3月13日グッドサマリタンデー~介護現場を少し軽くする「1秒の親切」~

[ 季節と行事 ]

はじめに…忙しい時ほど親切は短くて良い

廊下の向こうから、車いすを動かそうとしている利用者さんが見える。職員の手には記録用紙、耳には呼び出し音、頭の中には次の予定が3つほど渋滞中です。

そんな時に足を止め、「お手伝いしましょうか?」と声をかける。その時間は、ほんの数秒かもしれません。けれど相手にとっては、「ちゃんと気づいてくれた」という大きな安心になります。

3月13日のグッドサマリタンデーは、困っている人を見過ごさず、出来る範囲で手を差し伸べる心を思い出す日です。立派な奉仕活動を始めなくても構いません。落ちたタオルを拾う、少し重そうな扉を押さえる、忙しそうな同僚へ「こちらはやっておきます」と伝える。そんな小さな行動にも、和顔愛語の温かさがあります。

介護現場では、親切まで業務予定表へ書き込もうとすると、たぶん欄が足りません。いや、予定表を増やす仕事が先に生まれそうです。親切は特別な追加業務ではなく、目の前の人が少し困っている瞬間に気づくことから始まります。

優しさは、時間に余裕がある人だけの行動ではなく、忙しい人にも選べる小さな一歩です。

その一歩は利用者さんだけでなく、家族や同僚、そして声をかけた自分の心まで、ほんの少し軽くしてくれます。親切が次の親切を呼び、いつもの介護現場に笑顔の通り道を作っていくのです。

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第1章…良きサマリア人が残した「見て見ぬフリをしない心」

道端に倒れている旅人がいる。服は乱れ、傷を負い、自分の力だけでは動けそうにありません。

何人かが近くを通りました。しかし、旅人の様子に気づきながらも、そのまま通り過ぎてしまいます。急いでいたのか、関わるのが怖かったのか、それとも「誰かが助けるだろう」と考えたのか。胸の内までは分かりません。

そこで足を止めたのが、当時は距離を置かれることもあったサマリア人でした。傷の手当てをし、安全な場所へ運び、その後の世話まで頼みます。この「良きサマリア人」の物語から、グッドサマリタンは、立場や関係を越えて困っている人へ手を差し伸べる人の象徴になりました。

この物語で心に残るのは、立派な肩書でも、見事な演説でもありません。倒れている人を見た時に、通り過ぎず足を止めたことです。言葉より先に体が動く。そこには一視同仁(相手を分け隔てなく大切にすること)の姿があります。

介護現場にも、似たような分かれ道があります。

食堂の椅子から立とうとして、何度も腰を浮かせている利用者さん。廊下で職員を呼びたいけれど、遠慮して手を少しだけ上げている人。山積みのリネンを前に、「これは何往復コースですか?」と目が遠くなっている同僚。

見えていないなら仕方ありません。けれど、見えているのに「担当じゃないから」と通り過ぎると、困り事は消えずに次の人まで転がっていきます。しかも、そういう時に限って、転がる速度だけは妙に速いものです。

親切の始まりは、何かをしてあげることより、目の前の困り事を見なかったことにしないことです。

もちろん、介護では安全確認や役割分担も欠かせません。何でも1人で抱えるのは親切ではなく、時に無理の持ち帰りになります。「私が全部やります」と勢いよく言った3分後、自分が助けを求める側になっては本末転倒です。

手が離せないなら、近くの職員へ伝える。すぐに介助できないなら、「今行きますね」と声を届ける。自分の判断だけで動けない場面では、責任者や専門職へ繋ぐ。それも立派な行動です。

情けは人のためならず。人に向けた思いやりは、巡り巡って自分や職場にも返ってきます。利用者さんが安心し、職員同士が声を掛けやすくなれば、現場には相互扶助(互いに助け合うこと)の空気が少しずつ育ちます。

良きサマリア人の心は、特別な人だけが持てる徳ではありません。「困っていそうだな」と気づいた瞬間に、もう入口へ立っています。そこで半歩近づけるかどうか。その小さな選択が、介護の1日を温かい方向へ動かしていくのです。


第2章…親切を次へ渡す~アメリカに広がる小さな善意のバトン~

アメリカでは、3月13日のグッドサマリタンデーに合わせて、身近な人へ親切を届ける行動が広がります。

地域で食事を必要とする人を支えたり、病院や介護施設を訪ねたり、子どもたちが高齢者へ手作りのカードを贈ったりします。学校でも「今日できる親切」を考え、家族や友人へ実際に行動で示す時間が作られます。

