認知症の今に寄り添う自宅でプチ新年会~五感でほっと安心のお正月時間~

[ 1月の記事 ]

はじめに…認知症の今と穏やかな暮らしに寄り添うお正月

お正月といえば、綺麗な飾り付けに、賑やかな声、特別なご馳走。家族が集まって笑い合う風景は、とても温かくて幸せな時間です。けれど、認知症のある方にとっては、同じお正月でもまったく違う世界に見えていることがあります。

いつもと違う飾り、普段は来ない人の出入り、聞き慣れない音楽や声。周りの家族からすれば「毎年の恒例行事」「いつものリビング」でも、当のご本人にとっては「知らない場所」「知らない人がたくさんいる集まり」に感じられてしまうことがあります。覚えられないことが増え、「忘れてしまう自分」をどこかで自覚している方ほど、不安や戸惑いが胸の奥でジワジワと大きくなっていきます。

忘れる➡不安になる➡落ち着かなくなる。この流れが強くなると、せっかくの新年会も「早くここから帰りたい」「どこか落ち着ける場所を探したい」という気持ちの方が勝ってしまい、家族の願いとは反対の結果になってしまうこともあります。いくら立派なおせち料理を並べても、華やかなイベントを用意しても、心がずっと緊張しているままでは、その人らしい笑顔にはなかなか届きません。

一方で、認知症があっても、五感は年齢相応にしっかり働いている方が少なくありません。膝掛けの柔らかさ、湯のみの温かさ、甘酒やお出汁の香り、若い頃によく聞いた歌の響き、家族のホッとした表情。こうした感覚の記憶は、言葉や新しい出来事の記憶よりも長く残りやすく、「ここは安心していていい場所だ」と感じてもらう大きな手掛かりになります。

だからこそ、認知症のある方と迎えるお正月は、「どれだけ特別なことをするか」よりも、「普段の穏やかな暮らしの中に、どんな形でお正月の楽しみをそっと差し込むか」を大切にしてみたいところです。一年に一度だけ大きな新年会にお呼び出しするのではなく、自宅という一番落ち着ける場所で、その人のペースに合わせて、小さな新年会の欠片を一つ、また一つと手渡ししていく。そんな優しい時間の重ね方があっても良いのではないでしょうか。

本記事では、認知症の「今」に寄り添うことを何よりの軸にしながら、自宅で出来る穏やかな新年会の考え方と、その具体的な工夫をじっくりお伝えしていきます。五感に優しく働きかける環境作り、横に寄り添って過ごすための声掛け、そして朝・昼・夜それぞれの時間帯に「小さな新年会」を忍ばせるアイデアまで。読み終えた時、「豪華なイベントはなくても、この人の心が温まるお正月なら十分だ」と、肩の力をフッと抜いてもらえるような内容を目指します。

覚えていられるかどうかより、その瞬間に一緒に味わった温もりこそが宝物。そんな視点から、一緒に「自宅新年会」の形を見つめ直していきましょう。

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第1章…呼び出す新年会から暮らしに寄り添う自宅プチ新年会へ

お正月の時期になると、介護の現場ではデイサービスやショートステイ、入所施設などで立派な新年会が企画されます。職員は飾り付けをして、ゲームや出し物を準備して、特別なおやつや食事も用意して、利用者さんに楽しんでもらおうと一生懸命に工夫を重ねます。家族にとっても、「せっかくなら行事のある日を選んで通所してほしい」「少しでも笑顔になってほしい」という願いがありますから、カレンダーを見ながら予定を合わせることも多いかもしれません。

けれど、その新年会は、本当にご本人の「今」に合っているでしょうか。送迎の車に乗せられ、いつもと少し違う飾りのフロアに連れて来られ、普段より人も職員も多くて、声も音楽も賑やか。周りの人は「毎週のように会っているメンバー」「いつものデイルーム」だと分かっていますが、認知症のある方から見ると、「どこかよく分からない場所」「見覚えのない人たちがたくさんいる集まり」と感じられても不思議ではありません。

