デイサービスの気配りが細か過ぎて一日が足りない!~爪から配車まで~

[ 介護現場の流儀 ]

はじめに…気配りは細部に宿る~そして職員の肩にも宿る~

デイサービスの現場って、遠くから見ると「皆で体操して、お風呂に入って、ご飯を食べて、レクして、はい帰宅〜」みたいに、なんだか平和な一日を想像しがちなんですよね。ところが実際の中身は、平和どころか“優しさの細密画”。近づけば近づくほど「そこまで見る!?」というポイントが、あちこちに潜んでいます。

私がデイの現場で介護をしていたのは、今から振り返るともうかなり前の話です。それでも、不思議なもので身体は覚えているんですよ。爪の長さを見た瞬間に「引っかかる前に整えたい…!」って手がうずく感じとか、耳のくぼみを見て「ここ、迷宮だな…」って思ってしまう感じとか。日常のほんの小さなところに、安心や快適さのタネが落ちている。介護の仕事って、そのタネを拾って、そっと芽が出るように整える仕事でもあるんだと思います。

そして、気配りは一対一の場面だけでは終わりません。デイサービスは集団の場でもあるので、「この人に合う」を積み重ねつつ、「この場が荒れない」を守らないといけない。送迎の車の座席1つで空気が変わり、テーブルの配置1つで一体感が変わり、メニューとメニューの間の“繋ぎ”が上手くいくかで、その日まるごとの印象が決まってしまう。つまり、表に見えるイベントの陰で、職員はずっと“見えない司会進行”をしているわけです。笑ってもらえたら勝ち。喧嘩が起きなかったら大勝利。無事に帰宅して「今日も楽しかったわ」で締まったら、もう拍手喝采です。

この文章では、そんな「細か過ぎる気配り」の思い出を、ちょっと笑いも混ぜながら掘り起こしていきます。整容の話も、配車や席の話も、写真やお土産の話も、「やってみたら意外と奥が深い」ものばかり。昔の体験談ではありますが、今の現場にも通じる“人を大事にする技術”として、読み物として楽しめる形にしていきますね。

さぁ、まずは入り口からして難しい、整容の世界へ。爪と耳と髭が、今日もこちらを見ています。「気配りの沼へようこそ」と。

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第1章…整容は小さな冒険だ!~耳の迷宮とヒゲの逆襲~

デイサービスの気配りって、まず何が浮かぶでしょう。大きなイベント?それとも機能訓練?……いやいや、現場にいると真っ先に浮かぶのが「爪」と「耳」と「ヒゲ」だったりします。派手さはゼロ。でも、ここを丁寧にやると一日が平和になる。逆に雑にやると、後で静かに大事件になる。整容って、地味なのに“影の主役”なんですよね。

爪切りは、たぶん介護の世界で一番「優しく見えて、一番緊張する」部類です。深爪にしない、でも長過ぎない、引っかかりが残らないようにヤスリで整える。これだけ聞くと美容室のネイルケアみたいなんですけど、相手は高齢者。爪が硬かったり、分厚かったり、巻き爪だったり、爪水虫が疑われたり、事情がいろいろです。足の巻き爪なんて、放っておくとアッという間に肉に食い込んでしまって、本人も痛いし、こちらも切り難いし、もう「ごめんなさい、今日は看護師さんお願いします」となることがありました。看護師さんが登場すると、こちらはホッとする反面、どこか悔しい気持ちも出てくるんですよ。「出来るようになりたい…!」って。現場あるあるです。

それから耳かき。子どもの耳かきは膝の上で、なんてイメージがありますけど、高齢者はそうはいきません。椅子を並べて横からそっと。ここは力を入れたら負けです。耳の中って、よく見ると迷宮みたいに複雑で、「え、こんなところに溜まるの?」っていう場所があります。耳かきで無理に取ると傷になりやすいので、取れるところを軽く、あとはガーゼで拭く。これだけでかなりスッキリします。耳の周りのムダ毛、鼻毛、眉の伸び過ぎ……こういう“ちょい整え”も、本人の気分が変わる大きなポイントでした。鏡を見た時の「あら、ええやん」って顔、あれが見たくてやっているところも正直あります。

そして私にとっての難関が、ヒゲ剃りでした。電動シェーバーなら簡単そうに見えますよね。ところがヒゲって、人によって生える向きに癖があるんです。向きに逆らうと、剃るというより“引っこ抜く”に近くなってしまって、根元が痛むらしいんですよ。ほんの一瞬、「イタッ」という顔が見えたら、こちらの心の中で警報が鳴ります。「今のはまずい、今のはまずい…!」って。すると大抵こう言われます。「もうええ、自分でやるわ」って。いや、だからこそお手伝いしているんですが……言い返せないんです。よほど痛かったんでしょう。ここは反省しつつ、相手のペースを尊重しながら、角度を変えたり、肌を軽く押さえたり、少しずつ“うまい当て方”を覚えていくしかありませんでした。整容って、技術というより「相手の今日の調子を読む」部分が大きいんですよね。

