『仕方がない』『頑張ります』『任せます』~表情と語調で読み解く3つの危険ワード~

[ 職場の四季と作法 ]

はじめに…言葉だけを信じると見失ってしまうもの

「仕方がないですね」「頑張ります」「任せます」。
どれも耳馴染みのある言葉で、介護の現場でも、医療でも、会社でも、毎日のように飛び交っています。どれも一見、文字にすると綺麗で前向きな言葉に聞こえるのに、ふとした時に胸がザワッとしたり、「本当にそれで良かったんだろうか」と後から引っかかったりすることはないでしょうか。

夜勤明けのフロアで、明らかに疲れた顔の同僚が「大変だよね」と声をかけられ、「まあ、この業界は仕方がないですよ」と笑ってみせる。家族介護で限界が近い人が、「ショートステイ増やしましょうか」という提案に、「いえ、もう少しだけ頑張ります」と答える。利用者さんの転倒リスクを心配している職員が、「対応はどうしますか」と尋ねると、「そこはプロに任せます」とだけ言い残して、話し合いが終わってしまう。言葉だけを取り出すと、どれも角の立たない、丸く収まった会話に見えます。しかし、その時の表情や声の震え、視線の揺れまで思い返してみると、「あれは本心だったのかな」と首を傾げたくなる場面もあるはずです。

言葉は便利です。短い一言で、その場の空気を和らげたり、会議をスムーズに終わらせたり、自分の感情を誤魔化したり出来ます。けれど便利であるがゆえに、本音と建前、善意とあきらめ、応援とプレッシャーが、同じフレーズの中にギュッと押し込められてしまうこともあります。特に、立場の弱い人や、我慢しがちな人ほど、「本当は違う気持ちだけれど、この言葉を言っておけば丸く収まる」と、自分を守るために使うことがあります。そこに気づかず、額面どおりに受け取ってしまうと、SOSのサインを見逃したり、相手をさらに追い込んでしまったりする危険もあります。

この記事では、『仕方がない』『頑張ります』『任せます』という3つの言葉を取り上げます。ただ言葉そのものの意味を辞書のように並べるのではなく、その時の表情や語調、場の空気を思い浮かべながら、「これは支え合いに繋がる使い方だろうか」「それとも、誰かを一人にしてしまう使い方だろうか」と、一緒に考えていくつもりです。介護や医療の現場の具体的な場面と、一般社会のやりとりを行き来しながら、同じフレーズでも善意にも悪意にもなり得る“危険ワード”として、そっとライトを当ててみます。

言葉は、使い方しだいで人を救うこともあれば、知らぬ間に傷つけてしまうこともある道具です。だからこそ、文字だけではなく、顔付きと声色も一緒に受け止める感覚を取り戻したい。この記事が、「あの時の『仕方がない』は、諦めではなく、精一杯の優しさだったのかもしれない」「あの『頑張ります』には、実は少し震えた声が混ざっていたな」と振り返る切っ掛けになれば嬉しいです。ここから先、3つの言葉の裏側にあるホンネとサインを、ゆっくり解いていきましょう。

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第1章…『仕方がない/しょうがない』に滲む諦めと優しさ

「まあ、仕方がないですね」「しょうがないよねえ」。
介護の現場でも、病院の待合室でも、職場の休憩室でも、溜め息まじりにこう呟く場面はたくさんあります。この言葉には、不思議な二つの顔があります。一つは、どうにもならない現実を受け入れるための優しいクッションとしての顔。もう一つは、本当は変えられるはずの問題から目を反らしてしまう、諦めの顔です。どちらの顔が強くなるかは、言った人の表情や声の調子、その場に流れている空気によって、大きく変わってきます。

例えば、介護施設での夜勤明け。スタッフが少ないシフトで何とか乗り切り、朝の申し送りで「昨夜もバタバタでしたね」と誰かが溢した時、ベテランの職員が柔らかく笑って「この業界は、こういうこともあるからね、まあ仕方がないよ」と言うことがあります。その時の目もとが穏やかで、声にも棘がなくて、「でも、危なかったところは一緒に振り返ろうか」と続くなら、その『仕方がない』は、仲間を責めないためのクッションとして働いていると言えるでしょう。完璧は難しい、失敗の可能性をゼロには出来ない、だからこそ責め合うより、次に繋げよう。そんな優しいメッセージが滲みます。

