お盆の源流は母を救う物語?~目連が一人では救えなかった理由~

[ 季節と行事 ]

はじめに…お盆の灯りから辿る母と息子の物語

8月の夕暮れ、迎え火の煙がゆらりと昇ると、ご先祖様が帰ってくる気配に家の空気まで少し静かになります。ところが、8月15日のお盆を辿ると、盂蘭盆会(うらぼんえ。亡き人を供養する仏教行事)は7月15日。早くも暦で迷子になりそうです。

その始まりには、死後の世界で飢える母を見つけ、一心不乱に救おうとした目連という息子がいました。優れた力も深い愛情も持っていたのに、母へ届けたご飯は炎に変わり、1人の力では救えません。

お盆は、亡き人を迎える日であると同時に、家族への思いを周りの人へ広げる日でもあります。

きゅうりの馬とナスの牛を用意する前に、母と息子が辿った少し不思議で、どこか温かな物語を覗いてみましょう。ご先祖様の乗り物に車検はありませんので、形が少しくらい曲がっていても、きっと大丈夫です。

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第1章…ご飯が炎に変わった日~目連が見つけた母の苦しみ~

目連は、お釈迦様の弟子の中でも、神通力(遠くの出来事や亡き人の姿を見通す特別な力)に優れていた人物です。「神通第一」と呼ばれるほどですから、困った時には何でも解決できそうな雰囲気があります。今でいえば、空も飛べて遠くも見えて、道に迷っても地図アプリを開く必要なし。かなり頼もしい弟子でした。

そんな目連が、亡くなった母はどのような世界で過ごしているのだろうと探します。

きっと穏やかな場所にいる。立派な息子を育てた母なのだから、笑顔で暮らしているに違いない。目連の胸には、そんな期待もあったでしょう。

ところが、見つけた母は餓鬼道(欲しい気持ちが満たされず、飢えと渇きに苦しみ続ける世界)にいました。体はひどく痩せ、食べ物も飲み物も思うように口へ運べません。親子が再び繋がった瞬間なのに、喜ぶ暇もないほどの光景でした。

目連は一心不乱にご飯を用意し、母へ届けます。これで助けられる。お腹いっぱい食べれば、少しは元気になる。息子としては当然の行動です。

ところが母がご飯を口へ運ぼうとすると、そのご飯は炎に包まれ、食べられなくなってしまいます。

炊きたてなら湯気が立つものですが、炎まで立っては困ります。「熱いうちにどうぞ」という範囲を、盛大に越えています。しかし、この場面は単なる怪奇現象ではありません。

餓鬼道の苦しみは、食べ物が足りないだけではなく、「自分だけのものにしたい」「誰にも渡したくない」「まだ足りない」という執着から生まれると考えられています。どれほど手に入れても安心できず、ようやく得た物さえ、自分の心が食べられない物へ変えてしまうのです。

目連の母は、生前、人へ食べ物を分けることを惜しみ、息子ばかりを大切にしたとも語られてきました。ただし、母の行いを細かく決めつけるより、誰の心にもある「大切なものほど抱え込みたくなる気持ち」を映した物語として読む方が自然でしょう。

家族のために取っておいた最後の1個のおまんじゅう。自分で食べる気はなかったのに、誰かが手を伸ばすと急に惜しくなる。人の心は複雑怪奇です。母の執着も、遠い世界の悪人だけが持つものではありません。

満たされない苦しみは、持っていないことより、手放せない心から生まれることがあります。

母を救うために差し出した一膳のご飯は、目連へ厳しい事実を知らせました。食べ物を届けるだけでは、心の飢えまでは消せない。神通第一の目連にも、すぐには越えられない壁が立ちはだかったのです。


第2章…神通第一でも届かなかった~目連1人では救えない理由~

母へ届けたご飯が炎に変わり、目連は八方塞がりになりました。遠くの世界を見通せる力があっても、苦しむ母を目の前にしては何もできません。そこで目連は、お釈迦様の元へ向かい、母を救う方法を尋ねます。

お釈迦様が示したのは、さらに大きな力を使う方法でも、炎を消す特別な道具でもありませんでした。修行を終えた多くの僧侶へ、食事や品々を心を込めて供えなさい、という教えでした。

