3月2日の特養に遠山の金さん降臨!?~雛まつり前夜のお白洲大作戦~
目次
はじめに…桜吹雪はまだ早いけど今日は“雛吹雪”でいきましょう
3月2日。世間はまだコートの襟を立てている頃なのに、何故か私たちの心の中では、既に時代劇のBGMが鳴り始めます。そう、「遠山の金さんの日」です。――といっても、桜吹雪の季節には少し早い。早過ぎる。桜どころか、花粉が先に舞ってます。
でも大丈夫。桜が早いなら、こちらは先に“雛吹雪”でいきましょう。ひな祭り前のこの時期って、実は行事の谷間に見えて、現場は割りと山場です。飾りの準備、献立の調整、写真の段取り、そして「誰がどこまでやるか問題」。春の入口って、何故か小さな“揉め事”も芽吹くんですよね。人間、気温が上がると理屈より感情が先に走ることがある。これはもう、季節のせいにしていいやつです。
さて舞台は特養。理事長と事務長という、施設の中でも特に“正義の種類が違う”お二人が登場します。理事長は「夢と心と理想で施設を照らしたい」タイプ、事務長は「現実と段取りと帳尻で施設を守りたい」タイプ。どちらも正しい。だからこそ、同じ方向を向いてるはずなのに、途中で正面衝突しがちです。車で言うなら、アクセルとブレーキが同時に踏まれる瞬間がある。施設は止まらないけど、職員の心臓が止まりそうになります。
そこで今日の主役が現れます。遠山の金さん……ではなく、“金さん的な役割”を担う誰かです。普段は気の良い町人みたいにニコニコしてるのに、いざという時、場を整えて、困っている人の声を拾い、悪者探しではなく落としどころを作ってしまう人。施設って不思議で、肩書きよりも「その人の立ち位置」が金さんになる瞬間があるんですよね。
このお話は、誰かを裁くための物語ではありません。むしろ逆です。みんなが疲れずに、笑って3月を回すための物語。雛まつりの前に、心の衣替えをするための小さなお白洲です。桜吹雪はまだ先でも、“スカッと”は今日できる。しかも、成敗じゃなくて、優しい着地で。
それでは、特養の廊下に突如出現した(気がする)お白洲へ――。理事長と事務長、そして現場の町人たちが、どんな“雛吹雪”を舞わせるのか。どうぞ、覗いていってください。
[広告]第1章…理事長と事務長が揉めた朝~何故か廊下に「お白洲」が生えた~
その朝、特養の空気はほんの少しだけ、ピリッとしていました。原因は、窓の結露でも、加湿器の勢いでも、夜勤明けのテンションでもない。理事長と事務長が、同じ資料を見ながら違う方向へ首を傾げていたからです。そういう日は、だいたい施設のどこかで「紙が増える」予感がします。
舞台は事務室。机の上には、雛祭りの準備メモ、行事食の案、飾りつけの配置図、写真撮影の段取り表……そして、理事長の“夢”と事務長の“現実”が同居している、例の紙たちが鎮座していました。あれは紙ではなく、思いの結晶です。けれど結晶は、時々、人の心に刺さります。
理事長はにこやかに言います。「今年はね、ひな壇を“ちゃんと”出そう。利用者さんに季節を感じてもらいたいんだ。写真も残して、ご家族にも見せたい。出来れば玄関にも華やかに……あ、桃の花も本物が良いね」。言っていることは、まったく正しい。理事長が目指すのは“施設の春”です。春が来るなら、心にも来て欲しい。そういう願いがちゃんとあります。
一方、事務長は同じくにこやかに返します。ただし、そのにこやかさには「数字じゃなくて現場の秒数で話すぞ」という圧がほんのり混じります。「理事長、それ、誰が出します? 誰が運びます? 誰が片付けます? 玄関は動線が混みます。転倒リスクも上がります。写真も、撮るだけなら簡単ですけど、写り込みや個人情報、同意の確認、プリント、配布……地味に手間が増えます」。言っていることは、こちらもまったく正しい。事務長が守っているのは“施設の安全と段取り”です。春が来ても、転んだら冬より冷えます。
同じ「雛祭り」を見ているのに、理事長は“景色”を見て、事務長は“足元”を見ている。これは仲が悪いわけではなく、役割が真逆だから起きる現象です。車で言うなら、理事長はアクセル、事務長はブレーキ。でも、どっちも無いと事故ります。だからこそ、ぶつかると音が大きい。