けれど、まったく同じ言葉でも、表情や語調が変わると、意味合いはガラリと変わります。利用者さんの転倒が続いているフロアで、「ベッドの高さをもう少し見直した方が良いのでは」と若い職員が勇気を出して口にしたとします。その時に、上の立場の人が眉間に皺を寄せながら、「そんなの、うちの人員体制では仕方が無いよ」「どこも同じだからしょうがない」と、吐き捨てるように言ってしまったらどうでしょうか。その瞬間、『仕方がない』は、状況を共有して一緒に考えるための言葉ではなく、「それ以上言っても無駄だよ」「この話はここで終わり」という、会話を打ち切るためのシャッターのように降りてきてしまいます。

家族の介護でも、同じことが起きます。長く在宅で介護を続けてきた人が、ヘルパーやケアマネジャーに向かって「最近、ついイライラしてきつく当たってしまうことがあって」と打ち明けた時、相手が真剣な表情で「それだけ頑張ってこられたんですね」と受け止め、「このままではお身体も心ももたないので、一緒に方法を考えましょう」と続ければ、『仕方がない』という言葉は敢えて使わなくても、「今のあなたのしんどさは当然ですよ」というメッセージとして伝わります。ところが、「皆そうですよ、家族介護なんてそんなもんです。仕方がないですよ」と笑って流してしまったなら、その『仕方がない』は、家族の罪悪感を軽くするどころか、「このつらさは抱えたまま進むしかない」「誰も本気で受け止めてはくれない」という気持ちを強めてしまうかもしれません。

『仕方がない』という言葉は、本来「自分の力では動かせない部分もあるよね」と、心を落ち着かせるための知恵として使われてきた面もあります。病気や老い、天候や時代の流れなど、人の力ではどうにもならないものに対して、「では、その中でどう生きるか」と視点を切り替える一歩としての『仕方がない』は、決して悪いものではありません。むしろ、いつまでも「こうあるべきだった」と自分を責め続けてしまう人にとって、救いになる言葉でもあります。

しかし、その「どうにもならない部分」と、「本当は少しずつ変えられる部分」をごちゃ混ぜにして、全部を『仕方がない』の箱に放り込んでしまうと、話は変わってきます。人員配置の見直し、安全な動線作り、情報共有の仕方、家族との話し合い方。時間も体力も限られた中で、すぐに完璧には出来なくても、少しずつ試せる工夫は本当はたくさんあります。それなのに、「昔からこうだから」「業界全体がこうだから」と、目の前の職場や家庭の問題まで丸ごと包んでしまう『仕方がない』は、改善の芽を摘んでしまう危険な言葉になってしまうのです。

この違いは、文字にするととても分かりにくいのですが、実際の場面では、表情と声色がはっきりと教えてくれます。優しい『仕方がない』を口にする人の目元は、どこか相手を労うように細まり、口調も柔らかいものです。そこには、「あなたのせいではないよ」「一人で背負わなくていいよ」というメッセージが隠れています。一方、危うい『仕方がない』を口にするとき、人はどこかうんざりした顔をしていたり、視線をそらしていたり、語尾がぶっきらぼうになっていたりします。その時は、心のどこかで「これ以上考えたくない」「これ以上責任を取りたくない」と感じているのかもしれません。

私たち自身が『仕方がない』と言いたくなる時も同じです。本当に限界で、これ以上はどうにもならないから、ひとまず受け入れて休みたい時。その『仕方がない』には、自分を守る優しさが含まれています。一方で、「考えるのがしんどいから」「誰かにぶつかりたくないから」と、話し合いや改善から逃げるために口にしている時、その『仕方がない』は、未来の自分や誰かを苦しめる一歩になってしまうかもしれません。

大切なのは、『仕方がない』という言葉を聞いた時、すぐに「そうだね」と流してしまうのではなく、「この人は今、何を手放そうとしていて、何を本当は守りたがっているのだろう」と、ほんの少しだけ立ち止まってみることです。そして、自分がその言葉を使う時にも、「これは優しさとしての『仕方がない』か、それとも諦めとしての『仕方がない』か」と、自分の顔つきと声色を内側から眺めてみることです。

『仕方がない』は、使い方次第で、心をフッと軽くすることも、未来を閉じてしまうこともある言葉です。この章では、その二つの顔を見比べてみました。次の章では、同じく私たちがつい口にしてしまう『頑張ります』という言葉が、どのようにして応援のフレーズからSOSのサインへと変わっていくのかを、表情と語調を手掛かりに辿っていきます。