認知症の方は、出来事を覚えておく力は弱くなっていても、五感は年齢相応に働いていることが多いものです。視界に入る飾りや人の動き、耳に届く知らない声や音楽、慌ただしく動く職員の様子。そうしたものを確かに感じ取りながらも、「ここはどこなのか」「何をする場なのか」「この人たちは誰なのか」が繋がらないと、心の中には小さな不安が積み重なっていきます。忘れてしまう自分へのもどかしさも重なり、気づけば胸の中はザワザワで一杯。忘れることから始まって、不安になり、落ち着かなくなり、立ち歩きたくなったり、玄関へ向かおうとしたりする流れが生まれます。

こう考えると、「新年会にお呼びする」という言い方の裏に、少しだけ厳しい現実も見えてきます。家族の休息や事業所の都合が先に立つと、ご本人の気持ちを十分に聞かないまま、「さあ今日は行事だから行きましょう」「皆が楽しみにしているから」と連れて行ってしまうことがあります。もしご本人がはっきりと言葉で「今日は行きたくない」と伝えられたとしても、同じように連れて行くだろうか、と想像すると、胸のどこかがチクリとするかもしれません。「安全のため」「健康のため」と分かっていても、本人の目線から見ると、知らない場所に呼び出されているように感じられる場面があるのが真実です。

だからといって、行事や新年会そのものが悪いわけではありません。人と関わる切っ掛けになったり、家族だけでは準備が難しい遊びや食事を楽しめたりする大切な場でもあります。ただ、「呼び出す新年会」だけが選択肢になってしまうと、ご本人の心のペースを置き去りにしてしまうことがある、ということを一度、前置き直してみる必要がありそうです。

そこで視点をクルリと変えてみて、「暮らしに寄り添う自宅新年会」という考え方を出発点にしてみます。自宅は、その方にとって一番長く過ごしてきた場所であり、一番安心しやすい場所です。見慣れた家具、いつもの布団や椅子、毎日飲んでいるお茶の湯のみ、家族の声や足音。それらがあるだけで、「ここにいていい」という感覚を支える大きな土台になります。この土台の上に、少しずつお正月らしさを乗せていくイメージが、自宅新年会の基本になります。

一年に一度だけ大きなイベントに連れて行くのではなく、普段の穏やかな生活の流れを大切にしながら、その中に「新年会の楽しみ」をひと口サイズで紛れ込ませていく。朝はいつものお茶に、ほんの少しだけ特別なお菓子を添えてみる。日中は、若い頃によく聞いた歌を一曲だけ流して一緒に口ずさんでみる。夜は、膝掛けをかけて背中を軽くポンポンしながら、「今年も一緒にゆっくり過ごしましょうね」と声を掛ける。そうした小さな時間を1つ、2つ、3つと積み重ねることで、「新年だから」と構えなくても、心がホッと温まるお正月を形にしていくことが出来ます。

このような自宅新年会の良いところは、「覚えておいてもらうこと」をゴールにしない点にもあります。翌日になれば忘れてしまうかもしれません。それでも、その瞬間に感じた温かさや安心感は、体のどこかに確かに残っていきます。そして同じような時間がまた訪れた時に、「なんだかここは落ち着く」「この人と一緒にいると安心する」という感覚として積もっていきます。大きなイベントの「一回勝負」ではなく、小さな新年会を何度も手渡ししていくことで、認知症のある方の「今」に寄り添うお正月が見えてくるのです。

次の章では、この自宅新年会を支える土台として、五感に優しく働きかける環境をどのように整えていくかを、より具体的に考えていきます。


第2章…五感にやさしく働きかける自宅の整え方

自宅での新年会を考える時、まず土台になるのは「どんな遊びをするか」よりも「どんな空気の中で過ごしてもらうか」です。特に認知症のある方にとっては、目に入るもの、耳に届く音、鼻をくすぐる香り、口にする味、肌にふれる感触など、1つ1つの刺激が「ここは安心できる場所かどうか」を決める大事な材料になります。華やかにすればするほど良いわけではなく、少な過ぎても落ち着かない。その人の様子を見ながら、ちょうど良い量とタイミングで五感に働き掛けることが、自宅新年会の要になります。

新しい飾りや特別な食べ物を用意する前に、まず意識したいのは「変え過ぎないこと」です。認知症のある方は、大きな変化が一度に押し寄せると、「ここはどこなのだろう」「何かおかしい」と不安になりやすくなります。そこで、自宅の中で「いつもと同じもの」をしっかり残したまま、その周りに少しずつ正月らしさを足していくイメージを持つと良いかもしれません。毎日見ている時計やカレンダー、家族写真の位置は変えない。よく座る場所から見える景色を大きく動かさない。その上で、小さな鏡餅やしめ飾り、干支の置き物など、素朴な飾りをそっと添えていきます。

