『大丈夫です』が口癖の介護職へ~無理を溜めない働き方のヒント~
目次
はじめに…その『大丈夫です』が積み重なるとき、心と体で何が起きているか
介護の現場にいると、一日の間に何回『大丈夫です』という言葉を耳にするでしょうか。「休憩行ってきていいよ」「いえいえ、大丈夫です」「腰、痛くない?」「これぐらいなら大丈夫です」「ご家族さん、何か気になることはありませんか?」「いいえ、大丈夫です」気が付けば、利用者さんも、ご家族も、そして私たち職員自身も、同じ言葉をくり返しています。
『大丈夫です』は、とても便利で優しい言葉です。相手を気遣い、自分で何とかしようとする真面目さや責任感も滲みます。けれど、その便利さゆえに、本当はつらい気持ちや「助けてほしい」という小さな声を、つい奥に押し込めてしまうこともあります。口では『大丈夫です』と言いながら、心と体は少しずつ限界に近づいている。そんな状態が続くと、ある日ふと糸が切れたように、立ち上がれなくなってしまう人もいます。
介護の仕事は、「困っている人の傍にいる」お仕事です。だからこそ、自分のつらさは後回しにしてしまいがちですし、「利用者さんの方が大変だから、自分なんてまだまだ」と考えてしまうこともあるでしょう。でも、支える側の心と体が擦り減ってしまうと、本当に守りたいはずの人を守れなくなってしまいます。それでも私たちは、つい笑顔で『大丈夫です』と言ってしまいます。この言葉は、我慢の合図でもあり、助けを求めたい合図でもあるのかもしれません。
この文章では、介護の現場でよく聞こえてくる『大丈夫です』という言葉を手掛かりに、私たちの心の中で何が起きているのかを、ゆっくり一緒に辿っていきます。何故、職員もご家族も利用者さんも、こんなにも『大丈夫です』と言ってしまうのか。その裏側には、どんな不安や遠慮や、優しさが隠れているのか。そして、『大丈夫です』だけに頼らずに気持ちを伝えるためには、どんな言葉を足していけばよいのか。そんなことを、現場で働く方の目線で考えてみたいと思います。
この記事を読み終える頃、あなたはきっと『大丈夫です』という言葉を責めることはしないでしょう。ただ、「本当は大丈夫じゃない時に、そっと出せる言葉」を、少しだけ増やしてみようかな、と感じてもらえたら嬉しいです。介護の現場が、利用者さんにとっても、家族にとっても、そして働く私たち自身にとっても、もう少し息のしやすい場所になりますように。その願いを込めて、ここから先のお話を始めていきます。
[広告]第1章…なぜ私たちはすぐ『大丈夫です』と言ってしまうのか
介護の仕事をしていると、自分でも驚くほど口からスッと『大丈夫です』が出てきます。本当は少ししんどい日でも、「このくらいで弱音を吐くなんて」と自分に言い聞かせるように、笑顔でそう答えてしまう。その一言は、優しさでもあり、責任感でもあり、同時に「我慢のスイッチ」でもあります。
日本の文化には、昔から「人に迷惑を掛けないこと」が美徳とされてきた歴史があります。家族の中でも、学校でも、職場でも、「自分のことは自分で何とかする」「我慢強い人がエライ」と教えられてきた人は多いでしょう。介護職に就く人は、元々、真面目で、周りを気遣う性格の方が多いので、この価値観ととても相性が良くなってしまいます。その結果として、「助けて欲しい」と思っていても、『忙しそうだし、今は言わない方が良いかな』と、グッと飲み込んでしまうのです。
もう1つ、『大丈夫です』と言ってしまう大きな理由は、「空気を乱したくない」という気持ちです。利用者さんの対応に追われているフロアで、「腰が痛いので、今日は軽めの担当にして欲しいです」と言うのは、勇気が要ります。スタッフがギリギリの人数で回していると、自分が弱音を吐いた瞬間に、誰かの負担が増えてしまうことが目に見えてしまうからです。だからこそ、「本当は休みたいけれど、言ったら場が凍りそう」「同僚に申し訳ない」という思いから、『大丈夫です』という言葉で、場の空気を守ろうとしてしまいます。