第2章…『頑張ります』が応援の言葉からSOSに変わる瞬間

『頑張ります』という言葉ほど、日本人にとって便利で、そして危うい言葉はないかもしれません。新しい仕事を任された時、上司や先輩に声を掛けられた時、患者さんや利用者さんの前に立った時、多くの人が反射のようにこのひと言を口にします。「やる気があります」「前向きです」という印象を与えてくれる、明るい言葉。でも、その裏側には、「本当は自信がない」「断る勇気がない」「無理をしていることを認めたくない」といった揺らぎが隠れていることも少なくありません。

介護の現場を想像してみましょう。人手がギリギリのフロアで、急な休みが出てしまい、「今日はちょっと大変な一日になりそうだね」とリーダーが言います。そこで若い職員が、少し緊張した笑顔で「はい、頑張ります」と答える。目元はキュッと固く、肩も少し上がっているけれど、声のトーンは明るく保とうとしている。この時の『頑張ります』は、たしかに前向きな気持ちから出ている言葉です。自分の成長のチャンスだと思っているかもしれないし、頼りにされたことが嬉しいのかもしれません。そんな「よし、やってみよう」というエネルギーが滲んでいる『頑張ります』は、周りの人の心も少し温かくしてくれます。

しかし、同じ職員が、連日の残業や忙し過ぎるシフトの中で、何度も同じような状況に立たされていたらどうでしょうか。三日連続の夜勤明けに、「来週も人が足りないから、またお願い出来る?」と言われた瞬間、一拍置いてから「……はい、頑張ります」と答える。その時、口角は上がっていても、目の奥はどこか疲れ切っていて、声にも微かな揺れが混ざっている。こういう『頑張ります』には、「断ったら迷惑を掛ける」「ここでNOと言ったら、評価が下がるかもしれない」という恐れが貼りついています。本当は「もう少し休ませて欲しい」「別の方法はないだろうか」と言いたいのに、それを飲み込んだまま口にする『頑張ります』は、応援の言葉というより、自分を奮い立たせるための悲しい呪文のようになることがあります。

家族の介護でも、『頑張ります』はよく登場します。在宅介護を続けている人が、ケアマネジャーとの面談で「そろそろ限界に近づいている気がします」と、ポツリと漏らしたとします。そこで、「少しサービスを増やすことも出来ますよ」と提案されても、「いえ、もう少しだけ頑張ります」と、俯きがちに答えてしまう。目は笑っていないのに、口だけがキュッと横に伸びる。その『頑張ります』には、「ここで手を抜いたら、親に申し訳ない」「周りから、すぐ頼る人だと思われたくない」という自己否定の影がまとわりついています。誰かに「もう十分頑張っている」と背中をさすって欲しいのに、逆に「もっと頑張る」と宣言してしまう。そんな捻じれた構図が生まれてしまうのです。

一方で、『頑張ります』という言葉を投げ掛ける側も、気をつけたいポイントがあります。医療や介護の現場で、スタッフや家族に向かって「一緒に頑張りましょう」と言うことは少なくありません。この言葉は、本来「一人で抱えないでいいですよ」という連帯のメッセージとして機能するはずです。しかし、言う側の表情がどこか焦っていたり、「頑張ってくださいよ、これぐらいは」という圧を含んだ声色だったりすると、聞いた相手は「もっと頑張らされるんだな」と感じてしまいます。とくに、既に一杯一杯の状態にいる人にとっては、「これ以上、どこをどう頑張れというのか」という絶望感に繋がることさえあります。

会社の中でも、『頑張ります』は評価と結びつきやすい言葉です。「やってみますか」と聞かれた時、「はい、頑張ります」と即答する人は、「前向きで頼れる人」と好印象を持たれやすい。その一方で、「正直、今の仕事量では難しいです」と率直に話す人は、「やる気がない」「柔軟性がない」と見られてしまうこともあります。こうした評価の癖が積み重なると、「本当の状況を伝えるより、『頑張ります』と言っておいた方が安全だ」という空気が生まれてきます。その結果、本当は限界ギリギリまで頑張っている人ほど、『頑張ります』と言わされるような構図が出来上がっていくのです。

