40人担当すると名前が出ない日もある~ケアマネの記憶が持つやさしい設計~

[ ケアマネの流儀 ]

はじめに…人の頭が覚えられる量と仕事で求められる量は違う

ケアマネとして長く働いていると、不思議な瞬間に出会います。顔ははっきり浮かんでいるのに、名前だけがスルリと抜けてしまう瞬間です。30年で1000人以上と関わってきたとしても、ふとした場面で「ええと…どなたの娘さんだったかな」となる。これは決して怠けているわけでも、ましてやすぐに病気を疑うべきことでもありません。人の記憶にはそもそも“前の方に置いておける量”があり、そこからこぼれたものは奥にしまわれるだけ、という仕組みがあるからです。

一方で、現場では「ケアマネは最大40名担当」が当たり前のように語られます。さらに1名の利用者さんの周りには、ご家族、キーパーソン、サービス事業所の担当者がいて、電話をくれる人もいれば支払いだけを担当する人もいる。つまり40名と書いてあっても、実際にやりとりする人の数はその何倍にも膨らみます。人が普通に暮らす時に覚えておける人数より、仕事が要求してくる人数の方が大きい。ここに最初のズレがあります。

このズレを「自分の記憶力が落ちた」で片付けてしまうと、真面目な人ほど自分を責めてしまいます。けれど本当は逆で、最初から人一人の頭だけで処理できる量ではない仕事をしているだけなのです。だからこそこの仕事は、記憶そのものを競うのではなく、記録や面会のリズムを使って「思い出しやすくする」方に設計されている――そう考えると、肩の力が少し抜けます。

本稿では、何故、人は全部覚えていられないのか、何故、40名担当でも現場が回っているのか、そしてどんな風に工夫すれば安心してこの仕事を続けられるのかをお話しします。読んで下さる方が「忘れるようになったから終わり」ではなく「この人数ならこう持てばいいんだ」と捉えなおせるよう、優しく紐解いていきます。

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第1章…40人の後ろには制度と現場の事情がある

ケアマネの仕事をまだ知らない人が「一人で40人を担当します」と聞くと、まず量の多さに驚きます。ところが現場にいる人は「まぁそういうものだよね」と受け入れている。この差は、数だけを見ているか、背景まで知っているかの違いです。

40人という数字は、誰か一人が勝手に決めたものではなく、制度としての目安や、事業所が成り立つための人件費の計算、利用者さんの需要、地域にいるケアマネの数など、いくつもの事情が積み重なってそうなっています。つまり「人間の記憶力から逆算して決めた数字」ではなく、「地域で回すにはこのくらい必要だろう」という外側の事情から生まれた数字なのです。ここを踏まえておかないと、「覚えられない私はダメだ」と自分を責めがちになります。

もう1つややこしいのは、紙の上では「40人」なのに、実際にやりとりする相手は40人では終わらないことです。利用者さんの周りには、主たる介護者がいて、その配偶者がいて、離れて暮らす兄弟がいて、たまに来るお孫さんがいて、さらにサービス事業所の担当者がいます。一人のケースに3人でも4人でも名前がぶら下がると、40件はあっという間に100人規模の顔触れになります。これを全部、頭の中だけで保持するのはどう考えても無理があります。

それでも現場が崩れないのは、ケアマネの仕事が「全部を覚えておく人」ではなく「必要な時に必要な人へ繋げる人」として設計されているからです。全てを記憶に置いておくのではなく、書類やソフトに置き、定期訪問のリズムで記憶を前に引き出すようになっている。いわば、記憶そのものよりも“辿り着けること”が重視されているのです。

つまり「40人を担当しているのに名前が出てこない」というのは、制度が元々、人一人の容量を超える形で組まれているから起きる自然な現象です。数字だけ見ると冷たく感じますが、中身を解いてみると「この量なら記録を味方につけていい」「呼び名でいったん止めてもいい」と、人にやさしい余白が実は仕込まれている。ここを分かっているだけで、日々の“思い出せない瞬間”への罪悪感はグッと軽くなります


第2章…人がひと目で思い出せる名前はだいたい150人前後に絞られる

人の頭は、出会った全ての人のことを同じ深さで覚えておけるわけではありません。何十年も生きていれば、顔を合わせた人の数は軽く1000人は超えますし、ケアマネのように地域と高齢者と家族を繋ぐ仕事をしていれば、その数はもっと増えます。それでも、パッと名前まで浮かぶ人を並べてみると、意外と限られている――この感覚は誰にでもあると思います。

これには理由があります。人は普段の生活で「すぐ連絡を取る相手」「同じ場所で働いている相手」「家族や親しい友人」といった、“今の生活の周りにいる人たち”を手前の棚に置きます。ここに置ける人数がだいたい150人前後だと言われることが多いのです。もちろん個人差はありますし、職業や性格によってもっと多く扱える人もいますが、人類全体で見るとこの辺りで落ち着きやすい。つまりこれは「物覚えが悪くなった」という話ではなく、人間という生き物の標準的な置き方なのです。

