セーブできないゲームは何を教えた?~失敗してもまた電源を入れた夏~
目次
はじめに…ゲームオーバーの音が鳴っても指はもう一度スタートを押していた
画面の中で主人公が倒れ、軽快だった音楽がプツリと止まる。残りの人数はゼロ。あと少しで次の面へ進めそうだったのに、無情にも表示される「ゲームオーバー」の文字。子どもだった私たちはテレビの前で一喜一憂しながら、しばらく天井を見上げました。
「もうやらない」と言ったはずなのに、数分後にはスタートボタンを押している。やめる宣言の有効期限が短い。冷蔵庫から麦茶を取って戻るまでさえ持たないのです。
昔のゲームには、途中の状態を残せないものがありました。長いパスワードをノートに写しても、「0」なのか「O」なのか分からない。完璧に書いたつもりで入力し、はじかれた時には、古代の呪文を解読する人の気持ちが少し分かった気がします。夕飯の時間になれば、家族から「いつまでやってるの!」と現実世界の大ボスまで登場しました。
それでも、不思議と嫌な思い出ばかりではありません。敵の動きを覚え、穴に落ちる場所を知り、次は少しだけ先へ進む。試行錯誤を繰り返すうちに、昨日まで越えられなかった場所が、ある日スッと越えられました。
画面では最初に戻されても、失敗から覚えたことまでゼロにはなりません。
人生には便利なセーブ機能がありません。それでも、昨日の悔しさや気づきを持ったまま、今日の続きを始めることはできます。昔のゲームが教えてくれたのは、華麗に勝つ方法より、負けた後でもう一度遊びたくなる心だったのかもしれません。
[広告]第1章…夕飯・停電・パスワード間違い~昭和と平成のゲームは容赦がなかった~
昔のゲームには、遊ぶ人の事情を待ってくれる気配がほとんどありませんでした。
あと少しで難しい面を抜けられそうな時でも、台所から「ご飯できたよ」の声が飛んできます。「今ちょっと無理!」と返したところで、夕飯はボス戦が終わるまで保温してくれません。2度目の呼び声は少し低くなり、3度目にはゲームより怖い気配が廊下から近づいてきます。
ようやく安全そうな場所まで進み、テレビだけ消して本体を残す。そんな苦肉の策を覚えた子どももいました。ところが、掃除中にコンセントを抜かれたり、兄弟が本体へ足を引っ掛けたりして、長時間の悪戦苦闘が一瞬で消えることがあります。
「誰や、触ったの!」
犯人を追及しても、失われた冒険は帰ってきません。猫が近くを歩いていただけで疑われる。猫からすれば、完全な冤罪です。
少し進んだ状態から再開できるゲームでも、安心とは限りませんでした。画面に表示された長いパスワードを、ノートへ一文字ずつ書き写します。濁点、数字、似た形の文字。慎重に確認したはずなのに、翌日に入力すると「違います」と拒まれる。昨日の自分から届いた手紙なのに、本人にも読めないのです。
停電も恐ろしい存在でした。空が暗くなり、雷が鳴り始めても、「あと少しだけ」と電源を切らない。窓の外が光った直後、テレビ画面まで真っ暗になる。茫然自失とは、きっとあの顔をいうのでしょう。
昔のゲームでは、敵を倒す腕前だけでなく、夕飯や停電や家族の足音まで乗り越える必要がありました。
それでも、失った時間を返せと本気で怒り続けた記憶は、あまり残っていません。悔しくてコントローラーを置きながら、次はどう進もうかと考えていたからです。容赦のない仕組みは不便でしたが、失敗を笑い話へ変える余白も生んでいました。
そして翌日、昨日と同じ場所でまた穴へ落ちる。
……学習したと思ったのですが、そこは別の話だったようです。
第2章…攻略法は画面の外にあった~友達の噂と手書きノートの大冒険~
難しい面で何度も止まり、同じ敵に同じように倒される。自力で何とかしたい気持ちはあるのに、放課後になると、つい友達へ聞いてしまいます。
「昨日の洞窟、どうやって抜けた?」