『頑張ります』が応援の言葉として働く時と、SOSのサインとして滲む時。その境目を見分けるヒントは、やはり表情と語調にあります。前向きな『頑張ります』は、目に少し光があり、声も自然な高さで、語尾もやわらかく伸びていきます。どこか「やってみたい」という好奇心のようなものが感じられます。それに対して、苦しい『頑張ります』は、声が少し上ずっていたり、逆に低く押し殺したようになっていたりします。語尾が妙に強く切れたり、やけに早口になったり、視線が合わなかったりすることも多いでしょう。その違いに気付くには、言葉だけでなく、相手の全体の雰囲気を丸ごと見る必要があります。もちろん、気付いていてスルーする、悪用する人も少なくありません。法的には犯罪に問われませんが、犯罪に等しいと自覚して欲しいところです。

私たち自身が『頑張ります』と言う時も、自分の顔つきと声色を内側から眺めてみることが大切です。「よし、やってみよう」という気持ちがちゃんと伴っている『頑張ります』は、自分を支える力にもなります。しかし、「断れないから」「怒られたくないから」と、自分の限界を無視する形で口にする『頑張ります』は、後から自分を追い詰めてしまいます。もし口にした後で、胸の奥が重く沈んだり、「ああ、また言ってしまった」と自己嫌悪が押し寄せたりするなら、それはSOSに近い『頑張ります』だったのかもしれません。

『頑張ります』という言葉を辞めましょう、という話ではありません。この言葉そのものが悪いのではなく、「どんな時に、どんな顔で、どんな声で使っているか」に目を向ける必要がある、ということです。そして、聞く側も、「頑張りますと言ってくれたから安心」と終わらせるのではなく、「その頑張りに、今の自分はどう寄り添えるだろう」と一歩踏み込んで考えてみることが大切です。

次の章では、『任せます』という、一見信頼に満ちたように聞こえる言葉が、責任の押しつけにも、安心して手放すための合図にもなりうることを、やはり表情と語調を手がかりに見ていきます。『仕方がない』『頑張ります』に続く3つめの言葉の裏側で、人の心がどのように揺れているのかを、一緒にたどっていきましょう。


第3章…『任せます』の裏側で揺れる責任感と不安と手放し方

『任せます』という言葉は、一見とても大人でスマートに聞こえます。相手を信頼しているようにも見えるし、「プロにお任せするのが一番」という、賢い選択のようにも感じられます。介護や医療の場面でも、家族との話し合いでも、会社の会議でも、立場の違う人同士が向き合う場では、よく登場するひと言です。ところが、この言葉もまた、『仕方がない』『頑張ります』と同じように、表情と語調次第で、まったく意味の違う言葉になってしまいます。

例えば、介護施設の面談で、ケアマネジャーがサービス内容の説明をした後、「お風呂の頻度はどうしましょうか」「リハビリはどこまで入れていきましょうか」と尋ねたとします。その時、ご家族が穏やかな表情で頷きながら、「専門の方のご意見を聞きたいので、基本的な方針はお任せします」とゆっくり答える。この場面の『任せます』には、相手を信じて一緒に船に乗るような、前向きなニュアンスがあります。表情も柔らかく、声のトーンも落ち着いていて、「分からないことは教えてほしいし、不安なことはその都度話し合いたい」という姿勢が滲んでいる。こうした『任せます』は、決して責任放棄ではなく、「自分にできる範囲と、プロに頼りたい範囲を見極めた上での委ね方」と言えるでしょう。

一方で、同じような面談の場で、ご家族が腕を組み、どこか突き放すような目つきで「そちらはプロなんだから、全部任せます」と言い放つ場面もあります。声の調子は少しトゲトゲしく、早口で、こちらの顔をあまり見ようとしない。その『任せます』は、信頼というより、「責任はそっちで取ってくださいね」というメッセージに近くなります。後から何かトラブルが起きた時、「そちらに任せたんだから」と、全部を現場のせいにしやすい土台にもなってしまう。そうなると、職員の側は萎縮してしまい、かえって細かな相談や報告をもち掛け難くなることもあります。

医療の現場でも、『先生に全部お任せします』という言葉はよく聞かれます。命や治療に関わる重大な決断を前にした時、「素人の自分が口を出すのは怖い」「間違えたら取り返しがつかない」という気持ちから、医師に判断を委ねたくなるのはごく自然なことです。この時、患者さんや家族の表情が「どうかお願いします」と祈るような真剣さを帯びていて、医師側もまっすぐ目を見て、「責任を持ってご説明し、可能なこと・難しいことを一緒に考えていきましょう」と応じているなら、その『任せます』は、重たい現実を支え合うための言葉になります。

