施設ご飯に「食べたい」を取り戻す~ペヤングから始まる食の自由~

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…正しい食事ほど、少し窮屈になることがある

高齢者施設の食事には、たくさんの知恵と手間が詰まっています。栄養のバランスを考え、体調に合わせ、嚥下(食べ物や飲み物を飲み込む働き)の状態を確かめ、食べやすい形や一口の量まで整える。毎日決まった時間に大勢の食事を安全に届けるのですから、舞台裏はなかなかの大仕事です。

けれど、安全を大切にするほど、食卓から少しずつ消えてしまいやすいものもあります。「今日はこれが食べたい」「もう少し熱い方が好き」「それはいらない」「こっちをちょうだい」。家なら何気なく口にするそんな言葉が、施設では献立や時間、食形態、介助の都合に囲まれて、出番を失うことがあります。

食事は体を支えるために必要です。でも、人は栄養の数字だけを食べて生きているわけではありません。湯気を見て腹が鳴り、香りにつられて顔を上げ、「あ、それ食べたい」と手が伸びる。そんな瞬間も暮らしの大切な一部なのです。安全に食べられることと、食べたいと思えること、その両方が揃って食事は初めて楽しみになります。

そこで食卓に、ソースの香りがフワッと漂うカップ焼きそばが現れたらどうでしょう。「いやいや、施設でカップ焼きそば?」と眉が少し上がりそうです。もちろん毎食それでは、管理栄養士さんより先にこちらの良心が止めに入ります。それでも、食欲が落ちて、いつもの食事に手が伸びない人が、その香りにはフッと顔を向けることがある。その小さな反応には、見過ごしたくない大事な意味があります。

大切なのは、特定の食品を特別扱いすることではありません。その人が歩いてきた人生には、その人だけの「食べたい」があります。屋台の焼きそば、家で作った味噌汁、仕事帰りに食べたラーメン、休日の菓子パン。立派なご馳走でなくても、記憶と結びついた一口は、時に気持ちを動かします。

体調や持病、安全への配慮を置き去りにせず、それでも出来る範囲で選ぶ余白を残す。臨機応変に小さな楽しみを差し込めれば、食卓は「食べてもらう場所」から、もう一度「食べる人の場所」へ近づいていきます。

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第1章…湯気と香りが心を起こす~食欲は胃袋だけの仕事じゃない~

昼食の時間になっても、箸がなかなか動かない。好きそうな料理を前にしても「いらない」と首を横に振る。高齢者施設では、そんな食欲不振(食べたい気持ちが弱くなった状態)と向き合う日があります。

そこでソースの香りが、食堂の少し離れた場所からフワッと流れてきたとします。さっきまで料理を見ても反応しなかった人が顔を上げ、「何か作ってるの?」と聞く。まだ一口も食べていないのに、食事が始まっています。

人の食欲は、胃袋だけで決まるものではありません。目に入る湯気、鼻に届く香り、焼ける音、器を手にした時の温かさ、そして昔食べた時の記憶。いくつもの感覚が重なって、「ちょっと食べてみようかな?」という気持ちに繋がります。

カップ焼きそばが面白いのは、この入口がとても分かりやすいところです。フタを開ければ湯気が立ち、ソースを混ぜれば特徴のある香りが広がる。静かだった食堂で誰かが「焼きそば?」と振り向けば、そこからちょっとした会話まで始まります。本人より先に隣の人が反応したら、「いや、あなたのじゃないですよ」と職員さんが笑うことになるかもしれません。食堂とは、こういう小事件があるくらいが楽しかったりします。

もちろん、同じ香りで全ての人が喜ぶわけではありません。食の記憶は十人十色です。焼きそばで学生時代を思い出す人もいれば、お祭りの屋台を思い出す人もいるでしょう。一方で、全く興味を示さない人もいます。それで良いのです。

むしろ大切なのは、「何ならこの人の顔が動くのだろう?」と考えることです。焼き魚の香りかもしれませんし、炊き立てのご飯かもしれません。コーヒー、味噌汁、パン、カレー、甘いあんこの匂いに反応する人だっているでしょう。好き嫌いだけでは見えなかった、その人の暮らしの履歴が食卓から顔を出します。

食べたい気持ちを探すことは、その人が生きてきた時間を探すことでもあります。

施設ではどうしても、決められた献立を安全に届けることが中心になります。それ自体は欠かせません。ただ、毎日の食事が整然と進むほど、「今日は何が食べたい?」という小さな自由が入り込む余地は狭くなりがちです。

そんな日常の中に、たまに違う香りが混ざる。それだけで、「今日は何だろう?」という期待が生まれます。食べる量がわずかでも、顔を上げた、匂いを嗅いだ、自分からひと口食べた。その変化は、完食とは別のところにある立派な前進です。

