子どもが泳げるようになる夏休み自由研究~補習を遠ざける親子の水辺作戦~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…泳げる夏は親子の予定まで少し軽くなる

夏休みが近づく頃、学校のプール授業が始まると、子どもの朝は少しだけ忙しくなります。水着、帽子、タオル、プールカード。親は印鑑を押したつもりで押していなかったり、子どもはゴーグルを持ったつもりで玄関に置いていたりします。出発前から、既に小さな水泳大会です。いや、まだ水にも入っていませんけれど。

そんなプールの季節に、親の心へそっと浮かんでくるのが「今年は泳げるようになるかな?」という思いです。学校によっては、小学校〇年生で〇〇メートル泳げるという目標があり、届かないと夏休みに補習があることもあります。地域の昔ながらの流れなのか、学校ごとの方針なのか、なかなか理解と判断がしづらいところですが、子どもからすれば夏休みに学校へ行く用事が増えるわけです。親から見ても、予定表の余白がスッと細くなります。

もちろん、水泳は大切です。泳げることは、体育のためだけではなく、水辺で自分を守る力にも繋がります。ただ、子どもにとって「泳げない」は、怠けているわけでも、やる気がないわけでもありません。顔に水がかかるのが苦手な子もいます。鼻に水が入る感覚が怖い子もいます。足が底から離れるだけで、心がソワソワする子もいます。大人が思うより、水の中は子どもにとって未知との遭遇なのです。

そこでおすすめしたいのが、水泳を夏休みの自由研究のように扱う考え方です。泳げるか泳げないかで一喜一憂するのではなく、「どうしたら水と仲良くなれるのか?」を親子で試していきます。顔つけ、ブクブク、浮く練習、けのび、バタ足。1つずつ観察して、少しずつメモで記録する。上手くいった日も、上手くいかなかった日も、ちゃんと発見になります。補習を遠ざけるための練習が、親子で笑える自由研究に変われば、正に一石二鳥の夏作戦です。

早く泳げるようにしたいなら、力任せに急ぐより、子どもが安心できる順番を見つける方が近道です。急がば回れ、という言葉は水泳にもよく似合います。ラクチンな夏休みを目指しながら、親子で試行錯誤していく水辺の時間。そこには、〇〇メートルの数字だけでは測れない、小さな成長がたくさん隠れています。

[広告]

第1章…水泳の近道は根性より順番にある

子どもに早く泳げるようになってほしい時、親の口から出やすい言葉があります。

「ほら、顔をつけて」「もっとバタ足して」「手も動かして」「もう少し頑張って」

言っている親の方は、もちろん悪気などありません。むしろ、少しでも早く泳げるようになって、夏休みの補習から解放してあげたい親心です。予定表の中に「水泳補習」と書かれた瞬間、親の頭の中では、買い物、送迎、宿題、昼ご飯、自由研究、ついでに麦茶の残量まで一斉に走り出します。子どもは全力で都度、頑張った証、評価に過ぎないのですが…。水泳の話なのに、何故か台所の麦茶まで登場する。夏休みとは、そういうものです。

けれど、泳げない子どもにとって「泳ぐ」という動きは、大人が思うよりずっと複雑です。

顔を水につけるだけでも、目、鼻、口、耳がいつもと違う感じになります。息を止めるのか、吐くのか、いつ吸えば良いのかも分かりません。足は底から離れそうになるし、体は浮くような沈むような不思議な感覚になります。その上で、バタ足をして、手も動かして、前に進む。これを一度にやろうとすれば、子どもの頭の中は右往左往です。

大人が自転車に乗れるからといって、初めて乗る子に「ハンドルを持って、ペダルを漕いで、バランスを取って、ブレーキも見て、さあ出発」と言っても、すぐには進めません。泳ぎも同じです。完成形だけを見せられても、体はなかなか追いつきません。

水泳の近道は、気合いで水を捻じ伏せることではありません。根性論で押し切るより、子どもが安心できる順番を作る方が、結果として早く進みます。最初に必要なのは、クロールの形ではなく、水の中で落ち着く感覚です。

まずは水が体に触れても平気になること。次に、顔へ水がかかっても慌てないこと。その次に、水の中でブクブクと息を吐けること。そこから、浮く、けのびをする、バタ足を足す、短い距離を進む、という流れになります。

