座っていても夏祭りの主役です!~車いすも椅子も手拍子も盆踊りの輪に入れる優しい工夫~

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…踊れない人はいない~楽しみ方が違うだけ~

赤や黄色の提灯がゆらりと並び、壁には涼しげな金魚とうちわの飾り。いつもの高齢者施設のホールに音頭が流れ始めると、職員の足取りまで少し軽くなり、「今日は祭りですよ」と声をかける表情にも自然と笑みが浮かびます。夏祭りというのは不思議なもので、屋台がなくても、櫓がなくても、太鼓の音と飾りが少しあれば、心だけはちゃんと浴衣を着て出かける準備を始めるものです。

けれど、盆踊りの時間になると、ふと気になる景色があります。立って踊れる方は職員と一緒に輪の中へ進み、車いすの方や長く椅子で過ごす方は、少し離れた場所から拍手を送る役になっている。もちろん、安全を考えてのことですし、無理をしてもらわない配慮も大切です。それでも、「見ているだけで十分ですよ」と微笑む方の手元に、使われないままのうちわが置かれていたら、少しだけ立ち止まって考えたくなります。

本当に、その方は踊れないのでしょうか?足で輪の中を歩けなくても、手首でうちわを返すことは出来ます。両手を大きく動かせなくても、膝の上で拍子を取ることは出来ます。声が出にくくても、懐かしい音頭に目を細める表情は、周りの人を十分に温かくしてくれます。

盆踊りは、立って歩く人だけの晴れ舞台ではなく、その人らしい動きや思い出で参加できる夏の輪なのです。

車いすだから端の席、椅子だから見学役、と決めてしまうのは少し早いかもしれません。うちわ一枚、声かけ一つ、席の並べ方を少し工夫するだけで、祭りの景色は変わります。介助されることの多い方が、昔覚えた踊りを職員に教える先生になることだってあります。そうなれば、職員は楽しませる側のつもりが、いつの間にか「先生、手の返しはこうですか?」と弟子入りです。夏祭りの役割分担、なかなか油断できません。

和気藹々とした時間は、派手な催しから生まれるとは限りません。誰かを輪の外に置かず、「あなたも一緒に楽しめますよ」と自然に招くことから、心に残る一日は始まります。座ったままでも笑顔で主役になれる盆踊りを、今年の夏はゆっくり育ててみませんか?

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第1章…「見ているだけでええよ」と笑った澄子さんのうちわ

その日の午後、ホールの空気はいつもより半歩ほど浮かれていました。

食事の時間には落ち着いた色のエプロンが並び、体操の時間にはテレビ画面に合わせて腕を上げる、見慣れた日常の場所です。それが今日は、天井から赤や橙色の提灯が下がり、柱には朝顔の折り紙、窓際には金魚を描いた飾りが並んでいます。職員が朝から貼ったり吊ったりしていた成果が、音頭の流れた瞬間にようやく「祭りの景色」になりました。

「ええなあ。昔は、日が暮れたら子ども連れてよう行ったわ」

「この歌、まだ覚えてるで。踊れるかは知らんけどな」

そんな声があちらこちらから聞こえ、普段は食後にウトウトしがちな方まで、今日は目がパッチリしています。祭りの気配には、人の記憶の引き出しを勝手に開けてしまうところがあります。本人が探しに行かなくても、提灯の色や音頭の節回しが、忘れかけていた夕暮れの道を連れて来てくれるのです。

やがて、職員の一人がホールの中央に出ました。水色のはっぴを着て、頭には少し斜めにズレた鉢巻き。鏡を見た時は決まっていたはずなのに、準備で走り回った結果、ちょっとだけ「祭りの若衆」ではなく「急いで荷物を運んできた人」寄りになっています。本人は気づいていません。こういう時は、楽しそうならそれで良いのです。

「皆さん、お待たせしました。盆踊りを始めましょう。立って踊れる方は、職員と一緒に前へどうぞ!」

その声に、数人の利用者さんが笑顔で身体を動かし始めました。手すりに掴まりながら立ち上がる方、職員の腕を借りて一歩ずつ進む方、椅子から立っただけで「もう踊った気分や」と笑わせる男性。ホールの中央には、ゆっくりと小さな輪が出来ていきました。

音頭に合わせて、右へ一歩。左へ一歩。手を上げて、ゆっくり下ろす。

動きは揃っていなくても構いません。少し早い人がいて、少し遅い人がいて、それを見た職員が慌てて合わせようとして、むしろ自分だけ反対方向へ手を出してしまう。すると踊っていた男性がすかさず言いました。

「先生、そっち向いたら祭りから帰ってまうで」

一同が笑い、職員は「あれ、もう送り盆でしたか?」と自分で返して、さらに笑いが広がります。失敗すら音頭の一部になるのが、夏祭りのありがたいところです。

そんな笑い声の輪から少し離れた窓際に、澄子さんがいました。

白髪を綺麗に整えた、小柄な女性です。花柄の薄い上着の袖口から、細い手が少しだけ覗いています。澄子さんは車いすに座り、膝の上に置かれたうちわを両手で静かに支えていました。うちわには、職員が描いた大きな朝顔が咲いています。

