五月病かな?~保育園・幼稚園の子どもがしょんぼりした朝に親ができるやさしい立て直し方~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…五月の朝に元気な子どもの心が少しだけ重たくなる日

五月の朝は、何だか不思議です。

四月には新しい帽子をかぶって、少し大きすぎる通園バッグを揺らしながら、元気いっぱいに玄関を飛び出していた子どもが、連休明けになると急に靴を履く手を止めることがあります。

「行きたくない!」

その一言に、親の胸は小さくドキッとします。

熱はない。咳もない。お腹も、まあ大丈夫そう。けれど顔つきだけが、いつもの朝と少し違う。親としては一喜一憂してしまいます。つい「何があったの?」「誰かに何かされた?」と聞きたくなりますが、子どもの心は、引き出しを開けたら答えが出てくるタンスではありません。親の焦りだけが先に廊下を全力疾走し、本人はまだパジャマの裾を握っている。そんな朝もあります。

五月病(環境の変化で心や体が疲れやすくなる状態)は、大人だけのものではありません。保育園や幼稚園で毎日を頑張っている子どもにも、知らないうちに小さな疲れが積もることがあります。新しい先生、新しい友だち、新しい約束ごと。楽しいことの中にも、子どもなりの緊張は混ざっています。

子どものしょんぼりは、困った変化ではなく、心が「少し休ませて」と出している小さな合図かもしれません。

親に出来ることは、正解を急いで探し当てることよりも、まず朝の空気を少しやわらかくすることです。着替えが遅い日には、急かす前に深呼吸を1つ。ご飯が進まない日には、一口だけでも拍手。玄関で固まる日には、「今日も戦場へ出陣だ!」ではなく、「帰ったら何して遊ぶ?」くらいの軽さが似合います。いや、親の頭の中は既に天下分け目の大合戦なのですが、そこは表情だけでも平常運転。面目躍如の親力です。

春から初夏へ向かうこの時期、子どもの心は大人が思うより繊細に季節を受け止めています。親子で歩く時間や、家でホッとする時間も、元気を取り戻す大切な土台になります。

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第1章…子どもの五月病は「怠け」ではなく小さな心の荷物です

子どもが朝からぼんやりしていると、親はつい心の中で会議を始めます。

昨日の夜、寝るのが遅かったかな。園で嫌なことがあったのかな。朝ごはんが気に入らなかったのかな。それとも、ただの気分かな。

頭の中の親会議は、なかなか閉会しません。議長は不安、副議長は心配、書記はため息。もう議事録まで作れそうです。けれど、目の前の子どもは、そんな大人の会議とは別の場所で、ただ小さく疲れているだけかもしれません。

五月の子どもは、思っている以上に頑張っています。

新しいクラス、新しい先生、新しい友だち、新しい生活リズム。4月の間は、楽しい気持ちと緊張が一緒に走ってくれるので、勢いで進める日も多いものです。けれど連休を挟んだ頃、張り詰めていた糸が少し緩みます。すると、今まで見えにくかった疲れが、朝の表情や返事の少なさにそっと顔を出します。

五月病(環境の変化によって心や体が疲れやすくなる状態)は、怠けとは違います。大人でも新しい職場や人間関係で気疲れするように、子どもも子どもなりに社会の中で試行錯誤しています。小さな体で、知らないルールを覚え、友だちとの距離を探り、先生の言葉を受け止め、家では見せない顔で過ごしています。

元気がない日は、心が弱い日ではなく、頑張った分だけ休憩を欲しがっている日です。

親から見ると、「昨日まで平気だったのに」と感じることがあります。けれど、子どもの中では一進一退です。昨日できたことが今日できない日もあります。昨日笑えたことに、今日は少し傷つく日もあります。大人だって、月曜日の朝に靴下の片方が見つからないだけで、人生の段取りが半歩乱れます。子どもならなおさらです。いや、靴下に負ける大人もなかなかですが。

大切なのは、元気のなさをすぐに「問題」と決めつけないことです。

「行きたくない」と言った時、その言葉だけを捕まえると、親の心は一気にざわつきます。けれど、その奥には「眠い」「緊張する」「うまく遊べるか不安」「先生に言われたことが気になっている」「お家が安心で離れたくない」など、いくつもの小さな気持ちが隠れていることがあります。

子どもは、自分の心の中を大人のように説明できません。むしろ、説明できないからこそ、泣く、黙る、怒る、甘える、着替えない、玄関で止まる、という形で表に出します。親から見ると「なぜ今そこで止まるの」と思う場面でも、子どもにとっては精一杯のサインです。

