アペリティフで人生に乾杯!縁側からテラスまで世界をつなぐ一口前の宴

[ 7月の記事 ]

はじめに…お膳に詰め込まれた日常にもうひとさじの自由を~老後だって“食前の革命”は起こせる~

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「夕飯できたよ〜」という声がしても、すぐに席につかない。

そんな家、ありませんでしたか?

縁側に座って、将棋を指しながら、お猪口をクイッとやるお父さん。

ちゃぶ台ではなく、空気と季節と会話を肴に、なんとなく始まる夕暮れの時間。

実はそれ、名前がついてたんです。

フランスで──。

その名はアペリティフ。

あちらでは、食事の前に軽く飲んで、つまんで、しゃべって、笑って、「さて、本番行くか」となるそうです。

でも実際はその“前哨戦”が本番じゃないの?ってくらい、皆さん本気で楽しんでます。

もう、胃袋の準備運動どころか、人生の柔軟体操みたいな存在です 🩷。

一方、日本の高齢者施設をのぞいてみましょう。

静まり返る食堂、無言で下膳される御膳、残された煮物、気まずそうな職員──食事は命を支えるはずなのに、誰が食べたか、どれだけ残したかばかりが評価されていく……。

おいおい、サザエさんのお父さん、泣いてない?

そろそろ、そんな食卓に革命を起こしてもいいんじゃない?

この記事では、フランスのアペリティフ文化を皮切りに、イタリアの陽気な食前バル、日本の「とりあえず生!」、そして未来の介護施設で起きるであろうアペリティフ事件簿まで、笑って読めるけど、どこかでグッとくる“食前の宴”を追いかけます。

「ちょっとだけつまんで、ちょっとだけ笑って、今日はもうちょっとだけ生きてみよう」

そんな時間、あってもいいじゃないですか。

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第1章…食べる前がいちばん楽しいって誰が決めた?


「ごはんの時間ですよ〜」と呼ばれた瞬間から、あらゆる自由が消えていく。

座る場所、配られるおかず、出されたお茶の温度、どれひとつ選んでいないのに「いただきます」と言わされる。

この“しつけのような儀式”、大人になってまで続ける必要、ありますか?

かつての日本には、もっと自由な食の始まりがありました。

縁側で将棋を打ちながら、口数の少ない父親がポツリと「お、今日は冷奴か」。

それだけで、台所の奥の母親の肩が少しほぐれるような、そんな静かな夕暮れの風景があったんです。

時間はゆるやかに流れ、夕飯という“本番”までに、日常のグチも、子どもの成績の話も、誰にも気づかれずに放流できた。

会話がつまみで、お酒は潤滑油で、そして冷奴がスターだった。

ところが現代、特に高齢者施設になると、いきなり本番、強制スタート。

18時きっかりに配られる御膳、食べ終わったら即下膳、片付けタイム突入。

あまりにスムーズすぎて、映画の早送りを見ているよう。

ここに“ワクワク感”という概念は存在しません。

でも思い出してください。

食べる前って、ほんのちょっと心が踊る時間だったはず。

今日は何が出てくるかな?

あの香りはもしや…と、まだ見ぬおかずに想像力を働かせ、勝手に期待値が膨らむ。

これ、食事における前座の芸術ですよ。

いきなりクライマックスを押し付けられても、心の準備ができてないとき、あるじゃないですか。

だからこそ、アペリティフなんです。

食べる前に、飲む。つまむ。しゃべる。笑う。

なにこれ、まるで人間らしいじゃない!という時間がある国、あるんです。

しかもそれがフランス。

ワインとパンとチーズと自由の国です。

日本では「おやつの時間」を卒業したら、こういう心の隙間は忘れ去られるけれど、あちらは大人こそ全力で楽しむ。

そう、食べる前がいちばん楽しいって、誰が決めたかって?