さらに厄介なのは、『大丈夫です』が「出来る人」に見せてしまう魔法の言葉でもある、という点です。どんな仕事を頼んでも「はい、大丈夫です」と笑顔で受ける職員は、「頼りになる人」「仕事ができる人」と評価されがちです。こうした評価の積み重ねは、自信にも繋がりますが、「もう限界かもしれない」と感じた時に、「今さら無理とは言えない」というプレッシャーにも変わります。一度「何でも引き受ける人」という役割を背負ってしまうと、自分からそれを降ろすのは、とても難しくなってしまうのです。
『大丈夫です』という言葉は、聞こえ方によって意味が大きく変わる言葉でもあります。表面だけを聞けば、「元気そうだな」「問題なさそうだな」と受け取られがちです。
けれど、言っている本人の中では、「本当はつらいけれど、どう言えばいいか分からない」という諦めや、「今ここで説明すると長くなるから、また今度でいいや」という疲れが混ざっていることもあります。つまり、『大丈夫です』は、便利なまとめ言葉であると同時に、「本音を言う力が残っていない状態」を隠してしまう言葉にもなってしまうのです。
介護の現場は、時間にも人員にもゆとりが少ないことが多く、ゆっくり話を聞いてもらう機会を持ち難い環境です。そのような場では、自然と短くて無難な返事が選ばれます。『大丈夫です』は、その代表選手のような存在です。でも、本音を飲み込むことに慣れ過ぎてしまうと、自分自身が「今、自分はどう感じているのか」「何に困っているのか」を、だんだん言葉に出来なくなってしまいます。心の中がモヤモヤしているのに、それをちゃんと捉まえる前に、『大丈夫です』という蓋をしてしまうからです。
こうして見ていくと、『大丈夫です』という一言の背景には、いろいろな思いが重なっていることが分かります。人に迷惑を掛けたくない気持ち。場の空気を壊したくない気遣い。「出来る自分」で居続けたいプライド。自分の気持ちを丁寧に言葉にする余裕の無さ。その全てが合わさった結果として、私たちは反射的に『大丈夫です』と口にしてしまうのかもしれません。
この章で大切にしたいのは、『大丈夫です』という言葉そのものを悪者にしないことです。それは、優しさや責任感から生まれる、とても人間らしい一言です。ただ、その言葉が「本音を見え難くする壁」にもなり得ることに、少しだけ目を向けてみる。その小さな気付きが、次の章で登場する、介護現場のいろいろな『大丈夫です』を見分けるヒントに繋がっていきます。
第2章…介護現場で聞こえる『大丈夫です』3つのパターン
介護の現場には、いろいろな立場の人が集まっています。利用者さん、ご家族、職員、看護師、ケアマネジャー、ボランティアさん。立場が違えば見えている景色も違い、その分、『大丈夫です』という言葉の意味も少しずつ変わってきます。ここでは、特に目にすることの多い「利用者さん」「ご家族」「職員」の3つに絞って、それぞれの『大丈夫です』をゆっくり見ていきたいと思います。
最初に取り上げたいのは、利用者さんの『大丈夫やから』『心配せんでええよ』という言葉です。転倒しそうな姿勢で歩いている方に、「手引きしましょうか」と声を掛けると、「大丈夫や、大丈夫や」と笑って断られる場面は少なくありません。この時の『大丈夫』には、「まだ自分で出来るところを見せたい」「弱くなった自分を認めたくない」という、プライドのような気持ちが隠れていることがあります。長い人生を歩んできた方ほど、「人に世話を焼かせたくない」「迷惑を掛けたくない」という思いが強く、助けを申し出られた瞬間に、反射的に『大丈夫やから』と返してしまうのです。
一方で、その裏側には、「手を借りた方が安全なのは分かっているけれど、頼み方が分からない」という戸惑いも混ざっていることがあります。特に、入所して間もない方や、介護を受けることにまだ慣れていない方は、「甘えていると思われるのでは」「我儘だと言われるのでは」と不安を抱えながら生活しています。その不安と、残された力で頑張りたい気持ちの両方が、短い『大丈夫やから』という言葉に詰め込まれているのかもしれません。
