高齢者にこそデジタル日和を!~パソコンとスマートフォンで暮らしが開く話~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…「むずかしそう」が「ちょっと面白そう」に変わる日

年齢を重ねると、新しい機械にはつい身構えてしまうものです。押した覚えのないところで画面が変わると、「今何をしたの、私」と、こちらが聞きたいくらいです。それでも、パソコンやスマートフォンは、若い人だけの持ちものではありません。むしろこれからの毎日を軽やかにする、日進月歩の暮らしの道具です。高齢者が電子機器に触れる意味として、情報を受け取り、見分け、使い、残していく流れは大きな柱になります。

本記事でお伝えしたいのは、「出来ないことを責める話」ではなく、「今からでも広がる世界の話」です。覚えることが多そうに見えても、最初から全部できる人はいません。湯呑みを持つ手つきに年季が入るように、機械との付き合いにも少しずつコツが出てきます。百花繚乱というと少し華やか過ぎるかもしれませんが、今の時代は知りたいこと、見たいもの、話したい相手へ向かう道が、それだけたくさん開いているのです。

しかも、デジタル・リテラシー(情報を見分けて使う力)は、若さだけで決まるものではありません。人生経験のある人ほど、「これは話が旨過ぎるな」「これは本当に必要かな」と立ち止まれる場面があります。そこが実は大きな持ち味です。新しい機械を覚えることは、流行に追いつく競走ではなく、自分の暮らしを自分で守り、楽しむための一手。そんなふうに考えると、少し肩の力が抜けてきませんか?

そして何より、長く生きてきた人の記憶や感覚は、まさに千載一遇の財産です。昔の町の風景、家のしきたり、季節のにおい、人との繋がり方。そうしたものを見返したり、伝えたりできる道具が、いま手のひらや机の上にあるのです。使い方に戸惑う日があっても大丈夫。機械に振り回される日もありますが、それはそれで人間味があって、少し笑えます。本記事では、そんな一歩目を、明るく、やさしく、一緒にのぞいていきます。

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第1章…遅れを取り戻す話ではなくて今日を広げる道具の話

パソコンやスマートフォンの話になると、「もうこの歳だしねぇ」と、つい湯のみを置きながら遠い目をしたくなることがあります。けれども、ここで考えたいのは、若い人に追いつく競走ではありません。大切なのは、今日の暮らしを少し見やすく、少し動きやすくすることです。電子機器は、年齢を測る物差しではなく、生活を整える道具。そう思えるだけで、景色が少し変わります。

世の中は受け取る情報が増え、必要なものを見分ける力が大切になっている、という視点があります。確かに今は、知りたいことがある時、待っていれば誰かが全部まとめて届けてくれる時代ではありません。こちらから見にいき、比べて、考えて、「これは今の自分にいる話だな」と選ぶ場面が増えています。高齢者にとっても、それは同じです。いや、むしろ人生経験がある分、「話が旨過ぎるな」「これは少し様子を見よう」と冷静沈着に立ち止まれることもあります。ここは、若さにはない立派な持ち味でしょう。

そして、新しい道具に触れることは、遅れていた分を取り戻す作業でもありません。そこを勘違いすると、急にしんどくなります。電車に乗るのに、車掌さんの仕事まで覚える必要はないのと同じです。まずは、自分に必要なところだけ使えれば十分。家族に連絡する、天気を見る、写真を眺める、役所のお知らせを読む。入口はそんなもので良いのです。「全部覚えないと使えないのでは」と思うと身構えますが、そんなことを言い出したら、電子レンジだって温め以外のいろんなボタンを眠らせたまま何年も働いているご家庭は少なくありません。うちだけではないはずです。

ここで持っておきたいのが、デジタル・リテラシー(情報を見分けて使う力)という考え方です。難しそうな呼び名ですが、していることは意外と素朴です。見たものをすぐ信じ切らず、他の見方もあるかもしれないと一歩引くこと。分からない言葉を、そのまま流さないこと。困ったら誰かに聞くこと。こうした1つ1つは、昔から暮らしの中でやってきた知恵と、そう遠くありません。初志貫徹で全部を覚えようとしなくても、まずは「騙され難い目」と「慌て過ぎない手」が育てば、それだけで十分前進です。

