夫が尿管結石で入院!~浣腸・麻酔・おむつ座布団で夫婦の胃がキリキリした2泊3日~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…ケアマネ夫が病院で「えっ?」が止まらない件

入院直前編のつづきです。今回は「入院したら何が起きるのか?」を、尿管結石ならではのポイントに絞って、夫の体験談をベースに楽しくまとめていきます。と言っても、当人は痛みとプライドと不機嫌を抱えての参戦でしたので、こちらとしては笑ってはいけない場面が多過ぎて、胃がキリキリしました。

そもそも、夫はケアマネでして、普段は「病院から退院して在宅へ戻る」人たちと日常的に関わっています。なのに本人が入院側に回った瞬間、いきなり世界がひっくり返るんですね。「説明が足りない」「流れが読めない」「自分の体が自分のものじゃない」。この“いつもの立場が逆転する感じ”が、今回一番の見どころかもしれません。

入院って、外から見ていると「治してもらう場所」で、何となく安心のイメージがあります。でも実際は、時間割に乗って運ばれ、指示に従い、知らないルールの中で生活する、ちょっと特殊な社会です。しかも尿管結石は、痛みが強い割に「緊急っぽいのに淡々と進む」不思議なジャンル。入院日=手術日、朝から絶食、そして人生初の浣腸が登場する辺りから、もうイベントが濃いんです。

さらに今回は、下半身麻酔、術後の安静、留置カテーテル、紙おむつ、頻尿、そして退院会計という、本人の感情を上げ下げする装置がフルコースで出てきます。体の痛みが引いていくほど、別の種類のストレスが浮き彫りになるのもリアルでした。痛みが減ったら人はご機嫌になる……そう信じたいのに、現実は「痛みが消えた分、気になることが増える」という、ある意味すごく人間らしい展開になります。

この先の章では、入院当日の“車椅子の儀”、手術室での“体内射的ショー”、おむつが座布団化する謎、寝返り禁止で後頭部が泣く夜、そして退院なのに機嫌が退院しない話まで、なるべく読み物としてテンポよくお届けします。医療の専門的な話は難しくし過ぎず、ただ「現場の空気」はちゃんと残して書いていきますね。

それでは、入院日当日からスタートです。夫のプライドが、石より先に砕けたあの朝へどうぞ。

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第1章…入院当日は絶食と浣腸と車椅子でプライドが砕ける

入院日=手術日。これ、尿管結石界隈のスピード感がいきなり伝わる公式です。他の病気だと事前検査や説明会(みたいなもの)があったりしますが、今回の夫は「朝から絶食して、そのまま病院へどうぞ」の一直線コース。痛みのピークを越えた直後って、人間、体は落ち着いても心が置いてけぼりになりがちで、夫は既にこの時点で顔に“納得していないスタンプ”が押されていました。

病院に着いてまずの衝撃は、浣腸です。人生でそう何度も登場して欲しくないイベントが、入院初日にいきなり来る。しかも担当が若い看護師さんだったことで、夫の中の「大人の男としての平常心」が静かに崩れていきます。本人曰く「3分くらい我慢してくださいね」と言われたらしいのですが、3分って、冷静に考えたら長いんですよ。カップ麺が出来上がるまでの時間ですよ。無理だよね、という話で、夫は堂々の1分退場。ここで私は心の中で、拍手とツッコミを同時にやりました。頑張れ、うちのケアマネ。耐える方向が違う。

もちろん浣腸って、意地悪でやってるわけじゃありません。下半身麻酔だと、感覚も動きも弱くなる時間があるので、麻酔中にお腹が勝手に仕事を始めると大変なことになる。だから「先に出しておこうね」という、ある意味とても現実的で、優しさすらある処置です。ただ、頭では分かっても、心が追いつかない。それが入院初日です。

そして次の「えっ?」が、シャワー室でした。夫は「共同浴槽へ」と案内されたそうですが、病院のシャワー室って、車椅子でも入れるように広く作られている反面、時間帯や運用次第では物置き化しやすい場所でもあります。夫はそこで、妙に生活感のある備品たちを見て、未来への不安を感じたらしいです。いや、気持ちは分かる。広い空間に、雑多なものが“取り敢えず置かれた感”で並んでいると、「ここは整っているのか、現場が忙しいのか、どっちなんだい」と心がざわつくんですよね。