一石二鳥を狙って栄養も水分も全部まとめて何とかしようとすると、食卓は急に仕事っぽくなります。まずは「美味しそう」と心が動く瞬間を大事にする。そこから先は、その人の体調とペースに合わせれば良いのです。

カップ焼きそばは、そのキッカケを分かりやすく見せてくれる一例に過ぎません。本当に探したいのは商品名ではなく、その人の目が少し輝く香り、その人から「食べたい」が出てくる一口です。そこを見つけられた時、施設の食卓は栄養を届ける場所から、暮らしを楽しむ場所へもう半歩近づきます。


第2章…「あなたのために今作る」~小さな一皿を個別ケアに変える~

施設の食事には、大勢へ同じ時間に届けるという難しさがあります。厨房で出来上がった料理が配膳車に載り、食堂へ運ばれ、それぞれの席へ届く。この流れが整っているから毎日の食事が成り立つのですが、食欲が落ちている人にとっては、そこへほんの少し「自分のための時間」が加わるだけで景色が変わることがあります。

カップ焼きそばの面白さは、作るところから本人と時間を共有しやすいことです。「ちょっと作ってきますね」「もうすぐですよ」と声を掛け、出来上がったら湯気が残っているうちに届ける。数分前まで存在しなかった一皿が、自分のために用意されて目の前へやって来る。この分かりやすさには、通常の配膳とは少し違う嬉しさがあります。

豪華な器も派手な飾りも必要ありません。大切なのは、「皆さんの昼食ですよ」ではなく、「あなたが食べたいと言ったから用意しました」という筋が通っていることです。個別ケアは特別な物を出すことではなく、「あなたを見ています」が食卓で伝わることから始まります。

ただし、食欲が落ちている人へ一人前をドンと置けば良いわけではありません。目の前に大盛りが現れただけで、「こんなに食べられない」と気持ちが先に降参することがあります。こちらは親切のつもりなのに、器が無言で圧を掛けている。食器にそんな役をお願いした覚えはないのですが、食欲が弱っている時には量そのものが負担になります。

そんな時は、小さな器へ少しずつ取り分けるくらいがちょうど良くなります。完食を目標にせず、まずはひと口。「美味しい」が出ればもう十分で、もうひと口欲しそうなら続ければ良い。急がば回れというように、食べてもらおうと急ぐ日ほど、小さく始めた方が本人のペースを守りやすくなります。

温度にもひと工夫できます。作り立ての香りは楽しんでもらいながら、実際に口へ入れる分は熱過ぎない状態へ整える。麺を軽くほぐして食べやすくし、必要なら量も調整する。豪快に啜ってこそ焼きそばだ、と言いたくなる気持ちは分かりますが、そこは家庭のテレビ前ではなく介護の食卓。臨機応変に「美味しさの勢い」と「食べやすさ」の折り合いをつけたいところです。

さらに楽しいのが、本人の好みに合わせる余白です。青のりが好きなのか、紅ショウガの香りが懐かしいのか、少し濃い味を好むのか。最初から全部載せて豪華にするより、本人の反応を見ながら少しずつ変えていく方が、「これが好き」が見つかりやすくなります。試行錯誤を繰り返すうちに、職員が考えた食事ではなく、本人と一緒に育てた一皿になっていきます。

この考え方は、カップ焼きそばに限りません。いつもの味噌汁に好みの香りを添える、パンを本人が好きだった焼き加減に近づける、食べ切れる量だけ温かく用意する。ほんの小さな気配りでも、「自分のためにしてくれた」と伝われば、同じ食事が少し違って見えます。

施設だから全員に同じようにしなければならない場面はあります。それでも、全員に同じ食事を届けることと、全員を同じ人として扱うことは別です。1人1人に好みがあり、その日の気分があり、食べられる量にも波がある。その小さな違いを拾える余白こそ、個別ケアの難しくて面白いところです。

一皿を特別料理にする必要はありません。「今日は少しだけ」「熱いうちにどうぞ」「もうちょっと食べる?」。そんな短いやり取りがあるだけで、食卓の主導権はゆっくり本人へ戻っていきます。食べさせる工夫より、食べたくなる時間を作る。その発想が加われば、施設ご飯にはまだまだ嬉しい伸び代があります。

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第3章…自由を守るために安全を整える~嚥下・持病・チームの段取り~

「好きなものなら、少しくらい自由に食べてもらいたい」。介護に関わる人ほど、そんな気持ちを持つことがあります。けれど、食べたい気持ちが戻った時ほど忘れたくないのが、その日の体調です。昨日は問題なく食べられた人でも、今日は眠気が目立つ、口が乾いている、痰が絡んでいる、座っている姿勢が崩れやすいということがあります。

