3月10日はミートソースの日~特養の食卓と世界の厨房まで旅する話~

[ 3月の記事 ]

はじめに…「ミートソースはパスタだけのもの」と思っていた頃が私にもありました

3月10日と聞いて、「あ、ミートソースの日だな」と思い出せる人は、たぶん人生のどこかで一度は“赤いソースの香り”に救われた経験がある人です。給食のアルミ皿にのった、ちょっと柔らかめのスパゲッティ。喫茶店で、粉チーズを雪みたいに降らせてからタバスコを一滴……いや三滴。あの一口目って、何故か「今日も生き延びた」みたいな気分にさせてくれませんでしたか?

ただ、ここで1つ、ややこしい問題が立ちはだかります。ミートソースを語ろうとすると、必ずと言っていいほど「ボロネーゼって同じでしょ?」という影がスッと現れるんですよね。違う。別料理。なのに似てる。親戚みたいに顔が似てる。だから余計にややこしい。ここを一回スッキリさせておくと、ミートソースの話がグッと楽しくなります。

そして、もう一つ。現場のリアルです。特養の食卓では、そもそも“パスタが主役”になり難い。理由は味じゃなくて、提供から介助までの流れにあります。長い麺は、まとめるだけで一口に時間がかかる。ツユ系の麺は、さらに「汁で泳ぐ」問題が上乗せされる。結果、手間が増えて、現場の手が足りなくなる。だからこそ、特養ではミートソースが「形を変えて生き残る」ことがあるんです。パスタじゃないのに、ちゃんとミートソース。むしろ、そこに知恵が詰まっている。

じゃあ世界の施設はどうしてるの?本場イタリアの施設では?厨房はちゃんと身近にあるの?そんな疑問を、ミートソースの湯気にくるまれながら、ちょっと旅してみようと思います。最後には、「本当のミートソースって、結局こういうことだよね」という芯が、ちゃんと手元に残るはずです。あ、安心してください。こちらは誰かを責める記事じゃありません。お腹が鳴って、ちょっと笑えて、そして明日の献立が少しだけ優しくなる。そんな方向でいきます。

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第1章…ボロネーゼと同一視した瞬間~イタリアのシェフが静かにフォークを置く~

ミートソースの話を始めると、だいたい途中で影が差します。「それってボロネーゼと同じでしょ?」という、あの一言です。言った本人は悪気ゼロ。むしろ親切心。「呼び方が違うだけじゃない?」という優しさ。だけどその瞬間、どこかのイタリアのシェフが、遠い国の厨房で静かにフォークを置くんですね。カチャ……と。たぶん、空気が少し冷える。いや、こっちの気のせいかもしれませんが。

ここはまず、肩の力を抜いて整理しておきます。結論から言うと、ミートソースとボロネーゼは別料理です。ただし、親戚ではあります。親戚なので顔が似ています。「肉が入ってる」「トマトっぽい」「パスタにかける」辺りが重なるので、世の中は簡単に混線します。親戚って、法事で会うとだいたい混線しますよね。あれと同じです。

ボロネーゼは、ざっくり言うと「肉の煮込み」が主役です。イメージは、肉と香味野菜をじっくり炒めて、コトコト煮て、旨味を積み上げていく感じ。トマトは入っても「主役の相棒」くらいで、前に出過ぎない。だから食べた時に「トマトの酸味だ!」より先に、「お肉の深い味だ……」が来ます。映画で言うと、派手な爆発じゃなくて、演技力で泣かせてくるタイプです。

一方で、日本のミートソースは「肉入りトマトソース」が主役になりやすい。これは悪い意味じゃなくて、日本の洋食として育った、ちゃんとした個性です。トマトの存在感があって、どこかホッとする甘みや丸さがある。給食の優しさにも、喫茶店の気合いにも、どちらにも対応できる懐の深さがあるんです。いわば、赤いソース界の万能選手。しかも粉チーズを受け止める度量まである。えらい。

じゃあ、何故こんなに同一視されがちなのか。理由は単純で、言葉が旅をすると服装が変わるからです。海外の呼び名が日本に入る時、料理はその国の台所事情に合わせてアレンジされます。麺の種類、手に入りやすい材料、家庭の味の好み。そういうものが混ざって、「似てるけど違う」料理が生まれます。これは料理の自然な進化で、むしろ健全です。人間だって、引っ越すと口癖が変わりますしね。

ここで大事なのは、「どっちが上か」じゃなくて、「狙っている美味しさが違う」という視点です。ボロネーゼは肉の旨味を積み上げる方向。ミートソースはトマトの親しみやすさと肉の満足感を両立させる方向。どちらも正解で、違う地図の違う宝物を掘っているだけです。