それでも時間は進み、いよいよ手術室へ。ここで本日の主役級イベントがもう1つ来ます。車椅子で移動、です。

歩ける人でも、手術室へは車椅子が基本。安全のため、ルールとして徹底されている病院が多いです。理屈は完全に正しい。転倒したら元も子もない。分かる、分かるんだけど……大の大男が、ちょこんと車椅子に座って、小柄な看護師さんに押されていく絵面がですね、こちらの腹筋を攻撃してくるんです。夫は痛みと緊張で真顔、看護師さんはプロとして淡々、通路は静か。ここで笑ったら私が人として終わる、でも笑いがこみ上げる。私はその場で「笑ってはいけない病院24時」を一人で開催していました。

夫はこの時点で「俺は患者なんだ」という現実に、ようやく体ごと着地した気がします。家ではケアマネ、職場では説明する側、でも今ここでは、説明される側で、運ばれる側。しかも説明は簡潔で、手順は流れ作業のように滑らかに進む。これが病院の強さでもあり、初見の人には“置いていかれる感じ”になりやすいところでもあります。

そんなわけで、入院初日は「絶食」「浣腸」「シャワー室」「車椅子」という、心のイベントが連打で襲ってきます。石はまだ砕かれていないのに、夫のプライドは先に砕けた。ここまでが、手術前の前菜です。次章では、ついに手術室の中へ入ります。夫が見た“体内の景色”と、あの音の正体に迫ります。


第2章…手術室は体内アーケード!~パンッパンッ尿管“射的ショー”~

手術室に入った夫がまず驚いたのは、「手術台」って言われても、いわゆる冷たい金属の台じゃなくて、けっこう“ベッド感”があることだったそうです。もちろん雰囲気は厳かで、ライトもまぶしくて、スタッフさんたちはテキパキ。80キロあったので6人掛かりのシーツ移乗。重かったでしょう。なのに、寝転んだ瞬間に「あ、これ…病院のベッドの親戚だな」と思ったとか思わなかったとか。緊張しているくせに、そういうどうでも良い感想だけは鮮明に出てくるのが人間の不思議です。

麻酔は下半身麻酔。腰を丸めて、背中側から「効いてきますよー」の世界に入るわけですが、ここで夫の心に芽生えたのは、“勇者のフリ”です。痛いのか痛くないのか、怖いのか怖くないのか、本人の中でも情報が渋滞しているのに、顔だけは出来るだけ平然と保つ。多分、人生で一番役に立たない見栄が最前線に出ていたと思います。

麻酔が効いてくると、足の感覚がスッと遠のきます。触られても「ん?触ってる…らしい…」くらいになっていく。ここ、言葉で説明されてもピンと来ないのに、本人は体で納得するしかないゾーンです。しかも手術の体勢がですね、尿管結石の手術は内側から処置する関係で、下半身側は“固定して開く”形になります。夫いわく「産婦人科のベッドと同じ構造っぽかった」とのこと。つまり、理屈は必要でも、本人のプライドには必要ないやつ。ここでまた、石より先に別の何かが砕けます。

そして、手術の最中に夫がさらに衝撃を受けたのが、画面です。顔の横あたりにモニターがあって、自分の体の中の映像が見える場合があるらしいんですね。これがもう、興味と恐怖の綱引き。見たい気もする、でも見たら戻れない気もする。結果、夫は見てしまったそうです。患者の立場って、選択肢があるようでいて、好奇心が勝つと一瞬で「見ます」に決まります。

ここからが“体内アーケード”の本番です。尿管結石を砕くとき、レーザーって聞くと「ビーッ」みたいなビームを想像しがちですが、夫の耳に入ったのは、意外にも「パンッ、パンッ」という小気味いい発射音。玩具の鉄砲っぽい音が、体の中から聞こえる。これ、冷静に考えたらけっこうシュールです。さらに、尿の通り道の中には液体があるので、砕かれた石のかけらがフワッと羽が舞い上がるように見えたらしく、「先生、俺の体内で射的やってません?」という感想が生まれたのも無理はありません。

しかも夫は、砕かれるのが石だけじゃない気がしたらしいんです。尿管の内側の細い毛(産毛みたいなもの)も一緒に揺れて見えたとかで、本人の脳内では勝手に実況が始まっていました。「石、命中。次、石、命中。はい連射」みたいな。もちろん医師は真剣に治療しているのに、患者の脳内ではゲーム実況が流れる。この温度差が、手術室の独特なところです。

体の感覚としては、途中から上半身にじんわり熱さを感じたそうです。外から温められる熱さじゃなくて、「体の内側から湧いてくる」タイプの熱感。これも不思議で、怖いというより「へぇ…人体ってこういう感じ方するんだ…」と、変なところで感心したそうな。人間、ピンチの時ほど学びが深い。