「母を助けたいのに、どうして別の人たちへご飯を出すのだろう」

少し遠回りに見えます。家の水道が壊れたのに、町内会へお茶を配り始めるようなものです。目連も一瞬、「そちらですか?」と思ったかもしれません。

けれど、目連が最初にしていたのは、母へ直接ご飯を届けることでした。それは深い親孝行であり、責められる行いではありません。ただ、その思いは「母だけを救いたい」という細い道にもなっていました。

母は、食べ物や愛情を自分と息子の間だけに抱え込んだため、苦しみの世界へ迷い込んだとも語られます。そして息子もまた、母だけを見つめ、孤軍奮闘していました。立場は違っても、親子はどこかで同じように、愛情を狭い輪の中へ閉じ込めていたのかもしれません。

お釈迦様は、その輪を壊すのではなく、外へ大きく広げる道を示しました。

多くの僧侶へ施し、その善い行いから生まれた功徳を母へ届ける。仏教ではこれを回向(善い行いの実りを、自分だけでなく他者にも振り向けること)と呼びます。

目連は、母を思う心を手放したのではありません。母への愛情を、多くの人へ届く行動へ育てたのです。ひとりで母を引っ張り上げようとするのではなく、人と人との相互扶助の中へ、母の救いを託しました。

「母だけを救いたい」という願いが、「誰かを満たすことで母にも届いてほしい」という祈りへ変わった時、救いの扉が開き始めました。

「情けは人のためならず」と言います。人へ向けた親切は、その人だけで終わらず、巡り巡って自分や大切な人のもとへ戻ってくるという意味です。目連の物語は、その言葉をずっと昔から物語にしていたようにも見えます。

どれほど優れた人でも、家族の苦しみを1人で背負い切ることはできません。助けを求め、人へ力を貸し、自分も人の善意に支えられる。その姿は敗北ではなく、救いが始まる合図です。

神通第一の目連に足りなかったのは、さらなる能力ではありませんでした。自分1人で解決することをやめ、多くの手へ願いを渡す勇気だったのでしょう。

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第3章…7月15日の盂蘭盆会~多くの施しが母へ届くまで~

お釈迦様が目連へ示した日は、7月15日でした。

古代インドの僧侶たちは、雨季になると遠くへ歩き回ることを控え、一か所へ集まって修行しました。これを雨安居(うあんご。雨季に僧侶が集まって行う修行期間)と言います。

雨の中を歩けば、足元の小さな虫や芽を知らずに傷つけてしまうかもしれません。傘を差して出掛けたら、修行より先に衣がびしょ濡れ……という現実的な事情もあったでしょう。雨季は腰を据え、心と向き合う時間になりました。

その修行が終わる頃、僧侶たちは自恣(じし。互いの過ちを確かめ、反省する行い)を営みます。自分では気づかなかった失敗を仲間から教えてもらう日です。耳の痛い話もあったでしょうが、知らぬ顔で通り過ぎるより、心機一転して次へ進むための大切な節目でした。

長い修行を終えた僧侶たちが集まる7月15日、目連は食事、果物、寝具などを用意し、心を込めて供養しました。

母のために一膳のご飯を直接届けた時とは、景色がまるで違います。今度は大勢の人が食べられるように整え、感謝と敬意を込めて分かち合いました。母だけへ向いていた食事が、多くの命を満たす食卓へ広がったのです。

その善い行いによって生まれた功徳が回向され、母は餓鬼道の苦しみから解放されたと伝えられています。

目連が手に入れたのは、炎を消す秘術ではありませんでした。誰かへ差し出したものが、その場だけで消えず、巡り巡って大切な人へ届くという因果応報の道でした。ただし「良いことをしたから、ご褒美をください」という交換条件ではありません。

誰かのお腹と心を満たす行いが、離れた場所で苦しむ人にも届く――盂蘭盆会は、善意には思ったより長い足があると教えてくれます。

家族のために作った料理を、もう1人分だけ多く盛る。頂き物を近所へ分ける。忙しそうな人へ温かい飲み物を差し出す。そんな小さな施しにも、目連が開いた道の面影があります。

なお、目連が母の救いを知って喜び、踊ったことが盆踊りの始まりになったという話も伝わっています。歴史上の盆踊りには、念仏踊りや地域の祭りなど多くの流れが重なっていますが、嬉しさのあまり体が動いたという物語は、何とも人間らしいものです。

