スーパーの味に「?」が浮かんだら~牛カツサンドまで4段階で家庭の味を取り戻す物差し~

[ 旬の食と暮らし ]

はじめに…その「おいしくない」は舌だけのせいですか?

夕方のスーパーには、揚げ物の香りが漂っています。黄金色の衣、たっぷりかかったソース、ふっくらしたパン。見た目だけなら、今夜の食卓はもう勝ったようなものです。

ところが家へ帰って、楽しみにしていたひと口を食べると、妙に味が遠い。

「薄いなあ」

もうひと口食べても、やはり薄い。肉の味より衣と油が先に来て、ソースは色が付いているのに、甘味も酸味もぼんやりしています。パンは大きいのに軽く、切ってみると主役の肉が思った以上に小さい。思わず、「写真では、もう少し堂々としていなかったかい?」と、サンドイッチへ話しかけたくなります。もちろん返事はありません。パンは口が堅いのです。

そんな時、多くの人は自分の年齢や体調を疑います。

「舌が鈍くなったのかな?」

「昔の味を美化しているだけかな?」

「最近の若い人には、このくらいがちょうど良いのかな…」

半信半疑のまま食べ終え、容器を捨てれば、その日の違和感も一緒に片づいてしまいます。しかし、本当に舌だけの問題でしょうか?

味覚障害(味を感じにくくなったり、違う味に感じたりする状態)は、体調、薬、口の乾燥、嗅覚の変化などでも起こります。何を食べても味が分からない、妙な味が長く続く、急に味覚が変わったという場合は、医療機関へ相談することが大切です。

一方で、豆腐や果物、炊きたてのご飯は普通に美味しいのに、特定のお惣菜や加工食品だけが、油っぽい、薄い、甘いだけ、どれも似た後味に感じることがあります。こちらは舌の故障ではなく、食べ物の中身が変わっている可能性も考えられます。

肉を減らした分を衣で包み、空いた場所をパスタで埋める。卵や出汁を少なくしても、油、糖類、でん粉、香りなどで、それらしい形を整える。カロリーは十分あり、容器も埋まっている。それでも、食べた人の心には小さな空席が残ります。

お腹は膨れたはずなのに、満足だけが遅刻している。そんな食事が増えてはいないでしょうか?

「美味しくない」と感じた瞬間は、味覚を失った証拠ではなく、自分の中に味の物差しが残っている証拠かもしれません。

必要なのは、高級食品を次々に買うことでも、何もかも自給自足することでもありません。ご飯、豆腐、卵のような素朴な食材で舌を確かめ、醤油や味噌、酢を1つずつ比べる。鶏、豚、牛を加工品ではなく、1枚の肉として焼いてみる。その小さな試行錯誤だけでも、味の輪郭は少しずつ戻ってきます。

今回の記事の最後に待つのは、牛カツサンドです。

牛肉、衣、油、パン、ソース。どれか1つだけが派手でも、全体は美味しくなりません。肉が厚ければ良いとも限らず、高価なら必ず感動するとも限らない。素材の性格を知り、量と調理の釣り合いを考えることで、一切れのサンドイッチが立派な味覚の授業になります。

財布を開く前に、舌と台所を少し動かしてみる。買うしかなかった味から、選び直せる味へ。そんな明るい寄り道を始めましょう。

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第1章…味覚点検~素朴な食材で自分の舌を確かめる~

朝の炊きたてご飯をひと口食べた時、ほんのりした甘さを感じるでしょうか?茹で卵の黄身には、ホクッとしたコクがあるでしょうか?冷ややっこを口へ運ぶと、大豆の香りやわずかな甘味が残るでしょうか?

味が分かりにくいと感じた日は、豪華な料理よりも、材料の少ない食べ物が役に立ちます。ソースや香辛料が重なった料理では、何が薄いのか、どこで違和感が生まれたのかを見分けにくいからです。

用意する物は、白いご飯、茹で卵、豆腐、季節の果物などで十分です。全てを一度に並べて品評会を開く必要はありません。今日はご飯、明日は豆腐という具合に、一品ずつ静かに味わいます。口の中を水で整え、香りを確かめ、少量をゆっくり噛んでみましょう。