ちょっと楽しい番外編~毛染めとお化粧は心が若返る魔法~

整容の中でも、とびきり楽しかったのが毛染めとお化粧でした。これはもう、空気がパッと変わります。毛染めして、落ち着いたらそのままお風呂でさっぱり、という流れは、段取りとしても気分としても気持ちが良いんですよ。お化粧も同じで、ニコニコしながら仕上げて、最後はお風呂で落としてすっぴんに戻って帰る。いったい何をしたのか分からないようで、でも本人の中にはちゃんと“特別な時間”だけが残るんです。

写真を撮って持ち帰っていただくレクもよくやりました。帰る前にもう一度お化粧をして差し上げようとしたこともあるんですが、これが意外と不評で、「もうええわ、帰ってゆっくりするわ」が多かったです。ところが後日訪問すると、部屋の目立つところに写真が大事に飾られていたりする。ああ、ちゃんと嬉しかったんだな、とこちらが救われる瞬間でした。本人の満足って、その場の歓声だけで分かるものじゃないんですよね。

整容は、清潔のためだけじゃありません。「自分で自分を大事に出来ている」という感覚を取り戻すための時間でもあります。爪が整う、耳がすっきりする、ヒゲが綺麗に剃れる。それだけで、姿勢が少し伸びたり、表情が明るくなったりする。そんな小さな変化が、実はデイサービスの一日を支えている。地味だけど、確実に効く。整容は、静かな必殺技でした。

次の章では、その必殺技を“集団の場”でどう活かすのか。配車、座席、テーブル配置、メニューの繋ぎ……気配りの戦場は一気に広がります。職員の頭の中の「見えない台本」を覗いていきましょう。


第2章…全員に気を配るって無理ゲー?~配車・席・段取りの舞台裏コメディ~

整容みたいに「目の前のこの人」に集中できる時間は、ある意味で分かりやすいんです。難しいけど、世界が小さい。ところがデイサービスの本領は、そこから先でした。フロアに利用者さんが集まって、いろんな会話が飛び交って、職員も動き回って、メニューも次々に進んでいく。ここで求められるのは、細かい気配りに加えて「全体が穏やかに回る仕組み作り」。つまり、舞台監督みたいな仕事です。

まず大事なのが送迎です。車の中って、狭い車という空間に人と人がギュッと入るじゃないですか。これが不思議なもので、仲が良い人同士を一緒にすると盛り上がって最高の車内になることもあれば、逆に“盛り上がり過ぎて”誰かが疲れてしまうこともある。逆に静かな人同士を合わせると、穏やかで平和だけど、沈黙が続いて気まずくなることもある。さらに、話題の相性が悪いと、車内が突然ピリッとします。職員の心の中では、その瞬間に警報が鳴るんですよ。「今、地雷を踏んだ…!」って。

だから配車は、ただ近所順に詰めるだけじゃなくて、職員の配置も含めて“組み合わせ”になります。元気なムードメーカーがいる車には、上手く受け止められる職員を。愚痴が出やすいメンバーが集まりそうなら、話を切り替えられる職員を。体調が不安定な方がいるなら、観察が得意な職員を。乗る順番に降りる順番。こういうのって、外から見ると分からないけど、現場はけっこう本気でやっていました。送迎で一日が決まること、ほんとにありますからね。

施設に着いたら次は座席です。座席は、ただ空いているところに座るだけに見えるんですけど、ここにも細かいドラマがあります。「いつもの席」がある方もいますし、隣が変わるだけで落ち着かなくなる方もいます。逆に、いつも同じ席だと気分が変わらないから、敢えて少しだけ変えて刺激を入れることもある。でもこれ、やり方を間違えると一瞬で空気が固まります。なので職員は、笑顔でサラッと誘導しながら、内心はすごく慎重です。「今日は窓側、光が気持ち良いですよ」みたいに、本人のメリットになる言い方で自然に動いてもらう。これが出来ると、職員は心の中でこっそりガッツポーズします。