飾りの色合いも、強い色をたくさん並べるより、落ち着いた色を基調にして、赤や金をところどころに差し込むくらいが安心しやすくなります。例えば、いつものテーブルクロスはそのままにして、お正月用のランチョンマットを一枚広げる。普段使いの湯のみの隣に、少し華やかな柄のお皿を重ねてみる。そうした「いつもの中にちょっとだけ特別」が、認知症のある方にとっても受け入れやすい変化になります。

音の環境も、とても大きなポイントです。テレビを点けっ放しにしていると、画面の変化や実況の声、効果音が次々と飛び込んできて、知らない刺激の洪水になってしまうことがあります。まして、お正月番組は賑やかな笑い声や派手な演出が多く、聞いているだけで疲れてしまう方も少なくありません。自宅新年会の日は、テレビを少し静かにして、その人が若い頃に親しんだ歌を、短い時間だけゆっくり流すようにしてみるのも一つの工夫です。

声を掛ける家族のトーンも、「ゆっくり」「柔らかく」「少し大きめ」を心掛けると安心に繋がります。何をしている時間なのかを、何度も同じ言葉で説明してあげることも大切です。「今はね、お茶を飲みながら、今年のお祝いをしているところですよ」「ここは〇〇さんのお家のリビングですよ」など、場所と今していることをセットにして伝えていきます。言葉そのものを覚えてもらう必要はありません。「この人の声を聞いていると落ち着く」という感覚を、少しずつ積み上げていくことが目的です。

鼻から入ってくる香りと、口から感じる味も、心をほぐす大事な手掛かりになります。お雑煮やおせちを立派に用意できなくても、お出汁の香りがする汁物や、ほんのり甘い飲み物があるだけで、「家らしさ」「正月らしさ」は十分に伝わります。甘酒を用意するなら、温度は熱過ぎずぬる過ぎず、その人が飲み慣れているカップで少量から出してみます。一口飲んだだけで満足そうならそれで十分ですし、「もう少し飲む?」と聞きながら、無理なく続けていきます。誤嚥が心配な方には、トロミをつけたり、甘酒風味のゼリーを用意したりと、安全に楽しめる形を選んでいくことが大切です。

触覚の面では、まず「寒くない」「痛くない」「座りやすい」を優先して考えます。床からの冷えを感じやすい方には、早めに膝掛けやレッグウォーマーを用意し、足元を冷やさないようにします。その際も、「寒いでしょ」と決めつけるのではなく、「少し足元が冷えますね。これを掛けてみましょうか」と、本人の反応を確認しながらそっと膝に掛けます。座る場所も、いつも使っているいすやソファを基本にして、高さやクッションを調整するくらいに留めておくと安心です。

触れる手の使い方も、ちょっとした工夫で印象が変わります。いきなり後ろから肩に手を置くと、ビグゥと驚かせてしまうことがあります。まずは正面から目を合わせて、「後ろにクッションを入れますね」「膝掛けを整えますね」と声をかけてから、ゆっくりと手を伸ばします。そして、落ち着かない様子が見えた時は、横に座り直して、背中を優しくトントンと叩きながら、「ここに一緒にいましょうね」「大丈夫ですよ」とゆっくり語りかけます。その時の柔らかい手の感触が、「ここは安心できる場所だ」と伝える力を持っています。

大切なのは、これらの工夫を「一度に全部やろう」としないことです。飾りも、音も、香りも、味も、触れ方も、いくつもの選択肢を準備しておき、その場の表情やしぐさを見ながら、1つずつ差し出していくことが、認知症のある方の心に寄り添うことに繋がります。少し不安そうな時は、刺激を減らして静かな時間を増やしてみる。逆に、退屈そうな時には、歌や飾りに話題を移してみる。五感への働き掛けは、一度整えたら終わりではなく、その日その時の「今」に合わせて、こまめに微調整していくものだと考えると、少し気が楽になるかもしれません。