そして、この違いをつかむと、次の話が一気に分かりやすくなります。給食のミートソースが優しく感じる理由。喫茶店のミートソースが「大人の味」に感じる理由。そして特養の食卓で、なぜミートソースが「形を変えてでも生き残る」のか。ミートソースが“赤いソース”以上の存在になっていく準備が、ここで整うんです。

さあ、フォークは置かなくて大丈夫です。次は、あの懐かしい二大勢力――給食と喫茶店のミートソースが、どうやって別々の魅力を作っていたのか。あの頃の舌を、ちょっとだけ呼び戻しに行きましょう。


第2章…給食は優しさで喫茶店は気合いで出来ている説~粉チーズとタバスコは正義~

ミートソースの記憶って、だいたい2つの引き出しに分かれてませんか?1つは給食。もう1つは喫茶店。どちらも赤い。どちらも肉。なのに、同じ料理名なのに、何故か別人格。これはもう、双子なのに性格が正反対、みたいな現象です。

まず給食のミートソース。あれは「優しさ」で出来ています。味が優しい、というだけじゃありません。全体の設計が優しい。食べる側が小学生で、飲み込みがまだ未熟で、好き嫌いもある。そこに対して「はい、こちらがガチの酸味です」とか「ハーブの主張を感じてください」とか言い出すと、教室が静まり返ります。給食のミートソースは、その沈黙を避けるための知恵が詰まっているんです。

例えば、トマトの酸味が強過ぎない。仄かに甘い。玉ねぎの甘みが前に出ることもあるし、ケチャップっぽい丸さがあることもある。肉の存在感は、ドーン!というより、ちゃんといる、くらい。主役は「安心して食べられること」。そして麺は、今思うと少し柔らかめ。これがね、当時は何も考えず食べてたのに、今考えると“全員を救う調整”なんですよ。給食って、献立という名の社会保障なんだな……と、急にしみじみしてしまいます。

さらに給食には、もう1つの大きな目的があります。「温度」と「時間」の問題です。配膳して、全員に行き渡って、いただきますをして、そこから食べ始める。つまり料理が完成してから食べるまでにタイムラグがある。ここで酸味が強いと冷めた時に尖りやすい。だから給食のミートソースは、冷めても角が立ち難い方向に寄りがちです。優しさって、味覚だけじゃなく時間にも向いているんですね。

対して喫茶店のミートソース。こっちは「気合い」で出来ています。扉を開けた瞬間のコーヒーの香り、少し暗い照明、窓際の席、新聞、そしてメニューの中の“スパゲッティ”。出てきた皿には、赤いソースがたっぷり。そこに粉チーズを客が自分でかける。あの行為がもう、儀式なんです。給食にはない「自分で仕上げる楽しさ」がある。喫茶店のミートソースは、味より先に、生活の演出が入ってくる。

味の方向も、給食とは違います。コクが強い。塩気が少しキリッとしている。肉の存在感が給食より前に出て、油分も少し感じる。隠し味っぽく、ウスターソース系の深みが入ってることもあるし、にんにくがほんのり効いてることもある。何より、「粉チーズとタバスコで完成する余白」が残されている。つまり喫茶店のミートソースは、客に“最後の一手”を委ねる料理なんです。これが大人の遊びですね。

ここで面白いのが、同じミートソースなのに「正解の作り方」が2つ生まれていることです。給食の正解は、酸味を丸くして、誰でも食べやすくして、時間が経っても優しくする。喫茶店の正解は、香りとコクで背中を押して、粉チーズで厚みを作り、タバスコで“自分の好み”に着地させる。どっちも、狙っているのは「満足」ですが、満足の作り方が違うんです。

そしてここからが、今日の話の肝に繋がります。特養の食卓でミートソースを出そうとすると、給食の“時間に強い優しさ”も、喫茶店の“仕上げの遊び”も、そのままでは持ち込めないことがある。何故なら、特養には特養の「時間」と「手間」と「安全」があるからです。

ここまで読んで、「ああ、ミートソースって味だけの話じゃないんだな」と思ったら勝ちです。次の章では、その“味以外の現場事情”が、どれだけ麺料理を左右するか。特養でスパゲッティが消えやすい理由と、逆にミートソースが形を変えて生き残る理由を、ちょっと笑いながら見ていきます。安心してください。麺は悪くありません。悪いのは、麺が泳ぐ状況です。泳がせたのは、現場のせいでもありません。手が足りないだけです。