この順番は、地味です。見た目の派手さはありません。親としては「今日はまだブクブクだけ?」と思う日もあるでしょう。けれど、そのブクブクが出来ないまま泳ごうとすると、子どもは顔を上げた瞬間に苦しくなります。苦しくなると怖くなります。怖くなると体に力が入ります。体に力が入ると沈みやすくなります。そうなると、練習は一進一退どころか、親子でしょんぼり帰るプール帰りになってしまいます。

プールバッグは濡れ、タオルも濡れ、親の心まで少し濡れる。出来ればそこまでの3点セットは避けたいところです。

泳げるようになる近道は、泳ぐ形を急ぐことではなく、水の中で慌てない体を先に育てることです。

ここを大事にすると、練習の見方が変わります。

顔を3秒つけられたなら、それは立派な前進です。ブクブクと息を吐けたなら、泳ぎの入口に立っています。壁を持って体を浮かせられたなら、もう水に体を預ける準備が始まっています。けのびで少し進めたなら、〇〇メートルへの道はちゃんと繋がっています。

学校の目標があると、どうしても数字が気になります。5メートル、10メートル、25メートル。数字は分かりやすいので、親も子どももそこに目が行きます。けれど、数字の前には必ず小さな技術があります。水に慣れる。息を吐く。浮く。まっすぐ進む。これらが揃って初めて、距離は伸びていきます。

正に千里の道も一歩からです。プールで言えば、千里ではなく一メートルからですが、それでも気持ちは同じです。最初の1メートルを笑って進める子は、次の2メートルにも向かいやすくなります。

親が出来ることは、急かすことより、順番を守ることです。今日は水に慣れる日。今日は息の練習の日。今日は浮く感覚を試す日。そんなふうに小さく分けると、子どもは「泳げない自分」ではなく「いま練習中の自分」として水に向き合えます。

補習を避けたい気持ちは、決して悪いものではありません。夏休みを少しラクにしたい。子どもに気持ちよく遊んでほしい。家族の予定を楽しく組みたい。そんな本音があるからこそ、無理なく早く身につく道を選びたいものです。

水泳は、順番を間違えると苦手意識が残りやすいですが、順番が合うとある日、フッと進みます。昨日まで顔をしかめていた子が、今日は自分から水に口をつける。昨日まで足が底から離れなかった子が、今日は壁を蹴ってスーッと進む。そんな小さな瞬間が、親子の夏を少し明るくします。

急がせるより、進め方を整える。気合いより、安心の積み重ね。水泳の近道は、意気揚々と飛び込むことではなく、子どもの心と体が「これなら出来そう」と思える順番を見つけるところから始まります。


第2章…自由研究にすると練習は発見に変わる

水泳の練習という言葉には、少しだけ汗の匂いがします。

「今日は何メートル泳げた?」「昨日より進んだ?」「もう少し頑張れたんじゃない?」

親としては励ましているつもりでも、子どもからすると点数をつけられているように感じることがあります。特に、学校で〇〇メートルの目標があり、届かなければ夏休みに補習があるとなると、プールの水面が急にテスト用紙のように見えてしまいます。水なのに紙。濡れたら終わりです。いや、そういう話ではありませんね。

そこで、水泳を自由研究にしてしまうと、空気が少し変わります。

「泳げたか、泳げなかったか」だけでなく、「どうしたら前に進むのか?」「なぜ怖く感じるのか?」「どんな動きをすると体が浮くのか?」を調べる時間になります。練習が点数ではなく、発見になります。失敗も減点ではなく、研究結果になります。これが親子にとって、とても助かる見方です。

自由研究らしくするなら、最初に小さなテーマを決めます。

「顔を水につける時、息を止めるのと吐くのではどちらが楽か?」「けのびで遠くまで進む体の形はどんな形か?」「バタ足は大きく動かす時と小さく動かす時で進み方が変わるのか?」「顔を上げると体は沈みやすいのか?」

こうしてテーマを決めると、子どもは水泳をただの苦手科目として見なくなります。自分の体で試して、自分の感覚で気づいていく小さな実験になります。仮説(こうなるかもしれないという予想)を立て、観察(様子をよく見ること)をして、記録(分かったことを残すこと)をする。なんだか急に立派な自由研究です。プールサイドで白衣を着る必要はありません。むしろ暑いので辞めましょう。

記録も難しく考えなくて大丈夫です。

「今日は顔を三秒つけられた」「口からブクブクすると少し怖くなかった」「足を大きく動かすと疲れた」「体を真っ直ぐにしたら前より進んだ」

このくらいの短い言葉で十分です。子どもが書くのが苦手なら、親が聞き取ってメモしても良いでしょう。大切なのは、できた距離だけを残すのではなく、気づいたことを残すことです。

