山の日は山頂を目指す日だけじゃない~8月11日に見つける山の恵みと暮らしの楽しみ方~

[ 季節と行事 ]

はじめに…山は遠くに見えてじつは毎日の台所まで来ている

夏の空が高くなり、遠くの山の輪郭がくっきり見える朝があります。町の中では車が走り、台所では麦茶が冷えていて、いつもの暮らしは何事もない顔をしています。けれど、その水も、風も、木陰の涼しさも、季節の食べ物も、よく考えると山の働きとどこかで繋がっています。山は遠くにあるようで、じつは毎日の暮らしのすぐ傍まで来ているのです。

8月11日は山の日。国民の祝日(国が定めた休日)の1つで、山に親しみ、山の恵みに感謝する日です。そう聞くと、リュックを背負って山頂を目指す日だと思いがちですが、登山だけが山の日の楽しみ方ではありません。近くの公園で木の葉を眺める。食卓できのこや山菜を味わう。昔の遠足や家族旅行を思い出す。窓の向こうの緑に、ほんの少し目を止める。それだけでも、山の日の扉は静かに開きます。

「山の日なのに、家でお茶を飲んでいるだけでいいの?」と自分でツッコミたくなるかもしれません。良いのです。山は、登った人だけにご褒美をくれる場所ではありません。山紫水明の景色を見に行ける日もあれば、湯呑みを片手に山の恵みを思う日もあります。山の日は、山頂を目指す日ではなく、暮らしの中にある山の気配を見つける日です。

暑い夏の真ん中に、山のことを少し思い出す。すると、いつもの水も、いつものご飯も、少しだけありがたく見えてきます。そんな小さな気づきから、今年の山の日を楽しんでみませんか?

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第1章…山の日は「登る人」だけの祝日ではない

山の日と聞くと、頭の中にすぐ浮かぶのは、登山靴、リュック、帽子、杖、そして汗をぬぐいながら山頂を目指す姿かもしれません。テレビで見るような、青空を背負った稜線歩き。写真で見るような、雲の上の絶景。あれはあれで素晴らしい世界です。

けれど、そこで「自分には関係ないな」と扉を閉めてしまうのは、少しもったいない気がします。

山の日は、登山の得意な人だけに配られた特別切符ではありません。祝日法(国民の祝日を定める法律)では、山の日は山に親しみ、山の恵みに感謝する日とされています。ここで大事なのは、「登れ!」とは言っていないところです。なかなか優しい。山に向かって敬礼だけでも、気持ちは半分くらい参加できそうです。いや、半分と言わず、心は登頂済みでもいいでしょう。

山に親しむという言葉には、もっと広い意味があります。

遠くの山を眺める。木の香りを思い出す。川の水の冷たさに驚く。子どもの頃の遠足を語る。山で採れる食べ物を味わう。

そのどれも、山との付き合い方です。山頂に立つことだけが山との出会いではありません。見上げる、味わう、思い出す、守ろうとする。そんな小さな関わりの積み重ねも、立派な山の日の過ごし方になります。

「木を見て森を見ず」ということわざがあります。細かいものに目を奪われて、全体を見落としてしまうという意味です。山の日も、登山という1つの形だけを見てしまうと、暮らしの中に広がる山の恵みを見落としてしまいます。山は、登る場所である前に、私たちの水や食べ物や景色を支えてくれる大きな存在です。

日本の暮らしには、山がずっと寄り添ってきました。春には山菜、夏には木陰、秋にはきのこや栗、冬には薪や雪景色。昔話にも山はよく登場します。おじいさんは山へ柴刈りに行き、子どもたちは遠足で山道を歩き、家族旅行では「ほら、あれが富士山かな」と車内が少しだけ盛り上がる。見間違いでも盛り上がる。日本人の車内あるあるです。

高齢の方にとっても、山は記憶の引き出しになりやすい存在です。山仕事、遠足、山道の通学、峠越え、山菜採り、紅葉狩り。話し始めると、山そのものよりも、その時に一緒にいた人や食べたお弁当の話に移っていくことがあります。それで良いのです。山は背景になり、人の記憶をそっと前に出してくれます。

家族にとっての山の日も、難しく考えなくて構いません。暑い時間を避けて木の多い道を歩く。夕方に山の方角を見て雲の形を眺める。食卓にきのこご飯を出して「今日は山の日だから」と言ってみる。そこで家族から「きのこは年中あるやん」と言われても、動じなくて大丈夫です。年中あるものにも、ちゃんと季節の顔があります。