そこへ追い打ちをかけるように、現場から小さな報告が飛び込んできます。「済みません、雛飾りの箱、去年の場所にないみたいです」「写真の背景布、どこでしたっけ」「桃の花、造花ならあるけど本物は……」「行事食、嚥下の形態はどうしましょう」。春が近づくと、質問も芽吹くんです。芽吹き過ぎて、相談の森になります。
理事長は「よし、皆でやろう!」と言いたくなる。事務長は「まず順番を決めよう」と言いたくなる。どっちも正しい。だから、ぶつかる。
……そしてこの施設の面白いところは、そういう“ぶつかり”が起きた瞬間に、何故か廊下に「お白洲」が生えてしまうことです。もちろん本物ではありません。畳も、奉行所の門も、現代にはありません。でも、空気だけはそれっぽくなる。誰かが言うんです。「取り敢えず、一旦、廊下で話しましょうか」。その言葉が出た時点で、半分お白洲です。廊下は、現場と事務室の境目。つまり、町奉行所の玄関口みたいな場所なんですよね。
廊下に集まってくるのは、いつもの“気のいい町人”たちです。介護職員、看護師、栄養士さん、相談員さん、リハさん、時には用務員さん。みんな忙しいのに、何故か少しだけ集まってしまう。理由は簡単で、「この話、今日決まらないと、明日が地獄」だからです。現場は未来予知が得意なんです。
そこへ、さらに一人。普段はニコニコしていて、誰とでも話せて、余計な火に油を注がない人が、遅れてやってきます。人によってはフロアのリーダーかもしれないし、生活相談員かもしれないし、ベテランの介護職員かもしれない。肩書きは関係ありません。この瞬間、その人は“金さん枠”です。普段は町人、いざとなると場を整える人。
金さん枠の人は、まず深呼吸を1つ入れます。これが大事です。深呼吸が入ると、周りの心拍数が少し下がります。それから、にこやかに言います。「理事長、事務長、雛祭り、やりたいことは一緒ですよね。じゃあ今日は、まず『絶対に外せないこと』を1つずつ出しましょう。そこから組み立てれば、喧嘩じゃなくて設計になります」。言い方がうまい。喧嘩を設計に変える魔法です。
理事長は“利用者さんに季節を届けたい”が外せない。事務長は“安全と動線と負担を崩したくない”が外せない。これが見えた瞬間、空気が少しだけ変わります。廊下のお白洲が、裁きの場ではなく、落としどころを作る作戦会議に変わるんです。
でも、ここからが本番です。理事長と事務長の言葉は、どちらも強い正義。強い正義は、放っておくと正面衝突します。だから金さん枠の人は、次の一手を打ちます。「じゃあ、飾りは“全部盛り”じゃなくて、“見せ場”を一点にしません? 玄関は写真映えの一角だけ。ひな壇はフロアの安全な場所で、時間を区切ってミニ鑑賞会。写真は写り込みが出にくい背景にして、撮る人を決める。片付けは“誰かが全部”じゃなくて、“時間と役割を分ける”」。一気に現実味が出て、みんなの顔が「それなら出来る」に寄ります。
この時点で、もう廊下は時代劇ではありません。現代の奉行所です。奉行所って、裁くだけじゃなく、町の困り事を捌いていく場所だったんだな、と実感します。理事長の理想を守り、事務長の現実を守り、現場の体力を守る。成敗の代わりに、明日がラクになる段取りが決まる。これが、特養版の“お白洲”なんです。
さて、話がまとまりかけたところで、誰かがポツリと言います。「……で、雛飾りの箱、どこですかね」。一同、静かに頷きます。はい、施設の物語はだいたい最後、そこに戻ります。お白洲で正義を語っても、箱がなければ雛が出てこない。現実はいつも、可愛げのある強敵です。
でも大丈夫。金さん枠の人が、少し笑って言います。「じゃあ、探索は私が行きます。悪党じゃなくて、倉庫に潜んでるだけですから」。こうして特養の3月2日は、“雛吹雪”の気配と共に動き出したのでした。
第2章…気のいい町人(職員・利用者さん)が増えるほど事件も増える説
廊下にお白洲が生えた日の不思議は、もう1つあります。何故か、施設の“気の良い町人”たちが、ちょっとずつ集まってくるんです。普段はそれぞれの持ち場で忙しいのに、「何か起きてる空気」だけは秒で察知する。しかも来る時の顔が、深刻そうでいて、どこかワクワクしている。これはもう、時代劇の視聴者と同じ心理です。人は“正体バレ”が始まりそうになると、テレビの前に座りたくなる生き物なんですよね。