醤油差しが「そろそろ私の出番ですね」とベンチで準備を始めても、最初のひと口だけは待機です。豆腐に何もかけずに食べると、「君、こんなに静かな味だったのか…」と少し驚くかもしれません。逆に、ほとんど何も感じなければ、それも大切な気づきになります。

味わう時は、甘い、塩辛いという分かりやすい味だけでなく、香り、温度、歯触り、飲み込んだ後の余韻にも意識を向けます。食べ物の美味しさは、舌だけが単独で働いて決めているわけではありません。鼻から感じる香り、噛んだ時の音、口当たりまで含めた五感総動員の仕事です。

炊きたてのご飯には甘味を感じるのに、市販のおにぎりは塩味と油ばかりが残る。果物の香りは分かるのに、お惣菜のソースは何を食べても似た後味になる。そんな違いが見えたなら、自分の舌だけを疑わなくても良さそうです。

反対に、ご飯も果物も味が遠い、何を食べても同じに感じる、何も口にしていないのに妙な味が続く場合は、味覚障害(味を感じにくい、または違う味に感じる状態)の可能性があります。原因は1つとは限らないため、急な変化や長引く違和感がある時は、耳鼻咽喉科などへ相談することが大切です。薬を飲み始めてから変化を感じても、自分の判断だけで服用を中止せず、医師や薬剤師へ伝えましょう。

体調によって味の感じ方が揺れる日もあります。寝不足、口の乾き、鼻詰まり、食欲の低下がある朝と、よく眠れた日の夕食では、同じ料理でも印象が変わります。一度の結果に一喜一憂せず、何日か間を空けて確かめる方が、自分の傾向を掴みやすくなります。

記録も難しく考えなくて構いません。「ご飯の甘味は分かった」「豆腐は香りが弱かった」「果物は美味しかった」と、短い言葉を残すだけで十分です。値段や商品名よりも、自分が何を感じたかを書いておくと、舌の調子と食品の違いが少しずつ分かれてきます。

高価な食材を買えば、味覚が急に目覚めるわけではありません。濃い調味料を足しても、分かりにくさを上から覆ってしまうことがあります。塩や油を増やす前に、素朴な食べ物が持つ小さな味へ耳を澄ませてみましょう。

自分の舌を確かめることは、年齢を疑う作業ではなく、味の基準を自分の手元へ戻す作業です。

半信半疑で始めたひと口が、「これは分かる」「これは少し変だ」という小さな物差しに変わります。その物差しがあれば、売場の派手な写真や「美味しくなりました」という言葉だけに、味の判断を任せずに済むようになります。


第2章…一味専心~醤油・味噌・酢から味の奥行きを取り戻す~

冷ややっこを食卓へ置き、醤油をひと回し。いつもの光景なのに、「今日は醤油の味しかしないな」と感じる日があります。

豆腐が薄いのか、醤油が単調なのか、それとも勢いよくかけ過ぎたのか。醤油差しは何も語りません。こちらが傾けた分だけ、実直に働いただけです。責任を問い詰めるなら、まずは自分の右手からでしょう。いや、醤油差し裁判は早くもここで閉廷です。

素朴な食材で舌の調子を確かめたら、次は調味料を1つだけ変えてみます。醤油、味噌、酢、油を一斉に買い替える必要はありません。全部変えると、料理が美味しくなっても、誰の手柄なのか分からなくなります。台所で功労者が行方不明になるのは、少し気の毒です。

最初に試しやすいのは醤油です。

同じ豆腐を小皿に分け、片方には使い慣れた醤油、もう片方には原材料や製法の異なる醤油を少量かけます。量は出来るだけ揃え、すぐに飲み込まず、香り、塩味、甘味、旨味、後味の順にゆっくり確かめます。

片方は塩味が先に立ち、もう片方は大豆の香りや丸みが残るかもしれません。濃い色の方が味も濃いとは限らず、少量でも十分に存在感が出る物もあります。千差万別という言葉は少し立派に聞こえますが、醤油売場へ行けば、棚の前で実感できます。濃口、淡口、たまり、再仕込み。名前を眺めるだけで、醤油界の人員配置はなかなか豊富です。

味の違いを感じても、すぐに高価な方を正解にしないことが大切です。

焼き魚には香りが立つ醤油が合い、煮物には全体へ馴染む醤油が使いやすい。刺身には少量で輪郭が出る物が嬉しくても、毎朝の目玉焼きには少々張り切り過ぎることもあります。調味料は順位を決める大会ではなく、料理との相性を楽しむ道具です。