たぶんフランス人です。

しかも、めっちゃ説得力ありました🩷。

第2章…フランス発!アペリティフは胃袋じゃなく心を開く合図だった


フランス人はお腹が空いたから食べるんじゃない。

しゃべる準備ができたからアペリティフを始めるんです。

え?逆じゃない?と思ったあなた、日本の“腹が減っては戦ができぬ”とはちょっと違う哲学が、向こうのテラスには転がってるんですよ。

アペリティフ──通称アペロ。

これ、別に洒落たレストランじゃなくても、自宅のテーブルでも、職場の片隅でも始まります。

「今日、アペロする?」その一言が出た瞬間、ワインとオリーブと会話が一斉にセットアップ。

まるでスイッチを押したように、笑顔が生まれて椅子が増えて、つまみが勝手に増殖していく。

気づいたら誰かがピクルスの瓶を開けてて、気づいたら近所の犬まで参加してたりする。

飲み物はというと、白ワイン、シャンパン、軽めのカクテル──時にはただの炭酸水にハーブを浮かべた“なんちゃってアペロ”も立派に成立。

それに合わせるのは、カナッペ、オリーブ、ミニキッシュ、ハムとチーズ、ナッツ…。

ぜんぶ一口サイズ。

しかも、ちょっとずつ。

いや、この“ちょっとずつ”って最高じゃないですか?

選べる。

残せる。

またつまめる。

食べる速度も量も、自分のペース。

これぞ自己決定の極み。

もう施設の「はい完食が目標です」なんてプレッシャー、アペリティフには一切ありません。

さらに驚くのが、この時間、めちゃくちゃに喋るんです。

話題は家族のこと、隣人の犬の毛並み、ニュース、恋バナ、職場の愚痴、チーズの硬さ、パン屋の焼き加減、どこまでも軽く、どこまでも深く、どこまでも笑える。

これはもはや立派な精神療法なのでは?と思ってしまうほど。

フランス人にとって、アペリティフは「食べるための時間」じゃないんです。

暮らしの余白に吹く風。

胃じゃなく、心のドアをカチャッと開ける鍵。

フランス革命よりも前に、きっとこの国の本当の革命は、オリーブと白ワインから始まっていたんじゃないかと思うレベルです。

え、夕飯?

それはまた別腹ですとも。

食べますよ、ちゃんと。

むしろ、アペリティフでテンションが上がりすぎて、前菜から全力投球するのがフランス流🩷。

でもいいんです、始まりが楽しかったら、その日一日が全部美味しくなる。

フランス人、いいところ突いてくるなぁ…。

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第3章…世界をグルっとひとまわり!“食前族”たちの大宴会


フランスでワイン片手にアペリティフしてる隣では、イタリア人がすでに歌い出している。

スペイン人に至っては移動しながらつまみ続けているし、アメリカ人は「ハッピーアワーだぞ!」と割引されたチキンウィングをむさぼっている。

もうこうなったら世界大会ですよ、“食前選手権”。

まずはお隣、イタリアのアペリティーボ。

これまたオシャレが止まらない。

スプリッツやプロセッコをくるくる回しながら、指先でつまむのはパルマ産の生ハム、ちっちゃなピザ、そしてリゾットボール。

極めつけは「飲み物頼むと食べ放題」なんていう大盤振る舞いのバルも存在する。

え、それディナーじゃん…ってツッコミはご法度。

イタリアでは**“つまんだ分だけ陽気”**になるのが正解なのだ。

続いてスペイン。

ここではタパスという小皿文化が主役。

しかもこの人たち、同じ店に長居しない。

1軒目でポテトのアリオリをつまみ、2軒目でタコのガリシア風を食べ、3軒目でイベリコハムに舌鼓。

気づけば夜中。

なのにまだ踊ってる。

もう完全に「つまみを追いかける旅」ですよ。

旅っていうか…もはや狩猟民族の再来。

アメリカはどうかというと、こちらは「ハッピーアワー」という“財布に優しい大人のご褒美時間”。

会社帰りにドリンク半額、ナチョス山盛り、会話は控えめ、でもテンションは高め。「今日はピザが半額!」だけで人が集まり出すあたり、アメリカの行動原理はお値段と油にある。