澄子さんも、前で踊る人たちを見ながら笑っていました。手拍子を求められれば、小さく手を合わせる。隣の方が「にぎやかやなあ」と話しかければ、「ほんまやね」と返す。

穏やかで、落ち着いていて、困っているようには見えませんでした。

若い職員が傍へ来て、明るく声をかけました。

「澄子さん、もう少し前に行きますか? 踊りがよく見えますよ」

澄子さんは、中央の輪を見たまま、やわらかく首を横に振りました。

「私はここでええよ。もう足があかんから、踊られへんしな。皆さんが楽しそうにしてるのを見せてもろたら、それで十分や」

その言葉に、若い職員は「そうですか。楽しんでくださいね」と笑って戻ろうとしました。

無理に誘わない。本人の言葉を受け止める。それも大切な心配りです。

けれど、少し離れた場所で飲み物の準備をしていたベテラン職員の美代子さんは、澄子さんの膝の上に目を留めました。

そこには、朝顔のうちわが置かれたままになっています。折角、手に取れる位置にありながら、まだ一度も踊るようには動いていません。

美代子さんは、紙コップを並べていた手を止めました。

「見ているだけで十分」という言葉は、時にとても優しい遠慮になります。誰かの手を煩わせたくない。自分だけ特別扱いされたくない。立てない姿を目立たせたくない。昔は出来ていたことが出来なくなった寂しさを、笑顔で包んで見せていることもあります。

もちろん、本当に静かに見ていたい方もいます。にぎやかな輪へ入りたいかどうかは、職員が決めることではありません。

それでも、美代子さんは思いました。声のかけ方を少し変えたら、澄子さんの「十分」は、もう少し楽しい「やってみようか」に変わるかもしれない、と。

美代子さんは、自分のうちわを一枚持って、澄子さんの前へ行きました。真正面に立つのではなく、車いすに座る澄子さんと目線が近くなるよう、膝を曲げて腰を落とします。

「澄子さん、ちょっと助けてほしいことがあるんです」「私に? 何やろ」「私ね、盆踊りの手がどうも下手なんです。見てください、この振り方」

美代子さんは、音頭に合わせてうちわを右へ振り、左へ振りました。ただし、少しだけぎこちなく。いや、本当に少しぎこちなかったのかもしれません。そこは、本人の名誉のために深く追及しないでおきましょう。

澄子さんの眉が、ピクリと動きました。

「そら、あかんわ」「やっぱり、あかんですか?」「手ぇに力入り過ぎや。盆踊りはな、もっとフワッとせな」「フワッと、ですか。先生、見本をお願い出来ますか?」「先生て、そんな立派なもんやないけどなあ」

そう言いながら、澄子さんの右手が、膝の上のうちわを持ち上げました。

美代子さんは急かしませんでした。「もっと上げて」とも、「大きく振って」とも言いません。

澄子さんは、音頭の節を1つ聞いてから、うちわを右へスッと流しました。そして、手首をわずかに返し、左へフワリと戻します。

動きは小さいのに、見ていると不思議に涼やかでした。

「こうや。腕をブンブン振ったら、蚊を追い払ってるみたいになるやろ」「私、盆踊りじゃなくて虫よけをしていたんですね」「夏には役立つけど、踊りとしては赤点やな」

澄子さんがクスッと笑いました。美代子さんも笑いました。近くに座っていた方まで、「先生、厳しいなあ」と笑いに加わります。

澄子さんがうちわを持ち上げた瞬間、そこは見学席ではなく、もう1つの盆踊りの輪になりました。

隣の車いすに座っていた女性が、澄子さんを見て自分のうちわを手に取りました。少し離れた椅子の男性は、手を叩く代わりに膝をトン、トン、と叩き始めます。

「わしは踊りは無理やけど、拍子くらいなら任せとけ」「では、音頭係の応援団長をお願いします」「団長なら、もうちょっとええ席にしてくれんか」「ただいま特等席へご案内します」

職員が椅子の向きを少しだけ変えると、男性は満足そうに胸を張りました。席替え1つで昇進とは、夏祭りの人事は随分と景気が良いものです。

中央で立って踊っていた方たちも、座っている人たちのうちわが揺れ始めたことに気づきました。歩く輪と、座って揺れる輪。それぞれの動きは違いますが、音頭は同じです。笑い声も、手拍子も、提灯の下で1つに混ざっていきます。