味噌は、さらに表情豊かです。

白味噌のやさしい甘味、赤味噌の深いコク、麦味噌の香り、合わせ味噌の親しみやすさ。同じ具材の味噌汁でも、味噌を替えると湯気の印象まで変わります。

試すなら、小さな鍋で出汁と具を用意し、火を止めてから汁を2つの器へ分けます。そこへ種類の違う味噌を同じくらいずつ溶きます。具材も出汁も同じなので、味噌の違いが分かりやすくなります。

味が物足りないと、つい味噌を追加したくなりますが、塩味だけを増やしても奥行きは生まれません。出汁が弱いのか、味噌の香りが具材に負けているのか、温度が高過ぎて風味が飛んだのか。少し立ち止まると、味噌を山盛り追加する前に助けられることがあります。

台所では、味噌を足す手が妙に早いものです。「あと少しだけ」と言いながら、気づけば、おたまの中に小さな味噌山脈が誕生しています。濃くなり過ぎた味噌汁を前にすると、家族全員が静かに水を欲しがる。これも家庭料理あるあるでしょう。

酢を比べる時は、酸っぱさの強さだけで判断しないようにします。

米酢、穀物酢、黒酢などは、香りや甘味、余韻が異なります。同じ量の酢へ少量の水を加え、香りを確かめてから味を見ると違いが分かりやすくなります。酸味が鋭く立つ物もあれば、口へ入れた瞬間は穏やかでも、後から風味が広がる物もあります。

酢の物を作るなら、きゅうりやわかめなど同じ材料を2皿に分け、酢だけを替えてみます。砂糖や醤油を大量に加えると違いが隠れるため、最初は控えめが良いでしょう。

酸味が弱いと感じたからといって、酢をどんどん追加すると、料理が健康体操の号令のようにキリッとし過ぎます。鼻の奥まで目が覚める酢の物も、それはそれで頼もしいのですが、食卓全員を起立させる必要はありません。

油も、味を左右する立派な調味料です。

揚げ物や炒め物では油を大量に使うため、油そのものの香りや鮮度が料理へ残ります。古くなった油は重い後味が出やすく、素材の味より油の存在が前へ出ます。少量の油を温め、きのこや野菜を同じ条件で焼いてみると、香りと口当たりの差を感じやすくなります。

ただし、油を替えれば全て解決するわけではありません。良い油でも使い過ぎれば重くなります。少ない油で焼く料理と、衣へしっかり油を含ませる料理では、食後の印象も変わります。油はコクを作る名脇役ですが、舞台の中央へ出過ぎると、主役の野菜や肉が袖へ追いやられてしまいます。

調味料を比べる目的は、濃い味へ戻ることではありません。

塩味を増やし、糖分を足し、油で厚みを付ければ、口へ入れた瞬間の刺激は作れます。しかし、ひと口目だけが派手で、食べ進めるほど単調になる味もあります。

目指したいのは、醤油の香り、味噌の発酵した風味、酢の爽やかな余韻、油のなめらかなコクが、それぞれの持ち場で働く味です。足し算だけではなく、引き算も試しながら、自分の舌が心地良いと感じる地点を探します。試行錯誤の時間そのものが、家庭の味を育ててくれます。

市販のタレやソースが悪いわけでもありません。忙しい日に栓を開ければすぐ使え、味も安定しています。便利な物を手放す必要はなく、時々、醤油、酢、砂糖などから小さな合わせ調味料を作ってみれば十分です。

自分で甘酢を作ると、色が付いているだけでは酸味にならず、甘さだけでは深みにならないことが分かります。タルタルソースを作れば、卵、酸味、油、刻んだ野菜が、それぞれどんな役割を持つのか見えてきます。

完成品を買う生活から少しだけ離れ、調味料を合わせる工程へ戻る。その一手間が、舌に比較の基準を残します。

高価な調味料を揃えることより、1つずつ味わい、自分が好きな理由を知ることが、味の奥行きを取り戻す近道です。

醤油を少し替えただけで、冷ややっこが楽しみになる。味噌を替えたら、同じ大根の味噌汁が別の家庭から遊びに来たような顔をする。酢を選び直せば、らっきょうやピクルスの酸味にも、自分らしい加減が生まれます。