〇〇メートルという数字は、ゴールとして分かりやすいものです。けれど、その数字へ向かう途中には、子どもだけの小さな発見がたくさんあります。顔をつける前に肩へ水をかけると安心する子もいます。鼻から息を出すと水が入りにくいと気づく子もいます。けのびで力を抜いた方がスーッと進む子もいます。そういう発見が積み重なると、水泳は急に身近になります。

自由研究にすると、泳げない時間まで「できるようになる途中」として残せます。

これが大きいのです。

親はつい結果を急ぎます。夏休みの予定もありますし、補習の有無も気になりますし、できれば午前中は宿題、午後は遊び、夕方はアイス、夜は早寝という平和な流れを守りたいものです。ところが、水泳が苦手な子にとっては、親の焦りが水より冷たく感じることがあります。

そんな時こそ、自由研究の顔をした水泳練習が役に立ちます。

「今日は何メートル泳げた?」ではなく、「今日は何が分かった?」と聞いてみます。

この質問なら、泳げなかった日にも答えがあります。

「顔を上げると沈むって分かった」「足をバシャバシャしすぎると疲れるって分かった」「ブクブクしてから顔を上げると楽だった」

それは立派な前進です。試行錯誤の中に、泳げるようになる芽が出ています。

夏休みの自由研究という形にすると、親子の会話もやわらかくなります。親は先生の顔だけでなく、助手の顔になれます。子どもは叱られる生徒ではなく、小さな研究者になれます。水の中で起きたことを家に持ち帰り、ノートに書き、次に試すことを決める。その流れができると、練習はグッと続けやすくなります。

もちろん、補習を避けたいという本音はあって良いのです。夏休みをラクに過ごしたい。出来れば家族で楽しい予定を入れたい。子どもにも「行かなくて済んだ」とホッとしてほしい。その気持ちは自然です。ただ、その本音を前面に出しすぎると、子どもは一喜一憂しやすくなります。

「補習にならないために…」だけで走るより、「自分の体と水の関係を調べるために」と考えた方が、子どもの表情は明るくなります。水泳は、体で覚える勉強です。ノートの上だけでは完成しませんが、ノートに残すことで、出来たことが見えるようになります。

プールから帰った後、濡れたタオルを洗濯機に入れながら、子どもがポツリと「今日、ちょっと分かった」と言う。親はその一言で、夕飯の支度が少しだけ軽くなるかもしれません。唐揚げを一個多く揚げるほどではないにしても、心の中では小さく拍手です。

水泳を自由研究にする良さは、泳げるようになる過程を親子で見える形にできるところです。結果だけを追うと、まだ足りないところばかり目に入ります。発見を拾うと、今日、出来たことが見えてきます。

その積み重ねが、〇〇メートルへ続く道になります。夏のプールは、ただ距離を伸ばす場所ではありません。子どもが自分の体を知り、水との付き合い方を覚え、少しずつ自信を育てていく場所にもなります。自由研究という名札をつけるだけで、苦手な水泳が、少し楽しい冒険に変わっていきます。

[広告]

第3章…顔つけ・ブクブク・けのびで水と仲良くなる

水泳の練習で、最初に大きな壁になるのは、クロールの手の回し方ではありません。多くの子どもにとって、本当の入口は顔つけです。

大人から見ると、顔を水に入れるだけに見えるかもしれません。けれど子どもにとっては、目の前の世界が一瞬で変わります。音は籠り、鼻はムズムズし、口を開ければ水が入るかもしれない。足元は見えにくく、いつもの呼吸も出来ません。これはなかなかの一大事です。大人だって、朝から急に洗顔フォームを目に入れたら大騒ぎします。子どもが水で身構えるのも、無理はありません。

だから顔つけは、いきなり頭まで沈める必要はありません。最初は、手ですくった水をほっぺにつけるところからで十分です。次に、顎、口元、鼻の下、目の周りへと、少しずつ水との距離を縮めます。まるで初対面の人と少しずつ仲良くなるようなものです。最初から肩を組みにいかない。水にも礼儀があります。いや、水に名刺は渡しませんけれど。

顔に水がつくことへ慣れてきたら、次はブクブクです。ブクブクは遊びのように見えて、泳ぐためにはとても大事な練習です。水中呼吸(息を水の中で吐き、顔を上げた時に吸いやすくする動き)ができると、子どもは水の中で慌てにくくなります。