すると、得意そうな顔で答えが返ってきます。
「右、右、下、上。それから壁に向かって3回押す」
説明を聞いた瞬間は、完璧に覚えたつもりでした。ところが家へ帰る頃には、「右が何回だったっけ?」と記憶が迷子になります。自分の頭を信じ過ぎた結果です。素直にメモを取れば良かった。
当時の攻略情報は、ゲーム画面の中だけにあるものではありませんでした。友達の話、兄や姉のプレイ、雑誌の小さな記事、ノートに描いた地図。学校の休み時間には、ゲームを持っていない子まで噂話に参加し、誰かが見つけた裏道がクラス中へ広がっていきました。
「夜中の0時に宝箱を開けると特別な武器が出るらしい」
そんな話も混ざります。半信半疑で試して何も起きず、時計だけが進む。明日の授業はどうするのだと、自分へツッコミを入れたくなります。それでも、試している時間まで楽しかったのです。
中には、バグ技(本来とは違う動きを利用して遊ぶ方法)と呼ばれる不思議な遊び方もありました。成功すれば大騒ぎ。失敗すれば画面が止まり、また最初から。それでも原因を探る姿は、自由自在というより小さな研究者でした。
攻略法を教え合う時間まで含めて、ゲームは画面の外へ広がっていました。
一人で遊ぶゲームなのに、思い出には友達や家族の声が残っています。知っていることを得意げに話す人、半分だけ教えて焦らす人、横から全部答えてしまう人。3人寄れば文殊の知恵とは言いますが、4人目が加わると怪しい裏技まで増えるのが子どもの世界でした。
手書きの攻略ノートも立派な宝物です。曲がりくねった迷路、敵が出る場所、取ったアイテムの印。本人にしか読めない字でも、そのページには悪戦苦闘の跡が残っています。
そして大人になって見返すと、肝心の攻略法より、端に描いた落書きの方が気になる。
冒険の記録なのか、授業中の作品なのか。そこだけは永久に解けない謎です。
[広告]第3章…便利になったゲームは優しくなった~遊ぶ人を置き去りにしない進化~
今のゲームを始めると、操作方法を画面の中で教えてくれます。道に迷えば目印が現れ、失敗しても少し手前から再開できる。電源を切る時には自動で記録され、「本当に終わって大丈夫かな?」と何度も確認しなくても済むようになりました。
昔の苦労を知っていると、つい「随分と親切になったなあ」と腕を組みたくなります。けれど、親切になったから遊びが軽くなったわけではありません。忙しい人も、操作が得意ではない人も、短い時間で物語の続きを楽しめる。ゲームは日進月歩で、遊ぶ人の暮らしに歩幅を合わせるようになりました。
難易度を選べる仕組みも、その1つです。手応えを楽しみたい人は難しくでき、物語を味わいたい人は穏やかな設定を選べます。「簡単を選んだら負けた気がする」と意地を張り、最初の敵に何度も倒されることもあります。誰と戦っているのかと思えば、敵ではなく自分の見栄でした。
字幕の大きさを変えたり、ボタンの配置を選んだり、色の見分けを助けたりするアクセシビリティ(年齢や体の状態にかかわらず遊びやすくする工夫)も広がっています。十人十色の遊び方を受け止めることは、特別扱いではありません。同じ世界へ入るための入口を、いくつも用意することです。
遊びやすさは、挑戦を奪うものではなく、挑戦する場所まで連れていくための道です。
親切な案内があっても、最後にボタンを押すのは遊ぶ人です。難しい敵を倒した時の喜びも、物語の結末に胸が熱くなる瞬間も、代わりに受け取ってはもらえません。便利な機能は成功を配るのではなく、あきらめる理由を少し減らしてくれます。
昔のゲームには、何度も挑みたくなる手応えがありました。今のゲームには、その手応えへ届くまで遊ぶ人を支える工夫があります。どちらが優れているかではなく、楽しさの届け方が増えたのでしょう。