次に、ご家族の『大丈夫です、私が何とかします』という言葉です。在宅の担当者会議や、入所前の面談、あるいは急な体調変化があった時の説明の場で、何度も耳にする一言ではないでしょうか。「お仕事もお忙しいでしょうから、ショートステイも活用していきましょうか」と提案すると、「いえ、まだ大丈夫です。私が見ます」と笑顔で返される。この『大丈夫です』は、一見すると心強く頼もしい響きを持っていますが、その奥には強い責任感と、自分を責める気持ちが隠れていることがあります。
家族介護をしている人の中には、「自分が頑張れなかったら、親を施設に入れなければならない」「人の手を借りるのは、親不孝なのではないか」と感じている方が少なくありません。周囲から「よくやっているよ」と声をかけられても、「まだまだ足りない」と自分で自分にダメ出しをしてしまう。その結果、心も体も限界に近づいているのに、『私が何とかします』『まだやれますから、大丈夫です』と、つい言ってしまうのです。この『大丈夫です』は、自分を守るためというより、「家族としての役目を果たさなければ」という思いから出てくる叫びのようなものかもしれません。
そして、3つめは、職員自身の『大丈夫です』です。残業が続いている職場で、上司から「今日は早めに上がれそう?」と声を掛けられても、「いえ、大丈夫です。もう少しやっていきます」と笑って答えてしまう。人手が足りない夜勤明けに、「代わるよ」と言われても、「いえいえ、大丈夫です、慣れているので」と、つい仕事を抱え込んでしまう。この時の『大丈夫です』には、「自分だけ楽はしたくない」「頼りないと思われたくない」という不安や、「現場を回すためには、自分が踏ん張るしかない」という覚悟が混ざっています。
職員同士の関係性も影響してきます。ベテランが多い職場では、「このぐらいでへこたれていてはやっていけない」という空気が生まれることがあります。新人さんや中堅の職員は、その雰囲気を敏感に感じ取り、「しんどい」と言うことが失礼なような気がしてしまいます。その結果、『大丈夫です』が「職員の挨拶」のように日常化し、本音を伝えるチャンネルがどんどん細くなっていきます。気づいた時には、体は悲鳴をあげているのに、口だけが笑顔で『大丈夫です』と言う癖が抜けなくなっていることもあります。
同じ『大丈夫です』という言葉でも、利用者さん、ご家族、職員、それぞれに込められた意味は少しずつ違います。ただ、それらに共通しているのは、「相手を思いやるあまり、自分のしんどさを後回しにしている」という点です。介護の現場で繰り返される『大丈夫です』は、決して嘘ばかりではありません。むしろ、「何とかしたい」「迷惑を掛けたくない」「今は笑っていたい」という、まっすぐな気持ちから生まれていることが多いのです。
けれど、そのまっすぐさが、自分を追い込む刃になってしまうこともあります。『大丈夫です』の数が増えれば増えるほど、本当は誰かに届いて欲しい気持ちが、奥へ奥へと押し込まれてしまう。その結果、ある日突然の体調不良や、感情の爆発、退職や関係悪化といった形で、一気に表面へ溢れ出てしまうこともあります。
第2章で見てきた3つのパターンは、あくまで一例に過ぎません。実際には、人の数だけ『大丈夫です』の形があり、その背景にある物語も様々です。大切なのは、「この人の『大丈夫です』は、今どんな色をしているだろう」と、一度立ち止まって想像してみることです。そうした小さな想像力が、次の章で扱う「家族と職員、それぞれの事情」を理解するための土台になりますし、やがては職場全体を守る力にも繋がっていきます。
第3章…家族と職員それぞれの『大丈夫です』事情
介護の現場で交わされる『大丈夫です』は、同じ言葉でも、家族と職員では少し違う重さを持っています。どちらも「頑張りたい」「迷惑を掛けたくない」という気持ちから出てくるのですが、その背景には、それぞれの立場ならではの事情や、言い出し難さがあります。ここでは、家族と職員、それぞれがどんな思いで『大丈夫です』と言ってしまうのかを、もう少し深く見ていきましょう。