手術が終わると、帰りはベッドごと移動。ここで夫が最後に目撃したのが、再び手術台からベッドへ「80kg級の巨体を、みんなでヨッコイセと移す」場面だったそうです。人数は6人掛かり。いや本当に、医療スタッフさんって肉体労働もプロなんですよね。夫はこの時だけは素直に「お疲れ様です…」の気持ちになったらしいです。何故なら、自分が“運ばれる側”だったから。人は運ばれると謙虚になります。多分。

こうして手術室という異世界ツアーは終了。石は砕かれ、夫のプライドは粉砕済み、ついでに人生の経験値がちょっと増えました。……が、物語はここで終わりません。次章では、術後の“動けない時間”と、おむつの謎と、夫の疑心暗鬼が大暴れします。体は回復に向かうのに、心がザワザワし始める、あの夜へ進みましょう。


第3章…おむつが座布団化!?~寝返り禁止で後頭部と心が先に折れる~

手術が終わった瞬間、「はい、これで一安心ですね」と言いたくなるところですが、尿管結石の入院はここからが地味に長い。夫曰く、手術室での“体内射的ショー”が派手だった分、病室に戻ってからの時間が、やけにゆっくり感じたそうです。しかも体はまだ下半身麻酔の余韻に包まれていて、足は動かない、感覚はぼんやり、そして自分の意思とは関係なく「管」が繋がっている。そう、留置カテーテルの登場です。

この留置カテーテル、理屈としてはありがたい存在です。動けない間にトイレへ行けない問題を解決し、体の負担を減らし、術後の経過も見やすくする。なのに、人の心って勝手なもので、「便利」と「尊厳」は別の棚に置かれているんですよね。夫はまさにその棚をひっくり返した顔をしていたらしいです。自分で排尿できないというだけで、人間はこんなにも“弱くなった気がする”のか、と。

さらに追い打ちをかけたのが、人生初の紙おむつ体験でした。ここ、夫の中では「たぶん一生使わない予定だったアイテム」だったらしく、装着した瞬間から気分は既に晴れません。しかも、ただの“初体験”ならまだしも、事件が起こります。

おむつが、腰の辺りで膨らんでいく。

最初は「寝てるから、そういうもんかな」くらいに思っていたらしいのですが、時間が経つほどに腰が持ち上がる感じが強くなっていき、夫の脳内で警報が鳴り始めます。しかも股下側がどんどん重くなって垂れ下がっていく。「え、これ…漏れてる?俺、今、意図せず失禁してる?」と、本人は真剣に焦ったそうです。

ここで夫、定時の点滴交換に来た看護師さんに相談します。布団をめくってもらい、おむつも開いて確認してもらい、「大丈夫ですよ〜」と言われて終わる。……終わるんですが、夫の不安は終わらない。しばらくしてまた不安になって、また聞く。結果、同じやりとりが2度、3度。周囲から見たら「しつこい患者」ですが、本人は必死です。なにせ、自分の体のことなのに、自分で確認できない。ここが入院中のストレスの芯なんですよね。

この“おむつ座布団化”については、後でこちらも整理しました。汚れているわけじゃないのに重い、膨らむ、ズレる。これは術後に汗をかきやすくなるタイミングがあったり、麻酔が抜けてくる過程で体がジワッと反応して、結果としておむつが汗を吸って重くなることがあるんです。汚染じゃないけど、体が出す水分って意外と量がある。つまり夫の座布団は、汗の努力の結晶だったわけです。結晶の方向性よ。

そして、この章の真のボスが「寝返り禁止」です。術後の決まりとして、夕方から翌朝まで、頭は付けたまま、寝返りもダメ、起き上がるのもダメ。夫はこれをひたすら守ったそうですが、守り過ぎて逆に後頭部が悲鳴を上げたらしいです。「寝禿げが出来るかと思った」と言ってましたが、そこまでいくともう、髪の毛より先に心が薄くなっていきます。

で、夫はやっぱり一度は起きようとしたらしいんです。人は“ダメ”と言われると、確認したくなる生き物。ところが起き上がろうとした瞬間、頭痛がズンと来て「やっぱ無理!」となったとのこと。ええ、患者さんって言うことを聞かない、って普段は言う側なのに、自分が患者になると同じことをやる。私はここで、夫のケアマネ魂に小さなブーメランが刺さるのを見ました。