しかし、説明が十分でないまま、「細かいことは分からないので任せます」と早々に会話を切り上げてしまうと、その『任せます』は危うくなります。分からないことを分からないまま放置し、疑問や不安を口にする機会を自ら手放してしまうからです。後になってから、「そんな話は聞いていない」「勝手に決められた」と感じやすくなり、信頼関係のほつれにもつながります。つまり、主体的に選んだ委ね方と、「考えることから逃げるための丸投げ」は、同じ『任せます』でも中身がまったく違うということです。

職場の人間関係の中でも、『任せます』にはいろいろな顔があります。上司が部下に対して「君の判断に任せるよ」と言う時、そこに具体的な期待やフォローの約束がセットになっているなら、相手は「自分を信じてくれている」と感じるでしょう。「まずはやってみて、何かあったら相談して」「最終的な責任はこっちで持つから、遠慮なく報告して」といった言葉が添えられていれば、安心してチャレンジできます。

ところが、「任せるから」「好きなようにやってよ」と言いながら、何も情報を共有しなかったり、決定の範囲や期限を明確にしなかったりすると、その『任せます』は途端に重荷に変わります。失敗した時だけ厳しく責められ、「そんなやり方をしろとは言っていない」と言われてしまったら、次からは「任される」こと自体が怖くなってしまいます。介護や医療の現場でも、「現場判断で任せます」と言いつつ、問題が起きた時だけ「なぜ事前に確認しなかったのか」と責めるような文化があると、『任せます』という言葉は、信頼ではなく不安の合図として受け取られるようになります。

では、私たちはどうしたらいいのでしょうか。まずは、『任せます』を使う時の自分の心を覗いてみることが大切です。「この分野は相手の方が詳しいから、きちんと説明してもらいながら任せたい」と感じているのか。それとも、「面倒な責任から距離を置きたい」「揉め事に巻き込まれたくない」と思っているのか。同じ言葉を口にする前に、自分の中でその違いを意識できると、「任せます」の一歩手前で、「ここだけは確認させてください」「この部分は一緒に考えたいです」と、ひと言添えられるようになります。

逆に、『任せます』と言われた側も、その表情と語調に敏感でありたいものです。目を見て、ゆっくり頷きながら「お任せします」と言われた時は、「では、こういうやり方で進めてみてもよろしいですか」と確認しながら、相手の安心感を積み重ねていく。一方、どこか投げやりな口調で「そちらで決めてください」とだけ言われたときには、「ありがとうございます。ただ、あとで『聞いていない』と感じられないように、今いくつかポイントだけ共有させてくださいね」と、一度立ち止まって説明することも必要になります。

『任せます』は、本来とても豊かな言葉です。自分一人で抱え込まず、誰かの力を借りる勇気の表れでもありますし、相手の専門性や経験を尊重する気持ちも含まれています。けれど、表情や声色を置き去りにしてしまうと、その豊かさが失われ、「責任を押しつける言葉」か「自分を消す言葉」のどちらかに傾いてしまいがちです。

『仕方がない』『頑張ります』『任せます』。この3つの言葉に共通しているのは、どれもが「場を丸く収める力」を持ちながら、「本音や不安を飲み込む力」も持っているという点です。字面だけを追っていると見えないものが、顔つきや声色、沈黙の長さを思い浮かべると、少しずつ浮かび上がってきます。次の第4章では、この3つの言葉を横並びにしながら、「表情と語調でホンネを読み取る」という視点で、私たちがどんなサインを見逃しやすいのか、そしてどうすれば見つけやすくなるのかを、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。


第4章…表情と語調で読み解く3つの言葉のホンネとサイン

ここまで、『仕方がない』『頑張ります』『任せます』という3つの言葉が、どれも「便利で丸く収めやすい一言」でありながら、時として本音やSOSを隠してしまう危うい言葉にもなり得ることを見てきました。同じフレーズでも、優しさとして働くこともあれば、諦めや責任の押しつけになってしまうこともある。その違いを分けているのは、実は言葉そのものよりも、その時の表情や語調、沈黙の長さといった“顔つき”の部分なのかもしれません。

