)**は初夏、だいたい梅雨の頃に一番表情が出る。雨が降っているのに、何故か花が明るく見える。だから祖母世代には特に「雨の日の楽しみ」として刺さりやすいのです。
祖母は画面を覗き込み、「青いのもあれば、紫っぽいのもあるね」と言いました。孫が「なんで色が違うの?」と聞くので、私は難しくしない範囲で答えました。「**アジサイ(紫陽花)**は、同じ種類でも土や条件で色が変わることがあるんだって。だから毎年ちょっと違う青になる」。祖母が「毎年違う青…それはいいねぇ」と笑いました。孫はメモに「アジサイ=毎年違う」と書き、祖母が「それ、私の顔には書かないでよ」と言って全員が笑う。青の話が、いつのまにか家族の冗談に溶けていく。この瞬間が、企画として一番の成功です。
私はさらに、アジサイ(紫陽花)の中でも“青の顔が強い”種類の名前を出しました。例えばガクアジサイ(額紫陽花)。中心の小さな花と、周りの装飾花の配置が特徴的で、祖母が「これ、よく見る形だね」と言いやすい。季節は同じく初夏、梅雨の頃。祖母は「雨の日に散歩すると、つい見ちゃうよね」と言いました。孫は「じゃあ梅雨の遠足はアジサイだ!」とまとめて、祖母が「梅雨に遠足は大変だよ」と笑う。遠足という言葉が便利すぎて、今日の家はずっと遠足です。
梅雨の青で呼吸が整ったところで、私は次の青へ進めました。秋の青です。祖母は秋が好きです。なぜなら、暑すぎず寒すぎず、物の色が落ち着いて見えるから。私はその祖母の感覚に合わせて、静かな青を出しました。リンドウ(竜胆)。
画面に**リンドウ(竜胆)**が映った瞬間、祖母は少し声の調子を変えて言いました。「ああ、綺麗だねぇ。秋の花だねぇ」。そう、**リンドウ(竜胆)**は秋に咲く青(青紫)の代表格です。孫は「これ、青が深い」と言いました。私はうなずきました。「**アジサイ(紫陽花)**の青は雨の青。**リンドウ(竜胆)**の青は空気が澄む頃の青」。祖母は「同じ青でも季節の匂いが違うんだね」と言い、孫が「匂いはしないけどね」と突っ込んで、祖母が吹き出しました。孫の突っ込みはいつも余計ですが、笑いを作るので許されます。
ここで私は、“青が貴重で心が動く”というテーマを花で補強しました。青い花は、世の中にたくさんあるようで意外と少ない。赤や黄色は花壇を見れば溢れているのに、青は「おっ」と思う瞬間が多い。祖母は頷きながら、「確かに、青い花を見ると足が止まるね」と言いました。孫は「青は足止め色だ!」と変な言葉を作り、祖母が「それはちょっと怖い」と笑う。私は「青は足止めじゃなくて、足を“止めたくなる”色だね」と言い直しました。祖母は「そうそう、それ」と頷きました。こういう言葉の調整も、青の気持ち良さの一部です。
花の章の最後に、私は“見る青”だけでは終わらせず、手元で出来る小さな仕掛けも入れました。孫に折り紙を渡し、青系の折り紙で小さな花を作らせます。祖母には「**アジサイ(紫陽花)**の季節は初夏」「**リンドウ(竜胆)**の季節は秋」とメモに書いてもらう。字を書くのが負担なら、私が代筆しても良い。大事なのは、青と季節がセットで残ることです。来年、梅雨が来た時にそのメモを見れば、祖母は自然に思い出せる。「ああ、あの青の日ね」と。
孫はメモに書き足しました。アジサイ(紫陽花)=初夏(梅雨)、ガクアジサイ(額紫陽花)=初夏(梅雨)、リンドウ(竜胆)=秋。祖母はその文字を見て、静かに笑いました。「青って、季節を連れてくるんだねぇ」。私は頷きました。鳥の青が始まりの青なら、花の青は季節の青。ここまで来たら次は、もっと不思議で、少しだけ“危うい”青です。