美代子さんは、澄子さんの横でうちわを振りながら言いました。

「先生、次は少し上達しましたか?」

澄子さんは厳しい顔を作って、美代子さんの手元をじっと見ました。

「まあまあやな。来年までかかるかもしれんけど」「長期指導ですね」「月謝は、冷たいお茶でええよ」「それなら、すぐお支払いできます」

二人のやり取りに、また笑いが起こりました。

盆踊りを始める前、澄子さんは「もう踊られへん」と話していました。けれど、足で輪を歩けないことと、祭りに参加できないことは別の話でした。

うちわを揺らし、若い職員へ手の返し方を教え、周りの方の笑いを誘う。その姿は、誰かに楽しませてもらう人ではなく、自分の記憶と得意なことを場へ届ける人でした。

一座建立(その場に集う人たちが一緒に良い時間を作ること)という言葉があります。夏祭りも同じです。職員だけが準備して完成させるものではなく、そこにいる方のひと言、ひと振り、ひと笑いが加わって、ようやく心に残る場になります。

輪の外にいるように見えた人が、実は祭りを温める役を持っている。それに気づくかどうかで、同じ音頭の一曲が、随分と違う思い出になるのです。


第2章…足が止まっても祭りは動く!~手拍子とうちわで広がる盆踊りの輪~

一曲目が終わると、ホールには小さな拍手と、少し安心したような笑い声が広がりました。

立って踊った方は「まだまだいけるで」と胸を張り、椅子で見ていた方は「よう動くなあ」と感心した顔をしています。澄子さんはというと、朝顔のうちわを膝の上に戻しながらも、指先だけは音頭の余韻を覚えているように、ほんの少し揺れていました。

美代子さんは、その指先を見逃しませんでした。

「次の曲は、皆さんでやってみませんか?立つ方も、座る方も、うちわの方も、太鼓係の方も一緒です」

すると、先ほど“応援団長”へ昇進した男性が、すかさず声を上げました。

「わし、いつの間に太鼓係に降格したんや」「いえいえ、太鼓も担当できる応援団長です。役職が増えました」「忙しいなあ。給料も増えるんか」「冷たいお茶を一杯、現物支給で」「それなら働くわ」

ホールにまた笑いが生まれます。祭りの役割は、履歴書に書けるほど立派でなくても、本人が誇らしそうなら十分です。

職員たちは、中央だけに踊りの場を作るのをやめました。車いすと椅子を壁際へ一直線に並べるのではなく、中央の踊り手をふんわり囲むように、緩やかな輪へ向きを変えていきます。誰かの背中ばかりを見る席ではなく、互いの表情とうちわの動きが目に入る席です。

大切なのは、座っている人を“前へ運ぶ”ことだけではありません。踊りの方を、その人の傍まで届けることです。

音頭が始まると、美代子さんは澄子さんの隣に立ち、若い職員は椅子に座っている方たちの正面へ回りました。職員も少し腰を落とし、目線を近づけて、うちわを胸の高さでゆっくり揺らします。

「まずは右へ、ふわり。次は左へ、フワリ。大きく振らなくて大丈夫です。涼しい風を隣の方へ送るくらいでいきましょう」「そんな上品に振れるかなあ」「大丈夫ですよ。勢いが出たら、私の汗を飛ばしてください」「そら、よう働かなあかんな」

うちわを持った女性が笑いながら、膝の上で小さく手を動かしました。腕を高く上げるのが難しい方でも、膝の辺りなら自然に左右へ動かせます。片方の手が動かしにくい方は、使いやすい手だけで十分。うちわを握るのが疲れる方は、途中から手拍子へ交代しても構いません。

盆踊りの動きは、全員が同じでなくても良いのです。

澄子さんのうちわは、やはり綺麗でした。手首を軽く返し、風を切るというより、風を招くように揺らします。

その隣では、真似をしようとした男性が、何故か最初から最後までうちわを自分の顔へ向けて扇いでいました。

「お父さん、それは踊りですか?涼んでるんですか?」

職員が聞くと、男性は真顔で答えました。

「両方や。わしは効率がええんや」

確かに、夏祭りで涼しさまで確保できるなら、見事な一石二鳥です。うちわ踊りには、型よりも本人のご機嫌が似合います。

手拍子の輪も、少しずつ広がっていきました。

両手を合わせられる方は、音頭に合わせてパン、パン。手を上げるのがつらい方は、膝をトン、トン。手の動きが難しい方は、職員の声に合わせて「よいしょ」と口元だけを動かします。声にはならなくても、隣の人がその口元に気づいて微笑めば、もう十分に場へ届いています。

十人十色という言葉の通り、身体の動きも、気分の乗り方も、一人ずつ違います。大きく振る方もいれば、小さく揺らす方もいる。最初は腕を組んで見ていたのに、3回目の手拍子から急に参加する方もいます。祭りの楽しさは、揃った動きの美しさだけでなく、「その人が自分から少し動いた」という瞬間にも宿ります。

窓際にいた喜美子さんは、左手を胸の前で抱えるようにして、右手だけでうちわを持っていました。職員が無理なく動かせる位置へうちわを添えると、喜美子さんは小さく首を振りました。