泳げない子の中には、顔をつけた瞬間から息を止めっ放しになる子がいます。すると、顔を上げた時に「吐く」と「吸う」を同時にしようとして、苦しくなります。苦しくなると、次に水へ入るのが怖くなります。怖くなると体が固まり、浮きにくくなります。悪循環の始まりです。

そこで、口からブクブク、鼻からブクブク、口と鼻でブクブクと、泡を出す遊びにしていきます。大きな泡を出しても良いですし、小さな泡を長く出しても良いです。「今日は泡職人だね」くらいの軽い声かけで、子どもは少し笑います。プールの中に職人が誕生する瞬間です。弟子入り希望者は、たぶん親だけです。

大切なのは、ブクブクが出来たかどうかだけではありません。子ども自身が「息を吐くと楽だ」と気づくことです。親が十回言うより、自分の体で一回分かる方が、ずっと残ります。自由研究として記録するなら、「息を止めた時」と「ブクブクした時」の感じ方を比べるだけでも、立派な観察になります。

顔つけとブクブクに慣れてきたら、いよいよけのびです。けのびは、水泳の土台になる動きです。壁を蹴って、両手を前に伸ばし、体を細長くしてスーッと進みます。派手な動きではありませんが、泳ぎの世界では質実剛健です。見た目は静かでも、中身はしっかり働いています。

けのびが上手くなると、子どもは水の中で前へ進む感覚を掴めます。足をバタバタしなくても、腕をグルグル回さなくても、体の形が整えば水の上を進める。この気づきは大きいです。

けのびを自由研究にするなら、比べる材料がたくさんあります。顔を上げた時と下を向いた時。手を開いた時と揃えた時。体に力を入れた時と抜いた時。膝が曲がった時と足を伸ばした時。どれが遠くまで進むのかを試すと、子どもにも違いが見えやすくなります。

「下を向いた方が進んだ」「手をそろえた方が水を切る感じがした」「力を抜いたら、思ったよりスーッと行った」

こんな言葉が出てきたら、とても良い流れです。泳げるようになる前に、水の中で自分の体を扱う感覚が育っています。

顔つけ、ブクブク、けのびは、泳ぎの前の準備ではなく、泳げるようになるための本体です。

親はつい、バタ足やクロールに目が行きます。確かに見た目には、そちらの方が泳いでいる感じがします。けれど、顔つけが不安で、息が吐けず、体が浮く感覚もないままでは、どんな泳ぎも苦しくなります。家を建てる時に、屋根から作らないのと同じです。まず土台。水泳も土台が大事です。

学校の〇〇メートルという目標を考えると、早く距離を伸ばしたくなります。けれど、焦って長く泳がせるより、顔つけを落ち着いて出来ること、ブクブクで息を吐けること、けのびで数メートル進めることを大切にした方が、結果として距離へ繋がります。

顔つけ3秒。ブクブク5回。けのび2メートル。数字は小さくても構いません。その小さな数字が、子どもにとっての自信になります。昨日より少し顔が下がった。昨日より泡が長く出た。昨日よりけのびが伸びた。そんな変化を親が見つけてあげると、子どもは次も試したくなります。

夏のプールは、陽射しがキラキラして、子どもの声がよく響きます。その中で、まだ上手に泳げない子が、そっと顔を水につける。ブクブクと泡を出す。壁を蹴って少し進む。たったそれだけのことが、親の目には思った以上に大きな成長に見えます。

勇往邁進で一気に進む子もいますが、多くの子どもは少しずつ水と仲良くなります。その歩幅で大丈夫です。顔つけ、ブクブク、けのび。この3つを大切にすると、補習を遠ざける道は、怖い特訓ではなく、親子で発見を集める楽しい夏時間に変わっていきます。


第4章…〇〇mの壁は小さな成功を積んで越える

学校の水泳で「小学校〇年生は〇〇メートルを目指しましょう」と言われると、親子の目はどうしてもその数字に向きます。5メートルなのか、10メートルなのか、25メートルなのか。距離がハッキリしているほど、目標も分かりやすくなります。

ただ、その分だけプレッシャーも大きく生まれます。

子どもは「そこまで泳げなかったらどうしよう?」と思い、親は「夏休みの補習が入ったら予定が変わるな」と考えます。カレンダーを見ながら、旅行、帰省、宿題、自由研究、昼ご飯の献立まで頭の中で動き出します。そこへ水泳補習がスッと入り込んでくる。まるで冷蔵庫に入れたはずの麦茶が、何故か空になっていた時のような小さな衝撃です。犯人はだいたい家族です。いえ、決めつけはいけません。