町人その①、現場職員。いつも笑顔で利用者さんと話し、さりげなく仕事を回し、空気が悪くなりそうな瞬間に小さな冗談を差し込める人たちです。施設における“気の良い町人”とは、つまり「争いを大きくしない才能の持ち主」。ただ、この才能が強いほど、周りがつい甘えます。「あの人なら大丈夫」「あの人に頼めば丸く収まる」。そして気づけば、相談も荷物も段取りも、全部そこへ集まりやすい。町人が優しいほど、事件が寄ってくる。これ、施設あるあるです。
町人その②、利用者さん。ここが一番面白いところで、利用者さんって“正義感のアンテナ”が鋭いんです。誰かが困っている空気、誰かが頑張り過ぎている空気、誰かが我慢している空気。そういうのを、職員より先に感じ取ることがある。人生経験が長い分、「それ、後で爆発するやつだよ」という匂いが分かるんですよね。
例えば、雛飾りの話。職員が「ひな壇をどこに置くか」で悩んでいると、利用者さんが一言で核心を突きます。「玄関はね、みんな焦って歩くから危ないよ。見たい人は、ゆっくり見られる場所が良い」。これ、理事長の“見せたい”と事務長の“安全”を同時に叶える視点です。しかも言い方が柔らかい。奉行所の裁きより効きます。
さらに町人その③、ご家族。面会や電話で、春のイベントを楽しみにしている声が届くと、理事長の胸は熱くなり、事務長の胃が少し痛くなります。何故なら期待は嬉しいけれど、期待の分だけ現場の段取りが増えるから。ご家族は悪党じゃありません。むしろ“応援団”。ただ、応援団が大きいほど、選手(現場)が息切れしやすい。これもまた、事件が増える仕組みです。
ここで、施設に発生しがちな“春先の事件”を思い出してみましょう。ひな壇の箱が見つからない、桃の花の花瓶が倒れそう、写真の背景がシワだらけ、甘酒を用意したら「飲めない人」がいて、代わりに何を出すかでプチ会議、そして最後に「片付け担当が決まってない」。こうして見ると、事件の正体はだいたい“悪”ではなく、“段取り不足”か“伝言ゲーム”です。つまり、成敗する相手がいない。いたとしても犯人は「忙しさ」か「思い込み」。捕まえようがありません。忙しさに手錠はかけられないんです。
だからこそ、遠山の金さんの型が効いてきます。「悪を倒す」より先に、「話を一回、整える」。そして、誰が悪いかではなく、“何が詰まっているか”を見つける。施設の事件は、だいたい配管が詰まっているだけみたいなものです。流れを作れば、水はまた流れる。ここで必要なのは、刀ではなく、ラバーカップ。スッポンです。お白洲にスッポン。似合わないけど、現場には合う。
町人たちが増えるほど事件が増えるのは、裏を返せば、施設が「人の気持ちで回っている」証拠でもあります。冷たい組織なら、そもそも誰も集まりません。誰も気づきません。困ってても「知らない顔」で終わる。けれど、この特養は、そうならない。気の良い町人が多いから、気づく。気づくから、相談が集まる。相談が集まるから、事件に見える。これ、実は良い施設の特徴でもあるんです。
とはいえ、町人が優し過ぎると倒れます。優しさで回っている施設ほど、優しい人が先に疲れる。だから次の章では、いよいよ“奉行所の仕事”を現代語に翻訳してみます。町奉行って、裁判だけじゃなく、見回りも、調査も、防災も、行政も、つまり「全部」を抱えていた存在でした。ええ、聞くだけで胃が痛くなるような…。事務長と肩を組める仕事です。
さあ、ここからはお白洲の裏側へ。奉行所が何でも屋だった理由を知ると、理事長と事務長がぶつかるのも、ちょっとだけ愛おしく見えてくるかもしれません。たぶん。いや、願望です。
第3章…町奉行所って何でも屋~裁き・見回り・段取り・防災まで全部乗せ~
さて、廊下のお白洲がそれっぽく機能し始めたところで、「そもそも町奉行って何をしてたの?」という話に一度だけ寄り道します。時代劇だと、町奉行はだいたい座ってます。静かに座って、悪党が出てくるのを待って、最後にドーンと決める。理想の上司像です。けれど現実の町奉行は、そんなに座っていられない。むしろ、座る時間があったら奇跡です。