まず、家族の『大丈夫です』には、「自分が支えなければ」という強い責任感が滲んでいます。長年一緒に暮らしてきた配偶者であったり、育ててくれた親であったりすると、「最期まで、自分の手で見なければ」という気持ちが自然と湧き上がります。その思いはとても尊く、温かいものですが、一歩間違えると、自分で自分を追い込むルールになってしまいます。例えば、訪問介護の回数を増やす提案をした時、「そうしたい気持ちはあるけれど、お金のことを考えると…」という不安が胸に広がることがあります。しかし、その不安を上手く言葉に出来ないまま、「まだ大丈夫です、私がやります」と答えてしまう。この時の『大丈夫です』は、介護そのものだけでなく、家計や働き方、兄弟との関係、近所の目など、いろいろなプレッシャーが混ざり合った結果とも言えます。
家族にとっては、「人の手を借りること」は、時に「自分の負け」を認めるような感覚に繋がります。「今まで世話になってきた親なのに」「このくらいも出来ないのかと、誰かに思われるのではないか」と心配になります。そのため、本当は限界に近づいていても、「介護がつらい」とはなかなか言い出せません。代わりに、「足腰は痛いけれど、もう少しなら頑張れる気がする」「皆も忙しそうだから、私が踏ん張るしかない」という思いだけが育っていきます。これが積み重なると、『大丈夫です』という言葉は、家族が自分自身を守るための盾であると同時に、「弱音を封じる鍵」にもなってしまいます。
一方、職員の『大丈夫です』には、「仕事の顔」と「自分の顔」の両方が強く影響しています。介護の現場で働く人は、真面目で責任感の強い方が多く、「任された仕事は最後までやりきりたい」と考える人がたくさんいます。シフトが厳しい日でも、「人手が足りないから、誰かが残らないと回らない」と分かっていると、「今日は早く上がっていいよ」と言われても、「私は大丈夫です、残ります」と答えてしまう。ここには、「自分だけ楽をしたくない」という気持ちと、「そう言う自分でありたい」というプライドが混ざっています。
さらに、職場の雰囲気も『大丈夫です』を増やす大きな要因になります。忙しい職場ほど、「弱音を吐いてはいけない」「体調不良は自己管理不足だ」といった空気が、言葉にしなくても経営の浸透で漂いやすくなります。誰かが体調を崩した時、「大丈夫?」と声を掛ける一方で、「またか…」という表情が漏れてしまうこともあります。そんな場面を見てしまうと、自分がしんどい時でも、「自分は大丈夫」と言い張る方が、角が立たないように感じられてしまうのです。
評価や人事の仕組みも、職員の『大丈夫です』を後押ししてしまうことがあります。「急に休むと他の人に迷惑が掛かる」「あまり体調のことを言うと、責任ある仕事を任せてもらえないかもしれない」そんな不安があると、体調や心の疲れを正直に伝えることが、将来の不利益に繋がるような気がしてしまいます。その結果、「頭痛ぐらいなら薬で何とかなる」「少し休めば戻れるから大丈夫」と自分に言い聞かせながら、『大丈夫です』という言葉で片付けてしまうのです。こうして『大丈夫です』は、働き続けるための魔法の合言葉になりながら、同時に自分のSOSを打ち消してしまう役割も担ってしまいます。
家族と職員。それぞれの『大丈夫です』には、似ているところもあれば、違うところもあります。共通しているのは、「誰かを思う気持ち」がとても強いという点です。家族は、「自分が頑張らないと、この人はどうなるのだろう」と不安を抱えています。職員は、「自分が抜けたら、現場がもっと大変になるのでは」と心配しています。そして、その不安や心配を、誰かにうまく渡す方法が見つからない時、一番手軽で、一番角の立たない言葉として、『大丈夫です』が選ばれてしまうのです。
けれど、ここで忘れたくないのは、「本当に大丈夫かどうか」は、言葉だけでは分からないということです。笑顔で『大丈夫です』と言っている家族が、夜になると一人で涙をこぼしているかもしれません。元気そうに『大丈夫です』と答える職員が、家に帰ってから動けなくなるほど疲れているかもしれません。そのギャップに気づき難いのは、本人も周りも、「頑張ること」に慣れ過ぎてしまっているからです。