海の青は、今日も遠足にして家で見ます。夏に話題になりやすい小さな青い生き物、アオミノウミウシ。そしてふわふわ浮かぶ青、ギンカクラゲ。祖母が「綺麗だねぇ」と言いながらも、ちょっと身を引く。その“距離”が、青の貴重さをさらに濃くしてくれます。次の章へ進みましょう。
第3章…海の青は小さくて危うい~アオミノウミウシとギンカクラゲで大騒ぎ~
花の青で季節の話が気持ちよく回り始めたところで、孫が急に背筋を伸ばしました。「次は海!」。祖母は即答します。「海は寒いからね」。私は娘として、ここでいつもの魔法の言葉を出しました。「出掛けない海だよ。家で行く海」。祖母は笑って「それは海じゃないねぇ」と言いながらも、もう表情が“見に行く顔”になっています。
私はスマホの画面を少し明るくして、海の動画を開きました。春夏秋冬のうち、海の青が一気に増えるのはやっぱり暖かい季節です。特に初夏から夏、だいたい「6月の終わり〜9月」あたりは、海の中の色が元気になりやすい。祖母が外に出にくい日でも、画面越しなら“青の旬”を取りこぼしません。
最初に出したのは、孫が前から狙っていた青い小さな不思議、アオミノウミウシです。名前を聞いた祖母は、いったん真顔になって言いました。「ウミウシって…牛?」。孫がすかさず「違う!ウシじゃない!」と叫び、私が「海のナメクジみたいな仲間だよ」と補足すると、祖母は「牛じゃなくて良かった」と謎の安堵をしました。そこ、安心する所なんだ…と私は笑いを堪えます。
画面に現れたアオミノウミウシは、本当に“青い何か”でした。小さいのに、青の主張が強い。祖母が「綺麗だけど、ちょっと怖いねぇ」と言うと、孫が得意げに続けます。「それが海の青だよ。可愛い顔して、だいたい油断させる」。祖母は「孫の言い方が急に人生経験みたいだね」と笑いました。私はそこで季節を添えます。「アオミノウミウシは、暖かい海の時期に話題になりやすい青だね。夏の海のニュースや写真で見かけることがあるよ」。祖母は頷きながら、「夏は海も忙しいんだねぇ」と言いました。
次は、もっと“空っぽの青”を見せます。フワフワしていて、光に透けて、でも正式名称が意外に硬派なやつ。ギンカクラゲです。祖母は名前を聞いた瞬間に言いました。「銀なの?青なの?」。その疑問、最高です。孫が「銀が入ってるからギンカ!」と勢いで答え、私は「見た目が青っぽくて、光るように見えることがあるんだよ」とまとめました。
ギンカクラゲは、特に暖かい季節に海岸で見かけることがあると言われます。季節感としては、初夏から夏にかけて“海の思い出”として語られやすい青です。祖母は画面を覗き込み、「これは宝石みたいだねぇ」と言いました。孫がすぐに手を伸ばして触る真似をしたので、私は優しく手を止めました。「画面の中だけで触ろう。海で見つけても、触らない青もあるからね」。祖母が「それは大事」と真顔になり、孫も「了解!」と妙に元気よく返事をしました。青は惹きつける色だからこそ、距離の取り方もセットで覚えるのが安心です。
海の青は“危うい不思議枠”だけで終わると、祖母が少し疲れやすいので、私はここで“見て癒される青”を挟みます。魚です。今回の新顔は、ソラスズメダイ。名前からして空が入っていて、もう青の季節が見えてきます。ソラスズメダイは、暖かい海の季節に、浅い海で青い群れが光るように見えることがあり、夏のシュノーケリング映像などでも登場しやすい青です。祖母は「この青は落ち着くね」と言いました。孫は「さっきのアオミノウミウシは“攻めの青”、ソラスズメダイは“守りの青”」と勝手に分類し、祖母が「守りって何を守るの」と笑いました。私は「ばあばの心を守る青」と言い、祖母は「じゃあ大事だ」と頷きました。もう会話が全部、青に味方しています。