このように、自宅の環境そのものを「穏やかに過ごせる新年会会場」として整えておくと、その上に乗せる小さな楽しみも、ぐっと受け入れやすくなります。次の章では、朝・昼・夜の生活の流れの中で、どのようにして新年会の楽しみを1つ、また1つと手渡していくかを、具体的な時間帯ごとに考えてみます。


第3章…朝・昼・夜に1つずつ手渡す小さなプチ新年会

自宅での新年会を「ドカンと一日でやり切る」ものだと思うと、どうしても家族にも負担がかかりますし、認知症のある方にとっては刺激が強過ぎることもあります。そこで発想を少し変えて、朝・昼・夜の暮らしの流れの中に、小さな新年会のかけらを1つずつ混ぜていくようなイメージを持ってみると、とても扱いやすくなります。その日一日を、とことん特別にする必要はありません。普段の穏やかな生活を土台にして、「ちょっとだけ特別」「ほんの少しだけお祝い」を添えていくことが、自宅新年会の大きな特徴です。

朝~1日のスタートに「ご挨拶プチ新年会」を添える~

朝は、体も心もまだ立ち上がり途中の時間です。ここでいきなり賑やかな音楽やたくさんの会話を詰め込むと、目が覚めきっていない頭には負担が大きくなってしまいます。そこで、朝は「静かな新年会」と考えて、挨拶と言葉を中心にした穏やかな時間を意識してみます。

例えば、起きて顔を洗い、着替えが済んだ後、いつもの定位置に座ってもらってから、「あけましておめでとうございます。今年も一緒にゆっくり過ごしましょうね」と、目を見てゆっくり伝えます。この時、決まり文句を長く並べる必要はありません。短くて同じ言葉を、はっきりとした声と笑顔で伝えるだけで十分です。認知症のある方は、言葉そのものよりも、声のトーンや表情から安心を受け取ることが多いからです。

言葉に合わせて、温もりのある膝掛けをそっと膝に掛けるのも良い工夫です。「今朝は少し冷えますね。温かい膝掛けを掛けましょう」と、一言添えてから優しく整えてあげると、「自分のために準備してくれた」という感覚が伝わりやすくなります。猫をさするように、膝の上からゆっくり膝掛けを撫でながら、「気持ちいいですね」と一緒に感想を口にすると、触覚と聴覚の両方から心がほぐれていきます。

朝食の場面でも、ほんの少しだけ特別を添えることが出来ます。お正月らしい立派な料理でなくても、いつもの味噌汁に少しだけ具材を増やしてみたり、小さなお餅風のやわらかい食品を一口だけ添えたりするだけで、「今日はいつもと少し違う」という感覚が生まれます。「今日はお正月なので、特別にこれを一口だけ一緒に食べてみましょうか」と声を掛けながら出すと、目と鼻と口で新年の雰囲気を味わってもらえます。量は少なくて構いません。「全部食べてくれたかどうか」よりも、「一緒に特別を分け合った」という体験が残ることの方が大切です。

昼~日中の元気な時間に「ひとくち遊びプチ新年会」を忍ばせる~

昼間は、体も頭も比較的よく動く時間帯です。その方の体調が許す範囲で、短い遊びや会話を「ひとくちサイズ」で差し込んでみると、自宅新年会の彩りがグッと豊かになります。ただし、ここでも欲張り過ぎないことがコツです。あれもこれもと一度にやろうとするのではなく、その日の様子を見て「今日はこれだけ」と決めてしまうくらいがちょうど良いかもしれません。

例えば、リビングで寛いでいる時間に、昔の歌を一曲だけ流してみます。「この歌、聞いたことないですか?」「この歌手さん、知ってる?」とゆっくり問い掛けながら、一緒に口ずさんだり、手拍子をしてみたりします。歌詞を全部覚えている必要はありません。途切れ途切れでも、思い出せるところだけでも、「ああ、歌っているな」という感覚があることが大切です。歌い終わった後に、「懐かしいですね」「いい歌ですね」と感想を一言添えると、その時間に優しい意味付けが加わります。

別の日には、簡単な遊びを1つだけ取り入れても良いでしょう。机の上でできる小さなすごろく、福笑い、カルタのようなものを、数分だけ楽しむイメージです。認知症のある方には、ルールを丁寧に説明しようと頑張り過ぎると、却って混乱を招くことがあります。「ここにこの紙を置いてみましょうか」「この絵と同じものを探してみましょうか」と、一つ一つの動作を一緒に行いながら進めていくと、「出来なかったらどうしよう」というプレッシャーが小さくなります。