翌朝になるまでに麻酔は抜けます。体が戻ってくるのは良いことなのに、夫の機嫌は戻ってこない。むしろ、体が動くようになるほど「違和感」が増える時間に入ります。カテーテルが翌朝に抜けるとその体感もさることながら、点滴台を押して歩くのが面倒、トイレが近い、尿に石の欠片が混ざって違和感がある。砕いたんだから命に別条はないし、激痛からは解放されたはずなのに、本人の中では「快適」にはまだ程遠い。痛みが減ったら幸福になると思ったら、今度は“鬱陶しさ”が前に出てくるんです。人間の感情って、ほんと忙しいですね。

そして夫の観察眼が、ここでギラッと光ります。病室の運用、説明の仕方、タイミング、対応の差、そして「見えないところで何が起きてるか」に対する想像。普段、介護保険の現場で利用者さんと向き合っているからこそ、「利用者さんが言葉にできない不安って、こういうことか」と、体で分かった部分もあったはずです。本人は認めないでしょうけど、ここはかなり大きい学びになったと思います。

こうして第3章は、派手さはないのに消耗が大きい“術後の夜”が主役です。石は砕けたのに、気分は砕けない。むしろ、夫の中では別の何かが固まっていく予感すらあります。次章では、退院に向かうはずなのに機嫌が置いていかれる「退院日の罠」、そして会計と“タグ外しの儀”まで、最後の山場に進みます。


第4章…退院なのに機嫌は入院継続~会計と「タグ外しの儀」~

退院の日って、普通は“解放感”のはずなんです。病室の窓から差す光すら「自由の光」に見えて、足取りも軽くなって、「さぁ家に帰ろう!」となる……はず。ところが、うちの夫は違いました。体は回復しているのに、顔が回復していない。むしろ「退院」という言葉を聞いた瞬間から、機嫌が一段と入院側に居座り始めたんです。何故か。理由は簡単で、退院って「終わり」じゃなくて「片付け」が始まる合図だからです。

まず、夫の口から出てきたのは不満の連射でした。点滴台をコロコロ引いてトイレへ通う日々は、本人にとって“地味に屈辱”だったようです。頻尿って、体が悪い時の象徴みたいで、メンタルにも来るんですよね。しかも尿に石の欠片が混ざって出てくるので、毎回「うっ…」と、キュ~となる違和感がある。激痛のピークが終わっても、気持ちよく終わらせてくれないのが尿管結石の粘り強さです。

それでも食欲はある。しっかり食べている。なのに、退院が近づくにつれてふらふらする。ここがまた厄介で、本人の頭の中では「俺は元気、でも体がついてこない」というズレが起こります。手術後の疲れ、寝不足、緊張、慣れない環境、そして細切れの睡眠。こういうのが積み重なると、退院の日にいきなり“空っぽの電池”みたいになることがあるんですよね。本人は「俺はまだ戦える」と思ってるのに、体は「いや、帰宅して寝て」と言っている。

そして、夫の不機嫌に火をつけた大トリが、退院手続きでした。看護師さんから、サラッと言われた一言が忘れられないそうです。「会計してきたら、またフロアにお戻りくださいね。タグを外しますから〜」。タグ。外す。……え、服屋さん?と一瞬思ったのですが、これは病院の“患者さん管理システム”の一部で、無断で帰ってしまう人が一定数いるために、退院の最後に解除の手続きが必要なケースがあるんですね。

仕組みとしては理解できます。治療の区切りの誤解、会計のすれ違い、混乱、いろんな事情がある。病院側も「帰っちゃダメ!」と言いたいわけじゃなくて、「きちんと手続きが終わってから、安心して帰ってね」という話。でも患者側からすると、退院の気分に水を差されるんです。やっと出られると思ったところで、「一回レジ行って、戻ってきて、ピッてしてからね」。人間の気持ちは、出口のドアノブに手が触れた瞬間がピークなのに、そこで足止めされると、余計にイライラが増幅します。しかも、うちの夫は“ルールと説明の筋が通っているか”に敏感な仕事の人。そりゃ刺さる。

そして会計。ここで現実がドンと来ます。2泊3日で、だいたい10万円。もちろん個人差はありますし、事前の制度利用や書類の準備で負担が変わるケースもあるのですが、夫は「この金額を見て、退院の余韻が全部、紙の音で消えた」と言っていました。紙の音、というのが夫らしい。請求書の“ペラッ”って音って、何故か心に響きますよね。お財布だけじゃなく、気力も一緒に軽くなる。