だけどそれがまた、肩の力が抜けてて良いんですよ。

気取らず、選ばず、誰でも歓迎。

世界一ファストなアペロかもしれない。

じゃあ、我らが日本はどうだ。

うん、「とりあえずビールで」。

これが強い。

日本の食前族は、まずビールで幕を開けるのが伝統芸。

枝豆、冷奴、ポテトサラダ──どれも地味だけど、頼れるラインナップ。

だけど最近はノンアル勢も増えてきて、「ウーロン茶で乾杯!」の風景もじわじわと市民権を得ている。

もうね、日本流アペリティフは**“個々の胃袋より場の空気が優先される儀式”**なんです。

こうして見渡してみると、どの国も“食前”に命を燃やしている。

食事の準備が整う前に、テンションの準備を整えるのは、世界共通の知恵だったのかもしれません。

胃袋よりも先に動くのは、手と口と笑い声。

食べることは生きることだけど、“食べる前”は、生きてることを思い出す時間なのかもしれませんね🩷。

第4章…高齢者施設にアペリティフがやってきた日──厨房の熱と栄養士の涙とトイレ誘導の嵐


それは、ある日の午後4時。

突然、厨房のリーダーが言った。

「今日の夕方、ちょっとアペリティフやってみません?」その一言が職員休憩室に走った瞬間、空気が一瞬凍りついた。

いや、やる気はある。

でも…それ、誰が仕切る?

配膳は?

記録は?

トイレは?

寝る時間は?

クレームは?

……カオスの予感しかない。

それでも始まったアペリティフタイム。

テーブルには小さなクラッカーとチーズ、梅ジュース、ぶどうジュース、そしてなぜかキュウリスティックが乱入。

まるで「遠足の前日」にキッチンが張り切りすぎた小学生みたいなラインナップだったけれど、それがむしろ功を奏した。

ご利用者の目がキラッと光る。

「今日は何ごと?」「選んでいいの?」「もう食べていいの?」──質問が飛び交う。

そう、“選べる”ということが、こんなにも人を元気にするなんて、誰が想像しただろうか。

食堂の一角では、普段は目を伏せがちなあの方が、なんと近くの利用者と会話を交わしている。

しかも手でクラッカーをつまんだ。

看護師が記録ノートにペンを走らせながら「奇跡…」と呟いたとか呟いてないとか。

隣のPTはテンション爆上げ。

「この人、こんなに上半身動いたの初めてです!」ってもう興奮が止まらない。

STはSTで「咽込むどころか…今日めっちゃ喋ってます!このまま声帯鍛えたい!」って鼻息荒く語り出す。

そして栄養士は言う。「Aさん、今日はアペリティフだけで350kcal摂ってます…いつも避けてた鉄分系の食材もペロリと…感動してます…」。

だが、そんなドラマの裏には、確かにいたんです。

沈んだ目で厨房から出てこない介護士。

「…私、5人連続でトイレ誘導してて、何一つ食べてません」

もう一人の介護士も言う。

「パジャマの時間がバラバラになって、寝る準備が23時までかかりました。寝かせるのに1時間かかったっていうのに、寝る前の薬も結局3回に分けて配りました…」

そして経営者のメモには「次回の開催は経費削減案を添えて再提出」と赤ペンで書かれていた。

だけど、アペリティフが終わったあと、誰もがふと笑っていたんです。

職員も、利用者も。

「またやりたいね」と誰かが言った。

それに対して、「毎日は無理だとしてもね…」と苦笑いが返ってきたけれど、あの空気の中には確かに“希望の再燃”があった。

食事を通じて何が見えたか?それはたぶん──人間って、嬉しいときは自然と動き出すってこと🩷。

それが記録されようがされまいが、達成目標になろうがなるまいが、関係ない。

今日という日が、ほんの少し特別に感じられたなら、それはアペリティフの勝ちだ。

第5章…夕食って何だっけ?そのまま夜になったっていいじゃない


そもそも「夕食」って何なのか、一度冷静に考えてみたこと、ありますか?