食卓の味は、企業が決めた完成品だけで出来上がるものではありません。瓶を1本選び、ほんの少し混ぜ方を変えるだけでも、味の主導権は台所へ戻ってきます。

次に肉を1枚ずつ味わう準備は整いました。調味料が主役を食べてしまわないよう、しっかり脇を固めてもらいましょう。

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第3章…素材再発見~鶏・豚・牛を一枚の肉から味わってみる~

精肉売場へ行くと、綺麗に並んだ肉がこちらを見ています。鶏もも肉、豚ロース、牛もも肉。どれも透明なパックに収まり、値札まで付いているので、つい「値段の違う同じような食材」として眺めてしまいます。

けれど、肉の味は動物の種類だけでは決まりません。

育った期間、食べた餌、運動した量、飼育環境、部位、脂の付き方、保存状態、切り方、火の入れ方。いくつもの条件が重なって、ひと切れの味になります。店頭では静かに横たわっていますが、その背景はなかなかの千差万別です。

完成したお惣菜だけを食べていると、その違いは衣やソースの奥へ隠れます。肉が小さくても衣が厚ければ大きく見え、香りが弱くても濃いタレをかければ食べられる。ところが、肉を1枚で買って焼くと、誤魔化し役がいなくなります。

フライパンの上で縮むのか、脂がどれほど出るのか、焼いた香りが部屋に広がるのか。噛んだ時に肉汁が残るのか、それとも水分だけが抜けて硬くなるのか。値札だけでは分からなかった性格が、次々と顔を出します。

1枚の肉を自分で焼くことは、味の原型を知る小さな授業です。

最初は、鶏もも肉から始めてみましょう。

鶏肉は手に取りやすく、皮、脂、身の違いも分かりやすい食材です。塩を薄く振り、皮を下にしてフライパンへ置きます。すぐに何度も裏返さず、皮から出る脂でゆっくり焼くと、香ばしい匂いが立ち上がります。

この匂いを前にすると、タレを準備していた手が少し止まります。

「もう、このままで良いのでは?」

塩だけで食べて十分に美味しいなら、肉そのものに味があります。少し物足りなければ、醤油や酢、香味野菜を少量添えます。調味料は味を隠す毛布ではなく、素材の輪郭を整える上着くらいがちょうど良いのです。

若鶏は一般に柔らかく、脂も感じやすいため、焼く、揚げるといった料理に使いやすい肉です。一方、卵を産む役目を終えたヒネ鶏は、歯応えがあり、旨味や香りを感じやすいことがあります。

若鶏と同じ感覚で短時間だけ焼き、「硬いから美味しくない」と決めるのは少し早計です。細く切って噛み応えを楽しむ、じっくり煮込む、骨や身から出汁を取る。肉の性格に料理を合わせる適材適所が、美味しさを引き出します。

軍鶏や地鶏、銘柄鶏にも、それぞれ違った魅力があります。育てる期間が長く、運動量が多い鶏は、柔らかさだけでは測れない味を持ちます。その分、餌代、場所、設備、世話をする時間も必要です。

高い肉には、名前代だけでなく、育てる時間が含まれていることがあります。反対に、高価だから自分の好みに合うとも限りません。柔らかな肉が好きな人もいれば、噛むほど味が出る肉を好む人もいます。

肉の世界に、全員共通の優勝者はいません。鶏肉大会の表彰台を作ろうとしても、焼き鳥部門、鍋部門、出汁部門から異議申し立てが来そうです。

次は豚肉です。

豚肉は、赤身と脂身の組み合わせを感じやすい食材です。薄切り肉を濃いたれで炒めるのも美味しいのですが、味の違いを知る日には、少し厚みのあるロース肉や肩ロース肉が向いています。

同じ厚さに近い物を選び、塩だけで焼いてみます。

ロース肉は比較的スッキリした味に感じられ、肩ロースは脂と赤身が入り混じったコクを楽しめることがあります。脂身も、単なる余分ではありません。甘味や香りを運び、赤身のパサつきを和らげる役割があります。

ただし、脂が多ければ多いほど喜ばしいわけでもありません。食後に重さが残るなら、脂身を少し落とす、焼いた脂を拭き取る、酸味のあるタレや野菜を添えると食べやすくなります。