町奉行は、ざっくり言うと「江戸の町の困りごとを丸ごと担当する役所」でした。現代で言えば、警察も、裁判も、役所の手続きも、町の調査も、防災も、いろいろ混ざった“全部入り”。ひと言で言うと、何でも屋です。ひと言で言ってしまうと軽いですが、内容は重い。重過ぎる。肩こりが国宝級になります。
この「何でも屋感」、特養の理事長と事務長が抱えているものに、ちょっと似ていませんか?理事長は、施設の理念や雰囲気や、ご家族との関係や、職員の気持ちや、地域との繋がりや、未来の構想まで背負っている。事務長は、日々の段取り、安全、備品、書類、人員のやりくり、突発トラブル、そして“無理が出ない落としどころ”を背負っている。つまり二人で「奉行所」をやっているようなものです。だからぶつかる。ぶつかるけど、どっちも必要。奉行所は一人では回らないのに、昔はそれに近いことをやろうとしていた。江戸って、怖い時代…。
奉行所の仕事は「裁く」より「整える」
ここが大事なところで、町奉行の仕事は「悪者をやっつける」だけじゃありません。むしろ、江戸の町が普通に回るように“整える”仕事が大きい。何かが起きたら調べる、揉めたら裁く、火事が怖いから備える、混乱しないように決まりを作る。つまり、日々の“詰まり”を解消していく役割です。
これ、まさに施設の毎日みたいなものです。問題が起きたら原因を確かめる。誰かが困っていたら仕組みを整える。転倒が起きそうなら先回りする。感染症が流行りそうなら備える。行事が近づけば段取りを作る。本来は悪党はほとんど出てきません。出てくるとしたら「連絡漏れ」と「思い込み」と「忙しさ」です。この三人衆は捕まえられない上に、変装も上手い。最終的に、現場の優しい人に化けて仕事を増やしてきます。詐欺師みたいな曲者です。
だから、遠山の金さんの「型」をそのまま持ってくると、ちょっとズレちゃいます。施設に必要なのは、“成敗”よりも“整備”。裁きの前に、通路を広げる。言い争いの前に、動線を引く。大声の前に、説明を揃える。こういう地味な勝利が、一番効くんです。
特養の防災は雛飾りにも宿る
そして奉行所の仕事には、防災も入っていました。江戸の火事は命掛けです。だから町の安全を守るのは、奉行所の大事な役割だった。これもまた、現代の施設と繋がります。特養は、安心の場所であると同時に、「転倒」「火災」「感染症」「誤嚥」など、日々のリスクと隣り合わせです。
ここで雛飾りが登場します。雛祭りって、可愛い行事に見えて、現場目線だとけっこう手強い。飾りの角、台の高さ、歩行器の通り道、車椅子の回転半径、視界、躓きポイント、そして“みんな見たいから集まる”問題。つまり、雛飾りは小さな防災訓練みたいなものです。飾り方1つで、事故が減るか増えるかが変わる。事務長が眉間にシワを寄せるのも当然です。理事長が「でも春を届けたい」と言うのも当然です。春は心の防災でもあるからです。
町奉行の正体は「調整役」~だから金さん枠が必要になる~
では、ここまでの話を一言でまとめると何か。町奉行の正体は、「調整役」です。誰が悪いかを決める人ではなく、町が回り続けるように手を打つ人。揉め事に決着をつけるのも、その先に“生活が続く”ことが前提です。裁いて終わりじゃなく、終わった後の明日を作る。ここが奉行所の怖さであり、凄さです。
特養の廊下のお白洲で起きているのも、同じことです。理事長と事務長がぶつかっているのは、勝ち負けではなく、施設の明日を作るための角度の違い。そこへ金さん枠の人が入り、「外せないこと」を言葉にし、「出来る形」に落とし、「誰か一人が潰れない」ように段取りを刻む。これが現代の奉行仕事です。桜吹雪はまだ飛ばせなくても、段取りは飛ばせます。スッと。綺麗に。できれば静かに穏やかに平穏に。
さあ、奉行所の正体が「全部乗せの調整役」だと分かったところで、次はいよいよ“正体バレ”の時間です。遠山の金さんの日に相応しく、最後は誰かがフッと顔付きを変えて言います。「では、ここで決めましょう」。成敗はしない。けれど、空気を整えて、みんなの明日を軽くする。特養の正義は、だいたい桃色です。