さらに言うと、機械に親しむことは、頭を新しく使う切っ掛けにもなります。どこを押せば良いか考える。言葉の意味を確かめる。見たいものへ進む順番を覚える。これは認知機能(考える力や覚える力の働き)をまるごと試験にかける話ではなく、日々の中で自然に頭を動かす時間を増やすことでもあります。散歩に出ると足が目を覚ますように、機械に触れると考える力も少しずつ起きてくる。そんな感覚に近いのかもしれません。

高齢者が電子機器に向かう姿は、ともすると「苦手なのに頑張っている人」と見られがちです。でも本当は違います。だって冷蔵庫も電子レンジも世の中に登場したころから触れているんですよ。そしてこれからの毎日を、自分の手で見やすく整えようとしている人です。それは受け身ではなく、立派な生活の工夫です。ぼんやりと流れてくるものを受け取るだけでなく、自分に合う情報を選び、自分の歩幅に合わせて使っていく。その小さな一歩に、私はかなり大きな意味があると思っています。新しい道具は、若い人の得意分野というより、暮らし上手の人ほど育てがいのある相棒なのかもしれません。


第2章…知る力は暮らしを守る~情報と上手につき合うコツ~

パソコンやスマートフォンを使えるようになる意味は、ただ便利になることだけではありません。今、本当に大事なのは、流れてくる話をそのまま飲み込まず、自分の暮らしに必要かどうかを見分けることです。世の中には玉石混交の話が溢れています。親切そうに見えるもの、急がせてくるもの、やけに話が上手いもの。そういうものに出会った時、「ちょっと待ってみよう」と立ち止まれる人は、それだけで日々を守る力を持っています。

ここで役立つのが、情報リテラシー(情報を見分けて使う力)です。難しい授業の名前みたいですが、していることは意外と暮らしに近いものです。知らない店に入る前、表の看板だけで決めずに、店内の様子や値段もチラリと見る。あの感覚に少し似ています。画面に出てきた文も同じで、誰が言っているのか、いつの話なのか、他でも似た説明があるのかを見てみる。たったそれだけでも、受け取り方は随分と変わってきます。

特に気をつけたいのは、「今すぐ」「あなただけ」「急いでください」と、こちらの心拍数を勝手に上げてくる話です。スマートフォンの画面に急ぎの雰囲気を出されると、こちらまで正座しそうになりますが、そこは深呼吸です。冷静沈着に、一旦、画面を閉じる。家族や身近な人に見てもらう。時間を置いてから読み直す。それだけで危ない話を避けられることは少なくありません。慌てて押した後で「押さなくて良かったボタン選手権」を心の中で開くより、先にひと呼吸の方が平和です。

また、情報との付き合い方は、正しいか間違いかの二択だけでもありません。自分には必要ない、今はまだ早い、これは参考程度で十分。そんなふうに距離を決める感覚も大切です。リスク・マネジメント(危険を減らす考え方)という言葉がありますが、難しく身構えなくて大丈夫です。知らない話にすぐ飛びつかない。お金の話はさらに慎重にする。住所や電話番号の扱いには気を配る。その積み重ねが、暮らしの足元をしっかりさせます。

そして、ここで見落としたくないのが、高齢者には既に「見抜く力の土台」があることです。長く生きていると、人の話しぶりや態度から、どこか引っかかる空気を感じることがあります。昔から「旨過ぎる話には裏がある」と身に沁みてきた人も多いでしょう。新しい機械に不慣れでも、その感覚は立派な財産です。機械の操作は後から覚えられますが、人を見る目はそう簡単には育ちません。その経験が、今の時代にはますます光ります。

知る力というのは、たくさん集めることだけではなく、不要でいらないものを遠ざける力でもあります。情報を持つことは、心配を増やすことではありません。むしろ、必要以上に振り回されないための支えです。画面の向こうに広がる世界は広大ですが、全部を相手にしなくて良いのです。自分の暮らしに役立つものを静かに選ぶ。その姿は、とても堅実で、実はかなり格好の良いものです。