自宅調理の良いところは、脂を全部食べるか、少し残すかまで自分で決められることです。お惣菜では衣の中に隠れていた脂も、一枚肉なら目で確認できます。

そして牛肉へ進みます。

牛肉は価格の幅が広く、売場で少し緊張します。パックを手に取り、値札を見て戻し、もう一度手に取る。肉売場で腕の筋力だけ鍛えて帰る日もあります。

それでも、最初から高級な霜降り肉を選ぶ必要はありません。

赤身の多い牛もも肉、脂とのバランスがある肩ロース、キメの細かなヒレなど、部位によって味わい方が変わります。赤身は肉らしい香りや歯応えを感じやすく、脂の多い肉は柔らかさや甘味を感じやすい傾向があります。

大切なのは、値段ではなく自分が何を美味しいと感じるかです。

少量の肉を焼き、最初のひと口はソースを付けずに食べます。香り、柔らかさ、脂の残り方を確かめてから、塩、醤油、からし、酸味のあるソースなどを少しずつ試します。

肉の味が弱いと感じてソースを大量にかけると、最後には何を食べているのか分からなくなります。牛肉を買ったのに、口の中を支配しているのがソースだけでは、牛も少し複雑な心境でしょう。

鶏、豚、牛を順に味わうと、価格が上がるほど必ず感動も大きくなるわけではないことに気づきます。

手頃な鶏もも肉を丁寧に焼いた方が、調理済みの高価な肉料理より満足できる日もあります。豚肉の脂の甘味に驚く日もあれば、牛の赤身をゆっくり噛んで、香りの深さを楽しむ日もあります。

そこには、安い物から高い物へ登っていく階段ではなく、それぞれ違う方向へ広がる味の道があります。

食べ比べる際は、一度に大量の肉を揃えなくても構いません。今週は鶏、次の週は豚、少し楽しみを取っておいて牛へ進む。家計にも胃袋にも無理をさせない方が、違いをゆっくり味わえます。

生の肉を扱った手や包丁、まな板は、他の食品へ触れる前にしっかり洗います。中心まで十分に火を通し、焼いた肉を生肉用の皿へ戻さないことも大切です。味を楽しむ日が、お腹との緊急会議になっては困ります。

1枚肉を焼く経験があると、売場のお惣菜を見る目も変わります。

衣の大きさではなく、中の肉の厚みを見る。ソースの色ではなく、肉そのものの香りを想像する。値段だけでなく、主役がどれほど入っているかを考える。

企業が示す「この商品はこの味です」という答えを、そのまま受け取る必要はありません。家庭のフライパンで知った味が、自分なりの基準になります。

鶏の香ばしさ、豚の脂の甘味、牛の赤身の香り。その違いが分かってくると、次に作る牛カツサンドは、ただの豪華なサンドイッチではなくなります。

肉、衣、油、パン、ソース。誰が主役で、誰が支え役なのか。美味しさの配役を自分で決める準備が、これで整いました。


第4章…牛カツサンド実験~肉・衣・パン・ソースの本当の働きを知る~

台所に鶏もも肉を1枚置くと、それだけで妙な安心感があります。

端から端まで、ちゃんと肉。容器の半分をパスタに任せる必要もなく、ブロッコリーの欠片へ「彩り担当を一人で背負わせて済まない」と謝る必要もありません。

この1枚を使ってチキン南蛮を作り、次は牛肉を使って牛カツサンドへ進みます。どちらも衣とソースを使う料理ですが、主役の肉が隠れやすいところも共通しています。

完成品の見た目に惑わされず、肉、衣、油、調味料がどんな仕事をしているのか?二つの料理を自宅で作ると、味の正体が一目瞭然になってきます。

1枚肉のチキン南蛮で記憶の味を呼び戻す

鶏もも肉は、皮や余分な脂を軽く整え、厚い部分を少し開いて火の通りを揃えます。小麦粉と溶き卵をまとわせ、少ない油で揚げ焼きにしても構いません。

大切なのは、衣を大きく育てることではなく、1枚の肉を美味しく仕上げることです。

甘酢は、酢、醤油、砂糖を少量ずつ合わせます。甘ければ砂糖を減らし、酸味が弱ければ酢を足す。市販のタレを使う日があっても良いのですが、一度自分で合わせると、甘酢が単なる茶色い液体ではないことが分かります。