けれど、〇〇メートルという壁は、最初から一気に越えようとしなくて大丈夫です。水泳が苦手な子にとって、10メートルや25メートルはとても遠く見えます。けれど、1メートル、2メートル、3メートルと分けて考えると、少し景色が変わります。

最初の目標は、距離ではなく「進めた感覚」を作ることです。

けのびで1メートル進めた。バタ足を足して2メートル進めた。顔を上げずに3メートル行けた。苦しくなる前に立てた。前より慌てなかった。

このような小さな成功が、〇〇メートルへ続く階段になります。水泳は一足飛びに上達するように見えて、実際には小さな感覚の積み重ねです。水を怖がらない。息を吐ける。体を浮かせられる。まっすぐ進める。疲れる前に止まれる。そこへ少しずつ距離が乗っていきます。

〇〇メートルの壁は、根性でぶつかるものではなく、1メートルずつ笑って近づくものです。

子どもにとって大切なのは、「あと何メートル足りない」ではなく、「今日はどこまで出来たか?」です。あと15メートル足りないと言われれば、心が萎みます。けれど、昨日より1メートル伸びたと言われれば、次も試したくなります。同じ距離の話でも、見せ方1つで気持ちは変わります。

自由研究として考えるなら、〇〇メートルをいくつかに分けて記録します。今日はけのびだけで何メートル進んだか。バタ足を足すとどれくらい伸びたか。顔を上げると体がどうなるか。途中で立つタイミングはどこが楽か?こうして調べていくと、距離はただの数字ではなく、自分の体の変化を見える形にしたものになります。

親の声かけも、少し工夫したいところです。

「もっと泳いで」より、「今の3メートル、前より落ち着いていたね」。「まだ短いね」より、「苦しくなる前にちゃんと立てたね」。「手が変だよ」より、「体が真っ直ぐになったら進み方が変わったね」。

子どもは、叱られて泳げるようになるより、気づいて泳げるようになる方が続きます。叱咤激励という言葉もありますが、水の中では少しやさしめが似合います。プールサイドで親の声だけが運動会の応援団になると、子どもは泳ぐ前に耳から疲れてしまいます。応援は大切ですが、音量は家庭用で十分です。

〇〇メートルを目指す時は、距離だけでなく休み方も大切です。子どもは楽しくなると続けたがりますし、親は出来た瞬間に「もう1回」と言いたくなります。けれど、疲れた体で無理をすると、フォーム(泳ぐ時の体の形)が崩れます。フォームが崩れると進みにくくなり、苦しくなって、水が嫌になりやすくなります。

短く試して、少し休む。出来たら終わる勇気を持つ。最後は気持ちよく上がる。

これも練習の一部です。名残惜しいくらいで終わると、次のプールの日に「またやってみようかな?」という気持ちが残ります。逆に、泣くほど疲れるまで続けると、次の水着を見るだけで顔が曇ることもあります。折角の夏なのに、水着が通知表のような顔をしてくる。これは避けたいところです。

〇〇メートルの壁を越えるには、泳ぎ方を増やすより、失敗の形を小さくすることも大事です。途中で立っても良い日を作る。顔を上げても笑ってやり直す。進まない理由を責めずに調べる。そうすると、子どもは挑戦しやすくなります。

「今日は5メートルで止まった」ではなく、「5メートルまでは落ち着いて進めた」と見る。「息継ぎで失敗した」ではなく、「息継ぎの時に体が横へ向きすぎたと分かった」と見る。「また沈んだ」ではなく、「顔を上げると足が下がると発見した」と見る。

この見方が、自由研究らしい明るさを作ります。

学校の目標があると、どうしても合格か不合格のように感じます。けれど、子どもの成長は白黒だけではありません。昨日より水の中で慌てなかった。昨日より長くブクブクできた。昨日より真っ直ぐ進めた。そういう小さな変化が、最後には距離となって表れます。

やがて、子どもが「あ、今ちょっと進んだ」と自分で分かる瞬間が来ます。その時の顔は、親が思っている以上に誇らしげです。夏の陽射しの中で、水面がキラッと光り、子どもが少し照れたように笑う。補習を避けるために始めた練習が、いつの間にか親子の成長記録になっている。そんな夏も悪くありません。