第3章で見てきたように、家族と職員の『大丈夫です』は、それぞれの立場ゆえの事情を背負っています。だからこそ、「じゃあ、もう言うのを辞めましょう」と単純に切り捨てることは出来ません。大切なのは、『大丈夫です』の中に隠れている本音を、少しずつ外に出しやすくしていくことです。そのためには、別の言葉を用意したり、言い方を工夫したり、受け止める側の聞き方を変えたりする工夫が必要になります。
次の第4章では、『大丈夫です』に頼り切りにならずに、気持ちや状況を伝えるための、いくつかの言葉やヒントを考えていきます。家族も職員も、「本当は大丈夫じゃない」と言ってもいい場面を、少しずつ増やしていくための、小さな言い換えのアイデアを一緒に探してみましょう。
第4章…『大丈夫です』に頼らず気持ちを伝えるための言葉たち
ここまで見てきたように、『大丈夫です』という言葉は、優しさや責任感から生まれた、とても人間らしい一言です。だからこそ、完全に封印してしまう必要はありません。大切なのは、その一言だけに全てを押し込めないこと、そして、もう少しだけ自分の本音に近い言葉を横に並べてみることです。この章では、介護の現場で使いやすい「言い替え」や「ひと言足す工夫」を、場面ごとに考えていきます。
最初のステップは、「自分の状態を自分で把握する習慣」を付けることです。忙しいフロアを走り回っていると、立ち止まって自分の心や体の声を聞く時間は、どうしても後回しになりがちです。気づいた時には、疲れやイライラが限界近くまで溜まっていて、そこで初めて「もう無理かもしれない」と感じることも少なくありません。そうならないために、ほんの短い時間で構わないので、「今の自分はどれくらい元気が残っているかな」と、心の中でそっと確かめる癖をつけてみると良いかもしれません。例えば、「今はまだ余力がある」「だいぶ消耗している」「もうひと押しでオーバーしそう」など、自分なりの言葉で状態を分けて意識するだけでも、『大丈夫です』と口にする前に、一度自分にブレーキをかける切っ掛けになります。
自分の状態に気づけるようになると、『大丈夫です』に続けて、少しだけ具体的な言葉を足す余裕が生まれます。例えば、同僚から「この後、あの利用者さんの入浴介助もお願いしていい?」と頼まれた時、いつものように「大丈夫です」とだけ答えるのではなく、「大丈夫です、ただ、今日は腰が少し痛いので、移乗の時だけ手を貸してもらえると助かります」と付け加えてみるのです。あるいは、「今のところは大丈夫ですけれど、この状態が続くようなら、途中で一度相談させてください」と言うことも出来ます。このように、『大丈夫です』の後に自分の条件や希望を一文だけ添えるだけで、相手は状況を具体的にイメージしやすくなりますし、自分自身も「全部を一人で背負っているわけではない」という感覚を持ちやすくなります。
また、『大丈夫です』そのものを別のフレーズに言い換える方法もあります。例えば、「手伝って欲しいとまでは言えないけれど、完全に平気というわけでもない」という微妙な時には、「今は何とかやれていますが、少し余裕は少なめです」と表現してみる。「頑張れば出来なくはないけれど、本当は軽くして欲しい」時には、「出来ますが、今日は少しペースを落としてもらえると安心です」と伝えてみる。こうした言葉は最初こそ少し照れくさいかもしれませんが、使っているうちに自分の中でしっくりくる表現が育っていきます。大事なのは、「出来るか・出来ないか」の二択ではなく、「どんな条件なら出来るのか」「どこまでなら無理なく出来るのか」を一緒に考えられるようにすることです。