特に気をつけたいのが嚥下(食べ物や飲み物を口から喉へ送り込む働き)です。麺類は口の中でまとまりやすく、勢いよく啜れば喉へ入りやすくなります。誤嚥(食べ物や飲み物が気管へ入ってしまうこと)の危険が高い人なら、「好きだから食べられる」とは限りません。食欲と飲み込む力は、同じ速度で元気になるとは限らないのです。

それでも、危険があるからすぐ禁止、という二者択一にしなくても良い場合があります。体調を確認し、食べやすい姿勢を整え、少量から始める。必要に応じて麺を短くしたり、よくほぐしたり、熱過ぎない温度まで待ったりする。臨機応変に形を変えれば、「食べたい」を残しながら安全へ近づけられる余地があります。

ここで職員側が張り切ってしまうと、思わぬ落とし穴もあります。「折角、用意したんだから、もうひと口」と勧めたくなるのが人情です。本人も周囲を気遣って頑張ってしまうかもしれません。けれど、一口目が美味しかったことと、一人前を食べ切れることは別の話です。途中で箸が止まったなら、それも本人から届いた大切な答えとして受け止めたいところです。

食の自由とは、食べる自由だけではなく、「今日は辞めておく」と決められる自由まで含んでいます。

持病がある人なら、さらに用意周到に考えます。糖尿病や腎臓病、心不全、高血圧などで食事内容に配慮が必要な人もいますし、胃もたれや逆流が起こりやすい人もいます。そんな時に大切なのは、カップ焼きそば1個を丸ごと食べるか禁止するかではなく、「どんな形なら楽しめるだろう」と考えることです。量を少なくする、昼間に試す、体への負担が増えにくい組み合わせを考えるなど、楽しみ方そのものを調整できます。

そして、このような工夫ほど1人で決めないことが大切です。看護師、管理栄養士、介護職、必要に応じて言語聴覚士など、それぞれが知っている情報を持ち寄れば、「今日は状態が良さそう」「この量なら試せそう」「咽込みが出たらそこで終わろう」と判断しやすくなります。本人の目の前で職員同士が「大丈夫かな」「いや危ないかも」と始めたら、折角の焼きそばが急に会議資料のように見えてしまいます。食卓へ出す前に、支える側の気持ちも揃えておきたいものです。

安全管理は、楽しみを取り上げるための壁ではありません。本人が安心して「食べてみよう」と思えるように、その周りへそっと置く手すりのようなものです。無理をしない日があっても良い。ひと口で終わっても良い。その日の体と相談しながら楽しめる範囲を探すことが、食の自由を長く守ることに繋がります。


第4章…ペヤングの先にあるもの~人生の食卓から「その人の味」を探す~

カップ焼きそばの香りに反応してくれた。ひと口食べて、「旨いな…」と表情が緩んだ。そんな場面に出会うと、その食品が特別だったように思えてきます。でも、本当に大切なのは商品そのものではありません。その人の中に眠っていた「食べたい記憶」が動いたことです。

食の思い出は千差万別です。若い頃、仕事帰りに立ち寄った店のラーメン。子育て中に大鍋で作ったカレー。畑仕事の後に飲んだ味噌汁。休日の朝に焼いたトースト。お祭りの日だけ食べられた焼きそば。料理の豪華さとは関係なく、人生のある場面と結びついた味には、その人だけの重みがあります。

「好きな料理は何ですか?」と聞いても、なかなか答えが出ないことがあります。そんな時は料理名を探し当てるより、「若い頃は何をよく食べました?」「仕事が終わった後は?」「お正月には何が並びました?」と、食べていた時代や場面から辿る方が話が広がることがあります。「魚」「麺」「甘いもの」くらいの答えでも十分です。そこから、香ばしいものが好きなのか、熱い汁物に安心するのか、濃い味に懐かしさを感じるのか、その人らしい方向が少しずつ見えてきます。

そして施設で昔の料理を楽しんでもらう時、完全再現を目指さなくても構いません。家庭の台所と施設の厨房では、作れるものも時間も違います。それなら料理そのものではなく、「何がその人の心に届いていたのか」を拾います。

焼きそばなら、ソースの香りや香ばしさだったのかもしれません。味噌汁なら、具材より出汁の匂いと湯気だったのかもしれない。トーストなら、パンの種類より焼けた香りと温かさだった可能性があります。思い出の味を取り戻す時に大切なのは、料理をそっくり作ることではなく、その人が「これだ」と感じる部分を見つけることです。

