森林の日に見つけたい~森は遠くても心は深呼吸できる~

[ 季節と行事 ]

はじめに…森へ行けない日にも緑はちゃんとこちらを癒やしてくれる

5月の光は、つい外へ出たくなる明るさをしています。若葉は柔らかく、風はサラリとしていて、木の傍を通るだけで胸の辺りが少し軽くなる。そんな日は「森まで行けたら気持ちいいだろうなあ」と思います。けれど暮らしはいつも、山紫水明の景色みたいにスッキリとは進みません。時間もいる、足元も気になる、虫もいる、トイレも心配、送迎も段取りも必要。考え始めると、外出前なのに会議だけが立派になることもあります。ああ、森よ、君はどうして少し遠いのか…と空を見上げたくなる日もあります。

それでも緑は、遠くの山にだけ住んでいるわけではありません。窓の向こうの木立、ベランダの鉢、庭先の葉影、写真の中の森、木漏れ日みたいな模様。人の心は、そういう小さな自然にもちゃんと反応します。じっと眺めているうちに、葉っぱの塊が犬の横顔に見えたり、幹の影が熊みたいに見えてきたりして、「あれ、あの木ちょっとプードルっぽくない?」と話が始まる。静かなようでいて、実は賑やかです。森は歩いて味わうだけの場所ではなく、見つめて、想像して、分かち合って楽しむ場所でもあるのでしょう。

森は遠くても、心の深呼吸は案外すぐ傍で始められます。

5月20日の森林の日は、木の多さを数える日というより、暮らしの中にある緑の力を思い出す日にするとちょうど良さそうです。高齢者施設でも、ご家庭でも、外へ大きく出かけなくても、森の気配は呼び込めます。静かに眺める時間、耳を澄ます時間、誰かと「何に見える?」と笑い合う時間。その1つ1つが、気持ちをほどき、今日を少し優しくしてくれます。そんな小さな森林浴の楽しみ方を、ここから一緒に歩いていきましょう。

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第1章…森林はどうして気持ちいいのか?~木の香りと光がくれる静かな効能~

森林が気持ちいいのは、気のせいではありません。けれど、その心地良さを「マイナスイオンのひと言で全部説明できます」としてしまうと、森にちょっと失礼です。森の魅力は、もっと重なり合っています。木漏れ日がちらちら揺れること、風が葉を鳴らすこと、土や木の香りが鼻に入ること、視界の中に緑が多いこと、歩く速さが自然とゆっくりになること。これらが静かに合流して、心と体に「まあ、少し肩の力を抜いても良いですよ」と声を掛けてくるのです。山紫水明の景色そのものが、無口なのによく働く名脇役みたいなものです。

人の体には、自律神経(体のアクセルとブレーキみたいな働き)があります。忙しい日が続くと、この切り替えが雑になりやすく、頭は働いているのに心だけ置いてけぼり、ということが起きます。そんな時、森の光や音や香りは、急に背中を押すのではなく、乱れた歩幅をそっと揃えてくれます。派手さはないのに、こういう働きは侮れません。豪華絢爛なご褒美旅行でなくても、木を眺めて「はぁ」と息を吐く時間があるだけで、人は少し立て直せます。気分転換に大金も大遠征もいらないとなると、木々の方がこちらよりよほど堅実です。

森の香りにも、ちゃんと理由があります。よく知られているものにフィトンチッド(木が出す香り成分の1つ)があります。これだけが主役ではないにしても、緑の中で「何だか落ち着く」と感じる一因にはなっています。さらに、木の幹や葉の形は不規則で、同じ並びがほとんどありません。このほど良い複雑さが、目を疲れさせ過ぎず、ぼんやり見るのに向いています。四角い画面や直線だらけの部屋で頑張ってきた目には、森の曖昧さがむしろ優しいのです。きっちりしていないものに救われるなんて、人間もなかなか勝手ですが、そこがまた可愛いところです。

森の気持ち良さは、1つの正解ではなく、光と音と香りと余白が一緒に働くことで生まれます。

しかも森は、何かをしろと急かしてきません。走れとも、鍛えろとも、前向きになれとも言わない。ただそこにあって、見る人の呼吸に合わせてくれる。その受け身の優しさが、日々の暮らしには意外と効きます。頑張る元気がある日には背中を広く見せてくれるし、くたびれた日には「今日は座って眺めるだけでどうぞ」と言ってくれる。そう考えると、森林浴は特別な趣味というより、気持ちの衣替えに近いのかもしれません。派手ではないけれど、着替えた後に少し楽になる。あの感じです。