「私、踊りは下手よ」「下手でも大丈夫です。今日は採点する人がおりませんから」「澄子さんが先生やろ。見られてるで」「ほな、喜美子さんは自由部門でいきましょう」「自由部門なら、優勝できるかもしれんな」

喜美子さんは、フッと口元を緩め、右手でうちわを一度だけ揺らしました。

その一度を、職員は拍手で囲みませんでした。大きな注目を集めれば、却って気恥ずかしくなる方もいます。隣でそっと同じ動きをして、「風が来ましたね」と笑う。それくらいの距離が心地よい時もあるのです。

座って楽しむ盆踊りは、立って踊る人の代わりに行う小さな活動ではありません。足を使わないからこそ、手の動きが見えます。手が動かしにくい方の笑顔に気づけます。歌を口ずさむ声や、昔の祭り話まで、輪の中へ自然に入ってきます。

職員の一人が音頭に合わせて「ヨイヨイ」と声を出すと、澄子さんが横から注意しました。

「あんた、掛け声が早い。急いだら風情が逃げるで」「すみません、祭りに置いて行かれそうで」「祭りは逃げへん。ゆっくりついて来るもんや」

その言葉に、美代子さんは思わず手を止めそうになりました。

祭りは、元気に前へ出られる人だけが追いかけて楽しむものではありません。ゆっくり座っている方のところへも、音が届き、風が届き、笑い声が届く。歩幅の違う人たちを、急かさずに同じ時間へ迎えてくれるものなのです。

人が祭りへ合わせるのではなく、祭りがその人の動ける場所までやって来れば、座ったままでも輪の中心になれます。

二曲目が終わる頃には、ホールの中に「踊った人」と「見ていた人」の境目はなくなっていました。

中央で足を運んだ方。うちわをフワリと返した方。膝で拍子を取った方。掛け声を出した方。笑いながら皆を眺めていた方。

それぞれの参加の仕方が、同じ音頭の中で緩やかに繋がっています。

若い職員は、自分のうちわを見ながら澄子さんに尋ねました。

「先生、さっきより少し柔らかくなりましたか?」

澄子さんは、しばらく真剣な顔で見定めた後、ゆっくり頷きました。

「まあ、最初よりはええな。けど、まだ顔が必死や」「顔にも振り付けがあるんですか」「あるある。踊りは笑ってなんぼや」

そう言って澄子さんは、朝顔のうちわをもう一度フワリと振りました。

誰かが大きく立ち上がったわけではありません。特別な演出を加えたわけでもありません。

けれど、ホールの夏祭りは、最初よりずっとにぎやかで、ずっと温かなものになっていました。座っていた方たちの手元に風が起こり、その風が隣の人を誘い、笑顔を運んでいったのです。

盆踊りの輪は、足元からだけ広がるものではありません。うちわの先からも、手拍子の音からも、十分に広がっていくのです。

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第3章…盛り上げ過ぎないのも名演出~車いす・椅子・暑さに寄り添う夏祭り支度~

「それでは、次の曲に参りましょう!」

若い職員が元気よく音響係へ合図を送ろうとしたところで、美代子さんが、そっと片手を上げました。

「その前に、ちょっとお茶休憩にしましょうか」

「えっ、もう休憩ですか。今、皆さんの気分が乗ってきたところですよ」

若い職員の声は小さかったものの、顔には分かりやすく「この流れを止めたくない」の文字が出ています。確かに、澄子さんはうちわの先生になり、応援団長は膝で立派な拍子を取り、ホールには先ほどまでなかった弾んだ空気が生まれていました。

けれど、美代子さんはにこやかに言いました。

「盛り上がっている時に休めるのが、上手な祭りですよ。疲れてから休むと、楽しかったより、しんどかったが勝ってしまいますからね」

すると、応援団長が膝を叩く手を止めて、頷きました。

「それは正しい。わしも、あと一曲やったら拍子やのうて、足が勝手に震えてたかもしれん」「それは踊りに数えてよいのでしょうか」「新しい流派や」「足ぷるぷる流ですね」

また笑いが広がり、音頭は一旦、止まりました。ちょうどよい休憩には、楽しさを冷ますどころか、続きを待つ楽しみを膨らませる働きがあります。

職員たちは、飲み物を配りながら一人ひとりの表情を見て回りました。話が弾んでいる方、少し頬が赤くなっている方、うちわを握ったまま腕を休めている方。室内で行う夏祭りでも、人が集まり、音に合わせて身体を動かし、いつもより笑えば、思った以上に体力を使います。

高齢者は、暑さや喉の渇きを感じにくくなることがあります。自分では平気なつもりでも、身体は静かに疲れていることがあるのです。熱中症(暑さによって身体の調子が崩れる状態)は、炎天下だけの話ではありません。冷房の入った建物の中でも、室温や湿度、人の集まり方、体調によっては注意が必要になります。