第4章…ついに正体バレ~成敗より「みんながラクになる落としどころ」~
廊下のお白洲は、だいたい“静かな限界”の後に完成します。誰かが怒鳴るわけでもない、泣くわけでもない。けれど、理事長の理想と事務長の現実が、どちらも正しいまま押し合って、空気だけがムギュッと詰まる。あの感じです。職員の心の中で「ここで決まらないと、明日が詰む」という太鼓が鳴り始める、あの感じ。
その瞬間、金さん枠の人が、にこやかに一歩だけ前へ出ます。ここで大声を出したら負けです。時代劇のように「この桜吹雪が目に入らぬか!」と叫んだら、利用者さんがびっくりしてしまう。廊下はホールより響くんです。だから静かに、でも確かに、場の“主導権”を取る。これが現代の正体バレです。
「理事長、事務長。今日の結論を先に決めても良いですか。雛祭りはやります。ただし、やり方は“人が倒れない形”にします」
その一言で、空気が変わります。理事長の目が「よし!」になり、事務長の眉が「それなら聞こう」になります。正体バレって、権力を見せることじゃなくて、“責任を引き受ける宣言”なんですよね。ここで金さん枠の人がやっているのは、勝ち負けを決めることではなく、皆の未来の荷物を一度引き受けて、軽く分け直すことです。
理事長の理想は残して事務長の現実も守る
まず金さん枠は、理事長の理想を壊しません。壊すと、春が死ぬからです。理事長が求めているのは、ひな壇そのものではなく、「季節を感じる瞬間」と「ご家族に伝わる温度」。そこを押さえます。
「理事長の“届けたい”は、写真で残します。表情が映る形にしましょう。大きさより、気持ちが伝わる画角にします」
この言い方が、理事長に刺さる。ひな壇の段数じゃなくて、表情。玄関の豪華さじゃなくて、伝わる温度。理想が“形”から“目的”に戻ると、現実と手を繋げるようになります。
次に、事務長の現実を軽くしながら守ります。事務長が怖いのは、行事そのものではなく、「誰の負担が見えないまま増えること」と「安全が後回しになること」。ここを押さえます。
「事務長の“守りたい”は、動線と時間で守ります。『ここに置く』じゃなくて『この時間だけ出す』にしましょう。片づけも時間が決まっていれば、終わりが見えます」
事務長は、終わりが見えない仕事が一番つらい。終わりが見えると、顔色が戻ります。人は希望で生きると言いますが、現場では“終業の見込み”が希望です。
“雛吹雪”作戦~ここで決定(成敗なし)~
そして、いよいよ落としどころが決まります。ここで金さん枠は、決め方を間違えません。「全部やる」「全部やめる」ではなく、「見せ場を一箇所に絞る」。施設の行事は、花火より提灯が強いんです。派手さより、続くこと。
「ひな壇はフロアの安全な位置で、ミニ鑑賞会にします。玄関は“フォトスポット”だけ。飾りは低い位置にして、車椅子でも見やすくします。桃の花は本物が無理なら、手作りでも良い。むしろ利用者さんと作った花の方が、春の温度が出ます」
この瞬間、廊下にいた町人たちが、目で頷きます。誰も声に出していないのに、「それなら出来る」が伝播する。これが施設の連携です。言葉より先に、表情が合意します。
しかも“雛吹雪”という新要素が、地味に効きます。桜吹雪はまだ先。でも紙の花弁なら今出来る。春を先に連れてくる手段として、最高に現実的です。紙吹雪は軽く、片づけも軽い。雰囲気だけ華やかにして、負担は重くしない。これは行事の勝ちパターンです。
最後にもう一段で正体バレが来る
ところが、お白洲はここで終わりません。現場の悪党……じゃなくて“強敵”が残っています。「誰がやるか問題」です。どんなに美しい計画も、担当が決まらないと紙の上で凍ります。事務長はそこを見逃しません。目が言っています。「で、誰が?」
ここで金さん枠が、二段目の正体バレをします。静かに、サラッと、逃げ道を塞ぎます。
「では、私が司会と写真の段取りを持ちます。飾りの設置は、今日の遅番と明日の早番で分けましょう。片付けは“その日の終わりに5分だけ全員で”にします。1人で抱えない形にします」