山の日は、山へ行ける人だけの日ではなく、山に支えられて暮らす人みんなの日です。

そう考えると、8月11日は少し身近になります。山へ登る予定がなくても、予定表の中で山の日がただの休みに見えなくなります。青い山を眺めるだけで、胸の奥に清風明月のような清々しさが広がることもあります。特別な準備がなくても、自然への感謝は始められます。

山の日の入口は、意外と低いところにあります。

玄関を出た時の風。台所に並ぶきのこ。冷たい水の一口。窓から見える緑の線。

その小さな気づきに目を向けるだけで、山の日はちゃんと暮らしの中に入ってきます。


第2章…8月11日は山と暮らしを近づける小さな合図

8月11日という日付を見ると、夏休みの真ん中に置かれた、小さな木の札のように感じます。海、花火、帰省、甲子園、麦茶、そうめん、アイスの残り本数会議。夏は予定も気持ちもにぎやかで、気づけばカレンダーまで汗をかいていそうです。そんな季節の中に、山の日はそっと立っています。

山の日は、平成26年に祝日法(国民の祝日を定める法律)が変わったことで生まれ、平成28年から始まった国民の祝日です。趣旨は、山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝すること。何か大きな山の事件や歴史上の出来事を記念した日ではなく、暮らしの中で山との繋がりを思い出すための日です。

このあたりが、山の日の不思議な魅力です。

記念日には、「この日に何かが起きました」という物語がつきものです。けれど山の日は、「この日に山を思い出してみませんか?」と、少し遠慮がちに声をかけてくるような祝日です。控えめなのに、よく見ると奥が深い。まるで親戚の集まりで静かに座っていた人が、帰り際にすごく良いことを言って去っていく感じです。もっと早く言ってください、となります。

8月11日になったことにも、静かな背景があります。お盆前の時期で、家族が自然に目を向けやすい頃でもあります。子どもは夏休み中、大人は休みの段取りを考える頃。高齢の方にとっては、盆前の支度や昔の帰省の思い出がフッと甦る頃かもしれません。山の日は、そうした夏の流れの中で、山と暮らしを結ぶ合図になっています。

ただ、山の日が毎年必ず同じ雰囲気で過ごされてきたわけではありません。東京オリンピックの時期には、祝日の日付が移動した年もありました。祝日も、社会の大きな予定に合わせて動くことがあるのです。振替休日(祝日が日曜などに重なった時、別の日を休みにする制度)という言葉も、カレンダーを見る時にはお馴染みです。祝日は石のように動かないものと思いきや、意外と身軽。カレンダー界の登山家の位置付けなのかもしれません。

けれど、日付が動いた年があっても、山の日の心までは動きません。

山に親しむこと。山の恵みに感謝すること。自然と暮らしの距離を少し近づけること。

そこにある思いは、質実剛健な山の稜線のように、すっと立っています。

8月11日は、山へ出かけるキッカケにもなります。けれど、出かけない人にとっても大切な日になります。朝、冷たい水を飲む。昼、木陰を探して歩く。夕方、遠くの山の色が少し変わるのを見る。夜、食卓できのこや川魚や山の幸を味わう。そんな小さな場面の中で、山の日は少しずつ暮らしに染みていきます。

家族で過ごすなら、難しい説明はいりません。

「今日は山の日なんだって」「山って何をくれるんだろうね」「水かな」「木かな」「きのこかな」「虫も?」「それは少し距離を取ろうか」

こんな会話で十分です。全部をきれいに教えようとしなくても、自然への入口は開きます。子どもにとっては、山の日が自由研究の種になるかもしれません。大人にとっては、忙しい夏に一息つく合図になります。高齢の方にとっては、若い頃の山道や遠足、山菜採りの思い出が顔を出す時間になります。

施設で過ごす山の日なら、さらに自由です。山の写真を眺めるだけでも良いですし、山の歌を流しても良いでしょう。塗り絵、折り紙、山の形のおやつ、昔の山道トーク。山の話題は、体を大きく動かさなくても楽しめます。山頂に行けない方にも、山の空気を届ける方法はあります。

8月11日は、山に行く予定を増やす日ではなく、暮らしの中の山に気づく小さな合図です。

忙中有閑という言葉があります。忙しい中にも、フッと心を休める時間を見つけることです。山の日は、まさに夏の忙しさの中に置かれた休み札のような日です。山へ登る人も、家で涼む人も、施設で語らう人も、それぞれの場所で山に少し近づけます。

カレンダーの中の8月11日を、ただの赤い数字で終わらせない。そこに山の緑、水の冷たさ、木の香り、昔の笑い声を少し足してみる。そうすると、山の日はグッと身近になります。