酸味が肉の脂を軽くし、醤油が香りを添え、砂糖が味の角を丸くする。それぞれに役割があります。

タルタルソースも、茹で卵、玉ねぎやらっきょう、酢、少量のマヨネーズで作れます。卵をつぶした瞬間から、白いソースではなく「卵を食べるソース」へ変わります。

らっきょうを刻めば、酸味と歯触りが加わります。玉ねぎなら爽やかさが出るでしょう。好みは十人十色ですから、正解を1つに決める必要はありません。

作りたてのチキン南蛮を切ると、断面には衣より厚い鶏肉があります。

甘酢が衣へ染み込み、その上から卵の粒が残るタルタルソースが乗る。口へ運べば、最初にソース、次に衣、最後に鶏肉という順番ではなく、全部がほぼ同時に届きます。

そこで初めて、「チキン南蛮は鶏肉を食べる料理だった」と気づくかもしれません。いや、当たり前なのですが、その当たり前が少し遠くなっていたのですね。

市販品も隣へ置いてみると、責めるためではなく、自分の好みを知る材料になります。

肉の厚さ、衣の量、甘酢の酸味、タルタルの卵感。自作品の方が必ず優秀とは限りません。揚げ過ぎて肉が硬くなる日もあれば、甘酢が張り切り過ぎて、ひと口目から口の中が起立する日もあります。

その失敗も含めて試行錯誤です。

自分で作れば、「次は酢を少し減らそう」「衣を薄くしよう」と直せます。完成品を買って首を傾げるだけだった味が、自分で動かせる味へ変わります。

牛カツサンドで値段と満足感の中身を見る

鶏肉の一枚から味の基準を掴んだら、仕上げは牛カツサンドです。

牛肉は高価な物でなくても構いません。厚みのある赤身肉や、脂との釣り合いが良い部位を少量選びます。

パンも、フワフワなら何でも合うとは限りません。空気をたっぷり含んだ軽いパンは、柔らかな牛カツには合っても、肉汁やソースを受け止め切れず、食べている途中で静かに降伏することがあります。

反対に、密度のあるパンは肉を支えますが、厚過ぎれば牛肉の存在感を奪います。パンに罪はありません。配役を間違えたこちら側の問題です。

牛肉へ薄く小麦粉、卵、パン粉をまとわせ、衣を厚くし過ぎないようにします。家庭で食べる場合は、肉の種類や食べる人の体調に合わせ、中心まで安全に火を通しましょう。

揚げた牛カツを少し休ませ、パンへ挟みます。ソースは最初から大量に塗らず、片面へ薄く。からしや酸味を少量加えると、牛脂の重さを和らげてくれます。

完成したら、すぐに口へ運びたくなりますが、ほんの少しだけ眺めます。

牛肉はパンより薄くなっていないか。衣ばかり目立っていないか。切り口から肉の層がきちんと見えるか。

市販の牛カツサンドも用意できるなら、同じ皿に並べてみましょう。値札を伏せても、肉の厚み、パンとの釣り合い、ソースの香りは隠れません。

論より証拠。自分で一度作った味は、売場の立派な名前より確かな物差しになります。

自作の牛カツサンドは、材料費だけなら思ったより高く感じるかもしれません。

牛肉、パン、卵、パン粉、油、ソース。全部を買えば、市販品より安いとは限りません。ただ、残った卵やパン粉、調味料は別の料理にも使えます。そして何より、支払ったお金のうち、どれだけが牛肉へ届いたのかが分かります。

市販品では、肉、衣、パン、容器、人件費、配送費、廃棄分が1つの価格に包まれています。自宅では、その包みを一度開いて見ることができます。

そこで気づくのは、豊かさが「安く大量に買えること」だけではないということです。

肉を厚くする代わりに、今日は半分だけ食べる。ソースを減らし、肉の香りを楽しむ。パンを1枚少なくして、野菜やスープを添える。自分の食卓なら、値段、量、味の釣り合いを自分で決められます。