甘酒やお茶といった飲み物も、昼の一時に少しずつ登場させることが出来ます。食後の団欒の時間に、「今日はお正月なので、少しだけ甘酒を用意しました」と言って、香りを楽しんでもらうだけでも立派な新年会の一場面になります。飲むかどうかは、その場で本人の様子を見ながら決めれば良く、無理に勧める必要はありません。湯気の温かさや香りだけでも、「季節を感じる」という大事な体験になります。

昼の時間に時々、取り入れたいのが、窓の外の景色や陽ざしを一緒に眺める時間です。カーテンを少し開けて、「今日の空は綺麗ですね」「冬の光は少し柔らかいですね」と季節を語りながら、外の空気を少しだけ感じてもらいます。外に出ることが難しい方でも、窓辺の椅子に移ってもらうだけで、視界が変わり、心の中にも小さな風が通り抜けます。その瞬間を、「新年の散歩ごっこ」と名づけてしまうのも楽しいかもしれません。

夜~一日の終わりに「しめくくり新年会」で心をゆるめる~

夜は、一日分の疲れがたまってくる時間帯です。認知症のある方は、夕方から夜にかけて不安や混乱が強くなることも多く、「早く自分の家に帰りたい」「どこかに行かなければいけない」と落ち着かなくなることもあります。そんな時こそ、自宅新年会の「締め括り」を意識して、心と体をそっと落ち着かせる時間を用意してあげたいところです。

入浴やトイレ、着替えなど夜の身支度がひと通り終わった後、少しだけ照明を落として、穏やかな明るさに調整します。横に座って、背中や肩をゆっくりと撫でるようにトントンしながら、「今日は一日、お疲れ様でした」「一緒に過ごせて嬉しかったです」と、静かな声で語りかけます。この時も、長い言葉は必要ありません。短く、はっきり、ゆっくりと伝えるだけで十分です。手の平の温かさと声のトーンが、そのまま安心のメッセージになります。

ここに、「手の平おみくじ」のようなちょっとした遊び心を加えることもできます。小さな紙に、「今年もごはんが美味しく食べられますように」「〇〇さんの笑顔がたくさん見られますように」など、その人に向けた一言メッセージを書いておき、寝る前に「これは今日の〇〇さんへのお手紙です」と言って手の平にそっと載せます。自分で読める方には一緒に声に出して読み、難しい方には家族がゆっくり読み聞かせます。読み終えた後に、その紙を枕元にそっと置いておくと、「今日は大事にされて眠りについた」という感覚が残ります。

もし家族や親戚と離れて暮らしている場合には、夜の短い時間を使って、スマートフォンやタブレットで一言だけ顔を合わせるのも良いかもしれません。長い会話でなくても、「あけましておめでとう」「今年もよろしくね」と笑顔で声をかける姿を見るだけで、その人にとって大きな安心材料になります。画面越しに手を振りながら、「皆が〇〇さんに会いたがっていましたよ」と一言添えると、自分が大切にされていると感じやすくなります。

こうして、朝・昼・夜のそれぞれに、小さな新年会の要素を1つずつ散りばめていくと、「今日は新年会だから」と構える必要がなくなっていきます。その日その時の体調や表情に合わせて、出来る範囲の楽しみをそっと手渡していくことが、自宅新年会の一番の特徴であり、一番の優しさです。覚えていられるかどうかを気にせず、「その瞬間に一緒に温かさを味わえたかどうか」を大事にしていくと、家族の心も少し軽くなります。

次の章では、どれだけ工夫しても思うようにいかない日があることを前提にしながら、「上手くいかない日も含めて寄り添うための心構え」について考えていきます。


第4章…上手くいかない日も含めて寄り添うための心構え

ここまで、自宅でできる穏やかな新年会の工夫をいろいろ見てきましたが、どれだけ丁寧に準備をしても、思うようにいかない日というものは必ずあります。せっかく甘酒を温めても「いらん」とそっぽを向かれてしまったり、懐メロを流したとたんに落ち着きがなくなってしまったり、こちらが「いい時間になれば」と願うほど、空回りしてしまう日もあるものです。