こうして見ると、海の青には旬があります。初夏から夏は“青が増える季節”で、画面の中だけでも十分に季節が伝わる。祖母が「夏は暑くて苦手だけど、海の青を見るだけなら好き」と言ったのが、今日の大きな収穫でした。出かけなくても、季節はちゃんと味わえる。青はそれを助けてくれる色なんだと思います。
孫はメモに大きく書き足しました。アオミノウミウシ(夏の海で話題になりやすい)、ギンカクラゲ(初夏〜夏に見かけることがある青)、ソラスズメダイ(暖かい季節の海で映える青)。祖母はその文字を見て、フッと笑いました。「海の青は、小さいのに存在感があるねぇ」。私は頷きました。青は貴重だから心が動く。その“貴重さ”が、海では小さな生き物の姿で急に目の前に現れるのです。
そして孫が次のページをめくるように言いました。「海の次は台所でしょ。だって青は家でも出るもん」。祖母が「出るって、青が湧くのかい」と笑い、私は「湧かせます」と宣言しました。次は冬の夜に特に綺麗に感じるガスコンロの青い炎、そして食べる青の新顔、ブルースピルリナ。家の中の青が、いよいよ反則技を見せます。
第4章…台所の青は反則~青い炎とブルースピルリナで食卓が空色~
海の青でちょっとだけ胸がざわついた祖母に、私は娘として“安心できる青”を渡したくなりました。そこで舞台は台所。祖母が一番落ち着く場所で、孫が一番騒ぐ場所でもあります。つまり、事件が起きる場所です。
祖母が椅子に座り直すと、孫が先に言いました。「台所は毎日あるから、青も毎日出るはず!」。祖母は笑って「青が毎日出たら大変だよ」と言います。私は頷きました。「大変にならない程度に出します」。そして私は、コンロの前に立ちました。
最初の青は、今日一番身近で、一番見落とされている青。ガスコンロの青い炎です。火をつけた瞬間、ポッと立ち上がるあの青。祖母は「ああ、これね」と言いました。孫は「青い!」と、知ってるはずなのに新発見みたいに叫びます。私はここで季節を添えました。ガスコンロの青い炎は一年中見られる青だけれど、特に“冬”に綺麗に感じやすい。日が短くなって、夕方から夜が早く来て、台所の光がよく映える季節。寒いからお湯を沸かす回数も増えて、青を見る機会が自然に増える。祖母は頷きながら、「冬の台所は忙しいもんねぇ」と言いました。
孫が急に真面目な顔で聞きました。「なんで青なの?」。私は難しくしない程度に答えました。「燃える時の状態で青く見えることが多いんだって。だから台所にも“青の正体”がいる」。祖母が「正体って言うと急に怪しくなるね」と笑い、孫が「青の正体、確保ー!」と叫びました。祖母は「確保しなくていいよ」と突っ込み、私も笑いました。こういう“くだらない言い回し”があると、祖母の緊張がほどける。青を楽しむ下地が整います。
次に私は、孫が一番喜ぶ青を出します。見るだけじゃなく、食べられて、しかも作る過程が楽しい青。正式名称はブルースピルリナ。スピルリナという藻の仲間から取れる青い色素を使った食品素材で、少量で淡い空色が出ることがあります。祖母が「スピル…何?」と眉を上げ、孫が「呪文みたい!」と笑いました。私は「呪文じゃない、食べられる青の名前」と言って、祖母を安心させます。祖母は「食べられるなら許す」と言いました。許可制なのが祖母らしくて、孫が「ばあばは青の審査員!」と勝手に役職を作りました。