チキン南蛮と牛カツサンドを作った後、スーパーのお惣菜売場は少し違って見えるでしょう。

派手な衣ではなく、その中の肉を見る。大きなパンではなく、挟まれた主役を見る。色の濃いソースではなく、何の味がするのかを想像する。

全部を自分で作り続ける必要はありません。忙しい日は買えばよく、時間のある日に一皿だけ作れば良いのです。

その1皿が、薄くなった味に気づく物差しとなり、美味しい商品を見つける喜びも増やしてくれます。

台所で作ったチキン南蛮と牛カツサンドは、企業へ勝つための武器ではありません。自分の舌へ「好きな味を忘れなくてよい」と伝える、小さなご馳走なのです。

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まとめ…全部を作らなくても味の主導権は取り戻せる

スーパーのお惣菜を食べて、「こんな味だったかな」と首を傾げる。そんな小さな違和感から始まった味の点検は、素朴なご飯や豆腐を味わい、醤油や味噌を比べ、1枚の肉を焼き、最後にはチキン南蛮と牛カツサンドを作るところまで進みました。

なかなか立派な旅です。出発地点はお惣菜売場だったのに、到着したら牛カツサンドを切って断面を見つめています。少々遠回りにも見えますが、味覚の旅に近道はありません。いや、牛肉を選ぶ時間が長かっただけかもしれません。

現代の食べ物には、便利さがあります。忙しい日にすぐ食べられ、季節を問わず同じ商品が並び、調理や片づけの負担も減らしてくれます。その恩恵まで否定する必要はありません。

一方で、商品名や見た目が大昔と同じでも、肉の量、水分、衣、油、調味料の中身までが同じとは限りません。昔ながらの味を求めて買ったのに、口へ届いたのは軽く膨らんだパン、厚い衣、ぼんやりしたソースだった。そんな経験が続けば、自分の舌を疑いたくなるのも自然です。

けれども、全てを年齢や思い出の美化で片づけなくて良いのです。

素朴な食材の甘味や香りが分かるなら、舌にはまだ立派な物差しがあります。調味料を少し替えて味が変わるなら、料理を選び直す余地があります。1枚の肉を焼いて満足できたなら、足りなかったのは味覚ではなく、主役の食材だったのかもしれません。

もちろん、何を食べても味が分からない、急に味が変わった、妙な味が長く続くという場合は、体からの合図として医療機関へ相談することが大切です。自宅での食べ比べは診断ではありません。舌と食品のどちらに違和感があるのか、暮らしの中で気づく入口です。

毎日の食事を、全部手作りへ戻す必要もありません。

鶏を育て、小麦を収穫し、大豆から醤油まで仕込もうとすれば、朝食へ辿り着く前に日が暮れます。自給自足は聞こえこそ頼もしいものの、台所だけで完結する話ではありません。

味噌だけ選び直す。甘酢だけ作る。休日だけ一枚肉を焼く。年に1度、家族で牛カツサンドを作る。その程度でも、完成品へ任せていた工程が1つ、自分の手元へ戻ってきます。

失敗する日もあるでしょう。

鶏肉を焼き過ぎて、顎の運動会になる。タルタルソースへらっきょうを入れ過ぎて、鶏より漬物が元気になる。牛カツサンドを欲張って厚くし、ひと口では到底入らない。

けれど、自分で作った料理は試行錯誤が出来ます。酢を少し減らす、衣を薄くする、パンを替える。買った商品へ抱いた「何か違う」で終わらず、次の食卓を自分で良くできます。

豊かさとは、何でも買えることではなく、買う物と自分で作る部分を自分で分別して決められることです。

高価な食材を並べることだけが、味のグレードアップではありません。手頃な鶏肉を丁寧に焼き、気に入った醤油を少し使い、食材の香りが消えないように仕上げる。それだけで、豪華な完成品より心が満たされる日があります。

食卓の主導権を取り戻すと、買う楽しみも失われません。

中身を守っているお惣菜を見つければ、以前より嬉しくなります。良心的な生産者や料理人が作った食品にも気づきやすくなります。自分で作ることは、店を拒む行為ではなく、良い商品を選ぶ目を育てることでもあるのです。

次にスーパーでチキン南蛮や牛カツサンドを見かけたら、値段だけでなく、主役の肉へも目を向けてみてください。そして「今日は買う」「今日は家で作る」と、気分や時間に合わせて選んでみましょう。

その選択肢があるだけで、食卓は少し自由になります。

昔の味を懐かしむだけではなく、今の台所で自分の好きな味を育てていく。フライパンから立つ香りと、切り分けた肉の厚みは、「好きな味を忘れなくて良い」と、静かに教えてくれるはずです。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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