そんな時、一番傷つきやすいのは、傍で支えている家族や介護者の心です。「やり方が悪かったのかな」「もっと賑やかな方が良かったのかな」「やっぱり自分には向いていないのかもしれない」と、自分を責める気持ちがふと湧いてきます。けれど、認知症のある方の1日は体調や睡眠の質、前日までの出来事、天気や気圧に至るまで、様々な要素に左右されています。その中で、いつも同じように楽しんでもらうことの方が、むしろ難しいのです。

まず知っておきたいのは、「上手くいかない日があるのは当然」という前提です。こちらの工夫が足りないからではなく、その日の「今」の状態が、たまたま新年会モードに合わなかっただけかもしれません。朝から落ち着かない様子が続いている日や、体のどこかに痛みや違和感がある日には、どんなに魅力的な遊びを用意しても、心がそこに向かう余裕がないこともあります。新年会のためにご本人の状態を変えようとするのではなく、「今日はこの状態なんだな」と受け止めるところから始めてみると、少し肩の力が抜けてきます。

うまくいかないサインが見えた時に大切なのは、「やろうとしていたことを一度手放してみる勇気」です。甘酒を差し出しても手が伸びないなら、「飲まないといけない」と説得を続けるより、「香りだけ少し楽しんでみましょうか」とカップを鼻元に近づけてみて、それでも難しければ、いったん引っ込めてしまって構いません。無理に飲んでもらうことよりも、「拒否したことを責められなかった」「嫌だという気持ちを分かってもらえた」という経験の方が、その人の安心に繋がる場合もあるからです。

遊びの場面でも同じです。福笑いや歌を始めてみたものの、表情が固くなったり、落ち着きなく立ち上がろうとしたりする様子が見えたら、「最後までやり切る」ことには拘らず、「今日はここまでにしましょうか」とスッと終わりにしてしまって構いません。「気分が乗らない日もありますよね」「また別の日に、気が向いたらやりましょう」と軽く言葉を添えておけば、その時間が「失敗の記憶」としてではなく、「今日はそんな日だった」と片付けられる可能性が高くなります。

上手くいかない日を受け止める上で、もう1つ大事なのは、「出来なかったこと」ではなく、「その中でも出来ていたこと」に目を向ける視点です。甘酒は飲まなかったけれど、カップを手に取って少しだけ香りを嗅いでくれた。歌は歌えなかったけれど、途中でふと笑顔になった瞬間があった。福笑いは途中でやめてしまったけれど、最初の1枚だけは一緒に置けた。そうした小さな「出来た」を、静かに拾い上げていくと、介護する側の心も少しずつ守られます。

家族自身の心と体の余裕も、自宅新年会にはとても大きく影響します。こちらに余裕がないと、ちょっとした拒否や不機嫌さに、必要以上に心が揺さぶられてしまうことがあります。「せっかく準備したのに」「こんなに頑張っているのに」と感じる瞬間があっても、それは決して悪いことではありません。ただ、人間としてごく自然な感情です。その感情を無理に押し込めるのではなく、「今日は自分も頑張り過ぎているな」と気づいたら、自分の休憩時間を少し増やす、家族の誰かと役割を交代する、短時間でも外の空気を吸いに出てみる、そんなささやかなセルフケアを取り入れてみてください。

新年会の工夫は、「完璧にやること」ではなく、「その人と自分が、無理のない形で穏やかに過ごせる時間を少し増やすこと」が目的です。なにか特別なことが出来た日だけが成功なのではありません。大掛かりなことは何1つ出来なかったとしても、膝掛けを掛けてあげながら、「今日はなんだか眠い日ですね」「ゆっくりしましょうね」と並んで座っていた時間があるなら、それだけで立派な自宅プチ新年会のひと欠片と言えるでしょう。

また、忘れてしまうことを怖がるよりも、「忘れてしまっても、その瞬間の温もりは確かにあった」と考え方を少しずらしてみることも、長い目で見れば心の助けになります。翌日になって、甘酒を飲んだことも、歌を一緒に口ずさんだことも覚えていないかもしれません。それでも、その時に感じた体の温かさや、家族の笑顔、背中をトントンとされて安心した感覚は、その場で本人の心を柔らかくしていました。その積み重ねが、「この家にいるとなんとなく落ち着く」「この人の傍にいると安心する」という土台になっていきます。