山は、遠くから眺めるだけでも、ちゃんと私たちの暮らしに合図を送ってくれています。

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第3章…水もご飯も木陰も山の恵みはこっそり働き者

山の恵みと聞くと、きのこ、山菜、栗、木材辺りが思い浮かびます。どれも分かりやすく「山から来ました」という顔をしています。けれど山の働き者ぶりは、そんな素直な登場だけでは終わりません。むしろ、本当に凄いものほど、名札をつけずに暮らしへ入り込んでいます。

朝、蛇口から出る水。炊飯器でふっくら炊けるご飯。夏の午後にありがたい木陰。川の流れ。畑を潤す雨水。こうしたものの奥にも、山の働きがあります。山は、見える場所でドンと構えているだけでなく、見えないところで暮らしを支える裏方でもあるのです。正に縁の下……と言いたくなりますが、山は縁の下に入るには少々大き過ぎます。家が先にビックリします。

森林には、水源涵養(森林が雨水をため、川へ少しずつ送る働き)という大切な役割があります。雨が降った時、山の土や木々が水を受け止め、すぐに全部を流さず、ジワジワと川へ送り出してくれます。これがあるから、川の水は暮らしへ繋がり、田畑を潤し、私たちの食卓にも回ってきます。

もちろん、山があれば何でも安心という話ではありません。大雨が続けば、土砂災害(崩れた土や石が流れ出して被害を起こすこと)の危険もあります。山は恵みの倉庫であり、同時に自然の力を抱えた場所でもあります。ありがたさと怖さが同じ場所にある。そこに、山と付き合う難しさと深さがあります。

食卓にも、山はよく遊びに来ます。

きのこご飯、栗ご飯、山菜の天ぷら、川魚の塩焼き、はちみつをひと匙だけ入れた飲み物。どれも、山の気配をまとった味です。夏なら冷たい水や麦茶を飲むだけでも、山から始まった流れを口にしているようなものです。そう考えると、台所が少しだけ山小屋風になります。いや、換気扇の下で山小屋を名乗るのは少し無理がありますが、気分だけなら自由です。

一汁三菜という言葉があります。ご飯、汁物、おかずを整えた食卓の形です。そこに山の恵みを少し入れると、食事は栄養だけでなく季節の話題も運んでくれます。高齢の方なら、山菜採りの思い出が出てくるかもしれません。子どもなら、「きのこは森のどこにいるの?」と不思議そうに聞くかもしれません。食卓は、山を学ぶ小さな教室にもなります。

木陰の涼しさも、山の恵みを感じやすい場面です。真夏の道を歩いていて、日なたから木陰に入った瞬間、体がホッとします。あの一歩の違いは、言葉にすると地味ですが、実際にはかなりありがたいものです。日なたで「大丈夫」と言い張っていた体が、木陰に入った途端に「助かった」と正直になる。夏の体は、意外と素直です。

高齢者施設でも、山の恵みは行事にしやすいテーマです。山の写真を見ながら水の話をする。きのこの香りを楽しむ。木の葉の形を塗り絵にする。山の歌を流して、昔の遠足を思い出す。体を大きく動かせなくても、五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる感覚)を通して山に近づくことは出来ます。

山は、派手に自己紹介をしません。水になり、風になり、木陰になり、ご飯の香りになって、暮らしへ静かに混ざっています。山の恵みは、特別な景色の中だけではなく、今日の一杯の水や食卓の湯気の中にも息づいています。

山の日に山を見上げるだけでもいい理由は、そこにあります。山へ行かなくても、山はもう暮らしの中に来てくれているからです。蛇口の水に、台所の香りに、夕方の涼しい風に、山の働き者ぶりを少し感じてみる。そうすると、いつもの一日がほんの少し豊かに見えてきます。


第4章…家庭でも施設でも楽しめる無理のない山の日の過ごし方

山の日を楽しもうとすると、つい「どこかへ出かけなければ」と考えてしまいます。リュックを出して、水筒を洗って、帽子を探して、地図を見て、天気を気にして……この時点で少し疲れます。山へ行く前に、家の中で遭難しかける。夏の準備あるあるです。

けれど山の日は、気合いの行事にしなくても楽しめます。むしろ暑い8月は、無理をしないことが大切です。熱中症(暑さで体温調節が上手くいかなくなる状態)や脱水(体の水分が足りなくなること)に気をつけながら、家の中や近場で山の気配を味わうくらいが、ちょうど良い過ごし方になる日もあります。

家庭なら、朝の涼しいうちに少し外へ出て、遠くの山や木の多い場所を眺めるだけでも十分です。子どもがいるなら、「あの山の向こうには何があると思う?」と聞いてみると、思わぬ答えが返ってくるかもしれません。恐竜、忍者、巨大なおにぎり。大人の地図には載っていないものが、子どもの頭の中には普通に住んでいます。想像力は、夏の山より伸びやかです。