〇〇メートルは、たしかに目標です。けれど、その数字だけが夏の価値ではありません。小さな成功を積み、少しずつ水と仲良くなり、自分の体で進める喜びを知る。そこまで来れば、夏休みの予定表も、子どもの表情も、少しずつ晴れていきます。

焦らず、怯えず、油断せず。安全第一で、でも気持ちは明るく。〇〇メートルの壁は、親子で一歩ずつ近づけば、ちゃんと越えやすくなります。

[広告]


まとめ…補習を遠ざける夏は出来た喜びを集める夏になる

子どもの水泳は、見ている親の方がつい力んでしまうことがあります。学校の目標があり、〇〇メートル泳げないと夏休みに補習がある。そう聞くと、親の頭の中には、夏休みの予定表がパラパラとめくられます。帰省、買い物、昼ご飯、宿題、自由研究、洗濯物。そして、そこへ水泳補習。うん、予定表が少しだけ渋い顔をします。紙なのに顔をするのか、という話ですが、夏休みの予定表にはたまに感情があります。

けれど、補習を避けたい気持ちは、子どもを追い込むためのものではありません。少しでも気楽な夏にしたい。子どもに楽しい予定を残してあげたい。親も送迎や段取りに追われ過ぎず、家族の時間をゆったり使いたい。そういう自然な願いです。

その願いを明るく形にする方法が、水泳を自由研究のように扱うことです。

泳げるか、泳げないか。何メートル進んだか、進まなかったか。

そこだけを見ると、水泳はすぐに勝ち負けの顔になります。けれど、子どもの体の中では、もっと細かな変化が起きています。顔に水がかかっても前ほど驚かなかった。ブクブクと息を吐けた。けのびで少し進めた。バタ足を小さくしたら疲れにくかった。力を抜いたら体が浮きやすかった。

それは、どれも立派な発見です。

泳げるようになる夏は、〇〇メートルを越える夏である前に、子どもが自分の成長に気づく夏です。

この見方が出来ると、親の声かけも変わります。「まだ届かないね」ではなく、「昨日より落ち着いていたね」。「もっと頑張って」ではなく、「今の進み方、良かったね」。「どうして出来ないの?」ではなく、「何を変えたら楽になるかな」。この少しの違いが、子どもの心を軽くします。

水泳は、安全第一です。早く泳げるようにしたい気持ちがあっても、無理に潜らせたり、疲れているのに続けさせたり、怖がる気持ちを笑ったりしてはいけません。大人は先生になり過ぎるより、安全係と応援係でいる方が上手くいくことがあります。プールサイドの応援は、拡声器ではなく家庭の声で十分です。大音量にすると、子どもより先に周りの保護者さんが背筋を伸ばします。

水に慣れる。顔をつける。ブクブクと息を吐く。浮く。けのびをする。バタ足を足す。短い距離を進む。小さく記録する。

その流れを1つずつ積み上げていけば、〇〇メートルの壁は少しずつ近づいてきます。たとえすぐに目標へ届かなくても、子どもの中には「自分で試したら変わった?」という感覚が残ります。この感覚は、水泳だけでなく、宿題にも、工作にも、苦手なことへ向き合う時にも役に立ちます。

夏休みは、子どもが少しのんびりして、少し背伸びして、少し成長する季節です。水泳の補習を遠ざけるために始めた親子作戦が、気づけば自由研究になり、気づけば家族の思い出になる。そんな夏は、なかなか素敵です。

プール帰りの髪がまだ少し濡れていて、タオルは洗濯機へ直行。子どもは冷たい飲み物を飲みながら、「今日は前より進んだ?」と小さく笑う。親は「そうやね」と言いながら、心の中で大きく拍手する。派手な出来事ではありませんが、その一瞬には夏らしい充実感があります。

〇〇メートルの先にあるのは、補習の回避だけではありません。水を怖がっていた子が、水の中で自分の体を少し信じられるようになること。親が焦りを少し手放して、子どもの小さな前進を見つけられるようになること。そこに、この夏の本当の収穫があります。

ラクチンな夏休みを目指しながら、親子で水と仲良くなる。笑って試して、少し失敗して、また試す。そうして集めた小さな成功は、夏の終わりにきっと子どもの自信になります。

[ 広告 ]

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


[ 応援リンク ]

ブログランキング2つに参加しています。応援クリックをお待ちしております。

[ ゲーム ] 作者のitch.io(作品一覧)


  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。