第2章…高齢者施設と森の距離~出掛けなくても味わえる優しい緑時間~

高齢者施設で「森林を楽しむ」と聞くと、つい山道や遊歩道を思い浮かべます。けれど現実には、足元の段差、車椅子の動きやすさ、気温、虫、トイレ、水分補給、戻る時間まで考える必要があります。自然は優しい顔も見せてくれますが、油断すると情け容赦がありません。安全第一で考えるなら、「森の中へ入る」ことだけが正解ではないのです。むしろ、無理なく楽しめる距離まで森の方に近づいてもらう発想の方が、施設の暮らしにはよく合います。

窓の向こうに大きな木が見えるだけで、部屋の空気は少し変わります。中庭の緑、玄関先の植木、送迎の車窓から見える木立、壁に映した森林の写真や映像、木の葉の模様が入った布や飾り。こうしたものは小さく見えて、侮れません。人は目に入る景色から思った以上に影響を受けますし、音や香りが加わると、その場の気分はさらに動きます。風が葉を鳴らす音に耳を澄ませたり、木の写真を見ながら「この道は涼しそうやね」と話したりするだけでも、心はちゃんと外へ伸びていきます。千差万別とはよく言ったもので、歩きたい人もいれば、座って眺めたい人もいる。だからこそ、全員を山へ連れて行くより、全員が触れられる緑を用意する方が、ずっと優しいのかもしれません。

施設での緑時間は、派手な行事でなくて大丈夫です。朝の光が入る窓辺に椅子を寄せる、午後の柔らかい時間に植物を囲んでお茶を飲む、葉っぱの写真を見ながら「何に見えるか?」を話す。そこに歌が入っても良いし、回想が混ざってもいい。「昔は山へよう行った」「杉の匂いで季節が分かった」そんなひと言から、思い出がするするとほどけることもあります。外出レクのような大仕事でなくても、緑はちゃんと会話を生みます。職員側も「今日は森へ出発です!」と気合満々にならなくて良いのが助かるところで、準備で息切れしていたら癒やしの前にこちらが森林不足です。

高齢者施設の森時間は、遠出のご褒美より、日々の中に静かに差し込む“緑の余白”の方が長持ちします。

本物の森へ行ける日があれば、それはもちろん嬉しいことです。でも、行ける日だけが特別なのではありません。行けない日にも、眺める、聞く、思い出す、見立てる、話す、笑う。その積み重ねが、施設の中に小さな木陰を作っていきます。豪快なレクリエーションではない分、気負わず続けやすいのも魅力です。緑の力は、遠くの山に置いてくるものではなく、暮らしの傍へ連れてこられる。そう思うと、森林の日は少し身近になります。

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第3章…葉っぱの中の動物園~森を眺めるだけで始まる見立ての楽しみ~

森をじっと見ていると、不思議なことが起こります。最初は「木があるなあ」「葉っぱが揺れてるなあ」で終わっていた景色が、数分後には「ちょっと待って、あの枝、キツネの鼻先に見えない?」に変わるのです。さらに見ていると、隣の影がタヌキになり、曲がった幹が熊の横顔になり、丸い葉の塊が何故かプードルの顔っぽく見えてくる。こちらは真面目に眺めているだけなのに、森の方が勝手に動物園を開いてくるのだから油断できません。静寂閑雅の景色のはずが、頭の中だけ急に賑やかになる。この感じが、何とも楽しいところなのです。

こうした見え方には、ちゃんと名前があります。パレイドリア(バラバラの模様や影が顔や生きものに見える現象)と呼ばれるものです。雲が犬に見えたり、壁のしみに人の顔を感じたりするのも仲間です。つまり、森の中に動物の顔を見つけるのは、特別に変わった感性というより、人の脳の柔らかな働きの1つ。見つけた瞬間に「自分だけかな」と思わなくて大丈夫です。むしろ、見つける力がちゃんと動いている証拠とも言えます。人の目は、ただ景色を受け取るだけではなく、意味や物語を足して楽しむように出来ているのでしょう。

この見立て遊びは、高齢者施設でもとても使いやすい楽しみ方です。正解がいらないからです。「これは犬です」「いや鹿です」と言い張っても誰も困らないし、「私は焼き魚に見える」と突然食卓へ着地しても、それはそれで話が広がります。むしろ、その自由さが良い。記憶力勝負ではなく、感性で参加できるので、声を出しやすい人も、少し控えめな人も入りやすいのです。森の写真を一枚出して、「何に見える?」と問い掛けるだけで、談話室が小さな探偵事務所みたいになります。名推理より珍推理の方が拍手されるのも、こういう時間の良いところです。