ここで夫は、ケアマネとしての目線が完全に復活します。病室で見た運用、説明の粒度、患者の不安の扱い、病院食への感想まで、頭の中ではもう報告書が書けそうな勢い。病院食については「水気が多い」「冷凍っぽい」「旬がない」と辛口でしたが、これも病院の事情があるのは分かるんですよね。安全、衛生、コスト、治療食の制限、作業効率……いろんな要素が絡む。でも患者の立場だと、そこは事情よりも“体験”が勝つ。特に、食事が唯一の楽しみになりやすい入院中は、なおさらです。

それでも、最後に1つだけ、私は夫に言ってやりたいことがあります。今回の入院で、夫は「介護の利用者さんの気持ち」を、かなり生々しく体験したはずです。動けない不安、見えないところで起きていることへの疑心暗鬼、自分で確認できないもどかしさ、そして“頼む側”になった時の心細さ。本人は不満だらけで退院しましたが、その不満の正体を知ったこと自体が、仕事の上ではとても大きい。そう思うんです。

……とはいえ、夫の機嫌が治ったかというと、そこは別問題です。タグは外れても、文句は外れない。おむつ座布団の記憶も外れない。会計の数字も外れない。そして何より、片側の問題はまだ終わっていない。そう、体の中にはまだ“続編フラグ”が残っているわけです。

次はいよいよ、まとめで「今回の入院で分かったこと」と「まだ続く闘い」へ繋げていきます。退院はゴールじゃなく、次の章の扉だった……そんな話になってまいります。

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まとめ…石は砕けても愚痴は砕けず~闘いはまだ続く(第3部へ)~

こうして夫の尿管結石入院は、2泊3日という短さの割りに、体感は何故か長編ドラマでした。入院日=手術日というスピード感、絶食からの浣腸という初手の強さ、そして車椅子で運ばれる“プライド粉砕イベント”。あれだけ痛みに苦しんでいたのに、いざ入院したら「痛み以外のこと」まで次々に襲ってくるのが、入院という世界の面白さでもあり、しんどさでもあるんだなと改めて思いました。

手術室では、レーザーと聞いて想像していたものと違う「パンッパンッ」という発射音が響き、本人は体内モニターで自分の中を見ながら、治療なのにどこかアーケード感のある不思議な時間を過ごしました。医師と看護師さんは真剣そのものなのに、患者の脳内では実況が始まる。この温度差は笑ってはいけないのに、笑いがこみ上げる。尿管結石の入院は、どうしてもこういう“笑いの地雷”が多いです。

術後に待っていたのは、派手さがないぶん消耗の大きい時間でした。留置カテーテルと紙おむつで「自分の体なのに自分で確かめられない」状態に入り、おむつが座布団化していく謎に、夫の疑心暗鬼が育っていく。寝返り禁止で後頭部と心が先に折れそうになり、起き上がろうとしたら頭痛で撃退される。普段は「患者さんは言うことを聞かないんですよね」と言う側なのに、自分が患者になるとしっかり同じことをしてしまう辺り、私はこっそり“人間って平等”を感じました。

そして退院。ようやく自由かと思いきや、そこから始まる手続きの現実。会計の数字、病院のルール、そして「タグ外しの儀」。仕組みとしては理解できるのに、患者の気持ちはそう簡単に整わない。体の痛みが減っても、心のムズムズが残ることはあるし、むしろ痛みが消えた分だけ「気になること」が前に出てくるのも、すごくリアルでした。

ただ、夫にとって今回の入院は、不満だらけで終わったように見えて、実はかなり濃い“学びの濃縮パック”だったと思います。動けない不安、説明が足りないと感じる瞬間、確認できないもどかしさ、頼む側に回ったときの心細さ。こういう感覚は、外から眺めているだけでは手に入らないものです。本人は「二度とごめんだ」と言うでしょうけど、仕事の目線で見れば、きっと利用者さんや家族への言葉の選び方が、少し変わるはず。そういう意味では、石より硬い“気づき”が残った入院でもありました。

そして何より、この話はここで完結しません。片側の腎臓にはまだカテーテルが残り、石も残っている。両側同時には出来ないらしい、という現実が、次の入院へのフラグを堂々と立てています。夫婦の闘いは「入院編」で一度区切りがついたようで、実際は“次章の扉が開いただけ”。続きは第3部へ持ち越しです。

次回は、退院後の生活で何が起こったのか、そして「残った側」の存在がどんな顔で迫ってくるのか。夫の愚痴が砕ける日は来るのか。……たぶん来ません。ですが、そこがこの家の通常運転ということで、次のお話へ続きます。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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