第3章…特養でスパゲッティが消える日~麺が泳いで手が足りなくて心が折れる~

特養の献立って、味だけで決まっていないんですよね。むしろ味は、勝負の土俵に上がる前に「提供できるか」「介助できるか」「全員がだいたい無事に食べ終われるか」という関門を潜らないといけない。ここをクリアできた料理だけが、ようやく“味の話”をしてもらえる。料理界の就活みたいな世界です。

そこでまず、現場の記憶として強いのが「ツユ系の麺がしんどい」というやつ。うどん、蕎麦、ラーメン。これらは、介助者にとっては“工程が多い食べ物”です。箸で麺をつかむ。適量にまとめる。ツユが垂れる。麺が滑る。口に運ぶ途中でほどける。口に入った後も、ツユが先に流れやすい。つまり一口一口が、ほぼミニイベント。しかも次の一口もミニイベント。イベントが一日の一食の介助に何十回も来る。いや、これはもう祭りです。屋台が出るタイプの祭りです。

で、焼きそばが比較的ラクに感じるのは、あれは麺が“泳いでない”からなんですよね。ソースが絡んでまとまっている。つまり一口が作りやすい。介助の工程が減る。麺料理の中でも焼きそばは、現場に対して優しい顔をしてくるタイプです。普段はちょっとヤンチャそうなのに、実は面倒見が良い、みたいな。

ここで「じゃあミートソースのスパゲッティも、絡むからラクじゃない?」と思うんですが、特養の現実はそこがまた一段違います。何故なら、スパゲッティは“調理から提供まで”の時間差で、性格が変わるからです。茹でたては素直。ところが、少し待つと、急に団結し始める。麺同士がギュっと手を取り合って「俺たち、1つになろうぜ」と言い出す。やめて。個人でいて。団結はスポーツだけでお願い。

この「塊になる問題」は、ツユ系のように麺と汁を分けて運ぶ作戦では、なかなか解消しません。蕎麦やラーメンは、麺とツユを分ければ“泳ぐ問題”を減らせる。だけどスパゲッティは、そもそも麺だけで待機した瞬間に固まり始める。つまり、ソースを後掛けにしても、麺側が先に団子になる。団子になった麺にソースをかけても、ソースが表面を赤くするだけで、中までほどけない。しかも、ほどくために触る回数が増える。触るほど麺が切れたり伸びたりして、見た目も食べやすさも下降しやすい。結果、「やっぱ今日は無理だね」という結論に近づきます。

そして、ここで地味に効いてくるのが「厨房との距離」です。厨房が身近で、提供直前にサッと仕上げられるなら、パスタは生き残れます。ところが、厨房が遠い、配膳までの導線が長い、温冷配膳車の都合がある、時間が読めない、介助開始までのタイムラグが大きい。こうなると、パスタは弱くてたちまち現場から消えてしまう。ツユ系は分離という逃げ道があるけれど、スパゲッティは逃げ道が少ない。だから特養では「そもそも出さない」か、「出すとしても形を変える」方向に寄りやすいんです。

で、ここがミートソースの面白いところなんですが、ミートソース自体は、実は施設向きの素質もあるんです。何故ならミートソースは、味の芯が「肉のうま味」と「まとまり」だから。つまり、形さえ合えば強い。形を変えると聞くと、料理が負けたみたいに感じるかもしれません。でも逆です。現場が勝つために、料理がフォームチェンジしていく。格闘技で言うなら、相手に合わせてスタイルを変える“強者の戦い方”です。

例えば、スパゲッティをやめてショートパスタにする。ペンネやマカロニなら、塊問題が起き難いし、箸でもスプーンでも一口が作りやすい。あるいは、ドリアやグラタンのように「スプーンで完結する形」に寄せる。マッシュポテトに掛けても良いし、柔らかいハンバーグのソースにしても良い。つまり、ミートソースの良さを捨てるんじゃなくて、「介助に勝てる形」に翻訳していけるんです。

こう考えると、特養でミートソースがパスタの姿で出てこないのは、ミートソースが嫌われたからではなく、スパゲッティの“提供耐性”が低いから。味の問題じゃない。現場の時間と調理で手間暇をかけるかどうかの問題。麺が泳ぐ、手が足りない、そして心が折れる。だから形を変える。これは、現場がちゃんと料理を理解している証拠でもあります。