しかもこの150人前後という範囲の中でさえ、全部が同じ濃さではありません。毎日会う家族や同僚はすぐに名前と顔がくっついて出てきますが、年に1回だけ地域の会合で会う人は「顔は分かる、けど名前が出ない」という状態になりやすい。これは“忘れた”というより、“奥にしまったから取り出しに時間がかかる”だけです。何かの拍子に写真を見たり、家族がその人の名前を口にしたりすると、一気に思い出したりしますよね。あれがまさに、奥にある記憶を呼び戻した瞬間です。

ここで大事なのは、「名前がすぐ出ない=もう関係が切れた」ではないということです。脳は、今の生活で使っていない情報を少しずつ後ろに回して、手前を軽く保とうとします。中学の恩師の名前が出てこないのも、30年前に担当した利用者さんのご家族の名前がすぐに口から出ないのも、今現在そこに用事がないからです。いざ昔の書類や写真を見れば、「あぁ、あの時の…」と記憶が繋がる。つまり、記憶は消えてしまったのではなく、必要な場面が減ったので奥に寝かされているだけなのです。

ところが、仕事の世界はこの“人間の標準的な棚の数”よりも多くの人を扱うことを求めてきます。ケアマネで言えば、利用者さん、家族、サービス事業所、医療側、行政側と、顔触れがどんどん足されていきます。するとどうしても、奥にしまわれる人が増える。これを「年を取ったから」とだけ説明してしまうと、頑張ってきた人ほど悲しくなってしまいます。そうではなくて、「そもそもこの人数は頭の中だけで持つには多過ぎる」という前提を置いておいた方が、現実に合います。

この章で伝えたいのは、名前が出ないことをすぐに自分の劣化と結びつけないで欲しい、ということです。あなたが長く人と関わってきたからこそ、記憶の棚がいっぱいになり、使用頻度の低い情報が後ろに回っているだけです。むしろそれは「それだけ多くの人の暮らしに立ち会ってきた」という証拠でもあります。ここをやさしく理解しておくと、次の章でお話しする「記録や面会の頻度で思い出しやすくする」工夫が、責めるためではなく自分を守るための工夫として受け取れるようになります。


第3章…だから記録と面会の頻度で“思い出せるようにしておく”仕組みになる

ここまでで、人が一人で覚えておける名前や顔の数にはだいたいの限界があり、しかもケアマネの現場はその限界を超える人数と関わっている、というところまでお話ししました。では、その上でどうやって日々の連絡や会議やサービス調整をこなしているのか。ここに出てくるのが「記録」と「会うリズム」です。

本来、人の記憶は“最近よく使うもの”から先に出てきます。逆に言えば、会わない人・話さない人はすぐに奥へしまわれていく。これはもう人間の標準装備なので、これを根性や努力でねじ曲げようとするとどこかで無理が出ます。そこで現場は発想を少し変えて、「忘れないようにする」のではなく「すぐ思い出せる場所に置いておく」方向に寄せているのです。

1つは記録です。利用者さんの基本情報、家族の関係、前回の相談内容、最近起きた体調の変化。これらを一枚の紙や画面にまとめておけば、会う前にさっと目を通すだけで記憶が手前に戻ってきます。まるで本棚の奥にしまっていた本を、また手の届く段に戻すようなものです。これをしておけば、訪問先で名前がすっと出てきたり、「前回こうおっしゃっていましたね」と話をつなげたりできる。つまり記録は“忘れないためのもの”というより“思い出す手がかりをすぐ出すためのもの”なのです。

もうひとつは会う頻度です。人は会うたびに、その人の情報を再び手前の棚に置き直します。だから一定の間隔で顔を見に行く、電話で声を聞く、短くてもいいからあいさつをする――こうした小さな接触が、記憶を前に出し続ける大事な仕組みになります。忙しくて訪問が延び延びになると、どうしてもそのケースの情報は奥へ奥へと下がっていきます。すると現場にとっては「最近名前が出しづらい利用者さん」が増え、家族にとっては「忘れられているのでは」という不安に繋がりやすくなります。だからこそ、訪問のリズムを出来るだけ崩さないことが、記憶の面でも信頼の面でも効いてくるのです。

ここで大事なのは、記録を見ることや、訪問前に思い出す時間をとることを「手間」と考えないことです。人の頭だけに頼ろうとすると、「年齢のせいで出てこないのかな」「担当が多過ぎるのかな」と自分を責める方向へ行きがちですが、最初から人間の容量を超える量を扱っているのですから、外に置いておくのは当然の工夫です。むしろ記録とリズムを味方につけている人ほど、長く安定して担当を続けられます。

そしてこの「思い出せるようにしておく」仕組みは、利用者さんやご家族から見ても安心感に繋がります。名前をしっかり呼ばれる、前回の話題を覚えていてくれる、家族構成を把握してくれている――こうした小さな積み重ねが、「この人に話しておけば大丈夫」という信頼を育てていきます。実際には記録を見ているだけだとしても、相手にとっては“覚えていてくれた”体験になる。ここが人と関わる仕事の優しいところです。

