なぜ1月7日だけゾロ目じゃないのか~五節句の長男『人日の節句』を紐解く~

[ 1月の記事 ]

はじめに…七草粥だけじゃない「1月7日」という特別な日

お正月の行事というと、多くの人がまず思い浮かべるのは「元日のおせち」や「初詣」ではないでしょうか。それに続いて、3月3日のひなまつり、5月5日のこどもの日、7月7日のたなばた、9月9日の重陽の節句……このあたりは「五節句」と言われれば、なんとなくイメージがわく行事です。

ところが、そのトップバッターであるはずの「人日の節句」は、名前を聞いたことすらないという人も少なくありません。「人日ってなに?」「七草粥の日と同じなの?」と聞かれて、すらすら説明できる人は、きっとかなりの行事通です。

一方で、七草粥そのものは、とても有名です。お正月のご馳走で疲れたお腹を休める日、というイメージで捉えている人も多いでしょう。七草パックがスーパーに並ぶ光景を見て、「ああ、そろそろ冬休みも終わりだな」と感じる人もいるかもしれません。

でも、本来この日は「人日の節句」と呼ばれ、「人を大切にする」という願いが込められてきた特別な日でもあります。しかも、他の節句が「3月3日」「5月5日」など分かりやすいゾロ目なのに、なぜかここだけ「一月七日」。どうして一月だけ、日にちがズレているのでしょうか。

このちょっとした違和感の中には、昔の人のものの考え方や、年の始まりをどんな気持ちで迎えてきたのかという物語が隠れています。このページでは、七草粥の詳しい話はあえてさらりと横に置きつつ、「1月7日」が選ばれた理由や、「人日の節句」という名前に込められた意味を、ゆっくり紐解いていきます。

難しい専門用語はできるだけ減らして、小学生でも「なんとなく分かった」と感じられるやわらかい言葉でまとめていきますので、どうぞ肩の力を抜いて読み進めてみてください。読み終わる頃には、「七草粥の日」というイメージに、「人を大切にする日」というもう1つの顔がそっと重なって見えてくるはずです。

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第1章…五節句を並べてみると見えてくる「1月の席替え」の物語

まず、人日の節句の位置付けをはっきりさせるために、「五節句」そのものをゆっくり眺めてみましょう。五節句とは、昔の人が「季節の節目として、特に大事にしよう」と決めた5つの行事の日のことです。日付を並べてみると、1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句という並びになります。こうして書いてみると、3月以降は「同じ数字が2つ重なっている日」が綺麗に揃っているのに、年の始まりであるはずの人日の節句だけ「7日」にズレているのが不思議に見えてきます。

そもそも昔の中国や日本では、「奇数」は元気な力を持つお目出度い数だと考えられていました。一方で、「お目出度い奇数が2つ重なると、力が強くなり過ぎてバランスが崩れやすい」とも感じられていました。そこで、そのアンバランスを整えるために、特別な行事をして心と体を整える日として選ばれたのが、3月3日・5月5日・7月7日・9月9日だった、というわけです。言い替えると、「元気な数同士がぶつかる日だからこそ、わざわざ丁寧に過ごしましょう」という、昔の人なりの生活の知恵が五節句の背景にあるのです。

では、本来なら同じ仲間として並ぶはずの「1月1日」は、どうなってしまったのでしょうか。本来の考え方だけを辿れば、一月だけが特別扱いされる理由はなさそうに思えます。しかし現実の暦の上では、1月1日は既に「お正月」として特別中の特別な日でした。年神様をお迎えし、新しい年の無事を願う大切な日として、他の日とは比べものにならないくらい重い意味を持っていたのです。そのため、「他の節句と同じ仲間として並べるよりも、ここは1つ別格のままにしておこう」という感覚が生まれてきます。

こうして見ると、五節句は単なる「行事の日の一覧表」ではなく、「一年の中で、どの日をどんな風に大事にしていくか」という、暦の上の座席表のようなものだったことが分かります。上座に当たるのが1月1日の元日で、そのすぐ近くに座る位置を与えられたのが、1月7日の人日の節句というイメージです。「じゃあ、どうしてたくさんある日の中から、わざわざ7日がえらばれたの?」という問いが、ここで新しく浮かんできます。