そんな時は、原因を一気に当てに行くより、まず受け止める言葉が効きます。

「そっか、今日は行くのが重たいんだね」

この一言だけでも、子どもの心は少しほどけます。すぐに説得しなくても、すぐに励まさなくても大丈夫です。親の落ち着いた声は、子どもにとって小さな港になります。朝の玄関で親が慌てて船を出すより、まず港のロープを結び直す感じです。ちょっと海っぽく言いましたが、現場はだいたい靴と帽子と通園バッグでごちゃごちゃしています。

もちろん、長く続く食欲低下、眠れない様子、激しい不安、体調の変化がある時は、園や医療機関(体や心の不調を相談できる場所)に相談することも大切です。様子を見ることと放っておくことは別物です。見守るとは、何もしないことではなく、子どもの変化に気づきながら、必要な時に手を伸ばせる距離でいることです。

子どもの五月病は、親を困らせるために起きるものではありません。新しい世界に慣れようとする途中で、心の荷物が少し重くなるだけです。急いで荷物を取り上げるより、「半分持とうか」と隣に立つ方が、子どもは安心して歩き出せます。

急がば回れ。

元気を取り戻す近道は、急いで背中を押すことではなく、安心できる足場を作ることなのだと思います。


第2章…朝・帰宅後・寝る前に見える子どものサインを拾う

子どもの元気は、意外と「行きたくない」の一言だけでは分かりません。

朝は元気がないのに、帰ってきたらケロッとしている日もあります。反対に、朝は勢いよく出かけたのに、夕方にはリビングの隅でぬいぐるみと無言会議を開いている日もあります。親としては、「どっちなの?」と聞きたくなります。けれど、子どもの心は天気予報よりも細かく変わることがあります。晴れ、くもり、急な小雨、そして急におやつで快晴。忙しい空です。

五月の不調を見つける時は、原因を1つに決めるより、時間ごとの様子を見る方が役に立ちます。

朝、子どもが布団から出にくい。着替えに時間がかかる。朝ご飯の前でぼんやりする。いつもは自分で持つ通園バッグを、今日は親に渡してくる。こうした小さな変化は、怠けではなく、心と体がまだ起ききっていない合図かもしれません。生活リズム(起きる・食べる・遊ぶ・眠る流れ)が少し乱れるだけでも、子どもの朝は重たくなります。

子どものサインは、大きな泣き声よりも、いつもと違う小さな動きに先に出ることがあります。

帰宅後の様子も大切です。

園から帰った瞬間に機嫌が悪い。靴を脱いだまま玄関に座りこむ。制服や帽子を雑に置く。急に甘える。反対に、妙にテンションが高くて、しゃべり続ける。どちらも、園での頑張りを家で緩めている姿かもしれません。

大人でも、外では愛想よくして、帰宅した瞬間に「ふぅ……」となる日があります。子どもも同じです。家は気を抜ける場所ですから、園でこらえていた疲れや悔しさが、帰ってから顔を出すことがあります。親から見ると「帰ってきた途端にそれ?」となりますが、子どもからすれば「やっと出せた」なのかもしれません。八面六臂で動く親の前に、今日の感情がドサッと納品される感じです。受け取りサインは、できれば笑顔で。いや、夕飯前は親も修行中ですけれど。

寝る前にも、心の声は出やすくなります。

布団に入ってから急に「明日、行きたくない」と言う。急に園での話を始める。小さな失敗を何度も思い出す。先生の言葉、友だちとのやりとり、うまくできなかった遊び。昼間は言えなかったことが、部屋が静かになった頃にポツンと出てくることがあります。

そんな時に、すぐ解決策を出そうとすると、子どもは黙ってしまうことがあります。

「それなら明日先生に言おう」「気にしなくていいよ」「みんなも同じだよ」

親としては励ましているつもりでも、子どもにとっては「この気持ちは終わりにしてね」と聞こえることがあります。寝る前は解決会議より、安心の時間が似合います。

「そっか、覚えていたんだね」「それは嫌だったね」「明日の朝、また一緒に考えよう」

これくらいの言葉で十分な夜もあります。明日の作戦は朝に回して、夜は心を休ませる。冷蔵庫の作り置きと同じで、夜に全部仕上げようとすると、親の気力まで焦げます。

サインを見る時に大事なのは、三つの時間をゆるく並べてみることです。

朝だけ重いのか。帰宅後だけ荒れるのか。寝る前に不安が出るのか。

この流れが見えてくると、声かけも臨機応変に変えやすくなります。朝が重い子には、前日の夜に持ち物を一緒に揃えておく。帰宅後に崩れやすい子には、帰ってすぐの予定を詰め込まない。寝る前に不安が出る子には、暗くなる前に少し話を聞く時間を作る。