私はヨーグルトを3つ用意して、そこにブルースピルリナをほんの少し混ぜます。白いヨーグルトがゆっくり淡い水色になっていく。祖母は目を丸くして、「あらまぁ…空色になっていく」と言いました。孫が「空を食べる日だ!」と叫び、祖母が「空は食べないよ」と笑いました。私はここで季節を添えます。ブルースピルリナの“食べる青”は季節を選ばないけれど、特に夏に相性がいい。冷たいデザートが嬉しい季節で、見た目の涼しさもそのままご馳走になる。祖母は「夏は食欲が落ちる時もあるから、見た目が楽しいのはいいね」と言いました。そう、それです。青は体に無理をさせず、気分を先に持ち上げてくれる。
孫はさらに欲張ります。「もっと青くしたい!」。私はすぐに止めました。「濃くし過ぎない。今日は“優しい青”がテーマ」。祖母が「そうだね、やさしい青がいい」と味方についてくれて、孫は「了解」と渋々引き下がりました。祖母の一言は、孫にとって最強のルールです。
ここで私は、“青の旬”を台所で仕上げるために、もう一つだけ青を足しました。光の青です。青色LED。祖母が「また難しいの来たね」と言うので、私は簡単に言いました。「夜の青。小さなライトの青」。孫が棚の下のライトを点けると、淡い青い光がテーブルの端に落ちました。祖母はその光を見て、「夜が静かになる青だねぇ」と言いました。季節としては、これも“冬”が似合う。夜が長い季節ほど、光の青が活躍する。孫は「冬は青の光が長持ち!」と謎の表現をし、祖母が「長持ちって何よ」と笑いました。私は「冬は夜が長いから、青の光と一緒に過ごす時間が増えるって意味だね」と通訳しました。孫は「通訳ありがとう」と言い、祖母が「家の中が国際会議みたいだね」と笑う。今日の家はずっと平和です。
こうして台所に、3種類の青が揃いました。ガスコンロの青い炎(冬の夜に特に美しく感じやすい・通年)、ブルースピルリナ(夏の冷たいデザートと相性がいい・通年)、そして青色LED(冬の長い夜に映える・通年)。祖母はヨーグルトの空色を眺めながら、「青って、眺めるだけじゃなくて、暮らしに入り込むんだねぇ」と言いました。孫はスプーンを握って「暮らしの中の青、優勝ー!」と叫び、祖母が「優勝って何と戦ったの」と笑いました。私はその笑い声を聞きながら、確信しました。
青は珍しいから心が動く。けれど、珍しい青は遠い場所だけにあるわけじゃない。台所にも、手の届くところにも、ちゃんと“新しい青”が潜んでいる。しかも季節と結びつけると、来年も再現できる。祖母の心も、孫の好奇心も、ちゃんと守りながら、青を増やせる。
後は締めるだけです。祖母が今日の青メモを見て、「青って、まだ終わらないねぇ」と言う。孫が「第3波もあるよ」と言う。私は娘として「青の奔流は続くけど、今日は一旦お茶にしよう」とまとめる。次の章では、今日出会った青をもう一度、季節と一緒に束ねて、家族の時間として結びます。
[広告]まとめ…青は貴重だから心が動く~季節をめくると青が増える~
祖母の青い服から始まった「青の奔流・第2波」は、終わってみれば家の中に季節が並んでいました。外に出なくても、季節はちゃんと届く。むしろ、出掛けられない日があるからこそ、画面や写真や台所の小さな仕掛けで、青は“ちょうどよく”暮らしに入ってきます。祖母は椅子の背にもたれながら、「今日は青の遠足だったねぇ」と言いました。孫はメモ帳を掲げて「青の遠足、完走!」と叫び、私は娘として「完走って言い方、なんでスポ根なの」と笑いました。けれど、そのスポ根っぽさが、今日はちょうど良かったのです。
第2波の始まりは鳥でした。春から初夏の川辺の光が似合うカワセミ。通年でも見られることはあるけれど、散歩や観察の気分が乗りやすいのは春の柔らかい時期です。そして冬から春の“家時間”に映える、特別感のある青としてルリカケス。祖母が「また瑠璃だねぇ」と笑ったあの瞬間、青は単なる色ではなく、言葉になって家族の中に入ってきました。青は、名前を知ると親しくなる。これは今日、祖母と孫が一緒に証明してくれました。