家族への声掛けにおいても、『大丈夫ですか?』『大丈夫ですよ』だけを繰り返さない工夫が役に立ちます。例えば、在宅介護で疲れが溜まっていそうなご家族に対して、「何かお困りごとはありませんか」と聞くと、「いえ、今は大丈夫です」と返ってくることがよくあります。そこで会話を終わらせてしまうのではなく、「一日の中で、一番しんどい時間帯はいつ頃ですか」と、具体的な場面をイメージしやすい質問を投げ掛けてみる。あるいは、「体のつらさと気持ちのつらさを分けて聞かせてもらえますか」と、少し視点を変えて尋ねてみる。そうすると、ご家族も「そう言われてみれば、朝の立ち上がりが一番きついかもしれません」「体よりも、気持ちの余裕が無くなってきている気がします」と、自分の状態を言葉にしやすくなります。その上で、「その時間帯だけヘルパーを増やす案もありますよ」とか、「気持ちの部分は、一度ケアマネジャーとゆっくり話す時間をとりましょうか」といった提案に繋げていくことが出来ます。
逆に、家族からの『大丈夫です』を受け取る側としても、「本当に安心している『大丈夫』なのか、ギリギリで踏ん張っている『大丈夫』なのか」を見分けようとする姿勢が大切です。表情や声のトーンがどこか張り詰めていると感じたら、「今は何とか回っています、という感じでしょうか」「もし、いつか『もう無理かも』と思った時には、その時に一緒に考えさせてくださいね」と、逃げ道を用意するような言葉を添えてみる。そうすることで、ご家族は「本当に限界になった時に、ここに相談してもいいんだ」と感じやすくなり、『大丈夫です』に縛られ過ぎずに済むようになります。
職員同士の会話でも、ひと言の工夫が大きな違いを生みます。「大丈夫?」「うん、大丈夫」というやり取りだけでは、本当の状態は伝わりません。「大丈夫?」の代わりに、「今日の体調、朝より今の方が楽ですか、それともきつくなってきましたか」と聞いてみる。「何かあったら言ってね」ではなく、「この仕事とこの仕事、どちらかを代わろうか」と、具体的な選択肢をセットで提示してみる。そうした聞き方を重ねていくことで、『大丈夫です』と答えたその先に続く言葉を、相手が少しずつ出しやすくなっていきます。
もちろん、いつでも理想的な言い回しが出来るわけではありません。忙しさの中で、つい「大丈夫ですか」「大丈夫です」とだけ言い交わしてしまう日もたくさんあるでしょう。それでも、「時々でいいから、『大丈夫です』にひと言足してみよう」と意識してみるだけで、状況は少しずつ変わっていきます。例えば、「大丈夫です。ただ、今日は少し疲れが溜まっているので、早めに上がれると助かります」とか、「大丈夫です。でも、もし明日も同じ状態が続くようなら、一度相談させてください」とか。そんな小さな一歩が、自分の心と体を守るための、大事な練習になっていきます。
『大丈夫です』は、今まであなたを支えてきてくれた言葉でもあります。そのおかげで乗り越えられた場面も、きっとたくさんあるはずです。だからこそ、これからはその言葉に、もう少しだけ仲間を増やしてあげるイメージでいて欲しいのです。「ちょっとしんどいです」「ここだけ手伝ってもらえると安心です」「本当は不安もあります」そんな言葉たちが、『大丈夫です』の横に並ぶようになった時、介護の現場で働く私たちは、今より少し息をしやすくなるのかもしれません。
そして、その変化はきっと、利用者さんやご家族にも伝わっていきます。「本音を言ってもいい」「弱さを見せても嫌われない」そんな空気が、少しずつ場を満たしていけば、『大丈夫です』という言葉は、我慢を隠す合図ではなく、「今は本当に安心している」という穏やかなサインとして使えるようになっていくでしょう。次のまとめでは、ここまでの話を振り返りながら、『大丈夫じゃなくてもいい』と言える職場作りについて、もう一度ゆっくり考えてみたいと思います。
[広告]まとめ…『大丈夫じゃなくてもいい』と言える職場をめざして
ここまで、『大丈夫です』というたったひと言を手掛かりに、介護の現場で生きる人たちの心の中を一緒に覗いてきました。利用者さんの「大丈夫やから」、ご家族の「大丈夫です、私が見ます」、職員自身の「大丈夫です、やっておきます」。どの言葉も嘘ではなく、それぞれの立場で「頑張りたい」「迷惑を掛けたくない」というまっすぐな思いから生まれていました。