つまり第3章で伝えたいのはこういうことです。
「全部を頭に置いておこうとするより、思い出す仕掛けを前もって置いておく方が、現場も家族も楽になる」。
この考え方を土台にしておけば、次の章でお話しするような「呼び名の揃え方」「記録の持ち歩き方」「会う順番の決め方」などの細かい工夫にも自然と納得がいきます。


第4章…呼び名を揃える・記録を近くに置く・会う順番を決めるという3つの助け

ここまでで、人が覚えられる量よりも仕事で出会う人の方が多いこと、そしてその差を埋めるために記録と面会のリズムがあることをお話ししました。では実際の現場で、日々の負担を軽くして、利用者さんやご家族にも「覚えていてくれた」と感じてもらうには、どんな持ち方が良いのでしょうか。ここでは、無理をせずに続けられる3つのやり方を1つずつ丁寧に見ていきます。

最初は呼び名を揃えることです。ケアマネの仕事では、家族が多い世帯や、兄弟が何人も関わっているケース、離れて暮らす子どもさんが月に1回だけ電話をくれるようなケースがよくあります。全員のフルネームを瞬時に出すのは現実的ではありません。そこで「長女さん」「お嫁さん」「お孫さん」といった、家の中での立ち位置をそのまま呼び名にしておきます。本人や家族がそれで了承しているなら、毎回同じ呼び方を使うだけで、相手は「この人はうちの事情をわかっている」と受け取ってくれます。呼び名を揃えるというのは、記憶の手抜きをするためではなく、こちらと相手の間に共通の言葉を置いて迷子にならないようにするための工夫です。

次に、記録をできるだけ手元に置いておくことです。訪問の前に1分でも目を通せる場所に、利用者さんの基本情報や前回の相談内容をまとめておきます。タブレットでも紙でも手帳でも構いませんが、「思い出す時間を確保できるようにしておく」ことが大切です。人の記憶は、手がかりを見た瞬間にフッと前に出てきます。前回の会話で出たお孫さんの進学の話や、転倒が心配だとおっしゃっていたことを目で確認してから玄関を開ければ、自然とその話題から入れます。相手にとっては「覚えていてくれた」に見えますし、こちらにとっては記録を見ただけなので負担が少ない。こうした“わざとらしくない思い出し”を用意しておくと、40件という数が少し柔らかく感じられるようになります。

そしてもう1つが、会う順番や電話する順番を決めておくことです。人は会えば会うほど記憶が前に出てきますから、こちらから会う順番を作ることで「思い出しにくいケース」を減らすことが出来ます。忙しい時期ほど後回しになりやすい利用者さんがいますが、そこを敢えて先に入れておくと、こちらの記憶も整い、向こうの安心も保てます。要介護度が高い人だけでなく、家族が不安定なケースや、しばらく入院していたケースも、間を空け過ぎずに声を掛けることで情報が手前に戻ってきます。無理のないリズムで良いので、「この週はこの人たちを前に出す」と決めておくと、後から思い出す労力がグッと減ります。

この3つに共通しているのは、「頭で全部持とうとしないで、思い出せる道を先に敷いておく」という姿勢です。年齢を重ねるとどうしても「前はすぐ出たのに」と落ち込む場面が出てきますが、それはあなたが人との関わりを積み上げてきた証でもあります。容量を超えた分は外に出していい、呼び名で一端、止めていい、記録を見てから話していい――そう自分に許可を出しておくと、40人担当という数字とも、もっと静かに付き合えるようになります。

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まとめ…覚えていないのではなくて入らないほど多くの人を支えてきた証拠

ここまで見てきたように、ケアマネという仕事は、元々、人一人の頭の中だけで完結するようには出来ていません。制度や地域の事情から「一人で40人を持つ」という形が先にあって、そこに家族や事業所や医療がぶら下がる。つまり最初から、標準的な人が手前に置いておける名前の数――だいたい150人前後――を超える前提で動く仕事なのです。

それなのに、私たちはつい「名前が出ない=忘れっぽくなった」と自分にラベルを貼ってしまいます。けれど実際には、忘れたのではなく、奥にしまっているだけです。最近会っていない人、ここ数年話題にしていない人、連絡先はあるけれど用事がない人。そうした人たちの情報は、脳が自分を守るためにそっと後ろに下げているだけなのです。むしろそれは、あなたが長い年月で多くの人の暮らしに関わってきた証拠だと考えた方が、この仕事らしい温度になります。

だからこそ、頭の中だけで何とかしようとするのではなく、記録をすぐ見られるようにしておくこと、呼び名を家族と共通のものにしておくこと、面会や電話の順番を無理なく続けられるように組んでおくこと――こうした外側の工夫が物を言います。これらは「忘れるから仕方なく使う道具」ではなく、「人を大切にして働き続けるために用意しておく支え」です。

人の名前が一度で出てこない日は、きっとこれからもあります。けれどそのたびに「もうダメだ」と感じる必要はありません。あなたが見てきた人生の数が、あなたの記憶の棚をいっぱいにしているだけ。大切なのは、思い出す道をちゃんと用意しておくことと、そのやり方を自分に許すことです。そうすれば、50代でも60代でも、同じ姿勢で利用者さんと向き合っていけます。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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