紅葉の京都で伏見稲荷大社の火焚祭~祈りが立ちのぼる日とお焚き饅頭~
目次
はじめに…炎のぬくもりと甘い香りに包まれる晩秋の伏見で
11月の京都は、朝の白い吐息と、千本鳥居の朱がしっとり濡れる光で始まります。伏見の街を歩くと、どこか懐かしい煙の匂いが風に混ざって、心の奥のスイッチがそっと入るような気がしてきます。
その源は、伏見稲荷大社の「火焚祭(ひたきさい)」。一年の願いごとを託した木の串が大きな火床で焚かれ、モクモクと立ちのぼる煙が空へと道標を描きます。炎の前に立つと、手の平までじんわり温まり、背筋までピンと整う――そんな不思議な時間が流れます。
そして、もう1つの主役が「お焚き饅頭」。紅白のふっくらした姿に、つい「まるもち?」と声が出そうになりますが、答えは本文でのお楽しみ。ホカホカの湯気と小豆の香りは、旅の記憶をやさしく包むご馳走です。
本記事では、総本宮としての伏見稲荷大社の素顔、火焚祭の一日を覗く小さな旅、そして気になる行事の味まで、やわらかな語り口でご案内します。難しい作法はひとまず置いて、晩秋の京都を一緒に歩く気持ちで読み進めてみてくださいね。
[広告]第1章…総本宮伏見稲荷大社とは?稲荷山と五柱の神様の物語
京都市伏見区の山裾、朱の鳥居が幾重にも重なる道の先に、稲荷信仰の総本宮が静かに息づいています。伏見稲荷大社――その名を聞けば、真っ先に思い浮かぶのは千本鳥居のトンネルでしょう。けれど、この社の魅力は写真映えだけではありません。門前の空気に一歩足を踏み入れた瞬間から、稲の香りや商いの心、旅人の祈りまで、長い時を抱きしめてきた物語が、フッと肩にかかるのです。
創建は奈良時代、和銅年間のこと。伝承では、711年(和銅4年)に稲荷山――古くは「伊奈利山」と呼ばれた山――に神様が鎮まり、人々は五穀の実りと暮らしの繁いを祈り続けてきました。稲の波が日本の食卓を支えていた時代、祈りの中心にあったのが「お稲荷さん」。商売繁昌、家内安全、道の安全、芸事上達……願いが多ければ多いほど、境内の賑わいは豊かになり、朱い鳥居もまた一本、また一本と増えていきました。
ここにおわしますのは五柱の神様。宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、そして四大神――それぞれにお役目があり、田畑の実りを見守り、道ゆく人を導き、祭りと芸の心を育み、土地の境を正しく保ち、四方から社を守ります。お社に向かい手を合わせると、不思議と背筋が伸びるのは、五つの眼差しに見守られているからかもしれません。
稲荷山を歩けば、狐の像と目が合います。稲の鍵を咥えた賢い表情は、米蔵の合鍵を預かる番人のようでもあり、旅人の荷を軽くする道案内のようでもあります。鳥居の朱は朝夕の光を受けて色合いを変え、石段は季節の落ち葉をまとい、遠くからは社家町の屋根瓦がキラリ。昔の人も、きっと同じ景色に「よし、頑張ろう」と心を整えたのでしょう。
時代は移り変わり、戦や災い、制度の大きな転換もありました。それでも、人びとが願いを託すかぎり、社の灯は消えません。奉納された鳥居の列は、願いの数だけ続いていき、参道の商いは旅の腹拵えを担い、町の暮らしと神さまの時間が、今も同じリズムで鼓動しています。
稲荷信仰の息遣いを胸いっぱいに吸いこんだら、次は一年の想いを炎にあずける特別な一日へ。晩秋の空にまっすぐ伸びる煙の物語を、第2章でご一緒しましょう。
第2章…火焚祭の一日~火焚串、祝詞、御神楽、煙に託す願い~
晩秋の京都、11月8日の午後、境内の空気は少しだけキリリと引き締まります。拝殿での祭事が13時に始まると、参道に立つ人の呼吸まで同じ拍で整っていくようで、朱の鳥居もどこか誇らしげ。ここからが、伏見稲荷大社の特別な一日の始まりです。