さらに難しいのが、メニューとメニューの間の“繋ぎ”です。体操が終わって、レクまで少し時間が空く。お風呂の呼び出しまで待ち時間がある。食事の準備中に手持ち無沙汰になる。ここが一番荒れやすい時間帯でした。人って、目的がない時間が続くと、急に元気がなくなったり、逆に落ち着かなくなったりします。そこへ持ってきて、ちょっとした言葉が引っかかって小さな口論が起きたり、誰かが不機嫌になってしまったり。だから職員は、スケジュール表に書かれていない“隙間メニュー”を持っているんです。

例えば、軽い手指の体操を兼ねた遊びをさっと始めるとか、季節の話題を振って会話を広げるとか、昔の歌を小さく口ずさんで場を緩めるとか。将棋組の指し手を褒めるとか。大袈裟なイベントじゃなくて良い。むしろ「何となく始まって、何となく終わる」くらいがちょうど良い。ここが上手くいくと、全体の疲れが減って、クレームも減って、事故も減って、結果として一日がとても穏やかになります。地味だけど、めちゃくちゃ大事な技術でした。

テーブル配置は一番静かな“空間演出”

私が印象に残っているのは、テーブル配置を機動的に変えたことです。例えばデイルームに6人掛けが4つあるなら、くっつけて大きな島にしてみたり、離して会話を小さくしたり。これが、利用者さんにけっこう好評でした。たぶん、景色が変わるんですよね。「今日はいつもと違うな」って。1日単位じゃないですよ。1日の中でタイミングをみて組み替えるんです。

ただし、くっつければ一体感が出る一方で、相性が悪い人が近くなると火種になることもあります。逆に広げ過ぎると、場が散ってしまって、活気が薄くなる。だから、職員は“火の通り”を見ながら調整します。ここは料理に似ていて、強火にし過ぎると焦げるし、弱火過ぎると味が沁みない。ほどよい距離感、ほどよい声量、ほどよい混ざり具合。空間って、実は気配りの大きな道具なんです。

そして最後に、私が勝手に「デイサービスの締めの儀式」と呼んでいたのが、お土産や持ち帰りの工夫です。何か小さくても「今日ここに来た証」があると、帰り道の会話が明るくなるんですよ。メッセージカード、スタンプカード、手芸作品、写真。写真は特に強かったです。デジカメが普及してからは、撮って、ちょっと編集して、カレンダーにして……と、少し工夫するだけで「家族に見せられる宝物」になりました。

名刺サイズの小さなメッセージカードを作って、お孫さんやお嫁さんに渡す、なんてこともしました。普段はいかついお父ちゃんが、「誕生日のプレゼントに挟んでるんや」と相好を崩した時は、こちらも嬉しくなりましたね。デイサービスって、本人のための場所でありながら、家族の安心にも繋がっている。そう実感する瞬間でした。

この章で言いたかったのは、気配りは“全員に同じ”ではなく、“全員が安心できる場”を作ることでもある、ということです。次の章では、デイサービスの存在意義そのもの、「楽しく動いて、夜はぐっすり」という王道の狙いと、現代のデイサービスの変化について、体験談も交えて進めていきますね。


第3章…デイは“遊び場”で“作戦基地”!楽しく動いて夜はぐっすり…のはずが

デイサービスって、外から見ると「昼間にちょっと遊んで帰る場所」みたいに見えることがありますよね。でも中の人間からすると、あれは遊び場でありながら、同時に生活リズムを整える“作戦基地”でもあります。

私がケアマネになってから、デイサービスを提案する時の定番の言い回しがありました。「日中にほどよく動いて、ほどよく疲れて、夕方は家で落ち着いて、夜はぐっすり」。これが上手く回ると、本人も家族もラクになります。昼夜逆転が少し戻ったり、夕方のソワソワが減ったり、家の中での転倒リスクが下がったり、何より家族の“見守り疲れ”が少し軽くなる。デイって、表に見えるのは体操やレクなんですけど、裏の目的は生活全体の調整なんですよね。

ところが、この「ほどよく」が一番難しい。人によって、ほど良い運動量も、ほど良い刺激も、全然、違うからです。賑やかな場が大好きで、皆の真ん中で笑っていると元気になる方もいれば、音や人の多さだけで疲れてしまう方もいる。体操は平気でも、会話の往復でドッと疲れる方もいるし、逆に会話がないと元気が出ない方もいる。デイサービスは“集団”なので、同じ時間に同じ空気を吸っていても、受け取り方はそれぞれ。ここが面白くもあり、職員が頭を抱えるところでもあります。

昔ながらの“何でもデイ”が好きな理由

最近は、運動機器を中心にしたタイプのデイサービスも増えましたよね。もちろん、そういう場所が合う方もたくさんいます。やることがはっきりしていて、成果も見えやすいし、職員側も安全に運営しやすい。本人も「今日はここまでやった」という達成感が持ちやすいです。何より成果が計測されて数字やグラフでも見える。