さて、ここまでで「特養でのミートソースの生き残り方」が見えてきました。じゃあ世界の施設はどうしているのか。日本だけが工夫しているのか。それとも本場イタリアでも、施設では同じように“形の知恵”が使われているのか。次の章で、厨房の距離感も含めて、世界の食卓を覗きに行きましょう。厨房は身近にあって欲しい。ほんとそこ。料理は、距離が伸びると孤独になるんですよね。


第4章…世界の施設はどうしてる?~ショートパスタと焼きパスタと「厨房は近くにあって欲しい」論~

世界の施設ご飯って、どんなイメージがありますか?私は正直、昔は「海外は肉!バター!ドーン!」みたいな雑な想像をしていました。ところが、いざ“施設”という条件が付くと、世界中どこでも同じ方向に収束していくんですよね。つまり、派手さよりも「安定して出せる」「食べやすい」「介助しやすい」「時間が経っても崩れ難い」。この四天王が強い。国境を越えて強い。

そこでパスタです。海外の施設でも、パスタは登場します。ただし、スパゲッティみたいなロング麺が主役で出てくる場面は、体感として少なめです。理由はもう、私たちが第3章で散々見たやつ。絡む、固まる、まとめづらい、待機に弱い。世界の厨房だって、そこは同じ。だから自然と「形が強いパスタ」に寄っていきます。

例えばショートパスタ。ペンネ、マカロニ、フジッリみたいな“短くて掬いやすい”一族です。彼らは介助の敵になり難い。掴みやすいし、スプーンでもいけるし、何より一口を作る時に「まとめ直し祭り」になり難い。あの祭り、屋台が多過ぎて疲れますからね。ショートパスタは静かな神社の縁日くらいの落ち着きがあります。

もう1つ、海外で強いのが「焼きパスタ」系です。パスタをソースと合わせて、オーブンで焼いて、1つの料理として固めてしまう。これが何を意味するかというと、提供までの時間差に強いんです。熱々の瞬間を逃しても、食べやすさが急に崩れない。しかも、形がまとまっているので介助の工程が減る。ツユで泳がない。麺が単独で団結し始めない。焼きパスタは、厨房と現場の距離がある環境における“賢い妥協”というより、“賢い最適解”です。

じゃあ本場のイタリアではどうなの?、という話になりますよね。ここが面白いところで、イタリアはそもそも「日常にパスタがいる国」なので、施設でもパスタが消えません。ただし、やっぱり形は寄せてきます。ロング麺で勝負する日もあるでしょうけど、施設の現実に合わせて、ショートパスタや小さなパスタ、あるいはラザニアみたいに“最初から一体化している料理”が活躍しやすい。日本の特養でミートソースがドリアやグラタンになって生き残るのと、考え方は親戚です。ここでもまた親戚が出てきましたね。料理は本当に親戚が多い。

そしてイタリアらしいのは、「ラグー」という概念の強さです。肉を煮込んだソースは、パスタに掛けても良いし、別の主食に寄り添ってもいい。つまり“ソースが主役で、形は現場が決める”が自然に出来る。これ、施設向きなんですよ。ミートソースを「パスタ専用」にしない発想は、むしろ本場の精神に近いところがある。「本当のミートソースはこれだ!」というのは、形じゃなく芯の話ですからね。

ここで、私の新しい提案を混ぜ混ぜします。世界の施設の知恵を借りて、日本の特養の現場感に落とすなら、ミートソースは“3つの顔”を持つと強いです。

1つめは「ショートパスタの顔」。介助の工程を減らして、麺の固まり問題も起き難い。2つめは「焼きパスタの顔」。提供までの時間差に強く、厨房が遠くても崩れ難い。3つめは「ご飯や芋の顔」。ドリア、マッシュポテト、軟らかハンバーグのソース。スプーンで完結できて、食形態の調整もしやすい。ミートソースは“赤いソース”というより、“肉の旨味の運び屋”なんだ、と考えると、この三面体はかなり実用的です。

で、最後に戻ってくるのが「厨房は身近にあって欲しい」論です。これは感情論に見えて、実は技術論でもあります。厨房が近いと、最後の仕上げが出来る。温度が保てる。麺が団結し始める前に提供できる。介助の開始が遅れても、料理が絶望し難い。料理は距離が伸びると孤独になる、って第3章で言いましたが、世界の施設も結局同じところにぶつかって、同じ工夫をしているんです。

だから、ミートソースの日に言いたいのはこれです。パスタに拘る必要はない。でも、ミートソースの芯には拘って良い。肉の旨味が主役で、口の中でちゃんとまとまって、食べた人の顔が少し緩む。その状態を、現場の条件に合わせて実現する。これが「世界の厨房」と「特養の食卓」を繋ぐ、一番優しいやり方だと思います。

