5月1日コインの日~お金が前に出過ぎる時代に“人としての厚み”を守れるか?~

[ ケアマネの流儀 ]

はじめに…コインは小さいのに心の景色を変えてしまう?

結論から言うと、お金そのものが悪さをするのではなく、お金が人より前に立ち始めた時、仕事も暮らしも少しずつやせていくのだと思います。

財布の中のコインは、手の平に乗せるとびっくりするほど小さいです。なのに、その小さな丸い金属が、病院の待合室でも、介護の相談の場でも、スーパーの棚の前でも、こちらの気持ちをグイっと引っぱってきます。今日はこれで足りるかな、いや足りないか、なら何を戻そうか。豆腐は買うのに、お菓子はあきらめるか。いや待って、今日は自分も少しくらい甘やかしたい。そんな一進一退の小会議が、夕方の買い物カゴの前でシレっと開かれるわけです。

医療も介護も、本来は人を支えるためのものです。けれど現実には、診療報酬(医療のサービスに対して支払われる公的なお金)や介護報酬(介護保険サービスに対して支払われる公的なお金)という仕組みの中で動いています。暮らしを守るための制度なのに、数字や効率や件数が前に出てきた瞬間、どこかで本末転倒になりやすい。親切が作業に見えたり、相談が流れ作業に見えたり、丁寧なはずの言葉が妙によそよそしく聞こえたりすることがあります。人の手の仕事なのに、手触りだけが先に薄くなる。そこが何とも切ないところなのです。

買い物でも似たことが起こります。本当は食べたい物があるのに値札で引き返す。子どもに合いそうな学びの場があっても月謝で足が止まる。少し良い靴、少し良い寝具、少し良い食材。どれも贅沢品とまでは言えないのに、いざ目の前に来ると「また今度で」と棚へ戻してしまう日があります。あれは節約上手というより、心の中で静かに右往左往している時間なのかもしれません。

その一方で、世の中には桁の違うお金の話が平然と流れてきます。こちらは特売の卵を見て一喜一憂しているのに、向こうでは目の玉がもう1つ欲しくなるような巨大な数字が軽やかに踊っている。つい「その金額、一旦、米と味噌に換算してから話してくれませんか?」と心の中で小さくツッコみたくなることもあります。笑って流したいのに、流しきれない日があるのも人情です。

それでも、暗い顔のままコインを見つめ続けたいわけではありません。急ぐ時代でも、削られやすい毎日でも、人の厚みまで手放さずに暮らす道はちゃんと残っています。1つだけ丁寧にすること。ひと呼吸だけ立ち止まること。値段だけでなく納得も少し混ぜて選ぶこと。そんな静かな工夫は、派手ではない分、案外、しぶとく効いてきます。コインの日は、お金を数える日というより、人のぬくもりを減らさない工夫を思い出す日にしたくなります。

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第1章…命の傍に数字が立つ時

病院という場所には、独特の静けさがあります。廊下は白く、足音は控えめで、時計の針だけが妙に仕事熱心です。待っている側は「早く呼ばれないかな」と思い、働いている側は「遅れないように回さないと」と思う。この時点でもう、同じ建物の中で気持ちは一進一退です。人を助ける場所なのに、空気がほんの少しだけ急いでいる。あの感じ、身に覚えのある方も少なくないのではないでしょうか。

医療の現場に数字があること自体は、何もおかしなことではありません。空床数も必要ですし、検査の順番も必要です。診療報酬(医療サービスに支払われる公的なお金)も、病院を回す上では欠かせません。薬も機械も人件費も、「気合いで何とかします」では済まないのが現実です。そこは百も承知です。承知しているのですが、数字が後ろで支える役ではなく、前で腕組みを始めた瞬間に、空気が少し変わります。何だか人が数字に合わせに行くような、本末転倒の臭いがしてくるのです。