どれも特別な技ではありません。けれど、小さな積み重ねは侮れません。

子どもは、親が見てくれていると感じるだけで、少し安心します。大人のように「助かりました」と丁寧に言ってくれるわけではありません。大抵は、急に鼻歌を歌い出したり、床で謎のポーズを取ったりします。感謝の表現が自由すぎる。それもまた子どもらしさです。

五月のしょんぼりを見守る時、親の役目は名探偵になることではありません。犯人探しより、子どもの一日の温度をそっと感じることです。朝、帰宅後、寝る前。その3つの場面に目を向けるだけで、心の荷物の重さが少し見えやすくなります。

夏に向かう前の暮らしは、朝夕の過ごし方で随分と変わります。親子のリズムを整える小さな工夫は、五月の不安にもやさしく効いてきます。

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第3章…園での出来事を問い詰めずに暮らしの中からほどく

子どもが「行きたくない」と言った時、親の心は一瞬で園の門まで飛んでいきます。

誰かに意地悪されたのかな。先生に叱られたのかな。遊びに入れなかったのかな。給食で苦手なものが出たのかな。

頭の中では、既に聞き取り調査が始まっています。親の脳内だけ、朝から刑事ドラマです。けれど、目の前の子どもに「何があったの?」「誰?」「いつ?」と続けて聞くと、子どもは小さな心の扉をそっと閉めてしまうことがあります。

大人は理由を知ると安心します。けれど子どもは、理由を言葉にする前に、気持ちを受け止めてほしい時があります。

園での出来事は、家からは見えにくいものです。お友だちとの関係、先生との距離、遊びの順番、片づけの時間、給食の席、トイレの不安。大人から見ると小さなことでも、子どもにとっては一日を左右する大事件になることがあります。小さなブロックを取られただけで、心の中では城が崩れる日もあります。いや、ブロック1つで天下騒乱。子どもの世界もなかなか広いのです。

園の出来事を知りたい時ほど、問い詰めるより、話し出せる空気を先に作ることが大切です。

帰宅してすぐに聞き出そうとするより、手洗いをして、おやつを食べて、少し遊んで、心がゆるんだ頃の方が話しやすい子もいます。お風呂でポツリと話す子もいれば、寝る前に急に思い出す子もいます。親としては「今それ言う?」となりますが、子どもにとっては、今やっと言えたのです。

聞き方も少し変えると、返事が出やすくなります。

「今日、何があったの?」と聞くと、子どもは大きな箱を渡されたように感じることがあります。何から話せばよいのか分からないのです。そんな時は、「今日、楽しかったことあった?」「困ったこと、ちょっとだけあった?」くらいの小さな入口が合います。

それでも答えない日があります。

その沈黙にも意味があります。忘れたいのかもしれないし、言葉にできないのかもしれないし、親に心配をかけたくないのかもしれません。沈黙をすぐ不安の材料にすると、親の心は疑心暗鬼になり、子どもの表情1つで一喜一憂してしまいます。そうなると、親子揃って心が疲れます。

園に確認する時も、責める空気ではなくて協力をお願いする形がよく合います。

「最近、朝に少し行きしぶりがあるので、園での様子を見ていただけますか」

このくらいの言い方なら、先生も日中の様子を拾いやすくなります。行きしぶり(登園を嫌がったり、準備が進みにくくなったりする様子)は、家庭だけで抱え込むより、園と一緒に見た方が安心です。先生の目から見える子どもの姿と、家で見える姿が違うことも珍しくありません。

家では甘えん坊。園ではしっかり者。家では元気いっぱい。園では少し遠慮がち。家では文句たらたら。園ではにこにこ優等生。

子どもは子どもなりに、場所ごとの顔を使い分けています。大人も、外ではきちんと挨拶して、家では冷蔵庫の前で「何かないかな?」と三回開けることがあります。ありますよね。冷気だけ確認して閉めるあの儀式です。