決まった時間に、決まった量のごはんを、誰かの号令で食べる。

しかも「好き嫌いはダメですよ」「完食が目標ですよ」「温かいうちに召し上がってください」って、これってどこのミリタリー施設なんでしょうか。

温かいうちにって…こっちの…食事も心も冷えてますけど?

そんな中、アペリティフがそっとやってくる。

時間は17時過ぎ、空がちょっとオレンジ色に染まるころ。

食堂のすみにテーブルが並び、いつもは整然と並んだ御膳のかわりに、カラフルなおつまみと小さなグラス。

そして何より、“今日は自由です”という空気。

すると不思議なことが起こる。

さっきまで「食欲がない」と言っていた人が、オリーブを2個つまんで、クラッカーにチーズを乗せて、おかわりまでしている。

え、いつもは主菜を丸ごと残してるのに!?

もちろん、夕食をきちんと食べる人もいる。

でもね、「もう満足したから夕飯は軽めでいいよ」という選択肢があるだけで、その人の人生に“選ぶ”という尊厳が戻ってくるんです。

そう、今日の気分で夕食は決めてもいい。

「ちょっと甘いものが食べたい」とか「今日は味噌汁だけでいい」とか、ありじゃない?

“全部食べないとダメ”って、昭和の校則か何かかと思いますよ。

さらに言えば、アペリティフの時間に皆で話して笑って、満たされた人たちって、そのまま眠りにつくまでご機嫌だったりするんです。

お腹も気持ちも満ちているって、実は最高の睡眠導入剤。

逆に、夕飯を無理に詰め込んだ日ほど、「胃が重い」「なんか寝れない」ってなる人、介護現場あるあるですよね。

アペリティフのせいで「もう夕食いらない」って人が出てきた?

いいじゃないですか、それ。

いつから食事は“義務”になったんでしょうね。

いつから「食べてくれたらラッキー」と「食べなかったらバッド」が紙一重になったんでしょう。

大丈夫、アペリティフには正解も不正解もないんです🩷。

その日の気分でつまんで、しゃべって、満たされて、

「今日も楽しかったなぁ」と思ってそのまま夜になったら、それがその人にとって最高の夕食なんじゃないでしょうか。


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まとめ…今日の“いただきます”はちょっと前倒しで始めてみよう


人生でいちばん美味しい時間って、もしかしたら食べる前のあの瞬間なのかもしれません。

何が出てくるのかワクワクして、隣の人と顔を見合わせて、食器がまだ空なのに心が満ちていく。

それがアペリティフ。

フランス人が日常に紛れ込ませた、**「自由と会話の前菜」**です。

そして気づいたんです。

これ、日本人の心にもちゃんと根付いていたんですよ。

縁側で将棋を指しながら、夕暮れにくいっと一杯。

ちゃぶ台を囲んで、まだ煮物も湯気を立てていないうちから始まる団らん。

昭和も、平成も、実はアペロの国だった。

でも、どこかで忘れてしまった。

「時間通りに」「均等に」「正確に」──そればかりが先に立って、人と人がつながる、食卓のあたたかさをどこかに置き去りにしてしまった。

それが、アペリティフという習慣で蘇るかもしれない。

食べる前に、自由に話し、選び、笑う時間。

それがあるだけで、その日一日が“ごちそう”になる。

施設だって、家庭だって、始めていいんです。

大げさに準備しなくても、ポッキーとお茶で十分。

会話と笑顔があれば、それだけでアペリティフ。

だから、今日の「いただきます」は、ちょっと前倒ししてみませんか?

誰かと一緒に、なんでもない話をしながら、ひとくち何かをつまんでみる。

それが、あなたの“今日を生きる”スイッチになるかもしれません。

そして、食事の形は変わってもいい。

完食しなくてもいい。

みんなが同じ時間に並ばなくてもいい。

「今日はもう、ここで満足」──そう言える自由が、本当の“食事支援”かもしれませんね 🩷。

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