入院する人は、数字ではありません。家に帰りたい人、痛みで眠れない人、説明を聞いても頭に入らない人、不安でトイレが近くなる人、付き添いの家族に「大丈夫」と言いながら全然大丈夫じゃない人。そういう気持ちは、画面の端には表示されません。画面に大きく病床の稼働率は見えても、「昨夜ほとんど眠れなかった」は見えにくい。平均在院日数(どれくらいの期間入院しているかの目安)は出ても、「この人は家の段差が怖い」は数字になりません。数字は便利です。でも便利過ぎるものは、時々、大事なものを隅へ押してしまいます。

ここで厄介なのは、誰か1人が冷たいという話ではないところです。多忙な現場で、限られた時間と人手の中、目の前のことを回すだけでも四苦八苦です。説明は短く、移動は早く、記録は正確に。スタッフさんだって本当はもう少し話を聞きたいのに、次の呼び出しが来る。点滴の確認、急変対応、家族への連絡、書類、会議。気づけば「丁寧でありたい自分」と「遅れたくない現実」が、廊下の角で軽くぶつかっています。人の心が先に擦り減るのも無理はありません。

けれど、ここで全部を冷たい話にはしたくないところです。病院で救われる場面は、今もちゃんとあります。説明の最後に「何か気になることはありますか?」と目を見てくれる人。忙しいのに、ベッドの高さを1つ下げてくれる人。家族が言葉に詰まった時、急かさず数秒待ってくれる人。あの数秒は短いようでいて、受け取る側にはとても長く残ります。命の傍で本当に人を支えるのは、数字の正確さだけではなく、数字では測れない手間の方だったりします。

何でもかんでもゆっくりやれたら理想です。けれど現場はそんなに甘くありません。だからこそ、全部を完璧にするのではなく、どこか1つだけ人を前に置く。その感覚が大切なのだと思います。説明を一文だけ増やす。返事を半拍だけ待つ。名前を呼ぶ時に、声を少しだけ柔らかくする。大きな改革ではありません。けれど、こういう小さな選び方が積み重なると、病院は「処理される場所」ではなく、ちゃんと「支えられる場所」に戻っていきます。

数字は大事です。経営も必要です。けれど、命の傍では病室という椅子取りゲームをしてほしくない。数字には後ろで支えてもらい、人には前で向き合ってもらう。その席順が崩れた時、人は敏感に息苦しさを感じ取ります。反対に、その席順が守られた時は、同じ白い廊下でも少しだけ安心して歩けるものです。空床だらけになる自然な日があっても不思議じゃないじゃないですか。困り事が少ない頑張った平穏無事の証拠です。


第2章…職業倫理は悪意より忙しさと経営圧で削られる

介護の仕事は、人の暮らしを整える仕事です。そう聞くと、何だか優しい湯気が立ち昇るようですが、現場はそんなにふんわりしていません。電話は鳴る、予定はズレる、書類は増える、訪問の道は混む、印刷機は何故か忙しい朝に限って紙を噛みます。こちらは「そこで詰まるんかい!」「紙切れ?」と心の中で小さくツッコみつつ、表情だけは平静を保つので精一杯です。誠心誠意で動きたいのに、日々の仕事はなかなか波乱万丈です。

ケアマネジャーの仕事も、その渦の真ん中にあります。アセスメント(暮らし全体を見立てること)をして、ケアプラン(支援の設計図)を組み、モニタリング(定期的な状況確認)をして、必要があればサービス担当者会議(関係者で支援内容を話し合う場)を開く。文字にすると整って見えるのですが、現実にはその合間に急な連絡が入り、家族の気持ちは揺れ、事業所の空き状況は動き、本人の体調も昨日と今日で違います。人の暮らしは千差万別ですから、型通りで済む日はむしろ少なめです。

ここで考えたいのは、職業倫理がどこで痩せていくのか?ということです。悪い人が増えたから、ではないと思うのです。もちろん不誠実な対応は困りますし、雑な説明に傷つくこともあります。ただ、多くの場合はもっと地味です。件数、移動、記録、連絡、締切、法人の方針、見えない期待、言われなくても伝わってくる空気。そういうものが重なって、ジワジワと仕事の厚みを削っていく。派手な音はしません。雨どいから水が少しずつ落ちるように、静かに削れていきます。言った言わないで誤魔化せるくらいの裏方でコソコソ、ネチッこい感じです。