園と家庭の両方から見ると、子どもの困りごとは立体的になります。

お友だちとの小さなスレ違いなら、家で安心を増やしながら、園で先生にそっと見守ってもらう。苦手な活動があるなら、家で似た遊びを軽く楽しむ。給食やトイレが不安なら、園に具体的な場面を見てもらう。無理に解決を急がず、子どもが「明日も少しなら行けそう」と思える道を探していきます。

この時、親が全てを先回りし過ぎると、子どもは自分で乗り越える機会を失ってしまいます。反対に、何も聞かずに我慢させ続けると、心の荷物が重くなります。ほど良い距離は難しいものです。正に試行錯誤。親業には取扱説明書がありません。あれば初日に熟読したいところですが、たぶん子どもが翌日に仕様変更してきます。

出来ることは、子どもの言葉と表情を拾い、園との間にやわらかな橋をかけることです。

橋は立派でなくても構いません。朝の「先生に少しだけお願いしておくね」、帰宅後の「今日はよく帰ってきたね」、寝る前の「明日も途中まで一緒に考えよう」。そんな短い言葉が、子どもの安心を少しずつ増やします。

園の出来事は、問い詰めて掘り起こすものではなく、暮らしの中で少しずつほどけていくものです。親が落ち着いていると、子どもも話す場所を見つけやすくなります。

子どもの心を守るには、家庭と園の連携も大切です。見えない時間を責め合うのではなく、安心を育てる目線で繋ぐと、毎日の景色が少しやわらぎます。


第4章…焦らず、比べず、親子で元気を取り戻す小さな作戦

子どもが元気をなくしている時、親はどうしても早く元に戻してあげたくなります。

昨日まで笑っていた顔を知っているからこそ、今日のしょんぼりが気になります。朝の準備が進まない。返事が小さい。園の名前を出すだけで表情が曇る。そんな姿を見ると、親の心は台所のやかんみたいに、内側からシュンシュン鳴り始めます。

けれど、焦りは子どもに伝わります。

「大丈夫?」と何度も聞かれると、子どもは「大丈夫じゃない自分は困った子なのかな」と感じることがあります。「頑張ろう」と言われ続けると、「もう頑張っているのに」と心の中で小さく座り込むこともあります。親の愛情は本物なのに、届け方が少し急ぎ足になるだけで、子どもには重たく届いてしまう日があります。

五月のしょんぼりには、スモールステップ(小さな段階に分けて進める方法)がよく合います。

いきなり「今日から元気に行こう」としなくても大丈夫です。まずは起きる。次に着替える。次に朝ご飯を一口食べる。次に玄関まで行く。次に園の門まで歩く。全部をまとめて成功にしようとすると、親子揃って息切れします。けれど、小さく区切ると、「ここまでは出来た」が増えていきます。

元気を取り戻す道は、子どもを急がせる道ではなく、出来たことを一緒に見つける道です。

朝の声かけも、少し短く、少しやわらかくすると届きやすくなります。

「早くして」より、「靴下だけ先に行ってみようか」「泣かないで」より、「泣きながらでも靴を履けたね」「みんな行ってるよ」より、「昨日より一歩進んだね」

こうした言葉は、子どもの心に小さな足場を作ります。親の中では「いや、まだ玄関ですけど」と自分ツッコミが入るかもしれません。けれど、玄関まで来たこと自体が、その日の小さな前進です。千里の道も玄関から……と言いたいところですが、ことわざを増やすと話が渋くなり過ぎるので、今日は靴箱くらいで止めておきます。

比べないことも大切です。

友だちは平気そうに見える。兄弟は泣かなかった。近所の子は笑顔で門をくぐった。そう見える日があります。けれど、よその子の心の中まで見えるわけではありません。外で元気に見える子も、家では甘えているかもしれません。泣かない子も、心の中では緊張しているかもしれません。

子どもの育ちは百人百様です。

早く慣れる子もいれば、ゆっくり慣れる子もいます。言葉で出す子もいれば、体の動きで出す子もいます。泣いて出す子、怒って出す子、黙って出す子、妙にふざけて出す子。表れ方が違うだけで、どの子も自分なりに新しい毎日と向き合っています。

家で出来る作戦は、特別な準備よりも「安心の繰り返し」です。

帰ったら好きな飲み物を一緒に飲む。寝る前に明日の持ち物を1つだけ確認する。朝に楽しみを1つ置く。園から帰ったら、先に質問せず「おかえり」と受け止める。そんな小さな習慣が、子どもの心を少しずつ整えていきます。