祭りのために飾りを増やし、皆が集まって、気持ちが高揚する。楽しい条件がそろうほど、「もう少しだけ」と頑張れてしまうのが人の心です。職員も利用者さんの笑顔を見ると、つい張り切ってしまいます。けれど、夏祭りは根性比べではありません。最後に全員が「楽しかったなあ」と言えることが、何よりうれしい締め括りになります。

笑顔が続いているうちに休める祭りは、楽しさを削るのではなく、最後まで守ってくれる祭りです。

美代子さんは、澄子さんへ麦茶の入ったコップを手渡しました。

「先生、喉を潤しておいてください。まだ弟子の指導が残っていますから」「ほんまやな。教える方も体力が要るわ」「私が覚えが悪いせいですね」「そこは自覚あるんやな」

澄子さんは、コップを口元へ運び、少しずつ飲みました。うちわは膝の上に置かれていますが、その表情にはまだ祭りの熱が残っています。

一方、少し離れた席にいた文雄さんは、飲み物を勧められても、すぐには手を伸ばしませんでした。

「飲んだら、またトイレが近うなるからなあ。皆に迷惑かけるやろ」

明るい祭りの席でも、こうした心配を抱えている方はいます。飲み物が嫌なのではなく、その後の移動や職員への遠慮が先に立つのです。

職員は、「飲んでください」と押す代わりに、文雄さんの隣で少し声を落としました。

「トイレへ行きたくなったら、私がすぐ一緒に行きますよ。通り道も空けてありますから、心配はいりません」「踊りの途中でもか?」「はい。盆踊りは逃げませんし、トイレを我慢してまで守る席もありません」

文雄さんは、しばらくコップを見つめてから、ひと口飲みました。

「ほな、わしも少しだけ参加しとくわ」「はい。ひと口参加、立派です」

飲み物の量や種類について気をつける必要がある方には、看護職と相談した内容に沿って準備をしておくことも欠かせません。全員に同じように勧めるのではなく、その方の暮らしと身体に合わせる。用意周到な支度があれば、職員の声かけにも余裕が生まれます。

休憩の間に、もう1つ確認することがありました。それは、車いすと椅子の周りの足元です。

盆踊りが始まる前は綺麗に並んでいた椅子も、人が動き、職員が飲み物を運び、うちわが落ちて拾われるうちに、少しずつ位置が変わります。通路の端には、飾りに使った布の端がわずかに垂れていました。見た目には華やかでも、車いすの足元へ絡めば、笑い話では済みません。

美代子さんは、若い職員に小声で伝えました。

「次の曲の前に、足元を一周見ておきましょう。椅子の脚、車いすのブレーキ、足台の位置、落ちたうちわもね」「はい。飾りの布も少し上げます」「それから、踊る方が嬉しくなって後ろへ下がることもあります。車いすのすぐ近くを通らないように、輪を少し広げましょう」「分かりました。盛り上がるほど、床を見るんですね」「そうそう。祭りの名人は、提灯より足元を見ます」「随分と現実的な名人ですね」「転ばず笑って終われたら、それで優勝です」

若い職員は笑いながらも、しっかり床を確認して歩きました。車いすで参加する方がうちわを振る時には、ブレーキがかかっているかを確かめ、足台に足が落ち着いて乗っているかを見ます。手を伸ばした拍子に身体が前へ傾き過ぎないよう、座り方をそっと整えることも大事です。

けれど、安全への配慮は、目立つ注意ばかりではありません。

少し端の席で、静かに音頭を聞いていた房江さんがいました。職員が「次は一緒にうちわを振りませんか」と声をかけると、房江さんは申し訳なさそうに首を横へ振りました。

「私は見てるだけでええの。音が聞けたら、それで嬉しいから」

その返事を聞いた職員は、うちわを持たせようとはしませんでした。

「分かりました。では、よく見えるように椅子の向きだけ少し変えてもいいですか?」「それなら、お願いしようかな」

房江さんの椅子は、輪のすぐ外側で、提灯と踊る人たちの表情がよく見える向きに整えられました。手拍子はしなくても、うちわを動かさなくても、房江さんは音頭に合わせて小さく頷いています。やがて、隣の方が「懐かしい歌やね」と声をかけると、房江さんは嬉しそうに答えました。

「若い頃、これでよう踊ったんよ。今は見る係でちょうどええの」

参加して欲しいからと、全員に同じ動きを求めてしまえば、折角の祭りが宿題のようになってしまいます。前へ出たい方は前へ。座って動きたい方は手元から。静かに味わいたい方は、見やすく落ち着く席で。臨機応変に楽しみ方を選べることが、その人らしさを大切にした行事に繋がります。