本殿での儀が整うと、舞台は本殿裏手の神苑斎場へ。そこには3基の火床が待ち構え、点火の合図と共に炎が立ち昇ります。全国から奉納された願い事の「火焚串」が次々とくべられ、参列者と神職が大祓詞を声に載せると、煙がスウッと空へ道を作る――その瞬間、言葉にしにくい安堵が胸に満ちます。祈りは「罪障消滅」「万福招来」。燃えさかる炎が、こころの曇りまでそっと焼き払ってくれるようです。
火床の炎を支えるのは、神田で育てられた稲わらと、十数万本にも及ぶ火焚串。木に書き込まれた小さな願いが、炎と共に一つに混ざり合い、煙になって空へと昇っていく様は、まるで見えない手紙が風に乗る景色。朱と金と白が揺れる光景に、時間の感覚をつい忘れてしまいます。
夕刻になると、境内の空気は再び色を変えます。18時からは御神楽、そして人長舞の奉納。揺れる篝火の明かりに笛の音が重なると、昼の勇ましさとは違う柔らかな余韻が広がり、日中の炎で温まった心を音と舞がやさしく包み直してくれます。
もし初めて訪れるなら、炎の前では背伸びせず、ただ深呼吸を。熱と音と香りが重なるこの祭は、見るものではなく「浴びる」もの。手を合わせる角度も、願いの言い回しも、きっと正解は1つではありません。自分の歩幅で鳥居をくぐり、耳に入った祝詞の余韻をポケットにしまって、次の章では、この日に欠かせない甘い相棒のお話へ進みましょう。
第3章…行事食はお焚き饅頭~まるもちとの違い、由来、正しいいただき方~
炎がすっかり空に延びた頃、境内や門前の街では、ふっくら湯気をまとった甘い香りが漂います。京都の晩秋に登場するのが『お焚き饅頭(おひたきまんじゅう)』。紅白の小さな“ふかし饅頭”に、3つの炎が連なる大きな焼印――火炎宝珠がくっきり押されているのが目印です。火の神様に感謝し、無病息災や火難除けを願う気持ちが、この焼印に託されています。
「まるもち?」と間違えられることもありますが、食感も生地も実は別物。まるもちはお米由来の“餅”、お焚き饅頭は小麦由来の“饅頭”で、中には粒餡や漉し餡が控えめな塩気とともに包まれています。京都では11月の“お火焚き”の頃、和菓子店や餅屋の店頭にズラリと並び、みかんや“おこし”と一緒にお供えするのが習わし。素朴でまっすぐな甘さが、祭りの余韻を口の中にもう一度灯してくれます。
伏見稲荷大社の火焚祭では、願いを書いた火焚串を焚き上げる神事の後、神様からのお下がりとして“お焚き饅頭・みかん・おこし”をいただく地域の慣習が今も息づいています。炎の前で背筋が伸びたその気持ちのまま、甘い一口を分かち合う――そんな時間も、この日に出会える大切な景色の1つです。
いただき方に難しい作法はありませんが、京都の町家では“おくどさん(かまど)”に感謝を伝える行事として、お供えした後に家族へお下がりを配って味わってきました。火のありがたさを皆で確かめる小さなセレモニー。昔日の風景をそのままに、今も食卓でやさしく再現できます。
門前散歩の寄り道なら、伏見の和菓子店でも季節限定の“お焚き饅頭”に出会えます。例えば“稲荷ふたば”のように、この時季に求める人で賑わうお店も。ほかほかの袋を腕にさげて鳥居をくぐれば、帰り道まで祭の香りがついてきます。
紅白の丸い姿は、遠目には“まるもち”に見えるかもしれません。でも、歯を立てた瞬間に分かるのは、ふかし生地のやわらかい膨らみと、小豆の滋味がスッと広がること。違いを知って味わう一口は、炎のゆらぎと同じくらい、心を温めてくれるはずです。
第4章…晩秋散歩の寄り道案内~千本鳥居の光と影と稲荷山の小さな絶景~
火焚祭の余韻がまだ胸にあたたかいまま、楼門を潜って朱の回廊へ歩みだすと、千本鳥居はまるで光の川のように続きます。鳥居と鳥居の隙間から差し込む陽が石畳に斜めの縞模様を造り、行き交う人の気配もやわらかく揺れて、足どりまでふんわりと軽くなっていきます。朱と木々の緑、そして晩秋の金色が重なる時間帯は、息を呑みたくなるほど綺麗です。