介護報酬(介護保険サービスに支払われる公的なお金)の仕組みの中で仕事をする以上、「何も入れないより、何か1つでも動かした方が回りやすい」という空気が生まれやすいのも、いかにも現実です。必要な支援につながるなら良いのです。けれど、支援を考える順番より、回る形を先に探し始めると、暮らしの主役が入れ替わります。本人の困り事より、予定に入るか?家族の思いより、仕組みに乗れるか?そうなると、相談はいつの間にか「一緒に考える時間」から「上手く懐に収める作業」へ姿を変えてしまいます。

職業倫理を最初に削るのは、悪意より先にやってくる時間切れと経営圧なのかもしれません。

しかも厄介なのは、本人も途中で気づきにくいところです。最初は「今日は忙しいから仕方ない」という緩みです。次は「このくらいなら許されるかな」という誤魔化しになります。その次は「みんなこうしてるし」職業団体の意見かというような声に変わる。気づけば、前なら引っかかっていた言い回しに引っかからなくなり、前ならもう一歩聞いていた話を早めに切り上げるようになる。人は急ぎ続けると、優しさまで時短し始めるのだなと、何とも言えない気持ちになります。

けれど、ここでも救いはあります。職業倫理は、立派な標語だけで守られるものではありません。むしろ、ちょっとした習慣で持ちこたえることがあります。訪問の最後に「何か1つ気になることは残っていませんか?」と聞く。説明を短くする日でも、語尾だけは投げない。サービスを勧める前に、「それが本当に今の暮らしに必要で合っているか?」と胸の中で一回だけ問い直す。全部は無理でも、1つなら守れる。仕事の誇りは、そういう小さなところにまだ残れます。

介護も医療も、人の弱り目の近くに立つ仕事です。そこにいる人が「この人、忙しいんだろうな」と感じることはあっても、「私は流れの中で片付けられたな」と感じてしまったら、もう十分に寂しい出来事。支援の価値は、値段や回数だけで決まるものではありません。人の話をどう受け止めたか、迷いにどう向き合ったか、急ぐ中でもどこを急がせなかったか。そういう見えにくい部分が、後からジワっと効いてきます。職業倫理は立派な額縁に入れて飾るものではなく、忙しい日ほど机の端に置いておきたい小さな常備薬のようなものなのだと思います。

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第3章…見える値札と見えない時間が暮らしを細くする

スーパーの棚の前ほど、人生の縮図が並んでいる場所はないのかもしれません。きゅうりを手に取り、戻し、豆腐を見て安心し、肉の値札で一瞬だけ天を仰ぐ。いや、天を仰いでも値段は下がりません。下がらないのですが、人はつい「見間違いであってくれ」と心の中で再計算してしまいます。買い物カゴは軽い方が腕には優しいのに、気持ちにはなかなか厳しい。そんな一喜一憂が、日々の食卓の入口で静かに起きています。

見えるお金は分かりやすいです。値札がありますし、レシートにも残ります。今月の出費が多かった、少し抑えよう、今日は特売で助かった。数字で見える分、まだ話し合えます。厄介なのは、見えないお金の方です。移動にかかる時間、送り迎えの段取り、休んだ仕事の分の気疲れ、調べ物に使った夜の一時間、安い店を回って歩いた足の疲れ。家計簿には載りにくいのに、暮らしの体力をしっかり削っていく。こちらはレシートが出ないので、うっかり「気のせいかな」で済まされがちです。

子どもの学びもそうです。学習塾に通わせたい、習い事を続けさせたい、合う先生に出会わせたい。そう願っても、月謝、教材費、送迎、時間割、兄弟の予定が並ぶと、机の上はたちまち四苦八苦の作戦会議になります。やらせたい気持ちと、続けられる現実は、仲が良いようでいて時々、喧嘩します。しかも子どもの前では平静を装うので、大人の胸の中だけがやたら忙しい。親というのは、何とも器用なようで不器用な役回りです。