「皆が同じように踊る」より、「皆が自分の心地よい形で祭りにいる」方が、ずっと豊かな景色になります。

休憩が終わりに近づくと、若い職員がホールの中央で声をかけました。

「皆さん、次の曲もいけそうでしょうか。踊る方、うちわの方、拍子の方、見る係の方も、どうぞそのままで楽しんでください」

すると、房江さんがポツリと言いました。

「見る係にも、ちゃんと役名がついたなあ」

応援団長がすぐに返します。

「わしは役職が増えて忙しいけどな」「あなたは働き過ぎや。少し休みなさい」「見てるだけの人に注意されたわ」

そのやり取りに、会場はまたゆったりと笑いに包まれました。

音頭が再び流れます。澄子さんはうちわを持ち、美代子さんをチラリと見ました。

「休憩したから、もう一回くらいは教えられるな」「お願いします。今度こそ赤点を免れたいです」「顔が必死になったら、また減点やで」

音楽が始まり、うちわがフワリと揺れました。中央で立つ方も、椅子で手拍子をする方も、静かに眺める方も、飲み物を一口飲んでホッとした方も、それぞれの場所で同じ夏の時間を過ごしています。

盛り上がることだけを目指すなら、曲を続けて、声を大きくして、皆に手を動かしてもらえば良いのかもしれません。けれど、心に残る夏祭りは、休むことも、見守ることも、参加しない選択も、笑顔で受け止めてくれます。

祭りを楽しくするのは、にぎやかさの大きさではありません。誰も無理をせず、自分の居場所で「今日はええ日やな」と思えることなのです。


第4章…踊らせてもらう人から踊りを教える先生へ

最後の曲が終わる頃、ホールには、祭りの後にしか生まれない少し特別な空気が流れていました。

音頭が止まった直後は、まだ誰もすぐには日常へ戻りません。提灯は同じ場所に吊られているのに、始まる前より明るく見えます。うちわを膝の上へ置いた方も、手拍子を終えた方も、心の中ではまだもう少しだけ太鼓の音が鳴っているのでしょう。

「いやあ、よう働いた。応援団長は疲れるなあ」

熱雄さんが、飲み終えたコップを机の上へ置きながら言いました。

若い職員が笑って返します。

「本日は大活躍でした。表彰状をご用意しましょうか」「表彰状より、おやつをもう一個の方が実用的やな」「そこは交渉が現実的ですね」「祭りの後は腹が減る。昔から決まっとる」

誰も確認したことのない決まりでしたが、周りの方々は「それはそうや」と頷いています。祭りの終わりに、おやつの追加を望む声が出る。これはもう、元気な証拠として職員会議に提出したくなる光景です。

そんなにぎやかな声の中で、澄子さんは朝顔のうちわを両手で持ち、じっと眺めていました。

先ほどまで、そのうちわは踊りの道具でした。手首を返し、風をフワリと起こし、美代子さんへ「もっと柔らかく」と教えるための大切な相棒でした。音楽が止まった今は、手の中で静かに休んでいます。

けれど、澄子さんの顔は、祭りが始まる前とは違っていました。

最初は、「私は見ているだけでええよ」と、輪の外から笑っていました。迷惑をかけたくない気持ちもあったのかもしれません。立てない自分に出来ることは少ないと、どこかで思っていたのかもしれません。

それが今は、誰かに楽しませてもらった方の顔ではありません。

自分が場を動かしたことを知っている顔でした。自分の手が起こした風で、誰かが笑ったことを知っている顔でした。

美代子さんが、飲み物のトレーを片づけながら澄子さんへ声をかけました。

「先生、お疲れさまでした。今日の指導は大成功でしたね」

澄子さんは、少し照れたように口元を押さえました。

「先生なんて言うから、つい本気になってしもたわ」「本気になってくださって助かりました。私、最後の方は少し上達しましたでしょうか」「そうやなあ……」

澄子さんは、わざと時間をかけて美代子さんの手元を見ました。まるで舞台の審査員のようです。

「最初は蚊ぁ追い払ってるみたいやったけど、最後はまあ、盆踊りに見えたかな」「ありがとうございます。ギリギリ合格ですね」「ギリギリや。油断したら、また虫よけに戻るで」