森は“見る場所”であると同時に、“想像して笑い合う場所”でもあります。

しかもこの遊びは、心をほぐすだけでなく、その人らしさもそっと見せてくれます。犬を見つける人、鳥を見つける人、顔ばかり探す人、食べ物に寄っていく人。どれも間違いではなく、「その人の見方」が出ています。森を前にすると、人は少し子どもみたいになります。あれこれ考えるより先に、「見えた」が口をついて出る。天真爛漫というには少し大人の照れも混じりますが、その照れ込みで笑いが生まれるのもまた良い時間です。森林の日に森を語るなら、癒やしだけで終わらせず、この“見立ての面白さ”まで拾いたいところです。木々は黙って立っているのに、話題だけは次々くれる。随分と気前の良い相手なんです。


第4章…窓辺から出来る森林浴~暮らしの中に小さな森を呼びこむ工夫~

森林の楽しみ方は、何も本物の山へ行くことだけではありません。むしろ暮らしの中に少しずつ森を招く方が、長く続いて、気持ちも馴染みます。窓辺に緑を置く、木の見える席を作る、葉の揺れる映像を流す、鳥の声や風の音をそっと添える。そんな小さな工夫でも、部屋の空気はフッと変わります。人の心は案外と素直なところで、目に入る色や耳に入る音が和らぐだけで、肩の辺りが少し軽くなるものです。大がかりな演出でなくてよく、静かな森林浴は意外と身近なところです。

施設やお家でやるなら、五感をバラバラに頑張らせるより、1つか2つを優しく使うくらいがちょうど良いでしょう。緑の布や写真を飾った日に、木の香りに近い穏やかな香りをほんの少しだけ添える。窓から入る光で葉影が揺れそうなら、それだけでも立派な森時間です。お茶の湯気まで加わると、もう気分は半分木陰です。とはいえ、張り切って部屋中を森仕様にし過ぎると、今度は職員さんが「この枝どこに片づけるの問題」に追われかねません。癒やしを作るはずが裏で大掃除大会になったら、木々もきっと申し訳なさそうです。ほどほどの余白が、こういう時間にはよく似合います。

緑を眺めるだけで終わらせず、ちょっとした遊びを添えると、さらに場が和らぎます。葉っぱの写真を見て「何の動物に見えるか」を話しても良いですし、木の名前を当てるより「この木はどんな性格か」を勝手に決めても面白い。まっすぐ立っている木を見て「真面目そう」、横に広がる枝を見て「世話焼きっぽい」、丸い葉を見て「おやつ好きかも?」と笑い合う。十人十色の答えが出るので、正解探しにならず、会話が自然と続きます。森を再現するというより、森に寄せて心をほどく。そんな柔らかいやり方が、毎日の場には向いています。

森は持ち運べないけれど、森らしさは暮らしの中へ少しずつ連れてこられます。

そして何より大切なのは、その場にいる人に合わせることです。香りが好きな人もいれば苦手な人もいますし、映像が楽しい人もいれば本物の鉢植えに触れたい人もいます。静かに見たい日もあれば、今日は歌いたい日もある。だから森林の時間も臨機応変でいいのです。毎回きっちり決めなくても、「今日は窓辺で五分だけ」「今日は緑の写真を見ながらお茶だけ」でも十分です。晴耕雨読ではありませんが、晴れた日は外の木を見て、雨の日は部屋の中で森を想う。そのくらいの気軽さが、一番長続きします。森林の日は、遠出の予定表に書き込む日というより、今日の暮らしに木陰を足してみる日なのかもしれません。

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まとめ…森林の日は遠出の日ではないけど~心に木陰をつくる日に出来る~

森林の日と聞くと、大きな木々の間を歩く特別な1日を思い浮かべるかもしれません。けれど森の良さは、遠くまで出かけた人だけのものではありませんでした。窓の外の緑を眺めることも、葉の影に動物の顔を見つけて笑うことも、木の気配を部屋に少し招き入れることも、どれも立派な森との付き合い方です。森林は「行く場所」である前に、心をゆるめるキッカケになってくれる存在なのだと思います。

灯台下暗しということわざのように、求めていた癒やしは、思っていたより近くにあるのかもしれません。施設でも、ご家庭でも、壮大な計画がなくて大丈夫です。緑を見る、風を感じる、香りを楽しむ、誰かと「何に見える?」と話す。その繰り返しが、日々の暮らしに小さな木陰を増やしてくれます。気合い十分で山へ向かう日があっても良いですし、今日は椅子に座って窓の木を眺めるだけでも十分です。森は、頑張る人を選ばず、静かに迎えてくれます。

森は遠くのご褒美ではなく、今日の暮らしを少し優しくする身近な味方です。

5月20日の森林の日は、自然の偉大さを語る日でもありながら、自分の暮らしの中にどれだけ緑の余白を作れるかを楽しむ日でもあります。ほんの少し目を上げるだけで、景色は変わります。ほんの少し耳を澄ますだけで、気持ちも変わります。そう思うと、森は広大なのに親しみやすくて、まるで気前のいいご近所さんみたいです。今日のどこかに、あなたらしい森林浴の入口が見つかりますように。

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