でも、私は昔から「いろんなことをやっている楽しいデイサービス」が好きでした。理由は単純で、人生って“筋肉だけ”で出来ていないからです。笑ったり、誰かと話したり、季節を感じたり、「今日はちょっと特別だった」と思えたり。そういう心の栄養が、意外と身体の動きにも繋がっていく。現場ではよくありました。最初は無口だった人が、工作の時間だけ急に職人になって、周りが「え、そんなこと出来るの?」って驚く。すると本人の背筋がスッと伸びる。あれは、筋トレとは別の意味で“強くなる瞬間”でした。

それに、デイサービスの強みって、同じことを毎回繰り返すよりも、「今日はこれをやってみようか」と小さく変化をつけられるところにあると思うんです。運動も、座って出来る軽い動きから始めて、歌や手拍子に混ぜて、最後に歩行練習に繋げる。レクも、作品作りが苦手な方には“見守り係”や“応援団長”みたいな役割をお願いして、参加の仕方を変える。そうすると「出来ないから座ってる」じゃなくて、「自分の居場所があるから座ってる」に変わるんですよね。

そして、ここでまた“気配りの細かさ”が顔を出します。楽しい場を作るためには、楽しくない瞬間を減らさないといけない。待ち時間が長い、説明が分かり難い、隣の人と話が合わない、音が大きい、トイレに行きたいと言い出せない。こういう小さなストレスは、積もると「もう行きたくない」に変わります。だから職員は、楽しませるだけじゃなく、ストレスの芽を先に摘む。ここまでやって、ようやく「遊びながら整う」が成立するんです。

それでも、計画通りにいかない日もあります。本人が体調的に重い日もあれば、気分が沈む日もある。家で何かあって心配を抱えて来る日もある。デイサービスは魔法の箱ではないので、いつでも同じ効果が出るわけじゃありません。でも、だからこそ価値があるとも思います。良い日も、重い日も、受け止めながら続けられる場所。そんな場所があること自体が、生活の支えになるんですよね。

さて、次の章では「気配りの細かさは、時代と道具でどう変わってきたか」を、写真や小さなお土産の工夫も交えながら、もう少し今っぽい視点で広げていきます。昔の現場話に見せかけて、実は“明日から使える考え方”が詰まっている章にしますね。


第4章…気配りは進化する!写真の思い出・道具の力・職員のセルフケア

気配りって、「気持ち」だけで出来ているように見えますけど、実は“道具”と“段取り”で半分が決まるところがあります。優しさはもちろん最優先で大事。でも、優しさを毎日ちゃんと届けるには、継続する手が痛くならない工夫、時間が詰まって追われない工夫、ミスが起き難い工夫が必要なんです。現場で言うなら、「いい人」だけでは回らない。「回る仕組み」がないと、良い人ほど先にへとへとになります。

昔の私は、気配りが細かいほど「自分が頑張っている」気になっていました。今思えば、ちょっと危ない考え方です。頑張りは美徳に見えるけど、続かない頑張りは誰も助けられない。なのでこの章は、昔話の顔をしながら、気配りを長く続けるための“現場の知恵”をまとめる章にしていきますね。

写真は最強のお土産だった~家族にも届くから~

デイサービスでの「お土産」って、ただのプレゼントじゃなくて、「今日の一日を家に持ち帰る装置」みたいなものです。本人が帰宅して、「今日はこんなん作った」「今日はこれをもらった」と言えるだけで、家族の会話が生まれる。会話が生まれると、本人の表情がちょっと明るくなる。明るくなると、次に行く気持ちが続く。お土産って、地味だけど循環を作るんですよ。

その中で、写真はやっぱり強かったです。作品作りが苦手でも、運動が得意じゃなくても、写真なら全員が“参加できた証”を持って帰れます。しかも、家族が喜ぶ確率が高い。部屋に飾れる、冷蔵庫に貼れる、親戚に見せられる。本人は「恥ずかしいわ」と言いながら、まんざらでもない顔をする。あれはもう、こちらの勝ち確です。

デジカメが出てきた頃は、それだけで革命でした。今ならスマホやプリンター、編集アプリも当たり前になって、カレンダーやメッセージカードも作りやすい。つまり、今の現場は“道具の力”で気配りを増幅できる時代なんですよね。昔より忙しいのに、昔より作れる。これは大きいです。

道具は「便利」じゃなく「安全」を買っている

整容で言えば、爪切り1つでも、ライト付きの耳かき1つでも、使いやすさはもちろん、事故を減らす力があります。爪を切る時に手元が見やすい。耳の中が見やすい。ヒゲ剃りの角度が合わせやすい。こういう小さな改善が、利用者さんの痛みや不快感を減らしてくれる。