近くにいた方が吹き出し、若い職員まで笑いながら頭を下げました。

「先生、来年は私もご指導お願いします」「二人も弟子を取ったら忙しいなあ」「お茶の月謝を増やします」「ほな考えとくわ」

その時、ホールの入口から女性の声がしました。

「お母さん、今日はにぎやかやねえ」

澄子さんの娘さんでした。面会の時間に合わせてやって来たのでしょう。入り口で消毒を済ませ、職員へ軽く挨拶をすると、母親の車いすの横へ歩いて来ました。

「何かあったん? お母さん、えらい嬉しそうな顔してるけど」

澄子さんは、待っていましたとばかりに、うちわを胸の前まで持ち上げました。

「今日は盆踊りやったんよ」「へえ、良かったね。お母さんも見せてもろたん?」

娘さんが何気なく尋ねると、澄子さんは少しだけ背筋を伸ばしました。

「見てただけやないで。私も踊ったんや」

娘さんの目が、パッと明るくなりました。

「踊ったん? お母さんが?」「足は動かんけど、手は動くからな。うちわで踊ったんよ。それでな、この職員さんに教えたった」

澄子さんは、美代子さんを顎でちょんと示しました。

美代子さんは、少しおどけて頭を下げます。

「はい。今日はお母さまの弟子でした」「まあ、本当に? お母さん、昔は盆踊りが好きやったもんなあ」

娘さんがそう言うと、澄子さんの手が止まりました。

「私、よう踊ってたか?」「踊ってたよ。町内の祭りになると、夕方から浴衣を出してきてな。私にも着せてくれて、髪に花の飾りをつけてくれたやん」「ああ……そうやったかなあ」

澄子さんは、すぐには思い出せない様子で、うちわの朝顔を見つめました。

娘さんは急がず、笑いながら話を続けます。

「私が小さい頃、踊りの輪に入らんと、ずっと綿あめばっかり見てたら、お母さんに『踊ったら買うたる』って言われたんよ。私、急に見よう見まねで踊ったわ」「食べ物で釣ったんか。私もなかなかやるなあ」「やるやる。しかも買ってもらった綿あめ、帰る頃には半分しぼんでて、私が泣いたんやで」「そら、踊りが足らんかったんやろ」「まだ踊らせる気やったん?」

母と娘の間に、フワッと笑いがこぼれました。

記憶は、いつも都合よく全部戻ってくるわけではありません。夏祭りの何年何月に誰と出かけたのか、何色の浴衣だったのか、帰り道に何を話したのか。細かなことは、時間の向こうへ薄れていくこともあります。

それでも、音頭を聞いた時に手が動く。うちわを持った時に、手首の返し方が自然に分かる。娘さんの話に笑いながら、「私もなかなかやるなあ」と言える。

思い出は、頭の中の引き出しに文字でしまわれているだけではありません。身体の動きや、耳に残る節回し、誰かと笑った感触の中にも、そっと息づいているのです。

澄子さんは、娘さんの前で、うちわを一度だけ揺らしてみせました。

右へ、ふわり。左へ、ふわり。

「こうやって踊るんや。力入れたらあかんのよ」

娘さんは、嬉しそうに母親の手元を見つめました。

「変わってへんなあ。お母さん、教える時だけ急に厳しくなるもんなあ」「そうか?」「そうやよ。料理も縫い物も、私が雑にしたらすぐ見つけてた」「そら、雑やったからやろ」「今も言うんや」

娘さんは笑いながら、目元を少しだけ拭いました。

澄子さんは、その仕草に気づいたのか気づいていないのか、手元のうちわを美代子さんへ向けました。

「ほら、あんたも娘に見せてあげ。私の弟子やろ」「えっ、発表会ですか。急に緊張してきました」「緊張したら、また蚊ぁ追いになるで」「それだけは避けたいです」

美代子さんが、少し腰を落としてうちわを振ります。右へ、フワリ。左へ、フワリ。今度は急がず、顔にも余裕を作って。

澄子さんは、じっと見た後で、満足そうに頷きました。

「うん。今日はそれで合格や」「ありがとうございます、先生」「来年は足の運びも教えなあかんな」「先生、課題が増えております」「祭りいうのは奥が深いんや」

その言葉に、娘さんも職員も笑いました。笑顔の輪は、踊りが終わってからも、まだほどけていませんでした。

盆踊りの時間に起きたことは、単に「座ったまま身体を動かせた」という話ではありません。普段、介助を受ける場面が多い方が、自分の得意だったことを通して、誰かに教え、誰かを笑顔にし、家族の記憶まで呼び起こしたのです。

意気揚々という言葉が、これほど似合う澄子さんは久しぶりだったのかもしれません。うちわ一枚を持つ姿が、どこか誇らしく見えます。

職員が行事を準備する時、どうしても「何をしてあげられるか」を考えます。飾りを作ろう、おやつを用意しよう、安全に楽しめる流れを整えよう。その心遣いは、とても大切です。

けれど、利用者さんは、楽しませてもらうだけの存在ではありません。

昔覚えた踊りがあります。家族を連れて祭りへ出かけた時間があります。誰かを笑わせる言葉があります。職員が知らない、人生の引き出しをたくさん持っています。

職員が少し教わる側へ回った時、その方の表情は驚くほど変わることがあります。「出来ないことを助けてもらう私」ではなく、「まだ人に渡せるものを持っている私」になれるからです。