涙の救出劇が最後には踊りへ変わる。しんみりしたままで帰さないところも、お盆という行事の懐の深さなのかもしれません。


第4章…7月から8月へ~日本のお盆が育てた夏の帰り道~

目連が僧侶たちへ供養した日は、7月15日と伝えられています。

ところが、現在のお盆と聞いて思い浮かぶのは、8月13日から16日頃ではないでしょうか。迎え火を焚き、15日を中心に手を合わせ、16日の送り火で見送る地域が多くあります。

「7月の行事が、いつの間にか1か月引っ越したの?」

カレンダーを1枚めくっただけにも見えますが、その裏には日本の暦が大きく変わった歴史があります。

かつて日本では、太陰太陽暦(月の満ち欠けを基準に、季節とのズレも調整する暦)が使われていました。その暦の7月15日は、現在の新暦では8月頃になることが多く、夏の盛りを少し越えた時期に当たります。

明治時代に現在の太陽暦へ切り替わると、行事の日付にも右往左往が起こりました。昔と同じ「7月15日」という数字を守れば、季節は以前より早く訪れます。農作業の忙しさや家族が集まりやすい時期を考え、1か月遅らせた8月にお盆を営む地域も増えていきました。

こうして、日本のお盆には主に3つの時期が生まれました。

新暦の7月に営む7月盆。新暦の8月に行う月遅れ盆。そして、旧暦7月の日付に合わせる旧暦盆です。

よく8月のお盆を「旧盆」と呼ぶことがありますが、8月15日を中心とする月遅れ盆と、毎年日付が変わる旧暦盆は、厳密には同じではありません。暦の世界は、親戚の呼び名くらい似ていて少々ややこしいものです。「おじさんだと思っていたら、母のいとこでした」と言われた時の顔になっても無理はありません。

7月のお盆も8月のお盆も、日付を争っているのではなく、それぞれの土地が季節と暮らしに合わせて守ってきた帰り道です。

日本のお盆には、目連の物語から続く供養の心だけでなく、ご先祖様を家へ迎える祖霊信仰(亡くなった家族や先祖の魂を敬う考え方)も重なりました。

迎え火は、帰ってくる人が道に迷わないための目印。きゅうりの馬は早く家へ着くため、ナスの牛は名残を惜しみながらゆっくり帰るためとも語られます。

往路は馬、復路は牛。帰省ラッシュを考えれば、かなり余裕のある旅程です。急いで来て、ゆっくり帰る。その発想には、待つ家族の「早く会いたい」と「まだ帰らないで」が、そのまま乗っています。

遠い国から伝わった母を救う物語は、日本の暦と風土に出会い、家族が帰ってくる行事へ姿を広げました。異国の説話をそのまま置くのではなく、迎え火や精霊馬、盆踊りを加えながら育てていく。そんな和魂洋才にも似た柔らかさが、日本のお盆を今まで繋いできたのでしょう。

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まとめ…母への思いは人へ広がる~お盆が残したやさしい贈り物~

お盆の源流を辿ると、そこには亡き母を何とか救いたいと願う、目連の一途な姿がありました。

母へご飯を届けても炎に変わり、神通第一と呼ばれた力さえ役に立たない。目連にとっては茫然自失となる出来事ですが、お釈迦様が示した道は、母をさらに力ずくで助ける方法ではありませんでした。

多くの僧侶へ食事や品々を供え、その善い行いから生まれる功徳を母へ届ける。母だけへ向けられていた愛情が、周囲の人を満たす行いへ広がった時、目連の願いは救いに繋がりました。

大切な人を思う心は、誰かへのやさしさに変えた時、遠くまで届く力になります。

盂蘭盆会の7月15日は、日本の暦や暮らしと出会い、多くの地域で8月のお盆として受け継がれました。迎え火を目印にご先祖様を迎え、きゅうりの馬で急いで来てもらい、ナスの牛でゆっくり帰ってもらう。行きは急便、帰りは各駅停車とは、待つ家族の本音が随分と分かりやすく乗っています。

お盆は、立派な供え物を競う日でも、家族の思い出を正しく語れるか試される日でもありません。小さく手を合わせ、故人の好きだった物を1つ置き、今、傍にいる人へ少しやさしくする。それだけでも、目連から続く善意の輪にそっと加わることができます。

家族への愛情は、抱え込めば苦しさになることがあります。けれど、誰かと分かち合えば和気藹々とした温かさへ変わります。ご先祖様を迎える夏の数日間が、帰ってくる人だけでなく、今を生きる私たちの心まで軽くしてくれたなら、それもお盆が届けてくれる小さな救いなのでしょう。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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