例えば、『仕方がない』という言葉1つをとっても、目尻に笑いジワを浮かべて、相手の肩にそっと手を置きながら「まあ、ここまで良くやりましたよ。後は仕方がないところもありますね」と伝える時、その場には確かに温かさが広がります。相手の頑張りを認めた上で、「もう自分を責めなくていいですよ」とブレーキをかけているからです。ところが、目線を反らし、溜め息混じりに「それはもう、仕方がないでしょ」と言われる時、その『仕方がない』には、「これ以上は考えたくない」「あなたの話を深く聞くつもりはない」という壁が混ざってしまいます。同じ言葉なのに、顔つきと声色が変わるだけで、受け取る印象はまったく別物になってしまうのです。

『頑張ります』も同じです。新しいことに挑戦する時、少し緊張しながらも、目がキラッと光って「はい、頑張ります」と言う人の姿には、どこか期待と前向きさが滲みます。声も自然な高さで、語尾も柔らかく伸びている。そういう時の『頑張ります』は、周りの人も「一緒に応援したいな」と感じさせる力を持っています。ところが、肩が落ち、視線が泳いだまま、「……はい、頑張ります」と絞り出すように言葉を出している時、その『頑張ります』は、ほとんどSOSに近いサインかもしれません。「断ったらまずい」「ここで弱音を吐いたら終わりだ」と自分を追い詰めた結果として口をついて出るひと言。声の震えや妙な早口、語尾の強さに気づけるかどうかで、その人を更に追い込むのか、少し荷物を軽くしてあげられるのかが変わってきます。

『任せます』もまた、表情と語調に左右される言葉です。説明をじっくり聞いたうえで、「それならこの部分はお任せします。心配なところが出てきたら、その時に相談させてください」と、ゆっくり言葉を選んでいる人の顔には、「全部を丸投げしたいわけではないけれど、信じてみよう」という覚悟が見えます。この時の『任せます』は、相手にとっても励みになるでしょう。一方、眉をひそめ、早口で「もうそちらに任せますから」と突き放すように告げる『任せます』には、「自分は関わりたくない」「責任は引き取りません」という冷たさが混ざりやすくなります。そこに気づかないまま、「任せてもらえたんだ」とだけ受け止めてしまうと、後々のスレ違いや不信感に繋がりかねません。

では、私たちはどうしたら、この3つの言葉のホンネとサインを、少しでも見逃さずにいられるのでしょうか。特別な技術が必要なわけではありません。まず大事なのは、「文字だけで判断しない」という小さな心構えです。耳に届いた言葉だけでなく、その時の顔色、姿勢、声の高さや速さ、言葉が出てくるまでの「間」にも意識を向けてみること。『仕方がない』『頑張ります』『任せます』が出た瞬間に、それだけを答えとして受け取るのではなく、「今、この人の胸の中では、どんな気持ちが渦巻いているだろう」と、一度心の中で立ち止まってみることです。

具体的には、『仕方がない』と聞いた時に、「どこまでが本当に変えられない部分で、どこからが一緒に工夫できそうな部分なのか」を、ゆっくり問い直してみることが出来ます。「そうですね、たしかに全部を理想通りには出来ないかもしれませんね」と受け止めつつ、「その中でも、これなら少し変えられるかもしれませんが、どう感じますか」と、ほんの少しだけ未来に向けた話を添える。そうすることで、『仕方がない』を合図に話が終わってしまうのを防ぐことが出来ます。

『頑張ります』を聞いた時には、「ありがとうございます、どの辺りが一番負担になりそうか、一緒に確認しておきましょうか」と声を掛けてみるのも一つです。やる気を信じながらも、「全部一人で抱えなくていい」というメッセージを返すことで、相手が自分の限界を言いやすくなります。「もし途中でしんどくなったら、その時は『頑張り過ぎました』って言ってくださいね」と、冗談混じりに伝えるだけでも、『頑張ります』の重さは少し軽くなっていきます。

『任せます』を受け取った時には、「ありがとうございます。任せていただく分、ここだけは事前に擦り合わせさせてください」と前置きをしてから、確認したいポイントを丁寧に共有することが大切です。「どんな状態になったら連絡がほしいか」「どこまでなら現場の判断で動いてよいか」といった線引きを言葉にしておくことで、「任せたつもり」と「任されたつもり」のズレを小さくできます。その過程で、相手の表情が和らいだり、逆に不安そうになったりする変化にも気づきやすくなるでしょう。