この素朴な疑問に答えるには、「人日」という言葉そのものに込められた意味と、昔の人が正月の1日1日をどのように見ていたのかを、少しだけ覗き込んでみる必要があります。次の章では、動物たちと人間が登場する、ちょっと面白い暦のお話から、その秘密を辿っていきましょう。


第2章…動物カレンダーと人を大切にする「人日」という考え方

五節句の中で、人日の節句だけ日付が少しずれている理由をさぐるには、「人日」という言葉が生まれた、昔の暦の考え方をのぞいてみる必要があります。元々、人日という発想は、中国の「正月の最初の7日間を、順番に生きものに当てはめていく」という、とても面白い暦の考え方から生まれました。新しい年を迎えてからの7日間を、・犬・羊・猪・牛・馬・人という順番で並べ、それぞれの日を「その生き物のことを思う日」としたのです。

例えば、鶏の日に天気が良ければその年は鶏がよく育つ、犬の日に争いごとが無ければ犬に関わることが安らかに収まる、といった具合に、1日1日を小さな占いのように味わいながら過ごしていました。その締め括りに当たるのが7日目の「人」の日です。この日は、その年の人の運勢や世の中の様子を占う、大事な区切りの日とされました。「今日は人の日だから、人を大切に扱おう」という意識が働き、特にこの日には、罪人に対する厳しい罰を行わないという決まりを設けた国もあったと言われています。「人を罰する日」ではなく、「人を守る日」として7日が選ばれていた、というわけです。

ここから生まれたのが、「人日(じんじつ)」という言葉です。漢字をそのまま読めば「人の日」。一年の最初の一週間を、鶏や犬などの身近な生きものと共に辿っていき、最後の7日目に、改めて「やっぱり人も大事だよね」と振り返る、そんな位置付けの1日だったと考えると、少し親しみが湧いてきませんか。人々はこの日を、人の命や暮らしを思いやる節目として大切にし、家族や友人の健康を願ったり、世の中が穏やかであるようにと祈ったりしました。

この考え方は、現代の感覚で捉え直してみても、どこか通じるものがあります。普段は仕事や家事に追われて、人のことはおろか、自分の心や体のことさえ後回しにしがちです。それでも一年の始まりくらいは、立ち止まって「身近な人たちは元気だろうか」「自分自身はちゃんと休めているだろうか」と、静かに思いを向けてみる。人日の節句は、そんな優しい視線を取り戻す切っ掛けになる日だと言えるかもしれません。

動物たちがバトンを繋ぐようにして迎える7日目の「人の日」。この「人を大切にする」という視点こそが、後に1月7日が特別な節句として選ばれる大きな理由になっていきます。次の章では、この「人日」という考え方が、日本の暦の中でどのように居場所を与えられ、1月7日という日付に落ち着いていったのかを、元日の存在と合わせて辿っていきましょう。


第3章…元日は別格だから~七日目に託された「人を思う節目」~

ここまで見てきたように、本来の考え方だけで言えば、節目として選ばれやすいのは「奇数が重なる日」です。3月3日、5月5日、7月7日、9月9日という並びは、その考え方通りの、とても綺麗な形です。では、一番最初の一月だけ、どうして同じ形にならなかったのでしょうか。その理由を知るカギは、「元日は他の日とは比べものにならない特別な日だった」という一点にあります。

1月1日は、昔から「一年のスタートライン」であると同時に、「歳神様をお迎えする日」として、家や地域全体が総出で準備をする日でした。門松やしめ飾りを整え、おせち料理を用意し、家族そろって祝いの盃を交わす。こうした流れそのものが、既に大きな行事として確立していたのです。もしここに「節句」の名前まで乗せてしまうと、役割が重なり過ぎてしまいます。そこで、節句としては敢えて一歩引き、「元日は元日として特別扱いのままにしておこう」という考え方が生まれてきました。

とはいえ、1月という月そのものが大事であることには変わりありません。一年の中で最初の節句は、やはり一月の内に置きたい。そこで候補になったのが、正月から数えて7日目の「人日」です。中国から伝わった「7日目は人を思う日」という考え方と、「年の初めに、人の無事や幸せを願う節目を作りたい」という気持ちが、ピタリと重なったのでしょう。元日は歳神様をお迎えする特別な日として座ってもらい、そのすぐ後、1月7日には「人を大切にする節目」としての席を用意した。そんな風に、一月の中で役割分担が行われたとイメージすると、少し分かりやすくなります。