情けは人のためならず。誰かが参加しやすいように差し出したうちわは、巡り巡って、職員にも家族にも、心の涼しい風を届けてくれました。

夏祭りで守りたいのは、動ける時間だけではなく、その人が誰かに何かを渡せる誇らしい時間です。

片づけが始まり、提灯の明かりが一つずつ消えていきました。折り紙の金魚は壁に残り、うちわはそれぞれの手元から回収される予定でした。

けれど、美代子さんは、澄子さんの朝顔のうちわだけは回収箱へ入れませんでした。

「先生、このうちわ、お部屋へ持って帰りますか?」

澄子さんは、少し考えてから頷きました。

「そうやな。置いとこか。来年、あんたにまた教えなあかんから」「はい。忘れずに練習しておきます」「練習しても、先生は要るんやで」「もちろんです」

娘さんが車いすの背に手を添えながら、うれしそうに言いました。

「お母さん、来年まで待たんでも、今度私にも教えてよ」

澄子さんは、うちわを膝の上に置き直し、少し胸を張りました。

「あんたは昔から雑やからなあ。時間かかるで」「弟子、増えたなあ」「忙しいわ。お茶だけでは割に合わんかもしれんな」「じゃあ次は、綿あめ付きでお願いします」

その声に、澄子さんは声を上げて笑いました。

ホールの出口へ向かう車いすの膝の上で、朝顔のうちわが小さく揺れています。祭りが終わったから動いたのか、澄子さんがもう一度踊らせたのかは分かりません。

ただ、その後ろ姿は、見ているだけの席へ戻る人のものではありませんでした。

今日、確かに輪の中で風を起こした、夏祭りの先生の後ろ姿でした。

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まとめ…夏祭りの輪は、座ったままでも心から広がっていく

提灯の明かりが消え、音頭の代わりにいつものテレビの音が戻ってくれば、高齢者施設の夏祭りは終わります。けれど、その日の楽しさまで、片づけ箱へしまわれるわけではありません。

澄子さんの部屋には、朝顔のうちわが残りました。熱雄さんには、“応援団長兼太鼓係”として笑った時間が残りました。房江さんには、無理に動かされることなく、懐かしい音頭をゆっくり味わえた穏やかな午後が残りました。そして職員には、参加とは立ち上がって大きく踊ることだけではない、という大切な気づきが残りました。

夏祭りというと、飾りや音楽、おやつや衣装に目が向きます。もちろん、それらも楽しみを膨らませてくれる大事な支度です。けれど、本当に心へ残るのは、誰かが「私もここにいてええんや」と感じられた瞬間なのかもしれません。

車いすに座っていても、うちわは揺らせます。長く立てなくても、手拍子は響きます。腕を大きく動かせなくても、音頭を聞いて目を細める表情が、周りの人を笑顔にします。静かに見ていたい方には、見ていることを大切な参加として受け止める居場所も必要です。

祭りの輪は、全員を同じ動きに揃えることで完成するのではありません。それぞれが無理のない形で同じ時間を楽しみ、その楽しさが隣の人へフワリと伝わった時、ようやく温かな輪になります。

職員が前へ出してあげる。職員が踊らせてあげる。職員が楽しませてあげる。

そんな一方通行では、少し惜しいのです。

昔の踊りを知っている方には、先生になってもらう。拍子を取るのが楽しい方には、祭りを支える役になってもらう。静かに見ている方には、懐かしい記憶を味わう時間を守る。職員は、支える人であると同時に、教えてもらい、一緒に笑う人になる。

そうすると、普段は介助を受けることの多い方が、「まだ誰かに渡せるものを持っている私」として、少し誇らしい表情を見せてくれます。その表情は、豪華な飾りよりも、にぎやかな演出よりも、夏祭りを美しくしてくれるものです。

もちろん、楽しさを守るためには、暑さや疲れへの気配りも欠かせません。室内だから大丈夫と油断せず、休憩と水分を自然に取り入れ、車いすや椅子の周囲を整え、本人の「参加したい」「静かに楽しみたい」という気持ちを尊重する。準備万端の安心があってこそ、笑顔は最後まで気持ちよく続きます。

座ったままでも主役になれる夏祭りは、出来ることの少なさを見るのではなく、その人が今も持っている楽しさと役割を見つけるところから始まります。

祭りが終わった後、澄子さんは娘さんへ言うでしょうか。

「次はあんたにも教えなあかんな。あんた、昔からちょっと雑やから」

娘さんは、きっと笑って返すでしょう。

「ほな、先生。次は綿あめ付きでお願いします」

笑顔満面の母娘のそばで、朝顔のうちわがまた小さく揺れたなら、それは来年まで待てない盆踊りの続きを知らせる合図です。

夏は暑くて、忙しくて、職員もつい汗を拭く方に気を取られます。けれど、うちわは汗を扇ぐためだけにあるのではありません。誰かの手に渡れば、もう一度心を踊らせ、周りへ笑顔の風を送ることが出来ます。

今年の夏祭りでは、輪の外にいるように見える方へ、そっと声をかけてみてください。

「一緒に踊りませんか?座ったままで大丈夫ですよ」

そのひと言から始まる盆踊りは、足で回る輪よりも、ずっと遠くまで心を繋いでくれるかもしれません。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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