中でも興味深いのが、ペイ・イット・フォワード(受けた親切を、別の誰かへ渡していく考え方)です。

カフェで自分の飲み物を買う時、次に来る人の分もそっと支払う。親切を受け取った人は、同じ相手へお返しをするのではなく、また別の人へ渡します。

「知らない人のコーヒー代まで払うの?」と財布が一瞬だけ会議を始めそうですが、大切なのは金額ではありません。ドアを押さえる、落とし物を拾う、荷物を運ぶ。出来る人が、出来る親切を次へ渡せば良いのです。

介護施設でも、この善意のバトンは走らせられます。

利用者さんから「ありがとう」と言われた職員が、次は忙しそうな同僚の配膳を手伝う。その同僚が、食堂で1人になっている利用者さんへ声をかける。すると利用者さんが、隣の席の人へ「今日は暖かいね」と笑顔を向ける。

親切は目には見えませんが、人から人へ渡るたびに、施設の空気を和気藹々(和やかで打ち解けた様子)としたものへ変えていきます。

受け取った優しさは、返す相手を探すより、次に困っている人へ渡すと長く繋がります。

ただし、親切を競争にしてはいけません。「今日の親切は私が3回、あなたは2回」などと数え始めたら、もはや善意の運動会です。表彰されるほど目立たなくても、誰かの1日を少し楽に出来れば、それで十分でしょう。

手作りのカードや小さなお菓子を届ける活動も、アメリカの介護施設で親しまれています。華やかな催しでなくても、「あなたを気にかけています」という思いは伝わります。カードの文字が少し曲がっていても問題ありません。むしろ、その手作り感に一生懸命さが滲み、一期一会の贈り物になります。

親切をした人だけが立派なのではなく、素直に受け取る人も善意の輪を支えています。「悪いから良いよ」と遠慮し過ぎず、「ありがとう、助かります」と受け取る。その一言が、差し出した側の心も明るくしてくれるのです。

小さな親切は、一人で完結させるものではありません。手から手へ、言葉から言葉へ渡るたび、いつもの介護現場に笑顔が増えていきます。

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第3章…声かけ・手渡し・ひと工夫~介護の毎日に置ける1秒の親切~

朝の食堂で、膝掛けが床へ落ちる。利用者さんは気づいているけれど、手を伸ばしても少し届きません。

職員が通りがかりに拾って手渡し、「今日は足元が冷えますね」と声を添える。動作だけなら数秒ですが、膝掛けと一緒に「気にかけてもらえた」という安心まで届きます。

介護現場で実践できる親切は、特別な催しばかりではありません。扉を押さえる、飲み物を取りやすい場所へ置く、話したそうな表情に気づいて足を止める。こうした小さな創意工夫が、1日の居心地を変えていきます。

ただし、親切のつもりで何でも先にしてしまうと、相手が自分で出来る機会まで持っていってしまうことがあります。立ち上がろうとしている人を見た瞬間、無言で腕を掴めば、本人はビックリします。手伝う側は善意全開でも、受け取る側には「急に来た!」です。

「お手伝いしましょうか?」

この短い確認が、安全と尊厳を守ります。

親切とは、先回りして全部してしまうことではなく、相手が自分で選べる余白を残して支えることです。

利用者さんの好きな歌を流したり、昔の仕事や故郷の話へ耳を傾けたりすることも、心へ届く親切です。回想法(昔の記憶を辿り、気持ちを穏やかにする関わり)として立派に構えなくても、「この歌、ご存じですか?」のひと言から会話は始まります。

家族から届いた写真や手紙を、本人の希望を確かめて見やすい場所へ飾るのも良いでしょう。眺めるたびに思い出が動き、「孫がこんなに大きくなった」と表情がほどけます。写真の中の孫は成長しているのに、こちらの記憶ではずっとランドセル姿。時間とは、なかなか足の速いものです。

親切を受け取るだけでなく、利用者さん自身が誰かを喜ばせる機会も作れます。花の水やり、テーブルへおしぼりを置くこと、カードへ一言を書くこと。得意なことを無理なくお願いすれば、適材適所の役割になります。

「助かりました」と職員が笑顔で伝えると、利用者さんの顔にも誇らしさが浮かびます。誰かの役に立てた感覚は、「してもらう人」という一方向の関係を、互いに支え合う関係へ変えてくれるのです。

職員同士や利用者さん同士で、小さな「ありがとうカード」を渡す工夫もあります。「配膳を手伝ってくれて助かりました」「いつも声をかけてくれて嬉しいです」と、具体的な言葉を1つ書くだけで十分です。綺麗な文章を考え過ぎて鉛筆が止まるより、「ありがとう」の5文字が先に届く方が温かいでしょう。