これなら施設でも工夫の余地が広がります。麺を食べることが難しくなっても、好きだった香りに近づける方法は考えられます。昔と同じ料理が作れなくても、出汁や温度、香ばしさなどを残せることがあります。「お母さんの味を完全再現せよ」と言われたら職員も厨房も急に料理番組の決勝戦になってしまいますが、目指すのは優勝ではありません。本人の「ああ、懐かしい」が出れば十分です。

最初から大掛かりにする必要もありません。匂いを感じてもらう、ほんのひと口試してもらう、少量だけ味を変えてみる。その反応を見ながら試行錯誤していくと、「この人は甘さより香り」「この人は料理より温かさ」といった小さな発見が積み上がります。食べなかった時も失敗ではなく、「これは違った」という大切な答えになります。

こうして見つけた好みは、特別な日のご馳走だけに使うものではありません。毎日の食事にも少し戻していけます。今日は好きな香りがする、次は懐かしいものを試せるかもしれない。そんな楽しみが1つあるだけで、日々の食卓にも小さな期待が生まれます。

ペヤングが誰にでも通じるわけではありません。それで良いのです。ある人には焼きそば、ある人にはトースト、ある人には味噌汁、ある人には白いご飯の湯気が心を動かす。探しているのは万能の一品ではなく、その人の人生の中にある一品です。

食事記録には「主食5割、副食3割」と残る日でも、その人の顔には数字に残らない変化があります。「これ、好きだったんだよ…」と話してくれたなら、そこから次の食卓を考えられます。食べることを支えるという仕事は、口へ運ぶところだけで終わりません。その人が歩いてきた食卓を知り、今の暮らしへ小さく繋ぎ直すところにも、介護ならではの温かさがあります。

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まとめ…最後まで残したいのは「選べる一口」と嬉しい記憶

施設の食事には、安全を守る責任があります。嚥下や持病、その日の体調を考えながら、大勢の食事を毎日きちんと届ける。その積み重ねが暮らしを支えています。一方で、安全を整えることに夢中になるほど、「今日は何を食べたい?」という本人の気持ちが、小さくなってしまうことがあります。

そんな食卓にカップ焼きそばが登場すると、少し景色が変わります。湯気が立ち、ソースの香りが広がり、「あ、それ食べたい」という反応が生まれるかもしれません。しかし大切なのは、カップ焼きそばを出すことではありません。その反応から、「この人は香りに心が動くんだ…」「昔こんな食べ物がお好きだったのかもしれない…」と、その人らしい食卓へ近づいていくことです。

介護の食事は、完食だけを成功にしなくても良いのだと思います。ひと口食べた、香りに顔を上げた、「今日はこれじゃない」と自分で断れた。それも立派な意思表示です。安全を守りながら、その人が選ぶ余地を残していく。その積み重ねが、画一的になりやすい施設の暮らしへ十人十色の彩りを戻してくれます。

職員同士で相談し、本人の状態を見ながら少量から試し、反応が良ければ次へ繋げる。試して合わなければ、別の味を探せば良い。試行錯誤そのものが、その人をもっと知る時間になります。食事記録の数字には残らなくても、「これ好きなんだよ」と笑った顔は、次のケアを考える大切な手掛かりになります。

人生の終盤まで残したいのは、食べさせてもらうだけの食卓ではなく、「私はこれを食べたい」と言える食卓です。

焼きそばでも、味噌汁でも、トーストでも、白いご飯でも構いません。豪華な料理である必要もありません。その人が生きてきた時間に繋がる一口を、無理のない形で届けることが出来れば、いつもの食堂にも小さな一期一会が生まれます。

「今日のご飯、ちょっと楽しみだな」。そんな気持ちが明日の食卓まで続いたなら、それは栄養だけでは測れない、とても嬉しい成果です。施設ご飯には、まだ、たくさんの自由と楽しさを戻せます。その始まりは、目の前の人へ「何が食べたいですか?」と聞く、小さなひと言なのかもしれません。

(内部リンク候補:『その一口にドラマがある!味わう自由と介護の現場で失われた“主権”の話』)

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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  • コメント ( 2 )

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  1. 興味深く読ませていただきました。
    食事。栄養摂取について課題があると、介護用の栄養食品という流れになりやすいですが、普通に美味しいもの食べる方が自然ですよね。
    薄味、柔らかいものなどが介護施設で提供され、インスタントやジャンクフード的なものはまず提供されることがないですが、在宅生活送っていたら普通に食べている方が大半なんですよね。選択肢としてペヤングも挙がるような雰囲気になると良いなぁと考えさせられました。

    • niiro makoto

      コメントありがとうございます

      ご来場ありがとうございます。
      ペヤングってすごく美味しいので
      私は非常食のストックも兼ねて
      まとめ買いするようにしています。
      今後ともご意見ご指導よろしくお願いします(*^-^*)