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第3章…見るだけで終わらない~調べた先を生活に生かす楽しみ~

パソコンやスマートフォンの良さは、知るところで止まらないことです。知ったことを暮らしに持ち帰って、実際に使ってみる。ここまで進むと、道具は急に頼もしくなります。文章の流れでも、情報は受け取って選ぶだけでなく、生活に取り入れたり、自分の考えを外へ出したりするところまで進んでこそ意味がある、という見方が出来ます。ここがまさに本章の中心です。

例えば、体に優しい食べ方を知ったら、次の買い物で少し意識してみる。地域の催しを見つけたら、出かける予定を立ててみる。昔の友人と連絡を取れる方法を知ったら、思いきってひと言送ってみる。こうした小さな実践は、一挙両得の喜びがあります。知識が増えるだけでなく、毎日の景色が少し動き出すからです。読むだけで満足してしまう日もありますが、そこは人間らしいところです。「今日は見ただけで立派な下見」と自分に言いたくなる日もあります。それでも、次に1つ動けたら十分です。

そして、この章で特に大切にしたいのは、高齢者が「受け手」で終わらなくて良いということです。長年の暮らしで身についた工夫、地域で見てきた変化、家族との思い出、戦後から今までの空気。そうしたものは、紛れもない一次情報(体験した人が持つ生の記録)です。世の中では新しい話ばかりが目立ちますが、本当に味わい深いのは、長い時間を潜ってきた人の言葉だったりします。百聞不如一見と言いますが、さらに言えば、実際に生きてきた人の話には、机の上では出せない温もりがあります。

ここで面白いのは、「発信」という言葉が、何か特別な人だけのものではないことです。発信と聞くと、立派な文章や難しい機械操作が必要に思えて、急に背筋が伸びます。いや、そこまで正装しなくて大丈夫です。写真に短いひと言を添える。家族に思い出を送る。昔の町並みを覚えているうちに書いてみる。その積み重ねだけでも、十分に価値があります。アーカイブ(記録として残しておくこと)という言葉がありますが、難しく考えなくても、自分の人生を棚にしまわず、ちゃんと手渡せる形にしておくことだと思えば、ぐっと身近になります。

しかも、自分の経験を言葉にしようとすると、不思議と頭の中も整理されます。あの時代は何が不便で、何が豊かだったのか。家の中では何を大切にしていたのか。いまの暮らしと比べてみると、忘れていた感覚がフッと戻ってくることがあります。これは懐かしむだけの作業ではありません。自分の歩いてきた道に、もう一度光を当てる時間です。そう考えると、電子機器は冷たい機械ではなく、人生の引き出しを静かに開けてくれる相棒にも見えてきます。少し大袈裟…と言いたいところですが、ここは本当にそうなのです。お茶を飲みながら一行でも残せた日は、思ったより上出来かもしれません。


第4章…思い出は財産になる~人生の経験を言葉に残す喜び~

パソコンやスマートフォンが高齢者に向いている理由は、便利だからだけではありません。もう1つ大きいのは、自分の中に積み重なってきた時間を、見える形にしやすいことです。長く生きてきた人の記憶や工夫は、家の戸棚にしまっておくには惜しい宝物です。しかも、それは本人にとっても家族にとっても、後になってじわじわ効いてきます。まさに千載一遇というほど肩に力を入れなくても、今なら「残しておいて良かった」と思える形を、日々の中で少しずつ作れます。

若い頃の町の様子、家族で囲んだ食卓、働いていた頃の習慣、子育てで慌てた日、近所付き合いの温度。そうした話は、話している本人には「こんなの、どこにでもある話よ」と見えがちです。ところが聞く側にとっては、どこにでもあるどころか、その人にしか出せない色があります。古い写真を見ながら、「この時はね」とひと言添えるだけでも、もう立派な記録です。こちらは軽い気持ちで話していても、聞いている家族は心の中で正座しているかもしれません。