介護が重なると、この見えない出費はさらに増えます。通院の付き添い、電話のやり取り、書類の確認、親の体調に合わせた予定変更。お金そのものより先に、時間と気力が先払いされる日があります。しかも、その場では「家族だからね」で済ませられやすい。家族だからこそ頑張るのですが、家族だからといって疲れが消えるわけでもありません。家の中のことは、外から見るよりずっと手数が多い。炊飯器のボタン1つ押す前にも、頭の中では何品目かの段取りが走っています。人知れず忙しいとは、ああいう感じを言うのでしょう。

値段が安ければ安心かというと、話はそんなに単純でもありません。安いから選んだのにすぐ傷む、結局買い直す、却って高くつく。昔から「安物買いの銭失い」と言いますが、あのことわざは妙に現実的です。けれど毎回良い物ばかりも選べない。そこにまた悩みが生まれます。食べ物も日用品も、安さ、量、質、使いやすさ、その全部を満たすものはなかなか見つかりません。世の中はもう少し手加減してくれても良いのに、と言いたくなる夕方もあります。

こういう時、心まで細くならないためには、「全部きっちり正解を選ぶ」から少し降りた方が楽なことがあります。今日は安さを優先する日。今日は疲れているから手間を減らす日。今日は少しだけ納得を優先する日。そうやって日ごとに基準を決めると、買い物も暮らしも少し呼吸がしやすくなります。毎回満点を狙うと、財布より先に心がヘトヘトになります。大人の暮らしは、意地を張る場面より、配分を考える場面の方が多いのかもしれません。

暮らしを細くするのは、値札そのものより、値札の前で何度も気持ちを引っ込める習慣なのだと思います。

だからこそ、小さくても「引っ込めない日」を残したいのです。家族で食べる好きなおかずを一品だけ守る。どうしても必要な学びにはお金と時間を回す。全部は無理でも、全部を諦める必要もありません。暮らしは節約だけで立つものではなく、納得と満足が少し混ざると不思議と長持ちします。お金の話は冷たくなりやすいのに、使い方の中にはちゃんと体温がある。そのことを忘れないだけでも、買い物袋の重さは少し違って感じられます。


第4章…急ぐ時代でも人の厚みを減らさない小さな一手

では、こんな息苦しさの中で何をしたらいいのでしょう。世の中の仕組みを一気にひっくり返す、という話ではありません。そんなことを考え始めると、こちらの夕飯の味噌汁が先に冷めます。しかも、冷めた味噌汁は地味に寂しい。いや、夏には嬉しいこともあるのですが…。だから暮らしの中では、もっと身近で、もっと静かで、けれどちゃんと効く一手が向いています。

その一手は、とても地味です。急いでいる時ほど、1つだけ丁寧にする。たったそれだけです。拍子抜けするくらい小さな話ですが、こういうことほど侮れません。人は忙しいと、全部を雑に扱いがちです。説明も短く、返事も早く、判断も流れ作業になりやすい。けれど、全部を丁寧に出来ない日でも、1つだけなら守れます。言葉を1つ柔らかくする。相手の話を最後まで切らずに聞く。買う前に「本当に要るかな」と一度だけ胸に聞く。断る時に投げるような言い方をしない。これだけでも、空気は随分と変わります。

医療でも介護でも、そして家の中でも、良い仕事や良い暮らしは大きな理想から生まれるとは限りません。むしろ、一朝一夕では身につかない小さな所作が、後から効いてきます。訪問の最後に一言を添える。家族に話す時、正論をぶつけずに順番を整える。スーパーで安さだけに飛びつかず、今日は何を優先する日かを決める。人は選ぶことが多過ぎると疲れます。だからこそ、自分の中に小さな基準を持っておくと、気持ちが散らかりにくくなります。