そして自動で記録されていると信じて電源を切り、次の日に記録が見つからない。
便利な時代にも、心がゲームオーバーになる瞬間は残っているようです。
第4章…画面では最初に戻っても経験値は消えない~やり直すたびに少し上手になる~
同じ穴へ落ち、同じ敵にぶつかり、同じ場所でゲームオーバーになる。画面だけを見れば、何も進んでいないように見えます。
けれど、コントローラーを握る人の中には、小さな変化が積み上がっています。敵が動き出すタイミングを覚え、危ない床の模様に気づき、慌てて押していたボタンを少し待てるようになる。ゲーム内の経験値(行動を重ねて成長を表す数値)がゼロでも、遊んだ人の感覚には、目に見えない経験値が残っています。
「次こそ慎重に行こう」
そう決めて始めた直後、勢いよく走ってまた落ちる。慎重さはどこへ行ったのでしょう。スタートボタンを押した瞬間に置いてきたようです。
それでも、何度か挑むうちに動きは変わります。最初は偶然だった成功が、少しずつ自分の力になる。一進一退を繰り返しながら、昨日は届かなかった足場へ、今日は手が届くようになります。
やり直しとは、何も持たずに最初へ戻ることではなく、失敗から得たものを抱えてもう一度進むことです。
この感覚は、ゲームの外でも私たちを助けてくれます。料理の味付けを間違えた日も、人前で言葉がうまく出なかった日も、途中で投げ出したことへ戻る日もあります。結果だけを見ると振り出しに思えても、困った場所や自分の癖を知っている分、最初の挑戦とは少し違います。
七転八起という言葉は、派手に立ち上がる姿だけを指すものではないのでしょう。落ち込んだまま麦茶を飲み、少し休んでから「もう1回だけ」と手を伸ばす。そのくらいの再出発でも、十分に前へ進んでいます。
昔のゲームは、褒め言葉をたくさんくれませんでした。けれど、難しい場所を越えた瞬間、画面の前にいた本人だけは知っています。
さっきまで出来なかったことが、今は出来た。
その喜びを味わった直後、次の面の最初の敵にあっさり倒される。成長を喜ぶ時間まで短いところも、ゲームらしい親切設計……ではなさそうです。
[広告]まとめ…人生にセーブ機能がなくても明日は続きから始められる
昔のゲームでは、失敗すると容赦なく最初の画面へ戻されました。積み上げた時間が消え、苦労して進んだ道もやり直し。それでも私たちは、少し休んでは再びコントローラーを手に取りました。
敵の動きを覚えていたからです。落とし穴の場所を知っていたからです。そして何より、さっきより少し先へ進める気がしていたからでしょう。
人生には、都合の良いセーブ地点も、確実に成功する攻略法もありません。昨日まで順調だったことが突然止まったり、思い描いた場所とは違う方向へ進んだりします。そんな日は、全部が無駄になったように感じるかもしれません。
けれど、失敗した時に覚えたこと、悔しくて考えたこと、誰かに助けてもらった記憶は残っています。試行錯誤を重ねた人は、同じ場所に立っているようで、昨日とは違う景色を見ています。
人生の続きは、昨日の記録が消えた場所からではなく、昨日の経験を持った自分から始まります。
上手くいかない日は、無理に起死回生の一手を探さなくても大丈夫です。麦茶を一杯飲み、少し休んで、「明日もう1回やってみよう」と思えたなら、それは立派な再出発です。
昔のゲームは不親切でしたが、失敗を終わりにしない楽しさを知っていました。ゲームオーバーの音が鳴っても、物語まで終わったわけではありません。スタートボタンは、いつでもこちらを向いて待っています。
ただし、「もう1回だけ」は信用し過ぎない方が良さそうです。気づけば夜中の2時。人生の体力ゲージまで減らしては、翌朝のステージが少々つらくなりますから。
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