親切は、大きさよりも相手との距離が大切です。声を1つ添える。手渡す時に目を見る。本人が出来る部分は待つ。その小さな積み重ねが、介護の毎日に笑顔の居場所を増やしていきます。


第4章…利用者さんだけじゃない~職員同士の助け合いが現場を明るくする~

昼食前の介護現場は、時計の針まで小走りしているように見えます。

食堂では配膳が始まり、居室では移動を待つ人がいて、電話が鳴ったと思えば呼び出し音も重なる。そんな中、両手にタオルを抱えた職員が、落ちた一枚を足元で見つめています。

拾いたい。でも両手が塞がっている。

そこへ別の職員が通りかかり、何も言わずにタオルを拾って棚へ置く。「ありがとう」「いえいえ」。会話はそれだけですが、忙しさの角が少し丸くなります。

介護現場の親切というと、利用者さんへ向けるものが注目されがちです。しかし、職員同士の助け合いも、利用者さんの安心へ繋がっています。疲れや焦りを1人で抱えず、互いに支えられる職場には、相互扶助(お互いの足りない部分を補い合うこと)の空気が育ちます。

「その介助、こちらで引き継ぎます」

「電話は取るので、記録を終わらせてください」

「休憩へ行ってきて大丈夫ですよ」

こうした短い言葉は、派手ではありません。それでも、声をかけられた人には救命ボート並みに頼もしく聞こえる日があります。もちろん本物のボートを廊下へ置いたら、通行の妨げになるので撤去です。

職員への小さな親切は、その人を助けるだけでなく、次に利用者さんへ向けられる優しさまで守ります。

ただし、助け合いは「気づいた人が何でも引き受けること」ではありません。

いつも同じ人だけが手伝い、頼まれた仕事を断れず、気づけば自分の業務が山積みになる。それでは自己犠牲(自分の負担を顧みず他者を優先すること)へ傾いてしまいます。親切だったはずが、夕方には「私の記録、まだ白紙なんですけど」と静かな事件に変わりかねません。

助けてもらった人が、別の場面で次の人を支える。忙しい時は「今は難しいですが、5分後なら出来ます」と伝える。手に負えない状況は、責任者や周囲へ早めに繋ぐ。無理なく巡ることが、長く続く助け合いの形です。

また、親切は仕事を代わることだけではありません。

申し送りを分かりやすく残す。使った物品を元の場所へ戻す。次の勤務者が困らないよう、気づいた変化を伝えておく。こうした準備も、顔を合わせていない誰かへ渡す親切です。縁の下の力持ちは目立ちませんが、その人がいなくなると、何故かハサミも記録用紙も見つからなくなります。

忙しい現場ほど、笑顔だけを求めるのではなく、笑顔になれる余裕を職員同士で守ることが大切です。一声かける、半歩手伝う、感謝を言葉にする。その積み重ねが一致団結の土台となり、利用者さんにも穏やかな空気として届いていきます。

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まとめ…優しさは立派さより続けやすさ~今日の一歩から笑顔は増える~

グッドサマリタンデーが思い出させてくれるのは、困っている人を救う壮大な計画ではありません。目の前の人へ気づき、今の自分に出来ることを1つ差し出す心です。

落ちた物を拾う。扉を押さえる。利用者さんの話へ耳を傾ける。忙しそうな同僚へ「こちらは任せてください」と声をかける。どれも表彰状が届くほどの出来事ではありませんが、受け取った人の1日を少し穏やかに出来ます。

介護の親切には、相手の代わりに何でもしてしまわない配慮も必要です。本人の希望を尋ね、出来る部分を待ち、難しいところだけ支える。その距離感が、優しさと尊厳を一緒に守ります。

一方で、親切を立派な行事にし過ぎると、飾り作り、会議、担当表と仕事が増え、気づけば「優しさの準備で大忙し」という不思議な1日になりかねません。特別な日にはカードや交流を楽しみ、普段は小さな声かけを続ける。そのくらいが無理なく長持ちします。

親切は、大きなことを1度するより、小さなことを自然に続ける方が人の心へ届きます。

一日一善を義務にする必要もありません。「今日は誰かの困り事に1度気づけた」。それだけでも十分です。受けた親切を次の人へ渡していけば、積小為大(小さな積み重ねが大きな実りになること)の輪がゆっくり育ちます。

利用者さん、家族、職員の誰かが半歩だけ動く。その半歩を見た別の誰かも、少し手を伸ばす。そんな優しさの往来がある場所では、笑顔は無理に作らなくても自然に増えていきます。

3月13日だけでなく、何でもない今日から始められます。まずは目の前の人へ、短いひと言を届けてみましょう。その声は、介護の1日を明るくする小さな合図になるはずです。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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