けれど同時に、その『大丈夫です』が、自分の本音に蓋をしてしまうことも見えてきました。本当はつらいのに、本当は不安なのに、その気持ちを誰にも渡せないまま、「自分さえ我慢すれば」と抱え込んでしまう。その積み重ねが、ある日突然の体調不良や、「もう無理だ」と感じる瞬間として姿を現すことがあります。その時、初めて、「あの時、もっとちゃんと話を聞けていれば」「あの時、『大丈夫です』を真に受け過ぎてしまったのかもしれない」と、後悔のような気持ちが胸に浮かぶこともあるでしょう。
だからといって、『大丈夫です』という言葉そのものを悪いものだと決めつける必要はありません。この言葉のおかげで、場の空気が守られたり、ギリギリの中でも笑顔を保てたりした経験は、きっと誰にでもあるはずです。問題なのは、どんな場面でも、いつでも『大丈夫です』だけで済ませてしまうことです。本当は助けが必要な時、本当は限界に近づいている時にまで、その一言だけで自分を捻じ伏せてしまうと、心と体のどこかが、少しずつ悲鳴を上げ始めます。
そこで大切になってくるのが、「本音に少しだけ近い言葉を足してみる」という、小さな工夫です。『大丈夫です』に続けて、「ただ、今日は腰が少し重いです」「ここだけ手伝ってもらえると助かります」とひと言添えてみる。「今は何とか回っていますが、これが続くようなら相談させてください」と、未来のための逃げ道を一緒に用意しておく。たったそれだけでも、『大丈夫です』が「我慢の合図」から、「一緒に考えて欲しいというサイン」へと少しずつ形を変えていきます。
受け取る側の姿勢も、同じくらい大切です。家族の『大丈夫です』を聞いた時、「流石ですね」で終わらせるのではなく、「一日の中で、一番しんどい時間はいつですか」と、もう半歩だけ踏み込んでみる。職員どうしで『大丈夫?』『うん、大丈夫』とやり取りした後、「もしどこか代われるところがあれば言ってね」と、具体的な提案を添えてみる。そんな小さな言葉が、「本当は大丈夫じゃない」と言ってもいい雰囲気を、少しずつ育てていきます。
介護の仕事は、誰かの生活と命を支える、大きな責任を背負った仕事です。だからこそ、「自分のことは後回しにして当たり前」と感じてしまいやすい世界でもあります。しかし、自分を削って頑張り続けた先に待っているのは、燃え尽きや体調不良、そして「もうこの仕事は続けられないかもしれない」という悲しい選択かもしれません。本当に守りたいのは、利用者さんの暮らしと同じくらい、そこで働くあなた自身の人生でもあるはずです。
『大丈夫じゃなくてもいい』と言える職場作りは、急に大きな制度を変えることから始まるわけではありません。「今日はちょっとしんどいです」と言えた人を責めずに、「言ってくれてありがとう」と受け止める。『大丈夫です』にひと言足した勇気を、笑って流さず、大事に拾い上げる。そんな小さな積み重ねが、やがて「弱さを見せてもいいチーム」を生み出していきます。
この記事を読み終えた後、もしあなたの口からまた『大丈夫です』という言葉が出てきたとしても、それはそれで構いません。その時に、心のどこかで「本当はどうだろう」と自分に問い掛けてみる。そして、必要だと感じた時には、『大丈夫です』の横に、もうひと言だけ本音を並べてみる。その小さな一歩こそが、介護の現場で働く自分自身を守り、同じように頑張っている仲間や家族をも守る力になっていきます。
どうか、あなたの『大丈夫です』が、これからは自分を追い込む言葉ではなく、「今の自分を丁寧に見つめる切っ掛け」になりますように。そして、介護の現場が、利用者さんにとっても、家族にとっても、職員にとっても、『大丈夫じゃなくても、一緒に考えてもらえる場所』へと近づいていきますように。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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