この言い方が上手い。誰かを名指しにして責めない。けれど、作業は具体的に進む。しかも「全員で5分」なら、事務長も首を縦に振りやすい。施設の5分は貴重ですが、事件の火種を消す5分は、後で30分の余裕を生むことがあります。だいたいこういうのは、先に火消しした者勝ちです。
理事長はここで、さらに上手い一手を出します。理事長は理想の人なので、最後に“ご褒美”を用意するのが得意です。
「じゃあ、終わったら甘いものを用意しよう。職員さんにも、ひと口。ありがとうの分だ」
事務長が小さく咳払いします。「理事長、それは……ええ、まぁ……」と言いながら、目が少し優しくなる。職員の口に入る甘いものは、施設の平和条約です。大きな予算じゃなくて良い。ひと口で良い。ひと口が、次の日の表情を変えます。
成敗しない正義は何故に気持ち良いのか
ここまで来て、誰も悪者になっていません。それなのに、何故かスカッとする。これが施設版・遠山の金さんのカタルシスです。理由は簡単で、「誰かを叩く」ではなく、「明日の詰まりがほどけた」からです。裁きが気持ち良いのではなく、流れが戻るのが気持ち良い。水が流れれば、空気も澄みます。
廊下のお白洲は解散し、町人たちはそれぞれの持ち場へ戻ります。理事長は桃色の夢を胸に、事務長は現実の段取りを胸に、金さん枠は静かに倉庫へ向かいます。雛飾りの箱を探すという、地味で確実な“討ち入り”のために。
そして誰かが、ポツリと言うんです。「今日、なんか時代劇みたいでしたね」。
もう一人が返します。「成敗ないけどね」。
さらにもう一人が続けます。「でも、こっちの方が好きかも」。
そう、特養の正義は、だいたい桃色です。派手じゃない。けれど、ちゃんと温かい。雛まつり前の3月2日、桜吹雪の代わりに“雛吹雪”が、静かに舞い始めたのでした。
[広告]まとめ…桃色の正義で3月を回す~次は雛まつり本番へと続く!~
3月2日。遠山の金さんの日に、特養の廊下へお白洲が生えた――そんな話をしてきましたが、振り返ってみると、今回の“事件”には悪党がいませんでした。いたのは、理事長の理想と、事務長の現実と、現場の忙しさ。そして春が近づくと勝手に芽吹く「ついでにこれもやりたい」「あれも整えたい」という、人間らしい欲張りです。悪党というより、春の副作用ですね。
けれど、時代劇の型って面白いもので、「最後に正体が明かされて、空気が整う」だけで、心がスカッとします。施設版の正体バレは、偉い人が威張ることではありませんでした。誰かが責任を引き受けて、言葉を整えて、負担を分けて、「明日が詰まらない形」に組み替えることでした。成敗よりも、通路が広がる方が、現場は救われる。これは本当にそうだと思います。
そして、桜吹雪がまだ早い季節だからこそ、“雛吹雪”が効きました。派手さはなくても、紙の花弁1つで、利用者さんの表情がフワッと明るくなる。準備する職員の肩の力も少し抜ける。行事の力って、豪華さじゃなくて「春が来たね」と言い合える時間に宿るんですよね。桃の節句は、そのための装置です。
理事長と事務長も、結局は同じ方向を見ていました。理事長は季節の温度を守り、事務長は安全と段取りを守る。役割が違うからぶつかるけれど、ぶつかれるのは真剣だからです。そこへ金さん枠が入って、ケンカを設計に変えて、全員の5分を集めて、誰か1人が潰れない形にする。こうして施設の3月は、桃色の正義で回っていきます。
もし、あなたの現場でも、行事前に廊下へお白洲が生えそうになったら、思い出してください。大事なのは、勝ち負けではなく「外せないこと」を1つずつ言葉にして、見せ場を1つに絞って、終わりを見える形にすること。桜吹雪は後で良い。まずは雛吹雪で、春の入口を作れば良いんです。
さて次は雛祭り本番。ひな壇の箱は見つかったのか。桃の花は本物か手作りか。写真の背景布はシワを伸ばせたのか。そして理事長の“ありがとうの甘いひと口”は、ちゃんと職員の口に届いたのか。施設の季節行事は、だいたい最後にそこが大事です。
――続く…。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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