この基準は、綺麗でなくても大丈夫です。「今日は時間を守る日」「今日は気持ちを守る日」「今日は財布を守る日」。そんなふうに、その日の主役を1人だけ決める感じです。全部を守ろうとすると、最後は何も守れずに終わる日があります。家事でも介護でも仕事でも、欲張るほど手元がもつれます。洗濯物をたたみながら明日の予定を考え、電話しながら冷蔵庫の在庫を思い出し、気づけば自分の休憩だけ消えている。ありますよね、あの「私の時間だけ神隠しに遭ったのかな」という感じ。あれを防ぐにも、主役を1つに絞るのはなかなか有効です。

もう1つ大切なのは、納得できる場面を少しだけ残すことです。何でもかんでも安い、早い、無難で揃えると、暮らしは便利なのに乾きやすくなります。食卓に好きな一品を残す。相談の場で1つは本音を言う。忙しい日でも、相手の名前をちゃんと呼ぶ。そんな小さなことが、柔和温厚とまではいかなくても、心の角を少し丸くしてくれます。お金や時間の圧は消えません。それでも、人の厚みまで削り取られないように、こちらが先に手を打つことはできます。

職業倫理も同じです。大きな理念を立派に語るより、「この一件だけは雑にしない」と決める方が、現場ではずっと頼りになります。良い人であろうとするより、急ぐ日ほど雑にならない工夫を持つ。完璧ではなくても、そこには十分に誠実さがあります。人を支える仕事は、光り輝く場面より、地味な積み重ねの方が長く残ります。暮らしもまた同じです。派手な逆転劇はなくても、毎日の選び方で空気は少しずつ変わります。

結局のところ、お金が前に出過ぎる時代に抗う方法は、お金を無視することではありません。必要なものは必要として見つめつつ、その上で人のぬくもりに関しては手を抜かないことです。忙しいから雑で仕方ない、とは決めない。高いから全部あきらめる、とも決めない。急ぐ中でも、1つだけは丁寧にする。そんな静かな反撃は、目立たない分、息が長く保てるのです。気づけば、その小さな一手が仕事の空気を変え、家の空気を変え、自分の表情まで少し柔らかくしてくれます。

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まとめ…コインを数える日から人のぬくもりを守る日へ

コインの日と聞くと、何だか軽やかな響きがあります。けれど暮らしの中のコインは、時にズシリと重く感じられます。病院でも介護でも買い物でも、お金や時間や経営の圧が前に出過ぎると、人の仕事は薄くなり、言葉は乾き、表情までくたびれて見えてきます。そんな光景に触れるたび、「何だかなあ」と肩が落ちる日もあります。人は満身創痍の時ほど、景色まで灰色に見えやすいものです。

それでも、毎日は案外しぶとく出来ています。仕組みの大きさにため息が出ても、今日の一言、今日の選び方、今日の丁寧さまでは取り上げられません。急いでいる日ほど、1つだけ丁寧にする。本当に必要かを一度だけ確かめる。値段だけでなく納得も少し混ぜて選ぶ。そういう小さな所作は、派手ではなくても、仕事の空気や家の空気をジワリと変えていきます。回り道に見えて、実はこれが一石二鳥になることも多いのです。相手が救われ、自分の気持ちも荒れにくくなるのですから、なかなか侮れません。

お金を無視して生きることはできません。医療にも介護にも経営は要りますし、家計にも現実があります。そこを見ないフリすると、今度は足元からグラリときます。けれど、お金を主人にしない工夫はできます。数字は後ろで支えてもらい、人は前で向き合う。その席順を守るだけで、暮らしは随分と呼吸しやすくなります。立派な改革でなくても大丈夫です。日々の中で人の厚みを一枚抜かない。その意識こそが、静かで品のある抵抗になります。

コインの日は、お金を数える日というより、人のぬくもりを減らさずに暮らす知恵を思い出す日にしたいものです。財布の中身が急に増えなくても、言葉の柔らかさや手のかけ方は今日からでも、少しずつでも変えられます。急ぐ時代の中で、それでも人らしさを手放さない人は、きっと思っている以上に周りを明るくしています。コインの丸さを眺めながら、こちらの心まで角ばらせなくていい。そう思えるだけでも、明日の表情は少し軽くなります。

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