さて、次はいよいよまとめです。ミートソースの日に、給食と喫茶店の思い出も抱えたまま、特養と世界の厨房をグルッと回ってきた私たちが、最後にどんな一皿へ着地するのか。赤いソースの帰り道を、綺麗に締めましょう。

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まとめ…結局は一番旨い「肉の旨味が主役」のミートソースがあなたの皿の上に帰ってくる

3月10日ミートソースの日。給食のアルミ皿から始まって、喫茶店の粉チーズ儀式を経由して、特養の食卓で「そもそもパスタが出難いんだよな……」という現実に着地し、さらに世界の施設厨房まで旅をしてきました。気づけば、赤いソースを追いかけていたはずが、私たちは「食べ物は味だけじゃない」という当たり前の真理に何度もぶつかっていましたね。いや、当たり前なんですけど、当たり前ってだいたい現場で一番重い。

まず大事な整理として、ミートソースとボロネーゼは別料理。ここが混ざると話がややこしくなるけれど、分けてしまえばスッキリします。ボロネーゼは肉の煮込み感が主役で、ミートソースは肉とトマトの親しみやすさを両立させた、日本の洋食としての強さがある。親戚だけど別人格。法事で混線しても、普段はちゃんと別々に暮らしている。そう思えば平和です。

次に、給食と喫茶店のミートソースは、同じ名前でも“狙い”が違いました。給食は優しさで、喫茶店は気合いで出来ている。給食は時間差に耐える丸さがあって、喫茶店は粉チーズとタバスコという「自分で仕上げる楽しさ」を残している。つまりミートソースは、元々、一枚岩じゃなく、時代と場所に合わせて姿を変える才能を持っていたんです。そう考えると、後の展開が全部納得できます。

特養の食卓でパスタが主役になり難いのも、味の問題ではなく「提供」と「介助」の問題でした。ツユ系の麺がしんどいのは、麺と汁が別々に暴れるから。箸で掴む、まとめる、垂れる、滑る、またまとめる……一口がミニイベントになりがちで、手間が増える。だから焼きそばのように“絡んでまとまる麺”がラクに感じる。ここまでは直感通りでした。

ところが、スパゲッティにはまた別の壁がある。提供までに時間が掛かると、麺が固まり始める。麺同士が団結して団子になる。ソースを後掛けにしても、麺側が先に固まるから解決し難い。つまりスパゲッティは、ツユ系みたいに「分けて運ぶ」という逃げ道が少ない。厨房が遠いほど不利になる。だから特養では、ミートソースは形を変えがちになる。これは敗北じゃなく、現場が苦渋の選択で勝つためのフォームチェンジです。料理が現場に合わせて強くなる瞬間なんですよね。

そして世界の施設を覗くと、びっくりするほど同じ知恵が働いていました。ショートパスタや焼きパスタが強いのは、時間差と介助に強いから。イタリアだって、施設という条件が付けば「形が強いパスタ」に寄っていく。つまり、“スパゲッティでないと本物じゃない”なんて話じゃない。むしろ「ソースの芯を守って、形は現場で決める」が、世界共通の賢さなんです。

じゃあ、ここまでの旅の結論は何か。私はこう言いたいです。ミートソースの本質は、パスタかどうかではなく、「肉の旨味が主役で、口の中でちゃんとまとまって、食べた人の表情が緩むこと」。この芯さえ守れば、ショートパスタでも、焼きパスタでも、ドリアでも、マッシュポテトでも、柔らかい料理のソースでも、ちゃんとミートソースは役立ち活躍します。赤いソースは“麺の添え物”じゃなく、“旨味の運び屋”なんです。

そして、最後にどうしても言っておきたいのが「厨房は身近にあって欲しい」という願い。これはロマンではなく、現場の技術の話です。距離が短いほど、料理は仕上げやすく、温度も保ちやすく、麺も団子になり難い。食べる人に届くまでの間に、料理が孤独にならない。厨房が近いって、それだけで食事が“生きたまま”届く確率が上がるんですよね。

3月10日はミートソースの日。もし今日、赤いソースを思い出したなら、パスタに拘らなくて良いので、芯だけは思い出してみてください。肉の旨味が主役で、優しくて、ちょっと元気が出る。あの一皿は、給食にも、喫茶店にも、特養にも、世界の厨房にも、ちゃんと居場所がある。結局、一番旨いのは、「本当のミートソース」があなたの皿の上に帰ってくる瞬間なのだと思います。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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