上手くいかない日が続くと、「自分のやり方は間違っているのでは」と不安になることもあるでしょう。そんな時は、自分に向かって「良くやっているよ」と一言かけてあげてください。認知症のある方の「今」に寄り添おうとしている時点で、既に大きな一歩を踏み出しています。豪華なイベントや立派な飾りよりも、その一歩こそが、本当の意味での新年会への招待状になっているのです。

自宅プチ新年会は、成功か失敗かで白黒つけるものではなく、その年、その日、その時の状態に合わせて形を変えながら続いていく長い道のりです。時には立ち止まり、時には引き返しながらも、「この人が少しでも穏やかに過ごせるように」という願いを手放さずにいること。それ自体が、認知症のある方への、何よりのお年玉なのかもしれません。

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まとめ…覚えていなくてもいい~その瞬間のほっこりが宝物~

お正月というと、「特別なことをしなければ」「家族の皆に楽しんでもらわなければ」と、つい力が入りがちです。まして認知症のある家族と迎える新年となると、行事や食事の準備だけでなく、「混乱させてしまわないだろうか」「嫌な思いをさせないだろうか」と、心配ごとも増えてしまいます。けれど、自宅での新年会をゆっくり見つめ直してみると、本当に大切なのは、豪華な飾りや立派なイベントではなく、「その人が今、少しでも穏やかにいられるかどうか」なのだと気付かされます。

認知症のある方にとって、忘れてしまうことは日常です。昨日のことも、さっきのことも、すぐに曖昧になってしまうかもしれません。それでも、五感で受け取った温もりや安心感は、その瞬間の心と体にちゃんと届いています。柔らかな膝掛けの感触、甘酒やお出汁の香り、懐かしい歌の響き、家族の笑顔とやさしい声、背中をトントンとされる心地良さ。そうした一つ一つが、「ここは落ち着いていていい場所だ」という感覚を、言葉にならないところで支えています。

この記事でお伝えしてきたのは、「呼び出す新年会」から一度離れて、「暮らしそのものに寄り添う自宅プチ新年会」という発想でした。自宅という一番安心しやすい場所を土台にして、朝・昼・夜の生活の流れの中に、小さな新年会の欠片を静かに紛れ込ませていく。特別な一日を作るのではなく、普段の穏やかな暮らしの中に、ちょっとずつお正月らしさを差し込んでいく。そんな柔らかい時間の重ね方が、認知症の「今」に寄り添うお正月の形の1つです。

もちろん、どれだけ工夫をしても、上手くいかない日や、まったく乗り気になってくれない日もあります。甘酒を拒まれることもあれば、歌を流した途端にソワソワし始めることもあるでしょう。そのたびに「自分が悪かったのでは」と責めてしまうと、介護する側の心が先に折れてしまいます。上手くいかない日は「ああ、今日はそういう日なんだな」と一度受け止めて、出来なかったことではなく、ほんの一瞬でも表情が緩んだ場面や、傍で一緒に座っていられた時間に目を向けてみてください。

忘れてしまうかもしれない新年会でも、その瞬間のほっこりは確かに存在しました。「美味しいね」と笑い合ったひと口、「温かいね」と分かち合った膝掛け、「一緒にいられて嬉しいです」と伝えた一言。それらは、年が明けた後の暮らしにも、静かに影響を残していきます。「この家は何となく落ち着く」「この人といると安心する」という土台は、目には見えませんが、こうした小さな積み重ねから育っていくのだと思います。

そして忘れないでいたいのは、認知症のある家族にとっての新年会は、その家族を支えるあなたにとっての新年会でもある、ということです。特別なことが何も出来なかったとしても、「今年も一緒に年を越せた」「今年もこの人と同じ時間を過ごせた」と、そっと自分自身にも言葉を掛けてあげてください。自分の頑張りを認めるひと呼吸もまた、次の一年を歩いていくための大事なエネルギーになります。

覚えていられるかどうかに振り回されず、その瞬間の温かさを一緒に味わうこと。それは、認知症のある方にとっても、傍で支える家族にとっても、掛け替えのない宝物です。背伸びをし過ぎず、出来る範囲の小さな工夫を少しずつ重ねながら、「今年はどんな自宅新年会にしようか」と、肩の力を抜いて考えてみていただけたら嬉しいです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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