そして利用者さんの安心は、そのまま職員の安心になります。人って、相手が怖がっていたり痛がっていたりすると、こちらも緊張するじゃないですか。緊張すると手元が狂って、さらに相手が怖がる。悪循環です。だから現場の道具は、「便利グッズ」というより“安心の土台”。道具をケチると、最後にツケを払うのは現場と力技になってしまうんですよね。

気配りは自分を削ると枯れる…だから“分け合う”が正解

ここが一番大事な話です。気配りって、細かくやろうと思えばどこまでも出来てしまいます。爪はもっと綺麗に出来る、席はもっと完璧に配置できる、送迎の組み合わせももっと最適化できる、レクの導入ももっと面白く出来る。やろうと思えば無限にある。でも、職員の体力と時間は有限です。

だから現場では、気配りを“個人技”にしないことが重要でした。誰か一人が天才的に頑張るより、皆で同じやり方を共有して、同じ基準で回す方が強い。送迎で揉めやすい組み合わせ、座席の定番パターン、待ち時間の埋め方、写真やカードの作り方。こういうのを「この人がいないと出来ない」にしない。属人化させない。これが出来ると、職員のメンタルが守られて、結果として利用者さんにも安定した気配りが届きます。

もう1つ、セルフケアも大事です。気配りの仕事って、相手を見ているようで、自分の感情も使います。笑顔を作る、空気を読む、言い方を選ぶ、トラブルの芽を摘む。これを毎日やっていると、心の電池が減ります。電池が減ったら、充電が必要です。充電方法は人それぞれだけど、「ちゃんと休む」「ちゃんと笑う」「ちゃんと誰かに話す」。この3つがあるだけで、次の日の気配りの精度が上がります。職員が元気だと、場も元気になります。これは本当にそうです。

気配りは、細かいほど尊い。でも、続かなければ意味が薄くなる。だから、道具と仕組みと分け合いで、気配りを“長持ちする形”にする。これがこの章の結論です。

次はいよいよまとめです。爪の話から始まって、送迎、席、空間、レク、お土産、そして職員のセルフケアまで。デイサービスの細かさは、優しさの証拠であり、同時に現場の知恵の結晶でもある…そんなところで締めていきますね。

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まとめ…細かさはやさしさ、でも背伸びしすぎず続けていこう

デイサービスの気配りって、改めて思うんですけど、本当に「そこまで見る!?」の連続なんですよね。爪の長さ1つで一日が穏やかになったり、耳のくぼみがスッキリするだけで表情が明るくなったり、ヒゲ剃りの当て方1つで「今日は機嫌が良い」が生まれたりする。派手な成果ではないけれど、生活の“引っ掛かり”を減らすことで、本人の安心がジワッと広がっていく。あの細かさは、紛れもなく優しさの形でした。

そして気配りは、一対一の世界だけでは終わりません。送迎の車内の空気、座席の相性、テーブル配置の距離感、メニューとメニューの間の待ち時間の扱い。誰かの小さな不安が、全体の落ち着きを揺らすこともあるからこそ、職員は“見えない台本”を持って動く。舞台の主役は利用者さんで、職員は黒子。上手くいった日は誰にも気づかれないけれど、だからこそ「何も起きない」を守れた日は、現場にとって最高の勝利なんですよね。

デイサービスは遊び場であり、作戦基地でもあります。楽しく動いて、ほどよく疲れて、夜はぐっすり。その王道の狙いは、今も昔も変わらない。ただ、「ほど良く」は人によって違うし、日によっても違う。だからこそ、デイサービスの価値は“いつも同じ”ではなく、“その日のその人に合わせて整える”ところにあるのだと思います。

最後にもう1つだけ。気配りは、気持ちだけで回すと枯れます。道具、段取り、共有、そして職員の休息。これらが揃って、はじめて細かい気配りが長く続きます。頑張りで押し切るより、仕組みで支える。誰か一人の神業にしないで、皆で回る形にする。そうして続いていく気配りこそが、利用者さんの安心と笑顔を守る土台になります。

爪から始まって、耳の迷宮、ヒゲの逆襲、配車と座席の作戦、空間の演出、写真という最強のお土産まで。振り返ると、どれも「小さいけど大きい話」でした。今日もどこかのデイサービスで、誰かがそっと爪を整え、誰かが席の距離を調整し、誰かが待ち時間に小さな笑いを仕込んでいるはずです。そういう見えない気配りに、心の中で拍手を送りつつ、この話を締め括ります。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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