食卓で楽しむ山の日もあります。きのこご飯、山菜うどん、栗を使ったおやつ、はちみつ入りの飲み物、木の器に盛ったおかず。大きなご馳走でなくても、山を感じるものを一品添えるだけで、食卓の会話が変わります。今日は山の日だから、と、ひと言添えると、いつものご飯に少しだけ季節の顔が出ます。

高齢者施設なら、山の日は無理なく広げやすいレクリエーションの日になります。登山ごっこをしなくても、山の写真、山の歌、木の葉の塗り絵、きのこの香り、昔の遠足話など、楽しみ方はたくさんあります。車いすの方も、寝たきりの方も、見たり聞いたり味わったりする形なら参加しやすくなります。

大切なのは、全員に同じことを求めないことです。

「山の思い出はありますか」と聞かれて、すぐに話せる方もいれば、静かに写真を見ていたい方もいます。山菜採りの話で盛り上がる方もいれば、虫が苦手で顔が曇る方もいます。山は楽しい場所ですが、人によって記憶の色が違います。そこを臨機応変に受け止めると、場の空気が和気藹々とやわらぎます。

施設で山の日を楽しむなら、香りと音を使うのも良い方法です。木の香りがする小物、山の風景映像、鳥の声、川のせせらぎ、山にまつわる歌。視覚だけに頼らず、耳や鼻から入る刺激を加えると、言葉になりにくい記憶がフッと動くことがあります。五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる感覚)を使うと、行事は座ったままでも立体的になります。

ただし、楽しい企画ほど安全確認を忘れないことが大切です。食べ物を出すなら、噛む力や飲み込む力に合わせます。外に出るなら、時間帯と日差しを見ます。室内でも、水分を取りやすい流れを作ります。山の日だから山らしいことをしたい、という気持ちは素敵ですが、安全第一が土台にあってこそ、笑顔が長く続きます。

家庭でも施設でも、山の日の合言葉は「出来る形で味わう」です。山へ登れる人は登ればいい。公園へ行ける人は木陰を歩けばいい。外へ出にくい人は、写真や食事や会話で山を迎えればいい。山の日の楽しさは、遠くへ行く距離ではなく、暮らしの中に山を招く工夫で広がります。

夏の午後、冷たいお茶を飲みながら山の話をする。窓の外の雲を見て、山の向こうの天気を想像する。そんな小さな時間でも、心は少し外へ開きます。山の日は、予定を詰め込む日ではなく、自然との距離をやさしく整える日でもあるのです。

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まとめ…見上げるだけでも山の日は始まる

山の日は、山頂に立った人だけが味わう祝日ではありません。遠くの山を眺める人にも、台所できのこご飯をよそう人にも、施設の談話室で山の歌を口ずさむ人にも、そっと開かれている日です。8月11日という夏の真ん中に、山は「少しこちらを見てごらん」と静かに手招きしてくれます。

山は、派手に働きを見せびらかしません。水になり、風になり、木陰になり、食卓の香りになって、暮らしの中に入り込んでいます。朝の一杯の水を飲んだ時、夕方の涼しい風にホッとした時、遠くの稜線が少し青く見えた時、そこには山紫水明の気配がほんのり残っています。

もちろん、自然は優しい顔ばかりではありません。暑さ、虫、急な天気、大雨による災害など、気をつけたい面もあります。山の日を楽しむ時は、無理をしないことが大切です。山へ行くなら準備を整える。家で過ごすなら、食卓や会話で山を迎える。施設なら、写真や音や香りで1人1人に合う形を選ぶ。そうした小さな配慮が、楽しい時間を平穏無事にしてくれます。

「山の日なのに家から出なかったなあ」と思う日があっても、少しも残念ではありません。窓から緑を見た。山の幸を食べた。昔の遠足を思い出した。冷たい水に感謝した。それだけで、山の日は暮らしの中でちゃんと息をしています。家にいながら山を感じるなんて、少し横着にも見えますが、なかなか賢い夏の過ごし方です。暑さに勝負を挑まないあたり、大人の作戦勝ちです。

山の日は、遠くへ行く日ではなく、身近な恵みに気づく日でもあります。

来年の山の日も、特別な予定がなくて大丈夫です。空を見上げる。山の方角を探す。木陰でひと息つく。食卓に小さな山の味を置く。そんな1つ1つが、自然と暮らしを繋ぐやさしい合図になります。

山は、登る人だけを待っているのではありません。眺める人、思い出す人、味わう人、守ろうとする人の傍にも、今日も静かに立っています。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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