そして忘れてはならないのは、私たち自身がこれらの言葉を口にする時も、やはり誰かにとっての“サイン”になっているということです。「つい『仕方がない』と片付けていないか」「惰性で『頑張ります』と言って、後で苦しくなっていないか」「本当は不安なのに『任せます』と早く話を終わらせようとしていないか」。一日に何度か、自分の顔つきと声色を思い返してみるだけでも、言葉との付き合い方は少しずつ変わっていきます。もし、「あの時の『頑張ります』は、本当は言いたくなかったな」と気付いたなら、次に同じ場面が来た時、「今はこれ以上は難しいです」「こうすれば出来るかもしれません」と、少しだけ違う言葉を選んでみるチャンスになります。

『仕方がない』『頑張ります』『任せます』。この3つの言葉は、使い方によって、人の心を支えるクッションにも、未来を閉ざす鍵にもなります。その境目を教えてくれるのが、表情と語調です。言葉だけを信じるのではなく、顔つきと声色も一緒に見る人が、職場や家庭の中に少しずつ増えていけば、「本当は大丈夫じゃない」「本当は怖い」「本当は不安だ」という声も、今より少しだけ表に出やすくなるはずです。

次のまとめでは、ここまで見てきた3つの言葉を改めて振り返りながら、「言葉と顔付きと声色をセットで受け止める」という視点が、介護の現場や医療、そして日常生活にどんな変化を齎すのかを、もう一度ゆっくり考えてみたいと思います。

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まとめ…言葉と顔つきと声色を一緒に見る人でありたい

『仕方がない』『頑張ります』『任せます』。
この3つの言葉を追いかけていくと、私たちの毎日は、思った以上に「便利なひと言」に支えられていることに気づきます。場の空気を丸く収めたい時、自分の弱さを隠したいとき、誰かに心配を掛けたくない時。そんな場面で、この言葉たちは何度も何度も使われてきました。

けれど同時に、この3つの言葉は、本音やSOSを奥に押し込んでしまうスイッチにもなり得ます。本当はつらいのに『仕方がない』で終わらせる。本当は限界に近いのに『頑張ります』と笑ってみせる。本当は不安なのに『任せます』と話を切り上げる。文字だけを追っていると見えない揺らぎが、表情や語調に、はっきりと滲んでいることが少なくありません。

介護や医療の現場では、一人一人がそれぞれの「責任感」と「優しさ」を抱えています。利用者さんの前では弱音を飲み込み、家族の前では不安を隠し、同僚の前では「これくらい大丈夫です」と平気な顔をする。そんな日々が積み重なると、言葉はどんどん「本音から遠い場所」で使われるようになっていきます。その結果、『仕方がない』『頑張ります』『任せます』が増えれば増えるほど、本当に伝えたい気持ちが、誰の元にも届かなくなってしまう危険があります。

だからこそ私たちは、言葉だけを信じるのではなく、「その時の顔つき」と「声色」にも目を向ける必要があります。『仕方がない』と口にした人の眉間がキュッと寄っていないか。『頑張ります』と言った後、肩がさりげなく落ちていないか。『任せます』と告げる声に、どこか投げやりな響きが混ざっていないか。そうした小さなサインに気付ける人が、チームや家庭の中に少しずつ増えていけば、「本当は大丈夫じゃない」と言える空気も、ゆっくりと育っていきます。

同時に忘れたくないのは、私たち自身もまた、誰かから見れば「サインを出している側」だということです。何となく口癖になっている『仕方がない』『頑張ります』『任せます』を、一日に一度だけでも振り返ってみる。「あの場面では、本当は別の言葉を選べたかもしれないな」と気づいたら、次に同じ場面が来た時には、「ここだけは変えていきたいです」「この範囲なら頑張れそうです」「この部分は一緒に考えたいです」と、ほんの少しだけ言い方を変えてみる。その小さな練習を重ねることが、自分を守り、周りの人も守る力に繋がっていきます。

言葉は、道具であり、約束であり、願いでもあります。
『仕方がない』が、自分を責め続けることから解放してくれる優しい一言として使われますように。
『頑張ります』が、自分を追い詰める呪文ではなく、周りと負担を分かち合う切っ掛けになりますように。
『任せます』が、丸投げではなく、お互いの力を尊重し合う合図として交わされますように。

そして何より、介護の現場でも、医療でも、職場でも、家庭でも。
言葉と一緒に、顔つきと声色を受け止められる人が、少しずつ増えていきますように。
その一人に、この記事を読んだあなたがなってくれたなら、3つの言葉はきっと、今までよりも優しい形で、誰かの心を支える道具になってくれるはずです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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