鳥居のトンネルは、角度によって表情がクルクル変わります。正面から差す光は朱を艶やかに照らし、逆光の煌きは輪郭を仄かに縁取ります。石段を数段登って振り返るだけでも景色は一変し、さっきまで見えなかった遠景が急に開けて、思わず「おぉ」と声が漏れてしまうはず。写真に収めるより、まずは深呼吸で光を味わってみましょう。
千本鳥居の歩き方は「譲り合い」が一番のご利益
人気の道だからこそ、立ち止まるなら端に寄って、すれ違う人へそっと会釈。鳥居は奉納者の祈りそのものですから、柱に手をつくときもやさしく。石段の幅は場所ごとに表情が違うので、足元は一段ずつ確かめるように進むと安心です。ゆっくり歩くほど、朱の層に包まれる気持ち良さが増していきます。
狐の像に出会ったら、口元を見てみてください。鍵だったり、玉だったり、稲の穂だったり――どの狐も、どこか誇らしげ。小さな祠に手を合わせ、頭の中のモヤモヤを1つ置いていくつもりで目を閉じると、風の音がすっと澄んで聞こえてきます。
稲荷山の「小さな絶景」は角を曲がった先にある
稲荷山へ少しだけ足を延ばすと、木々の間から街並みの屋根がヒラリと顔を出します。大きな展望だけが絶景ではありません。苔むした石の光沢、葉の影が鳥居に落とす模様、手水鉢の水が日差しで揺らぐ瞬間――その1つ1つが、旅の心をやさしく整えてくれます。途中の休憩所で温かい湯気にホッとしながら、耳を澄ますと、鳥の声と人の足音が同じテンポで重なっているのに気づくでしょう。
晩秋の稲荷山は、日なたと日かげの温度差がはっきりしています。羽織れる上着を一枚、指先を守る薄手の手袋が一組、そして喉を潤す小さな水分――この三つがあるだけで、体のご機嫌がグッと良くなります。靴は歩き慣れたものがうれしい相棒。石段を降りるときほど、踵をそっと置くつもりで。
門前へ戻るころ、空はゆっくりと藍色に。灯りがともる通りでは、甘い香りがまた旅人を迎えてくれます。今日の祈りを胸に、お焚き饅頭の温もりをそっと手に載せたら、火のありがたさを思い出しながら一口。炎と朱と甘さが、晩秋の伏見をやさしく締めくくってくれます。
[広告]まとめ…また来年もまたの約束を胸に祈りの街を後にして
炎の温もりに背中を押され、朱の回廊を潜り抜け、手にはホカホカの『お焚き饅頭』。今日の伏見は、五柱の眼差しに見守られた物語の連続でした。総本宮の歴史にそっと触れ、火焚祭で願いを煙に委ね、甘い一口で心を落ち着かせる――そんな一日のリズムが、晩秋の風景とピタリ重なります。
鳥居の間からこぼれる光は、朝はやわらかく、夕方はキラリと澄んで、時間ごとに表情を変えます。狐と目が合えば「今日もよく来たね」と言われたような気がして、思わず胸を張ってしまう。願いごとは、立派でなくて大丈夫。深呼吸1つ分の素直さがあれば、炎はちゃんと受け止めてくださいます。
季節の京都は気温差がくっきりです。羽織を一枚、歩き慣れた靴を相棒に、喉を潤す小さな水分を連れて行けば、稲荷山の石段もご機嫌で上り下り。夕刻の御神楽や人長舞まで楽しむなら、身体の温かさを途切れさせないのがコツです。
アクセスは、JR奈良線の「いなり」駅、京阪本線の「伏見稲荷」駅が便利。どちらも境内まで歩けばほどなく朱の世界に到着します。帰り道は門前の灯りを眺めながら、今日受け取った静かな手応えをポケットに。家ではお供えをすませ、お下がりを分かち合って、火のありがたさをもう一度味わいましょう。
「また来年も」。そのひとことを合言葉に、伏見の夜空へ手を振る。炎と甘さと朱の余韻が、きっと明日の背中をそっと押してくれます。
⭐ 今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m 💖
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