ここで役に立つのが、ライフレビュー(人生をふり返って意味を見つけること)という考え方です。難しそうな名前ですが、していることは案外…と言いたいところですが、その言い方は今日はやめておきます。もっと素朴で、昔話に少し光を当てることです。何が大変で、何が嬉しくて、何を大事にして生きてきたのか。それを言葉にすると、自分でも「ああ、私はちゃんと歩いてきたんだな」と実感しやすくなります。これは過去ばかり向く作業ではなく、今の自分を優しく確かめる時間でもあります。

しかも、機械を使って残す形は、文章だけとは限りません。写真に短い説明をつける。声を録る。家系の出来事を簡単に並べる。好きだった料理の味つけを書いておく。地域の昔の行事を覚えているうちにメモする。こうして並べてみると、立派な本を作る必要はないのです。日常の断片を少しずつ集めるだけで、十分に味があります。押し入れの奥から出てきたアルバムに、「この人、誰だっけ」で家族会議が始まる前に、ひとこと残しておくのも親切です。未来の混乱防止として、かなり優秀です。

さらに面白いのは、残す作業そのものが心を整えてくれることです。あの頃は苦労したと思っていた出来事が、時間をおいて見直すと、意外に笑える場面を連れて戻ってくることがあります。反対に、何でもないと思っていた日々が、実は大切な支えだったと気づくこともあります。これは回想法(思い出をたどって心を整える方法)にも通じるところがあり、気持ちを静かにほどいてくれます。波乱万丈の人生でなくても構いません。むしろ、毎日の小さな積み重ねほど、読む人の胸にスッと入るものです。

高齢者が電子機器を使う意味は、新しい機能を覚えることだけではなく、自分の人生を自分の手で編みなおせることにもあります。忘れたくないことを残し、伝えたいことを渡し、いつか自分でも見返せるようにしておく。その営みは、とても静かですが、とても豊かです。画面の向こうには、遠い世界だけでなく、自分の歩いてきた道も広がっています。そう思うと、機械は少し冷たい顔をしながら、実はかなり情に厚い道具なのかもしれません。

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まとめ…パソコンとスマートフォンは年齢の壁より心の扉を開く

高齢者にとって、パソコンやスマートフォンは、若い世代のものを無理に追いかける道具ではありません。暮らしを見やすくし、必要な話を選び、日々に役立て、そして自分の歩いてきた時間を残していくための道具です。本当に大切なのは、全部を覚えることではなく、自分の生活に合う使い方を見つけること。そこが見えてくると、機械は急に遠い存在ではなくなります。

思えば、長く生きてきた人ほど、情報に振り回され過ぎない慎重さも、人を見る目も、暮らしを整える知恵も持っています。そこへ新しい道具が加われば、鬼に金棒…と勢いよく言いたいところですが、そこまで身構えなくても大丈夫です。まずは連絡が少し楽になる、知りたいことに手が届く、思い出を残せる。そのくらいの変化でも、毎日は十分に明るくなります。

そして、ここが今回一番お伝えしたい新しい見方です。年齢を重ねてから機械に触れることは、「遅れを埋めること」ではなく、「人生の厚みを、これから先にも使える形にすること」なのだと思います。若さは新しさに慣れる速さを持っていますが、歳月には、物事を見極めて味わう深さがあります。そこに道具が寄り添えば、単なる便利さを超えて、日常そのものが少し豊かになります。

最初は戸惑う日もあるでしょう。画面が急に変わって、「私、何を召喚したのかしら」と首を傾げることもあるはずです。でも、それで良いのです。試行錯誤しながら、自分の手に馴染ませていけば良いのですから。大切なのは、出来るかどうかで自分を量ることではなく、使ってみようと思えた、その気持ちです。

パソコンとスマートフォンは、年齢の壁を見せつける道具ではなく、心の扉を少しずつ開いてくれる相棒です。今日の暮らしを守り、明日の楽しみを増やし、昨日までの人生にもう一度光を当ててくれる。そう考えると、手の平の中の小さな機械も、なかなか味な存在です。

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