ここで面白いのは、1月7日が「元日と同じくらい大事な日だから」ではなく、「元日があまりにも別格だったからこそ、その近くに人を思う節目が置かれた」という点です。一年の中で一番華やかな日と、その余韻が残る静かな7日目。この2つを並べてみると、「神様」と「人間」、「お祭り」と「日常」、「願いごと」と「暮らし」が、上手くバランスを取っているようにも見えてきます。

また、1月7日は「7」という数字そのものにも意味を見い出されてきました。7は曜日の数であり、虹の色の数でもあり、古くから「ひと回り」「ひと塊」を感じさせる数とされてきました。そこに「人日」という名前が合わさることで、「神様に年の無事を祈った後、再び人の暮らしを整えていく日」という、柔らかいイメージが生まれたのかもしれません。

こうして、1月だけは「1月1日は元日として」「1月7日は人日の節句として」という、少し特別な並びになりました。他の節句の日付がスッと覚えやすい分だけ、「どうしてここだけ7日なんだろう?」という小さな疑問が生まれますが、その違いの背景には、暦の上での役割分担と、「人を思う日」を大切にしたいという願いが静かに隠れています。

次の章では、この1月7日を彩る行事食として知られる七草粥のことを、敢えてサラリとだけ触れながら、現代の私たちが「人日の節句」をどう味わい直せるかを考えていきます。家族や利用者さん、そして自分自身のことを、そっと優しく振り返る切っ掛けとしての1月7日を、一緒にイメージしてみましょう。


第4章…七草粥は一口だけ~現代の暮らしで味わう人日の節句~

ここまで、人日の節句がどのように生まれ、「7日目の人の日」としてどんな意味を持ってきたのかを辿ってきました。では、カレンダーも生活スタイルもすっかり変わった現代で、私たちは1月7日をどう味わえば良いのでしょうか。昔ながらの作法をそのまま再現するのは難しくても、「人を大切にする日」という芯の部分さえ押さえれば、暮らしに合ったやり方でそっと取り入れることが出来ます。

1月7日と言えば、やはり思い浮かぶのが七草粥です。ただ、この記事では七草それぞれの意味や調理法のくわしい説明は、敢えて別の機会に譲ることにします。ここでは「お正月に頑張った胃腸を労わる、優しいお粥」というイメージだけを、ひとくち分だけ借りてきます。お米を柔らかく炊いて、青みのある野菜を少しだけ添える。それだけでも、「今日は体に優しい日なんだ」と、体が教えてくれます。

忙しくて七草を揃える時間がない家庭や、葉物が苦手な人が多いご家庭なら、無理に伝統通りを目指す必要はありません。お粥ではなくても、消化のよい雑炊やスープ、野菜がたっぷり入った味噌汁などでも、十分に「人を労わる一杯」になります。大切なのは献立の完璧さではなく、「今日ぐらいは、普段よりも少しだけ体を気遣う日」にしてみる、その心積もりです。

家族が集まれる環境であれば、1月7日は「顔を揃えてご飯を食べる日」と決めてしまうのも1つの方法です。全員集合が難しければ、食卓に並んだお粥やスープの写真を撮って、離れて暮らす家族に送ってみても良いでしょう。「今年も元気に七草の日を迎えたよ」「お互い無理はし過ぎないようにしようね」と、一言添えるだけで、遠くの誰かを思う温かさが伝わります。

高齢者施設や在宅介護の場面なら、人日の節句は「この一年も一緒に過ごせることを喜ぶ日」として位置付けてみてはいかがでしょうか。利用者さん1人1人の顔を思い浮かべながら、「今年もお会い出来て嬉しいです」「どうぞ無理なく、一緒にゆっくり歩んでいきましょう」と声を掛けるだけでも、その日が少し特別な一日に変わります。行事食として七草粥を少量お出しする場合は、嚥下の状態や体調に合わせて形を工夫し、「食べられる人だけで大丈夫ですよ」と、プレッシャーにならない声掛けを添えると安心です。