次に青は花になって、季節のページをめくりました。初夏、梅雨の頃に心を支えるアジサイ(紫陽花)。雨の日でも明るく見えて、祖母が「雨が悪者じゃなくなる」と言ったのが印象的でした。さらに、同じ季節で“形も青も違う顔”としてガクアジサイ(額紫陽花)。そして秋、空気が澄む頃に凛として立つリンドウ(竜胆)。**アジサイ(紫陽花)**が「今年の青」なら、**リンドウ(竜胆)**は「静かに深まる青」。祖母が深呼吸したくなる理由が、そこにありました。青は、季節の気分を整える色でもある。第2波はそれをはっきり見せてくれました。
海の青は、初夏から夏にかけて一気に増える“青の宝箱”でした。夏の海で話題になりやすい小さな青い不思議、アオミノウミウシ。祖母が「綺麗だけど、ちょっと怖い」と言ったのは、青の本質に近い感想です。近づきたくなるのに、簡単には触れさせてくれない。そこに青の貴重さがある。ふわふわ光るように見えるギンカクラゲも、初夏から夏に“出会った話”として登場しやすい青で、祖母が「宝石みたい」と言った瞬間、海は画面の中でも十分に季節を運んできました。そこへ、夏の海で映える癒しの青としてソラスズメダイを挟むことで、祖母の心がちゃんと落ち着く。攻めの青と守りの青を、孫が勝手に分類して笑いが生まれたのも、今日の良い副作用でした。
そして最後に、青は暮らしのど真ん中へ着地しました。通年で見られるのに、冬の夜に特に美しく感じやすいガスコンロの青い炎。祖母が「毎日見てるのに、今日は違う」と言ったのは、まさに“新発見の青”です。さらに、夏の冷たいデザートに相性がよく、通年でも遊べる“食べる青”としてブルースピルリナ。ヨーグルトが空色へ変わった瞬間、祖母の「空色になっていく」が生まれ、孫の「空を食べる日だ!」が飛び出しました。そこに冬の長い夜に映える“光の青”として青色LEDを添えると、台所は小さな青の展示室になります。青は遠い世界にあるだけじゃない。台所にも、毎日の中にも、ちゃんと潜んでいる。だから祖母は「暮らしに入り込む青だねぇ」と言いました。
ここまで新しい青だけで揃えたのに、青はまだ尽きません。祖母が青い服を選ぶたびに、孫はきっと言うでしょう。「ばあば、次の青に行こう」。私は娘として、その言葉が祖母の負担にならないように、無理をしない青を選びます。出掛ける青も、家で見る青も、台所で味わう青も、どれも同じ価値がある。大事なのは、“貴重な青に出会った”という気持ちが、家族の時間をフッと明るくすることです。
青は貴重だから心が動く。第2波は、その動きを「季節」という波に乗せて、もっと分かりやすくしてくれました。春はカワセミ、梅雨はアジサイ(紫陽花)、秋はリンドウ(竜胆)、初夏から夏はアオミノウミウシやギンカクラゲ、そして冬の夜はガスコンロの青い炎と青色LED。そこに通年の遊びとしてブルースピルリナが加わり、祖母の青い服が、今日の全てを繋いでくれた。
祖母は最後に、青メモをそっと閉じて言いました。「青って、まだ終わらないねぇ」。孫は即答しました。「終わらない。第3波ある」。私は笑って、「じゃあ第3波は、ばあばの体調と相談して、一番気持ち良い青からね」と言いました。祖母が「それが一番だねぇ」と頷いた時、青の奔流は、色ではなく“家族の安心”として、確かにそこに流れていました。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
[ 応援リンク ]
[ ゲーム ]
作者のitch.io(作品一覧)
[ 広告 ]
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。