「今日どうだった?」と聞きたい気持ちを、少しだけ飲み込む日があっても良いのです。代わりに、「今日も帰ってきたね」と言ってみる。親としては情報が足りず、頭の中の親会議は延長戦に入ります。けれど、子どもにとっては、家に帰ってきた自分をそのまま迎えてもらえることが、何よりの充電になることがあります。

もちろん、子どもの不調が長く続いたり、眠れない、食べられない、登園前に体調を崩す日が増えたりする時は、園や小児科(子どもの体調を相談できる医療機関)、相談窓口(子育てや発達の困りごとを相談できる場所)に繋げることも大切です。家庭だけで抱え込まないことは、親の弱さではありません。子どもを守るための用意周到です。

親自身の休憩も忘れないでください。

子どもの気持ちを受け止めるには、親の心にも少し余白が必要です。朝から晩まで心配し続けると、親の顔がずっと緊急会議モードになります。子どもはその空気をよく見ています。親が少しお茶を飲む。深呼吸する。家事を1つ後回しにする。完璧な段取りより、親の表情が和らぐことの方が、子どもには安心として届く日があります。

五月のしょんぼりは、親子で乗り越える小さな坂道のようなものです。坂道の途中で立ち止まっても、景色を見ながら息を整えれば、また歩けます。早く登り切るより、手をつないで歩けたことの方が、後で温かい記憶になるかもしれません。

親子の暮らしは、食べること、眠ること、話すこと、少し笑うことの積み重ねで整っていきます。五月の心の揺れも、毎日の小さな支度がそっと支えてくれます。

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まとめ…子どものしょんぼりは成長の途中で灯る小さな信号

五月の子どもがふと元気をなくすと、親の心はザワザワします。

朝の玄関で止まる。ご飯の前でぼんやりする。帰ってきてから急に甘える。寝る前にポツリと「明日、行きたくない」と言う。どれも親にとっては小さくない出来事です。胸の中では、「どうしたの?」「何があったの?」「明日は大丈夫かな」と心配が順番待ちを始めます。人気店の行列なら嬉しいですが、不安の行列は出来れば短めでお願いしたいところです。

けれど、子どものしょんぼりは、必ずしも悪い変化ではありません。

新しい場所で頑張り、人との距離を覚え、出来ることと出来ないことに出会い、自分の気持ちを少しずつ知っていく。その途中で、心が立ち止まる日があります。大人から見ると遠回りに見えても、子どもにとっては大事な成長の時間です。七転八起というほど派手でなくても、小さく転んで、小さく起き上がる日々が、子どもの足腰を育てていきます。

子どもが元気をなくした時に親ができるのは、急いで答えを出すことより、安心して戻れる場所になることです。

朝は、全部を急がせず、出来たところを見つける。帰宅後は、すぐ聞き出さず、まず「おかえり」で受け止める。寝る前は、解決を詰めこまず、気持ちを置ける時間にする。

それだけでも、子どもの心は少し軽くなります。

園や先生に相談することも、親が負けたことではありません。家庭だけで抱えこまず、子どもを囲む大人たちで様子を見ることは、安心を増やすための共同作業です。子どもの毎日は、家庭と園の両方でできています。片方だけで見えないことも、両方から見ると、スッと分かる瞬間があります。

そして、親自身も完璧でなくて大丈夫です。

朝に少し声が大きくなって、後で反省する日もあります。聞き過ぎて子どもが黙り、台所でこっそり溜め息をつく日もあります。親だって日々是好日とはいかず、洗濯物と予定表と夕飯の献立に囲まれて、なかなかの奮闘中です。そんな中で、子どもの小さな変化に気づけたなら、それだけで十分に親の愛情は届いています。

五月のしょんぼりは、親子の暮らしに小さな見直しをくれる合図です。

早く元に戻すより、ゆっくり一緒に戻っていく。比べるより、その子の歩幅を見る。問い詰めるより、話せる空気を作る。そうして過ごした朝や夜は、やがて親子の中に「あの時、少し大変だったね」と笑える記憶になって残るかもしれません。

子どもの成長は、元気いっぱいの日だけで作られるものではありません。立ち止まった日、泣いた日、甘えた日、玄関で靴を履くまでに少し時間がかかった日。そんな1日ずつが、ちゃんと未来の力になっていきます。

親子の暮らしのリズムは、年齢が違ってもどこか似ています。子どもも大人も、安心できる時間があるだけで、明日へ向かう足取りは少し軽くなります。

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今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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