また、この日を「言葉で人を大切にする練習の日」にしてみるのもおすすめです。家族や利用者さん同士で、「今年、大事にしたい人の名前」と「その人に伝えたい一言」を紙に書いてみたり、職場の仲間同士で「お互いの良いところ」を一つずつ言い合ってみたり。照れくささはありますが、一年の最初に「人のよい面を意識して見る」というスタートを切っておくと、日々の接し方が少しやわらかく変わっていきます。

そして忘れてはいけないのが、自分自身のことです。人日の節句は「人を罰しない日」として扱われてきた歴史を持っています。これを現代風に捉えるなら、「今日は自分を責めない日」「出来なかったことより、頑張ってきた自分を認める日」にしてみるのも良いでしょう。年末年始を頑張って走り抜けてきた自分に、「ここまでよくやってきたね」と声を掛け、温かい一杯をゆっくり味わう時間をプレゼントにしてみてください。

七草粥をきっちり再現するかどうかは、実はそれほど大きな問題ではありません。1月7日を、人の体と心を労わる日、人の良さを見つける日、自分も含めた「人」を大切にする日として過ごすこと。そのための、小さな切っ掛けとして七草粥がそっと添えられていれば、それだけで、人日の節句は現代の暮らしの中で、十分に生きた行事になります。

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まとめ…1月7日は「人を大事にしてみる」と決めるスタートライン

1月7日の人日の節句は、3月3日や5月5日ほど華やかに飾られることは少ないのに、暦の流れを辿ってみると、じつは一年の中でもかなり「美味しい場所」を任されている行事だということが見えてきます。本来なら1月1日が、他の節句と同じように「奇数が重なる日」の仲間に入ってもおかしくなかったところを、元日は既に特別中の特別として座っており、そのすぐ近くに「人を思う節目」として、人日の節句がそっと置かれた。そんな、暦の上での静かな席替えの結果が「1月7日」なのだと考えると、ゾロ目ではないことにも、ちゃんと意味があるのだと分かります。

また、人日の節句の背景には、正月の7日間を生きものに当てはめていく、面白い暦の考え方がありました。鶏・犬・羊・猪・牛・馬と日を重ね、最後の七日目に「人の日」を置くことで、「人もまた大切にされるべき存在なのだ」と確認する。この7日目は、罪人を厳しく罰することを控えたと伝えられるほど、「人を粗末に扱わない日」として大事にされてきたと言われています。人日の節句という名前には、そんな「人を大切にする」という願いが、長い時間をかけて染み込んでいるのです。

現代の暮らしでは、昔ながらの作法を全てなぞるのは簡単ではありません。それでも、1月7日を「体と心に優しい日」「身近な人の無事を思い浮かべる日」として過ごすことは、今日からでもすぐに始められます。七草粥をきちんと用意できなくても、胃腸にやさしい一杯を用意して「ここまでよく頑張ってきたね」と自分や家族を労うことは出来ますし、離れて暮らす家族や大切な人に、一言メッセージを送るだけでも、「人を大事にする日」という本来の意味に、静かに寄り添うことが出来ます。

介護や福祉の現場で働く人にとっても、人日の節句は「この一年も一緒に過ごせることを喜ぶ日」として、やさしく取り入れやすい行事です。利用者さん1人1人に「今年もよろしくお願いします」と声を掛け、自分たちの働き方についても、「完璧を目指して自分を責め続ける」のではなく、「出来ていることを確認し、無理をし過ぎない」と心に決める切っ掛けにしてみる。1月7日をそんな日として位置付けると、年明けの慌ただしさの中に、ホッと息をつける小さな灯りがともります。

七草粥の日として知られている1月7日ですが、その奥には、「人を罰するより、まず大切にしよう」「新しい一年を、人を思う気持ちから始めよう」という、静かで温かいメッセージが隠れています。今年のカレンダーをめくる時、3月3日や5月5日と同じように、1月7日にもそっと丸をつけてみてください。「今日は、いつもより少しだけ人を大事にしてみる日」。そんな合図を自分に出してあげるだけで、人日の節句は、過去の行事ではなく、今を生きる私たちの暮らしの中で息づく、一年のスタートラインになってくれます。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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